~一章~


それから数日経っても、ニーナの態度は変わらず、ライアスの《お相手係》だった。

別にライアスを避ける訳ではなく、身の回りの世話をしたり、一緒に研究塔まで行き、作業後は一緒に帰る。
ライアスが誘えば食事を共にし、お茶をしながらおしゃべりもする。
ライアスが抱きたいと言えば相手をし、ベッドに残れと言えば朝まで添い寝してくれる。

今までと変わらないとも言えるが、やはり違うのだ。
今の二人は、契約した者同士、極端に言えば《主人と奴隷》にしか思えない…ライアスはそう感じていた。

確かに、一方的にニーナを自分のものにしようと必死だった。
ニーナが受け入れてくれるから、つい甘えていたのは事実だ。

彼女にとっては、やっぱりただの仕事に過ぎないのか。

ニーナに変化があったのは、第二王子の結婚式の日から。城から帰ったら既に何か変わっていた。
数日前から忙しく、当日もゆっくり話す時間がなかったので、その頃何かあったのか。
でも当日は、ライアスの正装を見て、格好良いといつもの笑顔を見せてくれた。
その後別れてから何か…ひょっとして。

「主様」
「ああ、ダリルか」

ノックの音にも気が付いていなかった様だ。
今朝からズキズキ痛む頭を持ち上げる。

「主様は本日、休日ですが…ニーナは研究塔に行きたいそうです」
「今はどこにいるんだ?」
「洗濯物を干しています。行く前に自分で済ませたいようで」
「最近、研究塔での作業に没頭しているようだな」
「はい…」
「俺が連れて行く。最近は俺もゆっくり顔を出せていないしな」

暫くの後、ライアスはニーナを連れて研究塔へ向かった。
ニーナはそのまま薬草の状態を見てくると言う為、ライアスは先に研究塔へ。
久しぶりに姿を見せたライアスに、ワイナーは少し驚いた様な顔をする。

「なんだワイナー、俺が来ては不味いか?」
「いえ、申し訳ありません。お珍しいなと思いまして。最近はお忙しい様子だったですし…」

歯切れの悪い話し方のワイナーを、ライアスはジロリと睨む。

「…ですし?」
「ああもぅ、睨まないでくださいよ。いやその、ニーナちゃんと、」
「ニーナと?」

ニーナの名前が出た事で、ライアスの眉間に皺が寄る。

「怖いなぁ…やっぱりニーナちゃんと喧嘩でもされたんですか?」
「…喧嘩?やっぱりとは何だ、そんなものしてはおらん」

…しては、いないと思う。

「そう、ですか」
「何故そう思う?」
「いえ、最近ニーナちゃんの作業を見てると、ただならぬ気迫が…」
「ここでは傷薬や回復薬を作っているのだろう?」

ワイナーが、ライアスに暖かいお茶を淹れもてなした。
何気にそれを頂くと、ハーブの香りが良くとても美味しい。身体が暖まり気分が落ち着く。気付けば頭痛もなくなりスッキリしている。

「落ち着くな…これのおかげか?」
「このハーブティー、スノウ印です」

スッ…と、ワイナーが差し出した茶葉の缶には、白い犬の印が。

「ニーナが作ったお茶なのか」
「はい…今は他にも湿布薬を試作してたり。僕にも、匂い袋とか作ってみてはと提案してくるし」
「ほう」
「もちろんいつもの傷薬や回復薬にも意欲的で…予想以上のスピードで量産してますよ」
「熱中するタイプだったか…?」

うーん、とワイナーが唸る。

「…金儲けしたいみたいです。まあ、ニーナちゃんの製品は効き目が凄いですからね、稼げますけど」
「金儲け?」

ライアスが雇ってから、十分な支払いをしてるつもりだったのだが。
住み込みでの生活なら余裕な筈だ。

「何か欲しいものでもあるのか…」
「喧嘩をされたと思った理由ですけど、ニーナちゃんはここを解雇された場合の生活を考えている様で」
「な…っ」

ティーカップが、ガチャンと揺れた。
何故ニーナは、自分が解雇されると思うのだろう。
ずっと側に居ろと、繰り返し言っているのに。
『お相手係』の言葉からして、身分差の事を気にしているのかもしれないが。
しかし心配せずとも、近い将来、誰もが認める存在になるはずなのに。

ライアスが机に突っ伏したまま動かないので、ワイナーは慌てていた。
要らん事を言ってしまったと心配した時、ふわりと柑橘系の匂いが、ワイナーの気を逸らした。
それと同時に、ライアスが飛び起きる。

『おい、マヌケ!』
「マ、マヌケ……って」

精霊にも久しぶりに会ったライアスなのだが、いきなりマヌケ呼ばわりで驚く。
前回は何だったか。

「あ、精霊たちですか?」
「ああ…なんか今日も説教されそうだ」

ライアスがワイナーにこそっと耳打ちした。

『ニーナを護るとか言ってるくせに泣かせやがって』
『まあまあ、マヌ…ライアスが全部悪い訳ではないしね』
『また…リリは甘いってんだ!』
「泣いたって…ニーナが?」

リリがライアスの前にふわりと降り、スノウ印の缶に座る。

『気付かなかった?』
「いや、何かあったとは思ったが…」
『ライアスが予想してる通り、ニーナは自分の身分を気にしてるよ』
「だろうな…」
『まあそれは最初からずっとだけど…ちょっとだけ配慮不足だね』

ライアスが配慮不足?と首を捻る。

『結婚式の日、早めにダリルと屋敷に帰したら良かったかも』
「……ひょっとして、エスコートの事か?」

気付くの遅い!とルルが悪態をつく。

『ご令嬢の手を取るライアス…輝く二人の姿を見て、ショックだったんだ』
「あれは断われなくて…」
『分かってるよ、仕方ない事だ。でもニーナは思い詰めて、今の生活を諦め出て行こうとまで思ったから』
「え、出て行く…って?」
『そうだよ。だから魔法でちょっとだけ思考をいじった』

精霊たちはニーナを大切にしているので、酷い事はしないと思うが…思考をいじったとはどういう意味か?

『ライアスへの恋心を、だよ』
「恋…俺への?」
『鈍いなあ。お前に恋してるから悩むんだろ』
「ニーナが…俺を、」
『今回の事で自覚しちゃったんだ。でも今ニーナに出て行かれると困るでしょ』
「ああ、俺は生きていけない」
『だから、その自覚を今は忘れてもらうよ。気持ちが加速するのをちょっと待たせて、今まで通りここで仕事を続けられる様に』

ライアスの頭の中では今、《恋》の一文字が飛び交っていた。
ニーナが恋をしている。自分に。
《お相手係》から《恋のお相手》だ。

ああ、ニーナを抱き締めキスしたい。
耳元で、愛してると囁きたい。

『コラ、マヌケ!』

ルルに、耳元で怒鳴られ現実に戻る。

『ニーナはお前を、仕事相手以上に見ないよう、自分に言い聞かせてる。殿下と呼ぶのも大目に見てやれ。だが油断すると誰かが拐っていくぞ』
「そ、そうだよな」
『そのうち、自然に魔法は解ける。その時ニーナを泣かせるなよっ』

ルルが説教する前で、ライアスはひたすら頷く。
ワイナーから見ると、何もない空間に向かい何度も頷くライアスは、殿下という威厳もない、ちょっとおかしな男だった。



『ところで…ニーナを呼んで来てくれる?』

リリがルルにもういいでしょ~と話かける。

「ああ、構わないが…?」
『そろそろ、私達の事も助けて欲しいんだ』
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