はじめての飛行訓練
翌日の午後が飛行訓練の時間だった。正面階段から校庭へと歩いていく。
性格に問題があっても良家の育ちの者が多いスリザリン生は、時間に余裕を持った早めの行動が自然と身に付いていて、校庭にはまだスリザリンの生徒しか集まっていなかった。
視界に昨夜の少年の姿が入ったが、彼はシドと目が合うなり顔を逸らした。
周囲の人間が話しかけたそうにしていたが、一人の質問に答えてしまえば、次から次へと答えなければいけないのは火を見るより明らかで、面倒でうるさいのが嫌いなシドは無視を決め込んだ。
「そういえばシドの両親はシーカーだったのか?」
恐らくその場にいた誰もが聞きたかっただろう質問を、シドの隣にいたセブルスが口にした。
シンと周囲の声が消えた。そんな同寮達に気づいていないセブルスはちらりと件の少年の方を見て続けた。
「あいつが言っていた」
「それは前の魔法薬学の時にスラグホーン先生が言ってたと思うけど」
「そう、なのか?」
「あの爆発騒ぎの時にだよ」
突然の出来事に驚いて、スラグホーンの話を聞いていなかったらしい。
セブルスは記憶にないらしく、眉間に皺を寄せて難しい顔をしている。
「そうだよ。両親はライバル寮同士のシーカーだった」
ライバル寮の言葉に一番最初に出て来るのは敵対関係としては有名すぎる二つの寮の名前だろう。
「まさか」と驚きと疑問の入り交じった声が、こちらの会話に耳を澄ましていた周囲から聞こえてきた。
「スリザリンとグリフィンドールなのか?」
「正解。父上がグリフィンドールで母上がスリザリン」
「信じられないぞ」
「スリザリンとグリフィンドールの関係を考えるとそうだろうね」
ましてグリフィンドールの男がスリザリンの女を手に入れた形だ。スリザリン側としては面白い話ではなく、少年達は複雑そうな顔をしていた。
「詳しい話を聞きたいかい? 僕としては両親の恋愛話をすることになるから非常に複雑な気分になるのだけど」
「恋愛話………興味ないから話す必要はない」
「そう言ってくれると助かる。まあ、詳しい話を知りたければ女性の先輩にでも聞けばいいんだけどね」
「先輩に?」
「そう。敵対寮のシーカー同士のロマンス。有名な語り種になってるらしいよ」
だから自分じゃなくて先輩達に聞けと遠回しに周囲のスリザリン生達にほのめかす。
視界にグリフィンドールカラーが見えてきた。少年達が元気にこちらに走ってくる。
並べてある箒近くでスリザリン生とグリフィンドール生との睨み合いがはじまった。
スリザリン生は一応顔は覚えたが名前がわからない男とその取り巻き達、グリフィンドール生はジェームズとシリウスだ。
まるで犬の縄張り争いのような不毛な睨み合いは飛行訓練の教師が現れたことにより終了した。
教師の指示通りに箒の横に立つ。なぜスリザリンとグリフィンドールが向かい合って並ぶのか意味がわからなかった。
睨み合いが再開しており、対立している寮への配慮をすべきだと思わずにはいられない。
「右の手を箒の上に突き出して、『上がれ!』と言いなさい」
言われるままに生徒達は「上がれ」と叫ぶ。何人かはすぐに箒が飛び上がって手に収まっていた。
グリフィンドールから大きな歓声があがる。ジェームズとシリウスの箒が上がったようだ。
スリザリンにも何名か箒があがった者がいて得意そうな顔をしている。他の生徒の箒は地面を転がるか、ピクリともしないかのどちらかだった。
シドも箒に手をかざし、「おいで」と箒を呼んだ。箒はふわりと浮き上がって静かにシドの手に収まった。
「いい子だ」
箒を褒めて視線をあげると、怪訝な顔をしたセブルスと目が合う。
「箒は犬かなにかなのか?」
「感覚は同じかな。箒を恐がると箒にそれが伝わる。箒になめられるんだ。だから箒に対して自分が使い手であって、主人であることを認めさせることが重要なんだよ」
なるほどと一つ頷いてセブルスは箒に向き直る。
「上がれ!」
パシンと小気味良い音を発てて箒がセブルスの掌に収まる。
「できた」
嬉しそうにセブルスが笑ったので、シドも笑顔を返した。
教師は箒の端から滑り落ちない乗り方をやってみせ、箒の握り方を教えて回った。
「私が笛を吹いたら地面を強く蹴って。箒はぐらつかないように押さえて、二メートルぐらい浮上したら、少し前屈みになってすぐに降りなさい」
教師の笛の合図に生徒達が地面を蹴る。
箒で飛べるシドはふわりと飛び上がると教師が言った通りにすぐに降りた。
最初から飛べる生徒はわずかだった。グリフィンドールからの騒がしいはしゃいだジェームズの声が響いてくる。
彼も飛べたらしい。喜ぶジェームズの横でシリウスが悔しそうな顔をしている。
ハリーが受け継ぐ才能は間違いなくジェームズに存在するようだ。
視線の端にリリーの姿を見つける。彼女は必死に箒またがって飛び跳ねていた。そしてシドの横でもセブルスが飛び跳ねている。二人とも一生懸命な姿が可愛らしく、まだ幼い甥や姪を連想させた。
彼らも飛行訓練の時はこうやって飛び跳ねていて、シドを微笑ましい気持ちにさせてくれた。
「それにしてもやっぱりセルウィンの家風は魔法界の常識からかけ離れてるのか」
ぼそりとシドは呟く。小さな声は飛ぶことに一生懸命な周囲の誰にも聞こえなかった。
二本足で立つと同時に飛行訓練をするのがセルウィン家だ。
だから5歳前の甥や姪も飛行訓練を受けていて普通に箒で飛ぶことができる。
11歳で初めて箒に乗る魔法族が多いことを見ると、いかにセルウィンの家風が異常なのか理解できた。
「飛んでいるところをイメージしてみて」
父親が甥や姪に飛行訓練の指導をしていた時を思い出してセブルスに助言する。
「………わかった」
セブルスが箒は苦手だという姉から聞いただろう記憶があった。
あれは原作の情報だったのか、それとも単に運動音痴のセブルスという設定が楽しくて語っていたのか。
セブルスは目の前ですんなりと箒で浮いて見せた。
飛べた本人が一番驚いたようだ。びっくりした顔で箒を見ている。
「飛べた」
「うん。セブルスは筋が良いね。そのまま前屈みになって降りて来れるかい? 降下をイメージしながらやってみて」
箒を強く握りなおして、セブルスはゆっくりと地面に降りてきた。
「シドが教師みたいだ」
初めての飛行訓練で飛べたのが嬉しかったのか、普段の仏頂面が嘘のようにセブルスの機嫌は良い。
「教師が全部の生徒についていてやれないのだから、出来る人間が教えた方が効率が良いよ。
初心者ばかりのクラスで監督の教師がひとりしかいないのは問題だね。それでさえ飛行訓練は初心者が魔力の暴走を起こしやすい」
「きゃああ! なにこれ、どうしたら良いの!」
スリザリンの女生徒がぐんぐんと高く飛んで行くのが見えた。
「ほら、彼女のように飛べても降りるためのコントロールができなかったり、空中で留まることができなくて上に飛び続けることもある。最初に説明しておくべきだよ」
「冷静に言ってる場合なのか?」
「教師が気づいたから大丈夫」
だが、この教師は生徒に降りてきなさいと怒鳴るだけだった。
自力で降りれるのならば、悲鳴をあげたりしないし、恐怖のあまり半泣きにもなっていないだろう。
そんなスリザリン生の様子をジェームズ達は馬鹿にして笑っていた。
女生徒は声にならない悲鳴をあげて箒から落ちた。
「ウィンガーディアム レヴィオーサ!」
草の上に墜落するすれすれのところでふわりと女生徒の体が浮いた。
きつく目を閉じて衝撃を覚悟していた少女は、いつまで経ってもこない衝撃に恐る恐る目をあけて、自分が浮いていることに目を大きくして驚く。
彼女の瞳には自分に杖を向けているシド・セルウィンの姿が映っていた。
静かに女生徒を草の上に降ろして魔法を解き、座ったままの女生徒に片手を差し出した。
「大丈夫かい?」
金髪のふわふわとした巻き毛に気の強そうな顔立ちは見覚えがあった。
「ミス・シェルウォーク。立てる?」
呆然とシドを見上げていた女生徒はハッと我に返ると、頬を染めながらシドの手をとる。
「あ、ありがとう」
「礼には及ばないよ。箒の扱いには気をつけて」
成り行きを見守っているだけだった教師が気を抜くなと女生徒を怒り理不尽に5点を減点し、そしてシドの冷静な行動にとスリザリンに5点を宣言する。
プラスマイナスゼロの数字にスリザリン生は一様に微妙な顔をしていた。
寮杯に興味のないシドにはどうでも良い問題だった。それよりも役に立たない教師の無能さが腹立たしかった。
女生徒を怒るなら、彼女を助けるぐらい教師がやるべきだ。
青空を見上げる。
シェルウォークが乗っていた箒は乗り手を失っても上昇を続けている。
教師は箒の回収にも気が回らず、他の生徒達の様子を見ていた。
「戻れ」
特別大きくもない声は青空に吸い込まれる。
箒が弾かれたように急降下をはじめた。
縦に一直線に落ちてきた箒はシドから人一人分離れたところでピタリと停止し、パタリと草の上に転がった。その箒を拾い上げてシェルウォークに渡す。
「次は逃げられないようにね」
「ええ、色々ありがとう。ミスター・セルウィン。私、誤解してたわ。あなたはとても優しいのね」
妙に熱っぽい目で見つめられたが、気づかなかったことにする。
「困っている女性を助けるのは男の義務だよ」
生徒の半分ほどが箒で浮けるようになったため、浮けない生徒を中心に教師が指導してまわる。
シェルウォークをはじめとする女子の数人が早くも飛行訓練の教師に見切りをつけ、シドに飛び方を教えて欲しいと言ってきた。
前回で学んだのか、彼女達は騒ぐことなく一様に大人しかったので、シドも無下にできなかった。
「人の教えるほど得意なわけじゃない」
「ミスター・スネイプに教えてたわ」
「基礎的なことだ」
「さっきのように箒が暴走した時に助けてほしいの。あの教師は信用できないもの」
シェルウォークの言葉に女生徒達は頷く。
シドも彼女の言葉を否定できなかった。
飛行訓練の教師はグリフィンドール寄りだ。
スリザリンの生徒よりグリフィンドール側にいる方が多いし、スリザリン生の質問も幾度か無視している。
こんな教師の態度は生徒達にも影響する。
今はまだお互いに自分達が飛ぶだけで精一杯なために、これと言った大きな諍いは起きていないが、こんなグリフィンドール寄りの教師が担当では、スリザリン嫌いのグリフィンドール生が調子の乗るのは目に見える。
原作でセブルスがスリザリン贔屓だったために、魔法薬学の授業でスリザリンがグリフィンドールを馬鹿にしていたように。
「わかった。教えるのは無理だけど、僕の目が届く範囲で箒が暴走した時は助けるよ」
セブルス一人に教えるのならともかく、女生徒の集団に囲まれて飛行訓練教室を飛行訓練の教師の前でやるのは問題がある。
シェルウォーク達はそれだけでも納得したのだから、どれほど彼女達の中で飛行訓練の教師への信用がないか理解できた。
おかげでシドは授業を受けながら常に周囲に気を配ることになった。
「シドはお人好しだ」とあきれ顔だったセブルスも、箒が暴れ出して箒から投げ出されたところをシドに助けられてからは文句を言わなくなった。
そしてやはり何もしなかった教師に対して不信感を持ったようだ。
「あの教師だと飛行訓練が嫌いになる生徒もいるぞ」
「だろうね」
特にスリザリン生で。
「今日の授業は終わりだね。これから図書室に行くけど、セブルスはどうする?」
「僕も行く。妖精の魔法のレポートがある」
「僕もそれ。参考になる本探さないとね」
妖精の魔法は実技は問題ないが、レポートとなると面倒で苦手だった。
「おい。ちょっと待てよ。セルウィン!」
大きな声が後ろから追いかけてきた。
グリフィンドールカラーがこちらに向かって走ってきているのが見えた。
眼鏡にくるくると好き勝手な方向に跳ねている髪。こちらを見る目は敵意に溢れていた。
ジェームズを追いかけるように黒髪のシリウスがいる。彼もまたシドを睨み付けていた。
「なにかな?」
「僕は負けないからな!」
突然の宣言は大声だった。
「意味がわからないね」
「君がシーカーの血統書付きでも、僕の方が君よりずっとすごい選手になってみせると言っているんだよ!血筋の才能の上に胡座をかくような奴に絶対に負けないよ!」
「本当に意味がわからない。君は一体なにを言っているんだい? ミスター………」
「僕はジェームズ・ポッターだ」
「ならミスター・ポッター、僕は君が一体なにを言っているのか理解できない。君がクィディッチの選手になるのは自由だ。
それをなぜ僕を侮辱した上で宣言するのか理解できない」
穏やかな問いかけのシドに対して、苛立ったようにジェームズは声を張り上げた。
「君の両親はシーカーなんだろう?」
「そうだね」
「なら君もシーカーになるはずだ。だから来年は絶対に選手になる僕が今のうちから宣戦布告しておくのさ!」
「自信満々に宣戦布告してくれたところ悪いけど、僕はクィディッチに興味はないよ」
一瞬の間があった。
「はあぁ?」
ポカンとした表情を見せたジェームスが間の抜けた声を出す。
「両親がシーカーだからと子供がそうなるとは限らない。実際、兄も姉もクィディッチの選手にはなっていない。君はもっと物事を考えてから発言すべきだね。
勝手な思い込みで一方的に他人を侮辱する。とても褒められる行動じゃない」
カッとジェームズの顔が朱に染まる。
シドの言葉が正論だからこそ、反論ができなかった。
「今はクィディッチに興味なくても来年がそうとは限らないだろ!」
フォローに出たのはシリウスだった。友人思いだが、根本的に間違っている。思わず嘆息が口をついた。
「侮辱を詫びるどころか開き直るか」
「なんでジェームズがスリザリンに詫びなきゃならないんだ」
「うるさい。ミスター・ブラック。これはミスター・ポッターと侮辱された僕の問題であって、君が出てくる幕じゃない。でしゃばって話をややこしくするな」
「なんだと」
「待って。黙って。シリウス」
ばつが悪そうに顔をしかめてジェームズが言った。
「確かに僕が軽率だったよ。悪かった」
「勇猛果敢が笑える。猪突猛進の間違いだろ」
ジェームズの謝罪に調子に乗った周囲のスリザリン生が馬鹿にする言葉を吐いた。
一連の流れからすれば、彼の発言は間違いなく的を射た正論ではあったが、人の尻馬に乗ってうるさく騒ぎ出すのは頂けなかった。
「てめえ、もう一度言ってみろ!」
ジェームズより先にシリウスが声を張り上げ、彼らとスリザリン生の間に険悪な空気が漂う。
よく見れば、スリザリン生の方は飛行訓練でジェームズ達とにらみ合っていた人物だった。
「君、うるさいよ。部外者が口出ししないでくれ。彼と話しているのは僕だ。邪魔をするな」
「君はスリザリンだろう!」
「だからなに? 個人の話し合いに寮なんて関係ないよ」
鬱陶しそうにシドはスリザリン生を見る。
その眼差しが言葉より雄弁に「邪魔だからどこか行け」と物語っており、スリザリン生達は「スリザリンの恥さらしめ」と謎の悪態をついてどこかへ行ってしまった。
「僕はスリザリンの恥さらし?」
面白がるように側らのセブルスに問えば、「ああいう輩は自分の味方をしない相手はすべて敵なんだろう」とセブルスも呆れたように答えた。
「ずいぶんと幸せな世界に生きてるんだね」
「気持ちはわかるが皮肉が過ぎるぞ。スリザリンで無闇に敵を作ろうとするな。あとが面倒だ」
「別に敵を作ってるわけじゃない。ただあの選民意識についていけないだけ。それで、ミスター・ポッター。話はそれだけかい?」
呑気にセブルスと話していたシドは成り行きを訝しげに見ていたジェームズへと向き直る。
「セルウィンはスリザリンにしては変わってるね」
「そいつの家は奇人変人の集まりだからな!」
「シリウス。僕が話をしてるから、今はセルウィンにケンカを売らないでくれ」
ジェームズに諫められてシリウスは舌打ちした。
「君は本当にクィディッチをやらないの? 見たところ箒の扱いは上手いようだけど」
「興味がないよ。僕は箒で飛び回っているより鍋をかき回している方が好きなんだ」
「ふ~ん。わかったよ」
つまらなそうな顔をしてジェームズはシリウスの腕を掴んで行ってしまった。
「なんだったんだ?」
「さあ? 僕にもさっぱりだよ」
困惑したセブルスの呟きにシドは肩を竦めてみせた。