ブラック家の次男
レギュラスは生まれてからの不安と不満を吐き出しながら泣き続けた。
曰く「純血主義なんて腹の足しにもならない。中二病患者の寝言を盲信するんじゃねえよ、ババア」
「あの馬鹿犬だって少し考えれば俺が保身の為にババアの言いなりになってるってわかるだろうが。ああ、あれは馬鹿だから人を思いやるなんて高度な芸当とてもできないからわからないんだよな。馬鹿だし」
「あの馬鹿の変わりに家督継いで死ねってか。冗談じゃない。ふざけんな!」等と母親や兄に対する毒を吐き続けている。
よほど不安とともに鬱憤も溜まっていたらしい。
これが素なのか、彼の言葉使いと共に柄が悪くなりつつある。彼の兄を彷彿とさせる姿だ。
ちなみにシドはレギュラスがプロポーズしてきたあたりから結界を張って、こちらの姿も声も周囲には認識できないようにしていた。
だからレギュラスがどれほど毒を吐いてもシドしか聞いていないので問題はなかった。
散々毒を吐き、瞼を真っ赤に腫れるほど泣いてやっと落ち着いてきた。
水で濡らした冷たいハンカチをレギュラスに渡す。
「すいません」
「あとでこれも使うと良い。腫れがひく」
軟膏の入った丸いケースをテーブルの上に置いた。
「あ、ありがとうございます」
「礼には及ばない。君を泣かせたのは僕だから」
彼が長年溜めていただろう鬱憤を爆発させてしまったのが自分であることは明かだ。
温くなったほうじ茶を飲み、この思いも寄らない出会いの驚きをしみじみと噛みしめる。
同郷であり同じくこの世界に転生したという仲間に会えたのは驚きでいっぱいだったが、相手が子供の外見に相応しく思い切り泣き出したので、当初の驚きは薄れてしまった。
泣きながら愚痴を言うレギュラスの聞き役に徹しながら、親戚の幼い子供の面倒を見ている気分になりつつあったのだ。
仮に自分も今よりもずっと幼く不安定だった年齢の頃に仲間に出会ったとしたら、レギュラスのように泣いただろうかと考え、シドは自分はないなとあっさりと結論を出した。
確かに自分の頭の中身を不安に思った時期はある。
ここの世界が間違いなく本の中の世界だと知っていても、それでもまともな脳みそを持っていれば正気を疑うものだ。
幼少期は良くも悪くも前世の善良な一般人の感覚が残っていたのだ。
その時期に少しばかり自分の頭を心配したのだが、周囲のセルウィンの家族達は非常識が服を着て歩いている人間ばかりだったので、自分の異常さは気にならなくなった。自分は家族に恵まれたのだ。
自分と比べると目の前の少年はあまりに不憫だった。
彼の愚痴を聞いた限り、家族との仲は良くない。家族に心許せる相手がいたとは思えない。
彼が前世で何歳で亡くなったのかわからないが、いまの年齢までの十年以上の時間を孤独で生きてきたと考えるとやるせない。
見た目が子供なのも中身三十路過ぎのシドの大人の心を揺さぶるには十分だった。
「このテーブルにあった食事を勝手に食べてしまってすいませんでした。白いご飯とみそ汁を見た瞬間に我を忘れました」
日本食への飢え具合はあの食べっぷりを見れば一目瞭然だった。
「気にしなくて良い。君は紅茶は好きかい?」
「はい」
「気持ちが落ち着くやつを淹れるから待っていて。話しはそれからにしよう」
この時、無意識だがシドは親戚の子供にするような優しい笑顔をレギュラスに向けていた。完璧にレギュラスを子供扱いしていたのだ。
紅茶を淹れるために席を離れたシドは、レギュラスの顔が耳まで真っ赤に染まっていることに気づかなかった。
優雅な芳香を立ち上らせるダージリンとお茶受けに先ほどの金平糖を皿に盛って出す。
レギュラスは紅茶を「とてもおいしいです」と絶賛した。
レギュラス・ブラックは前世を黒川亮太と名乗った。
中学校からの帰宅中に、車に轢かれそうになった幼馴染みを助けて死亡した。享年14歳。
二十代前半で死んだシドから見ても充分に若すぎる死だった。
助けた幼馴染みが中学に入ってハリーポッターにはまった。
やがて重度なマニアと化してしまったために、彼は半ば無理矢理の形で原作や映画を見ることになり、強制的にハリーポッターの魅力を聞かされてきたので、ハリーポッターの基本的知識はあるという。
レギュラスの幼馴染みを語るうんざりとした様子に妙な親近感を覚えた。彼の気持ちがシドにはとても良くわかった。
シドも自分の前世を語った。前世の名前、死んだ時のこと。
姉が腐女子であることは口に出し難かったので、姉がハリーポッターのファンだったとして、原作の内容は部分的に覚えている程度のことを説明した。
「先に言っておきます。僕は純血主義じゃありません」
「だろうね」
「疑わないのですか?」
「純血主義なんて腹の足しにもならないと言う名言を聞けば疑う余地はないよ」
「僕、そんなこと言ってましたか?」
レギュラスは11歳の年齢相応に顔を染めて恥ずかしそうに慌てた。
興奮し過ぎて覚えていないようだ。だからこそあれが嘘偽りのない本音だと判断できる。
「中二病も久しぶりに聞いた言葉だ」
思わず苦笑すれば、「前世の時から闇の帝王はジャイアンな中二病だと思ってました」と言われて、あまりの不意打ちに噴き出してしまった。
シドの頭の中では闇の帝王が土管の上で杖を振りながら破滅的な歌を披露するリサイタルを行っていた。この場合苦行に耐える観客は死喰人の面々だろう。
前世の姉やその友人達もよく闇の帝王をレギュラスと同じく評して笑っていた。
今生の家族達は闇の帝王を「愚か者」か「頭の病んだ人」呼ばわりをしている。
闇の帝王は冷静に大人の目線から見てもかなり痛い人物のようだ。
もしかして名前を言ってはいけないと言われているのは、闇の帝王が名前を口にするのも憚られるほどあまりに痛い人だからだろうか。
ふとそんな疑問を目の前のレギュラスにすると、彼は腹を抱えて笑い出した。
「そ、その発想はなかったです」
「そうか。あながち間違いじゃないと思うが。それからさっきの言葉使いが素ならそちらで話してかまわない」
「いいえ、僕の普段の言葉使いはこれです」
前世の彼は言葉使いが乱暴な少年らしい少年だったが、名門の子息として生きるためには不必要な物であり、成長の過程で言葉使いを改めた。
それでも家族に対する不満を心の中で罵っている時は昔の言葉使いになっていたらしい。
今回は驚きと鬱憤を吐き出すあまり、心の中の言葉使いが出てきたようだ。
「君はどうする気? 未来を知っているなら未来を変える気だろう?」
つまりは自分が死ぬ運命をだ。
「当然です」
レギュラスはきっぱりと頷いた。
「僕は純血主義じゃありません。当然、闇の帝王が掲げるマグル殲滅なんて興味ないです。僕が死喰人になる気もありません」
彼は簡単に自分の人生を語った。
産まれた時から知っている自分の死を避けるために色々な手段を考え抜いてきたこと。
母親と兄が不仲でなければ、兄がブラック家を出ることもなく、自分がブラック家の運命を背負うことも、その為に死喰人になって死ぬこともないと必死に家族仲を良くしようと考えたのだ。
けれど人生経験が浅い元14歳には支配的でヒステリックな母親とその母親の尻に敷かれている父親、そんな両親に反抗心だけで反発する感情的な兄の仲を取り持つのは無理難題だった。
前世の母親が穏やかで優しく、父親は明るくひょうきん、年の離れた兄は頼りがいのある憧れの存在という、典型的な温かい家族に囲まれて育った彼には、ブラック家はまったくの未知の世界だった。
それでも幼い頃はそれなりに努力はした。小さな頃は兄弟仲は悪くなかったのだ。
成長するに連れて、兄は支配的な母親に反発するようなった。もちろんそれが悪いとは思わない。
「方法がまずかったのです。真っ正面から反発すれば母が激昂するのはわかりきっているのに。母の言いなりになれとは言いませんが、せめて母の機嫌を取る為に話しを合わせるなりして欲しかったです。
後で『貴方はシリウスのように純血主義を否定したりしないわね』と両肩をギリギリと掴まれて、至近距離で般若の顔、しかも血走った目で問われる弟のことなんて考えたこともないんでしょうね」
子供にはトラウマになりそうな出来事だ。
レギュラスは当時を思い出したのか、己の体を抱きしめて身震いした。
幼い子供がそんな鬼の形相の母親に逆らえるわけもなく、逆らえば本能的に身の危険すらも感じ取れるほどだった。頷くしか道はなかった。
そんな感情的すぎる性格の兄だからうかつに純血主義者ではないと真実を教えることもできない。
当然だとシドは頷いた。
後先を考えないシリウスは自分の仲間が増えたと思って、そのことを意気揚々と母親に宣言するだろうと容易に想像がついた。
中身がすでに14歳まで育っているためにレギュラスが普通の子供より頭の回転が良かったのも問題だった。
物覚えが良く、家庭教師達にも褒められ、その時ばかりは母親は上機嫌になる。
ただそれに関して弟が出来るから兄も出来るはずだと、むしろ出来ない方がおかしいとシリウスにさらに厳しくしはじめたのはレギュラスの誤算だった。
厳しくされることで兄はさらに反発し、その原因となったレギュラスに辛く当たるようになった。
この頃になるとすでに母と兄の仲を取り持つことに嫌気が差していた。
なぜあの兄は自分まで純血主義じゃないと言えば、己の身すら危なくなることが理解できずに、純血主義を否定しないこちらを責めててくるのか。
息子二人が自分が至高と掲げる純血主義を否定して、狂信的な純血主義者の母親が黙っていると思うのか。
なぜいつのもようにヒステリーを起こすだけですむと楽観的に考えれるのかわからなかった。
「どれほど親に反発しても所詮は子供なんだ。親が子供に危害を加えることがないと甘えた考えを持っている」
「でしょうね。なんだかんだ言っても兄は長男として大切に育てられていて、厳しくはされていますが体罰を受けたりはしていませんから」
甘やかされているのに甘やかされた自覚のない坊ちゃんだ。
やがてレギュラスはなにもかもが面倒になり、母親に従う純血主義者の誤解を与えたまま兄の相手をするのをやめた。
母親の絶対の信頼を得て、いつかの未来のために彼女が満足する良い子を演じることに徹することにした。
ホグワーツに入学すれば自由な時間が増える。未来を変えるための術も勉強できる。
それが入学するまでの自分を支えていた希望だったと彼は語った。
「兄が愚かだと弟が苦労するね」
「まったくです」
それでいて弟のレギュラスは迂闊だ。
いくら同じ転生した仲間で同郷の人間とは言え、出会ったばかりの自分を信用しすぎだった。
この会話を元に自分が彼を害しないとどうして考えないのだろうか。
世の中には己に利がなくとも無条件に他人の不幸を好む悪趣味な人間もいるのだ。
それをレギュラスに言えば、彼は不思議そうに首を傾げた。
「聞く限りのあなたの性格を考えると、あなたの大切な人を傷つけて怒らせないかぎり、わざわざ自分からそんな面倒な真似をするとは思えませんが」
大切な者以外は無関心なシドの性格は有名である。
「それに僕に前世の話しをしてくれました。それは僕を信用してくれたからですよね」
「…………そうなるね。迂闊なのは僕も一緒だ」
同じ世界に転生した前世持ちに会って浮かれたのはどうやらレギュラスだけではなかったらしい。
同時にセルウィンの家柄のせいか、大人の汚い感情を見慣れすぎている自分に気づいた。
心の中で己に呆れてため息を吐きながら、懐かしい金平糖をひとつ口の中に入れた。
良い砂糖を使っているのだろう。しつこくない優しい甘みが口の中で溶けていく。
「ブラック家ではセルウィン家に近付いて信頼を得るように言われていると思うけど」
ブラック家に限らず、セルウィンに近付こうとする純血一族は子供同士を仲良くさせようとする。
「はい。母親にあなたの信頼を得る友人になるようにと言われてます」
「自分達も出来なかったことを子供に押しつけるのは良くないね」
「自分のことは棚の上が基本ですから」
「大人としての資質を疑うな」
ブラック夫人が学生だった頃にはセルウィンの名を持つ生徒がいたはずだ。
結局のところ、強い純血主義のブラックの人間は総じて自由恋愛主義のセルウィンの者達から疎まれているのが現状だ。
「なら君が初の成功者になろうか」
「良いのですか?」
まだ腫れぼったい灰の瞳が大きく見開かれるが、その表情は驚きと期待に染まっていた。
「同じ転生者で同郷の縁だ。君の運命を変えるのに協力しよう」
友好の証として握手を求めて右手を差し出す。
その手をがっちりと両手で握ったレギュラスは再び堪えきれないように泣き出し、シドは苦笑しながら開いているもう片方の手で子供にやるようにレギュラスの頭を撫でた。
シドは泣きわめくうるさい子供は苦手だ。けれど好ましいと、懐に入れて守りたいと思った相手なら話しは別だ。
この孤独な子供はどこか大切な友人を彷彿とさせた。
子供らしくない眉間に皺が寄った険しい顔に笑顔を。
痩せずぎた体には充分な栄養を。
リリー以外は信用しない人間不審だった彼に沢山の友人を。
彼が変わったようにこの残酷な未来を知っている泣き虫な子供の運命が変わっても問題はないはずだ。
とりあえず今後のことを話し合うために、ボロボロと涙を流すレギュラスをどうやって泣きやませるかシドは考えを巡らした。