その日は雨だった。
それは普段通りの日常だった。
よく晴れた朝、ダナスは母の手伝いを積極的に行い、父の代わりに母を守るのだ。
母よりも早く起きて洗濯物を片付け、朝食を準備し、仕事に行く父の荷物を準備する。
「ダナス、あんまり頑張り過ぎないでね?お母さん大丈夫だから。」
「母さんもう臨月なんだろ?俺がなんでもやってやるから、休んでろよ!」
「まぁ!頼りになるお兄ちゃんね!」
「任せとけって!」
張り切って家の手伝いを済ませると、母に昼食を用意してお使いに出掛ける。
そんなに時間も掛からずに買い物を済ませて家に帰ると、母はベッドで横になり、苦悶の表情を浮かべていた。
「か、母さん!?どうしたんだ!?」
「だ、ダナス・・・産婆・・・さんを呼んでき、て・・・」
浅く呼吸を繰り返す母に戸惑うダナスだったが、産婆と聞いて走り出す。
「待ってろ!すぐ呼んで来る!!」
近所に住む産婆はこの道30年のベテラン産婆だ。
すぐに産婆の家に着くと、産婆の腕を引いて急かす。
「なぁ婆さん!母さんが呼んでこいって!」
「わかったわかった。ダナス?赤ちゃんはそんなに早く産まれないんじゃよ?そんなに急がなくても大丈夫じゃ。」
「で、でも、母さんすっごく苦しそうで・・・!」
「お産ってのは苦しいもんなのさ。大丈夫大丈夫。」
やっとの事産婆を連れて帰り、すぐさま母の待つ寝室へ駆けて行った。
先程よりも顔色の良い母を見てほっと胸を撫で下ろすと、ベッド脇の椅子に腰掛ける。
「母さん、大丈夫か?」
「大丈夫よ。お産は時間がかかるの。ダナス、お湯を沢山沸かしてからお父さんに連絡してくれる?教えてあげなかったらお父さん拗ねちゃうから・・・」
悪戯っぽく笑う母を見て安心したのか、素直に指示に従い、お湯を沸かし始めた。
そこに産婆がやって来て大きな桶を台車のような物に置く。
「ダナス、ここに沸かしたお湯を入れてお母さんの所に運んで置いておくれ。わたしゃ椅子を用意するからね。頼んだよ?」
「わかった。それが終わったら父さん呼んで来る。」
「よく働く子だね。こりゃあお母さんも助かるだろうね。」
微笑ましそうに撫でられて照れたのか、少し耳を赤くしてフイっと鍋に視線を移す。
鍋をいくつも使って沸かしたお湯を桶に移し、それを寝室へ運んだついでに母の様子を見ると、また少し辛そうにしていた。
気になって仕方がなかったが、母の大丈夫と言う言葉を信じて父を呼びに走った。
「父さーーん!!」
遠くに父の姿が見て取れたので、大きく手を振りながら精一杯大声を出す。
その声に父が振り返り、満面の笑みを浮かべて出迎えてくれた。
「どうした?ダナス。母さんの手伝いはもう終わったのか?」
「手伝いは大体終わったけど、それどころじゃないんだ。母さん赤ちゃん産まれそうだ!」
「何っ!?す、すぐ帰るぞ!!おおーーーい!!」
慌てた様子の父が仕事仲間の所へ駆けて行って、帰る算段をつける。
仲間も快く送り出してくれて、親子揃って家に急いだ。
「母さん!今戻ったぞ!!」
父が母のいる寝室に入ろうとすると、いつの間にか集まった近所の奥さん達に止められた。
「ちょっと!今はもうお産が始まってるよ!お産の間は女だけだとダナスの時にも言っただろう!?」
「あ、ああ。すまない。アデルは大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。何もかも順調さ。あんた達はこの後の準備をしてな。」
「わ、わかった。何かあったら教えてくれ。」
「はいはい。」
近所の奥さん達に鬱陶しそうにされる父と共に外に出された。
何故お産は男が一緒だといけないのだろう?と不思議に思い、父に聞いてみると父は困ったような笑みを浮かべてダナスの頭を撫でた。
「うぅーん・・・お産の時は血がいっぱい出るし、母さんは苦しそうだし、お産の経験が無い男は邪魔になってしまうんだ。だから邪魔にならないように出ていなくてはいけないんだ。」
「血がいっぱい出たら母さん死んじゃうんじゃないのか!?」
「あ、だ、大丈夫だ!母さんは神様に愛されてるからきっと神様が助けてくれる!」
「神様に愛されてたら神様に連れてかれちゃうんじゃないか!?」
「はっ!?そ、そうか!それもそうだな・・・じゃあ母さんのお産が無事に済むようにお祈りしてくれるか?」
「うん!神様、母さんを連れて行かないで下さい。俺、うんと頑張ります。」
一生懸命に祈り、神様にお願いしておく。
赤ちゃんが無事に産まれますように。
母が無事にお産を終えられますように。
そんな事をしていると、近所のまだ若い奥さん達にどやされた。
「何やってるんだい!?奥さんが頑張ってるんだからあんた達は働きな!!ほら!お産の後には皆腹を空かせて出てくるんだから!!」
「あ、俺手伝う!何をすれば良い?」
「ダナスは南の森の中の方にある薄黄緑色の葉がついた木の枝を貰っておいで。木にお願いすれば一枝分けてくれるから。」
「え?木に?」
「そうだよ?今さっき頭が出たそうだから、頭が出たらすぐに行って、産まれる迄に持って帰れたらその子は精霊の加護が貰えるんだ。だから急いで行ってきな!!」
「わかった!母さんをよろしく!」
初めて聞いた話だが、南の森には確かにその特徴の葉を付ける木が一本だけある。
村の者には精霊の木と呼ばれていた。
あの木にそんな秘密があったとは知らなかったが、急いで行かないと日が暮れてしまう。
ダナスは今迄で一番急いで南の森の精霊の木にまで駆けて行った。
いつもなら歩いて一刻程かかるこの場所も、半刻も駆けたら辿り着いた。
火事場の馬鹿力と言うやつだろうか?
精霊の木に近寄ると、なんとも不思議な感覚になり、その場に跪いた。
何故かそうしなければいけない気がしたのだ。
「精霊の木よ。俺の母さんが赤ちゃんを産むんです。その大きな力を一枝分けて下さい。」
跪いて祈ると、どこからともなく風が吹いて、澄んだ笑い声が聞こえた。
「ふふふ、よろしくてよ?私達の力を貴方の弟妹に分けてあげるわ。その枝の力を授けられるのはその子が産まれるまでです。急いで帰って私達の力を分けてあげてね?」
澄んだ歌声のような声が響き、気がついた時には大きな枝が一振、腕の中に抱えられていた。
誰もいない筈の森の中で確かに誰かの声が聞こえたが、どこを見てもやはり誰も居なかった。
「・・・ありがとう!絶対産まれるまでに届けるから!届けられたらまたお礼しに来る!!」
そう叫ぶと、また笑い声が聞こえたような気がしたが今は時間が無い。
急いで駆け出すと、なぜだかいつもより足は軽く、あまり疲れずに走れた。
森に向かった時よりも早く家に帰り、枝を持って寝室へ急ぐ。
「あらまぁ!もう貰って来たのかい!?随分早かったね?」
「これを母さんの枕元にやらなきゃいけないんだ!」
「わかっているよ。さぁ届けてやんな。」
ダナスが急いで母の枕元に枝を置くと、母がその枝を握った。
すると、淡く枝が光り、その光は母に吸い込まれるように消えていった。
「良かった。これであんたの弟妹は精霊の祝福に守られるだろうよ。さ!用が済んだら出ておいで。まだ少しかかるからね。」
「わかった。おばさん達もありがとう。何か出来る事があったら言ってくれよ?」
「はいはい。本当に孝行な子供だねぇ。」
近所の奥さん達の邪魔にならぬように外に出ると、父が駆け寄って来た。
「どうだった?間に合ったか?」
「うん。枝が光って母さんに入っていって・・・きっと赤ちゃんにも届いたと思う。」
「そうか。よくやった!さすが父さんの自慢の息子だな!」
大袈裟に褒められて少し照れくさそうにしていたダナスだが、表情を引き締めて手伝いに取り掛かる。
どこで手伝いをしても若い奥さん達に褒められるので、少し居心地が悪かったが、少しでも手伝いたいと必死に動き回った。
ダナスが枝を持ち帰ってから半刻。
家の中から元気な産声が聞こえた。
無事に産まれた事を知らせる産声は、どんな歌よりも素晴らしい聴き心地だった。
安堵のため息をつくと、母の寝室からぞろぞろと奥さん達が出やる。
「ほらダナス!あんたの妹だよ!」
「妹・・・」
「お母さんも元気だよ。きっとダナスが持って来た精霊の枝のおかげさね。」
「うん!もう母さんに会っていいか?」
「いいよ。頑張ったお母さんをたんと褒めておやり?」
「わかった!」
急いで寝室に駆け込むと、ぐったりと横たわる母の胸に白い布で包まれた小さな赤ん坊が見えた。
驚かさないようゆっくり近寄ってみると、産まれたばかりの赤ん坊はしわだらけで、あまり可愛く見えない。
けれども、どうしようもなく愛おしいというのはこのような感情ではないだろうか?
母が黙ってダナスに赤ん坊を近付ける。
手が僅かに震え、そっと指で顔を触ってみると、小さな口をモゴモゴと動かし、身体全体を小さく震わせている。
「ダナス、抱っこしてみる?」
「えっ!?だ、大丈夫なのか?」
「大丈夫よ!ほら、ここをこうして、首の所を持って支えてあげて…そう。こっちの手はそう、背中を支えて…ほら、出来たわ。」
母の言う通りに赤ん坊を抱いてみた。
まるで羽根のように軽くて、暖かくて、柔らかい。
今にも壊れてしまいそうで緊張する。
だが、一度抱いてみると今までに感じた事の無い多幸感に包まれ、幸せだと素直に感じる事が出来た。
「…赤ちゃんってすげぇ…」
「フフ、そうね。可愛いでしょう?」
「うん。可愛い。…母さん、ありがとう。お疲れ様。」
「どういたしまして。フフフ、まるでお父さんみたいね!」
母が笑うと、近くで涙ぐんでいた父が更に酷くなった。
鼻水まで出始めた。
「ア、アデル!!あ、ありが…!ありがどうぅぅ!!」
「まぁ、あなたったら。お父さんがそんなに泣いていたら恰好がつきませんよ?」
「母さん、俺が父さんの代わりに頑張るよ。」
「何っ!?父さんだってこれからも頑張るぞ!…ははっ、アデル。本当にありがとう。」
父が真面目な顔をして母に頭を下げた。
母は笑いながらうんうんと頷くと、手を出してダナスの腕から赤ん坊を取り上げた。
もっと抱いていたかったのか少し不満気な顔をしたダナスだが、文句は一切言わない。
赤ん坊も母の腕の中の方が良いだろうと気を使ったのだ。
ふと父を見やると、神妙な顔つきで母と頷き合っていた。
「ダナス。今日はよく頑張った。お前のおかげでこの子は精霊の加護を授かり、多大な魔力を手に入れた。」
「えっ!?魔力!?」
「そうだ。精霊の加護は魔力を得るために必要なんだ。」
「じゃ、じゃあ精霊の加護が無いと魔力が無いのか?」
「いや、魔力は皆が持つ物だ。けれど、精霊の加護がある者は他の人よりも多くの魔力が芽生える。」
「へぇ…」
「だが…」
父の声色にダナスが顔を上げると、父は深刻そうに眉を寄せていた。
こんな顔をする父はあまり見たことが無い。
森に大きな魔物が出た時でもこんなに深刻な顔はしていなかった。
「精霊の加護はそんなに簡単に得られる物ではないんだ。それも、こんなに完璧な加護は父さんも見た事が無い。」
「え?どういう事だ?精霊の木の枝を持ってくればご加護は貰えるんだろ?」
「簡単に言えばそうだが、父さんが教えてもらった話はちょっとだけ違うんだ。」
「どう違うって言うんだよ?」
「良いか?こんな話がある。力を得んとする者よ、祈り、澄んだ歌声により精霊の器を得よ。精霊より賜りし器にて祈れば汝の願いは叶うだろう。って話だ。」
「?」
「力が欲しいならお祈りをして精霊の器を手に入れて更に祈れば力が貰えるって事だ。」
「精霊の木の事だな?なんだ、そのまんまじゃないか。」
何か恐ろしい話でもあるんじゃないかと戦々恐々としいたが、蓋を開けたら今日の出来事そのままだった。
ダナスは安心して父に話し出した。
「ビックリした。俺が上手く出来てなかったから駄目なのかと思った。ちゃんとお祈りもしたし、歌みたいな声も聞こえたし、枝も貰えて産まれる前に母さんに渡せたし…あ、その後にお祈りも出来たから全部ちゃんと出来てたんだな!こんな大事な事なら父さん先にやり方教えておいてくれても…」
にこやかにダナスが話していると、父が血相を変えてダナスの肩を掴んだ。
あまりの勢いにビクッと震え、恐る恐る父を見上げた。
「と、父さん…?」
「ダナス!今…今なんて言った!?」
「え?だ、だから父さんが先に…」
「違う!精霊の声を聴いたのか!?風の音ではなかったのか!?」
「あ、ああ…お祈りしたら、力を分けてくれるって…産まれるまでに届けないと分けてあげられないから急げって…」
父は呆気にとられた顔をしてダナスを掴んでいた手の力を緩める。
母は驚いた表情で固まっていた。
何か悪い事をしてしまったのだと悟ったダナスは、焦りと恐怖からどんどん涙が溢れてくる。
何を間違えてしまったのだろう?
あの声を聴いた事はいけない事だったのだ。
そう思ったダナスは、恐る恐る父を見上げ、震える口を開いた。
「と、父さん…ごめ、ごめんなさい…俺、知らなくて…」
謝ってみるが、不安や恐怖に押しつぶされそうになる。
(俺のせいで妹はきっととんでもない事になったんだ。父さんも母さんも怒ってるんだ…)
ダナスの声に正気を取り戻した父が、慌ててダナスを抱き締めた。
ダナスはまだ6歳の子供だ。
不安で身体を小さくして震えている。
自分が動揺しているせいだと気付き、優しく撫でながらダナスを落ち着かせた。
「ダナス。精霊の声を聴いたのに驚いただけで怒っている訳ではないんだ。いいか?普通は精霊の声も聞こえないし、木の枝を一枝切って持ち帰るんだ。それを母親に握らせるとほんのり光って、赤ちゃんに力を…魔力を授けてくれると言われてるんだ。」
「…うん…。」
「きっとダナスが一生懸命枝を切って来てくれたから精霊が沢山力を分けてくれたんだろう。」
「…?父さん、俺、枝切ってない。声が聴こえて、気がついたら枝を持ってたんだ。」
「!?…驚いた。切る必要もなかったのか!どうりでやけに早く帰ってきたんだな。普通は枝を切るのに苦労するんだ。細い枝なのに全然切れなくてなー」
父はダナスが産まれた時の事を話してくれた。
枝を切りに行ったら一際大きな枝が見えて、欲張ってその枝を切り始めた。
そしたら全然切れなくて仕方なく違う枝にしようとしたら急に強い風が吹いて切ろうとしていた枝が父の上に降ってきた事。
これ幸いとその枝を持って走って帰ったが、来る時に全力疾走してしまったせいかなかなか家につかない。
もう間に合わないんじゃないかと思い始めた時に、柔らかい風が吹いてその風が木のうろを通って音楽のように聞こえた事。
それで元気が出て、急いで家に帰ったらなんとかギリギリ間に合って、ダナスに加護を与えられた事。
近所ではいつも失敗していて、村の皆が驚いていた事。
父が笑いながら面白可笑しく話してくれたので、ダナスも自然と笑顔を取り戻した。
母も緊張が解れたように笑い、日常が戻ったように感じた。
「…ダナス。良いか?これから大事な話をする。」
「!…うん。」
「さっきも言ったように、お前の妹の魔力は普通の人よりも大きい。それはお前が頑張って精霊の加護を渡せたおかげだ。ありがとう。」
父に褒められてやっとダナスの緊張がなくなった。
父は沢山笑わせてくれたが、まだどこかで自分のせいで妹が大変な目にあっているのでは?と疑っていたのだ。
「だが、お前の妹の魔力は大き過ぎる。赤ん坊の今でさえすでに父さんや母さん以上の魔力がある。」
解けた緊張がまた一気に高まる。
やっぱり…と、泣きべそをかきそうになるのを必死で我慢して、父の話を聞いた。
「魔力が大きい事はとても良い事なんだ。でも、良い事過ぎるんだ。実はお前の…」
「ダレン、そこからは私が話すわ。」
「アデル…」
普段あまり自己主張しない母の真剣な顔つきに、父は黙って場を譲った。
母はいつもお嬢様のようにお淑やかで、いつも微笑んで弱みを見せない人だった。
料理が得意じゃなくて、お茶を淹れるのが上手で、聞き上手。
近所の奥さん達の相談役で、力は無いけど頭の良い人だ。
「ダナス。お母さん本当は貴族なの。」
「きっ!!?」
「モンテール侯爵家の長女で、アディエル・フォン・モンテール。それがお母さんの本当の名前なの。今迄黙っていてごめんなさいね?」
「う、うん…驚いたけど…何か理由があったんだろ?」
「そうね。実はお母さんとお父さんは駆け落ちして来たの。」
「駆け落…!?な、なんで…?」
「私がお父さんに恋をしてしまったのよ。あらやだ、息子にこんな話をするのは恥ずかしいわね?」
母はほんのり頬を赤く染めて、父と母の事情を話してくれた。
親の決めた結婚の為に王都へ行かなければならない母が乗った馬車が盗賊に襲われ、護衛も多勢に無勢で残りは母一人、もうどうしようもなくなった時に腕利きの冒険者だった父と父の仲間に助けられたそうだ。
そこで恋に落ちてしまった母は父について行ってしまった…と話してくれたが状況がよくわからなかった。
「なんで父さんそのまま連れて来ちゃったんだよ…」
「だって母さん美人だし、あんなに好意を寄せられて頷かないのは男が廃るってもんだろう?」
「はぁ…」
子供ながらにダナスは知っていた。
貴族と庶民が結婚出来ない事も、そもそも出会う事すらほぼ無い事を。
そんな状況で生涯を共にする事を決意したからにはそれなりの覚悟が必要だったのだろうと思ったのに、父からは残念な話を聞いてしまった。
仕方の無い事だろう。
いつも考えるのは母で、父は専ら身体を動かす専門なのだから。
「それでね?貴族って言うのは魔力を特に気にするの。魔力は多い方が偉いと思っているの。」
母が言うにはこうだ。
貴族の家系は元を正せば精霊の加護を沢山貰ったご先祖様がいる家の事らしい。
ご先祖様は精霊と意思を交わして力を得て様々な事を成し遂げた事で人々から賞賛されて貴族と言う物が出来たらしい。
代々貴族家は続いていくが、強い精霊の加護を持った子が産まれるのは珍しい事で、どの貴族も加護を持った子供が欲しい。
そこで今回の事である。
今やもう母は貴族ではなくなったが、精霊の加護は話が違う。
これだけ強い加護を持っていればその内貴族にしられて妹は連れて行かれてしまうかもしれない。
父も今や冒険者を引退して農夫をしている。
毎日鍛錬しているが、歳には勝てないらしい。
以前よりもずっと力が弱くなっているのを感じているのだ。
「…。じゃあどうしたらいい?俺は何が出来る?」
「誰にも妹の加護の話をしないで欲しいんだ。母さんは元々貴族だったからか他人の魔力を測る事が出来たが、皆が出来る訳じゃない。きっと村の皆も気づいていないだろう。だが、お前は違う。お前も精霊の加護がある。きっともう少し成長したら同じ加護を持つ者同士で力がわかるようになってくる。」
「なんでさ?」
「俺がそうなんだ。俺はここではない所で加護を受けたが、加護を受けた人を見るとなんとなくわかる。以前王都で国王様を見る機会があったが、あの人は凄かった。どれだけの加護を受けたのかわからない位に力を纏っていた。正直、冷や汗が出て怖くてまともに見れなかったよ。」
「…。妹もそうなるのか?」
「いや。この子が纏っているのは優しい力だ。この子を守っているんだろうな。恐ろしいような事はないよ?」
「良かった…じゃあ俺は誰に聞かれても知らないふりをしておけばいいんだな?」
「そうだ。加護持ちの奴なんてこの辺にはそうそういるもんじゃないから大丈夫だとは思うが、誰にも話すんじゃないぞ?」
「わかった。約束する。」
真剣な顔で向き合い、父と右の拳をあてあった。
男が約束をする時には右の拳をあてあって、喧嘩をする時には左の拳で始めるのだ。
もっと小さい時に父が言っていた。
この約束は大事な約束だから、自分の拳を賭けて守る。
そう決意をした時、母があくびを一つ漏らした。
「あら、ごめんなさいね?ちょっと疲れが出たみたい。」
「母さん、無理しないで休めよ。片付けは俺がやっておくから。赤ちゃん産んだら暫くは動けないんだろう?しっかり休まないと力が戻ってこないぞ?」
「はいはい。ダナスがいて助かるわ。大変だけどよろしくね?」
「わかった!任せとけ!」
ダナスは軽く部屋を片付けて台所に向かった。
この後夜も更けて村長が鐘を鳴らしたら皆がお祝いに来る。
それまでに軽食を準備しなければならないのだ。
ダナスが精霊の木に行っている間に父が進めてくれていたが、父が出来るのは精々パンに具を入れる位だ。
ダナスは手早く料理を準備していく。
幸い、極近所の人達がお産の手伝いをしてくれた時にお祝いに沢山食べ物をくれたので食材は十分にある。
先日父が仕留めてきた鹿肉もまだたっぷりあるし、母にも力を付けて欲しいので張り切って料理に取り掛かった。
暫く経ち、夜も深まった頃にカーンカーンと鐘の音が鳴った。
村長が鐘を鳴らしたのだ。
これから客が沢山来る筈だとダナスは慌てて確認を始めた。
「大人達が飲むお酒はここにあるし、子供の飲み物もある。料理も沢山用意したし・・・あ、村長の席に敷物を敷かなくちゃ!」
慌ただしく準備を終えた時、ドア叩く音が響いた。
「今開けるよ!」
ダナスは急いで扉に駆け寄り開くと、村長を筆頭に村の皆が来ていた。
「ダナスよ。お父さんはいるかい?」
「こんばんは、村長。父さんは庭です。食事と飲み物を準備しておきましたので、是非寄って行って下さい!」
満面の笑みで母に教えられた言葉を村長に話す。
すると村長は細いけれど大きな手でダナスの頭を撫でた。
「ふぉ、ふぉ、ふぉ。ダナスは本当に素直な良い子じゃな。どれ、お父さんの所へ案内してくれるか?」
「はいっ!」
村長はダナスにとって特別な人だった。
父と母が若い時、この村に来た時に村長にはとても世話になったと言っていた。
それに、自分も小さい時からずっと世話になってきた。
母病気になった時、隣村に医者がいると教えてくれたのも村長だった。
どんな時にも親切でいつ会っても笑顔の老人だ。
その老人の手を引き、父と母が待つ庭へ案内する。
後ろから村民が皆ついてくる。
ダナスも以前2,3回他の家にお邪魔した事がある。
子供が産まれた日の夜に村人全員集まって子供の名前を決めるのだ。
前回の時はダナスが考えた名前が採用された。
それをとても誇らしく思っている。
「村長、よくいらっしゃいました。」
「ダレンよ、今日は本当に喜ばしい日じゃ。アデル、よく頑張ってくれた。」
村長はまるで自分の事かのように嬉しそうに父と母を見やる。
そして、くるりと振り返って村民全員に向けて話し始めた。
「今日はダレンとアデルの二番目の子の誕生を祝い、精霊の祝福に感謝する日である。皆も二人の子を同じ村の仲間として迎え、より良い村を目指そう。」
村長がそう言うと、皆が大きく返事をした。
この村の皆は優しく思いやりのある人々ばかりだ。
「それでは命名を行う。ダレンの二番目の子じゃ。よって、ダレンの二文字目のレを取り、皆で良き名前を考えよう。」
村長の合図に皆が色々な名前を出し始めた。
レティシア、レルート、レビアート…
様々な名前が出た後に、村長がじっと妹を見て口を開いた。
「レナーデはどうだろうか?ダレンのレ、ダナスのナ、アデルのデ。すべて二文字目を取って並べたのじゃが…」
村長の言葉に皆がおお、と声を上げた。
どうやら満場一致で決まったらしい。
レナーデ
それがこれから妹の名だ。
妹の顔を覗き込んでみると、すやすやと眠っている。
「レナーデ。お前の名前はレナーデだ。大丈夫。兄ちゃんがお前を守ってやるからな?」
それからもダナスは精力的に働き、父や母、妹の為に努力を怠る事はなかった。
そして、瞬く間に一年が過ぎ去った。
妹は少しずつ言葉のような事を言ってみたり、二本足で立ったり、数歩歩いてみたりと毎日が驚きと喜びで溢れていた。
「レナ!こっちだ、こっち!にぃにの所においで!」
「いや!レナ!パパだぞ~パパの所においで~」
二人の男が赤子を前に腕を拡げる。
レナーデは二人を交互に見て、少し悩んだが、笑顔でダナスの方へと歩いて行く。
今にも転んでしまいそうでハラハラしたが、無事にダナスの胸に飛び込む。
「よーし!レナは良い子だな!兄ちゃんと遊ぼうな!」
ひょいとレナーデを抱き上げ、にっこりと笑ってやると、レナーデも嬉しそうに声を出して笑った。
それを見て哀れな父親がハンカチを噛んでいた。
「ぐぎぎぎぎ・・・なんでいつもダナスなんだ!?」
「父さんは必死過ぎるんだよ。なー?レナ?」
当のレナーデは知ってか知らずかニコニコと機嫌良さそうにダナスの頬を撫でていた。
最近のレナーデはこれがお気に入りらしく、いつもダナスの頬を撫でていた。
「レナは本当にダナスの頬が好きなんだな?」
「なんでだろう?」
「柔らかくて触り心地が良いのかもな。」
ダナスにもそれは理解出来た。
レナーデの頬はずっと触っていても全く飽きない。
レナーデが飽きて嫌がるまでは触っていてしまう。
家族三人じゃれ合いながら過ごしていると、奥から母の呼ぶ声が聞こえた。
「みんなー!ご飯よー!」
母の号令に従い、食卓まで足を運んでみると、一年前とは打って変わって母の料理はメキメキ上達していた。
と、言うのも。
一年前の命名の日、やたらと豪勢な食事内容に村の皆が母が用意したのだと思い、母に無理をしないように言った事が発端だった。
母は当然のようにダナスが作ったのだと言い、普段からダナスが食事を用意していた事が判明し、母の料理下手も露見したのだ。
そこからは近所の奥さん達が母の為に料理教室を開いてくれてなんとか母も食事を用意出来るようになっていた。
ダナスは近所の奥さん達の料理をするのを見て覚えたが、母に教えるのは大変だった筈だ。
まずどの調味料がどんな味になるのか分からないと言った様だったからだ。
ダナスも料理を覚えてからは母に教えていたのだが、子供が教えるには荷が重過ぎた。
近所の奥さん達のおかげでダナスの仕事は一つ減り、その分森で採集を行うようになった。
キノコや木の実、薬草等を取ってきて食事の足しにするのだ。
今までは家の事で忙しかったが、今は母に任せて行ける。
朝食を手早く済ませると、大きめのバッグを二つ肩から下げて、外に向かう。
その後ろを母と妹がついてきて送り出してくれる。
「ダナス、無理はしないでね?森には危険な動物も、魔物もいるのだからね?」
「分かってるよ。レナ、兄ちゃん行って来るな?レナの好きな木の実を探してくるからな?」
「にぃ、にぃ!バーバイ!」
「うん、また後でな!」
妹の笑顔に癒されて、森へと駆けて行く。
今日は母が弁当を持たせてくれたので昼に帰らなくても一日森に居られる。
皆の為に沢山収穫するんだと張り切っていた。
いつもは森の入口辺りで採取をして帰るのだが、今日は少し奥まで来た。
ここまで来ると小さな魔獣が出てくるのであまり入らないように言われているが、ダナスはもう小さな魔獣位なら一人で対処出来る。
腰に刺したダガーを一撫でして確かめると、早速採取を始めた。
この時期は薬草がよく採れる。
これからレナーデも動き回って小さな怪我が増えるだろうし、沢山採って塗り薬を作らなければ。
それにお腹が痛くなった時に食む薬草も必要だし、熱が出た時の薬草も多めに必要になるだろう。
それに、今の時期に採れる木の実は甘い物も多いからジャムにしたらさぞ喜ぶだろう。
などと、ダナスの頭の中は妹の事で一杯だった。
それに、母も最近よく働いて無理をしがちなので、疲労回復に良い薬草や、栄養価の高い木の実を沢山採らねば。
きのこもお腹に溜まるので沢山あった方が良いだろう。
父は…放っておいても丈夫だから大丈夫だろうとあまり気にしなかった。
来る時に持って来たバッグが一つ一杯になった頃、ふと空を見上げると太陽が真上まで来ていた。
そろそろお昼ご飯を食べようと立ち上がった時に気がつく。
ここはあの精霊の木の近くだ。
そう言えばお礼に来ようとずっと考えていたが、中々時間が作れずに時間ばかりが経ってしまっていた。
丁度いいとばかりに、周りを見渡して甘くて美味しい木の実と、美しい花を集めてもう一つのバッグに詰め込む。
そのまま少し歩くと精霊の木が見えて来た。
精霊の木はあの日のようにダナスを迎えてくれた。
ダナスはその場に跪き、手を組んで祈る。
「精霊の木よ。お礼が遅くなってごめんなさい。貰った枝のおかげで元気な妹が生まれました。もう歩けるようになりました。お礼に美味しい木の実と綺麗な花を持って来ました。どうぞお納めください。」
バッグから先程採取した木の実と花束を出して精霊の木の根元に置く。
すると、僅かに笑い声が聞こえ済んだ風がダナスの家のある方向へ通り過ぎた。
きっと精霊が祝福してくれたに違いない。
ダナスはその場でバッグから弁当を取り出して食べ始めた。
「幾千幾何の生命の元、この食事を賜ります。」
母が一生懸命作ったであろう弁当は雑穀パンの中に濃いめの味付けの具が入っている割とポピュラーな弁当だ。
ダナスもよく父に作って持たせてやっていた。
それを今は母が自分に作ってくれているのはとても不思議な気分だった。
そのパンを一つ食べ終えると、軽くバッグの中を整理する。
薬草類と食料を分け終えると、ダナスは立ち上がって午後の最終に出かけようとしていた。
その時だった。
先ほどまで凪いでいたいた風が、急に木々の葉を散らせながら強く吹いた。
急な出来事に腕で顔を庇うが、風は一向に止まない。
不審に思って腕をそっと下ろしてみると、ダナスの周りだけ風が渦を巻いていた。
「ダナスよ、私達の愛しい子。貴方が守った命が心無い者に持ち去られようとしています。早く…早く、走るのです。走って家に戻りなさい。私達が貴方に力を授けます。家に帰るまでは持つでしょう。」
「なに?なんだって?」
「さぁ!早く帰りなさい!私達は直接手を出せないのです!さぁ早く!」
以前と同じように、姿は見えない声がダナスを急かす。
それと同時に、風がグイグイとダナスの背中を押していた。
「わかった!わからないけど、家に帰ればいいんだな!?」
「早く!貴方の妹が…!」
「!?レナっ!!!」
妹と言う言葉に大きく反応してダナスの足がグンと前に出た。
いつもより数段早く走れている。
きっと精霊の木がダナスを手伝ってくれているのだろう。
グイグイと背中を風が押して、まるで本当に風になったかのように早い。
「ダナス、私達が行けるのはここまでです…貴方と、貴方の妹の無事を祈ります。それと、私達の仲間が近くにいます。助けてくれるように頼みましたが…」
「わかった!精霊の木よ、ここまでありがとう!このお礼は必ず、必ずするから…!」
村にほど近い場所まで辿り着いたが、ここからは自力でなんとかしなければならないらしい。
一体妹に何があったのかもわからず、無我夢中で村に走った。
村に近づくにつれて辺りに何か燃えているような匂いが立ち込めていく。
「っ!火事かっ!?」
やっとの思いで村に辿り着いたが、村のあちこちが燃えていて、村人はあちらこちらへと逃げ惑っていた。
そこに、隣の家のおばさんが走って来て、ダナスを捕まえる。
「ダナス!無事だったんだね!?さ、アタシと一緒に来な!」
「おばさん!何があったんだ!?」
「アタシにもよくわからないのさ!突然見慣れない馬車が来て、それについてきた馬に乗った男達が村に火をつけ始めたのさ!それであんたの家に馬車から降りた身なりの良い男が入って行くのを見たけど、それだけなんだ!」
「なんだって!?じゃあ母さんやレナは!?」
「それが…」
「俺は家に行く!俺の事はいいから、おばさんは逃げて!!」
ダナスはおばさんの手を振り払い、家に駆けだした。
「ダナス!ダナスーー!!!」
後ろからおばさんの大きな声が聴こえたが、ダナスは振り返らずに腰にさしたダガーを抜き取りながら走った。
(きっと父さんや母さんが言っていた貴族がレナを奪いに来たんだ!)
ダナスは家まで無我夢中で走った。
途中、沢山の村人がダナスを止めようとしたが、ダナスは誰の手も取らずに家に向かって走る。
家の前まで辿り着くと、家の中にも火が回っているのだろう中から黒い煙がもうもうと立ち上っている。
ダナスは家の前にいつも置かれている桶の水を頭から被ると、火事を物ともせずに家の中に入って行く。
「レナ!!母さん!!!どこだ!?」
家のあちらこちらが燃えだしたところのようで、幸いまだ先に進める。
家の奥にある母の寝室まで辿り着くと、寝室のドアは火事のせいか固く、なかなか開けられない。
あちらこちらが燃えたせいで家が歪んだのだろう。
仕方なくドアを蹴り、壊していく。
まだ小さいダナスの力では一度では壊れず、何度も何度も蹴ってやっとこさドアを破壊した。
火は確実に家を飲み込み出していて、一刻も早く外に出なければ皆焼かれて死んでしまう。
ドアを蹴破ると、どこからか焼けた柱が倒れて来た。
いよいよ急がねばと考え、部屋に目をやった時だった。
部屋に入って正面奥の壁にもたれ掛かる2つの影が見えた。
一つは女。もう一つは男。
女を背後に庇うように男が座り込んでいた。
「父さん!母さん!!」
ダナスは無我夢中で駆け寄った。
その声に父が僅かに身じろぐ。
「だ…ナス…」
父の腹には深々と鈍く光る剣が突き刺さっている。
明らかに誰かに刺されたのだろう。
父がダナスに手を伸ばそうと腕を持ち上げると、酷く咳き込んで口から血を吐き出した。
傷が臓腑まで達しているのだろう。
床は真っ赤に染まり、衣服をじっとりと濡らしていた。
「父さん!なんで!?どうしてこんな事に!!」
「ダ、ナス!すぐ、にげ…るんだ!ヤツら、お前も…!ぐっ!」
「そんな…!レナ…レナは…!?」
「レナは…ヤツらに…」
「くそっ!!助けに…」
「ダナス!!レナは大丈夫だ!お前は…ゲホッ!」
父はダナスの袖口を握り、走り出そうとしたダナスを止めた。
その衝撃のせいか、また血を吐き出し苦しそうに呻いている。
「父さん!今…今外に!!」
まずは女の母を運びだそうと母の手を伸ばそうとすると、父に遮られた。
何事かと父を睨むと、父は静かに首を振る。
その意味に気がついて、ダナスの顔は絶望に染まる。
「ダナス…俺ももうここまでだ…もう目も殆ど見えていない…最期にお前に、会えて…本当に良かった…レナは、殺される事は無い。お前が、大きくなったら、助けて…っ!」
「父さん!そんな事言うな!!直ぐに外に連れて行くから!」
「聞け、ダナス。お前は大きくなったら冒険者になれ。そしてS級まで伸し上がるんだ。そうすれば、貴族でも易々とは手が出せない…それまで、カレンディアの所に…っ行くんだ。カレンディアなら、お前を冒険者にして、くれる。わかったか?」
「…。わ、わかった。」
「よし。まずは逃げろ。お前も、狙われてる。ヤツらは母さんが嫁に行くはずだった貴族だ。ベーゼヴィヒツ家の…ヤツらが追い掛けて来なくなったら、カレンディアの元へ…」
「わかった!わかったから!と、父さん!俺、父さんの息子で、良かった!!母さんの息子で良かった!」
「ああ…ダナス。俺も、母さんも、ダナスは自慢の息子だ。不甲斐な、い父親で、悪かっ…」
「…父さん?父さん!!?」
父はそれからダナスの呼びかけに答える事は無かった。
ダナスの目からは止めどなく涙が溢れていたが、このまま火に焼かれる訳にはいかない。
妹を助けなくてはならないのだ。
ダナスは乱暴に涙を拭うと、父の腰にかかった剣を手に取り、父と母の亡骸に強く抱擁をすると、外に向かって走り出した。
外に出ると、村人が何かから逃げ惑っているのが見えた。
遠くから怒号が聞こえる。
「ダレンの息子を出せ!!さもなくばこの村を全部焼き払うぞ!!」
「ダレンの息子はいない!暫く前に村を出たのじゃ!」
あれは村長の声だ。
助けなくては…と走り出そうとするのを誰かに引っ張られて止められた。
「誰だっ…!!」
大きな声を出そうとすると、口を塞がれた。
隣の家の奥さんだった。
その背後には沢山の村人達が集まっていた。
「ダナス、私達は大丈夫だ。あんたは逃げな!ダレンにあんたの事を頼まれてるんだよ。なに、村長はあたしらが助けておくよ。」
彼女はそう言うと、ダナスを茂みの方へ押し出した。
「逃げなっ!あんたが居なけりゃあたし達はどうとでもなる!!走るんだよ!足が動かなくなるまで出来るだけ遠くに!」
「おばさん…ありがとう。ごめん!」
ダナスは茂みを掻き分けて奥へ奥へと駆けていく。
脇目も振らずにただただ村を離れるように必死に足を動かし続けた。
暫く走り続け、足はもう棒のようになっていた。
木の根に足を取られて転び、それでもまだ起き上がる。
そこに、ガサガサと草を掻き分ける音が聞こえる。
「クソっ!子供一匹まだ見つけられねぇのか!」
「っ!」
その音は村を襲った者達がたてている音だった。
ダナスは茂みにしゃがみこみ、口に手を当てて深呼吸をする。
ガサガサと言う音はもうすぐそこまで来ていた。
「なぁ、子供がこんな遠くまで逃げて来れるか?俺達だって馬を使って来たんだぞ?」
「精霊の加護がある子供だ。普通のヤツよりずっと速いだろうし体力もあるだろう。この辺り位には来れる。…ほら見てみろ。まだ新しい足跡があるぜ。」
自分の鼓動がこんなに煩いとは思わなかった。
奴らが来る。
草を分ける音はもうすぐそこに迫っていた。
「ほら、ここにも足跡がある。転んだんだろうな。間違いなく子供の足跡だ。こんな森の奥に子供が来るか?この足跡を辿ればすぐ追いつける筈だ。」
その声を聞いたダナスはすぐさま走り出す。
「!?いたぞ!捕まえろ!!」
足跡を探っていた男が周りを調べていた男達に号令を出す。
男達の足音がどんどん近付いてくるのが分かる。
ダナスの鼓動も早くなり、後ろから聞こえていた足音はもうすぐそこまで来ていた。
「っ!やめろ!止まれ!その先は…!!」
すぐ真後ろで男の声が聞こえた時にはもう既に手遅れだった。
茂みを分けて足を出すと、そこには地面が無かった。
大きくバランスを崩してダナスが落ちていく。
ダナスが最後に見えたのは顔を青くした男が崖の淵から手を伸ばしている所だった。
一体どれくらい経ったのだろうか?
ダナスが目を覚ますとそこはまだ森の中だった。
急いで起き上がろうとすると脚に激痛が走る。
崖から転落したせいで脚を怪我したらしい。
そう言えばあちらこちらが痛んでいる。
ダナスは堪らずその場に倒れ込んだ。
「いってぇ…ここは…」
辺りを見回すと、そこはダナスもよく知っている森の中だった。
精霊の木の近くだ。
ダナスが大きく溜息を吐くと、遠くから声が聞こえた。
きっと奴らが崖を回って此方に向かっているのだろう。
痛む脚をなるべく動かさないように近くの木にもたれ掛かる。
男達の声は少しずつ近付いて来ている。
「ダナス…」
男達の声の中に別の声が聞こえた。
この声は聞き覚えがある。
精霊の声だ。
「精霊様…?」
「ダナス、やっと聞こえたのですね。追手が来ています。とにかく私の元に来るのです。」
「…精霊の木に?」
「そうです。そうすれば貴方を護ってあげられます。さぁ、彼等が来る前に私の元へ…」
精霊の声を信じ、ダナスはもう少し気力を振り絞る事に決めた。
父の剣を杖代わりに足を庇いながら精霊の木を目指す。
段々と痛みを感じなくなって来ていた。
意識も朦朧とし始めるが、ダナスは懸命に歩を進めた。
やっとの思いで精霊の木まで辿り着き、木の根元に腰を下ろす。
「ダナス、よく頑張りました。彼等はここへ入って来る事は出来ません。少し休みなさい。」
「精霊様…ありが…」
ダナスは意識を手放す。
父の剣を傍らに、ゆっくりと身体が横たわる。
身体のあちこちから血を流し、顔色も悪い。
血が流れ過ぎたのだろう。
そこに、美しい翡翠の髪をした女が現れた。
何も無い所からふわりと漂うように現れ、ダナスの頭を撫でる。
「ダナス…私の愛しい子よ。可哀想に…お前の母がこんな姿を見たら悲しむでしょう。ですが…今の私ではこれくらいしかしてあげられません。もう少し辛抱して下さい。」
女はダナスの頭を撫で終わると、風に流されるように消えていった。
暫くするとダナスは目を覚ました。
身体を起こすと先程より痛みが少ない。
「…。精霊様が俺の怪我を治してくれたのか?」
「…いいえ。私では少し傷を塞いで、血を分けてあげる事しか出来ません。今の私の力はとても弱くなっているのです。その上、ここに結界も張ったので、しっかり治してあげることは出来なかったのです。ごめんなさいね?」
「精霊様、ありがとうございます。大分痛みは良くなりました。精霊様がいなかったら俺…きっと死んでいました。」
「そう…本当は貴方の家族も護ってあげたかったのですが…ごめんなさいね…」
「…。精霊様のせいではないです。俺が…弱いばっかりに…」
最初は笑顔だったが、段々と表情は変わり、目には涙が溜まっていた。
父は死んだのだ。
家族を護る為に自ら盾となり。
母は死んだのだ。
愛する父に庇われながらも気丈に振る舞い最期までダナスやレナーデを想いながら。
ダナスはそのまま泣き続けた。
足が痛むのなんてどうでも良い。
男達に追いかけられても良い。
ただ家族皆で笑っていたかった。
家族皆で生きていたかった。
一度流れた涙は留まる事を知らずに、ダナスは声を上げて泣いた。
風はそれを優しく包み、柔らかく慰めていた。
暫く声を上げて泣いた後、まだしゃくりあげながらもダナスは泣き止んだ。
両親の死を嘆くのはここまでだ。
これからは妹を助けなければならない。
ダナスは空を見つめて袖で涙を拭った。
そこにまた草を分ける音が聞こえた。
先程の男達のように乱暴に分ける音ではない。
ゆっくりと歩いている音だ。
警戒しながらそちらを見やる。
そこには現れたのは細身で優雅な身のこなしをした男だった。
男は広場サッと見回した後、ダナスの元に颯爽と歩いて来る。
やけに堂々としていて、それだけでやんごとなき身分の者だと分かる。
「大丈夫よ。彼は貴方の敵ではないわ。」
「精霊様…」
精霊の言葉にダナスは安堵した。
精霊が言うのだから間違いない。
だが、どうしても身体は強張り、つい男を睨みつけてしまった。
暫く男と話していたが、途中から足の痛みがぶり返して来た。
それに何だかぼんやりとしている。
この男は精霊の言う通り安全そうだ。
そう確信したらとても眠たくなってしまった。
ダメだと分かっていても身体は言う事を聞かず、男の方へと前のめりに倒れて行く。
意識が薄れゆく最中、自分の身体を男が受け止めたのが分かった。
やっぱり悪い男では無かったな。と内心薄ら笑いながらダナスは意識を手放した。
よく晴れた朝、ダナスは母の手伝いを積極的に行い、父の代わりに母を守るのだ。
母よりも早く起きて洗濯物を片付け、朝食を準備し、仕事に行く父の荷物を準備する。
「ダナス、あんまり頑張り過ぎないでね?お母さん大丈夫だから。」
「母さんもう臨月なんだろ?俺がなんでもやってやるから、休んでろよ!」
「まぁ!頼りになるお兄ちゃんね!」
「任せとけって!」
張り切って家の手伝いを済ませると、母に昼食を用意してお使いに出掛ける。
そんなに時間も掛からずに買い物を済ませて家に帰ると、母はベッドで横になり、苦悶の表情を浮かべていた。
「か、母さん!?どうしたんだ!?」
「だ、ダナス・・・産婆・・・さんを呼んでき、て・・・」
浅く呼吸を繰り返す母に戸惑うダナスだったが、産婆と聞いて走り出す。
「待ってろ!すぐ呼んで来る!!」
近所に住む産婆はこの道30年のベテラン産婆だ。
すぐに産婆の家に着くと、産婆の腕を引いて急かす。
「なぁ婆さん!母さんが呼んでこいって!」
「わかったわかった。ダナス?赤ちゃんはそんなに早く産まれないんじゃよ?そんなに急がなくても大丈夫じゃ。」
「で、でも、母さんすっごく苦しそうで・・・!」
「お産ってのは苦しいもんなのさ。大丈夫大丈夫。」
やっとの事産婆を連れて帰り、すぐさま母の待つ寝室へ駆けて行った。
先程よりも顔色の良い母を見てほっと胸を撫で下ろすと、ベッド脇の椅子に腰掛ける。
「母さん、大丈夫か?」
「大丈夫よ。お産は時間がかかるの。ダナス、お湯を沢山沸かしてからお父さんに連絡してくれる?教えてあげなかったらお父さん拗ねちゃうから・・・」
悪戯っぽく笑う母を見て安心したのか、素直に指示に従い、お湯を沸かし始めた。
そこに産婆がやって来て大きな桶を台車のような物に置く。
「ダナス、ここに沸かしたお湯を入れてお母さんの所に運んで置いておくれ。わたしゃ椅子を用意するからね。頼んだよ?」
「わかった。それが終わったら父さん呼んで来る。」
「よく働く子だね。こりゃあお母さんも助かるだろうね。」
微笑ましそうに撫でられて照れたのか、少し耳を赤くしてフイっと鍋に視線を移す。
鍋をいくつも使って沸かしたお湯を桶に移し、それを寝室へ運んだついでに母の様子を見ると、また少し辛そうにしていた。
気になって仕方がなかったが、母の大丈夫と言う言葉を信じて父を呼びに走った。
「父さーーん!!」
遠くに父の姿が見て取れたので、大きく手を振りながら精一杯大声を出す。
その声に父が振り返り、満面の笑みを浮かべて出迎えてくれた。
「どうした?ダナス。母さんの手伝いはもう終わったのか?」
「手伝いは大体終わったけど、それどころじゃないんだ。母さん赤ちゃん産まれそうだ!」
「何っ!?す、すぐ帰るぞ!!おおーーーい!!」
慌てた様子の父が仕事仲間の所へ駆けて行って、帰る算段をつける。
仲間も快く送り出してくれて、親子揃って家に急いだ。
「母さん!今戻ったぞ!!」
父が母のいる寝室に入ろうとすると、いつの間にか集まった近所の奥さん達に止められた。
「ちょっと!今はもうお産が始まってるよ!お産の間は女だけだとダナスの時にも言っただろう!?」
「あ、ああ。すまない。アデルは大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。何もかも順調さ。あんた達はこの後の準備をしてな。」
「わ、わかった。何かあったら教えてくれ。」
「はいはい。」
近所の奥さん達に鬱陶しそうにされる父と共に外に出された。
何故お産は男が一緒だといけないのだろう?と不思議に思い、父に聞いてみると父は困ったような笑みを浮かべてダナスの頭を撫でた。
「うぅーん・・・お産の時は血がいっぱい出るし、母さんは苦しそうだし、お産の経験が無い男は邪魔になってしまうんだ。だから邪魔にならないように出ていなくてはいけないんだ。」
「血がいっぱい出たら母さん死んじゃうんじゃないのか!?」
「あ、だ、大丈夫だ!母さんは神様に愛されてるからきっと神様が助けてくれる!」
「神様に愛されてたら神様に連れてかれちゃうんじゃないか!?」
「はっ!?そ、そうか!それもそうだな・・・じゃあ母さんのお産が無事に済むようにお祈りしてくれるか?」
「うん!神様、母さんを連れて行かないで下さい。俺、うんと頑張ります。」
一生懸命に祈り、神様にお願いしておく。
赤ちゃんが無事に産まれますように。
母が無事にお産を終えられますように。
そんな事をしていると、近所のまだ若い奥さん達にどやされた。
「何やってるんだい!?奥さんが頑張ってるんだからあんた達は働きな!!ほら!お産の後には皆腹を空かせて出てくるんだから!!」
「あ、俺手伝う!何をすれば良い?」
「ダナスは南の森の中の方にある薄黄緑色の葉がついた木の枝を貰っておいで。木にお願いすれば一枝分けてくれるから。」
「え?木に?」
「そうだよ?今さっき頭が出たそうだから、頭が出たらすぐに行って、産まれる迄に持って帰れたらその子は精霊の加護が貰えるんだ。だから急いで行ってきな!!」
「わかった!母さんをよろしく!」
初めて聞いた話だが、南の森には確かにその特徴の葉を付ける木が一本だけある。
村の者には精霊の木と呼ばれていた。
あの木にそんな秘密があったとは知らなかったが、急いで行かないと日が暮れてしまう。
ダナスは今迄で一番急いで南の森の精霊の木にまで駆けて行った。
いつもなら歩いて一刻程かかるこの場所も、半刻も駆けたら辿り着いた。
火事場の馬鹿力と言うやつだろうか?
精霊の木に近寄ると、なんとも不思議な感覚になり、その場に跪いた。
何故かそうしなければいけない気がしたのだ。
「精霊の木よ。俺の母さんが赤ちゃんを産むんです。その大きな力を一枝分けて下さい。」
跪いて祈ると、どこからともなく風が吹いて、澄んだ笑い声が聞こえた。
「ふふふ、よろしくてよ?私達の力を貴方の弟妹に分けてあげるわ。その枝の力を授けられるのはその子が産まれるまでです。急いで帰って私達の力を分けてあげてね?」
澄んだ歌声のような声が響き、気がついた時には大きな枝が一振、腕の中に抱えられていた。
誰もいない筈の森の中で確かに誰かの声が聞こえたが、どこを見てもやはり誰も居なかった。
「・・・ありがとう!絶対産まれるまでに届けるから!届けられたらまたお礼しに来る!!」
そう叫ぶと、また笑い声が聞こえたような気がしたが今は時間が無い。
急いで駆け出すと、なぜだかいつもより足は軽く、あまり疲れずに走れた。
森に向かった時よりも早く家に帰り、枝を持って寝室へ急ぐ。
「あらまぁ!もう貰って来たのかい!?随分早かったね?」
「これを母さんの枕元にやらなきゃいけないんだ!」
「わかっているよ。さぁ届けてやんな。」
ダナスが急いで母の枕元に枝を置くと、母がその枝を握った。
すると、淡く枝が光り、その光は母に吸い込まれるように消えていった。
「良かった。これであんたの弟妹は精霊の祝福に守られるだろうよ。さ!用が済んだら出ておいで。まだ少しかかるからね。」
「わかった。おばさん達もありがとう。何か出来る事があったら言ってくれよ?」
「はいはい。本当に孝行な子供だねぇ。」
近所の奥さん達の邪魔にならぬように外に出ると、父が駆け寄って来た。
「どうだった?間に合ったか?」
「うん。枝が光って母さんに入っていって・・・きっと赤ちゃんにも届いたと思う。」
「そうか。よくやった!さすが父さんの自慢の息子だな!」
大袈裟に褒められて少し照れくさそうにしていたダナスだが、表情を引き締めて手伝いに取り掛かる。
どこで手伝いをしても若い奥さん達に褒められるので、少し居心地が悪かったが、少しでも手伝いたいと必死に動き回った。
ダナスが枝を持ち帰ってから半刻。
家の中から元気な産声が聞こえた。
無事に産まれた事を知らせる産声は、どんな歌よりも素晴らしい聴き心地だった。
安堵のため息をつくと、母の寝室からぞろぞろと奥さん達が出やる。
「ほらダナス!あんたの妹だよ!」
「妹・・・」
「お母さんも元気だよ。きっとダナスが持って来た精霊の枝のおかげさね。」
「うん!もう母さんに会っていいか?」
「いいよ。頑張ったお母さんをたんと褒めておやり?」
「わかった!」
急いで寝室に駆け込むと、ぐったりと横たわる母の胸に白い布で包まれた小さな赤ん坊が見えた。
驚かさないようゆっくり近寄ってみると、産まれたばかりの赤ん坊はしわだらけで、あまり可愛く見えない。
けれども、どうしようもなく愛おしいというのはこのような感情ではないだろうか?
母が黙ってダナスに赤ん坊を近付ける。
手が僅かに震え、そっと指で顔を触ってみると、小さな口をモゴモゴと動かし、身体全体を小さく震わせている。
「ダナス、抱っこしてみる?」
「えっ!?だ、大丈夫なのか?」
「大丈夫よ!ほら、ここをこうして、首の所を持って支えてあげて…そう。こっちの手はそう、背中を支えて…ほら、出来たわ。」
母の言う通りに赤ん坊を抱いてみた。
まるで羽根のように軽くて、暖かくて、柔らかい。
今にも壊れてしまいそうで緊張する。
だが、一度抱いてみると今までに感じた事の無い多幸感に包まれ、幸せだと素直に感じる事が出来た。
「…赤ちゃんってすげぇ…」
「フフ、そうね。可愛いでしょう?」
「うん。可愛い。…母さん、ありがとう。お疲れ様。」
「どういたしまして。フフフ、まるでお父さんみたいね!」
母が笑うと、近くで涙ぐんでいた父が更に酷くなった。
鼻水まで出始めた。
「ア、アデル!!あ、ありが…!ありがどうぅぅ!!」
「まぁ、あなたったら。お父さんがそんなに泣いていたら恰好がつきませんよ?」
「母さん、俺が父さんの代わりに頑張るよ。」
「何っ!?父さんだってこれからも頑張るぞ!…ははっ、アデル。本当にありがとう。」
父が真面目な顔をして母に頭を下げた。
母は笑いながらうんうんと頷くと、手を出してダナスの腕から赤ん坊を取り上げた。
もっと抱いていたかったのか少し不満気な顔をしたダナスだが、文句は一切言わない。
赤ん坊も母の腕の中の方が良いだろうと気を使ったのだ。
ふと父を見やると、神妙な顔つきで母と頷き合っていた。
「ダナス。今日はよく頑張った。お前のおかげでこの子は精霊の加護を授かり、多大な魔力を手に入れた。」
「えっ!?魔力!?」
「そうだ。精霊の加護は魔力を得るために必要なんだ。」
「じゃ、じゃあ精霊の加護が無いと魔力が無いのか?」
「いや、魔力は皆が持つ物だ。けれど、精霊の加護がある者は他の人よりも多くの魔力が芽生える。」
「へぇ…」
「だが…」
父の声色にダナスが顔を上げると、父は深刻そうに眉を寄せていた。
こんな顔をする父はあまり見たことが無い。
森に大きな魔物が出た時でもこんなに深刻な顔はしていなかった。
「精霊の加護はそんなに簡単に得られる物ではないんだ。それも、こんなに完璧な加護は父さんも見た事が無い。」
「え?どういう事だ?精霊の木の枝を持ってくればご加護は貰えるんだろ?」
「簡単に言えばそうだが、父さんが教えてもらった話はちょっとだけ違うんだ。」
「どう違うって言うんだよ?」
「良いか?こんな話がある。力を得んとする者よ、祈り、澄んだ歌声により精霊の器を得よ。精霊より賜りし器にて祈れば汝の願いは叶うだろう。って話だ。」
「?」
「力が欲しいならお祈りをして精霊の器を手に入れて更に祈れば力が貰えるって事だ。」
「精霊の木の事だな?なんだ、そのまんまじゃないか。」
何か恐ろしい話でもあるんじゃないかと戦々恐々としいたが、蓋を開けたら今日の出来事そのままだった。
ダナスは安心して父に話し出した。
「ビックリした。俺が上手く出来てなかったから駄目なのかと思った。ちゃんとお祈りもしたし、歌みたいな声も聞こえたし、枝も貰えて産まれる前に母さんに渡せたし…あ、その後にお祈りも出来たから全部ちゃんと出来てたんだな!こんな大事な事なら父さん先にやり方教えておいてくれても…」
にこやかにダナスが話していると、父が血相を変えてダナスの肩を掴んだ。
あまりの勢いにビクッと震え、恐る恐る父を見上げた。
「と、父さん…?」
「ダナス!今…今なんて言った!?」
「え?だ、だから父さんが先に…」
「違う!精霊の声を聴いたのか!?風の音ではなかったのか!?」
「あ、ああ…お祈りしたら、力を分けてくれるって…産まれるまでに届けないと分けてあげられないから急げって…」
父は呆気にとられた顔をしてダナスを掴んでいた手の力を緩める。
母は驚いた表情で固まっていた。
何か悪い事をしてしまったのだと悟ったダナスは、焦りと恐怖からどんどん涙が溢れてくる。
何を間違えてしまったのだろう?
あの声を聴いた事はいけない事だったのだ。
そう思ったダナスは、恐る恐る父を見上げ、震える口を開いた。
「と、父さん…ごめ、ごめんなさい…俺、知らなくて…」
謝ってみるが、不安や恐怖に押しつぶされそうになる。
(俺のせいで妹はきっととんでもない事になったんだ。父さんも母さんも怒ってるんだ…)
ダナスの声に正気を取り戻した父が、慌ててダナスを抱き締めた。
ダナスはまだ6歳の子供だ。
不安で身体を小さくして震えている。
自分が動揺しているせいだと気付き、優しく撫でながらダナスを落ち着かせた。
「ダナス。精霊の声を聴いたのに驚いただけで怒っている訳ではないんだ。いいか?普通は精霊の声も聞こえないし、木の枝を一枝切って持ち帰るんだ。それを母親に握らせるとほんのり光って、赤ちゃんに力を…魔力を授けてくれると言われてるんだ。」
「…うん…。」
「きっとダナスが一生懸命枝を切って来てくれたから精霊が沢山力を分けてくれたんだろう。」
「…?父さん、俺、枝切ってない。声が聴こえて、気がついたら枝を持ってたんだ。」
「!?…驚いた。切る必要もなかったのか!どうりでやけに早く帰ってきたんだな。普通は枝を切るのに苦労するんだ。細い枝なのに全然切れなくてなー」
父はダナスが産まれた時の事を話してくれた。
枝を切りに行ったら一際大きな枝が見えて、欲張ってその枝を切り始めた。
そしたら全然切れなくて仕方なく違う枝にしようとしたら急に強い風が吹いて切ろうとしていた枝が父の上に降ってきた事。
これ幸いとその枝を持って走って帰ったが、来る時に全力疾走してしまったせいかなかなか家につかない。
もう間に合わないんじゃないかと思い始めた時に、柔らかい風が吹いてその風が木のうろを通って音楽のように聞こえた事。
それで元気が出て、急いで家に帰ったらなんとかギリギリ間に合って、ダナスに加護を与えられた事。
近所ではいつも失敗していて、村の皆が驚いていた事。
父が笑いながら面白可笑しく話してくれたので、ダナスも自然と笑顔を取り戻した。
母も緊張が解れたように笑い、日常が戻ったように感じた。
「…ダナス。良いか?これから大事な話をする。」
「!…うん。」
「さっきも言ったように、お前の妹の魔力は普通の人よりも大きい。それはお前が頑張って精霊の加護を渡せたおかげだ。ありがとう。」
父に褒められてやっとダナスの緊張がなくなった。
父は沢山笑わせてくれたが、まだどこかで自分のせいで妹が大変な目にあっているのでは?と疑っていたのだ。
「だが、お前の妹の魔力は大き過ぎる。赤ん坊の今でさえすでに父さんや母さん以上の魔力がある。」
解けた緊張がまた一気に高まる。
やっぱり…と、泣きべそをかきそうになるのを必死で我慢して、父の話を聞いた。
「魔力が大きい事はとても良い事なんだ。でも、良い事過ぎるんだ。実はお前の…」
「ダレン、そこからは私が話すわ。」
「アデル…」
普段あまり自己主張しない母の真剣な顔つきに、父は黙って場を譲った。
母はいつもお嬢様のようにお淑やかで、いつも微笑んで弱みを見せない人だった。
料理が得意じゃなくて、お茶を淹れるのが上手で、聞き上手。
近所の奥さん達の相談役で、力は無いけど頭の良い人だ。
「ダナス。お母さん本当は貴族なの。」
「きっ!!?」
「モンテール侯爵家の長女で、アディエル・フォン・モンテール。それがお母さんの本当の名前なの。今迄黙っていてごめんなさいね?」
「う、うん…驚いたけど…何か理由があったんだろ?」
「そうね。実はお母さんとお父さんは駆け落ちして来たの。」
「駆け落…!?な、なんで…?」
「私がお父さんに恋をしてしまったのよ。あらやだ、息子にこんな話をするのは恥ずかしいわね?」
母はほんのり頬を赤く染めて、父と母の事情を話してくれた。
親の決めた結婚の為に王都へ行かなければならない母が乗った馬車が盗賊に襲われ、護衛も多勢に無勢で残りは母一人、もうどうしようもなくなった時に腕利きの冒険者だった父と父の仲間に助けられたそうだ。
そこで恋に落ちてしまった母は父について行ってしまった…と話してくれたが状況がよくわからなかった。
「なんで父さんそのまま連れて来ちゃったんだよ…」
「だって母さん美人だし、あんなに好意を寄せられて頷かないのは男が廃るってもんだろう?」
「はぁ…」
子供ながらにダナスは知っていた。
貴族と庶民が結婚出来ない事も、そもそも出会う事すらほぼ無い事を。
そんな状況で生涯を共にする事を決意したからにはそれなりの覚悟が必要だったのだろうと思ったのに、父からは残念な話を聞いてしまった。
仕方の無い事だろう。
いつも考えるのは母で、父は専ら身体を動かす専門なのだから。
「それでね?貴族って言うのは魔力を特に気にするの。魔力は多い方が偉いと思っているの。」
母が言うにはこうだ。
貴族の家系は元を正せば精霊の加護を沢山貰ったご先祖様がいる家の事らしい。
ご先祖様は精霊と意思を交わして力を得て様々な事を成し遂げた事で人々から賞賛されて貴族と言う物が出来たらしい。
代々貴族家は続いていくが、強い精霊の加護を持った子が産まれるのは珍しい事で、どの貴族も加護を持った子供が欲しい。
そこで今回の事である。
今やもう母は貴族ではなくなったが、精霊の加護は話が違う。
これだけ強い加護を持っていればその内貴族にしられて妹は連れて行かれてしまうかもしれない。
父も今や冒険者を引退して農夫をしている。
毎日鍛錬しているが、歳には勝てないらしい。
以前よりもずっと力が弱くなっているのを感じているのだ。
「…。じゃあどうしたらいい?俺は何が出来る?」
「誰にも妹の加護の話をしないで欲しいんだ。母さんは元々貴族だったからか他人の魔力を測る事が出来たが、皆が出来る訳じゃない。きっと村の皆も気づいていないだろう。だが、お前は違う。お前も精霊の加護がある。きっともう少し成長したら同じ加護を持つ者同士で力がわかるようになってくる。」
「なんでさ?」
「俺がそうなんだ。俺はここではない所で加護を受けたが、加護を受けた人を見るとなんとなくわかる。以前王都で国王様を見る機会があったが、あの人は凄かった。どれだけの加護を受けたのかわからない位に力を纏っていた。正直、冷や汗が出て怖くてまともに見れなかったよ。」
「…。妹もそうなるのか?」
「いや。この子が纏っているのは優しい力だ。この子を守っているんだろうな。恐ろしいような事はないよ?」
「良かった…じゃあ俺は誰に聞かれても知らないふりをしておけばいいんだな?」
「そうだ。加護持ちの奴なんてこの辺にはそうそういるもんじゃないから大丈夫だとは思うが、誰にも話すんじゃないぞ?」
「わかった。約束する。」
真剣な顔で向き合い、父と右の拳をあてあった。
男が約束をする時には右の拳をあてあって、喧嘩をする時には左の拳で始めるのだ。
もっと小さい時に父が言っていた。
この約束は大事な約束だから、自分の拳を賭けて守る。
そう決意をした時、母があくびを一つ漏らした。
「あら、ごめんなさいね?ちょっと疲れが出たみたい。」
「母さん、無理しないで休めよ。片付けは俺がやっておくから。赤ちゃん産んだら暫くは動けないんだろう?しっかり休まないと力が戻ってこないぞ?」
「はいはい。ダナスがいて助かるわ。大変だけどよろしくね?」
「わかった!任せとけ!」
ダナスは軽く部屋を片付けて台所に向かった。
この後夜も更けて村長が鐘を鳴らしたら皆がお祝いに来る。
それまでに軽食を準備しなければならないのだ。
ダナスが精霊の木に行っている間に父が進めてくれていたが、父が出来るのは精々パンに具を入れる位だ。
ダナスは手早く料理を準備していく。
幸い、極近所の人達がお産の手伝いをしてくれた時にお祝いに沢山食べ物をくれたので食材は十分にある。
先日父が仕留めてきた鹿肉もまだたっぷりあるし、母にも力を付けて欲しいので張り切って料理に取り掛かった。
暫く経ち、夜も深まった頃にカーンカーンと鐘の音が鳴った。
村長が鐘を鳴らしたのだ。
これから客が沢山来る筈だとダナスは慌てて確認を始めた。
「大人達が飲むお酒はここにあるし、子供の飲み物もある。料理も沢山用意したし・・・あ、村長の席に敷物を敷かなくちゃ!」
慌ただしく準備を終えた時、ドア叩く音が響いた。
「今開けるよ!」
ダナスは急いで扉に駆け寄り開くと、村長を筆頭に村の皆が来ていた。
「ダナスよ。お父さんはいるかい?」
「こんばんは、村長。父さんは庭です。食事と飲み物を準備しておきましたので、是非寄って行って下さい!」
満面の笑みで母に教えられた言葉を村長に話す。
すると村長は細いけれど大きな手でダナスの頭を撫でた。
「ふぉ、ふぉ、ふぉ。ダナスは本当に素直な良い子じゃな。どれ、お父さんの所へ案内してくれるか?」
「はいっ!」
村長はダナスにとって特別な人だった。
父と母が若い時、この村に来た時に村長にはとても世話になったと言っていた。
それに、自分も小さい時からずっと世話になってきた。
母病気になった時、隣村に医者がいると教えてくれたのも村長だった。
どんな時にも親切でいつ会っても笑顔の老人だ。
その老人の手を引き、父と母が待つ庭へ案内する。
後ろから村民が皆ついてくる。
ダナスも以前2,3回他の家にお邪魔した事がある。
子供が産まれた日の夜に村人全員集まって子供の名前を決めるのだ。
前回の時はダナスが考えた名前が採用された。
それをとても誇らしく思っている。
「村長、よくいらっしゃいました。」
「ダレンよ、今日は本当に喜ばしい日じゃ。アデル、よく頑張ってくれた。」
村長はまるで自分の事かのように嬉しそうに父と母を見やる。
そして、くるりと振り返って村民全員に向けて話し始めた。
「今日はダレンとアデルの二番目の子の誕生を祝い、精霊の祝福に感謝する日である。皆も二人の子を同じ村の仲間として迎え、より良い村を目指そう。」
村長がそう言うと、皆が大きく返事をした。
この村の皆は優しく思いやりのある人々ばかりだ。
「それでは命名を行う。ダレンの二番目の子じゃ。よって、ダレンの二文字目のレを取り、皆で良き名前を考えよう。」
村長の合図に皆が色々な名前を出し始めた。
レティシア、レルート、レビアート…
様々な名前が出た後に、村長がじっと妹を見て口を開いた。
「レナーデはどうだろうか?ダレンのレ、ダナスのナ、アデルのデ。すべて二文字目を取って並べたのじゃが…」
村長の言葉に皆がおお、と声を上げた。
どうやら満場一致で決まったらしい。
レナーデ
それがこれから妹の名だ。
妹の顔を覗き込んでみると、すやすやと眠っている。
「レナーデ。お前の名前はレナーデだ。大丈夫。兄ちゃんがお前を守ってやるからな?」
それからもダナスは精力的に働き、父や母、妹の為に努力を怠る事はなかった。
そして、瞬く間に一年が過ぎ去った。
妹は少しずつ言葉のような事を言ってみたり、二本足で立ったり、数歩歩いてみたりと毎日が驚きと喜びで溢れていた。
「レナ!こっちだ、こっち!にぃにの所においで!」
「いや!レナ!パパだぞ~パパの所においで~」
二人の男が赤子を前に腕を拡げる。
レナーデは二人を交互に見て、少し悩んだが、笑顔でダナスの方へと歩いて行く。
今にも転んでしまいそうでハラハラしたが、無事にダナスの胸に飛び込む。
「よーし!レナは良い子だな!兄ちゃんと遊ぼうな!」
ひょいとレナーデを抱き上げ、にっこりと笑ってやると、レナーデも嬉しそうに声を出して笑った。
それを見て哀れな父親がハンカチを噛んでいた。
「ぐぎぎぎぎ・・・なんでいつもダナスなんだ!?」
「父さんは必死過ぎるんだよ。なー?レナ?」
当のレナーデは知ってか知らずかニコニコと機嫌良さそうにダナスの頬を撫でていた。
最近のレナーデはこれがお気に入りらしく、いつもダナスの頬を撫でていた。
「レナは本当にダナスの頬が好きなんだな?」
「なんでだろう?」
「柔らかくて触り心地が良いのかもな。」
ダナスにもそれは理解出来た。
レナーデの頬はずっと触っていても全く飽きない。
レナーデが飽きて嫌がるまでは触っていてしまう。
家族三人じゃれ合いながら過ごしていると、奥から母の呼ぶ声が聞こえた。
「みんなー!ご飯よー!」
母の号令に従い、食卓まで足を運んでみると、一年前とは打って変わって母の料理はメキメキ上達していた。
と、言うのも。
一年前の命名の日、やたらと豪勢な食事内容に村の皆が母が用意したのだと思い、母に無理をしないように言った事が発端だった。
母は当然のようにダナスが作ったのだと言い、普段からダナスが食事を用意していた事が判明し、母の料理下手も露見したのだ。
そこからは近所の奥さん達が母の為に料理教室を開いてくれてなんとか母も食事を用意出来るようになっていた。
ダナスは近所の奥さん達の料理をするのを見て覚えたが、母に教えるのは大変だった筈だ。
まずどの調味料がどんな味になるのか分からないと言った様だったからだ。
ダナスも料理を覚えてからは母に教えていたのだが、子供が教えるには荷が重過ぎた。
近所の奥さん達のおかげでダナスの仕事は一つ減り、その分森で採集を行うようになった。
キノコや木の実、薬草等を取ってきて食事の足しにするのだ。
今までは家の事で忙しかったが、今は母に任せて行ける。
朝食を手早く済ませると、大きめのバッグを二つ肩から下げて、外に向かう。
その後ろを母と妹がついてきて送り出してくれる。
「ダナス、無理はしないでね?森には危険な動物も、魔物もいるのだからね?」
「分かってるよ。レナ、兄ちゃん行って来るな?レナの好きな木の実を探してくるからな?」
「にぃ、にぃ!バーバイ!」
「うん、また後でな!」
妹の笑顔に癒されて、森へと駆けて行く。
今日は母が弁当を持たせてくれたので昼に帰らなくても一日森に居られる。
皆の為に沢山収穫するんだと張り切っていた。
いつもは森の入口辺りで採取をして帰るのだが、今日は少し奥まで来た。
ここまで来ると小さな魔獣が出てくるのであまり入らないように言われているが、ダナスはもう小さな魔獣位なら一人で対処出来る。
腰に刺したダガーを一撫でして確かめると、早速採取を始めた。
この時期は薬草がよく採れる。
これからレナーデも動き回って小さな怪我が増えるだろうし、沢山採って塗り薬を作らなければ。
それにお腹が痛くなった時に食む薬草も必要だし、熱が出た時の薬草も多めに必要になるだろう。
それに、今の時期に採れる木の実は甘い物も多いからジャムにしたらさぞ喜ぶだろう。
などと、ダナスの頭の中は妹の事で一杯だった。
それに、母も最近よく働いて無理をしがちなので、疲労回復に良い薬草や、栄養価の高い木の実を沢山採らねば。
きのこもお腹に溜まるので沢山あった方が良いだろう。
父は…放っておいても丈夫だから大丈夫だろうとあまり気にしなかった。
来る時に持って来たバッグが一つ一杯になった頃、ふと空を見上げると太陽が真上まで来ていた。
そろそろお昼ご飯を食べようと立ち上がった時に気がつく。
ここはあの精霊の木の近くだ。
そう言えばお礼に来ようとずっと考えていたが、中々時間が作れずに時間ばかりが経ってしまっていた。
丁度いいとばかりに、周りを見渡して甘くて美味しい木の実と、美しい花を集めてもう一つのバッグに詰め込む。
そのまま少し歩くと精霊の木が見えて来た。
精霊の木はあの日のようにダナスを迎えてくれた。
ダナスはその場に跪き、手を組んで祈る。
「精霊の木よ。お礼が遅くなってごめんなさい。貰った枝のおかげで元気な妹が生まれました。もう歩けるようになりました。お礼に美味しい木の実と綺麗な花を持って来ました。どうぞお納めください。」
バッグから先程採取した木の実と花束を出して精霊の木の根元に置く。
すると、僅かに笑い声が聞こえ済んだ風がダナスの家のある方向へ通り過ぎた。
きっと精霊が祝福してくれたに違いない。
ダナスはその場でバッグから弁当を取り出して食べ始めた。
「幾千幾何の生命の元、この食事を賜ります。」
母が一生懸命作ったであろう弁当は雑穀パンの中に濃いめの味付けの具が入っている割とポピュラーな弁当だ。
ダナスもよく父に作って持たせてやっていた。
それを今は母が自分に作ってくれているのはとても不思議な気分だった。
そのパンを一つ食べ終えると、軽くバッグの中を整理する。
薬草類と食料を分け終えると、ダナスは立ち上がって午後の最終に出かけようとしていた。
その時だった。
先ほどまで凪いでいたいた風が、急に木々の葉を散らせながら強く吹いた。
急な出来事に腕で顔を庇うが、風は一向に止まない。
不審に思って腕をそっと下ろしてみると、ダナスの周りだけ風が渦を巻いていた。
「ダナスよ、私達の愛しい子。貴方が守った命が心無い者に持ち去られようとしています。早く…早く、走るのです。走って家に戻りなさい。私達が貴方に力を授けます。家に帰るまでは持つでしょう。」
「なに?なんだって?」
「さぁ!早く帰りなさい!私達は直接手を出せないのです!さぁ早く!」
以前と同じように、姿は見えない声がダナスを急かす。
それと同時に、風がグイグイとダナスの背中を押していた。
「わかった!わからないけど、家に帰ればいいんだな!?」
「早く!貴方の妹が…!」
「!?レナっ!!!」
妹と言う言葉に大きく反応してダナスの足がグンと前に出た。
いつもより数段早く走れている。
きっと精霊の木がダナスを手伝ってくれているのだろう。
グイグイと背中を風が押して、まるで本当に風になったかのように早い。
「ダナス、私達が行けるのはここまでです…貴方と、貴方の妹の無事を祈ります。それと、私達の仲間が近くにいます。助けてくれるように頼みましたが…」
「わかった!精霊の木よ、ここまでありがとう!このお礼は必ず、必ずするから…!」
村にほど近い場所まで辿り着いたが、ここからは自力でなんとかしなければならないらしい。
一体妹に何があったのかもわからず、無我夢中で村に走った。
村に近づくにつれて辺りに何か燃えているような匂いが立ち込めていく。
「っ!火事かっ!?」
やっとの思いで村に辿り着いたが、村のあちこちが燃えていて、村人はあちらこちらへと逃げ惑っていた。
そこに、隣の家のおばさんが走って来て、ダナスを捕まえる。
「ダナス!無事だったんだね!?さ、アタシと一緒に来な!」
「おばさん!何があったんだ!?」
「アタシにもよくわからないのさ!突然見慣れない馬車が来て、それについてきた馬に乗った男達が村に火をつけ始めたのさ!それであんたの家に馬車から降りた身なりの良い男が入って行くのを見たけど、それだけなんだ!」
「なんだって!?じゃあ母さんやレナは!?」
「それが…」
「俺は家に行く!俺の事はいいから、おばさんは逃げて!!」
ダナスはおばさんの手を振り払い、家に駆けだした。
「ダナス!ダナスーー!!!」
後ろからおばさんの大きな声が聴こえたが、ダナスは振り返らずに腰にさしたダガーを抜き取りながら走った。
(きっと父さんや母さんが言っていた貴族がレナを奪いに来たんだ!)
ダナスは家まで無我夢中で走った。
途中、沢山の村人がダナスを止めようとしたが、ダナスは誰の手も取らずに家に向かって走る。
家の前まで辿り着くと、家の中にも火が回っているのだろう中から黒い煙がもうもうと立ち上っている。
ダナスは家の前にいつも置かれている桶の水を頭から被ると、火事を物ともせずに家の中に入って行く。
「レナ!!母さん!!!どこだ!?」
家のあちらこちらが燃えだしたところのようで、幸いまだ先に進める。
家の奥にある母の寝室まで辿り着くと、寝室のドアは火事のせいか固く、なかなか開けられない。
あちらこちらが燃えたせいで家が歪んだのだろう。
仕方なくドアを蹴り、壊していく。
まだ小さいダナスの力では一度では壊れず、何度も何度も蹴ってやっとこさドアを破壊した。
火は確実に家を飲み込み出していて、一刻も早く外に出なければ皆焼かれて死んでしまう。
ドアを蹴破ると、どこからか焼けた柱が倒れて来た。
いよいよ急がねばと考え、部屋に目をやった時だった。
部屋に入って正面奥の壁にもたれ掛かる2つの影が見えた。
一つは女。もう一つは男。
女を背後に庇うように男が座り込んでいた。
「父さん!母さん!!」
ダナスは無我夢中で駆け寄った。
その声に父が僅かに身じろぐ。
「だ…ナス…」
父の腹には深々と鈍く光る剣が突き刺さっている。
明らかに誰かに刺されたのだろう。
父がダナスに手を伸ばそうと腕を持ち上げると、酷く咳き込んで口から血を吐き出した。
傷が臓腑まで達しているのだろう。
床は真っ赤に染まり、衣服をじっとりと濡らしていた。
「父さん!なんで!?どうしてこんな事に!!」
「ダ、ナス!すぐ、にげ…るんだ!ヤツら、お前も…!ぐっ!」
「そんな…!レナ…レナは…!?」
「レナは…ヤツらに…」
「くそっ!!助けに…」
「ダナス!!レナは大丈夫だ!お前は…ゲホッ!」
父はダナスの袖口を握り、走り出そうとしたダナスを止めた。
その衝撃のせいか、また血を吐き出し苦しそうに呻いている。
「父さん!今…今外に!!」
まずは女の母を運びだそうと母の手を伸ばそうとすると、父に遮られた。
何事かと父を睨むと、父は静かに首を振る。
その意味に気がついて、ダナスの顔は絶望に染まる。
「ダナス…俺ももうここまでだ…もう目も殆ど見えていない…最期にお前に、会えて…本当に良かった…レナは、殺される事は無い。お前が、大きくなったら、助けて…っ!」
「父さん!そんな事言うな!!直ぐに外に連れて行くから!」
「聞け、ダナス。お前は大きくなったら冒険者になれ。そしてS級まで伸し上がるんだ。そうすれば、貴族でも易々とは手が出せない…それまで、カレンディアの所に…っ行くんだ。カレンディアなら、お前を冒険者にして、くれる。わかったか?」
「…。わ、わかった。」
「よし。まずは逃げろ。お前も、狙われてる。ヤツらは母さんが嫁に行くはずだった貴族だ。ベーゼヴィヒツ家の…ヤツらが追い掛けて来なくなったら、カレンディアの元へ…」
「わかった!わかったから!と、父さん!俺、父さんの息子で、良かった!!母さんの息子で良かった!」
「ああ…ダナス。俺も、母さんも、ダナスは自慢の息子だ。不甲斐な、い父親で、悪かっ…」
「…父さん?父さん!!?」
父はそれからダナスの呼びかけに答える事は無かった。
ダナスの目からは止めどなく涙が溢れていたが、このまま火に焼かれる訳にはいかない。
妹を助けなくてはならないのだ。
ダナスは乱暴に涙を拭うと、父の腰にかかった剣を手に取り、父と母の亡骸に強く抱擁をすると、外に向かって走り出した。
外に出ると、村人が何かから逃げ惑っているのが見えた。
遠くから怒号が聞こえる。
「ダレンの息子を出せ!!さもなくばこの村を全部焼き払うぞ!!」
「ダレンの息子はいない!暫く前に村を出たのじゃ!」
あれは村長の声だ。
助けなくては…と走り出そうとするのを誰かに引っ張られて止められた。
「誰だっ…!!」
大きな声を出そうとすると、口を塞がれた。
隣の家の奥さんだった。
その背後には沢山の村人達が集まっていた。
「ダナス、私達は大丈夫だ。あんたは逃げな!ダレンにあんたの事を頼まれてるんだよ。なに、村長はあたしらが助けておくよ。」
彼女はそう言うと、ダナスを茂みの方へ押し出した。
「逃げなっ!あんたが居なけりゃあたし達はどうとでもなる!!走るんだよ!足が動かなくなるまで出来るだけ遠くに!」
「おばさん…ありがとう。ごめん!」
ダナスは茂みを掻き分けて奥へ奥へと駆けていく。
脇目も振らずにただただ村を離れるように必死に足を動かし続けた。
暫く走り続け、足はもう棒のようになっていた。
木の根に足を取られて転び、それでもまだ起き上がる。
そこに、ガサガサと草を掻き分ける音が聞こえる。
「クソっ!子供一匹まだ見つけられねぇのか!」
「っ!」
その音は村を襲った者達がたてている音だった。
ダナスは茂みにしゃがみこみ、口に手を当てて深呼吸をする。
ガサガサと言う音はもうすぐそこまで来ていた。
「なぁ、子供がこんな遠くまで逃げて来れるか?俺達だって馬を使って来たんだぞ?」
「精霊の加護がある子供だ。普通のヤツよりずっと速いだろうし体力もあるだろう。この辺り位には来れる。…ほら見てみろ。まだ新しい足跡があるぜ。」
自分の鼓動がこんなに煩いとは思わなかった。
奴らが来る。
草を分ける音はもうすぐそこに迫っていた。
「ほら、ここにも足跡がある。転んだんだろうな。間違いなく子供の足跡だ。こんな森の奥に子供が来るか?この足跡を辿ればすぐ追いつける筈だ。」
その声を聞いたダナスはすぐさま走り出す。
「!?いたぞ!捕まえろ!!」
足跡を探っていた男が周りを調べていた男達に号令を出す。
男達の足音がどんどん近付いてくるのが分かる。
ダナスの鼓動も早くなり、後ろから聞こえていた足音はもうすぐそこまで来ていた。
「っ!やめろ!止まれ!その先は…!!」
すぐ真後ろで男の声が聞こえた時にはもう既に手遅れだった。
茂みを分けて足を出すと、そこには地面が無かった。
大きくバランスを崩してダナスが落ちていく。
ダナスが最後に見えたのは顔を青くした男が崖の淵から手を伸ばしている所だった。
一体どれくらい経ったのだろうか?
ダナスが目を覚ますとそこはまだ森の中だった。
急いで起き上がろうとすると脚に激痛が走る。
崖から転落したせいで脚を怪我したらしい。
そう言えばあちらこちらが痛んでいる。
ダナスは堪らずその場に倒れ込んだ。
「いってぇ…ここは…」
辺りを見回すと、そこはダナスもよく知っている森の中だった。
精霊の木の近くだ。
ダナスが大きく溜息を吐くと、遠くから声が聞こえた。
きっと奴らが崖を回って此方に向かっているのだろう。
痛む脚をなるべく動かさないように近くの木にもたれ掛かる。
男達の声は少しずつ近付いて来ている。
「ダナス…」
男達の声の中に別の声が聞こえた。
この声は聞き覚えがある。
精霊の声だ。
「精霊様…?」
「ダナス、やっと聞こえたのですね。追手が来ています。とにかく私の元に来るのです。」
「…精霊の木に?」
「そうです。そうすれば貴方を護ってあげられます。さぁ、彼等が来る前に私の元へ…」
精霊の声を信じ、ダナスはもう少し気力を振り絞る事に決めた。
父の剣を杖代わりに足を庇いながら精霊の木を目指す。
段々と痛みを感じなくなって来ていた。
意識も朦朧とし始めるが、ダナスは懸命に歩を進めた。
やっとの思いで精霊の木まで辿り着き、木の根元に腰を下ろす。
「ダナス、よく頑張りました。彼等はここへ入って来る事は出来ません。少し休みなさい。」
「精霊様…ありが…」
ダナスは意識を手放す。
父の剣を傍らに、ゆっくりと身体が横たわる。
身体のあちこちから血を流し、顔色も悪い。
血が流れ過ぎたのだろう。
そこに、美しい翡翠の髪をした女が現れた。
何も無い所からふわりと漂うように現れ、ダナスの頭を撫でる。
「ダナス…私の愛しい子よ。可哀想に…お前の母がこんな姿を見たら悲しむでしょう。ですが…今の私ではこれくらいしかしてあげられません。もう少し辛抱して下さい。」
女はダナスの頭を撫で終わると、風に流されるように消えていった。
暫くするとダナスは目を覚ました。
身体を起こすと先程より痛みが少ない。
「…。精霊様が俺の怪我を治してくれたのか?」
「…いいえ。私では少し傷を塞いで、血を分けてあげる事しか出来ません。今の私の力はとても弱くなっているのです。その上、ここに結界も張ったので、しっかり治してあげることは出来なかったのです。ごめんなさいね?」
「精霊様、ありがとうございます。大分痛みは良くなりました。精霊様がいなかったら俺…きっと死んでいました。」
「そう…本当は貴方の家族も護ってあげたかったのですが…ごめんなさいね…」
「…。精霊様のせいではないです。俺が…弱いばっかりに…」
最初は笑顔だったが、段々と表情は変わり、目には涙が溜まっていた。
父は死んだのだ。
家族を護る為に自ら盾となり。
母は死んだのだ。
愛する父に庇われながらも気丈に振る舞い最期までダナスやレナーデを想いながら。
ダナスはそのまま泣き続けた。
足が痛むのなんてどうでも良い。
男達に追いかけられても良い。
ただ家族皆で笑っていたかった。
家族皆で生きていたかった。
一度流れた涙は留まる事を知らずに、ダナスは声を上げて泣いた。
風はそれを優しく包み、柔らかく慰めていた。
暫く声を上げて泣いた後、まだしゃくりあげながらもダナスは泣き止んだ。
両親の死を嘆くのはここまでだ。
これからは妹を助けなければならない。
ダナスは空を見つめて袖で涙を拭った。
そこにまた草を分ける音が聞こえた。
先程の男達のように乱暴に分ける音ではない。
ゆっくりと歩いている音だ。
警戒しながらそちらを見やる。
そこには現れたのは細身で優雅な身のこなしをした男だった。
男は広場サッと見回した後、ダナスの元に颯爽と歩いて来る。
やけに堂々としていて、それだけでやんごとなき身分の者だと分かる。
「大丈夫よ。彼は貴方の敵ではないわ。」
「精霊様…」
精霊の言葉にダナスは安堵した。
精霊が言うのだから間違いない。
だが、どうしても身体は強張り、つい男を睨みつけてしまった。
暫く男と話していたが、途中から足の痛みがぶり返して来た。
それに何だかぼんやりとしている。
この男は精霊の言う通り安全そうだ。
そう確信したらとても眠たくなってしまった。
ダメだと分かっていても身体は言う事を聞かず、男の方へと前のめりに倒れて行く。
意識が薄れゆく最中、自分の身体を男が受け止めたのが分かった。
やっぱり悪い男では無かったな。と内心薄ら笑いながらダナスは意識を手放した。