二年生のはじまり
新学期が始まる日。キングズ・クロス駅の九と四分の三番線のホームは乗客と見送りの家族であふれていた。
沢山の人々と足元を縫うように歩き回る猫。ときおりネズミを見つけたのか、猫たちが一斉にそちらに駆けていく姿が見られた。
人混みの中を歩いていくと、周囲が道を空けるのは見慣れた光景だった。
特に両親と歩いているとその確率が高いが、今回見送りに来てくれたのは両親ではない。
二人は見送りに来たがったが、昨夜から赤ん坊の妹が熱を出してそちらに付きっ切りになっている。そのため見送りには兄夫婦と甥姪が来てくれた。
もちろん一人で行けると最初は断ったが、兄嫁であるリディアが「久しぶりに九と四分の三番線を見たいわ」と言い、甥姪達に「機関車見たいの」「僕達も将来乗るんだよね」とキラキラした瞳で言われると否とは言えない空気になった。
「お披露目には早くないですか? この子達はまだ四歳ですよ」
普段はエジプトの辺境に住み、まだイギリス魔法界の公の場に出たことのないブライアンの子供達はその存在が疑問視されている。
出生届けはあるものの、イギリスではその姿を誰も見たことがないからだ。
キングズ・クロス駅に行けば、彼らの存在が、容姿が一気に魔法界に知れ渡る。それは甥姪達を狙う敵を作り出すことに他ならない。
シドに言わせればまだ早いと思う。避けられない道だが四歳の子供には酷な運命だ。
「この子達はセルウィン直系だ。一族に大切にされ、一族を大切にすることを誰よりも身を持って知っていかなければならない。大丈夫だよ。我々が何があっても守るから」
それに兄夫婦は普段はエジプトにいる。
少なくとも彼らがホグワーツ入学の一年前まではエジプト滞在予定なので、わざわざエジプトまで子供を攫いにくる者も少ないはずと兄は言った。
もちろんご足労頂いた誘拐犯については、古代エジプト魔術の餌食になってもらうと穏やかな笑顔で告げられ、怒った兄の姿を思い出したシドは諦めの心境で頷いた。
そんなわけでシドの隣には金髪長身で「スリザリンの王子様」と謳われた母クローディアそっくりなブライアンがおり、その腕の中には兄に生き写しの姪が抱っこされている。甥はリディアに抱き上げられていた。
兄ブライアンだけでも目立つのに、クローンのような子供が二人。周囲の人間はこちらを驚いたように見ると自然と道を開けて行くのだ。
歩きながら周囲を観察するように目を向ければ、ブライアン達の姿に一番驚きを表しているのは、ある程度の年齢の男達だった。
いずれも身形が良く、服装から魔法界の名門名家の人間だとわかる者達だ。
このままでは明日の日刊予言者新聞の一面を飾りそうだと思ったシドは甥姪達に魔法をかけた。
「ありがとう。一応、簡易結界は持たせているけど心許なくてね。シドの結界ならもう問題はないね」
「それなら最初に言って下さい、兄様」
魔法界やマグルのカメラに写らない結界を甥姪達に張った。
彼らの顔を見られるのは仕方ないとして、わざわざ顔写真を魔法界中にばらまく危険性を容認することはできない。
まだ出発まで時間があり、ホームから見えるコンパートメントの中はどこも空いていた。
「『祝い狩り』の件があるから闇関係はしばらく大人しいはずだけど、ホグワーツでなにかあったら自分の判断で行動して構わないよ。
シドなら大事にならないように内密に処理できると思うけど、シドが問題を起こしたら起こしたで両親が喜んでホグワーツに乗り込むから、そのことだけは心に留めて置くように」
周囲に聞こえないよう声を潜めてブライアンが言った。
「わかってます」
両親にホグワーツに乗り込まれたのちの混乱を予想すれば、闇候補生の学生達を返り討ちにしつつ完璧な口止めを施すことは必至だ。
ブライアンの話しではあの姉でさえ両親呼び出しを食らった際には顔面蒼白だったらしい。
両親が一体なにをしたのか疑問に思うが、本能が知ることを著しく拒絶していた。知らない方がいい、むしろ知りたくない。
両親が呼び出されるような失態は絶対にすまいと決意した。
「シド」
聞き馴染んだ声に名前を呼ばれた。振り向けば荷物を積んだカートを押してセブルスがこちらに向かってくるのが見えた。
「久しぶり、元気にしてた? セブルス」
「ああ、シドは?」
「問題なく元気だよ」
軽く挨拶をすると、セブルスはブライアン達を見て、慌てたように挨拶をした。
「お久しぶりです、ブライアンさん。リディアさん」
「久しぶりだね。セブルス君。元気そうでなによりだよ」
「そうね。少し見ないうちに身長が伸びたみたい。子供の成長は早いわ」
リディアが感慨深く告げ、シドは何気なくセブルスを見た。
目線が最後にあった時と変わりなく、首を傾げていると「シドも背が伸びてるからだ!」と心を読まれたようにセブルスに睨まれた。
「ああ、そういうことか。納得したよ。セブルス、お母さんを兄様達に紹介………」
セブルスは見送りの母親と一緒にキングズ・クロス駅に来ている。セブルスの後ろにいた彼女は少女のように頬を染めてうっとりとこちらを見ていた。
祈るように胸の前で指を組んでいる。どこかで見たことのある様子に、シドは思わず兄と甥姪達を見て、それからセブルスに問いかけた。
「セブルスのお母さん、もしかして母上のファン?」
「………ファンクラブにも入ってる」
言いずらそうにセブルスは答えた。
「やっぱり。母上のファンは兄様を見てもああなるから。とりあえず兄様達にお母さんを紹介してもらえる?」
一応、礼儀として必要だ。セブルスは頷くと母親を二三度揺すったが、アイリーンはなかなか正気に戻ってくれなかった。
乱暴だと思ったが、匂いを嗅ぐタイプの気付け薬を嗅がせるとやっとアイリーンは正気に戻ってくれた。
「あ、あら、失礼しました。目の前にクローディア様がいらっしゃると思うと舞い上がってしまって」
真っ赤な顔でアイリーンは狼狽えていた。
「お母さん。この人はシドのお兄さんのブライアンさん。クローディアさんじゃない。ブライアンさん、僕の母のアイリーン・スネイプです」
「はじめまして、ミセス・スネイプ。シドの兄のブライアン・セルウィンです。母のファンのようですね。ファンクラブの会長である父が喜ぶと思います」
穏やかな笑みを浮かべながら自己紹介をし、妻と甥姪を紹介していくブライアンは一見とても愛想が良く無害なように見える。けれど彼はとても冷静に相手を分析しているはずだ。
他人に興味がなく閉鎖的な一族らしく、近づく人間に対しては強い警戒心を持つ。それが弟の友人の母親であっても例外ではないはずだ。
露骨に他人を拒絶しないだけ、ブライアンはシドにはない社交性を持ち合わせていた。
ブライアンとアイリーンが会話している間に、セブルスは甥姪に懐かれていた。
足に一人ずつ子供がしがみついていた。そんな様子をシドとリディアは微笑ましく見守っていた。
「シド」
助けろと弱々しい声音で自分の名を呼ぶセブルスにシドは笑顔で手を振っておく。
写真に撮っておきたいぐらいに微笑ましい絵だ。リディアが嬉々とした笑顔で「一時的に結界とけない?」と魔法界のカメラを握りしめて聞いてくる。
「注目を浴び過ぎてるので無理です」
微笑ましい光景に親子連れが目を細めて見ている。中にはカメラをかまえている者もいた。
「………セブルスのお母さんの護衛の手配をお願いします。僕等一族と親しいと思われたからには、闇に狙われる可能性があります」
セブルスの大切な母親をセルウィンの都合で危険な目に合わせてしまうのだけは避けたかった。こっそりとリディアに告げれば、彼女は力強く頷いた。
「ブライアンに伝えておくわ。心配しないで、しっかりとした護衛をつけるわ。みんながスネイプ君を気に入っているもの。彼を悲しませることは一族の人間が許さないわ」
「特にお祖母様」と苦笑するようにリディアは言い、その言葉にシドは両肩から力が抜けるのを感じた。
祖母はセブルスがお気に入りだ。セブルスの才能もからかい甲斐のある初心な性格もとてもお気に召したらしい。
同じ年の孫が可愛げがないぶん、余計に勉強家で初々しいセブルス可愛いのだと、シドはフィリス本人から告げられている。
ついでに「どうしておまえは可愛らしさとは無縁なんだろうね」と文句もしっかりと言われたが。
ブライアンにコンパートメントが混む前に機関車に乗りたいと告げると、甥姪達は別れを半泣きで惜しんでくれたが、母親に挨拶を済ませてきたセブルスとお別れの挨拶をすると本気で泣き出して、再びセブルスの足にしがみつきはじめた。
どうやらセブルスを大いにお気に召したのは祖母だけではなかったらしい。
困り切った顔で助けを求めるセブルスに苦笑しつつ、そんな様子を微笑ましく見ていたセブルスの母親に近づき一礼をする。
「お久しぶりです。おばさま」
「ええ、お久しぶり」
友人と似た顔立ちの女性の表情は強張っていた。
やはり漏れ鍋での言動が過ぎたようだと、シドは心の中で少しだけ反省した。
「休暇中のことはセブから聞いているわ。とてもお世話になったそうで、それはそれは楽しげに話してくれたわ。
ありがとう。あの子を本当の笑顔にしてくれるあなたには幾ら感謝してもしきれないわ」
過去を悔やむ母親の気持ちは伝わってくるが、シドは気づかない振りをする。
彼女が懺悔する相手はセブルスだ。自分がその念を受け止めても仕方がない。
「セブルスが楽しんでくれたなら良かったです」
祖母の魔力から必死にセブルスを守った甲斐がある。
セブルスを見れば、兄夫婦が甥姪をセブルスの足から引きはがしていた。
「シド、セブルス君。この子達がこれ以上暴れないようにコンパートメントに行きなさい」
ぐずる甥姪をあやしながらブライアンが言い、これ以上子供達に泣かれたくないセブルスがシドより先に「わかりました」と頷いて、荷物のカートに手をやる。
「行ってきます。お母さん」
「ええ、行ってらっしゃい。セブ。クリスマス休暇には帰ってくるのよ」
「はい」
ほのぼのした親子のやりとりは普通の親子なら珍しくもないが、彼らにはまだまだ気恥ずかしいやりとりのようだ。
アイリーンの笑顔はぎこちなく、セブルスは妙にそわそわしている。
「セブルスに笑顔で行ってらっしゃいを言わなくて良いのかい?
セブルスは次に会う時までおまえ達の泣き顔しか覚えていないと思うぞ。小さな紳士と淑女はそれで良いのか?」
エジプト暮らしではあるが、甥姪達は名門一族に相応しい立ち振る舞いの教育は受けている。
まだ幼い紳士淑女はすぐに泣き止んで佇まいを正した。
「いってらっしゃいませ。セブにいさま」
「おからだにきをつけてください」
笑顔でセブルスに向かって手を振る。そんな甥姪の様子の変化に驚きつつもセブルスは彼らに小さくではあるが手を振り返した。
「シドにいさまもいってらっしゃいませ。セブにいさまをしっかりまもってくださいね」
「そうです。セブにいさまをおまもりしてください」
「………おまえ達がセブルスを大好きなのは良くわかった。ついで扱いも………まあ、良いけど。
言われるまでもなく守るよ。でもセブルスは僕に守られっぱなしなほど弱くない。それは間違えちゃいけない」
甥と姪の頭を軽く撫でてから、兄夫婦とアイリーンに挨拶をして機関車に乗り込んだ。
ちらりと甥姪達を見れば再び泣き出しているところだった。
叔父である自分との別れではなく、セブルスとの別れで号泣している姿を見るとなんとも複雑な気分になった。
「セブルスは実は子供に好かれるタイプだった?」
「僕に懐いてきた子供はあの子達がはじめてだ」
出発前からセブルスは精神的に疲労したようで、見るからにぐったりと疲れた様子だ。
後方の誰もいないコンパートメントに入ると、セブルスはどさりと椅子に座り込んだ。
「うちの甥姪が迷惑をかけたね」
「そう思うなら助けろ!」
「セブルスにしがみつく甥姪が可愛かったし、あの状態で困っているセブルスもなかなか貴重な図だったから」
「………あとで覚えてろ」
苦々しいセブルスの呟きにシドは苦笑する。
「お手柔らかにね。紅茶淹れるから機嫌直してよ。良いアッサムを手に入れたんだ」
杖を振って紅茶が満たされたカップとお菓子を出す。お菓子はもちろんシドの手作りだ。
セブルスの視線は大量のチョコチップクッキーに向けられていた。
久しぶりにセブルスに食べてもらえると思うと腕がなり、嬉々として大量のクッキーを焼いてしまった。しかもチョコチップクッキーだけだ。
一体どれだけ自分はセブルスにお菓子を食べさせたかったのかと、ときおり暴走する己の兄心が心配になってくる。
「多いな」
お菓子の皿に文字通り山盛りのチョコチップクッキー。
「あとでリリーが来た時のために」
「ああ。リリーもシドのクッキーは大好きだからな」
「それは光栄だね」
間違いなく余るだろうクッキーは保存魔法をかけておけば、次のお茶の時に出せるし、軽い夜食にもなる。
美味しい紅茶と好物のチョコチップクッキーを振る舞い、セブルスが興味を持ちそうな魔法薬の話しをすると、少しずつセブルスの機嫌は良くなった。
まだ機関車が動き出す前だが、空いた席を探している生徒達がノックしてコンパートメントのドアを開けてくる。
彼らは一様にティーセット持ち込みで優雅にお茶をしている二人の姿に固まり、そしてシドの類い希な容姿に驚いて目を見開く。
そして我に返るとセブルスを見て慌てたように「ごめんなさい。お邪魔しました」とすぐさま踵を返して出て行く。
これが何度かあり、お茶を片手に楽しく魔法薬学論議をしているシド達は落ち着かなかった。
目くらましの魔法を使えば邪魔者は入ってこないが、クリスマス休暇帰りの時のジェームズの一件があるので、リリーが助けを求めて逃げ込んで来た時のために目くらましの魔法をドアにかけるのは躊躇している状況にある。
「リリーを探しに行くか?」
「例の愛好会のメンバーと一緒だったら邪魔しては悪いよ」
「そうだな」
愛好会と聞くだけでセブルスは複雑そうな顔を見せる。シドとしてもリリー達が盛り上がっているだろう愛好会の話しの内容はセブルスには聞かせたくなかった。
なにせ夏休みがはじまってすぐに、駅に迎えにきた金髪長身の美形は一体何者なのかとリリーから問い合わせの手紙が来て、兄だと返信すれば、「ブライアン×シドもしくはシド×ブライアンで本を創りたい」と言う手紙がきて頭痛を覚えた。
すぐに却下の手紙を送り返した。リリーが一度だけみた兄の存在で禁断の話を考えたぐらいだから、目撃者の愛好会の人間も考えているだろう。
兄のような優しげな美形はとても彼女達の妄想創作意欲をかき立てるらしい。
おかげで兄は姉の趣味の一番の被害者となった実害がある。
彼女達の強化合宿では兄ブライアンの話題でとても盛り上がったと知りたくもない情報をリリーから得ているので、リリーを止めたところで自分と兄の本はホグワーツに出回るだろう。
見知らぬ女生徒達がどんな妄想をしようとも気にしないが、リリーに兄との話を考えられたら立ち直れなくなりそうだった。
もちろんそのことはリリーに手紙で伝え、彼女はとても残念そうにしながらも、自分達の友情の為に禁断の兄弟本はあきらめてく経緯がある。
「どうかしたのか?」
突然頭を抱えてうなだれたシドにセブルスが不思議そうな顔を向けてきた。
「頭が痛くなりそうなことを思い出しただけ。主にリリー達の愛好会関係だから、内容は聞かないでくれると助かるよ」
「わかった」
愛好会関係と聞いてすぐにセブルスは頷いた。
やがてゆっくりと機関車が動き出す。車窓からホームに立つ兄夫婦達とアイリーンが見えたので、セブルスに声をかけて一緒に外に向かって手を振っておいた。
なぜ僕までと文句を言ったセブルスもアイリーンや甥姪達が手を振り返してくれたのを見て嬉しそうに口元を緩めていた。
機関車が動き出してからも席を探す生徒は多く、シド達のコンパートメントは二人しかいない為か相席を求めて扉を開ける者が後を絶たなかった。
彼らはやっぱり一様にこちらの様子を見たあとにすぐさまコンパートメントから出て行くが。
「シドがいると相席を申し出る勇気のある者もいないな」
「睨んではいないけど」
楽しく話している邪魔をするな、もしくは鬱陶しいとは心の中で思っていたが、紳士の端くれとして顔にも口にも出していないはずだ。
「そういう意味じゃない」
「ならなに?」
「彼らはシドの顔がきれいすぎて後込みしてるんだ」
「僕は男だからきれいと言われても嬉しくないよ」
祖母に似ている事実は女顔であることを意味する。
多感な思春期の少年からすれば、きれいと言われるなど怒りを煽るものでしかないが、中身三十路の精神年齢ではナイーブな少年の心は昔のこと過ぎて理解できなかった。
「あと近寄りがたい雰囲気がある」
「それは否定できないな」
閉鎖的に他人を拒むセルウィンの特徴だから仕方がない。
そう考えると去年の今日、そんなシドの雰囲気に飲まれずにコンパートメントで相席を申し込んできたリリーは勇敢だったのだろう。
単にジェームズに対する怒りが勝っていただけなのかも知れないが。だが、その怒りのままの行動にシドは感謝する。
その勢いがなければセブルスと出会うこともなかったのだから。
一年前は絶対に原作の人物とは関わらないように決めていた。
その思惑はすぐに崩れ去ってしまったけれど、いまはあの時に『原作の人間鬱陶しい』と問答無用で眼鏡達ごとセブルス達を追い出さず、紳士的な態度でリリーとセブルスに接して良かったと心から思っている。
「紅茶、おかわりは?」
「ああ、頼む」
空になったカップに紅茶を注ぐ。温かな湯気と紅茶の香りが広がった。
「はい、どうぞ。ああ、そういえばセブルスに渡したい物があるんだ」
「渡したい物?」
「そう。セルウィン家からセブルスに」
「セルウィン家から? どういう意味だ?」
「言葉のままだよ」
荷物の中からセルウィン家の紋章が描かれた包装紙に包まれた長方形の小箱を取り出す。
以前にセブルスに対してカルロがお詫びの品を贈ってきた時と同じ模様の包装紙だ。
これは一族当主が贈り物をする時のみに使用される特別な物だった。それをセブルスに差し出すと戸惑ったようにシドを見た。
「うちに遊びに来てくれた時にお祖父様がセブルスの滞在期間中に間に合わなかったから、その非礼を詫びたいってお祖父様の謝罪の気持ちだよ」
「そんな……謝罪してもらう理由がない」
予想通りのセブルスの反応だった。祖父にはやむを得ない理由があったのだ。
それは家族もセブルスも理解している。仕方のないことだ。
けれど本人が強く言い出したのだからシドも止めるわけにはいかなかったのだ。
「名門の年寄りの顔を立てると思って受け取って。セブルスに受け取ってもらえないと僕が祖父母や兄夫婦に怒られる」
にっこり笑って言えば、セブルスは眉間に皺を寄せて苦々しい表情を浮かべた。そしてシドを睨み付けてきたが、すぐに諦めたようにため息をついた。
「そういう物言いは卑怯だ」
「そうだね」
渋々とセブルスは箱を受け取る。
「祖父からの贈り物になぜフィリスさんやブライアンさん達まで怒るんだ?」
「とりあえず開けて見て」
セブルスはシドに促されて包装紙をはがし、しっかりとした造りの黒い箱を開けた。
黒いベルベットの生地の上に銀と青で彩られた物が現れた。
「これはバングル?」
「そうだよ」
太い銀の輪には二匹の蛇が描かれており、中央部分には丸い青い石が輝いていた。
セブルスは驚愕の表情のまましばらくバングルを凝視していたが、なにかに気づいたようにこちらを見てきた。
「この青い石、普通の石じゃない気がする。まさかとは思うが」
「ご名答。お祖父様がタイで見つけた魔法石だ」
「フィリスさんのための魔法石じゃないのか?」
「お祖母様が使うにはこの魔法石は魔力が弱いんだ」
祖父は家族にお土産としても魔法石を持って帰ってくる。
もちろんフィリス用としては力が足りないのであって、魔法石としては上質な部類に入る品だ。
そう説明すればセブルスの顔色が次第に青くなって行くのがわかった。
「セブルス?」
「そ、そんな上質な魔法石のバングルを受け取れるかっ! シドは魔法石の価値を知らないのか!」
「それなりな値段らしいね。でもうちの場合お祖父様が採取してくるから」
祖父の労力はあっても金銭的な問題は発生しない。
加えて言うなら、家族用にと祖父が持ち帰った魔法石はまだまだ沢山あり、シドには魔法石が貴重な石という認識はなかった。
「お祖父様の謝罪の気持ちを拒否されると困る。お祖母様がセブルスを気に入ってるから、お祖父様もセブルスにすごく興味があるみたいなんだ。
セブルスに合った石をお祖父様とお祖母様が一緒に選んで、バングルのデザインはリディア、彫金は兄様がやってる」
セルウィン家の人間四人が関わり、しかもお世話になったフィリスやブライアン達が造ったと知ると、セブルスは拒否する言葉を飲み込んだ。
「この青い石はサファイア。知性を司る石。知性と判断力を高め、頭脳を明晰にしたい人に効果的。勤勉で努力家なセブルスにはぴったりだ。なにかと問題のあるお祖母様だけど、相手の資質を見抜く目には確かだよ」
「………わかった。大切にさせてもらう。あとでお礼の手紙を書くから、届けてもらえるか?」
「いいよ。それつけてみて」
「ああ」
恐る恐るとセブルスは箱からバングルを取り出す。
細いセブルスの手首には明らかに大きいバングルは、手首につけると淡い光を放って手首から滑り落ちない大きさに変化した。
「外そうとすれば元の大きさに戻るよ」
シドの説明を聞いてセブルスはバングルを外そうとする。途端にバングルは元の大きさに戻った。
「見た目がしっかりしてるから重いと思ったけど、つけていないように軽い」
「ずっと身に付けてもらえるようにと兄様が魔法をかけたみたいだ」
箱に戻そうとしていたバングルを再び腕にしたセブルスを見てシドは微笑む。
こういう素直で可愛らしいセブルスの性格を家族は気に入っているのだろう。
「大切に使わせてもらう」
「使ってもらえる方がみんなが喜ぶよ。セブルスにはごついかなと思ってたけど似合うね」
手放しで褒めればセブルスはそっぽを向いてしまった。
耳がうっすらと赤いのでどうやら照れさせてしまったらしい。
ありがとうと向こうを向いたままセブルスが呟いたのが聞こえて、思わずニヤニヤ笑っていたらこちらを見たセブルスに睨まれた。
「シドは魔法石を持っていないのか!」
羞恥を誤魔化すためかセブルスが強い声音で言った。
「持ってるよ。いつも身に付けていられるようにと兄様がピアスにしてくれた」
言いながら右耳付近の黒髪をかきあげる。小さなサファイアを銀の蛇が尾で守るように囲っているピアスが現れる。
「僕と同じ石」
「そうだよ。似合う?」
「ああ。嫌味なほど似合う。それ以上頭脳明晰を目指してどうする気だ」
「知性と判断力はいくらあっても困らないからね」
特に敵の多いセルウィンの者ならなおさら知性も判断力も必要だ。
「シドのも蛇なのか?」
このピアスのデザインもリディアだった。
モチーフが蛇にばかりなのはシドとセブルスがスリザリン寮生であり、リディアが愛するエジプトでは蛇のモチーフが多いためだ。それをセブルスに説明すると納得したように頷いた。
ふとコンパートメントの扉がノックされた。
そちらを見ると同時に扉が開き、赤毛の少女が「久しぶりね」と笑顔で挨拶してきた。
「リリー、大丈夫か? あの変態達に絡まれなかったか?」
頬を染めてセブルスが立ち上がり、威嚇するように扉の外を睨んだ。そんなセブルスを安心させるようにリリーは微笑んだ。
「大丈夫よ。まだあれには会っていないわ」
「そう良かった」
「久しぶりだね。リリー。元気だった?」
「ええ、もちろんよ。休暇中の強化合宿のおかげで元気百倍中よ」
「………そう。それは良かった」
一体どんな強化合宿なのかは聞かない。聞かないほうが良いと理性も本能も全力で拒否しているので、自分の心の内の声に素直に従うことにした。
セブルスは先ほどまでの赤い顔が嘘のように青ざめていた。愛好会の話には今だ慣れることができないようだ。
「荷物を持っていないけど、もう他のコンパートメントに席を確保したの?」
「ええ、メアリー達と一緒よ。すごく格好いい子と可愛い子のカップルがコンパートメントで優雅にお茶会を開いているって噂を耳にしたから、きっとセブ達のことだと思って来てみたの」
「誰がカップルだ!」
憤慨してセブルスが声を荒げた。
「ああ、だからみんな『お邪魔しました』って出て行ったのか」
確かにセブルスとの会話の邪魔ではあったが、揃いも揃って口にしているから変だとは思ったのだ。
栄養状態が良くなり、身形も清潔になったセブルスはとても可愛らしい外見になった。また華奢で身長も低いので女の子と間違えられても不思議じゃなかった。
「ふふ。セブ可愛いものね。あら、セブもシドも身長が伸びたのね。以前より大きくなった気がするわ」
「成長期だからね」
「僕だってそうだ。リリーも背が伸びたんじゃないか?」
「少し伸びたみたい」
「それに………きれいになった」
必死に言ったであろうセブルスの言葉だが、「ありがとう。セブも可愛くなったわよ」とリリーは本気にはせずに、逆にセブルスを可愛いと褒めた。がっくりとセブルスの肩が落ちた。
噂のカップルの真相を確かめに来ただけというリリーはすぐにコンパートメントを出て行こうとした。
「リリー、シドのクッキーがあるんだ。良かったら持っていかないか。沢山あるから良いだろう?」
セブルスに問われて頷く。
「もちろんだよ。もともとリリーの分もあるからね。良かったら友達と一緒に食べて」
杖を一振りして、紙袋にクッキーを詰める。
「嬉しいわ。シドのクッキーは大好きなの」
クッキーを受け取ってリリーは大輪の花のように微笑み、それを見たセブルスは真っ赤な顔で硬直した。
入学当初よりはマシになって来たとは言え、セブルスのリリーに対する初心さは見ていて気恥ずかしくなってくる。同時にこんなに初心な恋心を見ていると応援したくなる。
「そのうち例の部屋でお茶会をするから、その時は誘わせてもらうよ」
「楽しみにしてるわ」
セブルスの恋は応援したいので協力は惜しまなかった。
人目を気にせずに会える約束を取り付け、リリーに見えないようにセブルスに意味深長に笑みを向ければ、理解したらしいセブルスは顔を真っ赤に染めた。
ジェームズを警戒しながらリリーはコンパートメントを出て行った。
友人のいるコンパートメントまで送ろうかと申し出たが、愛好会の先輩達のところに行く予定があると断られた。
彼女はコンパートメントを出て行く時に、『初々しいカップルの優雅なお茶会。やっぱりシドとセブは美味しいわ。先輩達に教えてあげなきゃ』と衝撃の問題発言を残していった。
幻聴だと思いたかったが、顔面蒼白で涙目になっているセブルスを見て、シドは天を仰いで額に手をやった。
強化合宿がどれだけ楽しかったのかわからないが、リリーは浮かれ過ぎていて自分の失言にすら気づいていないようだった。
好きな子に友人とカップル扱いされていれば泣きたくなって当然だった。
ホグワーツにつくまでの数時間、シドはセブルスを慰めつつ、愛好会の女の子達の習性、主に仲の良い同性同士で恋愛話しを創って楽しむ等を必死に説明することになった。