二年生のハロウィン2


 「と、突然なんて恐ろしいことをするんだ!」
 こちらを睨みつけ怒鳴ってきたジェームズの顔は若干引きつっていた。全男性最大の急所への容赦のない攻撃を見れば、同じ男として腰が引けてしまうのは仕方がないことだ。
 「いきなり抱きついて来た変質者を撃退しただけだ」
 悶絶するシリウスを冷たい目で見下ろす。
 シリウスはこちらを睨みつけてきたが、股間を押さえて半泣きの顔では眼力など皆無であるし、もとよりシドはシリウスが睨んできたところで痛くも痒くもない。鬱陶しいだけだ。
 しかもシリウスはシドが冷ややかに見下ろすと、激痛に耐えて赤かった顔をさらに耳から首まで真っ赤に染め上げる不可解な行動を取った。
 なぜシリウスが抱きついてきたかは疑問だが、理由を知りたいとは思わない。馬鹿なお子様の行動に深い理由があるとは思えないからだ。
 シドはシリウス達から視線を別方向へと移す。
 「ところで君は?」
 シリウスの股間を蹴り上げた時から視界に入ってきた少年がいた。
 黒髪にスリザリンカラーの制服を来た少年は床で悶絶するシリウスをカメラで撮っていたが、シドの声に反応してカメラから顔をあげた。
 どこかで見た顔だ。他人に関心が薄いシドの記憶に残るならそれなりの接触があったのか、印象深い何かがあった時に限られている。この少年の場合は後者に該当した。
 頭に花を咲かすグリフィンドール生を腹を抱えて大笑いし、そして厨房への地下通路で兄であるシリウス・ブラックと口論をしていた人物だ。
 「はじめまして、ミスター・セルウィン。レギュラス・ブラックです。本当はパーティーなどで何度かお会いしていますが、どうやら僕はあなたの記憶には留まることはできなかったようですね」
 黒髪に濃い灰の瞳。顔立ちは兄であるシリウス・ブラックと似ているが、彼より印象が柔らかく見える。
 兄が粗野粗暴な態度に対し、彼はいかにも良家の子息と言った凛とした気品が見える。兄弟でずいぶんと性質が違う物だとシドは関心した。
 「別に君だけを覚えていないわけじゃない」
 「ええ、知っています。あなたのその冷たい態度に何人の名家の子供達が泣かされたことか」
 「人聞きの悪い発言は控えてもらおうか」
 名門セルウィンの人間に近付くために、自らの子供を使って接触を図る大人達は沢山いた。
 親から強く命令された子供達は必死になってシドに取り入ろうとし、シドはそんな親からのプレッシャーを理解していながら、子供達を徹底的に無視をした。
 レギュラス・ブラックの発言はそんなシドに対する当て擦りのようだ。
 「君はそこの変質者の弟か?」
 「否定したいところですが実の兄です」
 「なん、だと!」
 弟に向かって声を荒げたシリウスだが、その声に普段の勢いはない。
 辛うじてそれだけ発言した兄の無様な姿をレギュラスはカメラに撮った。
 「うるさいですよ。せめて立ち上がるぐらいしたらどうですか。いつまでも床に這いつくばって情けない」
 「いや、シリウスの弟君。あの強烈な蹴りを受けたあとにそう簡単に立ち上がるのは不可能だよ」
 冷静にジェームズが言った。その上で友人の体調を心配し、医務室行くべきだと勧めはじめた。冷や汗を流しながら、潰れてたりしたら大問題だと説得している。
 蹴った感触では潰れる方ではなく折れる方だった。ぼそりとそう呟けば、近くにいたセブルスとレギュラスの二人の顔色が悪くなった。
 「君はいつもカメラを持ち歩いているのか?」
 名門の子息とカメラ。日本人観光客ならともかくとても不自然な組み合わせだった。
 「これは今日、ミスター・セルウィンが女装をしていると耳にしたので」
 「僕を撮る気だったのか?」
 レギュラスの発言に不快気に声を低くするが、レギュラスは慌てて首を振った。
 「いいえ、初恋の君の女装姿を見れば兄が暴走すると思って、後で馬鹿にするために用意していました」
 「初恋の君?」
 不思議そうに問いかけたのはセブルスだった。シリウスがなにか言っているが、シドもセブルスもレギュラスも聞いていなかった。
 「はい………セブルス・スネイプ先輩ですよね? はじめまして、レギュラス・ブラックです。あなたのように可愛らしい方とお会い出来て光栄です」
 自己紹介をしながらまるで女性に対するような発言をしたレギュラスに、可憐な美少女は眉間に深い皺を刻んだ。
 外野では「スニベルス!?」とジェームズ達が驚きの声をあげ、頭に黄色いタンポポの花を咲かせていた。例の教育的指導は今も続いている。
 「僕は男だぞ」
 「知っています。先輩の現在の姿に合わせてみました」
 シリウスに似た整った顔立ちでにっこりと嫌味無く笑う。その姿にセブルスはますます眉間に皺を寄せた。
 シリウスと似た顔でそんな笑顔を向けられると不気味だと考えているのがすべて顔に出ていた。
 「それで初恋の君とはなんだ?」
 「言葉のままです。兄は幼い頃ミスター・セルウィンに一目惚れして、初対面でプロポーズしています。その場にいたのでよく覚えていますよ」
 話しを盗み聞きしている周囲が騒がしくなりはじめた。
 「本当なのか、シド?」
 話しを聞けば、幼い頃に出たパーティーでシドを女の子と間違えたシリウス・ブラックがシドに一目惚れをし、その場でプロポーズしたらしい。
 「生憎とまったく記憶にないよ」
 「そうでしょうね。衝撃のプロポーズをされたのに、次のパーティーで会った時はあなたは兄を知らないと言った。男に求婚する相手を軽蔑しての行動だと思っていましたが、あなたが他人に興味を持たない人だと耳にして、本当に兄のことを覚えていないのだと理解しました」
 幼い頃から男に求婚されるのは不本意ながら慣れていた。
 シリウスもそんな大勢の中の一人であり、原作の人間であるから優先的にシドの記憶から抹消されていったらしい。
 床のシリウスと目が合うと、彼はすぐに目を反らしたが、チラチラとこちらを伺うように何度も見てくる。
 自分の女装姿を見てシリウスが暴走するとレギュラスが言った。そしてこの態度だ。
 そこから導き出される答えを理解できないほどシドは鈍くはなかったが、知ったところで興味も関心もなかった。
 「シリウス・ブラック」
 名前を呼べば弾かれたようにシリウスはシドを見上げた。
  顔や耳、首まで赤く染まっている事実や、期待に染まった熱い視線のすべてをシドは見なかったことにした。
 「僕は男だ。ハロウィンの仮装で女装をしているが女じゃない」
 言外に現実を見ろ、頭を冷やせと告げる。
 艶やかな美少女が跪く男を見下して冷淡に話す姿は、背徳的な一枚の絵のように妖しく生徒達の目に映り、生徒達はうっすらと頬を染めた。
 「そんなにスカートが似合ってるのにか!」
 シリウスはやけくそのように声を上げた。
 幼い頃の初恋という病を彼はいまだに患っているらしい。
 病が重くて現実すら直視できずにねじ曲げようとしている。その哀れな少年の姿にシドはため息をついた。
 「話しにならないな。ミスター・ポッター。君のご友人を医務室に連れて行くべきだ。彼は激痛のショックで頭が混乱している」
 「あ………うん。確かに混乱してるね」
 呆然とシリウスを見ていたジェームズは戸惑いながらも頷いた。
 「でも僕はシリウスの気持ちを否定する気はないよ。君が初恋だなんて趣味が悪いとは思うけどね。君って顔はすごく良いけど性格が最悪じゃないか」
 頭にたんぽぽを咲かせている人物が他人をどんなに馬鹿にしても様にならない。
 レギュラスがそんなジェームズを見てブッと噴き出し、滑稽なジェームズを被写体としてカメラに収めはじめた。
 ジェームズの発言に反応したのはシリウスだった。
 「今の発言は取り消してくれ。いくらジェームズでも初恋を馬鹿にされるのは許せない」
 「シリウス、君も正気に戻れ。彼は男だ。そんな初恋を大切にしても意味がないだろう。それともなにかい? 君は男の初恋相手をいまでも好きだと言う気なの?」
 「セブルス、昼食に行こう」
 言い合う二人を無視して大広間へとセブルスを促した。
 「ああ」
 ちらりとシリウス達を見るものの、当事者であるシドが彼らにまったく関心がないと理解したのか、セブルスはシドと一緒に歩き出す。
 「あいつはシドのことが好きなのか?」
 「初恋に幻想を抱いているだけだよ」
 彼の初恋の少女は最初からどこにも存在しないのだ。
 男とわかった時に思い出したくもない過去の汚点として記憶から抹消させてしまえば問題ないのに、シリウスはそんな初恋を大切に温めていたようだ。
 シリウスといつ出会ったかまったく記憶にないシドだが、純情な少年の初恋を奪ってしまった事実は、
 中身三十路過ぎの大人としては多少なりとも罪悪感を覚える。
 だからと言って彼の想いに応えようという気持ちはない。シリウスの質の悪い患いが心の中から消えるのを願うのみだ。
 大広間に入ると大広間中の視線がこちらに集中した。
 男女ともに食い入るような眼差しはシドには鬱陶しいと思う程度だったが、隣のセブルスは脅えたようだ。
 立ち止まったセブルスに「大丈夫だよ」と安心させるために笑ったところで、「セブ!」という澄んだ少女の声が大広間に響いた。
 ふんわりとしたシルエットの黒のミニドレスの少女が真っ正面からセブルスに抱きついた。
 「可愛いわ。もう信じられないぐらいに素敵だわ! 先輩達も素晴らしいセンスしてるのね。セブをこんなに可愛らしくしてくれるなんて!」
 興奮気味に捲し立てながら、至近距離でセブルスの顔を凝視している。
 相手がリリーだとわかって、セブルスは女装してる姿をリリーに見られた羞恥の為か、もしくは好きな子に抱きつかれた上に顔があまりに近い照れの為か、可憐な少女の顔を真っ赤に染めていた。
 セブルスのリリーに対する純情な恋する少年ゆえの免疫のなさは一年生の頃からかわらない。
 この年齢ならまだ問題ないし、そんなセブルスも可愛いとシドは思うのだが、本気でリリーを口説く気なら将来に向けてそろそろ本気で免疫を作る必要がある気がした。
 でないとセブルスがリリーを口説けるようになるまで、一体何十年かかるかわからない。
 リリーの例の愛好会に対する忍耐力と耐性ばかりが培われてもあまり意味がないのだ。
 セブルスの微笑ましい初恋は応援したい。そのためにはリリーと会う時間を増やす必要がある。
 今度からお茶会の他にお菓子作りも頻繁に誘ってみようかとシドが考えている間にも、セブルスはリリーの他にメアリーやエディトに抱きつかれていた。
 スリザリンの女生徒達もそうだったが、今のセブルスは女生徒達が抱きつかずにはいられない何かがあるらしい。
 もちろんそれが何なのか、シドには理解できなかったが。
 可愛い可愛いと三人組にもみくちゃにされているセブルスが助けを求める視線を送ってきた。
 リリーに抱きつかれるなら照れながらも、相手は想いを寄せる女性だ。「可愛い」と連呼されて微妙な気持ちになりつつも満更でもないのが男心だが、そこに彼女の友人二人が乱入すれば話しは別だろう。
 スリザリンの女生徒に集団で抱き潰されたトラウマも手伝ってか、助けを求めるセブルスの眼差しは必死だった。
 「リリー、ミス・オーレン、ミス・ボーモント。淑女が軽々しく男に抱きつくのは感心できない」
 シドがそう厳しい口調で言えば、弾かれたようにリリー達はシドを見た。翡翠とダークブルーと漆黒の三つの双眸が驚愕に見開かれる。
 リリーはふんわりとしたシルエットの黒のミニドレスに、背中にはコウモリの黒い羽がついていた。
 魔法を使っているのか、羽はパタパタと動いている。赤毛の頭には二本の角のカチューシャ。
 逆さハートが先端に付いた長いシッポがゆらゆらと揺れていた。キュートな悪魔の仮装だった。
 メアリー・オーレンは女海賊の姿をしていた。勇ましい姿が気の強そうな顔立ちの彼女に良く似合っている。
 エディト・ボーモントの仮装はおそらく流行の最先端を行っていた。
 彼女の仮装はロングスカートの露出の少ないメイド服で、頭には犬の耳、お尻の部分にはフサフサとしたシッポが生えていた。
 いずれも白金の美しい毛並みの耳とシッポだった。
 この時代で彼女だけが21世紀の日本のオタク文化を代表する姿になっていた。
 「シドなの?」
 ポカンと口を開けてこちらを凝視していた三人のうち、リリーが聞いてきた。
 幼馴染みのセブルスの女装を一目で見破ることは出来ても、一見近寄り難い冷淡な印象の美少女がシドだとは気づかなかったらしい。
 「そうだよ」
 「すごくきれいだわ。シドは美人だと思ってたけどこれほどまでなんてっ!」
 「目が眩む美しさって本当にあるのね」
 そう思う相手が男子生徒なのが悔しいわとメアリーが嘆息をもらす。
 「ミスター・セルウィンとスネイプ君が並ぶと目の保養ね」
 「とりあえず三人ともセブルスを解放してもらえるかな」
 こちらを見つつも彼女達は今だセブルスを解放していない。セブの肩や腕をがっちりと掴んでいる。
 「このままセブと一緒にお昼を食べたいわ。いや?」
 好きな子に真正面から問われて首を横に振る男はいない。コクコクと真っ赤な顔をしてセブルスは頷いた。
 そんなリリーの姿は悪魔は悪魔でも小悪魔の類に見えた。しかも本人は無意識なので質が悪い。
 「やるわね。リリー」とメアリーが感心したように頷いていた。
 「セブルス、落ち着いて考えて。リリー達をスリザリン席に連れていけない以上、僕達がグリフィンドール席に行かなければならない」
 スリザリン席にグリフィンドールの女生徒を連れ込むなんて危険を犯すわけにはいかない。
 彼女達が不愉快な思いをするのは目に見えている。しかしだからと言って、シド達がグリフィンドール席に行くにも問題がある。
 わざわざうるさい馬鹿なお子様がいる場所に行きたいとは思わないのだ。
 シドに言われて我に返ったセブルスは眉間に皺を寄せた。間違いなくセブルスの頭の中にはグリフィンドールの四人組が浮かんでいるだろう。
 「すまない。リリー。僕達はスリザリン席で食べるよ。その、食事が終わったら話せるかな?」
 「ええ、もちろんよ。あ、そうだ。セブ。Trick or treat!」
 「Trick or treat!」
 「Trick or treat!」
 リリーに続くようにメアリーとエディトがセブルスにお菓子をねだった。
 慌ててセブルスはリリー達にお菓子の袋を渡した。
 「ありがとう。セブ。あら、これクッキーだけじゃないみたいね?」
 「本当だわ」
 セブルスがリリー達に渡したのは今まで他の女生徒達に配っていた物より袋が大きかった。
 「マフィンだわ」
 「シドに教えてもらったから味は保証する」
 エディトがさっそくマフィンにかぶりついていた。
 「エディト、昼食前よ」
 メアリーが不作法を咎めるが、「昼食のデザートよりこのマフィンの方が美味しいもの」と絶賛したので、彼女達もマフィンが気になり出したようだった。
 「気に入ってもらえてよかった」
 美味しいと感想をもらえたセブルスも嬉しそうにはにかみ、その姿を見たリリーが「セブ、可愛いわ!」と再びセブルスに抱きついた。
 「り、リリー、放してくれ」
 自分を抱きしめてくるリリーの腕を解いたセブルスは、ひとつ咳払いをすると、「Trick or treat!」とリリーとその友人達に言った。
 奥手と思いきや、リリーの手作りクッキーをしっかりと手中に収めたセブルスにシドは苦笑する。
 「セブみたいにマフィン付きじゃなくて一緒に作ったクッキーだけなのよ。がっかりしないでね」とリリーが言っていたが、セブルスはこの上なく大切そうにクッキーの小袋を受け取っていた。
 「リリーのだけじゃなく私達のもちゃんと食べてね」
 「ああ、ありがとう」
 純情な少年をからかうことを忘れなかったメアリーの言葉に狼狽しながら、セブルスはクッキーの礼を言った。
 そんな少女四人にしか見えない少年一人と少女三人の微笑ましい様子を見守っていたシドだが、正面にエディトが来たことで彼女に視線を向けた。
 「ミス・ボーモント?」
 ピクピクと動く犬の耳。シッポがマフィンを食べたあたりから目にうるさいほど元気に動いていた。
 彼女は年齢以上に幼い顔立ちを無邪気な笑顔で染めると両手を差し出してきた。
 「ミスター・セルウィン。Trick or treat!」
 「ああ、ずるいわ。エディト。ミスター・セルウィン。Trick or treat!」
 「Trick or treat! シド! ほら、セブも。セブのことだからまだシドに言っていないでしょ?」
 リリーに強引に促されて、セブルスも「Trick or treat!」と言ったが、口に出したあとで羞恥心に襲われたのか、ふいっとそっぽを向いてしまった。
 「はい、どうぞ」
 セブルスと同じくクッキーとマフィンが入った袋を渡すと、彼女達は「美味しいお菓子を手に入れたわ」と大喜びした。
 特にエディトが踊り出しそうなほど喜んでいた。よほどマフィンが気に入ったらしい。
 「……………」
 「……………」
 「……………」
 「……………」
 四人にジッと期待に溢れるキラキラした瞳で見られて、シドはその純粋な眼差しから目を反らしたくなった。
 彼らが何を期待しているのか理解しているが、精神年齢を考えるとどうしても躊躇ってしまう。
 自分の性格的にも柄じゃないと自覚もあった。
 普段ならシドの性格を知っているセブルスまでもが、自分が恥ずかしい思いをした仕返しとばかりに、可憐な少女の姿で期待に満ちた眼差しを向けてきている。
 「………Trick or treat」
 中身三十路過ぎの男が言うにはきつい言葉だった。
 いい年してと情けなく思うと同時に、何か大人としての矜持がひとつ失われたような気がした。
 リリー達からクッキーを、セブルスからクッキーとマフィンをもらい、お互いにとりあえず昼食を食べようとその場で一度別れた。
 甘い匂いをたっぷりと纏った昼食はあまり喉を通らなかった。コーヒーとサラダ、果物を無理矢理胃に詰め込んだ。
 セブルスはセブルスで注目されるのが居心地悪いらしく、先ほどリリー達に会って良くなった機嫌もあっという間に低下していた。
 「シド、昼食はきちんと食べておけ。夕食はもっと食べれないんだろう?」
 「そうだね」
 甘い匂いの本番は夕食の時だ。去年もそうだったが、甘すぎる匂いに気分が悪くなるばかりで一切食欲が湧かなかったのだ。
 「これは甘い匂いはしない」
 「ありがとう」
 渡されたミートパイは香ばしくて美味しかった。
 不意にグリフィンドール席から悲鳴が上がった。
 すでに女生徒の謎の悲鳴はホグワーツでは日常茶飯事であるし、その声に聞き覚えがあったせいで、シドとセブルスは「今度はなんだ?」とため息がちにそちらを見た。
 リリー達が興奮気味にシリウスに詰め寄っている。気のせいではなく、リリーやシリウスの視線は時折こちらを見ていた。
 「さっきのあいつの話しをリリー達が知ったのか?」
 「だろうね」
 ブラック家長男の初恋物語。弟がベラベラと話してくれたおかげで、彼の初恋の相手が誰なのかホグワーツ中に広がるのも時間の問題だろう。
 リリー達の水を得た魚のように生き生きとした姿がシドには恐ろしく見える。
 彼女達の頭の中で自分が一体どうなっているのか考えたくもない。
 案の定、昼食が終わって大広間を出るなり興奮気味なリリー達に捕まり、近くの空き教室に連行された。
 「ブラックの初恋がシドって本当なの?」
 「初対面でプロポーズされたって聞いたわ!」
 「シリウス×セルウィンも悪くないと思うの」
 「そう一度に言わないでほしい。確かにミスター・ブラックの初恋は僕らしい。僕もついさっきミスター・ブラックの弟が話したので知ったよ。プロポーズについては、プロポーズどころか僕はミスター・ブラックにいつ会ったかも覚えていない。
 それから、妄想は頭の中だけにしてくれ。わざわざ報告する必要はない。ミス・ボーモント」
 リリー達の質問に一気の答えて深く息を吐く。こちらの話しを聞くとリリーは「そういえばシドは他人に興味がなかったのよね」と納得し、「ブラックの弟もチェックが必要ね」とメアリーが呟き、「セルウィンとスネイプ君とブラックの三角関係も悪くないわ」と、エディトが脱力するような発言をした。
 リリー達に詰め寄られるシドを気の毒そうに見ていたセブルスも、エディトの一言は聞き流せなかったらしく、一気に表情を強張らせた。
 しかも残念なことに、リリーとメアリーがエディトの発言に大喜びして、彼女達特有の妖しい妄想話しを初めてしまった。
 このブラックの一件はすぐに愛好会を通じて姉の耳に入るだろう。
 頭が痛くなる内容の本が大量に出回るのかと思うと、迂闊な発言をしたブラックの弟をなじりたくなる。
 「頭痛がしてきた」
 苦々しく呟けば、「僕もだ」とセブルスが遠い目でリリーを見ていた。
 彼女達が口にする妖しい内容の妄想に自分が登場し過ぎていて、黙って聞いていたセブルスが今にでも泣きそうな顔をしている。
 シドも聞いていてうんざりしていた。
 なぜ自分がシリウス・ブラックに襲われなければならないのか、リリーに問い詰めたかったが、詳しい妄想内容を聞かされても困るので我慢した。
 シリウス・ブラックが素直じゃなくて、シドに好意があるが、いざシドを目の前にすると本音と正反対の態度を取る不器用な男の設定をメアリーが興奮気味に口にしたが、そんな人物はひと言に言えば「好きな子をいじめる小学生男子」に他ならない。
 思わず口に出して言えば、「そうとも言うわね。そう言われるとブラックの子供っぽさばかりが出てきて、ミスター・セルウィンに釣り合う感じがしないわ」と悔しそうにメアリーが唸った。
 「先に言っておくが、僕はミスター・ブラックには一切興味がない。彼の初恋が誰であろうと、それは僕には関係のないことだ。
 それを忘れないでほしい。話しがその話題だけなら、僕達はもう行くよ」
 このままここにいると確実にセブルスが泣くし、シドもこの精神な拷問に泣きたくなってきた。彼女達の妄想話は新手の呪いかと思うほどこちらを消耗させる。
 「ダメよ。せっかく可愛いセブときれいなシドがいるんだから、お話したいわ。メアリー、エディト。この話しは夕食のあとよ」
 リリーがあっさりと妄想話を切り上げると友人達は頷いた。
 リリーは可憐になった幼馴染みにべったりだった。よほど女装姿のセブルスがお気に召したらしい。
 セブルスはそんなリリーの過剰な接触に、照れたり焦ったりしながらも嬉しそうだ。内心の男心はかなり複雑だろうが。
 「リリーが相手だとどうしてもリリセブになっちゃうのよね」
 「あの愛らしく赤く染まった顔がそそるのよ。今回の女装の件で新たなジャンルが出来そうね。スネイプ君の女性化とか、女性化によるリリーとの女の子同士とかね。今の神々しい美しさのミスター・セルウィンとの倒錯的な女装プレイとかお話作れそうだわ」
 「レイブンクローの男の書き手いるでしょ? あの女の子同士専門の。彼がすごい勢いでスネイプ君とミスター・セルウィンを見て何か書いていたから、ミスター・セルウィンとスネイプ君を女性化させた本を作りそう」
 「それはちょっと読んでみたい気がするわ」
 「その手の話題は僕が聞いていないところでしてくれないか?」
 わざわざ人の目の前で話さないで欲しい。
 「あら、ごめんなさい。リリーとスネイプ君を見てると微笑ましくてどうしても妄想してしまうの」
 シドには理解できない理由をエディトが言ったが、過去に似たような台詞を前今生の姉から言われたのを思い出す。
 前世のシドとその友人の姿を微笑ましかったから妄想をした。
 シドと兄が一緒にいる様子が微笑ましかったから妄想本を作った。
 彼女達の間では正当性のある理由としてまかり通るのだろう。
 あえて自分から彼女達に話すこともないシドだが、黙っていると延々と妄想話しを聞かされそうな気がして、シドは彼女達に話題を振った。
 「ミス・オーレンの女海賊はわかるが、ミス・ボーモントの仮装は一体なに?」
 動物耳とシッポ付のメイド。前世の東京の某場所にいそうな出で立ちだ。
 魔法界では動物耳やシッポを生やす悪戯グッズが流通しているので珍しくはない。そこにメイド服を持ってくる感性にシドは違和感を覚えた。
 この時代のイギリス人が使用人の服と動物耳とシッポを組み合わせたりするのだろうかと。だが、シドの疑問はすぐに最悪の答えによって解決することになる。
 「これ? これはハーティ様の本に出てくる人物の服装なの」
 その場に崩れ落ちたくなったのを気力で辛うじて支えた。
 今までと違う意味で頭痛がひどくなってくる。
 なんでも姉が最近作った本の中に、グリフィンドールとスリザリン出身の生徒の卒業後を舞台に描いた作品があるらしい。
 成り上がりの元グリフィンドール監督生が、様々な不運が重なって両親も家も職も失ってしまった元スリザリン監督生を使用人として雇う内容だ。
 そこからどういう過程を経てメイド服と動物耳とシッポになるのか疑問だったが、内容を話そうとするエディトに「話さなくていい」と断固として拒否した。知りたくもないのが本音だ。
 好きな本の内容を熱弁できないのを不満そうにしながらも、「耳とシッポが白金なのは、スリザリン監督生の髪の色に合わせてあるからなの」と耳とシッポの色の理由を説明した。
 姉は基本的に本を作るときに実在する人物をモデルとする。
 そのグリフィンドールとスリザリン生の本にも哀れなモデルが存在するのだろう。心の底から彼らが気の毒だった。





 ハロウィンの晩餐会はシリウス・ブラックの衝撃の初恋話が駆け巡っていた。
 シドの絶世の美少女姿により、幼い頃のシド・セルウィンの容姿が愛らしかったのは間違いなく、幼いブラックが惚れるのも無理はないというのが全体の認識になりつつあった。
 セブルスはスリザリンの先輩女生徒達にかまわれながら、制服を返して欲しいと頼んでいるが、彼女達に「ディナーのあとでね」と笑顔で却下されていた。
 何度も却下されたのち、セブルスは完全に拗ねてやけ食いをはじめた。
 甘い匂いにうんざりして食欲もないシドの横でカボチャパイにかぶりついている。
 宴の終盤になって生徒の大半が予想していたようにグリフィンドールの例の四人組が悪戯をした。
 大広間のあちこちからクラッカーがなり、そこから人型の黒い物が飛び出して、大広間中を走りまわった。
 甘いお菓子の香りに加わったさらに甘ったるいチョコレートの香りに、人型の黒い物体がチョコレートだと誰もが理解した。
 可愛い動くお菓子に生徒達は歓声をあげたが、チョコレート達は生徒達の髪をひっぱったり、集団で飛びかかって生徒をチョコレートまみれにする凶暴さがあり、昨年同様に大広間は阿鼻叫喚の騒ぎになった。
 スリザリン寮はグリフィンドール四人組の悪戯を警戒していたが、チョコレートが現れたことで今回は悪意がないと油断したようだ。
 スリザリンテーブルでもチョコレート達は我が物顔で暴れ回った。
 セブルスの髪の毛をひっぱるチョコレートを払い除けながら、この状況をどうするのか教師達の席を伺えば、 校長がチョコレート達をヒゲに群がらせて楽しそうに笑っているのが見え、校長の聖マンゴ行きも本格的に近いとシドは思った。




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