~一章~


~はじまり~




「今日からあなたの持ち場です。主様が戻られるまでに、身綺麗にしてメイド服も着替えて、ここで待機していなさい」
「え、えっと…これはどういう…」

この部屋の主様…の執事、ダリルから指示を受け、理解し難い状況ながらもハイ、と返事をした。

「急ぎなさい、ほら、使用人室はあちらですよ」
「…は、はい!」
「主様に、失礼のないように」

ダリルはそれだけ言うと、自分の仕事に戻っていった。
やせ形で背の高い、30~40歳代の男性で、一見気難しい感じの顔付きだが、話す時の口調は案外穏やかだ。
訳がわからない…と、また動きが止まりダリルの背中を見送っていたが、廊下の角を曲がり見えなくなった拍子に我に返る。

「おっと…早くしなくては」

言われた通り、身支度をしようと数メートル先の使用人室に入った。
ざっと見た所、使用人が数名で使用出きる広さと設備がついているが、現在誰かが生活している様子はない。
簡単な洗濯くらいならここでも出来そうだ。
簡易的な浴室で頭からシャワーをかぶる。汗をかいていたのは勿論、髪の毛には埃が絡み、スカートの裾とストッキングは濡れた跡が残っている。
先程からジメジメして冷たく気持ち悪かったので有難い。

バスタオルを一枚取り、急いで身体を拭きあげる。
しかし、汚れたメイド服をまた着る訳にはいかないので、どうしたものかと見渡すと、棚に洗濯済みか新品か…綺麗にたたんだメイド服が数枚重ねてあった。

…仕方ない、これをお借りしよう。
すみません!と呟きながら手に取り、それに着替え始めたのだが。

「こっ…これは…っ!?」

普段のものと同じく、黒に白いレースが付いたデザインなのだが、着用して全容が見え、思わず顔が赤くなる。

「なんでこんなにセクシーなの…」

生地の厚さなどは変わらないのだが、スカートが少し短めで、なんといっても胸元が強調されるデザイン。
広めにカットしてある為、ちょっと屈むと谷間が…谷間がっ。
屈まなくても、まず目に入るのはココだろう。
自分で言うのは何だが、けっこう胸は大きい方だ。形も良い方だと…思う。
これでは胸元をグイっと引っ張ると、たわわな胸がポロリと…。
これは失礼にならないのだろうか。

「こっちでは皆コレ着て仕事してるのかしら?」

一つ不思議なのはサイズがぴったりな事。
肩、腕、腰まわり、セクシーだけど胸元も丁度良い…たまたまなのかもしれないが。
髪を拭き、身支度して姿見の鏡でチェックする。いつもの明るい茶色の髪、緑がかった青い瞳、あまり高くない身長。
何度見ても、普通のいつものメイド。
胸元だけはセクシーなメイド。

色々信じられない…と頭を抱えながら廊下に出て、そんなに離れてはいない、先程の持ち場という部屋に向かう。
今、シャワーを済ませた部屋は、主様に付いている使用人の部屋なのだろう。
他にも侍女が居るのだろうか。
でもまだ、この辺りで誰とも擦れ違っていない。

「失礼します」

まだ会った事のない主様の部屋に立ち入る。あれから誰か訪れた様子はない。
豪華な家具が鎮座した、静まり返った部屋で一人立ち尽くす。

…私は、ここで何をするのだろう。



◇◇◇◇

今日の昼頃に遡る。
小さい頃から要領の悪い私は、毎日何かしら失敗をし、先輩や上司に怒られていた。
掃除をするとバケツをひっくり返し、おつかいを頼まれ出掛けると、途中でお婆さんの道案内で遅刻する、洗濯すれば干したものが飛んでいく…。
今日は特に酷かった…というか運が悪かった。

お城のメイドとして働いている私は、午前中のうちに渡り廊下の清掃を終わらせる様に言われていた。
しかし何かと上手くいかない私、その前の洗濯の仕事が長引いてしまい、廊下の清掃が間に合わなかったのだ。

生活魔法とか、便利なものを使えたら…と、ちょっとだけ頭の中で思い浮かべ、現実逃避する。
普通に街や村で生活している人達には使えないのだが、稀に魔力が高い人は、ちょちょいと水や火を出す事が出来る。簡単な掃除なんかも。
羨ましいが…無理なものは無理。

急いで終わらせようと、必死にモップで床を拭きあげ、バケツを抱えて戻ろうとした時…最悪の事態に。

その日は午後からの会議と食事会の為、陛下をはじめ、王家の方々がこの渡り廊下を通られる予定だった。
バケツを抱えた瞬間、三人の王子の内の…三番目のライアス殿下が、すでに廊下へ立ち入られていたのだ。
予想以上に早い。

お姿を捉え、慌てて端に避け頭を下げようとしたのだが、ここはお約束というか…見事にバケツをひっくり返し、床に汚水をぶちまけてしまった。

道中を汚し、殿下の足を止めてしまった私は、当然だがこれまでで一番怒鳴られ呆れられた。
仲の良い仕事仲間にも、今回は救いようがないと首を振られる程。
汚水をかぶる被害に合ったのは自分だけだったのが、せめてもの幸い。
殿下は何も言わずその場を去られ、どんな表情をされていたのかも分からなかった。

ま、お怒りか不快なお顔か…だろうけど。




「あなたは城の敷地の端にある、研究塔の屋敷に行ってもらいます」
「あれ…クビでは、ない…?」
「ライアス殿下に感謝するのですよ、クビにならなかった事。あちらでしっかり働きなさい!」
「はい…」

必死に怒りを抑えるが額の角を隠す事は出来てないという様な、メイド長からの最後の言葉。
もう、お会いすることはないかもしれない。

そして…クビを覚悟していた私は、何故かそうならず、この部屋で「主様」を待つ事になっている。
ダリル言う「主様」とは誰なのか。

陛下の三人のご子息、その三番目の王子が、今回廊下でお会いした方。
お会いしたというかご迷惑をおかけしたというか。
兄殿下が二人もいらっしゃる為か、あまり王位を継ぐ事には興味を持たれず、誰よりも強い剣技と魔力で戦線に出られたり、魔道具の開発に勤しんでおられるらしい。
城よりも、研究塔が隣接するこの屋敷で過ごされるのがほとんどと聞く。

屋敷は、勿論城までの大きさはないが十分豪邸と言える。
一階部分は食堂や研究員の方が寝泊まりするスペース、二階は会議室やイベントホール等。大規模な図書館もあるらしい。
三階から上はおそらく殿下が使用されるプライベート空間…。
そして、私が今待機している部屋は三階。
見渡すと、豪華な家具が並んでいる。ソファーから机、椅子、大きなベッド、色味が抑えられたもので派手さはないが、一目で高級品だと分かる。

「ここは…ひょっとして、」

頭を過る恐ろしい考え。
執事のダリルもメイド長も、誰のお世話をするのか口にしないので気にはなっていた。
いや、メイド長は知らないのかもしれない。
屋敷の通用口から入り、一階では数名のメイドを見かけたので、私もその人達と一緒に屋敷の掃除や、研究員の方々のお世話をする為に働くのだろうと思っていたのだ。

屋敷は敷地の端で、研究員は変わった方も多いし、時折変な叫び声も聞こえるという噂があり、使用人には働く場としてあまり人気がない。
粗相した罰として、希望者が少なく手が足りないここに送られたのかと。

クビになるより絶対良いと思ってたんだけど…。

「私がお世話する方って、もしかして…」

いやいや、まだ分からない。
ただ、謝罪と挨拶をしろという事かもしれない。
ドジな私を雇ってくださるのだ。必死に働けと怒鳴られるやも。
でも…醜態をさらした私ごときにわざわざシャワーをさせて着替えて、ここで待機とか……ナイよね!?

ガチャリ。

また、混乱する頭を抱え唸っていると、突然、扉が開く音が。
驚いて顔を上げると、直ぐ横の扉が
引かれ、コツコツと聞いた事のある靴の音。

自分の心臓がバタついている。
そして一人の人物が現れる…。

「あ……」
「ん?」
「で…っ、でんか…っ!?」

その人物は、もしかしなくても、あの三番目のライアス殿下だった。




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