~一章~
数日の内に、精霊の街に出発する予定になり、ニーナも旅支度に追われていた。
ニーナの故郷までは、馬車の旅だと四~五日程度かかる。
精霊の街は山合いにあるので、少し肌寒く感じるかもしれない。
必要な着替えや防寒具、食料品、スノウ印の薬関係も準備する。
ライアスが、アイテムボックスを使えるので心配いらないと言ってくれるので、有り難く甘えようと思うのだが、逆に持って行きたい物が増えてまとまらない。
手持ちの荷物はなるべく少なくしたいので考えものだ。
ライアスにダリル、騎士団から今回は副団長のエイダンが同行する。真面目な性格で、まだ若いが剣術は団長にも引けをとらない腕前だそうだ。
更にワイナーも参加する事になり、暫くは研究塔に「ひいぃぃ」という叫び声が響いていた。
精霊の場所が匂いで分かるから探すのに都合が良い…という理由らしい。
ニーナが服装を選ぶのに頭を悩ませているのは、ライアスが提案した事があるからだ。
ライアスの素性を隠す為、薬屋を営むニーナと婚約者同士という設定にしようというものだ。
嘘とはいえ、恐れ多く恥ずかしいと訴えたが押しきられてしまった。
確かにそれなら、途中の宿で同じ部屋になっても不自然はない。
どうせライアスはニーナと別の部屋で寝るつもりはないのだし。
しかしそれでは、使用人の格好ではいけない訳で、ライアスと二人並んでおかしくない、更に街に馴染む服装となる。
ライアスにやたらな服は着せられないし、ダリルに相談しながら慎重に選んだ。
他、ダリルはライアスの兄で、結婚前にニーナが里帰り中の設定。
ワイナーとエイダンはライアスの仕事仲間で、途中の街で仕事した後着いてきた、という事になった。
王都に来て数年、久々の故郷で嬉しいし楽しみだが、想像がつかない旅で喜んでばかりはいられない。
あの街も変わり、我が家もちゃんとあるかもわからない。
顔見知りの皆も元気だろうか。
そして、ちゃんと自分の役目が果たせるのか…不安だ。
表情に出ていたのか、ダリルがニーナの頭をぽんっと軽く叩き、手に綺麗な包み紙のチョコレートを乗せてくれた。
さりげない優しさに感激し、チョコレートを握り締める。
「…溶けますよ」
ダリルは一言残し、仕事に戻って行く。
ニーナは慌てて包み紙をはがしチョコレートを口に入れた。
「ニーナ、午後に一緒に城へ行こう」
「え、城…私がですか?」
「城というか、手前の森というか…不安ならダリルも一緒に、仕事中という事にしても良い。ニーナに会ってみたいという人がいてね」
「はい……分かりました」
旅に出る前に会わなければ、暫くチャンスがないという事だろうか。
結局、ダリルも同行し三人で登城する。
途中、馬車で城の周りを囲む森を通るのだが、なんだか前の時より森がザワザワと騒がしい気がした。
この森にも、動物たちが居るのだろうか。
「森を抜けた所の広場でお茶をされているはずだ」
馬車を降り、緑の中を進む。木洩れ日がキラキラとして美しい。
暫く行くと視界が広がった。城よりも少し手前に、こんな場所があるとは知らなかった。
中央には小さいが噴水があり、その横にお茶を楽しむ為の場所を設けてある。ちゃんと屋根もあり女性にも安心だ。
城の方向を見ると、少し先には薔薇が咲き誇っているのが見えた。
「ニーナ、ご挨拶をしに行こう」
「ど、どなたがいらっしゃるのですか」
「あ、言ってなかったっけ。俺の一つ上の兄上と、新しい姉上だよ」
「兄上……さま、」
ライアスの一つ上の兄といえば、それはもちろんラルドス殿下だ。
そして新しい姉上とは、先日ご結婚された隣国の花嫁様…。
「えええぇ!?」
血の気が引いて、思わずダリルに助けを求めると、ダリルは大丈夫だよと背中を押す。
押さないでえぇ…と心の中で叫ぶうちにライアスに手を引かれ、噴水の近くに着いてしまった。
ここまでくればもう、お茶を楽しむ優雅なお二人の顔も見える。
「兄上、失礼致します」
「お、来たか」
長くして右肩で束ねられた髪の色は全く違うが、瞳の色はライアスと同じ。
その切れ長の鋭い瞳が、じろりとニーナを捕えた。
慌てて頭を下げる。以前、ダリルに挨拶の仕方を習っていて良かった。ぎこちない動きになっていると思うが。
「そなたがライアスに雷を落とした…名はなんだったか」
「ニ、ニーナでございます」
「兄上、相変わらず名前を覚えようとされませんね。これからニーナの事はよろしくお願いします」
「必要な人間は覚えている。ニーナはライアスにとってそうだからな、よし忘れんぞ」
なぜニーナが雷を落としたという話になっているのかニーナ本人には分からなかったが、顔を上げて良いと言われ恐る恐る身体を起こした。
相変わらず鋭い瞳がニーナを見下ろす。また身が縮む気がした。
「…あなた。そんなに怖い顔で少女を見るものではありませんわ」
落ち着いた、でも色気のある女性の声。
「む、これは普通だが」
「ではあなたが普通ではないのでしょう」
ラルドスの言葉をばっさり切り捨てるような台詞をさらっと言ってのけたのは…イーリス妃殿下。
花嫁衣裳の妃殿下にも感激したが、落ち着いた輝きの銀髪に青みがかった灰色の瞳。
今日の青色のドレス姿もよくお似合いである。
あまりの美しさに見惚れていると、恐れ多くも目が合ってしまった。
慌てて目を伏せる。
ふと、もう一つ気になる事を思い出した。
結婚式の時にも不思議に思った事。
「そんなに緊張しないで。ニーナさん、顔を上げてちょうだい」
「あ、ありがとうございます」
「何か気になる事があるでしょう?」
上げようとした頭をピタリと止める。
はい、気になる事…あります!
そう心の中で呟く。
「ニーナ、お二人に顔を見せて」
「は、はい」
ライアスに背中を優しく叩かれ、ようやくしっかりと背筋を伸ばす。
「可愛らしい方ね。これからどうぞよろしく」
只のメイドに対し、これからもよろしくと言われる事が不思議だったが、お言葉は有り難く頂くことにする。
「ニーナ、姉上の頭にあるもの…気になっているのだろう?」
「えっ……あ、はい…実は」
自分から言い出せなかったことを、ライアスが伝えてくれて助かった。
「ふふ、当然よね。きっと貴女の予想通り、これは耳よ」
「……耳」
そう、イーリス妃殿下の頭には、ぴょこん、と耳が付いているのだ。
白い毛色の、三角の耳。
確か隣国は、人間と生活を共にする獣人も多いと聞いた事がある。
対等な関係を築いており、獣族にも同じように階級がある。
他国との国交も盛んで、この国とも
親しいと聞く。
「驚くのも無理はない。この国ではあまり見掛けないからな。しかしこれからは出会う事も増える」
ラルドス殿下の口元が優しく微笑んでいる。
この結婚で、隣国とばかりではなく獣族との交流も盛んになるだろう。
「耳があっても、何も変わらないのよ。現にこうして受け入れて頂けたし…縁あって嫁いで来たのだから、この国の人々を愛するわ」
「は、はい…っ」
なんて素敵な方のでしょう…!
優雅だけれど凛とした、これぞ貴族だという雰囲気に、ぽおっとしたニーナは、瞳をハートにして見つめる。
「おいニーナ。それは私の嫁だ。そんなに見つめるな」
「あなた、またそういう事を…もふもふおあずけ、ですわよ」
もふもふ…?
お二人の会話に変わったワードを見つけたが、それと同時に、周囲の森からザワザワと木々が揺れている音が。
更に何かが走っている…それも複数。
「え、何の音…?」
身体をビクッと震わせたニーナの隣に立ち、そっと肩を抱くライアス。
「大丈夫、お客様だから」
「…おっ、おきゃっ!?」
ライアスが、想像していなかった言葉を言うので驚いたが、聞き返す間もなく腰を抜かす事になる。
ドドドドドッ……と、地響きのような音と揺れを起こしながら、数本の木を倒した間から現れたのは、三頭の、大きな……。
「……犬?」
ニーナは思わず、ライアスにしがみついた。