二年生のハロウィン




 ハロウィンの日。秋が深くなりつつある朝の空気はひんやりと肌寒かったが、その冷たい空気はたっぷりとお菓子の甘い匂いを纏っていて、ハロウィンの朝を楽しく彩っていた。
 美味しそうなお菓子の甘い匂いに大抵の子供は心が躍るが、世の中には例外な子供もいて、現在セブルスの隣を不機嫌顔で歩く人物がその例外な子供だった。
 この美味しそうな甘い匂いをシドは「甘ったるすぎる」と評する。
 お菓子作りを率先してするくせに、甘すぎる匂いは苦手というのだから不思議だった。
 シドは寮を出る前に気付けの薬を飲んでいる。去年同様に気力で乗り切る気でいるようだ。
 朝食のために大広間に向かう。スリザリン寮以外の生徒達が色とりどりの様々な仮装をしてお菓子を強請って盛り上がっていた。
 マグルの童話の人物や吸血鬼に狼男などの魔物、女の子達は魔女や天使や妖精などの可愛い姿をしている。
 セブルスはリリー達の姿を探したが、まだ大広間には来ていないようだった。
 去年の天使の姿はきれいだったから、今年もきれいに着飾って楽しそうな姿を見るのを心待ちにしていた。
 一部の教授達も仮装をしており、去年も思ったことだが校長の仮装が色彩が派手で一番目をひいた。
 ハロウィンカラーのローブはチカチカと目に痛かった。
 大広間の席に着くまでにスリザリンの女の先輩達に声をかけられた。
 クィディッチの試合を一緒に見る先輩達は笑顔で「Trick or treat!」と両手を差し出してきて驚いた。
 スリザリンの生徒が「Trick or treat!」をすると思わなかった。
 『セブルスは女の子の知り合い多いから沢山用意しておいた方がいいよ。お世話になっている先輩達もいるだろ』とシドに言われ、
当初リリー達だけの分を作ろうしていたのを念の為に変更したのは正解だったようだ。
 「さあ、お菓子くれなきゃ悪戯するわよ」
 「お菓子がなくても私達はかまわないわね」
 「むしろ可愛いスネイプ君に悪戯したいわ」
 笑顔で何か恐ろしいことを言う女生徒達に、慌ててローブからクッキーを詰めた小袋を取り出して渡した。
 可愛らしい小花の模様がついた小袋にはクッキーが数枚入っていて、これまた女の子が好きそうな可愛いリボンで小袋を閉じてある。
 ハロウィンのお菓子作りをセブルスやリリー達に教えてくれたシドは、なぜかラッピングの道具まで完璧に準備していた。
 一緒に作って終わりではなく、ハロウィンのお菓子として人に配れる状態までにするのが、シドにとってのハロウィンのお菓子作りだったらしい。
 色とりどりの可愛らしいラッピングセットにリリー達は大喜びしたが、同時に同年代の男とは思えない心配りに、作ったお菓子のラッピングのことなど忘れていたセブルスとリリー達は驚いた。
 メアリーに「お母さんかお姉さんみたいね」と言われ、さすがにシドもショックを受けたらしくしばらく無言で黙々とお茶会用のお菓子を作っていた。
 可愛い物は寮に関係なく女の子達は大好きなようで先輩達は大喜びした。
 「すごく可愛いわ!」
 「クッキーね。美味しそうな匂いがするわね」
 「悪戯できないのは残念だけどありがとう。大切に食べるわ」
 口々に言う先輩達に気圧されながらも頷いてると、シドが腕を小突いてきた。
 なんだと視線を向けると「先輩達はセブルスの『Trick or treat!』を期待してる」と耳元で囁いた。
 途端になぜかあちこちから女生徒達の悲鳴が聞こえた。
 ホグワーツでは女生徒達が謎の悲鳴をあげるのは、もはや見慣れた光景なのでセブルスは気にしないことにする。
 「Trick or treat!」
 多少の羞恥心を覚えながらも両手を差し出して先輩達に言うと、再び謎の悲鳴と共にセブルスは先輩達に抱きしめられた。
 「もう、なんて可愛いのかしら! そんな恥じらった顔されたら………お菓子もらったけど悪戯したいわ」
 「部屋に持ち帰りましょう」
 「スネイプ君。お姉さん達に悪戯されてみない?」
 「は? なにを言って………」
 不穏な発言をする先輩達の迫力に本能的に身の危険を感じて後退ろうとするが、抱きしめられているので逃げることができない。
 小柄なセブルスを上級生の女生徒三人が抱きついているのだ、身動きが取れるわけがなく、がっちりと両肩を掴まれたセブルスは何が起きているのか理解できずに混乱している間に、そのまま女生徒達に連れ去られそうになっていた。
 「ロコモーター・モルティス」
 不意にシドの声がして、途端に彼女達の動きが止まった。両足がくっついて離れないと三人とも言い出した。
 「落ち着いて下さい」
 杖を持ったシドが心底呆れた目でこちらを見ていた。
 「ミスター・セルウィン」
 足縛りの呪いを受けて興奮の熱が冷め一気に正気に戻ったかのように見えた彼女達は、「やっぱりスネイプ君の危機にはミスター・セルウィンが助けにはいるのね!」と再び興奮気味に盛り上がりはじめ、その姿はリリー達を彷彿とさせた。
 普通に優しく気の良い先輩達だと思っていた彼女達が間違いなく例の愛好会のメンバーなのだと否応なく理解させられてしまい、セブルスはがっくりと肩を落とした。
 シドもどこか疲れたように彼女達を見つつも、「ハロウィンだからと少々羽目を外しすぎではありませんか?セブルスはお世話になっている貴女方のためにと手作りクッキーを用意したのですから、彼の信頼を裏切るような愚かしい言動は控えて頂きたいですね」と冷淡な声音で告げた。
 「このクッキーはスネイプ君の手作りなの?」
 女生徒の一人が聞いてきて、素直にセブルスは頷いた。
 三人はセブルスの手作りクッキーにいたく感激して、お礼にと沢山のお菓子をくれた。そして彼女達は勇敢にもシドに「Trick or treat!」を言った。
 思わず息を飲んでセブルスはその様子を見守ってしまった。それはこちらの様子を遠巻きで窺っていた周囲の生徒達も同じだった。
 よほど彼と親しい特定の人物しか、「Trick or treat!」をしても無視されると言うのが生徒達の共通の考えだったのだ。
 「………どうぞ」
 シドは緑のリボンのついたシンプルな白い小袋を彼女達に渡した。
 途端に周囲がざわめき、言った当人達ももらえるとは思っていなかったらしく、ひどく驚いた顔でシドとお菓子の小袋を交互に凝視していた。
 シドの他人への興味の無さがどれだけ周囲に浸透しているか理解できる反応だった。
 「あ、ありがとう。ねえ、これは市販品じゃないみたいだけど、もしかしてこれも手作りなのかしら?」
 「味は保証します。魔法薬や呪いの悪戯も仕掛けていませんのでご安心を」
 「ミスター・セルウィンがそういうまねをするとは思っていないわ。ただ、手作りならスネイプ君と一緒に作ったと考えて間違いないわね?」
 「ええ。その通りですが」
 彼女達は再度きゃあきゃあとリリー達のように何かを小声で話して盛り上がっていた。
 「厨房に並ぶスネイプ君とセルウィン」「やっぱりエプロンは」「スネイプ君なら新妻のようで」と内容を知りたくない単語が聞こえたので、セブルスは聞き耳は立てないように必死に心がけた。
 「行こう。朝食を食べ損ねたくない」
 そんな彼女達に既に興味を失ったシドが空いている席に向かって歩き出し、興奮気味におしゃべりしている彼女達を一瞥したのちセブルスはシドの後を追った。
 「クッキー、リリー達の分じゃないのか?」
 シドがお菓子を用意していたなら、あげる相手はリリー達しか思い浮かばなかった。
 「リリー達のは別にあるから大丈夫。昨年、色々と世話になった先輩達がいるから、もしもの時の場合にお菓子を用意しておいたんだ」
 用意はしたけど実際にお菓子を強請られるとは思っていなかったよと、己の他人への無関心さと近寄りがたい雰囲気に自覚のあるだけにシドも驚いていたらしい。
 「お世話になった先輩達?」
 一年間一緒にいるが、シドが上級生の女生徒達と親しくしているところなど見たことがない。
 「リリーの愛好会関係。僕の都合で色々とやってもらってるから」
 「そうか」
 一年生の当初の頃に、魔法界でも屈指の名門セルウィン家の次男の友人に混血の自分やマグル出身のリリーなのが気にいらない生徒達に敵意を向けられたことがあり、彼はそんな相手から自分達を守るために例の愛好会の人間と取引をしている。
 シドは利害が一致すれば妙な妄想を綴る集団でさえも平気で利用できるようだ。
 その豪胆さは素直に尊敬できるが、あまり見習おうとは思えなかった。
 「ベーコン何枚?」
 朝食を取り分けてくれているシドが問いかけてきた。
 大皿の厚切りベーコンはこんがりと焼けていてとても美味しそうだった。
 「二枚頼む。飲み物は?」
 食後の飲み物は紅茶と決めているシドだが、食事中の飲み物は日によって違う。
 コーヒーやミルク、オレンジジュースなどを好んで飲む。セブルスはオレンジジュースが美味しそうだったので、自分の分はオレンジジュースを確保した。
 「今日はコーヒーだね。この甘い匂いを少しでも誤魔化したい」
 「わかった」
 ミルクは多めで砂糖なしがシドの好みだ。
 厚切りベーコン2枚にふわふわのオムレツ、ポテトサラダが乗った皿がセブルスの前に置かれ、セブルスはシドの前にコーヒーのカップとパンを置く。
 「ありがとう。セブルスが淹れてくれるコーヒーはいつも僕の好みだから嬉しいよ」
 「何度も用意していれば覚える」
 素っ気なく言うものの、シドが喜んでくれるのは嬉しかった。
 自分の皿の食べ物は大皿を見て食べたいなと思った物ばかりだ。言わなくても自分の好みを知っていてくれて嬉しいこの気持ちをシドも抱いているのだろうか。
 ささやかな出来事だがとても胸が温かく満たされた気持ちになった。
 仮装をしている生徒達を眺めながら朝食を胃に収めていく。
 女の子達の声が聞こえるたびにリリー達が大広間に来たのかとそちらを見てしまうが、リリーはまだ朝食の席に来ていなかった。
 「女の子は支度に時間がかかるものだよ」
 セブルスの心中を察したようにシドが言う。
 「去年は天使は可愛かったね。今年はなんだろう? セブルスは聞いてる?」
 「いや」
 「なら楽しみだね」
 「ああ、そうだな」
 ちぎったパンを食べたシドが顔をしかめた。どうしたのかと目で問うと「お菓子のあまったる匂いが染みついてる」と嫌そうに言った。
 「そんな嫌そうな顔で食べるなら僕に寄こせ」
 「ごめん。せっかくセブルスが選んでくれたのに」
 「べつに気にしてない」
 確かに今日のパンは甘い匂いがついている。
 これはこれで美味しいと思うが、気付け薬やコーヒーで必死に甘い匂いを誤魔化そうとしているシドが食べるには酷だった。
 シドのパンの分だけいつもより多く食べたせいか、シドが優雅に食後の紅茶を飲む頃にはお腹がいっぱいになっていた。
 大広間で用意される紅茶はシドが淹れてくれる物とは比べものにならない味だ。シドの美味しい紅茶に慣れてしまうとあまり飲む気がしない。
 あれほど美味しい紅茶を淹れながら、喉を潤すためとこの紅茶を割り切って飲むシドの感覚はセブルスには不思議でたまらない。
 やがて大広間をフクロウ達が飛び交いはじめた。
 ハロウィンのため親から子供へのお菓子の届け物が多い。セブルスにも母親からお菓子が届けられた。
 ジャック・オ・ランタンの形をしたクッキーはチョコレートで不格好な顔が描かれていた。どうやら母はあまり絵が得意ではなかったらしい。
 母の手作りクッキーを一つ食べてみる。既にお腹はいっぱいだったが、これはすぐにでも食べたかった。
 クッキーはとても美味しくて、去年のハロウィンには想像もしなかった贈り物に胸が温かくなる。今夜にでもすぐにクッキーの感想の手紙を書こうと決めた。
 ふと隣の席を見ると、シドが杖で届いた小包を真剣に調べていた。
 彼がこうして用心深く調べる届け物は決まってシドの実家のセルウィン家からの物だ。
 シド曰く「セルウィンの大人達は悪い意味で童心を忘れない」者達ばかりで、子供達は用心を忘れてはいけないらしい。
 色々と実例や実際に害を被った身としてはシドの言葉は真実味がありすぎてすぐに納得した。
 両親から送られて来たチョコレートは魔法薬の匂いがするとシドは口にしなかった。
 「セブルス、食べる?」
 「いま魔法薬の匂いがすると言った口で僕に勧めるのか!」
 「人体に変化はあるけど害はないと思うよ」
 つまり去年のキャンディーのような変化が体に現れる可能性があるということだ。
 「断る!」
 「じゃあ後でどんな魔法薬か一緒に分析する?」
 「………する」
 自分の返答がわかっていて問うシドをギロリと睨みつけたが、相手はセブルスの睨みつけをまったく気にしせずに笑顔で受け流し、セブルスの手元にあるクッキーを見て問いかけてきた。
 「それはお母さんから?」
 「ああ。そうだ」
 「ジャック・オ・ランタン。可愛いクッキーだね」
 「食べるか?」
 「僕が悪かったから、今の僕に甘い物を勧めないで」
 慌てたようにシドが言った。
 セブルスとしては嫌がらせではなく、純粋に母のお菓子をシドに食べさせたかったのだが、甘い匂いに追い詰められているシドは先ほどのやりとりの報復と取ったらしい。
 「お母さんのクッキーが美味しいから勧めたんだ。嫌がらせじゃない」
 嫌がらせにしても母のクッキーを使ったりはしない。
 怪しげな魔法薬が混入しているチョコレートをシドの口の中にねじ込んだ方が確実だ。
 そう思いながら不愉快な気分で言えば、ぐったりとしていたシドが弾かれたように視線を上げた。聡明な彼はすぐに己の失言に気づいたようだった。
 「ああ、そうか。謝るよ。ごめん。それから、ありがとう。お母さんのクッキー、ハロウィンが終わった明日にでもぜひ食べさせてくれる?」
 「美味しい紅茶を用意するならいいぞ」
 「まかせておいて」
 一枚食べただけの母親のクッキーの包みを落とさないように鞄の中にしまう。次に食べるのは明日のティータイムだ。
 このクッキーのシドの感想を手紙に書きたいので、母に手紙を書くのはそれ以降になるなと思いながら鞄から視線をあげると、こちらに向かって飛んでくる雪のように白いフクロウが見えた。
 「一匹だけ遅れてくるなんて珍しいな」
 セブルスの声にそちらを見たシドが一瞬にして眉間に深い皺を刻んだ。
 「最悪だ」
 苦々しくシドが告げるのと同時にフクロウが手紙を落とす。
 「シルク、水を飲んで行きなさい」
 飛び去り行くフクロウにシドがそう告げるとフクロウは大広間をぐるりとまわってシドの元へと降りてきた。
 「長旅ご苦労さま」
 ゴブレットに水を注ぎ、皿に厚切りベーコンを乗せてフクロウの前に置く。フクロウは美味しそうにそれらを啄みはじめた。
 よほどお腹が空いていたのか、厚切りベーコンをあっという間に平らげ、水も飲み干してしまった。
 「後で返信を頼むのから森かフクロウ小屋で待機していて。フクロウ小屋はわかるね?」
 ホーと一声鳴いてフクロウは飛び立った。
 「シド」
 「ん? いまのは姉様のフクロウだよ」
 「いや、それも気になるが」
 色々と問題の多いシドの姉のフクロウも気になるが、現在もっと気になる物体がある。フクロウが運んできた手紙だ。
 宛名の右下の部分にキスマークのような赤い唇の絵が描かれていて、その絵が「残り7分」とカウントダウンしているのだ。
 カウントダウンはシドが手紙を受け取った直後、「残り10分」から始まっていた。
 「ああ、これ? 相手に手紙を読ませるための呪いだよ。姉様のオリジナル。カウントダウン以内に手紙を開けないと、この手紙は相手の人生の中で最も恥ずかしいと思うことを暴露する呪いがかかっているんだ」
 「嫌な呪いだな」
 「そうだね。しかも無駄に高度な呪いだ」
 真実薬の応用魔法を手紙を読ませるためだけに開発するなんてとため息がちにシドは呟く。
 そのシドの呟きに嫌がらせとしか思えない呪いの内容が恐ろしく高度な物だと気づいた。
 手紙のカウントダウンはあと「残り5分」になっていた。
 「開けなくていいのか?」
 「開けるよ。ただ姉様からの手紙だけでも嫌な予感しかしないのに今日はハロウィンだ。絶対に何か企んでいる」
 しかしだからと言って、人生の中でもっとも恥ずかしい出来事の暴露と天秤にかければ、手紙を開くしか道はないだろう。嫌々ながらにシドはカウントダウンをする手紙を開けた。
 ボフリと一瞬にしてシドを白い煙が包み込んだ。
 「シド!」
 「煙に近付くな。巻き込まれる」
 煙の向こうから反論を許さない鋭い声でシドが言った。
 白いフクロウが現れたあたりから周囲の視線はセブルス達に集中しており、シドが白い煙に包まれると誰もが息を潜めて二人の様子を見ていた。
 「大丈夫なのか?」
 「痛みの類はないから平気。この煙が晴れた後にどうなってるかは想像もつかないけど」
 きっと姉様なことだからろくでもないことを企んでいるよとシドは続け、その考えが間違っていないことを煙が晴れたシドの姿を見て理解した。
 「………」
 驚きのあまり声が出なかった。それは周囲も同じだった。
 一瞬のどよめきのあと、水を打ったように再び大広間は静かになり、校長の愉快そうな笑い声だけが響いていた。
 驚愕の表情のままシドを凝視していると、シドは面倒げに緩慢な動きで己の姿を確認し、その動きがピタリと停止したのは激しい動揺の現れだろう。
 「………今度姉様に会ったらカロリー爆発肥薬を盛ってやる」
 忌々しげに呟かれた言葉に女生徒達が恐怖の悲鳴をあげたが、シドは気にせずに己の状況を確認する。
 「ああ、良かった。制服が変化して髪が伸びただけだ」
 己の胸をペタペタと触っていたシドが安堵の息を吐く。
 手紙にどういう魔法がかかっていたのか、今のシドはスリザリンカラーの女生徒の制服を着ていた。
 そして艶やかな黒髪は女の子のように肩を過ぎ背中を隠すほどに伸びている。
 シドはきれいな顔立ちをしている。その気品ある美貌は誰もが認めるところだ。
 まだ成長過程の子供のために上級生の男子生徒のように骨格ががっしりとしてるわけでも体に厚みもなく、すらりとした体型をしている。そんな人物の髪が伸びて女生徒の制服を着ていたなら女の子にしか見えなかった。
 しかも絶世の美少女が自分の胸を服の上からとは言えペタペタと触っている。
 見てはいけないものを見てしまった気がしてセブルスはもとより周囲の男子生徒達は顔を赤らめた。
 「ふ、服が変化しただけなのか?」
 「そう。あと髪が伸びただけで、体は男のまま。性別変換の魔法薬じゃない」
 あの魔法薬の調合も一度挑戦したいねと言いながらシドは姉からの手紙を嫌そうに読み始めた。
 「どうせ僕がハロウィンには何もしない枯れた人生を送っているだろうから、姉から気のきいたプレゼントだって」
 ぐしゃりと手紙を握りつぶし、次の瞬間にはシドの手の中で手紙が炎をあげて燃え出した。
 手紙はあっという間に燃え尽き、灰も残らずに消滅した。
 「手は大丈夫か?」
 「平気」
 ひらひらと掌をこちらに見せてくる。長い指のきれいな手は火傷どころか煤けた痕すらなかった。
 「寮に戻って着替えるなら早く移動した方がいいぞ。授業に間に合わなくなる」
 「着替えは無理。これハロウィン中は脱げない魔法がかかってる。姉様、意地でも僕を一日中この恰好をさせたいらしい」
 シドがネクタイを緩めようとするが、ネクタイはがっちりと固まっているかのように動かなかった。
 シドは肺の底から出すような長いため息を吐き、「大丈夫。平気。姉様の悪戯には慣れてるから」とセブルスに向かって言ったが、どう見ても自分自身に言い聞かせていた。
 ふとシドが何かに気づいたようにスカートのポケットに手を入れた。
 空間拡張魔法がかかっていたのだろうポケットからは一目で上質な物だとわかる女性物のポーチが出てきた。中身を見ると化粧道具が入っていた。
 「用意周到だな」
 「本当に」
 シドの姉はシドに一体なにを求めているのか常識人であるセブルスには理解ができなかった。
 リリーに聞けばわかるだろうかと考えたが、知りたい反面リリーが何を言うのか恐くて知りたくない気持ちになる。
 世の中知らない方が良いこともある。最近そんな言葉がよくセブルスの胸を占めるようになった。
 「確かに半端に女装して笑い者になるぐらいなら、開き直って男とわからないぐらいに完璧に女装した方が気分が良いな。お祖母様と似た顔ならそれなりの美人になれるだろうし」
 間違いなく絶世の美少女になる。セブルスは静まり返った大広間を見回す。例外の校長以外、誰もがシドに見とれていて笑う者などいない。
 仮面で素顔は見れなかったが、それでも恐ろしいほどの存在感と美貌を誇っていたシドの祖母を思い出し、セブルスは身震いした。
 彼女を尊敬し慕ってもいるが、その有無を言わせず心を奪い従わせる魔力は本能的に恐怖を感じている。彼女に似ているシドもそうなるのだろうか。
 「シドの女装は危険じゃないか? フィリスさんのようになったら」
 「それは平気。僕はお祖母様特有のあの魔力は少ないから」
 つまりヴィーラの魔力だ。
 「姿が美しいだけではお祖母様のようにはなれないよ」
 「そうか」
 「それにしても困ったな。さすがに化粧の仕方は知らない」
 「知っていたら問題だと思うが」
 いくらお菓子作りやシャンプーやエッセンシャルオイル作り、他に女の子の好きそうな物を良く知っているとは言え、これでシドが化粧の仕方を熟知していたら、少しだけこれからの付き合いを考えなければならなかった。
 そもそも化粧などしなくても今のままで充分に美少女で通用する。
 「ミスター・セルウィン」
 不意に女生徒が声をかけてきた。先ほどの先輩達だ。キラキラとした期待に輝く目でシドを見ている。
 「お化粧、私達が教えましょうか?」
 「覚える必要はないと思うので、教えるのではなく化粧をして下さると助かります」
 「ええ、もちろんよ。こんな磨き甲斐のある逸材はめったにいないわ」
 「一度寮に戻りましょう。髪の毛もセットしてあげるわ」
 先輩達に促されてシドが席を立つ。
 スカート姿に「ひらひらして落ち着かない」とシドは不愉快げにこぼした。
 「荷物は教室に持っていくぞ。授業に遅れないようにしろ」
 「わかってるよ。ありがとう。鞄お願いするよ」
 「なに言っているのかしら。もちろんスネイプ君も一緒よね」
 「当然だわ」
 「はあ?」
 がっちりと先輩達に両肩を掴まれてセブルスも席を立たされた。
 「去年は一緒に黒猫の猫耳だったのだもの、今年もお揃いなのでしょう?」
 「べ、別にあれはお揃いにしたわけじゃあ」
 たまたま動物耳キャンディーが同じだっただけだ。
 いつの間にか三人の先輩達の他もスリザリンの上級生の女生徒達が数人集まってきていた。
 彼女達の問答無用の笑顔の前にセブルスの反論は喉の奥に飲み込まれた。
 ワクワクキラキラと目を輝かせた女生徒の集団を前に純粋な恐怖心を覚えた。だが、ここで彼女達に従うとそれはシドとお揃い、つまり女装させられることを意味する。
 逃亡のために後退ろうとするが、がっちりと掴まれた女生徒達の腕が邪魔をする。
 「女の子の集団の前ではあきらめも大切だよ」
 「シドは冷静すぎだ!」
 セブルスの叫びは笑顔の女生徒達の前に黙殺され、彼女達に連行されて大広間を後にした。










 シドの少し前をずんずんと怒りも露わに歩いていくセブルスがいる。
 ばさばさと足にまとわりつくスカートが鬱陶しそうだ。もう少し歩幅を狭くすれば歩き易いよと言えば、ギロリと射殺さんばかりの眼光で睨まれた。
 あれからシドとセブルスはスリザリンの女子寮の一室に案内された。
 満面の笑顔でとある女生徒が制服をセブルスに貸し出した。サイズが小さくなった物だという。
 彼女達は嫌がるセブルスに「スネイプ君は自分で着替えるのと、私達の着せ替え人形になるのどちらがお好みかしら?」と選択肢がないに等しい選択を迫り、セブルスは半泣きで女生徒の制服に着替えた。
 彼女達の目が獲物を狙うハンターのようで逆らえなかった気持ちが傍目で見ていたシドにはよくわかった。
 否と言おうものなら、確実にセブルスは無理矢理裸にされていただろう。
 着替えをバスルームでさせたのは彼女達の優しさなのか、それとも理性の最後の砦なのか。
 愛好会の彼女達はセブルスを傷つけないと踏んでいたが、別の意味で心に大きな傷を残しそうだった。
 「セブルスを怖がらせないで下さい」
 シドが苦言すれば「だって脅えるスネイプ君が可愛くて」と彼女達は楽しげに口にした。
 その姿は自分に悪戯を仕掛けては笑う姉ハーティの姿を思い出させた。年上の女性から見て、年下の男はからかいいじめると楽しい存在らしい。
 「セブルスが一番可愛いのは笑顔ですよ」
 不機嫌そうな表情もセブルスらしくて可愛いが、調合が成功して嬉しそうにする姿や自分やリリー達と話していて楽しそうに笑う姿はもっと可愛い。
 年齢相応で見ていて安心できるのだ。そんなことを考えていると、ふと部屋中の女生徒達の視線が自分に集中していることに気がついた。
 「なにか?」
 「ミスター・セルウィンのスネイプ君への愛を感じたわ!」
 「友愛はありますが、あなた達の期待しているようなものではありません」
 人の純粋な友情を勝手に腐った方向へ変換しないでほしい。
 「萌えたから真実なんて問題じゃないの」
 がっちりとシドの手を握ってある女生徒はこの上なく真剣に述べ、背後にいる女生徒達も何度も深く頷いていた。
 「そうですか」
 暴走する腐女子にとってこちらの言い分など無きに等しい。腐った話題で盛り上がる姿は前世の姉とその友人達を彷彿とさせる。
 あの頃の自分は友人といるたびに姉達の脳内でカップルにされていた苦い記憶がある。
 腐女子の思考は時代や世界が違ってもあまり変わらないようだ。
 授業がはじまる前にと化粧をお願いしたところ、彼女達は張り切ってシドに化粧や髪のセットをやりはじめ、着替えてバスルームから出て来たセブルスの姿を見つけるなり、「可愛い!」と子羊を追い詰める狼のごとく集団でセブルスに抱きついた。
 いつもの冷静で澄まし顔のスリザリン寮生は一体どこへ行ってしまったのかと疑問に思う変貌ぶりだ。
 さすがに見過ごせずシドは女生徒の下敷きになったセブルスを救出した。
 助け出されたセブルスは「もういやだ。なんで僕がこんなめに」と涙目だった。
 彼女達に抱き潰されてセブルスは抵抗する気力も勇気も尽く殺がれたようで、むっつりとした不機嫌顔のまま大人しく女生徒達の玩具となった。
 ときおり怒りを露わにした視線をセブルスから向けられたが笑顔で受け止めた。
 セブルスには悪いが暴走する腐女子に逆らう気はなかった。
 愛好会の人間、特に彼女達スリザリンのメンバーには色々と、クィディッチの試合時のセブルスの護衛などで世話になっている事実もあるのだ。
 年下の可愛い男の子の魅力に暴走する腐女子達だが、さすが年ごろの女の子なだけあって、化粧などの身嗜みの整え方は完璧だった。
 純血主義のスリザリン寮生は名家旧家の出身の者ばかりなので化粧や髪のセットも華美になりすぎず上品な仕上がりだ。
 手鏡を見た時は若かりし頃の祖母がいるのかと思った。姿形だけは彼女にそっくりだった。
 だた内在するヴィーラの魔力の差か、ただ外見が似て見えるだけで祖母のような他人の心を奪い魂までも屈服させるような強烈な魔性の魅力はない。
 女生徒達の羨望を集めたさらさらの黒髪は緩く巻かれ、両サイドを残して耳下あたりから結いあげられていた。
 眉を整えられ、「どうしてこんなに肌がきれいなの?」と女生徒達に睨まれた肌には軽くパウダーファンデーションを塗られただけで済み、もともと赤みを帯びていた唇は同色のルージュが艶を放っている。
 艶やかな黒髪に雪白の肌、艶めかしい赤い唇がまだ幼さを残す少女に妖艶さを醸し出していた。
 他人なら将来有望な美少女として鑑賞したが、それが女装した自分自身ではため息が出るばかりだった。
 ふと大人しく女生徒達の玩具にされているセブルスを見れば、彼は小動物系の可愛らしい女の子の姿にされていた。
 肩までの黒髪は内側に巻かれふわりとした輪郭を作りだし、肌はきれいだけど赤みが足りないと指摘され、現在のセブルスの頬はとても血色の良いピンクをしている。
 ふっくらとした唇も健康的な色のルージュが彩っていた。
 その華奢で小柄な可憐な少女がひどく驚いた表情でこちらを凝視していた。
 大きく目を見開いて、ぽかんと口を開けている。
 「セブルス?」
 シドが声をかけるとハッとしたように目を瞬かせ、次の瞬間には顔を真っ赤に染め上げた。
 「大丈夫? 熱出てきたんじゃない? 顔真っ赤だ」
 「フィ、フィリスさんが仮面を取るとその顔なのか?」
 唐突に裏返った声でセブルスが問いかけてきた。
 「お祖母様が輝くダイヤモンドなら今の僕は水晶の原石ぐらいかな。似た顔でもそれぐらいの差がある。
 実際に目にすれば誰もが納得するけど、心と命をかけた確認作業だからあまりお勧めはできないよ。それより大丈夫なの?」
 「平気だ」
 シドの姿に驚いただけだとボソボソとセブルスは言った。
 「そんなに変?」
 それなりに見られる姿だとは思っていたが、やはり女装は常識人であるセブルスには受け入れ難かったらしい。
 「変じゃない。男とは思えないぐらいきれいだ」
 「ありがとう。セブルスは可愛いよ」
 「嬉しくない」
 己の制服姿を見下ろしたセブルスは途端に不機嫌な顔になった。
 「セブルスのお母さんの子供の頃は今のセブルスみたいだったのかな?」
 セブルスの大好きな母親の話をすると、少しだけセブルスの機嫌が良くなり、女生徒に借りた手鏡で自分の顔を確認しはじめた。
 化粧をしてくれた先輩達にお礼にお菓子を配り、さらに姉の新作予定情報を教えると小躍りしそうな勢いで喜んだ。
 姉に命じられて、ジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックの写真と性格の詳細、姉の新作のためにとリリー達に彼らの話し方など調べてもらった苦労が少しだけ報われた気がした。
 ちなみにリリー達には姉の次回新作の無料提供が約束されている。
 彼女達の腕が良かったために、最初の授業には時間に余裕を持って向かえたが、魔法史の教室が近くなるほどにセブルスの機嫌が再び悪くなっていた。
 歩きにくいスカートに加えてジロジロと周囲に見られる視線が気になるのだろう。
 去年のハロウィンもそうだったが、セブルスは注目されることを好まず嫌う。ましてシドの道連れの形で女装しなければならない経緯に至ったのだから、羞恥と怒りでセブルスの機嫌が悪くなるのは当然だった。
 周囲の生徒達も立ち止まってこちらを凝視してくるのもセブルスの羞恥心を煽る要因のひとつだ。
 女装姿をじっくりと見られたいはずがない。セブルスが可愛いからまわりが見てくるのだが、彼は情けない女装だから見てくるのだと思っているらしい。
 「開き直って楽しめとはさすがに言わないけど、嫌々やってると余計に注目を集めるよ。今日はハロウィンだから、仮装の人間は笑顔の方が似合う」
 「これは仮装なのか」
 自分がこんな姿になっているのはシドのせいだと言葉よりも雄弁に睨みつけてくる眼光で語りながらセブルスがいつもより数段低い声で言った。
 「もちろん。セブルスは女装の方が良かった?」
 「詭弁だな。大体、シドはこの状況を冷静に受け入れすぎだ」
 「姉様の悪戯には慣れてるし、実を言えば小さな頃から無理矢理に姉様やお祖母様に女の子の服を着せられて玩具にされていたから、これぐらいじゃあ動じないよ。
 さすがにセルウィンの邸内ならともかく他人のいる前で女装させられるのは怒りを感じるけどね。カロリー爆発肥薬、セブルスも一緒に作ろうか? 五色変化唇薬や前髪だけがずっとアフロヘアーで伸び続ける育毛剤とかも作りたい気がする。姉様の好きなお菓子に混ぜれば絶対に食べると思うんだよね」
 にっこりと笑顔に力を入れて微笑むと、心なし血色の良い頬をしているはずのセブルスの顔色が青ざめて見えた。
 「………怒っているならもっとわかりやすく怒れ!」
 「最初からカロリー爆発肥薬を盛るって言ってるよ」
 カロリー爆発肥薬は名前の通りに食べた物のカロリーが爆発的に増える。一食食べただけで見た目からして太ったのがわかる女性の敵とも言える薬だ。
 昔の闇の魔法使いが一体なにを考えてこれを作ったのか疑問に思った魔法薬でもある。
 魔法史の教室に入るとそれまでのざわめきの嘘の様に教室内が静まり返ったが、シドは気にせずに席につく。
 もともと注目されるのには慣れているし、他人がどう思おうと気にしない性格なのだ。
 だがセブルスは繊細だ。羞恥と怒りで不機嫌顔のまま、席に座ると顔を隠すように教科書を立てて読み始めた。
 魔法史のゴースト教授は見慣れない美少女達の正体を質問してきて、注目を浴びてしまったセブルスの機嫌はさらに低下していった。
 「寮に戻ってセブルスだけ着替えてきなよ。そのままじゃあ授業集中できないだろうし、昼食を食べに大広間にも行けないでしょ」
 魔法史が終わってすぐに不機嫌なセブルスに告げる。
 セブルスの近くには男女問わず生徒達が話しかけたそうに集まっているが、生粋の純血主義の彼らから混血のセブルスに話しかけてくることはないだろう。
 ホグワーツにおいて寮や純血主義の壁を簡単に越えることのできる例の愛好会の人間が特別なのだ。
 「制服は先輩達が夕食が終わるまで預かるって」
 眉間に皺を寄せたまま辛酸を舐めるようにセブルスが答える。
 「彼女達ならそう簡単に返してくれそうにないね。洗い替え用の制服は?」
 セブルスは首を横に振った。入学当初のセブルスの家庭環境では制服を一式揃えるだけで精一杯だった。
 なによりホグワーツのしもべ妖精達が優秀なので、週末に洗濯に出しておけば月曜日には洗濯済みの制服を着ることができる。わざわざ洗い替え用など必要としなかっただろう。
 シドは自分が魔法薬の実験などで制服をダメにする可能性を考えて数着の制服を持っているが。
 「僕の制服を貸すよ。魔法でサイズを直せば………ああ、ごめん。仕立て直しの魔法は知らないんだ。セブルスは知ってる?」
 破けた服を魔法で直すことは出来ても、サイズを変える魔法は知らなかった。
 セブルスに問いかけるが、当然ながらこの年齢の男の子がサイズ直しの魔法など知っているわけがなかった。
 「少し大きくても良いなら」
 「ハロウィンの晩餐会にこの姿で参加しないと制服を返してもらえないんだ」
 スリザリンの先輩達はセブルスの逃亡手段を完璧に絶っていた。
 女の子に優しい性格になった現在のセブルスは、お世話になっている先輩に詰め寄って制服を取り返すのは不可能だろう。
 むしろあの腐女子の本能のままに野獣と化した女生徒の集団には近付きたくないに違いない。正直なところシドも遠慮したかった。
 「ならこの仮装姿でいるしかないね」
 「ああ」
 深いため息とともにセブルスは椅子から立ち上がる。しょんぼり落ち込んでいる姿が妙に可愛らしく、つい頭を撫でてしまってセブルスに睨まれた。






 妖精の魔法の授業を終え、セブルスと一緒に大広間に向かった。
 魔法史と妖精の魔法の授業を受けるためホグワーツ内を仮装で移動したために、見慣れない二人のスリザリンの女生徒は注目を集めつつある。
 朝大広間にいた生徒達からシド・セルウィンが女装している噂はあっという間にホグワーツ中に広がっているようで、いつも以上の周囲の視線にうんざりする。
 なにより男子生徒達が自分を見て頬を染める姿を見るのはある意味精神的な拷問に等しかった。同時に姉の狙いも理解できた。
 あの人は弟の貞操を脅かしてなにが楽しいのだろうか。いや、色々な妄想が出来る上に怪しげな本のネタにもなるから、姉的には楽しくてたまらないのだろう。
 実のところ、ホグワーツにはセルウィンを名乗っていないものの、セルウィンの血筋の子供達が存在する。平たく言えば親戚の子供達だ。
 その子供の中に愛好会の女生徒達同様に姉を崇めている女の子もいて、彼女達から今回の情報は姉に報告されるのだろう。
 この女装姿もいつの間にか写真に撮られていて、姉の手に渡っている未来が容易に予想できる。
 一族に甘いだけに、シドも彼女達には文句は言えない。もちろん、大人しく姉の思惑通りになる気はないが。
 男子生徒の中にトチ狂った相手が出てくれば返り討ちにすれば問題ない。
 男としての機能を徹底的に痛めつける手段をとれば、続いて馬鹿な行動に出る勇敢な者もいなくなるだろう。
 ハロウィンの幻想の中の少女に恋して、現実のシド・セルウィンという人間を見失った男達を正気に戻すにはそれぐらいが調度良いのだ。
 シドは問題なかった。問題は想像以上に小動物系に可愛らしくなってしまったセブルスだった。
 男子生徒達はシドだけではなくセブルスを見ても頬を染めている。良くない兆候だ。
 「セブルス」
 「なんだ?」
 二年になってから身長の差はさらに開いた。セブルスもしっかり成長しているが、長身の家系のシドはそれを上回る速さで身長が伸びている。
 普段から好ましいと思っていたこちらを少し見上げてくる仕草は今のセブルスがするとひどく男心を刺激するものだった。
 セセブルスは二度と女装しない方がいいね」
 しみじみとしたシドの呟きにセブルスが柳眉を逆立てた。
 「二度目があってたまるか。好きで着てるわけじゃない!」
 「わかってる。でもセブルスの身の安全のために言っておくよ。一人で行動する時は男子生徒に呼び出されてもついて行かないこと。話しを律儀に聞く必要はないから。集団で囲まれた時はどんな手段を使ってでも逃げること。一応愛好会のメンバーに注意警戒を呼びかけておくから、セブルスもしっかり自衛に努めて」
 「一体なにを言っているんだ?」
 「セブルスの女装が」
 「仮装だ!」
 「仮装があまりに可愛いからトチ狂う男達が出てくる可能性がある」
 「はあ?」
 「愛好会の女の子達が大好きな話しだよ。セブルスに恋心を抱き良からぬ下心を抱く男達が現れそうってこと」
 なにを言っているんだこいつはという怪訝な顔で見られたが、やがてこちらの言い分を理解したのか、セブルスは思い切り眉間に皺を刻んだ。
 「シドはふざけているのか?」
 「真面目な話しだよ。周囲の男達を見ればわかる」
 言われて不審そうに周囲を見回す。こちらを注目していた男子生徒達は一様に頬を赤く染めたまま気まずげに顔を逸らした。
 シドとセブルスが立ち止まって話している間、彼らもなぜか立ち止まっている行動にさすがにセブルスも気づいたらしい。
 少しだけ不安そうな顔をしたセブルスを促して歩き出す。
 周囲を男に囲まれた状態に立ち止まっているのはセブルスの不安を煽るし、男達の熱い視線を浴びているシドも気分が悪くなりつつあった。
 「………僕よりシドを見てるんじゃないのか? シドは文句のつけようのない美人だから」
 「ありがとう。僕は身の守り方を知っているから問題ないよ。
 お祖母様似のこの顔のせいで、子供の頃は数え切れないほど女の子に間違われて苛立たしい経験をしたからね。
 まずこれだけは教えておくよ。押さえ込まれたり押し倒されたりしたら、問答無用で相手の股間を攻撃すること。手加減は無用。相手の男としての機能を再起不能にさせる覚悟で攻撃すると良い」
 絶世の美少女が口にする発言ではなかった。聞き耳を立てていた周囲の男子生徒達は青ざめ、シド達からわかりやすく距離を取った。
 心なしか腰が引けている状態にある。実際に不埒なことでも考えていたのか、股間を両手でガードする人物までもいた。
 きっぱりと言い切ったシドにセブルスは複雑そうな表情をした。
 「同じ男として急所への攻撃は躊躇われると思うけど、こちらは貞操の危機だから甘い考えを捨てなきゃいけない」
 「そ、それはシドの経験談なのか?」
 シドの剣幕さに気圧されながらセブルスは問いかけてきた。つまり全男性最大の急所への無慈悲な攻撃を実行したことがあるのかと。そしてそれは同時にシドがシドの言うところの貞操の危機に遭遇した過去を意味した。
 「腹立たしいことに再起不能にした相手は両手の指では足りないよ」
 幼い頃の嫌な体験を思い出し、シドは不快気に眉をひそめて言い捨てた。
 祖母に似た顔は誘蛾灯のように馬鹿な男達をふらふらと惹き付けてくるのだ。
 「とにかくセブルスにもそういう危険の可能性があるから、いま言ったことは忘れないでおいて」と念を押してやっと渋々ながらセブルスは頷いた。
 だが「僕にそんな馬鹿な真似するヤツがいるとは思えないが」と疑わしそうな発言をしているので、本人は自分がどれだけ可愛らしい姿しているのか自覚はないようだ。
 大広間に近付くにつれてセブルスの歩みは遅くなる。
 「いくら美人でも女装で平然としてるシドがおかしい」
 往生際悪くぶちぶちと文句を言っている。こんな姿をリリーに見られたくないと泣き言も入っていた。確かに好きな女の子に女装姿を見られたい男はいない。
 リリーは「可愛い!」と言って大喜びすると思うが、それをセブルスに言ったら落ち込み過ぎてその場から動かなくなりそうな気がした。
 「仮装。それも完璧に女の子に化けた仮装だ。そう思えば気も楽になるよ。グチグチ言ったところでセブルスは夕食までその姿でいなきゃいけないんだから、そろそろあきらめようよ」
 「他人事だと」
 「僕も女装という名の仮装中。他人事じゃないね」
 「僕はシドに巻き込まれたんだ」
 「その件については反論の余地もないよ」
 「だったら」
 不意にセブルスの言葉が止まり、それと同時に背後から強い力で肩を掴まれた。
 振り向いた先にはシドより少し背の高い黒髪の少年の姿があった。
 普段の不遜で高慢な態度が嘘のように隠しきれない歓喜に満ちた表情を浮かべたシリウス・ブラックは、次の瞬間には両腕でシドを抱きしめてきた。
 視界の端に目を剥くセブルスの驚愕の顔が見え、遅れて周囲の生徒達の悲鳴が聞こえてきた。
 「や、やっぱりおまえ女だったんだな!」
 頬を染めながら輝くような喜びを振りまくシリウス・ブラックが何を言いたいのかわからないが、過去の嫌な出来事のせいで頭で考えるより先にシドの体は動いていた。
 短いうめき声を発してブラックはその場に崩れ落ち、声にならない悲鳴をあげて悶絶しはじめた。
 床で股間を押さえて唸っているブラックに、彼の友人であるジェームズ・ポッター達も血の気の引いた顔で慌ててブラックに駆け寄って行った。
 「ほら、この手段が一番効果的だ」
 躊躇のない無慈悲な蹴りの一撃を目撃したセブルスは壊れた玩具のように何度も首を縦に振った。
 



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