本編
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「では今から本番前のお浚いをしたいと思いまーす。皆さんお渡しした洋服と靴は着用できましたかー?」
「「「はーーい」」」
夕暮れが迫る中、明るい女性達の声が劇場に響いた。ファッションショーのリハーサルのため早く劇場入りした紗雪は、なるべく目立たないよう後ろの方に陣取っていた。
「胸につけている番号の通りに舞台に上がってもらうので、間違わないでくださいねー」
紗雪の番号はかなり後方だ。落ち着いて人の出入りを確認できる。
(師範が客席に、宇髄さんが天井裏にだったな)
紗雪は自分の服装を確認した。黒のハイウエストのワンピース。丈は長めだが、体にフィットした作りだ。ノースリーブで上から薄手のロングカーディガンを羽織っている。そして黒のハイヒール。ヒールが練習のものより細い気がする。
(これ、いざと言うとき動けるかな…)
リハーサルが滞りなく終了しやがて客が入り始めると、じわりと湧いてきた鬼の気配に紗雪は警戒を高めた。
音楽と観客の熱気が盛り上がっていく。
(鬼より先に出番が来た)
前の女性に続いて舞台に上がる。ランウェイを中央まで行って一回転して下がる。それだけの事なのに紗雪は妙に緊張した。
(師範…いる)
姿は見えないが客席の後ろの暗がりで見ているのがわかる。舞台の中央で一回転している間、煉獄の強い視線に晒され紗雪はおかしな気分を味わっていた。
煉獄に包まれているような、体の中まで探られているような不思議な心地だ。
(後は真っ直ぐ舞台裏に戻るだけ)
紗雪が気を抜いた瞬間、ダン!と大きな音がして鬼が上から降ってきた。
「!?」
「きゃぁぁぁ!」
「うわぁ!何だアイツ!!」
鬼とは暗がりに人を誘い込み喰らうと思っていた紗雪は、人前に堂々と出てきた鬼に虚をつかれた。立ち尽くした所を肩に担がれる。
「なっ!」
グン!と体が持ち上がり、紗雪は鬼に抱えられたまま天井裏に拐われた。床に叩きつけられ咳き込みながら紗雪は急いで身を起こした。
「お前…いい足してるなぁ」
「………」
鬼に注意を払いながら周囲を確認する。どこかの小部屋のような作りで、前もって宇髄に見せられた見取り図には無い部屋だ。胸の悪いことに片隅に女物の服と血溜まりが固まっていた。
「ひひっ、逃げる所なんてどこにも無いぜ。」
体中を舐めまわされるような嫌な感覚に14歳の頃の自分が泣きそうになって紗雪は胸のあたりで拳を握った。鬼の高笑いが耳に響く。
「怖いか?怖いよなぁ!もっと怖がれ!!」
(お前なんか怖くない!私が怖いのは…怖いのは……)
ーー君は本当に強い!俺は君を尊敬する!!ーー
「!!」
いつかの煉獄の声が心に響き紗雪の恐怖を吹き飛ばした。煉獄がいつも言っている胸の中に炎を灯されたようだ。
煉獄という炎が。
(師範も宇髄さんも来てくれる!大丈夫だ!!)
ニンマリと笑う鬼を紗雪はギッと睨み付けた。
「………」
混乱した人々の誘導を隠に任せると煉獄は舞台裏に駆け込んだ。出演者たちは裏口から逃げたのかしんとしている。煉獄は纏められていた荷物から紗雪の日輪刀を掴んだ。
(紗雪!)
踵を返すと支配人を摑まえている宇髄の所へ戻る。
「ですから見取り図にない部屋なんてものは…」
「そんな筈ねぇだろ!俺が派手にこの目で見たんだからな!」
天井裏の更にその上へ駆け上がる鬼を追った宇髄だったが、鬼の姿がフツリと消えたのだ。隠し扉を探ったが天井裏の暗さも手伝って見つけられない。
「大体あなた達…ひぃっ!」
「何でも良い思い出せ!!」
煉獄は支配人の胸倉を掴むと詰め寄った。宇髄がギョッとして煉獄を見る。鬼と対峙する時でさえ冷静な煉獄がここまで感情的になるのを見るのは初めてだ。
「おい、煉ご…」
「人の命が…俺の紗雪の命がかかっているんだ!!」
(おぉ…)
宇髄は状況も忘れ感心してしまった。人の本性というものは非常時に出るというが、これが煉獄の本心なのだ。
「………」
「頼む…!」
胸倉を掴んだまま頭を下げるという奇妙な状態の煉獄に、支配人は僅かに沈黙すると噂ですが…と口を開いた。
「この劇場を建てた当時の支配人が天井裏に隠し部屋を作ったと言われています。天井裏の最奥にそこだけ独立しているとか…場所として考えられるのは暗幕の一番奥です」
「感謝する!」
「あんた等も派手に逃げな!!」
煉獄と宇髄は天井裏に駆け上がると暗幕をかき分け言われた場所に走った。闇に溶けるように黒い壁の小さな部屋が姿を現す。宇髄が乾いた笑いを漏らした。
「こりゃ見つかる訳ねぇわ。当時の支配人ってのは何考えてんだか」
「行くぞ!宇髄!!」
煉獄は日輪刀を抜いた。
「はっ…はぁっ…はぁ……」
「いひっひひひっ。頑張るなぁー」
紗雪は肩で息をしながら鬼を観察していた。カーディガンは千切れ、服も方々切り裂かれ、スカートも大きく割れて太腿のガーターベルトが覗いていた。ハイヒールももうどこかに行ってしまった。身体中の切り傷から血が滴って床に血溜まりを作る。
(爪は伸びても40センチ。スピードはついていける…いつもなら)
「はっはぁ!!」
「っ!!」
踊りかかってきた鬼を避けるため床を蹴る。血溜まりで足が滑り紗雪は体制を崩した。すかさず腹を殴られ床に叩きつけられる。
「うぐっ!!」
「つぅかまえたぁ」
「っ!!」
首を鷲掴みにされ紗雪は両手でそれを掴んだ。上から体重を乗せられ息が出来ない。
「俺は女の足がだぁい好きだ。お前の足も一番最後に食ってやるよ!」
(きっも!!)
近づいて来る鬼の顔に紗雪は顔を背けた。
ーー音の呼吸 肆ノ型 響斬無間ーー
「なっ!?」
「!!」
斬撃の音が響き床がバラバラになって落下する。突然の浮遊感に紗雪は目を閉じた。
「っ!」
がっしり抱き止められて紗雪は目を開けた。思わず言葉が口をつく。
「師は…」
「煉獄じゃなくて派手に悪かったな」
紗雪を抱き抱えていたのは宇髄だった。首を巡らせると煉獄が鬼と対峙している。紗雪が慌てて宇髄の腕から出ようとすると、宇髄がそっと降ろしてくれた。
「落ち着けって。あの程度の鬼、譜面を描くまでもねぇよ」
「………」
「鬼狩りぃぃぃ!あの旨そうな足の女をっ!?」
言い切る前に鬼の首が体から離れる。技を使うまでもなく煉獄は鬼の首を切り落としていた。速すぎて紗雪には残像さえ見えなかった。
血振りして納刀すると煉獄が紗雪に真っ直ぐ向かって来る。煉獄は両手を伸ばすと紗雪をしっかり抱き締めた。
「無事で良かった」
煉獄の紗雪を抱きしめる手が震える。紗雪は胸が一杯になった。
「……羽織が血で汚れてしまいます」
「そんなものどうでも良い!」
「………」
更に腕に力を込められ紗雪は遠慮がちに煉獄の胸に頭を預けた。ホッとして気が抜けたのか体のあちこちが痛み出す。
「あの…師範、ご心配をおかけしました。それと大変申し訳ないのですが、肋骨が折れたみたいで痛いです」
「すまん!」
煉獄は慌てて紗雪を離すと怪我の程度を確認しようと紗雪の全身を眺めた。途端に赤面すると横を向く。煉獄が羽織をかけてくれて紗雪は漸く自分の格好を思い出した。羽織をギュッと手繰り寄せる。
「す、すいません!」
「いや!日輪刀無しに鬼と対峙してその程度の怪我で済んで何よりだ!!しかし蝶屋敷での治療が必要だな!」
「おーい。そろそろ下も隠が対応終わったみたいだし降りようぜ」
そろそろ良いかと宇髄が声をかけると、煉獄は宇髄の事をすっかり忘れていたのか驚いて振り返った。流石に宇髄が呆れた表情を見せる。
「お前さぁ」
「いや、すまん。何も言ってくれるな宇髄」
「まぁ、良いけどよ」
「?」
煉獄と宇髄だけで分かりあわれて紗雪は首を傾げた。
「そういやハイヒールはどうしたんだ?」
靴下だけの紗雪の足元を指差す宇髄に紗雪が苦笑した。
「あのきっもい鬼の顔面に投げつけてやりましたよ。動きにくいったらありゃしない」
毒付く紗雪に宇髄が大笑いした。
「そりゃあ派手に良いや!!じゃ、俺は先に行ってるぜ」
軽い身のこなしで降りていく宇髄を見送ると煉獄が紗雪に手を差し伸べる。
「行こう紗雪」
「はい」
紗雪がその手を取ると、煉獄がヒョイと抱き上げた。目を丸くする紗雪に笑う。
「血のついた靴下では歩きにくいだろう!舞台裏までは我慢してくれ!」
「は、はい!」
紗雪の骨折に響かないようふわりふわりと降りていく。むず痒いほど大事に扱われて紗雪はどんな顔をしていれば良いのか分からなかった。
(師範と羽織から同じ香りが…いやいや、それは当たり前なんだけどそうじゃなくて!!)
いらん事を考えるのはよそうと心を無にする。紗雪はとにかく真っ直ぐ前、煉獄の詰襟と首の取り合いの部分のみを見つめた。
「ふあっしょんしょーとやらの良さは結局分からずじまいだったが」
詰襟から時折チラリと覗く喉仏が喋る。
「紗雪、君はすごく綺麗だった」
「………へ?」
無心になることに集中していた紗雪は反応が遅れて煉獄の顔を見上げた。煉獄が優しく微笑み紗雪を見ている。
「誰よりも堂々としていて綺麗だった」
「あ、ありがとうございます…」
かぁーっと顔に熱が集まり紗雪はそれ以上煉獄の顔を見ることが出来なかった。舞台裏に着くと紗雪の荷物のそばにある椅子に降ろされる。
「人が来ないよう見張っている!着替えると良い!」
「ありがとうございます」
紗雪に背を向けた煉獄は後ろの衣擦れの音を聞きながら、先程の紗雪の反応を反芻していた。煉獄からしたら至極当然の事を言っただけなのに耳まで赤くなって…。
(大変愛い)
「………」
自分の顔が熱い気がして煉獄は片手で口元を覆った。間がもたなくて煉獄が口を開く。
「鬼が君を真っ直ぐ狙ったのは何故だったんだろうな!」
「あー、多分これですね」
紗雪は煉獄の手に自分の傷薬を握らせた。藤の花の香りのするあの薬だ。
「出演者のお嬢さん達、殆どがあのハイヒールで靴擦れを起こしていたので少しでも鬼避けになるかと貸してあげたんですよ」
「なるほど!」
「後は薬を使っていない人を中心に気をつけようと思っていたんですが、まさか自分が狙われるとは…注意不足でした」
「次からは気をつけると良い!」
「はい。師範、着替え終わりました」
振り返る煉獄に羽織を返そうとして手を止める。
「やっぱり血がついちゃいましたね」
汚れた羽織を煉獄に羽織らせるわけにはいかない。大切な炎柱の証を汚してしまい紗雪は眉を下げた。煉獄が笑ってそれを受け取ると羽織る。
「これは隊服と同じ素材で作られている!洗えば落ちる!気にするな!!」
それよりもあんなあられもない格好でいられる方が気が気じゃない。煉獄は最後の言葉を飲み込むと紗雪の頭を撫でた。
「では蝶屋敷へ向かうとしよう!」
「はい」
隠に声をかけると外へ出る。野次馬の輪の中から男が一人飛び出してきた。紗雪の片手を握りしめると涙目で喜ぶ。
「無事だったのね!紗雪ちゃん!!」
「…この御仁は誰だ?」
突然現れた馴れ馴れしい男に煉獄が腕を組む。紗雪は苦笑すると答えた。
「今回のファッションショーを企画された洋装店のご主人です」
「紗雪ちゃん今日はとっても素敵だったわ!ねぇ!このままうちの専属モデルになって日本一を目指しましょう!!」
「へ?」
思いがけない提案に紗雪は目を丸くした。店主が続ける。
「こんなに足も長くてスタイルの良い子紗雪ちゃんだけよ!洋装が映えるわー!!ねっ?ねっ?そうしましょ?」
熱く語られて紗雪は苦笑した。今日は随分足に言及される日だ。何であれ紗雪の答えは決まっている。紗雪はもう一方の手で店主の手をそっと退けた。
「申し訳ありませんが」
「そんなこと言わないで…」
「私には師事している方がいます」
紗雪は一歩後ろにいる煉獄を僅かに振り返った。店主の目を真っ直ぐに見つめる。
「遠い方です。尊い方です。私のような未熟者でもちゃんと導いて下さる優しい方です。私はまだまだずっと沢山の事をこの方から学びたいんです。少しでもこの方に近づきたい」
煉獄は腕組みを解くと紗雪の後姿を見つめた。紗雪の表情は髪に隠れて伺う事が出来ない。煉獄はそれをもどかしく感じた。
「その為にはこれからも沢山の努力をしなければならないし、していきたい。なのでその為に時間を使いたいんです。ご理解ください」
(紗雪ちゃん貴女…なんて顔してるの)
正面から紗雪を見ていた店主は胸が詰まりそうだった。紗雪のそれは敬愛や尊敬ではない思慕の念だ。店主は肩を落とすと引き下がった。
(そんな顔をしている子、引き留められないわ)
「残念ね…」
「ただ、この時代に8センチヒールを考案した貴方の美的感覚は凄いと思います」
「!」
紗雪は店主に深々と頭を下げた。
「頑張ってください。失礼いたします」
店主は連れ立って去っていく二人の後姿に深く頭を下げたのだった。
「「「はーーい」」」
夕暮れが迫る中、明るい女性達の声が劇場に響いた。ファッションショーのリハーサルのため早く劇場入りした紗雪は、なるべく目立たないよう後ろの方に陣取っていた。
「胸につけている番号の通りに舞台に上がってもらうので、間違わないでくださいねー」
紗雪の番号はかなり後方だ。落ち着いて人の出入りを確認できる。
(師範が客席に、宇髄さんが天井裏にだったな)
紗雪は自分の服装を確認した。黒のハイウエストのワンピース。丈は長めだが、体にフィットした作りだ。ノースリーブで上から薄手のロングカーディガンを羽織っている。そして黒のハイヒール。ヒールが練習のものより細い気がする。
(これ、いざと言うとき動けるかな…)
リハーサルが滞りなく終了しやがて客が入り始めると、じわりと湧いてきた鬼の気配に紗雪は警戒を高めた。
音楽と観客の熱気が盛り上がっていく。
(鬼より先に出番が来た)
前の女性に続いて舞台に上がる。ランウェイを中央まで行って一回転して下がる。それだけの事なのに紗雪は妙に緊張した。
(師範…いる)
姿は見えないが客席の後ろの暗がりで見ているのがわかる。舞台の中央で一回転している間、煉獄の強い視線に晒され紗雪はおかしな気分を味わっていた。
煉獄に包まれているような、体の中まで探られているような不思議な心地だ。
(後は真っ直ぐ舞台裏に戻るだけ)
紗雪が気を抜いた瞬間、ダン!と大きな音がして鬼が上から降ってきた。
「!?」
「きゃぁぁぁ!」
「うわぁ!何だアイツ!!」
鬼とは暗がりに人を誘い込み喰らうと思っていた紗雪は、人前に堂々と出てきた鬼に虚をつかれた。立ち尽くした所を肩に担がれる。
「なっ!」
グン!と体が持ち上がり、紗雪は鬼に抱えられたまま天井裏に拐われた。床に叩きつけられ咳き込みながら紗雪は急いで身を起こした。
「お前…いい足してるなぁ」
「………」
鬼に注意を払いながら周囲を確認する。どこかの小部屋のような作りで、前もって宇髄に見せられた見取り図には無い部屋だ。胸の悪いことに片隅に女物の服と血溜まりが固まっていた。
「ひひっ、逃げる所なんてどこにも無いぜ。」
体中を舐めまわされるような嫌な感覚に14歳の頃の自分が泣きそうになって紗雪は胸のあたりで拳を握った。鬼の高笑いが耳に響く。
「怖いか?怖いよなぁ!もっと怖がれ!!」
(お前なんか怖くない!私が怖いのは…怖いのは……)
ーー君は本当に強い!俺は君を尊敬する!!ーー
「!!」
いつかの煉獄の声が心に響き紗雪の恐怖を吹き飛ばした。煉獄がいつも言っている胸の中に炎を灯されたようだ。
煉獄という炎が。
(師範も宇髄さんも来てくれる!大丈夫だ!!)
ニンマリと笑う鬼を紗雪はギッと睨み付けた。
「………」
混乱した人々の誘導を隠に任せると煉獄は舞台裏に駆け込んだ。出演者たちは裏口から逃げたのかしんとしている。煉獄は纏められていた荷物から紗雪の日輪刀を掴んだ。
(紗雪!)
踵を返すと支配人を摑まえている宇髄の所へ戻る。
「ですから見取り図にない部屋なんてものは…」
「そんな筈ねぇだろ!俺が派手にこの目で見たんだからな!」
天井裏の更にその上へ駆け上がる鬼を追った宇髄だったが、鬼の姿がフツリと消えたのだ。隠し扉を探ったが天井裏の暗さも手伝って見つけられない。
「大体あなた達…ひぃっ!」
「何でも良い思い出せ!!」
煉獄は支配人の胸倉を掴むと詰め寄った。宇髄がギョッとして煉獄を見る。鬼と対峙する時でさえ冷静な煉獄がここまで感情的になるのを見るのは初めてだ。
「おい、煉ご…」
「人の命が…俺の紗雪の命がかかっているんだ!!」
(おぉ…)
宇髄は状況も忘れ感心してしまった。人の本性というものは非常時に出るというが、これが煉獄の本心なのだ。
「………」
「頼む…!」
胸倉を掴んだまま頭を下げるという奇妙な状態の煉獄に、支配人は僅かに沈黙すると噂ですが…と口を開いた。
「この劇場を建てた当時の支配人が天井裏に隠し部屋を作ったと言われています。天井裏の最奥にそこだけ独立しているとか…場所として考えられるのは暗幕の一番奥です」
「感謝する!」
「あんた等も派手に逃げな!!」
煉獄と宇髄は天井裏に駆け上がると暗幕をかき分け言われた場所に走った。闇に溶けるように黒い壁の小さな部屋が姿を現す。宇髄が乾いた笑いを漏らした。
「こりゃ見つかる訳ねぇわ。当時の支配人ってのは何考えてんだか」
「行くぞ!宇髄!!」
煉獄は日輪刀を抜いた。
「はっ…はぁっ…はぁ……」
「いひっひひひっ。頑張るなぁー」
紗雪は肩で息をしながら鬼を観察していた。カーディガンは千切れ、服も方々切り裂かれ、スカートも大きく割れて太腿のガーターベルトが覗いていた。ハイヒールももうどこかに行ってしまった。身体中の切り傷から血が滴って床に血溜まりを作る。
(爪は伸びても40センチ。スピードはついていける…いつもなら)
「はっはぁ!!」
「っ!!」
踊りかかってきた鬼を避けるため床を蹴る。血溜まりで足が滑り紗雪は体制を崩した。すかさず腹を殴られ床に叩きつけられる。
「うぐっ!!」
「つぅかまえたぁ」
「っ!!」
首を鷲掴みにされ紗雪は両手でそれを掴んだ。上から体重を乗せられ息が出来ない。
「俺は女の足がだぁい好きだ。お前の足も一番最後に食ってやるよ!」
(きっも!!)
近づいて来る鬼の顔に紗雪は顔を背けた。
ーー音の呼吸 肆ノ型 響斬無間ーー
「なっ!?」
「!!」
斬撃の音が響き床がバラバラになって落下する。突然の浮遊感に紗雪は目を閉じた。
「っ!」
がっしり抱き止められて紗雪は目を開けた。思わず言葉が口をつく。
「師は…」
「煉獄じゃなくて派手に悪かったな」
紗雪を抱き抱えていたのは宇髄だった。首を巡らせると煉獄が鬼と対峙している。紗雪が慌てて宇髄の腕から出ようとすると、宇髄がそっと降ろしてくれた。
「落ち着けって。あの程度の鬼、譜面を描くまでもねぇよ」
「………」
「鬼狩りぃぃぃ!あの旨そうな足の女をっ!?」
言い切る前に鬼の首が体から離れる。技を使うまでもなく煉獄は鬼の首を切り落としていた。速すぎて紗雪には残像さえ見えなかった。
血振りして納刀すると煉獄が紗雪に真っ直ぐ向かって来る。煉獄は両手を伸ばすと紗雪をしっかり抱き締めた。
「無事で良かった」
煉獄の紗雪を抱きしめる手が震える。紗雪は胸が一杯になった。
「……羽織が血で汚れてしまいます」
「そんなものどうでも良い!」
「………」
更に腕に力を込められ紗雪は遠慮がちに煉獄の胸に頭を預けた。ホッとして気が抜けたのか体のあちこちが痛み出す。
「あの…師範、ご心配をおかけしました。それと大変申し訳ないのですが、肋骨が折れたみたいで痛いです」
「すまん!」
煉獄は慌てて紗雪を離すと怪我の程度を確認しようと紗雪の全身を眺めた。途端に赤面すると横を向く。煉獄が羽織をかけてくれて紗雪は漸く自分の格好を思い出した。羽織をギュッと手繰り寄せる。
「す、すいません!」
「いや!日輪刀無しに鬼と対峙してその程度の怪我で済んで何よりだ!!しかし蝶屋敷での治療が必要だな!」
「おーい。そろそろ下も隠が対応終わったみたいだし降りようぜ」
そろそろ良いかと宇髄が声をかけると、煉獄は宇髄の事をすっかり忘れていたのか驚いて振り返った。流石に宇髄が呆れた表情を見せる。
「お前さぁ」
「いや、すまん。何も言ってくれるな宇髄」
「まぁ、良いけどよ」
「?」
煉獄と宇髄だけで分かりあわれて紗雪は首を傾げた。
「そういやハイヒールはどうしたんだ?」
靴下だけの紗雪の足元を指差す宇髄に紗雪が苦笑した。
「あのきっもい鬼の顔面に投げつけてやりましたよ。動きにくいったらありゃしない」
毒付く紗雪に宇髄が大笑いした。
「そりゃあ派手に良いや!!じゃ、俺は先に行ってるぜ」
軽い身のこなしで降りていく宇髄を見送ると煉獄が紗雪に手を差し伸べる。
「行こう紗雪」
「はい」
紗雪がその手を取ると、煉獄がヒョイと抱き上げた。目を丸くする紗雪に笑う。
「血のついた靴下では歩きにくいだろう!舞台裏までは我慢してくれ!」
「は、はい!」
紗雪の骨折に響かないようふわりふわりと降りていく。むず痒いほど大事に扱われて紗雪はどんな顔をしていれば良いのか分からなかった。
(師範と羽織から同じ香りが…いやいや、それは当たり前なんだけどそうじゃなくて!!)
いらん事を考えるのはよそうと心を無にする。紗雪はとにかく真っ直ぐ前、煉獄の詰襟と首の取り合いの部分のみを見つめた。
「ふあっしょんしょーとやらの良さは結局分からずじまいだったが」
詰襟から時折チラリと覗く喉仏が喋る。
「紗雪、君はすごく綺麗だった」
「………へ?」
無心になることに集中していた紗雪は反応が遅れて煉獄の顔を見上げた。煉獄が優しく微笑み紗雪を見ている。
「誰よりも堂々としていて綺麗だった」
「あ、ありがとうございます…」
かぁーっと顔に熱が集まり紗雪はそれ以上煉獄の顔を見ることが出来なかった。舞台裏に着くと紗雪の荷物のそばにある椅子に降ろされる。
「人が来ないよう見張っている!着替えると良い!」
「ありがとうございます」
紗雪に背を向けた煉獄は後ろの衣擦れの音を聞きながら、先程の紗雪の反応を反芻していた。煉獄からしたら至極当然の事を言っただけなのに耳まで赤くなって…。
(大変愛い)
「………」
自分の顔が熱い気がして煉獄は片手で口元を覆った。間がもたなくて煉獄が口を開く。
「鬼が君を真っ直ぐ狙ったのは何故だったんだろうな!」
「あー、多分これですね」
紗雪は煉獄の手に自分の傷薬を握らせた。藤の花の香りのするあの薬だ。
「出演者のお嬢さん達、殆どがあのハイヒールで靴擦れを起こしていたので少しでも鬼避けになるかと貸してあげたんですよ」
「なるほど!」
「後は薬を使っていない人を中心に気をつけようと思っていたんですが、まさか自分が狙われるとは…注意不足でした」
「次からは気をつけると良い!」
「はい。師範、着替え終わりました」
振り返る煉獄に羽織を返そうとして手を止める。
「やっぱり血がついちゃいましたね」
汚れた羽織を煉獄に羽織らせるわけにはいかない。大切な炎柱の証を汚してしまい紗雪は眉を下げた。煉獄が笑ってそれを受け取ると羽織る。
「これは隊服と同じ素材で作られている!洗えば落ちる!気にするな!!」
それよりもあんなあられもない格好でいられる方が気が気じゃない。煉獄は最後の言葉を飲み込むと紗雪の頭を撫でた。
「では蝶屋敷へ向かうとしよう!」
「はい」
隠に声をかけると外へ出る。野次馬の輪の中から男が一人飛び出してきた。紗雪の片手を握りしめると涙目で喜ぶ。
「無事だったのね!紗雪ちゃん!!」
「…この御仁は誰だ?」
突然現れた馴れ馴れしい男に煉獄が腕を組む。紗雪は苦笑すると答えた。
「今回のファッションショーを企画された洋装店のご主人です」
「紗雪ちゃん今日はとっても素敵だったわ!ねぇ!このままうちの専属モデルになって日本一を目指しましょう!!」
「へ?」
思いがけない提案に紗雪は目を丸くした。店主が続ける。
「こんなに足も長くてスタイルの良い子紗雪ちゃんだけよ!洋装が映えるわー!!ねっ?ねっ?そうしましょ?」
熱く語られて紗雪は苦笑した。今日は随分足に言及される日だ。何であれ紗雪の答えは決まっている。紗雪はもう一方の手で店主の手をそっと退けた。
「申し訳ありませんが」
「そんなこと言わないで…」
「私には師事している方がいます」
紗雪は一歩後ろにいる煉獄を僅かに振り返った。店主の目を真っ直ぐに見つめる。
「遠い方です。尊い方です。私のような未熟者でもちゃんと導いて下さる優しい方です。私はまだまだずっと沢山の事をこの方から学びたいんです。少しでもこの方に近づきたい」
煉獄は腕組みを解くと紗雪の後姿を見つめた。紗雪の表情は髪に隠れて伺う事が出来ない。煉獄はそれをもどかしく感じた。
「その為にはこれからも沢山の努力をしなければならないし、していきたい。なのでその為に時間を使いたいんです。ご理解ください」
(紗雪ちゃん貴女…なんて顔してるの)
正面から紗雪を見ていた店主は胸が詰まりそうだった。紗雪のそれは敬愛や尊敬ではない思慕の念だ。店主は肩を落とすと引き下がった。
(そんな顔をしている子、引き留められないわ)
「残念ね…」
「ただ、この時代に8センチヒールを考案した貴方の美的感覚は凄いと思います」
「!」
紗雪は店主に深々と頭を下げた。
「頑張ってください。失礼いたします」
店主は連れ立って去っていく二人の後姿に深く頭を下げたのだった。