短編
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「はい、こちらご都合血気術の今回の被害者の煉獄さんです」
(…雑ぅ)
しのぶからの投げやりな説明に椎名は苦笑した。所謂ご都合血気術の被害があるたび呼び出しを食うのはしのぶなので、気持ちもわからないではない。
(でもこれは…ねぇ)
「貴女は誰だろうか!?」
椎名の目の前には杏寿郎が立っていた。ただし年齢は千寿郎と同じぐらいだ。背は椎名より低く髪は襟足がわずかに長い程度で、顔にも幼さが残っている。何故か炎柱の羽織は羽織っておらず、支給されたのだろうサイズのあった隊服を着ていた。
「ご覧の通り記憶が退行しています。現状を説明はしましたが、半分しか受け入れてくれません」
「…あぁ、それで羽織を」
「あれは父の物だ!俺が羽織って良い物ではない!!」
なるほど、今と変わらずなかなかの頑固者らしい。
「千寿郎の話なら聞いてくれるんじゃ…」
「千寿郎君は先程病室に運びました」
「あー…」
自分とほぼ変わらぬ歳の兄は千寿郎には衝撃的だったのだろう。椎名は片手で髪をかき上げると、杏寿郎を見た。わざわざ呼び戻されたと言う事はしのぶの手には余っていると見える。
「椎名さんは煉獄さんの奥様ですからね。旦那様のことよろしくお願いしますね」
にっこり笑顔で激怒のしのぶに反論する術はない。
「っ!?」
「…とりあえず話し合いましょうか、杏寿郎」
驚愕してこちらを凝視してくる杏寿郎に、椎名は廊下にある待合室を指し示したのだった。
「貴女が俺のつ、妻と言うのは本当か?」
(いきなりそれかー)
噛んでる所は微笑ましいが混乱している本人にいきなり触れて欲しいところではない。椎名はため息をつくとまぁね、と返事をした。
「祝言も上げたし、産屋敷家にも祝って貰ったけど、戸籍には加わってないから証明はできないわ」
「…悪いが信じられない!俺は煉獄家の跡取りだ!異人の血を煉獄家に入れるのは考えられない!!」
「……まぁ、そう思うならそれで良いわ」
椎名は一度目を閉じると話を変える事にした。
「聞きそびれてたけど、血気術を使った鬼自体はどうしたの?倒した?」
「それが…血気術をかけるとすぐ逃げてしまったらしい。術がかかりきるのを待っているのではないかと蟲柱様は言われていた」
「ヒット&アウェイね。厄介極まりない」
相手が弱体化しきってから喰いに来る気なのだろう。ならば方針は一つである。
「杏寿郎、貴方はしばらく蝶屋敷預かりね。しのぶには話をしておくわ」
「何故だ!怪我もしていないし体調に問題はない!!」
「貴方自分で言ったわよね?術がかかりきるのを待ってるって。目の届かないところ彷徨かれて喰われて貰っちゃ困るのよ」
容赦のない言い方だが、今の杏寿郎では血気術を使える鬼相手では分が悪い。恐らく階級としては壬か辛程度だろう。椎名の言葉に杏寿郎は激しく反発した。
「俺は鬼殺隊士だ!鬼がいると分かっているのに屋敷にこもっていろと!?」
「血気術さえ解ければ何体でも鬼を倒せる貴方を今むざむざ鬼に喰わせろとでも言うの!?そう言うのは勇気とかやる気じゃなくて無謀って言うのよ!!」
「っ!他人の貴女には関係ない!!」
「……」
しん…と空気が凍りついた。ざぁっと窓から入り込んだ風が椎名の長い髪を揺らし表情を覆い隠す。杏寿郎は視線を逸らせた。
「兄、上…」
「千寿郎!」
廊下の曲がり角から出てきた弟に杏寿郎はほっとしてその名を呼んだ。自分の知る弟の姿とは違っても、やはりそこは実の弟。血を分けた兄弟と信じられる。
「……っ」
しかしほっとした杏寿郎とは逆に千寿郎は険しい顔をするとつかつかと歩み寄り、杏寿郎の肩を突き飛ばした。
「義姉上になんて事を言うんですか!!」
「!?」
「いくら記憶が無くたって兄上は無闇に人を傷つける言葉を使う方ではありません!!兄上は本当に兄上なんですか!?兄上は…あに、うっ……」
「………」
怒鳴りながら大粒の涙をこぼす千寿郎に言葉が出ない。杏寿郎が固まっていると椎名が千寿郎の頭に手を置いた。
「大丈夫よ千寿郎。杏寿郎は今混乱してるだけ。千寿郎だって驚いて倒れたぐらいなんだから分かるでしょう?」
「は、はい…ごめんなさい義姉上、私も落ち着かないといけないのにこんな…」
「気にしなくて良いから」
(ほんと、頭に血を上らせてる場合じゃないわね)
椎名は千寿郎に笑ってみせると杏寿郎を振り返った。半歩後ずさる杏寿郎にため息をつく。
「じゃあこうしましょう。どうせ今夜は見回りに出るつもりだったから杏寿郎も同行しなさい」
「本当か!」
「ただし!はぐれないように絶対ついてくる事」
(そんなたわいの無い条件を何故?)
しかし鬼殺に向かえるのであれば容易い事だ。杏寿郎が頷くと椎名はパンパンと手を叩いた。
「よし、この話はこれでお終い!千寿郎は明るいうちに帰りなさい。私はしのぶと話をしてくるわ。杏寿郎は夕暮れまで体をしっかり休める事。良いわね?」
二人が頷くのを確認すると椎名はその場を歩き去った。杏寿郎が千寿郎に声をかける。
「千寿郎、先程はその…すまなかった」
「…いえ、私こそ突き飛ばしたりして申し訳ありません」
でも、と千寿郎が続ける。
「義姉上をよくご覧になってくださいね。異人とかそんな事ではなく義姉上本人を」
「………」
思ってもいなかった弟の言葉に杏寿郎は返す言葉を持っていなかった。
「はぁー」
椎名は二人から十分離れた廊下に移動すると壁にもたれかかった。両手で顔を覆うとしゃがみ込む。
(じわじわとキツイ)
妻とは信じられない。
異人の血を煉獄家に入れるのは考えられない。
他人には関係ない。
(記憶がないせいとはいえ…刺さる)
これまで一度も感じたことのない不安に椎名は杏寿郎にどれほど大きく愛され、抱きしめられていたのか痛感した。この手の言葉は杏寿郎の周りには溢れているはずだ。しかし椎名はこれまで一度もそう言った事を言われたことも耳にしたこともなかった。
「杏寿郎…」
大好きな、自分のよく知る杏寿郎の笑顔を思い出す。
(鬼は必ず来る。絶対に仕留める)
椎名は自分の感傷を振り切ると立ち上がり、窓から見える空がオレンジに染まっていくのを見つめた。
「支度は出来てるわね?」
「出来ている!」
日が暮れた後、蝶屋敷の庭に二人は出ていた。きよ、すみ、なほが見送ってくれるのに手を振る。杏寿郎はそんな椎名の姿をじっと見ていた。
(鬼殺隊士でも無いのに鬼殺をしているのか。一体彼女はどういう人間なのだろう?)
昼間は感情に任せて怒鳴ってしまったが、千寿郎に言われて目が覚めた。自分は椎名の事を何も知らない。
(そう思うと随分失礼な物言いをしてしまった)
自分の妻だと言う女性に他人だなどと言うべきではなかったのだ。どう切り出せば上手く謝罪できるかと思い悩む杏寿郎の顔の前で椎名が手を振った。
「もしもーし?出発するわよ?」
「あ、あぁ!わかった!!」
うん、とひとつ頷くと椎名の姿が消えた。
「!?」
慌てて周囲を見回すと数軒先の屋根の上を走っていく姿を見つけ、杏寿郎は慌てて後を追った。ヒラリヒラリとかなりの速度で移動していく椎名に何とかついて行く。
(はぐれないようにとはよく言ったものだ!)
むしろ撒かれようとしている気がして杏寿郎は椎名の背中に目を凝らした。
「!」
椎名は突然体の向きを変えると鯉口を切った。そのまま地面に急降下すると刀を抜く。
(鬼か!)
ザンッ!
杏寿郎が鬼を認識した次の瞬間、その首は高く宙へと舞っていた。
(速い)
「ひぃぃっ!」
襲われていたのだろう男性の悲鳴が聞こえる。杏寿郎が地面に降りたときには椎名はまた走り出していた。
「一般市民の救助は良いのか!?」
「すぐ近くに隠がいるわ。こっちに向かって来てたから大丈夫よ」
椎名の速さに慣れてきた杏寿郎が隣に並ぶ。杏寿郎はまさかと思いつつ尋ねた。
「隠の居場所を把握しているのか?」
「見回りに出ると決めてる時はその地区の担当の隠に声をかけておくの。だいたいどんな予定かはその時聞いてあるわ。だいたい混乱してるときに異人に声かけられたって余計混乱するだけよ」
(なんと無駄のない)
杏寿郎は素直に感心した。
(一般市民の心情まで慮っての行動なのか)
大きな杉の木の上まで登ると街並みを見下ろす。ひとつ下の枝まで来た杏寿郎が尋ねた。
「何を見ているのだ?」
「夜の深さ」
「深さ…?」
「鬼の出そうな場所の夜が濃く見える気がするのよ。ただの勘よ」
そう言いつつも何を見たのか椎名が一つの場所に飛び込んで行く。耳をつんざく様な悲鳴が聞こえ、杏寿郎も走った。
「来た、来た、来た」
ねっとりとした女の声に杏寿郎は背中が泡立つのを感じた。女の鬼が血まみれの少年を抱え込んでいる。杏寿郎は地面に降り立つと刀を構えた。
「ふふ、あの、時の、鬼狩り」
「俺に血気術をかけた鬼か!」
「あぁ、なんて、美味しそ…!」
腕から胴を薙ぎ払う様に椎名の日輪刀が鬼を切った。解放された少年を抱えると十分距離を取る。
「嫌な、匂いの、女」
「お互い様だから言いっこなしね」
湧き出る様に体を再生させる鬼に椎名は杏寿郎の腕を掴むと後ろに下がらせた。
「おい!」
「駄目。こいつはあの男の子を餌に貴方を呼んだのよ」
「!」
驚く杏寿郎に鬼がクスクスと笑う。
「青年は硬い、女は臭い、少年だけが、旨い、旨い、鬼狩りも、子供に戻れば、旨いだけ」
「悪いけど食べさせるわけにはいかないわ」
「女、邪魔!女、いらない!!」
鬼の黒髪が鞭の様にしなると、椎名に次々襲い掛かった。右から横振りで来たのを屈んでかわすと、上から振り下ろされた髪を切り捨てる。そのまま懐まで詰めると、椎名は女の髪を根元から切り落とした。しかし一瞬で再生される。
「髪なぞ、いくらでも、いくらでも!」
「っ!」
無数の針となり上から突き刺さるのを椎名が後ろ飛びに回避する。杏寿郎は刀を構えたまま動くことができなかった。
(なんと言う速さだ!)
目前の戦いに気を取られる杏寿郎の後ろの土の中から、1束の髪が出てきた。音もなく槍の様になると杏寿郎目掛け飛びかかる。
「なっ!?」
「杏寿郎!」
血飛沫が飛び、杏寿郎は目を見開いた。
「椎名!」
「っ!」
杏寿郎を庇い椎名の額から血が噴き出した。ダラリと流れた血が目に入り、視界を奪う。
勝ちを確信した鬼が笑みを深めた。
「少年は、いい、穢れを、知らぬ、知らぬ、教える」
「どう言う意味だ!」
杏寿郎は椎名を庇うため息を前に出ると襲ってくる髪を薙ぎ払った。
(椎名はもう目が効かない!この鬼は俺が倒す!!)
しかし襲ってくるのは髪の毛ばかりで、鬼本体に近づけない。
「くっ!」
「身体、教える、女の、まぐわい、恐怖、混乱、ふふふ」
杏寿郎の死角から腰を攫う様に髪が忍び寄る。
ーー水の呼吸 参ノ型 流流舞ーー
「鬼って変態ばっかりね。それとも変態だから鬼になるのかしら」
迫り来る髪を全て切り払うと椎名は腰から鞘を抜いた。杏寿郎の前に出ると下がるよう指示を出す。
「しかし!」
「お願いだから」
「………」
その声の切実さに杏寿郎が沈黙する。椎名は大きく息を吐き出すと構えた。目が効かずとも気配は読める。
「久々に頭きた!人の旦那様に何してくれようとしてんのよ!!」
「だ、旦那、だと、お前の」
「この人はねぇ!強い人なの!優しい人なの!!人の寂しさ辛さが分かる人なの!!」
ーー水の呼吸 肆ノ型 打ち潮ーー
雪崩のように押し寄せる髪を切り鬼に近づく。鋭い爪で脇腹を狙う鬼の手を鞘で打ち払った。
「自分より他人を優先してしまう人なの!」
(私もそうやって守られてきた)
「だから、私が杏寿郎を守る!!」
「っ!!」
(俺はこんなに強く愛されているのか)
胸が熱くなり杏寿郎は手を当てた。燃え盛る炎のような強い感情が身体中を駆け巡る。
(俺は…)
「お前は、見えない、切れる、筈ない!」
「それがどうした!杏寿郎だけは守る!それだけは死んでも譲らない!!」
「!!」
ブワッと杏寿郎の体から炎が燃え上がった。湧いてきた力に杏寿郎が日輪刀を握りしめる。
「俺は…俺は椎名の夫だ!妻も守れずに何が夫か!!」
椎名の刃が鬼の首にかかるが、僅かに浅い。ほくそ笑む鬼の横を鋭い炎が走り抜けた。
ーー炎の呼吸 壱ノ型 不知火ーー
「記憶があろうとなかろうと俺が椎名を愛する事に変わりはない!」
「ひいぃぃ、ぃ…」
鬼の首が弾け飛び、杏寿郎が炎の中から姿を現した。元に戻った自分の視界にひとつ頷くと額からの血で目を閉じたままの椎名の手を取る。
「椎名」
「…杏寿郎?」
自分の手を握る杏寿郎の手の大きさに気付いて椎名は顔を上げた。血の流れる頬を杏寿郎が痛ましそうに撫ぜる。
「あぁ、心配をかけた」
パァッと笑顔になると椎名は杏寿郎に抱きついた。
「杏寿郎!……ん?」
「ん?」
椎名の背中に手を回しかけた杏寿郎はパッと離れた椎名に動きを止めた。椎名がペタリと杏寿郎の胸に手を当てる。
素肌の感触。
「…隊服は!?」
「戻った時に破れた!」
「「………」」
(裸ーっ!?)
椎名は自分の荷物の中から大きな布を取り出すと杏寿郎に投げつけた。目が見えてなくて本当に良かった。
「すまん!」
「…もう」
杏寿郎が布を頭から被りなんとか体裁を整えようとする。その上から椎名は杏寿郎をギュッと抱きしめた。
「…心配したのよ?」
「あぁ、本当にすまなかった」
スポンと布から頭を出すと椎名を抱きしめ返す。椎名は杏寿郎の胸に顔を寄せると腕に力を込めた。
「駄目」
「む?」
予想外の返事に杏寿郎が固まる。
「嫁じゃないとか異人の血は煉獄家に入れないとか赤の他人だとか結構抉られたんだから!」
「本当にすまん!あの頃は鬼殺隊に入ったばかりで余裕のない頃だったんだ!!」
「…………」
「今より頭も固かった」
「………」
「意固地にもなっていたと思う」
「……」
「許してはくれないだろうか」
返事をしない椎名に杏寿郎はしゅんとして顔を覗き込んだ。椎名は難しい顔をしたまま口を開いた。
「目、痛い」
「蝶屋敷へ急ぐぞ!!」
杏寿郎は椎名を抱き上げるとすっぽりと布を被っただけの姿で蝶屋敷まで爆走したのだった。
布一枚で女を抱えて走る変質者。そんな噂が後日町中に広まり、天元に指差して笑われる杏寿郎だった。
(…雑ぅ)
しのぶからの投げやりな説明に椎名は苦笑した。所謂ご都合血気術の被害があるたび呼び出しを食うのはしのぶなので、気持ちもわからないではない。
(でもこれは…ねぇ)
「貴女は誰だろうか!?」
椎名の目の前には杏寿郎が立っていた。ただし年齢は千寿郎と同じぐらいだ。背は椎名より低く髪は襟足がわずかに長い程度で、顔にも幼さが残っている。何故か炎柱の羽織は羽織っておらず、支給されたのだろうサイズのあった隊服を着ていた。
「ご覧の通り記憶が退行しています。現状を説明はしましたが、半分しか受け入れてくれません」
「…あぁ、それで羽織を」
「あれは父の物だ!俺が羽織って良い物ではない!!」
なるほど、今と変わらずなかなかの頑固者らしい。
「千寿郎の話なら聞いてくれるんじゃ…」
「千寿郎君は先程病室に運びました」
「あー…」
自分とほぼ変わらぬ歳の兄は千寿郎には衝撃的だったのだろう。椎名は片手で髪をかき上げると、杏寿郎を見た。わざわざ呼び戻されたと言う事はしのぶの手には余っていると見える。
「椎名さんは煉獄さんの奥様ですからね。旦那様のことよろしくお願いしますね」
にっこり笑顔で激怒のしのぶに反論する術はない。
「っ!?」
「…とりあえず話し合いましょうか、杏寿郎」
驚愕してこちらを凝視してくる杏寿郎に、椎名は廊下にある待合室を指し示したのだった。
「貴女が俺のつ、妻と言うのは本当か?」
(いきなりそれかー)
噛んでる所は微笑ましいが混乱している本人にいきなり触れて欲しいところではない。椎名はため息をつくとまぁね、と返事をした。
「祝言も上げたし、産屋敷家にも祝って貰ったけど、戸籍には加わってないから証明はできないわ」
「…悪いが信じられない!俺は煉獄家の跡取りだ!異人の血を煉獄家に入れるのは考えられない!!」
「……まぁ、そう思うならそれで良いわ」
椎名は一度目を閉じると話を変える事にした。
「聞きそびれてたけど、血気術を使った鬼自体はどうしたの?倒した?」
「それが…血気術をかけるとすぐ逃げてしまったらしい。術がかかりきるのを待っているのではないかと蟲柱様は言われていた」
「ヒット&アウェイね。厄介極まりない」
相手が弱体化しきってから喰いに来る気なのだろう。ならば方針は一つである。
「杏寿郎、貴方はしばらく蝶屋敷預かりね。しのぶには話をしておくわ」
「何故だ!怪我もしていないし体調に問題はない!!」
「貴方自分で言ったわよね?術がかかりきるのを待ってるって。目の届かないところ彷徨かれて喰われて貰っちゃ困るのよ」
容赦のない言い方だが、今の杏寿郎では血気術を使える鬼相手では分が悪い。恐らく階級としては壬か辛程度だろう。椎名の言葉に杏寿郎は激しく反発した。
「俺は鬼殺隊士だ!鬼がいると分かっているのに屋敷にこもっていろと!?」
「血気術さえ解ければ何体でも鬼を倒せる貴方を今むざむざ鬼に喰わせろとでも言うの!?そう言うのは勇気とかやる気じゃなくて無謀って言うのよ!!」
「っ!他人の貴女には関係ない!!」
「……」
しん…と空気が凍りついた。ざぁっと窓から入り込んだ風が椎名の長い髪を揺らし表情を覆い隠す。杏寿郎は視線を逸らせた。
「兄、上…」
「千寿郎!」
廊下の曲がり角から出てきた弟に杏寿郎はほっとしてその名を呼んだ。自分の知る弟の姿とは違っても、やはりそこは実の弟。血を分けた兄弟と信じられる。
「……っ」
しかしほっとした杏寿郎とは逆に千寿郎は険しい顔をするとつかつかと歩み寄り、杏寿郎の肩を突き飛ばした。
「義姉上になんて事を言うんですか!!」
「!?」
「いくら記憶が無くたって兄上は無闇に人を傷つける言葉を使う方ではありません!!兄上は本当に兄上なんですか!?兄上は…あに、うっ……」
「………」
怒鳴りながら大粒の涙をこぼす千寿郎に言葉が出ない。杏寿郎が固まっていると椎名が千寿郎の頭に手を置いた。
「大丈夫よ千寿郎。杏寿郎は今混乱してるだけ。千寿郎だって驚いて倒れたぐらいなんだから分かるでしょう?」
「は、はい…ごめんなさい義姉上、私も落ち着かないといけないのにこんな…」
「気にしなくて良いから」
(ほんと、頭に血を上らせてる場合じゃないわね)
椎名は千寿郎に笑ってみせると杏寿郎を振り返った。半歩後ずさる杏寿郎にため息をつく。
「じゃあこうしましょう。どうせ今夜は見回りに出るつもりだったから杏寿郎も同行しなさい」
「本当か!」
「ただし!はぐれないように絶対ついてくる事」
(そんなたわいの無い条件を何故?)
しかし鬼殺に向かえるのであれば容易い事だ。杏寿郎が頷くと椎名はパンパンと手を叩いた。
「よし、この話はこれでお終い!千寿郎は明るいうちに帰りなさい。私はしのぶと話をしてくるわ。杏寿郎は夕暮れまで体をしっかり休める事。良いわね?」
二人が頷くのを確認すると椎名はその場を歩き去った。杏寿郎が千寿郎に声をかける。
「千寿郎、先程はその…すまなかった」
「…いえ、私こそ突き飛ばしたりして申し訳ありません」
でも、と千寿郎が続ける。
「義姉上をよくご覧になってくださいね。異人とかそんな事ではなく義姉上本人を」
「………」
思ってもいなかった弟の言葉に杏寿郎は返す言葉を持っていなかった。
「はぁー」
椎名は二人から十分離れた廊下に移動すると壁にもたれかかった。両手で顔を覆うとしゃがみ込む。
(じわじわとキツイ)
妻とは信じられない。
異人の血を煉獄家に入れるのは考えられない。
他人には関係ない。
(記憶がないせいとはいえ…刺さる)
これまで一度も感じたことのない不安に椎名は杏寿郎にどれほど大きく愛され、抱きしめられていたのか痛感した。この手の言葉は杏寿郎の周りには溢れているはずだ。しかし椎名はこれまで一度もそう言った事を言われたことも耳にしたこともなかった。
「杏寿郎…」
大好きな、自分のよく知る杏寿郎の笑顔を思い出す。
(鬼は必ず来る。絶対に仕留める)
椎名は自分の感傷を振り切ると立ち上がり、窓から見える空がオレンジに染まっていくのを見つめた。
「支度は出来てるわね?」
「出来ている!」
日が暮れた後、蝶屋敷の庭に二人は出ていた。きよ、すみ、なほが見送ってくれるのに手を振る。杏寿郎はそんな椎名の姿をじっと見ていた。
(鬼殺隊士でも無いのに鬼殺をしているのか。一体彼女はどういう人間なのだろう?)
昼間は感情に任せて怒鳴ってしまったが、千寿郎に言われて目が覚めた。自分は椎名の事を何も知らない。
(そう思うと随分失礼な物言いをしてしまった)
自分の妻だと言う女性に他人だなどと言うべきではなかったのだ。どう切り出せば上手く謝罪できるかと思い悩む杏寿郎の顔の前で椎名が手を振った。
「もしもーし?出発するわよ?」
「あ、あぁ!わかった!!」
うん、とひとつ頷くと椎名の姿が消えた。
「!?」
慌てて周囲を見回すと数軒先の屋根の上を走っていく姿を見つけ、杏寿郎は慌てて後を追った。ヒラリヒラリとかなりの速度で移動していく椎名に何とかついて行く。
(はぐれないようにとはよく言ったものだ!)
むしろ撒かれようとしている気がして杏寿郎は椎名の背中に目を凝らした。
「!」
椎名は突然体の向きを変えると鯉口を切った。そのまま地面に急降下すると刀を抜く。
(鬼か!)
ザンッ!
杏寿郎が鬼を認識した次の瞬間、その首は高く宙へと舞っていた。
(速い)
「ひぃぃっ!」
襲われていたのだろう男性の悲鳴が聞こえる。杏寿郎が地面に降りたときには椎名はまた走り出していた。
「一般市民の救助は良いのか!?」
「すぐ近くに隠がいるわ。こっちに向かって来てたから大丈夫よ」
椎名の速さに慣れてきた杏寿郎が隣に並ぶ。杏寿郎はまさかと思いつつ尋ねた。
「隠の居場所を把握しているのか?」
「見回りに出ると決めてる時はその地区の担当の隠に声をかけておくの。だいたいどんな予定かはその時聞いてあるわ。だいたい混乱してるときに異人に声かけられたって余計混乱するだけよ」
(なんと無駄のない)
杏寿郎は素直に感心した。
(一般市民の心情まで慮っての行動なのか)
大きな杉の木の上まで登ると街並みを見下ろす。ひとつ下の枝まで来た杏寿郎が尋ねた。
「何を見ているのだ?」
「夜の深さ」
「深さ…?」
「鬼の出そうな場所の夜が濃く見える気がするのよ。ただの勘よ」
そう言いつつも何を見たのか椎名が一つの場所に飛び込んで行く。耳をつんざく様な悲鳴が聞こえ、杏寿郎も走った。
「来た、来た、来た」
ねっとりとした女の声に杏寿郎は背中が泡立つのを感じた。女の鬼が血まみれの少年を抱え込んでいる。杏寿郎は地面に降り立つと刀を構えた。
「ふふ、あの、時の、鬼狩り」
「俺に血気術をかけた鬼か!」
「あぁ、なんて、美味しそ…!」
腕から胴を薙ぎ払う様に椎名の日輪刀が鬼を切った。解放された少年を抱えると十分距離を取る。
「嫌な、匂いの、女」
「お互い様だから言いっこなしね」
湧き出る様に体を再生させる鬼に椎名は杏寿郎の腕を掴むと後ろに下がらせた。
「おい!」
「駄目。こいつはあの男の子を餌に貴方を呼んだのよ」
「!」
驚く杏寿郎に鬼がクスクスと笑う。
「青年は硬い、女は臭い、少年だけが、旨い、旨い、鬼狩りも、子供に戻れば、旨いだけ」
「悪いけど食べさせるわけにはいかないわ」
「女、邪魔!女、いらない!!」
鬼の黒髪が鞭の様にしなると、椎名に次々襲い掛かった。右から横振りで来たのを屈んでかわすと、上から振り下ろされた髪を切り捨てる。そのまま懐まで詰めると、椎名は女の髪を根元から切り落とした。しかし一瞬で再生される。
「髪なぞ、いくらでも、いくらでも!」
「っ!」
無数の針となり上から突き刺さるのを椎名が後ろ飛びに回避する。杏寿郎は刀を構えたまま動くことができなかった。
(なんと言う速さだ!)
目前の戦いに気を取られる杏寿郎の後ろの土の中から、1束の髪が出てきた。音もなく槍の様になると杏寿郎目掛け飛びかかる。
「なっ!?」
「杏寿郎!」
血飛沫が飛び、杏寿郎は目を見開いた。
「椎名!」
「っ!」
杏寿郎を庇い椎名の額から血が噴き出した。ダラリと流れた血が目に入り、視界を奪う。
勝ちを確信した鬼が笑みを深めた。
「少年は、いい、穢れを、知らぬ、知らぬ、教える」
「どう言う意味だ!」
杏寿郎は椎名を庇うため息を前に出ると襲ってくる髪を薙ぎ払った。
(椎名はもう目が効かない!この鬼は俺が倒す!!)
しかし襲ってくるのは髪の毛ばかりで、鬼本体に近づけない。
「くっ!」
「身体、教える、女の、まぐわい、恐怖、混乱、ふふふ」
杏寿郎の死角から腰を攫う様に髪が忍び寄る。
ーー水の呼吸 参ノ型 流流舞ーー
「鬼って変態ばっかりね。それとも変態だから鬼になるのかしら」
迫り来る髪を全て切り払うと椎名は腰から鞘を抜いた。杏寿郎の前に出ると下がるよう指示を出す。
「しかし!」
「お願いだから」
「………」
その声の切実さに杏寿郎が沈黙する。椎名は大きく息を吐き出すと構えた。目が効かずとも気配は読める。
「久々に頭きた!人の旦那様に何してくれようとしてんのよ!!」
「だ、旦那、だと、お前の」
「この人はねぇ!強い人なの!優しい人なの!!人の寂しさ辛さが分かる人なの!!」
ーー水の呼吸 肆ノ型 打ち潮ーー
雪崩のように押し寄せる髪を切り鬼に近づく。鋭い爪で脇腹を狙う鬼の手を鞘で打ち払った。
「自分より他人を優先してしまう人なの!」
(私もそうやって守られてきた)
「だから、私が杏寿郎を守る!!」
「っ!!」
(俺はこんなに強く愛されているのか)
胸が熱くなり杏寿郎は手を当てた。燃え盛る炎のような強い感情が身体中を駆け巡る。
(俺は…)
「お前は、見えない、切れる、筈ない!」
「それがどうした!杏寿郎だけは守る!それだけは死んでも譲らない!!」
「!!」
ブワッと杏寿郎の体から炎が燃え上がった。湧いてきた力に杏寿郎が日輪刀を握りしめる。
「俺は…俺は椎名の夫だ!妻も守れずに何が夫か!!」
椎名の刃が鬼の首にかかるが、僅かに浅い。ほくそ笑む鬼の横を鋭い炎が走り抜けた。
ーー炎の呼吸 壱ノ型 不知火ーー
「記憶があろうとなかろうと俺が椎名を愛する事に変わりはない!」
「ひいぃぃ、ぃ…」
鬼の首が弾け飛び、杏寿郎が炎の中から姿を現した。元に戻った自分の視界にひとつ頷くと額からの血で目を閉じたままの椎名の手を取る。
「椎名」
「…杏寿郎?」
自分の手を握る杏寿郎の手の大きさに気付いて椎名は顔を上げた。血の流れる頬を杏寿郎が痛ましそうに撫ぜる。
「あぁ、心配をかけた」
パァッと笑顔になると椎名は杏寿郎に抱きついた。
「杏寿郎!……ん?」
「ん?」
椎名の背中に手を回しかけた杏寿郎はパッと離れた椎名に動きを止めた。椎名がペタリと杏寿郎の胸に手を当てる。
素肌の感触。
「…隊服は!?」
「戻った時に破れた!」
「「………」」
(裸ーっ!?)
椎名は自分の荷物の中から大きな布を取り出すと杏寿郎に投げつけた。目が見えてなくて本当に良かった。
「すまん!」
「…もう」
杏寿郎が布を頭から被りなんとか体裁を整えようとする。その上から椎名は杏寿郎をギュッと抱きしめた。
「…心配したのよ?」
「あぁ、本当にすまなかった」
スポンと布から頭を出すと椎名を抱きしめ返す。椎名は杏寿郎の胸に顔を寄せると腕に力を込めた。
「駄目」
「む?」
予想外の返事に杏寿郎が固まる。
「嫁じゃないとか異人の血は煉獄家に入れないとか赤の他人だとか結構抉られたんだから!」
「本当にすまん!あの頃は鬼殺隊に入ったばかりで余裕のない頃だったんだ!!」
「…………」
「今より頭も固かった」
「………」
「意固地にもなっていたと思う」
「……」
「許してはくれないだろうか」
返事をしない椎名に杏寿郎はしゅんとして顔を覗き込んだ。椎名は難しい顔をしたまま口を開いた。
「目、痛い」
「蝶屋敷へ急ぐぞ!!」
杏寿郎は椎名を抱き上げるとすっぽりと布を被っただけの姿で蝶屋敷まで爆走したのだった。
布一枚で女を抱えて走る変質者。そんな噂が後日町中に広まり、天元に指差して笑われる杏寿郎だった。