喫茶店の女給になった元婚約者
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命の危機が去り家に戻った煉獄は少しでも鈍ってしまった体を鍛え直そうとして愕然とした。全集中の常中は出来ず、隻眼ゆえに距離感が掴めない。愼寿郎が鍛錬の相手を買って出てくれたがまるで太刀打ち出来ない。
「何を慌てている杏寿郎。腹に穴を開けて死にかけたのだ。直ぐに戻るわけなかろう」
「はい、申し訳ありません」
しかし長年酒浸りだった父親にも勝てないと言うのは煉獄にとって衝撃的だった。縁側に腰掛けると突如猛烈な不安に襲われる。
(こんな不甲斐ない有様で椎名を守っていけるのか?)
何も鬼ばかりがこの世の脅威ではない。そんなものに襲われた時に今の自分が椎名を守れるのだろうか?
(蝶屋敷で共に過ごしてよく分かった。椎名は人を惹きつける娘だ。背中の傷などなんにも問題にならない。俺と一緒にならずとももっと椎名に相応しい男が現れるだろう)
他の男に寄り添い笑う椎名を思い描くと腹が捩れそうな不快感に襲われる。しかし一度考えてしまえば止めることは出来なかった。自分といるせいで椎名が不幸になるなどあってはならない。
「おはようございます杏寿郎様」
「……椎名、屋敷に在中する隠もいる。君が毎日来る必要はない」
傷を心配して毎日やってくる椎名を煉獄は突き放した。身の回りの世話や食事の支度も頼むことをしなくなった。蝶屋敷から煉獄家までの決して近くはない距離を通ってきてくれる椎名を門前払いする。
愼寿郎や千寿郎から苦言を呈されたが煉獄は決して頷かなかった。自分と一緒にいて椎名が幸せになれるはずがない。手を放してやる事が彼女の幸せに繋がるのだ、と。
ほどなく椎名は煉獄家にやって来なくなった。
(彼女は聡い。前の婚約破棄の頃の俺を思い出して、俺の意図を汲んだのだろう)
最後に会った時、椎名は瞳の中に一杯の戸惑いと悲しみを湛えていた。それを思い出せば身が引き裂かれるほど辛かったが、煉獄は厳しい鍛錬を自らに課す事でそれを忘れようとした。まだ無惨との戦いは続くのだから、少しでも柱であった頃に近づかなければと思う。
「杏寿郎!今日はもう仕舞いだ。これ以上は傷に響く」
「い、いえ!まだです父上!!」
(まだ距離感の掴みが甘い!呼吸の持続が短い!反応も遅すぎる!!)
膝をつき肩で息をする煉獄を愼寿郎は渋い顔で見下ろした。無理をする理由と原因は分かるが結果が出るとは思えない鍛錬の仕方だ。愼寿郎は一つ息を吐くと木刀を下げた。
「少し休め。心が安定してないうちは体も安定せん」
「…………はい」
「千寿郎、水をくれ」
「はい父上、ただいま」
愼寿郎と千寿郎が台所に消えると庭石に腰掛けて煉獄は頭を掻きむしった。椎名と離れこれで良かったと思う反面心が引き裂かれそうだ。その心の弱さが鍛錬にも現れている気がして気持ちが騒ぐ。
「くそ……」
(やめろ。考えても仕方のないことは考えるな)
何もかも上手くいかなくて煉獄は固く目を閉じた。じゃり……と庭石を踏む音がして愼寿郎が戻ってきたのかと顔を上げる。
「………………」
「……お久しぶりです杏寿郎様」
久しぶりに見る椎名は洋装ではなくきちんと着物を身につけていた。少し窶れたように見え、掴みどころのない表情をしている。煉獄は抱きしめたくなる衝動を何とか飲み込むとしかめ面をして見せた。
「何をしに来た。君に頼むようなことは何もない」
「今日はお話をお伺いしたく参りました」
「話すことなど何もない」
(だから早く帰ってくれ)
そうでなければ決意が鈍る。煉獄は立ち上がると椎名に背を向けた。
「帰るんだ」
「……杏寿郎様は何を恐れておいでですか?」
「何を馬鹿な!恐れているものなど無い!」
「いいえ、こちらを見て話してくださらないのがその証拠です」
痛いところを突かれて煉獄の頭に血がのぼった。振り返るとギロリと椎名を睨みつける。
「君に訳知り顔をされる謂れはない!!不愉快だ!!さっさと出ていけ!!」
「ではお聞かせ下さい。杏寿郎様が今何を考え感じておられるのか」
「君に話すようなことは何もない!!」
声を荒げれば荒げるほど冷静に返してくる椎名に歯止めがかからず、煉獄は加減無しで椎名を威圧した。顔色を無くし関節が白くなるほど手を握り締めて耐えながら椎名は目を逸らさない。その強情さに煉獄は歯噛みした。
「君に何が分かると言うんだ!!話をすれば分かると思っているならば滑稽で傲慢だな!こうして尋ねてくること自体が迷惑なんだ!!」
「兄上!」
「おい!杏寿ろ……」
パンッ!
乾いた音がして全員の動きが止まった。ジン……と痺れを感じる頬に煉獄が呆然とする。椎名は肩で息をして煉獄の頰を打った手を握っていた。台所から飛び出てきた愼寿郎と千寿郎も唖然としている。
「……あぁ!すっきりした!!」
「な……」
息を整えた椎名の口から出てきた言葉に煉獄は呆気に取られた。しかし椎名は気にすることなく話し続ける。
「婚約破棄を言い渡された時から一発殴ってやりたかったので、やっと夢が叶いましたわ。欲を言うなら本田さんのことも殴れたら良かったのですけど、彼女には誠心誠意謝られてしまいましたから」
「………………」
何と答えたら良いか分からず未だ呆然としたまま煉獄は打たれた頰に触れた。女の力なので怪我もなければ腫れてもいないがこれまでで一番痛い一撃だったと思う。
椎名は深呼吸して気持ちを落ち着けると煉獄に小さな風呂敷包みを手渡した。
「これは……?」
「婚約破棄されてから書いていた日記です。杏寿郎様、私またコロンビアで働いております」
「そ、うか」
また一人強く生きようとしている椎名に心が痛む。だが椎名の話は続きがあった。
「それを読んで杏寿郎様の本当の気持ちを伺えたらと思っております。……3日後、私は帝都を離れます」
「!?」
ドクリと心臓が嫌な音を立てた。目を見張る煉獄に椎名は平静を崩さない。その静かな覚悟に煉獄の背中が冷たくなった。千寿郎が慌てて駆け寄ってきて椎名の袖を掴む。
「姉上っ!て、帝都を出ていったいどちらへ?」
「コロンビアのマスターのご兄弟が横浜で喫茶店をされているそうです。そちらの方が舶来物も多く勉強になるだろうからとご紹介頂いたんです」
「いつまで……ですか?」
恐る恐る尋ねる千寿郎に椎名は微笑むだけで答えない。黙ったままの煉獄をもう一度真っ直ぐ見つめると深々とお辞儀をし椎名は去っていった。
「何を慌てている杏寿郎。腹に穴を開けて死にかけたのだ。直ぐに戻るわけなかろう」
「はい、申し訳ありません」
しかし長年酒浸りだった父親にも勝てないと言うのは煉獄にとって衝撃的だった。縁側に腰掛けると突如猛烈な不安に襲われる。
(こんな不甲斐ない有様で椎名を守っていけるのか?)
何も鬼ばかりがこの世の脅威ではない。そんなものに襲われた時に今の自分が椎名を守れるのだろうか?
(蝶屋敷で共に過ごしてよく分かった。椎名は人を惹きつける娘だ。背中の傷などなんにも問題にならない。俺と一緒にならずとももっと椎名に相応しい男が現れるだろう)
他の男に寄り添い笑う椎名を思い描くと腹が捩れそうな不快感に襲われる。しかし一度考えてしまえば止めることは出来なかった。自分といるせいで椎名が不幸になるなどあってはならない。
「おはようございます杏寿郎様」
「……椎名、屋敷に在中する隠もいる。君が毎日来る必要はない」
傷を心配して毎日やってくる椎名を煉獄は突き放した。身の回りの世話や食事の支度も頼むことをしなくなった。蝶屋敷から煉獄家までの決して近くはない距離を通ってきてくれる椎名を門前払いする。
愼寿郎や千寿郎から苦言を呈されたが煉獄は決して頷かなかった。自分と一緒にいて椎名が幸せになれるはずがない。手を放してやる事が彼女の幸せに繋がるのだ、と。
ほどなく椎名は煉獄家にやって来なくなった。
(彼女は聡い。前の婚約破棄の頃の俺を思い出して、俺の意図を汲んだのだろう)
最後に会った時、椎名は瞳の中に一杯の戸惑いと悲しみを湛えていた。それを思い出せば身が引き裂かれるほど辛かったが、煉獄は厳しい鍛錬を自らに課す事でそれを忘れようとした。まだ無惨との戦いは続くのだから、少しでも柱であった頃に近づかなければと思う。
「杏寿郎!今日はもう仕舞いだ。これ以上は傷に響く」
「い、いえ!まだです父上!!」
(まだ距離感の掴みが甘い!呼吸の持続が短い!反応も遅すぎる!!)
膝をつき肩で息をする煉獄を愼寿郎は渋い顔で見下ろした。無理をする理由と原因は分かるが結果が出るとは思えない鍛錬の仕方だ。愼寿郎は一つ息を吐くと木刀を下げた。
「少し休め。心が安定してないうちは体も安定せん」
「…………はい」
「千寿郎、水をくれ」
「はい父上、ただいま」
愼寿郎と千寿郎が台所に消えると庭石に腰掛けて煉獄は頭を掻きむしった。椎名と離れこれで良かったと思う反面心が引き裂かれそうだ。その心の弱さが鍛錬にも現れている気がして気持ちが騒ぐ。
「くそ……」
(やめろ。考えても仕方のないことは考えるな)
何もかも上手くいかなくて煉獄は固く目を閉じた。じゃり……と庭石を踏む音がして愼寿郎が戻ってきたのかと顔を上げる。
「………………」
「……お久しぶりです杏寿郎様」
久しぶりに見る椎名は洋装ではなくきちんと着物を身につけていた。少し窶れたように見え、掴みどころのない表情をしている。煉獄は抱きしめたくなる衝動を何とか飲み込むとしかめ面をして見せた。
「何をしに来た。君に頼むようなことは何もない」
「今日はお話をお伺いしたく参りました」
「話すことなど何もない」
(だから早く帰ってくれ)
そうでなければ決意が鈍る。煉獄は立ち上がると椎名に背を向けた。
「帰るんだ」
「……杏寿郎様は何を恐れておいでですか?」
「何を馬鹿な!恐れているものなど無い!」
「いいえ、こちらを見て話してくださらないのがその証拠です」
痛いところを突かれて煉獄の頭に血がのぼった。振り返るとギロリと椎名を睨みつける。
「君に訳知り顔をされる謂れはない!!不愉快だ!!さっさと出ていけ!!」
「ではお聞かせ下さい。杏寿郎様が今何を考え感じておられるのか」
「君に話すようなことは何もない!!」
声を荒げれば荒げるほど冷静に返してくる椎名に歯止めがかからず、煉獄は加減無しで椎名を威圧した。顔色を無くし関節が白くなるほど手を握り締めて耐えながら椎名は目を逸らさない。その強情さに煉獄は歯噛みした。
「君に何が分かると言うんだ!!話をすれば分かると思っているならば滑稽で傲慢だな!こうして尋ねてくること自体が迷惑なんだ!!」
「兄上!」
「おい!杏寿ろ……」
パンッ!
乾いた音がして全員の動きが止まった。ジン……と痺れを感じる頬に煉獄が呆然とする。椎名は肩で息をして煉獄の頰を打った手を握っていた。台所から飛び出てきた愼寿郎と千寿郎も唖然としている。
「……あぁ!すっきりした!!」
「な……」
息を整えた椎名の口から出てきた言葉に煉獄は呆気に取られた。しかし椎名は気にすることなく話し続ける。
「婚約破棄を言い渡された時から一発殴ってやりたかったので、やっと夢が叶いましたわ。欲を言うなら本田さんのことも殴れたら良かったのですけど、彼女には誠心誠意謝られてしまいましたから」
「………………」
何と答えたら良いか分からず未だ呆然としたまま煉獄は打たれた頰に触れた。女の力なので怪我もなければ腫れてもいないがこれまでで一番痛い一撃だったと思う。
椎名は深呼吸して気持ちを落ち着けると煉獄に小さな風呂敷包みを手渡した。
「これは……?」
「婚約破棄されてから書いていた日記です。杏寿郎様、私またコロンビアで働いております」
「そ、うか」
また一人強く生きようとしている椎名に心が痛む。だが椎名の話は続きがあった。
「それを読んで杏寿郎様の本当の気持ちを伺えたらと思っております。……3日後、私は帝都を離れます」
「!?」
ドクリと心臓が嫌な音を立てた。目を見張る煉獄に椎名は平静を崩さない。その静かな覚悟に煉獄の背中が冷たくなった。千寿郎が慌てて駆け寄ってきて椎名の袖を掴む。
「姉上っ!て、帝都を出ていったいどちらへ?」
「コロンビアのマスターのご兄弟が横浜で喫茶店をされているそうです。そちらの方が舶来物も多く勉強になるだろうからとご紹介頂いたんです」
「いつまで……ですか?」
恐る恐る尋ねる千寿郎に椎名は微笑むだけで答えない。黙ったままの煉獄をもう一度真っ直ぐ見つめると深々とお辞儀をし椎名は去っていった。