常識人と書いて苦労人と読む



 ハロウィンの朝はお菓子の甘い匂いが大広間へ向かう通路いっぱいに漂っていた。
 甘いお菓子の香りと色とりどりの生徒達の仮装。これから楽しい一日が始まる期待に生徒達のテンションは高い。
 甘い物が好きで騒ぐことが好きな人間には楽しい一日だ。逆に甘い物は苦手、うるさく騒ぐより靜かに過ごしたい人間には面倒な一日になる。
 エドモン・S・ブノワは後者の人間に属した。
 ホグワーツに入学した年のハロウィンは地獄だった。兄と姉から話しには聞いていたが、まさか拷問並に甘い匂いがするとは予想していなかった。
 甘すぎる匂いに激しい頭痛がした。さらに吐き気も覚えた。
 体調最悪の中で騒ぐ同寮の馬鹿達に八つ当たり紛れに怒りを向けてしまったのは反省していた。後悔はまったくしていないが。
 一年生がハロウィンで乱闘騒ぎ。激しく口論しているうちに、人のことを勝手に「純血主義だ」とか騒ぎ出した馬鹿がいたせいで、口論の相手はいつの間にか増え続け、上級生の誰かが魔法で攻撃をしてきたのを発端に乱闘になったのだ。
 甘い匂いの染みついたパンをブラックコーヒーで喉の奥へ流し込み、厚切りのベーコンを黙々と平らげていく。
 賑やかなグリフィンドール席でエドモン周囲だけは不自然に空間がある。
 入学して三年。ハロウィンの乱闘まではいた知り合い以上友人未満もあの騒ぎからはいなくなった。
 別段それが寂しいとは思わない。この寮の気質のごとく、友情に厚く鬱陶しく群れるの性に合わないので、この生活もそれなりに満喫していた。
 それに友人未満がすべていなくなったわけでもない。
 グリフィンドール寮にて「純血主義」で「すぐに切れて暴れ出す危険人物」と認定されたエドモンに、ハロウィン後も唯一態度を変えなかったのは二人部屋のルームメイトだった。
 「気分が悪くて不機嫌だったのも知ってるし、『純血主義』は相手が勝手に言いだしたことだ。むしろあの口論の流れでどうして純血主義になったのか疑問に思う。疑問に思わずに賛同した周囲の生徒達に僕の方が驚いたよ。だからと言って、不機嫌だったからという理由で乱闘騒ぎを起こした理由にはならないけど」
 大人しそうな外見に反してズケズケと言いたいことを言い、笑顔で相手を威圧するタイプの人物だった。
 ふと気づけば、いつの間にか親友と呼べるようになったルームメイトが隣に座っていた。
 「今日はいろいろとうるさくなるな」
 「ハロウィンだからね。二年の坊や達がはりきってるはずだよ。嫌だな。また他寮から苦情が来るよ」
 グリフィンドールにはひとつ下の学年に傍迷惑な集団がいる。
 「エド、僕にもコーヒーをくれ。今日のベーコンは美味しそうだ」
 「わかった」
 大皿の厚切りベーコンをごっそりと取り皿に移す。オムレツも取り皿いっぱいで、パンもたっぷり。
 朝から胃にもたれそうな量だが、これから彼の普通の食事量だ。親友はいわゆる痩せの大食いだった。
 「校長は相変わらず派手だね」
 「ああ、目がチカチカする」
 パンプキンカラーのローブは一種の目への攻撃だった。
 ふと大広間の入口付近がざわめいた。先ほどから仮装している生徒が入ってくるたびに歓声があがっていたが、それとは違う種類の静かに波紋を広げて広がっていくざわめきだった。
 そちらを見れば、ホグワーツでも有名なスリザリン生が二人連れだって歩いていた。
 シド・セルウィンとセブルス・スネイプだ。
 二人は席につくと、お互いに心得たように朝食の準備を始める。
 シドが大皿から料理を取り分け、セブルスが飲み物を用意する。お互いに甲斐甲斐しい様子に、出来たての可愛らしいカップルを見ているような気分になる。
 奇人変人の一族であり、同時に排他的な一族としても有名なセルウィン家。
 その直系次男であるシド・セルウィンは一族の中でも群を抜いて他人に無関心な人物だった。そんな彼が笑顔を向ける人物がルームメイトであるセブルス・スネイプだ。
 「…………あれがセルウィン待遇か」
 ぼそりと唇をこぼれた言葉は、幸いなことに五個目のミートパイに夢中になっている親友には届かなかった。
 セルウィン家の人間は心を許した相手には甘くなる。懐に入れてしまえば身内と同じ。
 なにがあっても守るし大切にする。一族以外は無関心の反動のように、身内を愛しぬくのがセルウィン家だ。
 傍目から身内待遇を見るととても恥ずかしい物だと痛感した。ましてそれが良く知っている人物がしていると思うと、尚更自分のことのように恥ずかしい。
 『シド様。お願いですからその眩いばかりの微笑みを振りまかないで下さいよ』と心の中でエドモンは叫ぶ。
 もしセブルス・スネイプが女の子だったら、軽く三回は恋に落ちているだろうと思ってしまう。
 現にセブルス・スネイプに向ける眼差しが優しすぎて、彼の姉ハーティがホグワーツに残した置き土産に影響され、妖しげな妄想に歓喜する女生徒達の悲鳴が絶えないのだ。





 エドモンの祖父は先代セルウィン家当主クライド・セルウィンの弟にあたる人物である。
 祖父は息子と娘をもうけ、娘がエドモンの母親であり、エドモンはシドとはとこの関係にあるのだ。
 もっとも母がマグルの父と結婚した為に、エドモンは魔女とマグルのハーフと周囲に思われており、セルウィン家との関係は一切知られていない。
 セルウィンの親戚達は一様にその血筋を隠す。
 闇に狙われて危険だし、血筋を目当てに近付いてきたり、さらにはその血を手に入れようとセルウィンの女性を攫う事件が過去に多発したのだ。
 それゆえに直系以外はなるべくセルウィンの名を隠すのだ。
 膨大な魔力を秘めたセルウィンの血は、繁栄と共に一族に対する危険ももたらしている。
 エドモンと一つ年上の双子の兄と姉は現在ホグワーツに通っている唯一の直系であるシドの護衛を祖父から命じられている。
 当初、エドモンは祖父に反論した。自分よりはるかに強いシド様をどうやって守れと?
 はっきり言ってひとつ年下のシドは強い。
 幼い頃から並の大人では敵わなかったし、歴代最年少の年齢でセルウィンの男として一人前と認められる『祝い狩り』の参加を認められた経歴を持つ。
 護衛に入ったところで足手まといになるのが目に見えていた。
 護衛については名ばかりで、普段は無関係を装い命じられたことを遂行するのが仕事の内容だった。
 身内に命じることを嫌うシドが初めて自分達兄弟に命を出したのは、セブルス・スネイプとリリー・エバンズの護衛と彼らに悪意を持つ者の調査だった。
 身内以外で初めて得た友人を守ることに彼は全力を尽くした。その子供相手に容赦のない制裁は影ながらエドモンも見ていた。
 彼を怒らせてはいけないと思い知らされた日でもある。
 エドモンはちらりとスリザリン席に座る姉を見た。
 姉はうっとりとシドとスネイプの二人を見ていた。姉はハーティを心酔していて、彼女が作った愛好会の会員でもある。
 姉は自分が仕える主であるシドとその友人であるセブルス・スネイプとの恋物語に夢中であり、特に日に日に可愛らしくなっているというセブルス・スネイプにメロメロな状態にある。
 セブルス・スネイプの護衛を命じられてことをこの上なく喜び、現在彼の先輩としてことある事に話しかけ、親しい先輩の地位を得て舞い上がっている状態だ。
 現在もさきほどセブルス・スネイプとシドからもらったお菓子を眺めて何を考えているのかニヤニヤとしている。
 「珍しいな。白いフクロウだよ」
 カボチャジュース片手に七個目の糖蜜パイを食べていた親友の声に大広間の天井を見上げた。
 雪のように白いフクロウが飛んでいるのが目に入り、危うくコーヒーを噴き出しかけた。
 あの特徴的な真っ白なフクロウは見覚えがありすぎた。自分の主が一番苦手としている人物のフクロウなのだ。
 視界の隅で姉がキラキラした目で白いフクロウを見ているのが見えた。
 あの人が絡むと碌な事がない。
 頭を抱えながらフクロウが降りた先を盗み見ていれば、唐突に白い煙がスリザリンテーブルの一角を包んだ。
 思わず立ち上がってそちらを見る。幸い、何事かと注目を浴びていたのでエドモンの行動を気にする生徒はいなかった。
 煙が晴れると、そこには絶世の美少女が姿を現した。
 エドモンは喉の奥で声にならない悲鳴をあげた。
 セルウィン本家で見たことのある先代当主の妻、「破滅のヴィーラ」の名を持つ稀代の魔女。
 実際に素顔は見たことがないが、仮面に覆われながらもその美貌は疑うまでもなく、そんな彼女を彷彿とさせる人物の姿に血の気が引くのがわかった。
 性別変換の魔法薬なら大問題だった。
 シドはヴィーラの魔力を持っており、もし女性に生まれたならフィリスにそっくりなこともあり、第二の「破滅のヴィーラ」となっただろうと言われていた。
 大広間にいる事情を知っているセルウィンの血を引く者すべてが戦慄しているはずだ。
 心を奪い命までも捧げさせるヴィーラの魔力の恐ろしさは、彼女に狂った人間を一度でも見たなら骨身にまで刻まれて忘れることができない。
 シドはそんな彼らに聞かせるためか、服が変化して髪が伸びただけで、性別変換の魔法薬ではないと大きな声で言い、その言葉に脱力してエドモンは椅子に座った。
 「美人だね」
 「男だ」
 「美に男も女もないと思うよ。エドも顔はきれいなのに、目つきの悪さがすべてを台無しにしてる。残念な美形だよね」
 「大きなお世話だ。おい、糖蜜パイ、一人で大皿一皿食べる気か? 他の連中にも残してやれ」
 放っておくと大皿一皿をすべて食べ尽くす。
 親友の食いっぷりに恐れをなした一年生が、糖蜜パイをチラチラ見ながらも取れずにいるのが見え、近くのアップルパイの大皿からパイを五個取ると親友に渡した。
 「これ食ってろ。いま果物取ってやる」
 「リンゴとブドウ。あとカボチャジュースおかわり頼むよ」
 「まだ食べるのか?」
 「今日は夕食が楽しみだから甘い物が控え目にしておく」
 言いながら大きな口でアップルパイにかぶりついた。
 スリザリン席では姉を含む女生徒達がシドとセブルス・スネイプをどこかへ連れていこうとしているのが見え、『ほどほどにしてくれよ、姉さん』とエドモンはため息を吐いた。
 ザワザワとうるさい生徒達の会話の中に、朝大広間から女装姿で出て行ったシド・セルウィンの話しがのぼっていた。
 絶世の美少女は更に美しくなり、可憐な美少女と一緒に行動しているらしい。可憐な美少女とはおそらくセブルス・スネイプのことだろう。
 シドと一緒にいるばかりに、妄想好きな愛好会の被害にあって気の毒だと心の底から思った。
 昼食の頃にはシド・セルウィンとセブルス・スネイプがお揃いの蛇のモチーフのピアスとバングルをしていると噂になり、女生徒達の妄想力を無駄に刺激していた。
 蛇のモチーフは次期当主となるブライアンが好むデザインだ。セブルス・スネイプはシドだけではなく本家の人間にも気に入られているらしい。
 朝よりさらに甘いお菓子の匂いが強くなった大広間で、その細い体の一体どこに入るのか疑問がつきない親友の食事風景を眺めつつ、パサパサとして美味しくないミートソースパスタを食べる。
 セルウィン本家の食事は最上級の代物だ。
 とにかく出される食事のすべてが美味しくて、初めて食べた時は大人ですら感動に泣くこともあるらしい。
 一度食べると今まで食べていたイギリス料理がゴミのように思えてしまうほどだ。
 おかげでセルウィン本家に行った子供達は母親の料理を食べなくなり、困った母親が本家に料理を習いに行き、各家庭の食事も格別に美味しくなるという幸せの和が広がっていたりもする。
 祖父が先代当主の弟であり、エドモンもセルウィン流の料理を当たり前のように食べていたので、このホグワーツに来た時はその料理の味に絶望したものだった。
 食べれないほど不味くはないが美味しいとは思えない。休暇のたびに『お母様の料理が一番美味しい』と泣きながら母の料理を食べていた兄と姉の気持ちが今は良くわかる。
 とりあえず己の体調管理のために食べれる時に食べるが、腹は満たされても心が満たされる気はしない。
 実家やセルウィン本家の料理にありつけるクリスマス休暇が待ち遠しくてたまらなかった。
  生徒達のざわめきが不意に途切れ、昼食時の大広間に不似合いな静寂が落ちた。
 誘われるように大広間の入口を見れば、そこには誰もが息を飲む絶世の美貌の少女が可憐な少女と一緒に大広間に入ってきたところだった。
 「あれはすごいな」
 口いっぱいに頬張っていたパスタを飲み込んだ親友が感嘆の息を吐く。
 口のまわりがミートソースだらけで、エドモンはナプキンで親友の口を乱暴に拭いた。
 「すごいのはおまえの顔だ。誰もおまえの食い物を取らないから落ち着いて食え」
 「ありがとう。お母さん」
 「誰がお母さんだ」
 ナプキンを親友の顔に投げつけ、ふと親友のカップが空になっていることに気づいて、カボチャジュースを注いで渡した。
 大広間の注目を集める二人のところに向かっていく強者がいた。
 黒いミニドレスの赤毛の少女は迷うことなくセブルス・スネイプに抱きついたのだ。
 「……………」
 嫌な予感にレイブンクロー席に視線をやれば、すごい勢いで何かを羊皮紙に書き出す兄の姿が見え、エドモンは頭を抱えた。
 兄は姉とはまったくの別方向でハーティの影響を受けてしまった人物だ。
 彼女達が愛するベーコンレタスとは対極に位置する、女の子同士の恋愛物語に兄は目覚めてしまったのだ。
 兄に限らず、あちこちで何かを必死に書き留めている生徒の姿が男女問わず認められ、ハーティがホグワーツに残した恐ろしい置き土産の影響力を痛感した。



 「シリウス・ブラックの初恋の相手がシド・セルウィンらしい」という噂を耳にしたのは、ハロウィンの晩餐のために大広間に向かう通路でだった。
 『なにを今更』というのがエドモンの感想だ。
 幼いシリウス・ブラックがシドに一目惚れしてプロポーズした事実はセルウィン一族では有名である。
 なにせ目撃者にハーティがいたのだ。彼女が喜ばないわけがなく、黙っているわけもない。
 その後も興味のない相手の顔と名前は徹底的に覚えないシドに、何度も突っかかっていく純情な少年の姿は一族達に生暖かい目で見守られていた。
 シドはホグワーツに入学してからやっと彼を認識したようで、さすがにシリウス・ブラックを気の毒に思っていたエドモンもホッと安堵したものだった。
 様々な噂が飛び交うなか、ハロウィンの晩餐ではグリフィンドールの後輩達が予想通りに騒ぎを起こした。
 人形サイズの人型チョコレートが走り回ってテーブルや生徒達をチョコレートまみれにする大惨事だ。
 だが逃げようとするチョコ人形を両手で押さえつけ、頭からかぶりついて食べている親友の姿の方がエドモンには衝撃的だった。
 「そんなもん食うな!」
 「普通にチョコレートだよ。ちょっと暴れて食べにくいけど」
 じたばたもがいて動いている人型チョコレートが頭を食べきったところでピタリと力つきたように動かなくなったのが生々しくて嫌だった。




 この一ヶ月後、敬愛するシドとの定期連絡の場にて、姉の書いたシドとセブルス・スネイプの女装プレイ本。兄の書いた禁断の女性化女の子同士本のために、必死に頭を下げる未来が待ち受けていることをエドモンは当然ながら知らなかった。




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