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海賊王の息子と婿入り国王

海賊王の息子と婿入り国王1

新国王が即位して、その国の内政は大きく変わろうとしていた。

王侯貴族に集中していた財が平民にも分配されるようになり、かつて散々に焼かれたグレイ・ターミナルは行き場のない人たちのための新しい町として生まれ変わろうとしている。
無論その変革は容易ではなかったが、新王はその確かな手腕と平民からの圧倒的な支持でそれを成し遂げようとしている。


深夜、ようやく執務を終えて部屋に戻るとそこには誰もいなかった。
国王夫妻の私室として与えられた部屋だが、妻である王妃が顔を見せたことはない。

王族である妻と貴族の出身であるサボは一年ほど前に結婚し、王位に就いた。
ひとえにサボの生家の尽力の賜物と言って良かったが、サボの両親の立場は今となっては決して良いものではないはずだ。
この国の王族と貴族は己の特権と利権を何より尊しとする。であるのに、必死で王座に就けた自分の息子が、それを全てなくそうとしているのだから。

十歳で家出から連れ戻されて以来、必死に勉強した。親の言う通り、生家をより良い境遇に導くために。
少なくとも、周囲からはそう見えていただろう。
全て演技だったのだけれど。

幼くして家を飛び出して以来、サボは他の貴族にはない目線からこの国を見続けてきた。
この国にはあまりにも苦しむ人が多すぎる。他の人たちを踏み台にして成り立つ仮初めの幸福がある。

王族の姫と結婚し、自らが王となる。
それは予想しない展開だったが、話がまとまった頃にはサボは腹を決めていた。

おれがこの国を変える。

大それた野望だと分かっていても、いつかそれで死ぬのだとしても、やらないという選択肢はなかった。持てる者は持たざる者に対する責務を負うべきだ。
結婚以来、サボは変わった。
大人しかった貴族の子息の変貌に周囲は驚いたが、流れを今更止める訳にはいかない。サボの即位を取りやめることは、彼らの体面に関わる。
そうと分かっていたからサボはあえて牙を剥いた。

特権意識の塊のような妻は、サボに一切近寄らない。夫婦として生活をしたことも、契りを交わしたことすらない、仮初めの夫婦だった。
噂に聞くと、貴族の愛人をつくってよろしくやっているのだという。
結構なことだ。
サボは彼女を、永久に幸せにはしてやれない。


王の私室として与えられた部屋の中は暗く、寒かった。
できるだけ簡素にと誂えた上着を脱ぎ、疲労にまみれた体をベッドに投げ出す。
カーテンすら開いたままの窓から月の明かりが入っていた。
月齢を数えて、そういえば満月だと思い至る。
月が満ちるとき、海も満ちる。
満月の夜は、海が騒がしくなる夜だ。
海で生活する海賊たちは明るい夜を殊更に好む。
宴に戦い。
明日になれば、この国の近海に現れた海賊たちが起こした事件がサボのもとにも報告されるはずだった。

疲労で散漫になった思考の中に、ふっとかつて捨ててたはずの憧憬が甦ってきて慌てて首を振り、思考を追い出そうとする。

少年の頃、海賊に憧れていた。いつか海に出てこの名を轟かせるのだと。
今となっては少年らしい、夢ともつかぬ過去の憧れだ。
サボの生きる場所はこの国、この城の中。

だけど、決して自らが望んだわけではない玉座は硬くて冷たくて、孤独だった。



いつの間にかうとうととしていたらしい。
閉じていたはずの窓から流れ込んでくる風がサボの覚醒をやさしく促す。
けれどまどろんではいられなかった。
窓際に人の気配。
はっとして枕元に隠している剣に手を伸ばした。
「誰だ」
声を上げる。
暗殺を企てられたのは一度や二度ではない。
自分たちの理想にそぐわない若輩の王は弑してしまえばいい、という考えが貴族たちの間で主流になっているらしい。
彼らはもしサボが死んだら皆大げさなほどに嘆き悲しむのだろう。
立派な王だったと。
そうして表面を取り繕ってから、自分たちの傀儡たり得る男を探してきて王に据えるのだ。
シナリオが読めているだけに、ここで死ぬわけにはいかない。
けれど、窓の桟の上に器用にしゃがみ込む男は、いつものような黒づくめの暗殺者ではなかった。

「お、その様子だとそう鈍ってはいないみたいだな。安心した」

上半身は裸で、下は黒いハーフパンツ。橙の帽子をかぶって背にはリュック、首にも手首にもじゃらりとアクセサリーを付けている。
闇に紛れる者たちとは正反対の、己がここにいることを顕示するような派手な出で立ちだった。

「誰だ」とサボが問うと、窓辺の男はそれには答えず、「覚えてねェ?」と訊き返す。
そうして窓を蹴るとあっさりとサボとの間合いを詰めてきた。

警戒して剣を構えた腕に力が籠る。
刀身が月の光を反射してぎらりと輝いた。
男は怯む様子さえ見せない。
剣の切っ先に触れるほどに近づいて、男は帽子を脱いだ。
癖のある黒髪に好戦的な色を宿した瞳、そばかすの散る頬、皮肉さを帯びて笑みの形に歪んだ唇。
男の言う通り、確かにサボは彼を知っていた。
「……エース」
その名を口にするのは何年ぶりだろう。
サボの叶わなかった夢と同じだけの重さを持つ名前。

エースの父親の名を知らない者は、この世にいないだろう。それほどに有名だった。
海賊王、ゴール・D・ロジャー。
老齢ながらいまだ世界に名を轟かせる男の唯一の息子がこのエースだった。

エースとサボが知り合ったのは、五歳の頃に遡る。
家出してグレイ・ターミナルを寝ぐらとしていたサボのもとにその少年は突然現れた。
海賊王の実子ながら、風変わりな親の教育方針で海軍中将のもとに一時的に預けられたというエースはサボとすぐに打ち解けた。山奥で動物を狩り、ともに戦闘技術を鍛え、毎晩身を寄せ合って眠った。そういう相手はサボにとって後にも先にもエースひとりだ。
五年をともに過ごした後、エースは親元に帰ることになり、サボもまた強制的に実家に連れ戻された。
それ以来の再会だった。


エースがどう過ごしていたのかをサボが知らなかったわけではない。
海賊王の実子という、世界中が注目する星のもとに生まれたエースの動向は逐一ニュースを介してサボのもとに届いてる。
しかも、最近はロジャーの息子であることを抜きにして、エース本人の強さが語られるようになってきていた。どこで食い逃げした、どこで海軍の師団を壊滅させた。
そういう報を目にするたびに、サボはエースのことを思い出し、誇らしい気持ちになる。
でも、こうして顔を突き合わせるにはあまりにも時間が経ち、立場が違ってしまった。
サボの複雑な心境を意にも介さず、エースは「久しぶりだな」と笑う。
「何の用だ」
サボは剣を突き付けたままエースに訊ねた。
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