思春期の朝




 新学期が始まって一月が過ぎ、ホグワーツの周辺は徐々に秋色へと景色を塗りかえつつあった。
 朝夕の空気は次第に肌寒さを帯びてきたが、スリザリン寮は常に気温は適温に保たれており、真冬でも寒さを感じることはない快適な場所だ。
 秋の朝、そんな快適な寮の自室で目覚めたシドは気怠げに上半身を起こし、ふと下半身に違和感を覚えて動きを止めた。
 「………若すぎる体も問題だ」
 ため息がひとつ漏れた。
 順調にすくすくと成長している体は思春期の少年らしい現象を引きおこしていた。
 はるか遠い昔、前世でも経験した現象だ。
 前世で自分が死んだ時の年齢なら「いい年して」と落ち込みもしたが、成長過程のこの体ならば無理もないと納得できる。
 汚れた下着の感触に眉を寄せながらバスルームに向かう。起きるには早い時間のためにセブルスはまだ夢の世界だった。
 生徒達の衣服の洗濯はしもべ妖精がしているが、さすがに汚れた下着をそのまましもべ妖精に渡す気になれず、シャワーを浴びるついでにバスルームに持ち込んで軽く洗っておく。
 精通を迎えたのは長期休暇中だった。
 今朝のように夢精をして、少し驚いたものの過去に一度通った道だったので焦る理由はなく、むしろ前世の若かりし頃の自分を思い出して苦笑が漏れた。
 まだ子供だった昔の自分はこの汚れた下着をどうやって姉に見つからないように洗濯するか必死に考えていたのだ。
 姉に汚れた下着を見られるのは恥ずかしかったし、腐な姉がどんな反応をするかと考えると怖かった事実もある。
 結局、今のように朝一でバスルームに逃げ込んで必死に手洗いしたのだ。
 下着を汚したくなければ定期的に排出する必要がある。
 若い肉体が溜まりやすいのは前世でよく理解しているが、調合に夢中になるとうっかり忘れてしまう。
 事務的な自慰に時間を使うぐらいなら調合に時間を費やしたいのがシドの持論だが、排出を疎かにすると今回のように下着を汚してしまうので、事務的でも排出行為は必要だった。
 「毎週日曜の夜にするか」
 部屋にはセブルスがいるので、シャワーを浴びるついでに排出しておけば問題ないはずだ。
 基本的に前世から性的な欲求は薄かった。
 前世の腐女子な姉とその友人達を子供の頃から見て来たせいで女の子に対する幻想を持てなかったのも原因のひとつだと思っている。
 だからと言って、まったく恋愛に興味がなかったわけではなく、何度か恋愛もしたし恋人もいた。けれど恋人は必ず淡泊で恋愛に対する情熱がない自分に不満を持って去って行った。
 確かに恋人のことは好きだったが、それでも去って行く恋人を引き留めたり追ったことは一度もなかった。
 前世の自分の性格を顧みて、恋愛に向かない冷めた嫌な男だと他人事のように思う。
 今生は周囲は子供ばかり。この体はまだ子供だが精神的には三十路過ぎなので、ホグワーツ生相手に恋に落ちようものなら、己に対するロリコン疑惑を向けなければならず精神的に憔悴する。
 余計な苦労はしたくないし、なにより魔法薬学が楽しいので恋愛に興味を持てるわけもない。
 いっそのこと面倒事ばかりかける下半身の機能成長を止める薬でも作ろうかと考えたが、学生時代は問題なくとも、大人になってから本気で恋愛した時に困るのは自分だと考えを改めた。
 大きさは矜持的な意味で男にとってかなり重要事項なのだ。
 以前の体は東洋人としては標準的な大きさだった。
 生まれたての赤ん坊の頃は人種関係なく小粒サイズだが、成長するに従って東洋人と西洋人では平均的な大きさが違ってくる。
 この体はまだ子供のくせに将来有望な大きさをしていた。
 湯気で白く曇った鏡で掌で拭う。鏡には相変わらず祖母似の顔が映っていた。
 この祖母に似た女顔も成長期の男性ホルモンの活発な分泌により男らしくなって欲しかった。
 彼女と似た顔はこの先の人生で厄介事ばかりを誘発しそうな予感がするのだ。
 既に過去に、祖母に恋い焦がれる男達に祖母に似ているからという理由で求婚されたり誘拐未遂にあったり、質の悪い相手だと襲われそうになった経験があるためにシドの不安は杞憂では終わらないだろう。
 過去の一件はもちろんすべて問答無用で返り討ちにした。
 襲おうとした人物に至ってはシドが男としての生命線を絶ち、両親が激怒して相手の社会的抹殺を手配していた。
 「ヒゲが生えて喉仏が出てくれば印象も変わるか」
 顎先はつるんとしていてざらつくヒゲの気配はない。喉仏はわずかであるが出てきている。
 最近喉に痛みを感じていたのは季節の変わり目で風邪ではなく声変わりだったようだ。
 「確か変声期の喉の痛み止めの魔法薬があったな」
 自分にもこれからセブルスにも必要になるだろう。作り方を調べておいて損はなかった。
 手洗いした下着を体を拭いたタオルと一緒にしもべ妖精が洗濯物を回収する籠へと放り込んだ。
 ついでに先ほどまで着ていたパジャマも籠へ入れておく。
 何ごとにも優秀ホグワーツのしもべ妖精達にかかれば、夜には洗濯物は戻って来ている。
 手早く私服に着替え、髪の毛を魔法で乾かす。厳しい祖母や姉の教育の賜か、身だしなみだけはしっかりと整えてからバスルームを出た。
 「ああ、起きてたんだ。おはよう、セブルス」
 天蓋のカーテンの向こうに上半身を起こしているセブルスの影が見えた。
 朝の挨拶に返ってきたのは元気のないもそもそとした声だった。
 「体調悪いの? どこか痛い?」
 「ち、違うっ」
 焦りを含んだ声を不思議に思ってセブルスのベッドに近付く。
 セブルスは体調が悪くても授業に出るためにそれを隠す。
 以前、一度熱があったのに無理をして薬草学の授業を受けて倒れた事実があるので、セブルスの「大丈夫」をシドはまず疑ってかかることにしている。
 「開けるよ」
 「ダメだ!」
 強い拒絶に天蓋のカーテンを掴んだ手が止まった。
 「セブルス?」
 「気分が悪いわけじゃない。その、少し放っておいてくれ」
 「悪いけどセブルスのその言葉は信用できないよ」
 「本当だ。熱もなければ風邪もひいてない!」
 「本当?」
 「ああ」
 シドがカーテンから手を放すと明かにホッとした安堵の息が聞こえてきた。
 どうやらセブルスはカーテンを開けられたくなかったらしい。
 ベッドの中を見られたくないのかとそこまで考えて先ほどの己の状況を思い出した。
 「もしかして夢精した?」
 口に出してからプライベートに踏み込みすぎた発言だと気づいた。
 何かと恥ずかしがり屋なセブルスが気を悪くする。フォローしなければと焦っているところに勢いよくカーテンが開いた。
 ひどく切羽詰まった強張った表情のセブルスに驚いた。
 そんな尋常ではない様子に「なにかあったの?」と思わず強い口調で問い詰めた。
 「………下着に」
 それだけ言ってセブルスは俯いたがシドは事情を理解した。
 困惑した様子から察するに初めての夢精のようだ。しかも彼はその手の知識を持っていないのが伺える。
 セブルスの父親は男の体について息子に教える父親ではなかったのだろう。
 母親はまだ小柄なセブルスの体がそこまで成長しているとは思っていないのかもしれない。
 「下着に見慣れない白い液体が付着してる?」
 弾かれるようにこちらを見たセブルスの目は潤んでいた。
  未知の現象が己の体に起きてしまって不安で仕方なかったようだ。
 「それ病気や呪いじゃないから心配しないで。夢精だよ。夢精は男性が睡眠中に射精に至る現象。 一般的には体が大人になっていく思春期の男子に多い。僕達にはこれから良くある現象になる。異常でも恥ずかしいことでもないよ」
 ジッとシドの話しを聞いていたセブルスは眉間に皺を寄せた。
 「そういえば………プライマリースクールで聞いた気がする」
 パニックを起こして思い出すことができなかったようだ。
 「そう。ならもう落ち着いたね。着替え持ってシャワー浴びてきなよ」
 そのままじゃあ気持ち悪いでしょとバスルームに促せば、今までの強張った表情が嘘のように真っ赤に染め上げた顔で睨まれた。
 「替えの下着を忘れないようにね」
 「うるさい!」
 バタバタと慌ただしく着替えをクローゼットから取り出し、それを抱えるとバスルームに向かっていく。
 扉の向こうに消えようとしたセブルスがこちらに振り返った。
 「その………ありがとう。助かった」
 「どういたしまして」
 小柄でまだ少女のように可愛らしいセブルスも大人になっていく。
 男性の骨格ができあがり、ヒゲが生え喉仏が出てくる。
 セブルスの未来の姿は知っているが、今のセブルスは自分が知っているあのセブルス・スネイプの外見にはならないはずだ。
 自分がいる限りセブルスに土色の顔色など絶対にさせない。
 外見はもとより原作のような光のない未来も認める気はない。
 シドは闇の帝王の存在は既に気にしていなかった。
 セブルスには大好きな母親とリリーがいる。女生徒達限定だが親しい友人達もいる。
 彼女達がセブルスが闇に行くことを許さないし、もちろんシドを含め祖母を筆頭にセルウィン一族が闇の陣営を殲滅させる勢いで許さないだろう。
 自分に出会い祖母に気に入られてしまった瞬間に、セブルスの闇の陣営行きは未来の選択肢から消滅していると言っても過言ではないのだ。
 リリーを口説き落とせるかはセブルスの努力次第だ。
 原作ではセブルスの学生時代を苦渋に染め、彼の人生までも闇に落とす原因となるジェームズ・ポッターも、現在はセブルスに絡むよりシドに絡んでくる方が圧倒的に多い状態にある。
 セブルスと一緒にいても最初にシドの方に絡んでくる。
 自分のいないところでセブルスに絡んでいるのかと怪しんではいるが、そんな様子も今のところ見られない。
 「変わりゆく物語か。明るい未来は大歓迎だ」
 セブルスが絶望のない幸せな人生を歩み、リリーが殺されることのないそんな未来をシドは思い描く。
 もちろんそれは現実にすべき未来だった。










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