君と出会う

  


 キングズ・クロス駅。九と四分の三番線。
 紅色の蒸気機関車がプラットホームに停車しており、シドは早い時間からコンパートメントに乗り込んでいた。
 見送りは来ていない。入学の為の家族への挨拶は父親が朝早くから仕事の為に既に昨夜のうちに済ませてある。
 クローディアは見送りに来たがっていたが、あの男装の麗人は目立つことこの上なかったので丁重にお断りした。
 シリウス・ブラックという原作人物、いわゆる親世代と同期になる事実が判明した以上、目立つ行動はとりたくなかった。
 シドはあくまで傍観者でありたかった。原作人物に関わる気は皆無だ。
 ホグワーツでは大好きな本と魔法薬学に没頭する気でいるのだ。そのささやかなる野望を妨げる要因からは遠ざかるに限ると彼は結論づけていた。
 シリウスがいるならハリーの父親のジェームズもいるはず。近い未来の悪戯仕掛人達だ。
 彼らは間違いなく騒動を起こしてくれるだろう。そんな面倒な人間と関わり合いになりたいとは思わない。それに人狼のリーマスにネズミに変身できる男もいたはずだ。最後の男はいくら考えても名前が出てこない。
 「きっと姉さんの好みじゃなかったんだ」
 前世の姉は良く「ジェシリ」や「リーシリ」「シリジェも捨てがたい」と言っていた。 
 最初からジェームズ×シリウス。ルーピン×シリウス、シリウス×ジェームスと読む。
 腐女子な姉はこちらの迷惑も顧みず、力強く彼らの魅力を語ってくれたものだった。
 「へたれ犬、ドS眼鏡に腹黒人間………どこが最高なのか理解しかねるよ」
 姉がうっとりと夢見るように語っていた単語を拾い述べ、がっくりと肩を落とす。
 「つまり近づかなきゃ問題ない」
 そうすれば待っているのは好きなことに没頭できる夢のような日常だ。それを手に入れるために全力で原作関係者に関わらないようにしなければならない。
 「面倒だけど頑張らないと」
 やる気のない声でシドは呟いた。



 機関車が動き出す。コンパートメントの外は生徒達でざわめいているが、不思議とシドのいるコンパートメントに誰かが入ってくる気配はない。
 子供が苦手なシドにとっては願ったりの状況の中、荷物から本を取り出して読み始める。
 限りなく禁書に近い内容の闇の魔術の本だ。魔法薬学も好きだが、闇の魔術もなかなか興味深かった。
 備えあれば憂いなし。個人的に闇の陣営に関わる気など微塵もないが、名家セルウィン家の名はそれなりに闇の陣営に興味を持たれやすい。
 己の身を守るためなら、相手の手札を知っておく必要がある。元日本人の感覚だろうか。
 とりあえず知って置いて損することはないと、知識だけは貪欲に求めてしまう。異世界の物珍しさも知識欲を駆り立てる要因のひとつでもあったが。
 本を読み始めてどれぐらい時間が過ぎたのか、耳障りなキンキンとした子供の怒鳴り声が近づいて来ることに気づき、シドは緩慢な仕草で本から視線をあげる。
 「ついてこないでちょうだい!」
 「やだなぁ。君の行くところに僕有りってね。恋人を心配して後をつけるのは当然のことじゃないか」 
 ナチュラルなストーカー宣言だった。
 「気持ち悪いこと言わないで。誰が恋人なのよ、もじゃもじゃ頭。あなた、髪の毛だけじゃなくて頭までくるくるでおかしくなってるの?」
 女の子が辛辣な言葉を吐く。ストーカー相手ならば仕方のない発言だ。
 「僕の頭の中は君でいっぱいだよ。取り出して見せてあげれないのが残念だ」
 「結構よ。どこまでついてくるつもりなの。あなたが不快でコンパートメントを出てきたのに」
 「そう言ってやるよな」
 言い合う二人とは別の少年の声がした。
 「うるさいわね。しつこいのよこの人。わたしが迷惑だって言っているのがどうして理解できないの?」
 「そうだな。しつこい男は嫌われる」
 心底小馬鹿したような少年の声音が聞こえた。
 「うるさいぞ。スニベルス!」
 「セブをそんな呼び方しないでって言ってるでしょう!」
 少女の怒鳴り声にうるさいと思いながらも再び本に視線をやろうとしていたシドは驚いてドアの方を見た。
 数人の人の影があった。どうやら原作関係者がコンパートメントの前にいるらしい。
 リリーとジェームスの出会いは記憶にない。
 映画ではそこまで見てなかったのだろう。
 ただジェームズがストーカーに近い性質だったことは姉から聞いていた。
 曰く『「ヤンデレ」素質がありそうだわ』。ついうっかり「ヤンデレ」の意味を尋ねて頭痛を覚えた記憶が思い出される。
 ふと乱暴なノックと共にコンパートメントの扉が開いた。
 「ごめんなさい。相席………」
 赤毛の女の子が口調も荒く言いかけ、 シドを見るなり固まった。
 初対面の相手に珍しくない反応に苦笑する。
 この生まれ変わった体は父方の祖母に似てとても整った姿形をしていた。
 艶のある漆黒の髪に同色の切れ長のアーモンド型の瞳。
 肌は透き通るように白く、目鼻立ちの配置は芸術品のように完璧だ。
 ある種の神々しい美貌は普通の人からすれば近寄りがたい神聖な印象を持ってしまうものらしい。
 もっとも男装の麗人である母親や、年老いてなお凄味のある色気と美貌を誇る祖母を知っているシドからすれば、「まあ、こんなもんか」ぐらいにしか己の外見を考えていなかった。
 11年間見慣れていれば、どれほど美しい外見であろうとある意味飽きるものだ。
 ナルシストの才能を持っておらず、己を飾るより頭に知識を詰め込むのが好きな人間であれば、なおさらに完璧な美貌など宝の持ち腐れにすぎなかった。
 ホグワーツで目立つ気はなかったが、もしかしてこの外見は目立つのかと、新たな心配ごとに思い当たってしまった。
 「失礼、レディ?」
 とりあえず目の前で固まってしまった赤毛の少女に問いかける。
 少女はハッと我に返り、瞬く間に顔を朱に染めた。
 「あ、あの、このコンパートメント空いていたら相席をお願いしたいのだけど」
 「構わないよ。でもそちらのお連れ様かな?は遠慮してもらおうか。話を聞いているかぎりどうも良好な友人関係には聞こえなかったからね」
 わざとらしく「お連れ様」を強調してドアの外の人物を見る。
 原作関係者と関わりたくなかったが、あちらから来てしまってはもう開き直るしかない。
 もじゃもじゃの黒髪をした眼鏡の少年と、同じく黒髪の不遜な笑みを浮かべた少年が立っていた。
 赤髪の少女に連れられるようにして、もうひとり痩せた顔色の悪い少年がいることに遅れて気がつく。
 シドが「お連れ様」と言ったのはドアの外のジェームズとシリウスに対してだ。
 「ちょっと待ってよ、君。愛し合う恋人達を引き離すなんて」
 「セルウィンの次男。やっぱりおまえも今年入学だったんだな」
 ジェームズの焦った声に被せるようにシリウスが言った。
 「………君は誰?」
 一応彼がシリウスだと物語の内容上知っているが、そんな彼に名前を呼ばれる覚えはない。
 怪訝な顔をしてシリウスを見れば、彼は「おまえふざけんな。いい加減にしろよ!」と憤慨して怒鳴ってきた。
 「ちょっとあなた達、たった今あったこの人にまで因縁をつける気なの?」
 少女が憤るがシリウスは聞く耳を持っていなかった。
 「いつもいつもすかした面で『君は誰?』なんて聞きやがって、おまえは記憶する頭がねえのかよ」
 胸ぐらをつかみあげられる。
 「つまり君と僕は面識があるのか?」
 「ああ、くだらないパーティで何度も会ってるさ」
 苛立ちを隠さないシリウスを見ながら、貴族の集まりならば、親たちがお互いの子供を紹介しているはず。彼が言うように面識はあるのだろう。
 原作の人間だからシドの記憶から何度も綺麗さっぱりと消滅してしまっているだけで。
 「つい最近ダイアゴン横丁のマダム・マルキンの店でも会ってる。その時もおまえの母親がご丁寧に俺の三度目の説明をおまえにしていた!」
 「母上が? マダム・マルキンの店で?」
 顎に右手を当てて考える。マダムの店に母親と一緒に行ったのは事実だ。
 「おまえ俺の気を惹きたいのか? わざと素っ気ない態度をとる女みたいだな」
 シリウスは小馬鹿にしたようにせせら笑い、ませた発言をする子供だとシドはあきれた。
 「僕はその君が言うところの下らないパーティになんの価値も見出していなかった。そこで会う子供もまた然りだ。
 興味のない物を記憶に留めて置く気はない。だから君に限らず、僕はパーティで会った子供の顔も名前も一切覚えていないよ」
 「それは胸を張って言うことなの?」
 きっぱり宣言するシドにジェームスが大きな声で突っ込んできた。
 「事実だから仕方ない」
 言いながら今だ胸ぐらを掴んでいたシリウスの腕を払いのける。
 「すぐに暴力的な行動に走るのは紳士の礼儀に反するよ」
 「俺はシリウス・ブラックだ。今度こそその頭に叩き込んでおけ」
 短い沈黙ののち、低く唸りながらシリウスが告げた。
 「ああ、君がブラック家の長男か。これからホグワーツで会うこともあると思うから、覚えて置くよ。僕はシド・セルウィン」
 「知ってる。奇人変人が集うセルウィン家の次男だろ」
 それはあきらかに悪意の込められた言葉だったが、シドは軽く肩を竦めて見せ、存在を忘れ去られていた少女へと向き直る。
 「空いている席へどうぞ。あとさっき言ったように君達は出て行ってくれ。彼女は君達を嫌がっているし、僕としても君達のような騒がしい子供と一緒にいたくはない」
 「ちょっと君と僕達は同い年だよ。子供呼ばわりはないんじゃないか!それに愛し合う恋人達を引き裂くなんて君は悪魔か」
 「恋人じゃないわ」
 ジェームズが顔色を変えて抗議し、少女が怒鳴る。
 騒々しさに苛立ちながらシドは問答無用で呪文を唱え杖を振るった。シリウスとジェームスの体がふわりと浮き、コンパートメントの外へとふわふわと運ばれた。
 「ちょっとこれ魔法なのかい? うわ、すごい。君もうこんな魔法が使えるんだね」
 驚きつつも嬉しげな笑顔を見せるジェームズの前でピシャリと扉が閉まる。
 「扉は魔法で開かないようにしてあるから、彼らが入ってくる心配はないよ」
 その証拠にジェームズ達はドンドンと扉を叩きながら叫んでいた。
 「うるさい」と苦々しく呟いて再び杖を振るう。騒々しい叫び声がピタリと止んだ。
 「いまのはなんだ?」
 少女の隣、顔色の悪い少年が問いてきた。
 「外の音を遮断した。防音魔法だよ」
 少女と少年に向かいの席を勧める。
 彼らは戸惑った様子を見せながらも、コンパートメントの外に出て再びジェームズ達に会うのが嫌らしく、シドに勧められるままに席に座った。
 「入学前から変なのに纏わり付かれて災難だね」
 「ええ、災難だわ。学校が始まるのを楽しみにしていたのに、あの人達が同じ学年にいると思うと気が重くなるわ。
 あ、いけない。まだお礼を言ってなかったわ。助けてくれてありがとう。本当に困ってたの」
 「礼には及ばないよ。これ以上騒がしくされるのが嫌だっただけだから」
 会話を切り上げるようにシドは本を開く。態度で会話の継続を拒否したが、彼女は怯むことなくシドに笑顔を向けてきた。
 「わたしはリリー・エバンズ。あなたは?」
 くっきりとした大きなグリーンの瞳にシドが映っていた。原作において、ジェームズそっくりなハリーが唯一受け継ぐ物だ。
 「シド・セルウィン」
 「わたしのこと記憶に留めて置いてくれる?」
 面白がるように少女は笑った。
 「努力はするよ。君は?」
 おそらくセブルス・スネイプだと思われる少年にシドは問いかける。
 「………セブルス・スネイプ」
 長い沈黙のあと、ぼそりとセブルスはそっけなく答えた。
「あなた新入生よね。もう魔法が使えるの?」
 「簡単なものならね」
 「すごいわ。わたしもはやく魔法が使えるようになりたい。授業がはじまるのが楽しみだわ」
 「リリーならすぐに使えるようになる」
 「本当? 本当にそう思う、セブ?」
 きらきらとした笑顔を見せられ、セブルスはわずかに頬を赤らめて何度も頷いた。
 甘酸っぱいような初々しい少年の姿に、原作でのセブルスはリリーを一途に想い続けた人物であったらしいことを思い出す。
 情報源は『リリーが鈍すぎる! なんでこのセブたんの一途な想いに気づかないわけ? くうっ!セブルスたまらない。なにこの純情一途な純愛中年! 萌えるわ!』と叫ぶ前世の姉の姿だが。
 まだ見ぬホグワーツの学園生活への期待に花を咲かせて話しあう二人を横目に、シドは本の文字へと意識を向けた。
 一時間ほど本に集中していたが軽い空腹を覚えて本を閉じる。ふと視線をあげるとセブルスと目が合った。
 セブルスの横では窓にもたれるようにしてリリーが眠っていた。はしゃぎ疲れてしまったようだ。
 「闇の魔術」
 ぼそりとセブルスが言った。その視線はシドが読んでいた本にあった。
 「そうだよ」
 「それは禁書か?」
 「違う。発行部数が少なくて手に入らないだけで、禁書にはなっていない。まあ、禁書になるのは時間の問題だと思うけど」
 「新入生が読める本じゃない」
 「理解する為に読んでる。この本を知ってるなら君も闇の魔術に興味があるんだ?」
 セブルスは無言だった。
 悪い噂ばかりがある闇の魔術だ。それに傾向する者は危険視される。
 自分達と価値観の違う異端の者を容赦なく排除しようとするのは子供も大人も変わらない。
 この手の本は決して人前で読む物ではなく、この場合、堂々と闇の魔術に関する本を読んでいたシドが異端な存在だった。
 「まあ、いいや」
 杖を取り出して軽く振る。途端にがらりとコンパートメントの扉が開いた。
 セブルスが眠っているリリーをかばうように立ち上がりかけたが、
そこに現れたのはストーカー宣言をした眼鏡男ではなく車内販売のカートを引いた中年の魔女だった。
 「お菓子はいかがかしら?」
 「その子を起こしてあげなよ。魔法界のお菓子だから興味あると思うよ。彼女、マグル出身だろう?」
 セブルスに起こされたリリーは初めて見る魔法界のお菓子に歓喜の声をあげて喜び、その笑顔につられるようにセブルスも笑っていた。









 「そろそろ到着するみたいね。着替えなきゃいけないからわたしは女の子達のコンパートメントにお邪魔させてもらうわ」
 「でもリリー、さっきの奴らがいたら大変だ」
 「あなた達だって着替えなきゃいけないでしょ。彼らももういないみたいだし、行ってくるわ。また後でね」
 出ていくリリーを見つめるセブルスはまるで置いてきぼりの子犬みたいだった。
 しょんぼりとたれている耳と尻尾が見えるようだった。
 着替えながら、本当にセブルスはリリーが好きなんだなとシドは納得する。
 態度にはっきりと出ているのに、これで気づかないリリーが鈍すぎる。
 窓の外は既に暗闇に覆われていた。映画で見たように、ホグワーツに到着するのは日が暮れてからのようだ。
 「なに?」
 セブルスの視線に気づいて問いかける。彼は途端に目をそらして「別になんでもない」とぼそりと告げる。
 「君も着替えたら?」
 セブルスはこくりと頷き、着替え始めた。
 手早く脱いだ服や本を片付け、次第に速度が落ちてきてゆっくりと流れる窓の外の闇を眺めながら、ホグワーツの図書室の蔵書に思いを馳せていた。








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