教育的指導



 午後からは睡魔との戦いの魔法史だった。
 この授業は睡魔に誘われるままに居眠りするか、読書に勤しむかの二つの選択肢しかなかった。
 今日は魔法薬学の本を読むことにした。
 シドの読む本が気になるのか、ちらちらとセブルスの視線を感じた。
 「あとで読む?」とこっそり聞けば、セブルスは力強く頷いて、魔法史の教科書を真剣に読み始めた。
 教授の授業を聞くと眠気が勝って勉強が身に入らないという不思議な授業では、教授の授業を無視して自習するのが正しい勉強方法だった。
 のんびりとした魔法史の時間が終わると今日はもう授業はなかった。
 教授達がまた生徒達を勉強漬けにしようと意気揚々と出して来たレポートを片付けるために図書館に向かう。
 ふとセブルスが足を止めた。
 「さっきの授業でインクが切れた。寮に取りに戻るからシドは先に行ってくれ」
 「わかったよ。いつもの席にいるから」
 セブルスと別れて図書館へと一人向かう。
 大広間の出来事のおかげで、新学期が始まってから常に自分達のまわりにいた女の子達の姿が消えたのは嬉しかった。いい加減に鬱陶しくてたまらなかったのだ。
 もともと友人と認めた人間以外にどう思われようと気にしない性格なので、誰に怖がられようとどうでも良かった。
 それでさえ現在はセルウィン家がやっていると世間で思われている『死喰い人狩り』の件でスリザリン生には恐れられているのだ。
 他寮の生徒達が増えたところで痛くも痒くもない。ただ、自分と一緒にいるセブルスが同一視されて周囲から距離を置かれるのは問題だった。
 「杞憂かな」
 大広間でのリリー達を思い出してシドは苦笑する。
 腐に魅了された少女達には殺気など関係なかった。どこまでも己の欲望に忠実で怖い物知らずなさまが前今生の姉達を思い出させる。
 仮にセブルスが彼女達を怖がって距離を置くことはあっても、彼女達から自分やセブルスを避ける可能性は限りなく低いだろう。
 不意に嫌な気配がして、振り向きざまにプロテゴを唱える。
 現れた魔法の盾に何かがぶつかって爆発した。異臭を放つそれがすぐにクソ爆弾だと理解して、こんな馬鹿なマネをする相手もすぐにわかった。
 うるさかった女生徒達とは別の意味でうるさい人物達の登場にシドは内心ため息を吐く。
 セブルスと一緒に魔法薬学漬けな平穏な学園生活を謳歌したいだけなのに、なぜか周囲はそれを許してはくれない。
 「あれ? 失敗しちゃったよ。シリウス、ちゃんと狙わなきゃダメだよ」
 「俺のせいにすんなよ。ジェームズが投げたやつだって防がれただろ」
 柱の影から現れたのはセブルスが言うところの「グリフィンドールの馬鹿達」だった。
 ニヤニヤと笑みを浮かべるジェームズとシリウス。困ったような顔をしている少年と、おどおどと脅えている様の少年がいた。
 鬱陶しく絡んでくる馬鹿なお子様を相手にする気もないので、シドは呪文を唱え杖を振った。
 するすると縄が少年達に絡み付き、瞬く間に縛り上げていく。
 「うわっ!」
 「なにしがやる、この野郎!」
 悪態をつく二人に突然縛り上げられて言葉もない少年二人。なぜ一緒に行動しているか不思議に思える対照的な性格の二人組達だ。
 一年の時からジェームズ達に会うたびに「スリザリンだから」と因縁をつけられ絡まれるのは珍しくなかったが、二年になってからはその度合いが頻繁になった。
 毎日と言っても過言ではないほど彼らに絡まれる。
 どうやらシドの学年末試験の成績は女生徒達だけではなく、プライドの高いこの少年達をも刺激したようだ。
 努力して自らを高めるより安易に相手を攻撃するあたり、彼らの性格の一端が伺えた。
 こうやってクソ爆弾を投げて来たり、水をかけようとしたり、呪いを飛ばしてきたりと、馬鹿らしくて数え切れないほどの悪戯と称した嫌がらせをしてくる。
 あまりに幼稚な内容にシドは言葉もないほど呆れ、セブルスも最初は怒り狂っていたが、次第に残念な物を見る目で彼らを見るようになった。
 セブルスはマグル育ちだ。そのためホグワーツに入学する前にプライマリースクール、つまり小学校に入学して卒業している。
 そんな彼から見れば、グリフィンドールの悪戯仕掛人達の様子は、小学校低学年の子供が騒いでいるようにしか見えないらしい。
 これにははるか遠い過去を思い浮かべてシドも同意した。
 それはマグル育ちの共通した認識で、リリー達もジェームズ達を「幼稚すぎるわ」と冷たい目で見ており、シドがよく口にする「馬鹿なお子様」説は納得されて支持されつつあった。
 彼らが悪戯と主張する行為は相手が悪戯をすべて防いでしまうシドでなければ、単なる嫌がらせかイジメでしかない。
 シドが軽くあしらうからこそ、幼い子供の悪戯と同様に見られている状態だ。
 原作ではこの悪質な嫌がらせを実際に受けていたのはジェームズと敵対関係にあったセブルスだ。そう考えるとシドは苛立ちと怒りを覚える。
 耳障りな罵詈雑言を喚く二人に眉をひそめながらも、騒音の根源へと歩み寄っていく。
 いつもなら彼らを縛りあげ無視して過ぎ去るシドが近付いてきたことで、二人は騒ぐのを止めてシドを睨むように見上げてきた。
 「なんだい、なにか文句でもあるの?」
 ジェームスの言葉を無視してローブから取り出した小瓶を床に落とす。
 石畳に落ちた小瓶はカシャンとか細い音を発てて割れると、オレンジ色の液体が一瞬にして煙となってジェームズ達四人とシドを覆った。
 「おい、てめえ、セルウィン! なんだよこれ!」
 「まさか毒じゃないだろうね?」
 物騒な発言に脅えていた、おそらく将来ネズミになるだろう少年が悲鳴を上げて泣きわめき出し、その姿を見てシドはため息をつきたくなった。
 毒なら仕掛けた自分が煙の中にいるわけがないと、常識的に考えればわかることだ。
 あまりの騒々しさに四人とも魔法で喋れないようにした。
 無臭のオレンジ色の煙。煙を吸った舌先にはわずかな魔法薬の苦みが残る。
 己の調合に失敗がないことを確認すると、縛り上げたジェームズ達をそのままにして図書館へと向かった。
 いつの間にか周囲には遠巻きにこちらを見ている生徒達が集まっていたが、怪しげなオレンジ色の煙の中に入って彼らを救出しようとする者はいなかった。
 図書室でレポート用の参考書を探して席に戻るとちょうどセブルスがやって来た。
 「図書館までの通路に馬鹿なお子様達がいなかった?」
 「通路をクソ爆弾塗れにしてグリフィンドールの寮監に怒鳴られていたぞ」
 あいつらは懲りないなとセブルスは呆れた顔をする。
 「セブルスに話しかけてきた?」
 「グリフィンドールの寮監に怒鳴られている中で僕に絡んではこないだろう」
 「確かにそうだ」
 「なにを企んでいる?」
 セブルスが訝しむように問いかけてきた。
 「ニヤニヤした顔をしてるぞ」
 「馬鹿なお子様に躾けのための教育的指導を仕掛けてみた」
 「なにをした?」
 「それは見てからのお楽しみ」
 きっとセブルスは気に入ってくれるはずだ。
 シド自身も薬の効果を確認するのがとても楽しみだった。









 翌日、朝食のために大広間に行くと、グリフィンドールの四人組が待ち構えていた。
 ジェームズは憎々しげに、シリウスはチンピラのごとく絡む気満々のオーラを放ってシドを睨み付けてきた。
 とても良家の子息に見えない様子の二人は爽やかな朝の大広間で浮いた存在になっていたが、シドはそんな彼らなど目に入らないかのように無視してスリザリン席に向かおうとした。
 「待てよ。セルウィン。昨日はよくもやってくれたね」
 「昨日は」ではなく「昨日も」が正しい認識だ。
 彼らがうるさく絡んで来て、シドに撃退されるのはすでに新学期が始まったホグワーツでは見慣れた光景だった。
 懲りるという学習能力がない子供は鬱陶しくて厄介この上なかった。
 「昨日のあのこけおどしの煙なんだよ。ご自慢の魔法薬は俺らには何も効かなかったぜ?」
 小馬鹿にしたようにシリウスが笑う。
 シドは無反応だったが、シドの魔法薬の才能を知っているセブルスが黙っていなかった。
 「ふん、グリフィンドールの愚か者は自分がシドの魔法薬に侵されていることも気づいていないようだな。おめでたい奴らだ」
 シリウスの発言で昨日シドが言った「教育的指導」が魔法薬を使った物だと理解したセブルスが鼻で笑った。
 セブルスの理解力とそして自分の魔法薬に対する絶対の信頼に自然と口元が緩んだ。
 「黙れよ。スニベルス。いまは君なんかに構ってる暇はないんでね」
 「なんっ」
 セブルスは基本ジェームズ達限定で短気だった。ジェームズの挑発も簡単に乗ってしまう。よほど彼らの存在は目障りなようだ。
 今も安い挑発に煽られてセブルスは憎々しげにジェームズを睨みつけて言い返そうとしたが、その言葉が止まった。
 黒い双眸が驚いたようにジェームズを見ていた。それはセブルスだけではなく、大広間で彼らのやりとりを見ていた人間全員の反応だった。
 「お、おい、ジェームズ、それどうした? すげえおもしろい頭になってるぜ」
 最初に反応したシリウスは堪えきれないように笑い出す。それにつられたように周囲も笑い出した。
 セブルスはジェームズから顔を逸らして少し俯いていた。肩が震えていて、わずかに見える口元が笑っていた。
 「は? なに? 僕の頭がどうしたわけ?」
 くしゃくしゃの頭に手をやる。
 「なにこれ? 頭になにか生えてる!」
 「黄色いタンポポが咲いてるんだ。なんか、すげえ似合うぜ! タンポポジェームズ」
 ポンっと一瞬でジェームズの頭に芽吹いて花を咲かせたのは黄色いタンポポだ。
 「誰がタンポポジェームズだ! 人をアホみたいな呼び方するな! 君の仕業か、スニベルス!」
 ジェームズはシリウスに怒鳴ったあと、敵意たっぷりに杖をセブルスに突き付けた。
 その瞬間、再びポンっと二輪目のタンポポが咲いた。
 シリウスがジェームズに再び花が咲いたことをお腹を抱えて笑いながら教えた。
 「あれはなんだ?」
 問いかけてくるセブルスの声が震えていた。必死に笑うのを堪えているのがぎこちない表情からよくわかる。
 「教育的指導」
 「どこがどう教育的指導なのかわからない。どんな魔法薬を使ったんだ?」
 確かに頭にタンポポが生えるだけではどんな魔法薬なのか見当がつかないだろう。
 「はあ? これ昨日の魔法薬のせいなのかい?」
 「ちょっと待てよ。昨日のやつなら俺らもタンポポジェームズのようになるってことなのか?」
 それまで大笑いしていたシリウスが顔色を変えた。控えめに笑っていた残りの二人の顔も強張った。
 さすがに頭にタンポポが咲く情けない姿は嫌らしい。
 「効能と調合工程を書いたものが部屋にあるけどあとで見る?」
 「もちろんだ」
 「おい、無視すんな!」
 うるさく怒鳴ってくるシリウスをシドは冷ややかに一瞥する。
 ジェームズは女生徒から手鏡を借りて己の頭を見て悲鳴をあげていた。
 「こんなもの」とタンポポの花をむしり取ったが、すぐに同じ箇所からタンポポの花が咲いた。しかも花が先ほどより大きくなっている。
 「花をむしると次第に大きくなっていくオプションもつけてみた」
 「相手を笑い者にする手段としては効果は絶大だな」
 彼の親友であるはずのシリウスが再び腹を抱えて笑っている。
 成長促進いや体積増加の作用のある薬草が含まれてるなとセブルスが呟きながら真剣に考えはじめた。
 「今度こういう魔法薬を作るなら僕にも声をかけてくれ。興味深い」
 「わかったよ」
 「花が咲く魔法薬の発動の条件はなんだ?」
 興味津々と顔全体に書いてセブルスが聞いてくる。魔法薬に関してはグリフィンドールも顔負けの好奇心の塊だ。
 「それは」
 「そこ! 和やかに話してるんじゃねえ! 魔法薬なら中和剤があるだろう。それ寄こせよ。ジェームズは良いとして、俺はあんなアホ頭になる気はねえ」
 言いかけたところでシリウスが怒鳴ってきた。
 「頭の足りない馬鹿なお子様にはお似合いだ」
 シドは冷たく言い捨てた。
 「なんだと? てめえ、スニベルスもなに頷いてやがる!」
 シドの発言に頷いていたのはセブルスだけではなく周囲の生徒達もいたが、セブルスに馬鹿にされるのが一番腹が立つらしく、シリウスはセブルスに怒鳴りつけた。
 その瞬間、ポンっとシリウスの頭に黄色いタンポポが一輪咲いた。
 「わかった。特定のキーワードだ」
 キラキラした漆黒の瞳が問いかけてくる。
 「ご名答。セブルスが気を悪くするかもしれないと思ったけど、彼らのあの言葉をキーワードにさせてもらった。
 あのセブルスを馬鹿にする呼び名、苛立たしくてたまらなかったから。あれを口にすると花が咲く仕組みになってる」
 「別に気にしない。なるほど、確かに教育的指導だな。物覚えの悪い愚か者には実力行使に限る」
 ニヤリと笑うセブルスの視線の先には、頭にタンポポが咲いて慌てているシリウスと、それを見て大笑いしているジェームズがいた。




 さらに翌日、頭のタンポポが枯れたジェームズ達が懲りずに絡んできた。
 意気揚々と一晩でタンポポが枯れ薬の効果が切れたと喜ぶ彼らの学習能力の無さに哀れみを覚える。
 いつものようにジェームズがセブルスに絡み、例の発言をして今度は頭に赤いチューリップを咲かせた。
 一晩で薬の効果が切れたんじゃないのかと彼らは騒ぐが、シドはそんな説明は一言も言っていない。
 確かに花は一晩で枯れるが魔法薬の効果そのものは中和剤を飲まなければ切れることはない。
 どうやら自分達が騒いでいたせいで、キーワードの発言によって花が咲くことも聞いていなかったようだ。
 さすがにそのうち気づくだろうが、わざわざシドが親切心を出して教える気もなかった。
 「チューリップか。ヤツのおめでたさ加減が増して似合うな」
 「頭に花が咲いて恥ずかしがるだけの羞恥心を持ち合わせていて良かった。喜ばれたらどうしようかと少し心配だった」
 「………あいつらならないとは言えないな」
 短い沈黙ののちにセブルスが同意した。
 ちなみに花は七種類がランダムに咲くようになっている。
 そうこうしているうちにシリウスが例の発言をして、その頭に花を咲かせた。
 ゆらゆらとそよ風に揺れるピンクの可憐なコスモスが一輪、シリウスの頭の上で異彩を放っている。
 セブルスが小さく吹き出すのが聞こえたが、それをかき消すような盛大に吹き出す音がした。
 続いて息も絶え絶えに苦しげな笑い声が聞こえてきた。その笑い上戸な祖母を連想させる笑い声がスリザリン席から聞こえてきたので、シドの興味を覚えてそちらを見た。
 バンバンとテーブルを叩きながら悶絶して笑い伏している黒髪の男子生徒がいた。
 体格や制服から見てまだ一年生だろう。遠慮なく笑う彼は当然ながら注目を集めていた。
 涙が出るほどに大笑いしているスリザリンカラーの少年は頭にコスモスを咲かせた人物と顔立ちが良く似ていた。





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