~一章~


「…では、明日出立なのだな」
「少数での旅だし無理はするな。困難な状況なら一度戻っても良い、情報を得るだけでも十分なのだから」
「はい。様子を見てみます…良い結果を報告出来ればと思います」

ライアスは、明日の出立の前に、陛下と王太子に挨拶をしに来ていた。
表向きは、魔獣による被害調査…といった所になっている。
もちろん、それも目的の一つだが、やはり精霊王の捜索、救出がメインとなる。
今後の被害を防ぐ事が出来るかどうかにかかってくるのだ。

「ニーナはどうしておる?」
「はい、やはり不安はある様ですが…本人の、役に立ちたいという気持ちは強いです」
「そうか…まだ若い娘に重責を背負わせてしまうな」
「大丈夫、私が護ります」
「よろしく頼むぞ、ライアス」



挨拶が済み、広間を出た所で、後ろから呼び止められた。
先程まで話していた王太子である。

「ライアス」
「どうされました…クルス兄上」
「すまない、耳に入れておこうとな」
「はい?」

クルスは申し訳なさそうな表情になる。
更に人に聞かれないようにか、小声で話し始めた。

「ラルドスの結婚式でエスコートしたご令嬢、覚えているか?」
「ええ…侯爵家の、でしたね」
「あれから、お前との縁談を望んでいるようでな。まあ、それが狙いだったのだろう…もちろん断るが」
「…大した会話はなかった気がしますが」
「お前が誰かのエスコートをするのは珍しいからな。これまで幾つもの話を避けてきたし。ラルドスも隣国から迎えたしな…この機会に話を進めたいのだろう」
「はあ…」

ライアスにとって、結婚というのは命をも左右するもので、かなり慎重になっていた。
癒しの効果があまりない相手と結ばれてもいけないし、効果が強くとも好きになれない相手でも困る…なので、特定の女性を側に置くのは避けてきた。

貴族のご令嬢、以外の相手を選ぶことも有り得ると、両陛下も理解を示してくださった頃……に、ライアスにとって最高の相手が現れた訳だ。

「私が頼んだ事だし、私からお断りをしておく。ちょうど、お前は城を留守にするし」
「お願いします。俺はニーナとしか結婚しません」
「分かってるよ。私も願っているさ」

城に戻ってきたら、ニーナも一緒にお茶会をしようと、クルスは手を振りその場を後にした。
おそらく、王太子妃と二人の、薔薇愛についての話で終わりそうな気がするが。


王太子妃は、公爵家から嫁いで来られた。
幼い頃からお二人は婚約者同士だった。
その頃から王太子の憂いを癒してくれていたのは、庭に咲き誇る薔薇だった。
婚約者そっちのけで御執心だった薔薇に、王太子妃は嫉妬狂うのではなく対抗心を燃やし、公爵家で薔薇の栽培を始められたという。
自ら城の庭師に教えを乞う姿を見て、王太子も婚約者を意識し始めた、というのを、兄から直接聞いた事がある。
今ではお二人で競うように…いや仲睦まじく薔薇を慈しみ、いつしか城は薔薇で溢れる様になった。

いつか、兄に少し薔薇を分けてもらえる様に話してみよう。
ニーナが薔薇の香りを使いたいと話していたから。


ご令嬢との事は、出来るだけ後腐れのないようにしてほしい。
もう、ニーナを傷つけたくないからだ。
今回の旅でニーナが危険な目に合わないかと心配はあるが、無事に乗り切る事が出来たら、きっと認めてもらえる。
身分の問題も関係ないと笑える日がくる。
ニーナには、その力がある…そう信じている。

騎士団の詰所に顔を出した後は、早く屋敷に戻ろうと、ライアスは歩みを速めた。




ニーナが目を覚ますと、隣で眠っているはずの顔がなかった。
お相手が済めば、なるべく自分の部屋に戻ろうと思っているのだが、ライアスに毎日引き留められるので、結局はここのベッドで一緒に寝ている。
一人には大きすぎるベッド。
目を覚ました時に誰も居ないと不安になる。

大抵、ニーナが先に起きて、身支度をし、ライアスを起こすのが毎朝の流れだ。
ここに来て間もない頃、ライアスが「起きたらニーナが居ない」と探しまわった事があった。
あれから、先に起きて朝の仕事をしたいというニーナの要望をライアスが受け入れ、今の流れになった。

「殿下…急な用事かしら」

普段と違う状況になると、途端にライアスの身を案じてしまう。
まあ…お相手係だから、当然だ。

ふと、自分が寝過ごしたのかという考えが頭を過る。
慌てて夜着を羽織り、そーっと部屋を出た後、使用人室に走る。
懐中時計を開くと、寝坊した訳ではないようで、ほっと胸を撫で下ろす。
明日の出立を前に、研究塔に行くつもりなので、普通のメイド服に着替えた。

「あ、おはようございます」

ニーナとほぼ変わらない時間に姿を見せたダリルに挨拶する。

「おはよう、ニーナ。もう起きても大丈夫かい?」
「は、はい…あの、殿下は、」
「主様は城に行かれたよ、つい先程。明日の挨拶にね」
「そうなのですか…やっぱり私、寝過ごしてしまったんですね」
「いや、主様がニーナをまだ休ませておくようにと。昨日は疲れただろうからって」

昨日は確かに疲れた。
昼間と更に夜と……ダリルはいつもの事だと思っているのだろうが、それでもちょっと恥ずかしい。

「いよいよ明日だ。仕事はほどほどにして、今日は主様の言われる通り、ゆっくり身体を休めなさい」
「はい、ありがとうございます…そういえば、」
「うん?」

思い出した、昨日の疑問。

「裏裏口って何ですか?」



城から戻ってきたライアスに、ニーナはぎゅうぎゅうと抱き締められていた。
まるで長い間会っていなかった二人の様に、「ニーナニーナ」と名を連呼する。

「お疲れ様でした。今朝は見送りもせずにすみません」
「いいんだ、今日はゆっくりしよう…研究塔には顔を出すかい?」
「はい…ちょっと引き継ぎを」
「じゃあ後で一緒に行こう」


先程聞いた裏裏口の件。
屋敷の玄関を通らずに、外から直接、三階のライアスの部屋に通じる入口があるらしい。
成る程、昨日は馬車を降りてあっという間にベッドに寝せられていた。
部屋の中にある、簡易的な浴室と、衣装部屋の間…白い壁に隠し扉が。
普段は使用せず鍵がしてある。
ニーナは全く気がつかなかった。
これを知るのはライアスとダリルだけだそうな。

「ニーナに出逢う前は、たまに夜中に抜け出していたからね」
「花街…ですか」
「ああ。でももう必要ない。ニーナが居てくれる」

ニーナの額にキスをする。
次に頬、首筋…唇に優しく。
今日は流石に、昼間っからは遠慮するらしい。
夜も我慢すると話すが、本当かどうか。

ライアスから注がれるのは、愛情だろうか。
毎日、何度も「好きだ、大切だ」と言ってくれるライアス。
くすぐったい感じがする。
普通、こんな言葉と行為をされたら、誰でも恋をしてしまうだろう。
だからニーナも、「ダメダメ」と呪文の様に繰り返している。

…でも以前に、くすぐったい以外の感じを既に知っていた気がするのだ。
もっと、何かこう…苦しいというか、寂しいというか。

いつかは終わり、一人で生きていく事になろうが、でも今は…必要とされる今はまだ、この暖かさに身を任せたい。
明日からはまた、違った生活が始まる。
精霊達を救い、ライアスを護りたい。
自分に出来る事を頑張ろう。
きっと大丈夫。

決意を胸に、その胸に埋まるライアスの頭を、そっと撫でた。




ニ章に続く!
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