~ニ章~


エヴィが案内したのは、トニトの街の中心街、役所近くにある宿だった。
規模としては大きくはないのだが、木材にもこだわってあるのだろう、建物はしっかりした落ち着いたものだ。
派手な装飾がある訳ではなく、素朴な風合いの家具や、さりげなく飾ってある花も好感が持てる。
今回は身分を隠しての旅、高級な宿は避けているのだが、それでも普通の街娘のニーナには、贅沢な位だ。



ニーナの、故郷から出て王都までの旅は、不安と期待が入り交じったものだった。
家族ぐるみの付き合いがある、近所の商店の夫婦に街を出ることを相談すると、この先の大きな街ヴェザムまで仕入れついでに…と、馬車に乗せてくれた。
そこからは一人で乗り合いの馬車で王都を目指したのだが、夫婦と別れた途端、王都への憧れと期待が不安に変わり、必死に涙を堪えた。
野宿の夜もあったが、古く安い宿にでも泊まることが出来た日は、いくらか安心して眠ることができた。
まだ若い女の子の一人旅、見知らぬ人と土地で不安になるのは当然だ。
途中、獣が出没した事もあったが馬車は無事に切り抜けるなど、今思うと精霊たちのおかげだったのかもしれない…とニーナは感謝した。

そして今、こうして手を引いてくれる人がいるのは、とても幸せだと思う。
…いつかは、その手が離れていく相手だとしても。



ここはライルや騎士団も利用する宿らしい。
今回の様に、身分を明かさずお忍びで来ている時にだ。
受け付けで出迎えた宿の主人だけは素性を知る人物らしく、ライルやエイダンも気安く話をしている。
小柄な、人の良さそうなおじさんだ。

「ライル、そうかお前さん結婚するのか。良かったのぅ」
「ああ、これ以上ない花嫁だ」
「ニ、ニーナです……よろしく」

婚約ばかりか、結婚だの花嫁だのという言葉が飛び交い、ニーナは居心地が悪かった。
宿の主人も、素性を隠す為の方便だと分かっているのだろうに。
必死に笑みを浮かべるが、絶対ひきつっている。

「ニーナちゃんか。これからライルをよろしくたのむのぅ」
「は、はひっ、」

はい頑張ります、お相手係ですから。

心の中で、そう返事をする。
結婚なんて、恐れ多くて口に出せる訳がない。

「ほらほら、彼女困ってますよ」

突然、後ろから肩を抱かれ、ニーナは驚き身体を震わせた。
振り向くと、後ろに立っていたのは一人の女性。
思ったより顔が近く、もう一度驚く。
近すぎて逆に顔が良く分からないが、馬車を降りた時から案内してくれている、あの女性だ。
さっきは暗い中だったので、ぼんやりとした輪郭しか分からなかった。

「……わ、わ?」
「初めまして、ニーナさん」
「おいエヴィ、ニーナが驚いているだろう」
「そちらこそ、困らせているではないですか」
「とりあえずニーナから離れろ」
「可愛いらしいわ、仲良くしてね」
「は、はい…っ」
「コラ、無視するなっ」

エヴィと呼ばれるこの女性、ニーナよりも少し年上だろうか。
艶のある長い黒髪。切れ長の目、ふっくらした赤い唇。
…色気が。
ニーナとは違う、大人な女らしさが漂っている。
凛とした美しさのイーリス妃殿下ともまた違う。
ぴったりくっつかれているので、腕や背中に柔らかいものが…。
女のニーナでも赤面してしまう。
このサービスは、ワイナーさんやエイダンさんに向いているのでは。
なぜ私なのかしら、とニーナは思った。
大体、ライルに対して恐れを感じない辺り、余程の大物か…鈍感だろう。

ライルの我慢も、そろそろ限界かと思われた時。

「おいエヴィ、いい加減にしろ」

口を挟んだのはエイダンだった。
物静かな彼が、眉間に皺を寄せている。

「良いじゃない、女同士なんだから」
「お前が、可愛い女の子が好きだという事は分かっているが…ライルの婚約者だ」

可愛い女の子好き?

「誤解を産むような事を…可愛い女の子を愛でるのが好きなの」
「同じだろう」
「違うわよ。ニーナちゃんが警戒しちゃうわ」

うふふ、食べちゃったりしないから安心して、とニーナにニッコリ笑って見せるエヴィ。

「早く案内を。伝えたい事があるんじゃないのか?」
「はいはい。相変わらず兄貴は真面目ねぇ」
「……兄貴?」

ニーナと、これまで静かだったワイナーが揃って呟く。
確かに兄貴と聞こえた、という事は、エイダンとエヴィは…。

「この二人、兄妹ですよ」
「えっ」
「そうなの?」

ダリルが静かに疑問に答える。
そういえば顔立ちや背格好が似ている気がする。
勿論、エイダンは鍛え上げているが。
エヴィの髪は本来エイダンと同じ、赤みが強い茶色だが、仕事に合わせて変えているらしく、今日は黒髪に黒いスーツだ。
そして恐ろしくスタイルが良い…くびれが悩ましい。

「以後お見知りおきを。ニーナさん、ワイナーさん」

優雅にお辞儀をするエヴィに、ニーナも頭を下げた。
しかし隣に居るはずのワイナーが動いた様子がなかったので、横目でチラリと見てみると。

「………」
「…ワイナーさん?」

そこには口を少し開いたまま、固まっているワイナーがいた。

「どうしたんですか?」

ニーナが腕を軽くつつくと、ワイナーの身体が小さく跳ねる。
ああ、どうもと呟き、エヴィに頭を下げた。

『…見惚れてたな』
『うん、惚れたね』

精霊の、何処かで聞き覚えのある言葉に、ライルは苦笑いする。
体調が悪いのかと、ワイナーの心配をするニーナの手を取り、そっとしておくよう目配せした。
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