君の災難2



 まだ春は遠く底冷えするホグワーツの地下牢では魔法薬学の授業が行われている。
 シドはスラグホーンの自慢四割の授業を聞き流し、調合が始まればうるさく話かけてくるスラグホーンを無視して調合に集中した。
 最近のスラグホーンはシドを「スラグ・クラブ」に招待しようと何度もしつこく誘ってきて、不愉快この上なかった。
 もともと「スラグ・クラブ」への勧誘は一年の頃からあり、最初こそ一応年配の教授相手なので不参加の返信はしていたが、三か月を過ぎた頃には紫色のリボンで飾られた招待状を受取拒否にした。
 同じく招待状はセブルスにも届いていたが、お気に入りの生徒以外は眼中にないスラグホーンの態度、例えば何度も質問しに行っているリリーの友人達の名前を一切覚えないなどに不信感を覚えて、「スラグ・クラブ」には一度も参加していない。
 『主催の人間は気に入らないけど、他寮や別の学年に友人を作るには良い集まりだよ。一度参加してみるのも悪くないよ』
 他人に興味のない自分はともかく、セブルスの世界が広がるのは良いことだと、「スラグ・クラブ」の利点を述べてみれば、『自分は参加しないくせに、人に勧めるな』と至極当然の主張が返ってきて、それもそうだとシドも納得した。
 大鍋の中には灰色の液体がボコボコと気泡をあげている。
 「仕上げの水蝙蝠の歯を入れるぞ」
 細かく砕いた水蝙蝠の歯をセブルスが大鍋に入れ、シドが大鍋をかき混ぜる。灰色の液体は鮮やかなビリジアンに変化した。
 「成功だ」
 「成功だね」
 揃って大鍋を覗き込んでいた二人はお互いに笑いあった。どんなに簡単な調合であっても無事に成功すればうれしいものだ。
 「片づけはやっておくから、セブルスは薬の提出をお願い」
 「わかった」
 シドが提出すればスラグホーンがしつこく話かけてくる。後ろに提出の為の生徒達が並んでいようがお構いなしだ。
 そのためペアで調合をした時は出来上がった薬の提出はセブルスに頼んでいる。彼も事情を知っているため仕方ないと引き受けてくれる。
 杖を振って使っていた調合道具をきれいにする。
 提出に行くセブルスを確認しつつ、周囲を見回せば、他の生徒達はまだ調合中だ。固い水蝙蝠の歯を砕くのに苦戦しているようだ。
 「水蝙蝠の歯は軽く火で炙ると砕きやすくなる」
 乳鉢で砕こうとしてもまったく砕けない水蝙蝠の歯に苛立ったのか、台の上に置いて金槌を構えたリリーを見てシドはそう助言した。
 「そうなの? ありがとう。シド」
 シドの助言は周囲の生徒達も耳にしており、水蝙蝠の歯に苦戦していた生徒達は次々と水蝙蝠の歯を火で炙りはじめた。
 「5秒ほどでいい。焦げないように気をつけること。焦げると薬が失敗する」
 「わかったわ」
 調合が早く終わったために時間があまった。
 残りの材料と手持ちの材料で別の薬でも調合してみようかとシドが考えていると、教卓のある前方から生徒達の悲鳴があがった。
 反射的にはじかれたようにそちらを見れば赤黒い煙が広がっていた。
 同時に両耳にチリっと焼けるような熱を感じて、シドは煙に向かって駆け出した。
 「セブルス!」
 杖を抜き、魔法で煙を取り払う。焦げた薬草のにおいが鼻をかすめた。
 グリフィンドールの馬鹿なお子様かと元凶を推測したが、今は原因よりもセブルスの無事の確認が最優先だった。
 煙を取り払ったがそこにセブルスの姿はなく、グリフィンドール側の席では床に座り込んで青ざめている四人組の地味な方の二人がいた。
 その近くの通路にはこんもりとした黒い布の塊が落ちている。その布がすぐにスリザリンカラーの制服だと理解すると頭が真っ白になった。
 「………セブルスになにをした?」
 それは地を這うように低い、まるで唸り声のような問いかけだった。
 滲み出る怒りに反応したのは青ざめていた二人で、殺意にも似た怒気に彼らは言葉もなく必死に首を横に振った。
 誰もがシドの激しい怒りに息を飲み、そのまま彼らに杖が向けられるかと覚悟したが、シドは二人から視線を外すと、そのまま服の塊の前に跪いた。
 ローブを捲ると、そこには気を失っている小さな子供がいた。年齢は二歳ほどだろうか。その幼すぎる顔立ちはセブルスそっくりだった。
 剥き出しになった肩は頼りなく細く、右腕にはセルウィン家が贈ったバングルの魔法石が淡い光を放っていた。
 「セブ!」
 悲鳴とともにリリーが駆け寄って来て、気を失っている子供になったセブルスを見て絶句した。
 「どうして子供になってるの?」
 「それはそこの二人が説明してくれるよ」
 見たところ体が小さくなった以外に外傷はないので、体に合わせて制服を魔法で小さくしてセブルスに着せる。彼の名誉のために魔法によって一瞬で着せた。
 ふと、この事態において教師はどうしたのかとスラグホーンの姿を探せば、彼は床に倒れて気を失っていた。その姿はセブルス同様に劇的に変化していた。
 「エネルベート」
 意識を回復させる呪文をスラグホーンにかける。スラグホーンは小さく呻くと目を覚ました。
 「一体なんだね、今の爆発は?」
 そう言って起き上がったのは二十代後半から三十代前半の男だ。
 サイズの合わない服を着ているように全体的に服がダブついており、ズボンが下がりそうになっているのを慌てて掴んでいる。
 「こりゃあどういうことかね。それにその子供は誰だ?」
 スラグホーンは女生徒から借りた鏡を見て、若返った己の姿に歓声をあげていた。
 シドは周囲を確認した。この被害にあったのはセブルスとスラグホーンだけだった。
 二人がいたのは原因だと思われる生徒達の席のすぐ側、教卓の前だ。
 馬鹿なお子様に魔法薬を提出するセブルスが狙われて、この惨状になったのだろうか。
 「若返り薬? いや、違うね。 匂いも色も違うし、あれは水薬だ。気化した物の吸引では薬が効かなくなる」
 興奮気味にスラグホーンが捲し立てる。
 「爆発したのは君達の大鍋だね。ミスター・バーグマン、ミスター・デイル」
 「リーマス・ルーピンです。教授」
 「ピーター・ペティグリューです」
 セブルスを抱いたシドに睨まれているせいか、二人はいまだに顔面蒼白だ。
 「おお、そうだったか。そんなことよりこの事態はどうやって引き起こしたのかね。君達と二人とそのご友人達の悪戯かね?
 それにしては魔法薬が高度すぎる。なにをしたのかぜひとも教えてもらいたいものだね」
 「いいえ、僕達は普通に魔法薬を作っていただけです」
 「はい、そうです」
 必死にリーマスとピーターは無実を訴える。シリウスとジェームズも「俺達もまだ調合が終わってないから何もしていません」と無関係を訴えた。
 「だが実際爆発したのは君達の大鍋だ」
 「そうですが、なぜこんな事態になったのか、僕達にはわかりません。教科書通りに魔法薬を作っていただけです」
 ジェームズやシリウスの言葉は散々彼らに迷惑をかけられている生徒達は信じないが、自ら進んで悪戯をしないリーマスの言葉には半信半疑だった。
 「なぜ漆黒芋虫が作業台にある?」
 リーマス達の作業台を見てシドは疑問を口にした。今日は漆黒芋虫は使っていない。
 「え? あ、あれは乾燥笑いサナギだよ」
 おどおどしながらピーターが言った。
  シドがピーターを見ると、彼は悲鳴をあげてリーマスの影に隠れようとする。
 「教授、あれは僕の目には漆黒芋虫に見えますが、教授の目には何に見えますか?」
 ちなみに低学年の魔法薬の授業は教師が調合する材料を各机に用意している。
 漆黒芋虫と乾燥笑いサナギは共に黒色の細長い形をしており見た目が良く似ているのが特徴だった。シドは批難するようにスラグホーンを睨んだ。
 「これは私が材料を間違えてしまったようだね。しかし、乾燥笑いサナギと漆黒芋虫を変えるだけで、若返りの薬ができるとは驚きだ。どのように調合したのか、教えてもらえるかい」
 己の失敗をあっさりと認め、それ以上にこの事態を招いた魔法薬が気になるのだろう、スラグホーンは鼻息も荒くリーマスに詰め寄っている。
 その迫力に押されながらもリーマスは「教科書通りに調合しました」と答え、その調合過程を述べていくが、その内容はめちゃくちゃだった。
 どこが教科書通りだと誰もが心の中で叫んだだろう。我慢できずに何人かが、「そこは右に三回半まぜるのよ」「ちがう、笑いサナギは磨り潰すんじゃなくて茹でるんだ」と突っ込みを入れた。
 シドですら思わず「君達は文字が読めないのか?」と口にしてしまったぐらいだ。
 「君達二人はもっと教科書を落ち着いて読むように。これは『若返りの薬』に似たまったくの別物のようだね。
 君達は偶然にもその作り方を発見したようだ。興味深い、今の調合は私もチャレンジしてみよう。これは世紀の大発明かもしれない!」
 興奮気味に言ったスラグホーンの声をさえぎるように乱暴に地下室の扉が開かれた。
 そこにはセブルスを抱き上げて教室を出ようとしているシドの姿がある。顔だけをそちらを向けたシドは冷ややかに言い捨てた
 「リーマス・ルーピン、ピーター・ペティグリュー。覚悟しておけ。例え偶然の事故であろうとも僕の親友を危険にさらした罪は重い」
 ピーターの恐怖の悲鳴を背にシドは地下室を後にする。
 幼児に戻ってしまった親友の体は簡単に抱き上げれるほど小さく軽い。そんな彼を気遣いながら速足で医務室へと急いだ。
 医務室のマダム・ポンフリーはいつになく焦った様子のシドに驚き、その腕の中の幼子の姿に目を見張った。
 「その子はどうしたのです?」
 「この子はセブルス・スネイプです」


 空いているベッドに小さなセブルスを横たえ、先ほどあったことを説明する。
 無茶苦茶な間違いの魔法薬の調合から出来てしまった『若返りの薬』もどき。
 その間違った調合方法やスラグホーンの材料の取り違えなどを説明していくうちにマダムの表情が次第に険しくなっていった。
 「その魔法薬の被害者はこの子とスラグホーン先生だけですか?」
 セブルスの体を調べながらマダムは問いかけてきた。
 「そうです」
 「なぜスラグホーン先生は医務室に来られないのかしら?」
 「本人が元気で若返ったことを喜んでいて、原因の魔法薬に夢中だからだと思います。それよりもセブルスは大丈夫でしょうか?」
 役に立たない教師のことなどどうでもよかった。問題は幼児になってしまったセブルスだ。
 「スラグホーン先生はすぐに目覚めたのにこの子が目覚めないのはおかしいわ」
 「ああ、それは僕がエネルベートを使ったからです。原因不明の魔法薬の爆発で教室内が混乱する前に場を収めて、原因を聞き出してもらう必要があったので」
 シドが原因を突き止めようと爆発した大鍋の持ち主二人に詰め寄ったところで、納得のいく返答は得られなかっただろう。
 ピーターはシドを怖がっているし、リーマスが答えようとしたならきっと馬鹿なお子様二人が邪魔をしたはずだ。
 彼らは仲間がスリザリンに詰問されている図を黙って見ていないだろう。例えそれが大鍋を爆発させたグリフィンドール生に非があったとしてもだ。
 シドは自分が原因を聞き出すのは時間の無駄でしかないと判断し、呑気に気絶している教師を魔法で目覚めさせた。
 「ミスター・スネイプに気付け魔法を使わなかったのですか?」
 「魔法薬の中にはエネルベートと相性の悪い薬も存在します。最悪、症状が悪化する危険性もあります。彼にそんな危険を冒すわけにはいきません」
 危険性を理解していながら、教師には原因究明のためにエネルベートを迷わず使ったシドにマダムは微妙は視線を向けてきた。
 なにか言いたげな表情をしていたが、やがて小さなため息をつくと、再びセブルスを診はじめた。
 「完璧に若返っていますね」
 「30歳ほどに若返った教授に僕達の記憶はありました。体が若返っただけで頭の中身まで若返っているわけではないようです」
 シドの言葉に驚いたようにマダムが顔をあげた。
 「スラグホーン先生は一体何歳若返っているの? 30歳なら少なくとも30年は若返っているはず。なら近くにいたこの子はなぜ幼児になってしまったのかしら? 吸った薬の量の差かしら」
 マダムの疑問にシドはセブルスの小さくなった手の袖をまくり、そこにある現在のセブルスのサイズに変化したバングルを見せた。
 さきほど光を放っていた魔法石は今はその発光もなく、本来の青く透き通った輝きも失い、黒ずんだ石に変化していた。
 「これは本来青いサファイアの魔法石でした」
 貴重な石を使った装飾品にマダムは驚きの声をあげた。
 「よく見るとこのバングル色々な魔法がかけてあるわ。理論が複雑すぎて何の魔法かわからないけれど」
 「生命の維持を害する呪いや魔法薬に持ち主が蝕まれた時に発動する魔法がかけられています。このバングルがなければセブルスは教授と同じように30年は若返っていたはず」
 十数年しか生きていないセブルスが30年も若返ればどうなるか、想像するだけで馬鹿な調合をした二人への怒りが込み上げてきた。

 「偶然できた魔法薬の威力が強すぎたようです。魔法石の力で何倍にも増幅されたバングルの守護も解毒も追いつかず、魔法石はセブルスを助けるのにその魔力を使い切りました。かなり強い魔力を持った石だったのに」
 それでもこのバングルのおかげでこの年齢で辛うじて『若返りの薬』の効力を止めることができた。
 もし魔法石の力ももう少しでも足りなかったらと思うとゾッとする。
 「肉体の変化を維持させる薬は継続した服用が必要になります」
 シドは小さく頷く。このまま若返ったままというのはあり得ない。
 「数時間から数日。使った材料から考えてもそれぐらいが妥当です。体が若返った以外に問題はないので安心しなさい。彼もじきに目覚めます」
 セブルスが目覚めるまで側にいるとマダムに頼み込むと、彼女は校長に今回の件を報告してくるので、その間の留守番を条件に医務室にいることを許された。
 マダムの出て行き、シンと静まり返った医務室で改めて小さくなったセブルスを見る。
 ベッドであどけない寝顔で眠っているセブルスはおそらく二歳ぐらいだ。
 そっと手を伸ばして触れた頬は柔らかく温かい。指先の体温にセブルスが消滅せず、ここに存在している事実にシドは泣きそうになった。






 目が覚めると知らない天井が見えた。高い天井。周囲を見ればいくつものベッドが並んでいるのが見える。消毒液の独特の匂いが鼻をかすめる。
 医務室のベッドに眠っていた事実に疑問を覚えながら起き上がろうとして、うまく体が動かないことに気付いた。
 「セブルス、気がついた?」
 すぐ側の椅子に座っていたシドが立ちあがって近づいてきた。
 気のせいだろうか。シドが妙に大きい気がした。
 「気分はどう? 体起こすよ」
 背中を支えて上半身を起こしてくれる。その手が異様に大きくて驚いた。手どころか、気のせいではなくやっぱりシドの体が朝と比べると巨人化していた。
 「シド」
 今度はシドの名を呼んだ自分の声に驚いた。まるで小さな子供のような声だ。思わず口を押さえようとした自分の手を見て、何度目かわからない驚きに言葉を失った。
 小さな、本当に小さなふにふにとした子供の手だった。
 「にゃんだこれ?」
 口から出た疑問の言葉はまるで舌足らずな子供が喋っているようだった。
 「今説明するよ」
 言いながらシドはセブルスの背中に枕を置いた。そこに背中を預けると座っているのが楽になった気がする。どうも体がふらふらとして安定しないのだ。
 「セブルスのことだから自分の身に起きた事態を大体把握していると思うけど」
 予想はつくが認めたくない。理解したくなかった。
 シドがこちらを見て言い淀んだ。今の自分はよほど情けない顔をしているらしい。
 親友はへにょりと眉を下げて「そんな顔しないで。子供をいじめている気分だ」と普段のシドからは考えられない情けない声を出した。
 「ショックを受けるだろうけど、話が進まないから言うよ。今のセブルスは2歳ぐらいの幼児に若返っている」
 証拠とばかりにシドは魔法で鏡を出した。大きめの鏡にはベッドにちょこんと座っているホグワーツの制服を着た幼児がいた。
 「にゃぜ?」
 どうしてこんな事態になったのかわからない。
 ベッドで目覚める前の記憶を必死に思い出す。
 そうだ。魔法薬学の授業を受けていた。
 シドを魔法薬を作り、いつものように一番最初に魔法薬が出来上がって教授に提出しようとした。
  教卓まで行って教授に魔法薬を渡し、なにか大きな音がしたところで記憶は途切れている。こうなると原因は誰かの大鍋が爆発した可能性が高い。
 「ポッターたちか?」
 セブルスは真っ先に前科のある人物達を疑った。
 「今回はあのメガネ達二人組じゃない。残りの二人の方。教科書も読めないほどの魔法薬の調合下手って存在するんだね。初めて見たよ。それに教授が用意したの材料の取り違えの不運が重なって、『若返りの薬』もどきが出来た。被害者はセブルスと教授」
 シドはセブルスが記憶を失ってからの出来事を教えてくれた。リーマス・ルーピン、ピーター・ペティグリューの滅茶苦茶な調合にはセブルスもあきれた。
 あの二人は黒板も教科書も読めないのかと本気で心配になった。教授の材料の間違いには溜息しか出てこなかった。
 次にシドは表情を厳しくして教授が30歳ほど若返ったことを言ってきた。そしてセブルスの制服の袖をまくり、バングルを見せてきた。
 プレゼントされてからずっと大切にしてきたバングルはその中央の青い石が輝きを完全に失い黒ずんでいた。
 驚いてシドを見れば、彼は隠そうともしない怒りを双眸に宿していた。
 「本当はセブルスも教授と同じく30歳ほど若返る予定だった」
 それが何を意味するのかセブルスはすぐに理解した。同時に自分の知らない間に死にかけていた事実に血の気が引いた。
 「偶然に出来た『若返りの薬』は忌々しいぐらいに強力だった。本当にあの二人、どうしてやろうか。
 そのバングルには『守護』と『解毒』、セブルスの命を守るための様々な魔法をかけてある。魔法石で効果を何倍にも増幅させてね。それでも魔法薬の効果は止められなくて、セブルスはここまで若返ってしまった」
 バングルに魔法をかけてあるのは知っていた。シドが『セブルスを守るためのものだよ』と教えてくれたのだ。
 シドの家族皆が自分を気遣ってくれる気持ちだと思ってとても嬉しかったのを覚えている。
 強い力を秘めた魔法石は今は魔力をまったく感じられない。輝きとともに魔力を失い黒い石となっている。
 「これがぼくをたちゅけてくれたのか」
 「ギリギリだったよ。石の力がもう少しでも足りなかったら君はいまここにいない」
 小さくなった己の体を両腕で抱き込まれた。
 「セブルスが生きていてよかった」
 泣きそうに歪められた表情は苦悶に満ちていて、見ている方が胸が苦しくなる気がした。
 もし自分がシドの立場だったらどうしただろうか。
 突然の爆発が起き、シドが自分と同じく幼児の姿に、もしくは若返りすぎて消滅してしまったなら。
 そこまで考えてセブルスは小さな自分を抱きしめるシドの服を強く握った。
 「ぼくはちゃんといきてゆ」
 ずっと一緒にいた親友が消えてしまう。ただの想像にすぎないそれは叫び出したくなるような恐怖に満ちていた。
 「だいじょうぶ。ここにいゆ」
 「小さくなって大変なのはセブルスなのに困らせてごめん」
 セブルスが眠っている間に校長が来ていて、これからのことを話し合ったとシドは説明してきた。
 マダムの診立てでは数時間から数日で薬の効果は消えるので、セブルスが目覚めて体調に異常がないとマダムの許可が出れば医務室から寮に自由に戻っても良い。
 元に戻るまで授業も出るかどうかはセブルスの好きにして構わないと決まった。
 さすがにこの小さな体では授業に出るのは無理だと校長は判断したようだが、本人の意思を尊重してほしいとシドが主張して、セブルスの判断に委ねることになった。
 その経緯を聞いてセブルスは嬉しくなった。
 「授業出る?」
 「でりゅ」
 体が小さくなったぐらいで授業放棄する気はない。きっぱりと返事をすれば、シドに頭を撫でられた。
 「こどもあちゅかいすゆな」
 「ごめん。可愛くて、ついね」
 謝罪しながらもシドは頭を撫でるのをやめなかった。

 医務室に戻ってきたマダムに問題なしの許可を貰い、セブルスは医務室を出て昼食のため大広間に向かおうとした。
 医務室にてまずベッドから降りれない問題が発生した。これはシドがベッドから降ろしてくれて事なきを得た。
 次に幼児のよちよち歩きは当然ながら歩くのが遅かった。小さな足は思うように動かず、セブルスが行き場のない苛立ちを募らせはじめた頃、シドに抱き上げられた。
 「移動はこれで我慢して」
 「おもきゅないか?」
 「平気だよ。大広間に行ったら騒ぎになると思うけど、大丈夫かい?」
 「じゅぎょうにでたやおなじだ」
 この子供の姿をポッター達に馬鹿にされると思うと腹が立つが、薬の効果が出るまで寮に閉じこもっている気もないので、開き直るしかない。
 「シドにはめいわくをかけゆ」
 きっと移動はシドに抱き上げられたままになるだろう。歩くのも遅いし、階段も登れないのだ。
 「迷惑だなんて思わない。むしろこんな時は頼ってほしいよ」
 大広間への通路でシドに抱き上げられた幼児の存在に気付いた生徒達がざわめきはじめたが、シドはいつも通りにそんな周囲を無視して歩いていく。
 大広間に入るとざわめきは水面の波紋のように大きく広がって行った。
 「セルウィンの子供か?」
 「いくらなんでも早すぎるだろ!」
 「母親だれ?」
 「一体、いくつの時の子供だよ」
 「だ、だが、ホグワーツのロマンスならあり得る」
 「で、でもあの子って誰かに似てない?」と各寮から様々な叫び声が聞こえてきた。
 そんな中、こちらに駆け寄ってくる女生徒達の姿が見えた。
 「シド!」
 大切な幼馴染とその友人達はシドの前まで走って来ると、食い入るような勢いでシドに抱きかかえられたセブルスを凝視した。
 「その子、セブよね」
 訊ねているのに疑問形ではなかった。
 「そうだよ」
 「リリー?」
 翡翠の目が血走っているのが怖かった。
 「か、体は大丈夫なの? スラグホーン先生は問題なく元気なようだったけど、セブは平気なの?」
 ジリジリとにじり寄ってくるリリーにシドが数歩後ずさる。
 「だいじょうぶだ。リリー」
 「マダムの許可は出たよ」
 「グリフィンドール生が迷惑をかけてごめんね。スネイプ君」
 「きみがあやまゆひつようはにゃい」
 悪いのはリーマス達であって、彼女達ではない。
 神妙に謝罪したエディトがその場に崩れ落ちた。驚いて床に倒れたエディトを見れば、「セルウィンに抱っこされているだけでも衝撃的なのに、スネイプ君の幼児語っ!舌足らずがこんなに可愛いだなんて!」と息も絶え絶えに呟きながら震え、「気持は良くわかるわ」とメアリーに背中をさすられていた。
 リリーを見ればこちらを見たまま固まっている。
 「……彼女達は心配しなくていい」
 深いため息を吐きながらシドが言った。
 「あの二人は私達でたっぷり叱っておいたわ。調合が苦手で済む問題じゃないものね。セルウィン達が出て行ったあとに、スラグホーン先生があの薬はとても強力で、スネイプ君の薬を吸う量が先生より少なかったから、幼児になる程度の若返りで済んだんじゃないかって言っていたの。
 それって一歩間違えれば最悪の事態の可能性もあったってことでしょう?」
 ここは大広間の入り口だ。大広間中の視線を集めている中でのメアリーの発言は瞬く間に大広間全体に広がった。
 「ミス・オーレン。君はとても怒っているんだね」
 「当たり前だわ」
 セブルスはシドに抱き上げられたままグリフィンドール席を見る。
 人間はここまで青くなれるのかと思えるほど青ざめている加害者の二人が見えた。
 不運な事故が重なったにしろ、下手をすれば人を殺しかけたのだ。
 それだけでも彼らはショックを受けただろうが、その事実を大勢の前で暴露されたダメージは大きいはずだ。
 けれどその不運な事故でうっかり殺されかけたセブルスは彼らに同情できない。
 「あまり怒りの感情のままに行動しないことだ。今の君を同寮の生徒を晒し物にしている裏切り者だと考える者もグリフィンドールにはいるだろう」
 窘めるようにシドがメアリーに言い、セブルスもシドの意見に頷いた。
 正義感が強く仲間意識の強いグリフィンドール寮は仲間が傷つけられるのを嫌うのだ。自分のせいでメアリーが傷つけられるのは嫌だった。
 「今のスネイプ君を見ればいずれホグワーツ中に広がる事実よ。私は大切な人を傷つけられて同じグリフィンドール生だからと庇えるほどおめでたい頭はしていないわ」
 メアリーは冷たく言い捨てた。
 「むしろ私はそこまで冷静なセルウィンが不思議だわ。さっきはあんなに怒り狂っていたから、あの二人を見るなり攻撃すると思っていた」
 「僕は」
 「ああ、もうっ! なんて可愛いのかしら! 抱っこしていい? ねえ、シド。私もセブを抱っこしていい?」
 堪え切れないようなリリーの叫び声にシドの声はかき消された。
 「あ、妄想の世界から戻ってきた。おかえり」と場違いなほど呑気なエディトの声がセブルスの耳に届いた。
 「セブが可愛すぎる! 私の幼馴染は天使なのね! 知っていたけど! 抱っこさせて! シドだけずるいわ!」
 逃がさないと言わんばかりの怒涛の訴えにシドの秀麗な顔は引き攣っていた。
 心理的にも物理的にもシドがどん引いたのがわかったが、セブルスもリリーの勢いと一部妙な発言にシドの上着を無意識に握りしめていた。
 「どうする? セブルス?」
 「いやだ」
 「セブ、私に抱っこされるの嫌なの? シドは良くて私はダメなの?」
 リリーの表情が悲しそうに歪められてセブルスは焦った。
 「リリー。セブルスは体が小さくなっても中身は元のままだ。僕達ぐらいの年齢の男が女の子に抱っこされるのは抵抗があるんだ」
 一言で拒否したセブルスの心情をシドは正確に理解していた。男の自分が女の子に軽々と抱き上げられるのは屈辱的だ。
 その上、それが好きな女の子なら、自分の情けなさに泣きたくなるし、もしリリーに抱っこされたなら、自分の心臓がもつかどうか自信がなかった。
 セブルスはいまだシドが「セブルスはリリーとキスしたら心臓麻痺でも起こしそうで怖いね。もう少しリリーに対する免疫を作ろうか」と呆れられるほどに初だった。
 「大丈夫よ。私は気にしないわ」
 きっぱりとリリーは笑顔で言う。その後ろでメアリー達が期待に目をキラキラさせて頷いていた。
 「僕がセブルスの立場なら、女の子に軽々と抱っこされた事実にプライドがズタズタになってしばらく立ち直れない」
 「男の子はもっと強くなくちゃダメよ」
 「……男は女の子が思っているよりずっと繊細で傷つきやすい生き物なんだよ」
 「女の子は男の子が思っているよりずっと小さな子供が好きなのよ。セブ、抱っこしてあげる。こっちにおいでよ」
 リリーは輝くような笑顔で魅力的に微笑み、「おいで」とこちらに向かって両手を差し出してきた。
 その甘い誘惑は簡単に男のプライドを遠い彼方に追いやってしまうには充分すぎた。
 好きな女の子にあんな風に誘われたら仕方ないねと後にシドは苦笑しながらそう語った。
 発熱、もしくは気絶しなければいいけど。
 リリーに抱っこされて真っ赤な顔をしているセブルスを見てシドはそう考えた。
 抱っこされれば当然ながら密着する。下心のある男なら女の子の胸に飛び込めてラッキーだと思うだろうが、現在のセブルスにはそんなことを考える余裕すらないはずだ。
 胸に触れている以前にリリーに触れている事実にセブルスは緊張し羞恥に襲われる。
 セブルスは普段からリリーと会話しているのに、いつまでたってもリリーに対する免疫がつかない。
 初なのは可愛いと思うが、このまま大人になるのはさすがに心配になってくる。
 セブルスはポッターを敵視する前にリリーに免疫を作って口説くことを覚えるべきだよ。
 リリーからエディト、メアリーへと順番に抱っこされているセブルスを見ながらシドは考える。
 ぎゅうっと抱きしめられて、可愛い可愛いと彼女達はセブルスの頬や額にキスをしている。完璧に小さな子供扱いだ。
 されているセブルスは今まで以上に真っ赤になっていて、涙目で助けを求めるようにシドを見てきた。
 「それぐらいにして。小さくても中身はセブルスなんだから」
 メアリーからセブルスを取り上げる。よほど恥ずかしかったのか、セブルスはシドの肩に顔を埋めてしがみついたまま離れない。
 「もう大丈夫だから落ち着いて」
 プルプルと震える背中を優しく撫でた。子供体温のせいなのか、それとも照れているせいなのか、その背中はとても温かい。
 「僕達は昼食にするよ」
 「わかったわ。じゃあね。セブ」
 「しっかり食べて大きくなってね、スネイプ君」
 「今日はミートパイがおいしかったわ」
 にこやかに手を振るリリー達に別れを告げ、スリザリンの席へと向かう。
 シドはセブルスを抱っこしたまま椅子に座り、自分の膝の上にセブルスを座らせた。
 大広間のテーブルと椅子は幼児になったセブルスには大きい。椅子が低い上にテーブルが高く、幼児の体では食事に手が届かないのだ。
 セブルスも不満げな顔はしたものの、いつも使っているテーブルが大きいことに気付いたのか、大人しく座っている。
 杖を振って料理を取り分ける。大人用のフォークを魔法で小さくしてセブルスに渡した。
 「慣れない子供の体は動かしずらいと思うから、一人で食べるのが無理だったら遠慮なく言って」
 香辛料が多くないもの、柔らかい食べ物を選んでセブルスの前に置く。
 案の定、セブルスはフォークがうまく使えず、食べ物を膝の上にボロボロと落としていた。
 「う~」
 苛立ったうめき声をあげるセブルスからフォークを取り上げ、小さく切り分けたキチンステーキをスプーンで口元に持っていく。
 「はい、あ~んして」
 周囲がざわめいたがシドは気にしなかった。
 「じぶんでたべゆ」
 「食べれていないよ。ほら、はやく食べないと昼食の時間が終わってしまう」
 再度シドに促されて渋々とセブルスは差し出されたチキンステーキを食べる。
 セブルスが咀嚼している間にシドは自分の食事をする。
 ローストポテトも小さく切り分けて。ミートパイとカボチャのスープは火傷をしないように気をつける。
 サラダはミニトマトで喉を詰まらせないように半分に切ると、心配しすぎだとセブルスに呆れられたが、幼児は喉が詰まって窒息しやすいのでシドは譲らなかった。
 パンはセブルスが自分でちぎって食べた。幼児の体のせいで食べる量はいつもりより少ないが、この年齢の子供ならよく食べたほうだった。
 小さな両手でゴブレットを持ち、オレンジジュースを飲むセブルスの姿に知らずに口元に笑みが浮かぶ。
 ジュースを飲みほしたゴブレットを受け取り、セブルスの口をナプキンで拭いた。
 「ありゅがとう。シドはこどものせわがてにゃれてゆ」
 「うちは子供が多いからね。自然と慣れるよ」
 甥姪に親戚の子供達とセルウィン家はいつも小さな子供がいる。一族が集まる時は少し年上の子供達は世話係になるのだ。子供の世話は嫌でも覚える。
 次の授業は魔法史だ。教室へ移動のためにセブルスを抱き上げて席を立つ。
 「お腹苦しくない?」
 「へいきだ」
 腹部を圧迫して嘔吐したら一大事だ。
 ちらりと来賓席を見る。シド達が大広間に来た時から今日は校長もスラグホーンの姿もなかった。
 人の命が関わった事態において、彼らは何の減点も罰則もグリフィンドールの二人には伝えていない。その事実がシドを苛立たせた。
 スラグホーンは偶然できた魔法薬によって若返って有頂天になっているのだろう。容易に想像がつく。
 校長は医務室でスラグホーンや薬を作った二人に詳しく話を聞いて調査すると言っていたが、あの校長がグリフィンドールに適切な減点処罰をするか怪しい。
 最悪、結果的に無事だったのだから問題ないと寝言を言い出しそうだ。
 その場合、本格的に校長の聖マンゴ収容に動くことにしようとシドは決意する。
 魔法史の授業はセブルスにとってお昼寝の時間になった。
 いくら精神は元の年齢のままでも体はしっかり幼児なのだ。体が満腹になれば眠気も襲ってくる。しかも睡魔を誘発させるような魔法史の授業。
 シドの膝に座り、頑張って教科書を読もうとしていたセブルスだったが、授業が始まって五分もしないうちに眠りだしていた。
 薬草とハーブの匂い、それにほのかに紅茶の香り。それに包まれているととても安心する。
 背中が温かくて気持が良い。ふわふわとした意識の中で、遠くから自分を呼んでいる声が聞こえるが、今はこの温かくて居心地の良い場所で眠っていたかった。
 「授業終わったよ」
 優しい声が聞こえるが、それは今は穏やかな眠りの妨げにしかならない。頬に触れるなにかを振り払い、気持ちの良い温もりに身を寄せた。
 「仕方ないね」
 とろとろとした意識の向こうで笑いを含んだ声が聞こえた気がした。




 魔法史の授業が終わったあともセブルスは気持ちよさそうに眠っていた。一応起こしてみるが、むずがって小さな手で払いのけられた。
 そんな様子を魔法史で合同授業だったハッフルパフの女生徒達が悶絶して見ていた。
 心優しい寮の生徒たちは幼い子供のお昼寝時間を妨げないように一様に声を押し殺して悶絶している。
 シドとしても幼児の睡眠時間を邪魔する気はない。起こさないように細心の注意を払いながら静かに抱き上げると魔法史の教室を後にした。
 背後から女生徒達の歓声があがったが、シドは気にせずに寮へと向かった。
 小さなセブルスをベッドに寝かせ、シドは実家への手紙を書きはじめる。
 セブルスのバングルと自分のピアス。その両方の魔法石が効力を失ったことを報告しなければならない。もちろんその詳細も書洩らしなく綴っていく。
 きっと祖父母と両親は大激怒するだろう。ホグワーツに乗り込んでくる可能性は高いが、報告しない選択肢はシドにはなかった。
 この一件は黙っていると後で面倒になる。
 セブルスは自分の親友だが同時にフィリスのお気に入りだ。祖母はセブルスを可愛い弟子扱いしている。
 今回のことを解決した後で知ったら祖母は怒り狂うだろう。
 報告しても怒り狂うと思うが、その場合は怒りはセブルスを傷つけた人物と現段階で対応が不明瞭なホグワーツへと向かう。
 報告しなかった場合は怒りの矛先にシドまでとばっちりがくるだろうから、シドとしては迅速に報告しておきたかった。
 なにより今回の一件はホグワーツにいる親族の子供によっても報告されるはずだ。
 セブルスはセルウィン家の身内扱いを受けている。セブルスになにかあった場合、それを報告するのが親族の子供たちの仕事でもある。
 一部は姉に子供になったセブルスの可愛さを猛烈な勢いで綴っていそうな気はするが。
 手紙には原因の生徒達への報復は自分がする、ホグワーツ側の対応が不適切だった場合は手を貸してほしいと綴っておいた。
 祖父、両親はともかく、祖母がホグワーツに乗り込んできた場合は地獄絵図となる。
 祖母に恋焦がれるあまりに自殺者多発という惨事を見たくないし、それをセブルスが知ったら悲しむだろう。
 シドは両耳からピアスを外す。
 魔法石を銀の蛇が尾で守るように囲っているピアスは本来は青いサファイアの魔法石が輝いているはずが、今はセブルスのバングルの魔法石同様に黒ずんだ石に変化していた。
 シドのピアスとセブルスのバングルは同じ石から作ってあり、どちらかの石の魔力が足りなくなった場合、残りの石が魔力を補充するように魔法がかけられている。
 あのふざけた魔法薬は本当に強力だった。
 バングルでは魔力が足りず、シドのピアスの魔力も使い切り、それでやっと魔法薬の効果を止めることができた。
 被害者がスラグホーンだけであったなら、シドもあの魔法薬を興味深いと思ったが、セブルスが被害者の今、強力すぎる若返りの薬は忌々しく腹立たしいだけだ。調合方法を知りたいとも思わない。
 顔面蒼白のグリフィンドール生二人の姿が脳裏に浮かび、苦々しい気分にシドは渋面する。
 手紙を書き終わり、セブルスがぐっすり眠っているのを確認してからふくろう小屋へ行って手紙を出した。
 部屋に戻って来てもセブルスはまだ眠っていた。セブルスが昨夜は遅くまでレポートに取り組んでいたのを思い出し、疲れているのだと、夕食の時間まで休ませておくことにした。
 今夜は天文学の授業もあり、幼児の体には遅い時間まで起きていなければならない。いまの内にしっかり眠っておくべきだ。
 そっと触れたセブルスの頬はフニフニと柔らかく、無邪気な寝顔は親戚の幼い子供達やまだ赤ん坊の妹を思い出させ、ほんのりと心が温かくなった。
 夕食までの時間を変身術のレポートを書いていると、舌足らずな幼い声で名前を呼ばれた。
 「おはよう。目が覚めた?」
 まだ眠いのかぼんやりとした表情でセブルスはベッドに座っていた。
 「まほうしのじゅぎょうは?」
 小さな手で目をこすっていたセブルスは不意にはじかれたように問いかけてきた。
 「魔法史は終わったよ。ノートは取ってあるから元に戻った時に使って」
 「ありゅがとう」
 ハンカチを取り出してセブルスの口元を拭く。セブルスは不思議そうにシドを見上げたが、すぐに理由を理解して顔を赤く染めた。
 「すまない」
 「気にしないで。そろそろ夕食の時間だから行こうか」
 寝乱れた黒髪を手櫛で整え、小さな体を再び抱き上げた。
 「じぶんであゆく」
 「大広間についたらね。階段、登れないと思うよ」
 不服そうな顔をするものの、慣れない子供の体では階段を登るどころか、歩くのですらふらつく自覚があるらしく、セブルスは反論しなかった。
 そのまま歩き出そうとして、ふと重要な事態を思い出した。
 「セブルス、トイレ大丈夫?」


 大広間に続く通路に出たところで、セブルスは自分で歩くとシドに降ろしてもらった。
 いつもより通路が広く見える。天井が高く遠い。かわりに石の地面が近くにある。
 傍らにいるシドの心配そうな顔も見上げなければ見ることができない。
 自分が小さくなったと否応なく意識させられて気分が悪かった。
 小さくなった体は思うように動かない。歩くという簡単な行為ですら意識して地面を踏みしめなければ、バランスを崩して転びそうになる。
 そのたびにシドが体を支えてくれたが、素直に礼を言う気にはなれなかった。
 出掛けに「今のセブルスの年齢だとおむつ必要かな?」と言われたら怒って良いはずだ。
 いくら子供の体になったとは言え、自分の意識は元の年齢のままだ。その相手におむつはない。
 しかも、シドに言われて尿意を覚え、トイレに行けば用意周到におまるが鎮座していた。シドを怒鳴りつけてしまった自分は悪くない。
 確かに現在の自分の体ではトイレを使うのは無理だ。
 色々と気が利くシドが親切心でおまるを用意してくれたのも理解出るが、そこまで気を遣わないでくれと思わずにはいられなかった。
 大体にしてこのおまるは一体どこから持ってきたんだと問い質せば、「セブルスがトイレに入ったら、便器がおまるに変化する魔法をかけておいたんだよ」とシドは答えた。
 なるほど、確かにいつもの便器がない。かわりにおまるがあるのだ。
 「おまりゅじゃなくて、べんきをちいさきゅへんかさせりゅかんがえはなかったのか!」
 幼子の滑舌の悪さでそう言えば、納得したようにシドは頷き、おまるは今のセブルスでも使える小さな便器へと形を変えた。
 「いまのセブルスを見てるとおまるが先に頭に浮かんでね」

 親戚などの小さな子供が身近にいるせいか、幼子のトイレはおまるという考えがシドの中にあったらしい。
 「シドがちいさきゅなったらおまりゅをよういしてやゆ」
 「ああ、うん。ごめん。僕の配慮が足りなかったよ。小さくなっても意識はセブルスのままだ。おまるもおしめもなかったね」
 「あたりまえだ」
 シドは謝罪してくれたものの、簡単に許すにはおまるがインパクトありすぎた。
 ふらふらと歩くセブルスの横を歩調を合わせたシドがゆっくりと歩いている。
 通路を歩く生徒達が皆こちらを見ていて居心地が悪い。幼児がホグワーツに入れば注目して当然だが、このみっともない姿を見られていると思うと気分が沈んでくる。
 「くちゅりのこうかがきれりゅまですうじつだったか?」
 「長くてね」
 その間、この情けない姿でいなければならない。満足に歩くこともできなければ、一人で食事もできないし、食後は眠くてたまらなくて授業もまともに受けれない。
 杖も振れないので、実技の授業を受けるのも難しいだろう。
 「シドはこりゅのちゅうわやきゅはつくれないのか?」
 「はっきり言って不可能だね。問題の薬は気化してなくなったし、わかっているのが材料だけ。あの馬鹿達が言った手順が事実とは思えない」
 相手は周囲が頭を抱えるほどの調合下手達だ。自分が行った調合手順を正確に覚えているとは思えない。
 実際に彼らは自信なさげにかき混ぜた回数を何度も言い直し、加熱時間に至っては大雑把すぎる返答をしたのだ。
 魔法薬は材料の量や掻き混ぜる回数、加熱時間などで簡単に変化する。
 調合下手が偶然作り出した薬を再現し、その中和薬を作り出すのは膨大な時間が必要となる。中和薬を作るより効果が切れるのを待った方が早いのだ。
 「わかった」
 シドの言いたいことを理解してセブルスは落ち込んだ。
 「シドはこのくちゅりにきょうみはないのか?」
 偶然できた代物にしろ、その効果は腹立たしいほどに強力だ。魔法薬学に携わっている者には興味深いはずなのに、シドはそんな様子を一切見せない。
 自分が被害者でなければセブルスもこの薬は多いに関心を持ったはずだ。疑問を問いかければ、シドは露骨に不機嫌そうな顔をした。
 「セブルスを危険な目にあわせた魔法薬を製作者共々消し去りたいとは考えているけど、研究したいとは思わないよ」
 「そ、そうか。でも、ひとごろしゅはだめだ」
 優しい微笑みなのに笑っていない目が怖かった。まったくもって冗談に聞こえないのが心臓に悪い。実際、シドが本気だとわかるだけに、セブルスはシドの手を掴んで「だめだからにゃ」と睨みあげた。
 「………わかったよ」
 長い間があった。渋々と言った口調がセブルスの不安を煽る。自分が理由でシドが人を殺すなんて嫌だった。
 歩き慣れない体は大広間につくまででひどく疲労した。
 ふんわりと漂ってきた食べ物の良いにおいに小さな胃袋が空腹を訴え、いそいそとスリザリン席へと向かう。
 「スネイプ君!」
 聞き覚えのある女性の声に名前を呼ばれたと思ったら、背後から誰かに抱き上げられた。
 「うにっ?」
 「本当に小さくなってるのね! 可愛い!」
 日ごろから色々と目にかけてくれているスリザリンの先輩達がいた。
 「ブノワしぇんぱい?」
 「ご機嫌いかがかしら? スネイプ君。すっごく愛らしい姿になっているわね」
 「きげんはさいあきゅです」
 軽々と女生徒に抱き上げられたのは屈辱だ。彼女達に悪気がないとは言え、男としてショックを受けずにはいられない。
 「私は最高に幸せを満喫してるところよ」
 「ずるいわ。シェリー。次は私が抱っこするから早く代わってよ。ああ、本当に可愛いわ。持って帰りたい。色々お洋服を着せてみたいわ」
 「セルウィンと並ぶと親子みたいね。うふふ」
 「義理の親子ね。年の差も悪くないわ」
 彼女達の間で謎の会話が繰り広げられるのは珍しくない。
  リリー達もこういうことがあるので、女の子達の会話は基本的に男の自分には理解できない物が多いのだとセブルスは納得しつつある。
 以前、そのことをシドに話すと「現実逃避も自己防衛手段のひとつだね」と意味のわからないことを言われたが。
 「お肌つるつるのぷるぷるね」
 「手もモミジみたいで可愛い」
 先輩達は遠慮なくあちこちを触ってくる。
 シドに助けを求めても、少し離れた場所にいるシドはこちらを見て楽しそうに笑っているだけだった。





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