奇人変人の家へようこそ2



 あらかじめ予想はしていたが、名門セルウィン家は大きく広かった。
 通路を歩いていると好奇心いっぱいに話しかけてくる絵画達をシドは徹底的に無視し、意地になった一人の絵画の青年が絵画の中を渡り歩いて追って来て、シドに杖を突き付けられて大人しくなった。
 歩きながら窓の外に目をやれば、箒に乗った子供達が飛んでいるのが見え、思わず足を止めた。
 ホグワーツに入学するのもまだまだ先と思える幼い子供が自由自在に箒を操って飛んでいる様に言葉も出なかった。
 子供達の飛行術はセブルスよりもうまかった。
 「兄様の息子と娘。僕の甥と姪だよ」
 「あの子達は幾つだ? もうあんなに飛べるなんてすごい」
 「もうすぐ四歳。あの子達は双子なんだ。セルウィン家では二本足で歩き始めるのと同時に飛行訓練をはじめるから」
 あっさりと言われた内容に驚いてシドを見た。
 「うちでは一族を危険にさらさない為に敵から逃げ延びることが子供の役目なんだ。だから歩くのと同じぐらいに自由自在に箒を操れるようにならなければいけない」
 セルウィン家は対闇の陣営と呼ばれる一族である事実を思い出す。
 単純にシドが飛行術が得意ですごいと思っていたが、その裏には子供の頃からの努力があったらしい。
 「あの子達は夕食の席で紹介するよ。ああ、セブルス、あの建物見えるかな?」
 シドが指さした先には色とりどりの花々が咲き乱れた庭園の奥にある白い枠組みで出来たこぢんまりとした温室だった。
 「温室」
 「そう。あれはお祖母様の温室だ。お祖母様しか育てれない植物から、栽培困難な貴重な薬草まで色々ある」
 「ヴィーラの?」
 それはつまり例の媚薬のバラのような危険な代物が沢山あるという事だ。
 貴重な薬草には心惹かれるが、バラの一件の被害者としてはそんな危険な温室には近づきたくなかった。
 セブルスの微妙な表情に気づいたのか、シドは「興味が出たら言って。案内するから」と苦笑した。
 「あら、私を呼んだかしら?」
 不意に女性の声が聞こえたかと思うと、ぞくりと背筋を冷たいものが這い上がり、寒くもないのに一気に全身が震えだした。
 後ろに誰かがいるのがわかる。すぐ真後ろではない。声の位置からして距離は離れている。
 けれど人の存在をすぐ間近に感じる。だが、それが気配ではないとすぐに気づいた。
 目に見えない何かがこの空間に満ちていている。それは大きな恐怖となってセブルスを襲っていた。
 バクバクと心臓が早鐘のように鳴る。理由もわからず呼吸が苦しくなる。冷や汗が額や背中に滲むのがわかった。
 こんな心身共に凍えあがるような恐怖を感じるのは初めてだった。
 声の主を確認したくとも、体が硬直して指一本さえも動かせない。この場から逃げ出したいが、身動きの取れない体では不可能だった。
 不意に温かいものに包まれ、動けないまま視線をあげれば、目の前にシドの服が見えた。
 正面からシドに抱きしめられているらしい。
 「ヴィーラの魔力を出し過ぎです! 抑えて下さい、お祖母様!」
 そんなシドの怒鳴り声がどこか遠くに聞こえ、視界が真っ暗に染まり意識を失いかけたが、シドが「しっかりして、セブルス!」と強く両肩を揺さぶったので、手放しかけた意識が戻ってきた。
 目の前にあったのは鑑賞に値する綺麗な友人の顔だ。
 その整った顔がひどく焦った表情を浮かべていて、例の媚薬の時のシドの表情を思い出させた。
 「意識を繋ぎ止めたね。良かった。下手に気絶すると二三日目覚めなくなるから」
 シドの発言は意味不明だった。
 意識がふわふわとどこかを漂っているように定まらない。
 両足に力が入らず自力で立っていられない。シドに支えられたままぼんやりする頭を抑える。
 「………なんだ、今のは?」
 心と体が強大な恐怖の前に意識を保つことを拒んだ。
 「とりあえず気付けの薬を飲んで。酔ったみたいにふわふわくらくらしてるはずだから」
 慌ただしく己の上着をまさぐってどこからか小瓶を取り出す。
 意識がまともなら先ほどの軟膏といい、おまえは一体幾つの薬を常に所持しているのかと常々疑問に思っていたことを問い正しただろうが、今のセブルスにそれを口にするだけの気力はなかった。
 口元に小瓶をあてられ、流し込まれる薬草の苦みの強い鼻に突く匂いがする水薬を飲み下すと、ふわふわとしていた頭がすっきりした。
 ふとシドに抱きしめられるように支えられている事実に気づき、気恥ずかしさのあまり慌てて離れようとするが、手足が思うように動かなかった。
 「まだ体に力が入らないと思うからこのままでいて。それから後ろは見ないで。魂が吸い取られる可能性があるから」
 真剣な顔で述べられた言葉に面食らう。思わず後ろを見ようとして、後頭部を片手で固定され、シドの肩に顔を預ける形になった。
 「ダメだよ。セブルス。まだ危ないから。お祖母様、腕輪とブローチはどうしたんですか? 
 部屋に忘れたならアクシオで呼んで下さい。まだ魔力を抑える必要があります」
 前半は窘めるようにセブルスに告げ、後半はセブルスの奥にいる人物へと強い口調で言った。
 「そこまで抑える必要があるの? その子はシドの魔力に守られているようなのに。仕方ないわ」
 艶のある声が不満げに言い、アクシオを唱えて何かを呼んでいた。
 さきほど聞こえた声だが、今はこの声を聞いても背筋が冷たくならない。
 この場に満ちていた得体の知れないなにかも消え去っている。
 「お祖母様の魔力と姿は純真な青少年には毒です。ローブも被って顔も隠して下さい」
 シドの発言に弾かれたように女性は笑い出した。
 「あらまあ過保護だこと。大切な者を守りたいセルウィン一族の特徴が、身内以外は一切無関心だったおまえにここまで顕著に出るとは思わなかったわ。
 今までの無関心の反動が初めての友人のその子に向かってるのかしら?」
 「なんとでも仰って下さい。でもこれだけは譲れないのでローブを被って下さい」
 お祖母様とシドに呼ばれている人物の声は艶とハリがありとても若々しく聞こえる。
 とてもお祖母様と呼ばれる人物の声には聞こえなかった。
 「これで良いかしら? さあ、はやくおまえの初めての友人を紹介してちょうだい」
 楽しげに弾んだ声がねだるように催促し、間近のシドがため息を吐いた。
 「セブルス、自分の足で立てる?」
 シドに支えられながら自分の足で地面を踏みしめてみる。
 足にしっかりと力が入り、シドの手が離れても倒れることはなかった。手の自由も利いた。
 「もう大丈夫みたいだね」
 「ああ」
 「さっきのセブルスはヴィーラのお祖母様の魔力にあてられたんだよ。 意識を失いそうになったのはセブルスの体が自己防衛本能に走った結果」
 「防衛本能?」
 「ヴィーラが人間をその魅力で虜にするのは知ってるよね。
 お祖母様はその魅力の魔力が異常なまでに強くて、魔力を制御しないと人前にすら出れない。
 大抵の人は失神するか、下手に魔力のあって失神を免れるような人はお祖母様に恋をして命を捧げようとする」
 「………破滅のヴィーラ」
 いつだったかシドに彼の祖母の話を聞いたとき、セルウィン家は一体どんな血筋の一族なのかと、家系を調べたことがあった。
 閉鎖的な一族に相応しく、一族の情報が外に漏れるような情報が載っている本はなかった。
 閲覧可能な一般書物の中で唯一見つけることができたのが、『世界裏偉人伝』という本の偉大なる魔女の項目にあったフィリス・セルウィンだった。
 他の人物達には顔写真や肖像画あったのに、彼女の項目だけはそれがなかった。
 理由もしっかりと彼女に関する紹介文の中に記載されていた。
 彼女の写真や肖像画に恋いうるあまりに自殺する者が絶えず、彼女に関しての写真や肖像画の記載は魔法界全体で法律により禁止されたのだ。
 その記事を読んだ時、以前シドが言っていた、ヴィーラたる祖母が母親と同じぐらいの年齢に見えることや、彼女に愛を訴える男が死の魔法を己に放つなどのとんでもない話しの数々が誇張はなく事実なのだと納得した。
 思わず本で読んだ魔法界においてのシドの祖母の呼び名を口にすると、「私を知っているのね。子供があまり変な本を読んではダメよ」と面白がる響きの声がセブルスに告げた。
 「お祖母様の情報が載っているのは………確か『世界裏偉人伝』。妙な言い方しないで下さい」
 禁書の指定はされていないが、魔法界において危険人物だと思われている人物を特集した本だ。
 載っているのは大抵闇の魔法使い達ばかりなので、普通の大人からすれば子供が読めば眉をひそめて当然だった。
 「あら、それだけなの? てっきり男性御用達の本に私の情報が載っていると思ったのに」
 それがなにかセブルスには理解できなかったが、「お祖母様!」とシドが彼女を咎めるように声をあげたのでシドにはわかったらしい。孫に怒鳴られて彼女が再び楽しそうに笑い出す。
 「お祖母様の写真は本への記載を禁じられているはずです」
 「どうしても出席しなければならないパーティなどで隠し撮りされるの。裏の世界で出回る雑誌には載っているみたいなの」
 「それはすぐに回収すべきでは?」
 「カルロが手をまわしてるけど、私が外出するたびに新しい本が出るからイタチごっこよ」
 なにやら難しい顔で話しあっているセルウィン家のうち、孫の方にセブルスは抱いた疑問を述べた。
 「男性御用達の本とはなんだ?」
 シドは驚いたようにこちらを見てから、困ったように視線を彷徨わせた。
 「本当にわからない?」
 「そんな本の名前は聞いたことがないぞ。有名な本なのか?」
 「有名と言えば有名だね。でもセブルスは読んだことないと思う。ちなみに僕も読んだことはないから、セブルスが勉強不足なわけじゃない」
 「どんな本だ?」
 「世の男性諸君の為の本だね」
 「男性御用達だからな。内容を聞いているんだ」
 背後でヴィーラがなぜか咽せるほどに笑っている声が聞こえた。
 「そんな期待した目で質問する内容じゃないよ。いや、あの本の内容を聞きたがるのは男としては正しい反応? でもセブルスは意味わかってないし」
 後半部分をなにかぶつぶつ言っているシドに次第に苛立ってきた。
 「シド!」
 「うん。わかった。簡単に言うと女性の裸体が載っているエロ本のことだよ」
 言われた途端に顔に一気に熱が溜まった。
 「………そ、そうか。わかった」
 確かに男性御用達の本だ。女性は見ないだろう。
 「僕が読んだのは『世界裏偉人伝』です。その男性御用達の本じゃないです」
 恐る恐ると後ろに振り返る。今度はシドが止めなかったので、振り返っても問題はないはずだ。
 頭から足元まですっぽりと全身を黒いローブに覆われた人物が立っていた。
 見えるのは艶やかに彩られた紅い口元と女性らしい細い顎。白い首の一部だけだった。
 この女性に気絶するほどの恐怖を覚えた事実にセブルスは驚いた。
 ローブ越しにもほっそりした体型がわかる背の高い女性にしか見えなかった。
 「はじめまして、シドの可愛いご友人。私はフィリス・セルウィン。そこの生意気なシドの祖母で、世間では「破滅のヴィーラ」と呼ばれてる魔女よ。
 ああ、誤解しないでね。周囲が私に勝手に恋をして勝手に自滅していくだけ。 私はどうでも良い赤の他人の人生をわざわざ破滅に追いやって愉しむほど性格がひねくれてはいないわ」
 涼やかな声で言い切るフィリスに戸惑いながらも、セブルスは自己紹介をした。
 「よろしく。ミスター・スネイプ。顔を見せない非礼を許してね。私の顔は慣れない者には刺激が強すぎるらしくて。
 シドの顔をもっと女性らしくすれば私の顔になるわ」
 思わず友人の顔を見た。整っていて綺麗な友人の顔をこれ以上どう良くなるのか、セブルスには想像がつかなかった。
 「あなたのことはシドから聞いているわ。この子が興味を持ち心を許した稀有なる存在」
 セルウィン家では自分は本当に有名らしい。友人が家族に自分をどう言っているのか気になるところだ。
 顔が見えないフードの奥から強い視線を感じる。
 シドと同じく薄い、けれどシドよりも数倍艶めかしく艶を放つ唇が綺麗な弧を描いた時、心臓がドクリと妙な鼓動を打った。
 艶を放つ甘そうな唇から目が放せなくなり、ふらりと吸い寄せられるように彼女に一歩近づこうとしたとき、肩を掴まれて後ろに引かれた。
 「お祖母様のヴィーラの魔力は完全に制御できないから、あまりお祖母様を直視しないで」
 心と命を奪われて危険だから。
 そう友人が続けたのを聞いて、慌てて彼女を視界から外して俯いた。
 自分の信じられない行動に顔に熱が溜まる。
 友人の祖母にキスをしたいと思い行動しようとした。それもシドが見ている前でだ。
 恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
 「噂のご友人がここまで可愛らしいとは思わなかった。あなたはハーティが狂喜乱舞して拉致監禁の大暴走をしそうね」
 唐突に告げられた言葉の意味が当然ながらわからなかった。
 拉致監禁と物騒な発言に硬直していると、フィリスは我慢できないかのようにお腹を抱えて笑い出した。
 「お祖母様」
 咎めるようにシドは声を低くするが、彼女は息も絶え絶えに笑っている。
 「あの子が、昨夜に、取り乱して、居住国に、戻った、のはシドの、仕業? おまえも、思いがけない、ことをする。
 ああ、お腹が、痛い。大切な、原稿を運んで、いる、トラック、という、物が事故、にあって、半狂乱だったと、聞いて、いるけ、ど」
 「遠い異国の地での出来事に僕が関与できるわけがありませんね。それより笑いを静めてから話して下さい。聞き苦しいです」
 息も絶え絶えに笑いながら話しているためにフィリスの言葉は途切れ途切れだった。
 ローブの上から目元を拭う仕草をしているので、笑い泣きもしていると思われる。
 笑い上戸らしいフィリスの姿に、セブルスの中で「破滅のヴィーラ」と謳われる絶世の美女のイメージがガラガラと音と発てて崩れていく。
 フィリスが笑い止むまで少し時間がかかった。
 シドは仕方ないというように肩を竦めて見せ、「とりあえず笑い止むのを待ってくれるかな」と頼まれたので頷いた。
 「ならブライアン辺りが共犯の可能性が高いわ」
 あの子もハーティには可哀想なほど苦労したものねと笑い止んだフィリスが感慨深く呟く。
 「なら姉様を止めて下さいよ」と言うシドの呟きはセブルスには聞こえたが、フィリスには聞こえなかったようだ。
 「この子なら隠したくなる気持ちもわかるから、あの子には黙っておくわ。
 ミスター・スネイプ。先ほどのことは気にしなくて良いわ。魔力を抑えていても可愛い坊や一人虜にできないようでは「破滅のヴィーラ」の名折れだもの。落ち込むのは友人の祖母を押し倒すぐらいしてからになさい」
 「セブルスをからかわないで下さい」
 「あら、だってこの子の真っ赤な顔を見たらつい悪戯心が湧くのよ。ミスター・スネイプ。珍しい薬草に興味があったら私の温室にいらっしゃい。歓迎するわ」
 「もちろん僕も一緒に行きますから。セブルス、温室に興味を持ったら僕に言って。決して、一人でお祖母様に近づいてはいけないよ」
 シドの必死な様子に驚きながらも頷く。彼女はシドに危険視されているようだ。
 「ありがとうございます。シドと一緒に伺わせて頂きます」
 「いつでもいらっしゃい。楽しみにしてるわ」
 フィリスは小さな子供にするようにセブルスの頭を軽く撫でると、ローブを翻してその場を離れて行った。
  すれ違い様ふわりと甘いバラの匂いがし、香りに誘われるように振り返って後ろ姿を見送る。
 「いつもあんなローブを?」
 今の時期は全身が隠すローブは暑いはずだ。
 「ヴィーラの魔力を抑えるためにね。あのローブは特別製なんだ。いまの時期は甥姪………ひ孫達も遊びに来てるから余計に魔力を抑えなきゃいけない。 小さな子供にはお祖母様の魔力は強力すぎて失神する。下手に魔力が強いとひ孫達ともろくに遊べないし、
普段は仮面をつけて顔を隠してるから、仮面のお祖母様とひ孫達に呼ばれると愚痴ってるよ」
 「彼女が闇の帝王が恐れている魔女か?」
 『世界裏偉人伝』に載っていた。闇の帝王がその魅力に跪いたとされ、それゆえに闇の帝王に恐れられている魔女。
 「そうだよ。闇の帝王も馬鹿だ。わざわざ興味本位でお祖母様を見に来たりするから」
 堂々と闇の帝王を馬鹿呼ばわりする友人に絶句する。
 名前さえ怖がって口に出来ない人々が多い中で、彼は強がっているわけでもなく心の底から闇の帝王の愚行を哀れんでいるようだった。
 「ひとつ聞きたい」
 「なに?」
 「おまえの姉は一体どういう人物だ?」
 彼女の話題が出る度に湧き上がる疑問をシドに問えば、シドは顔を逸らして「ごめん。説明し難い」と辛酸をなめるような苦渋の表情で告げたので、シドの姉に対する疑問がさらに深くなった。
 ただ話しを聞くと、シドの姉は緊急な用事が入ってしまい、自分の滞在期間中は邸には戻れないらしい。
 先ほどフィリスが言っていた内容が脳裏をかすめたが、知らない方が良いと本能が判断を下した為に先ほどのフィリスとシドの会話は聞かなかったことにした。
 その後、シドの母親の所へ行く予定だったが、しもべ妖精が今は赤ん坊の食事の時間だと教えてくれたので変更になり、それならとシドは図書室に案内してくれた。
 薄暗く広い図書室には幾つもの本棚が立ち並び、棚にも壁一面にもびっしりと溢れんばかりの色々な本が並んでいた。
 「すごい」
 「闇の魔術でもよほど危険じゃないかぎりこの図書室にあるから」
 闇の魔術、魔法薬学、薬草学、魔法史に天文学、古代文字などの本棚をシドは説明していく。
 「うちの一族は直系に必ず魔法薬学に傾向する者が出るから、特に魔法薬学の本が多いよ」
 魔法薬学を学ぶ人間にとって楽園のような環境だった。
 シドが年齢不相応なまでに博識なのは知識に貪欲なシドに恐ろしく環境が適合していたからだ。
 こんなところで勉強研究漬けの毎日を過ごせたらどんなに幸せだろうとセブルスはキラキラした瞳で夢中で背表紙を追った。





 見るからに浮かれた様子で本棚を眺めていくセブルスの姿に、シドは安堵の息を吐いた。
 正直なところ両親の命令とは言え、セブルスを自宅に招くのは抵抗があった。
 なにせ姉を筆頭に家族の面々に問題がある。
 この世界に転生したばかりの頃は変わった人ばかりがいる世界なのだと思ったほどに、セルウィン家は一筋縄ではいかない奇人変人が沢山いるのだ。
 血の繋がりのある家族だし、シドにすれば生まれてからずっと見慣れている人々なので問題はないが、普通の人から見ればやっぱり奇人変人揃いでしかない家族は常識人であるセブルスには刺激が強いと不安だったのだ。
 しかもそれが原因でセブルスに距離を置かれたら立ち直れなくなりそうな自分が容易に想像できて、さらに不安は増していた。
 兄と父は問題なかった。彼らはセブルスに対して直接的な害はない。
 父の愛妻ぶりや父親としての威厳のなさ、怒った兄の怖さとエジプト古代魔術には驚いたようだったが。
 最大の難関だった姉については、兄ブライアンが協力を申し出てくれて、弟の友人を迎えるにあたって一番浮かれていた昨夜、不運な事故により友人達との合同誌作り直しという不幸な一報を受け、悲鳴をあげて夫と子供を残して煙突で居住国、シドにとっては懐かしいばかりの極東の島国へと帰って行った。
 あの取り乱しようでは、ダメになった原稿を作り直し、なおかつマグルの友人達の原稿の手伝いも終わった修羅場開けでなければ、不運な事故の原因を調べるだけの余裕ができないだろう。
 そのころにはブライアンが仕掛けた魔法の痕跡も綺麗に消えているので、真相は闇の中に葬られる予定だ。
 これでセブルスの人生最大のトラウマを作りかねない危機は乗り越えた。
 心の底から感謝してブライアンに礼を言えば、「第二のコーザを見るのはごめんだからね」と寂しそうに笑った。
 コーザはブライアンの一つ年下の友人で、幼かったシドも何度かブライアンから彼の話しを聞いた記憶があった。
 そういえばいつの間にか一切彼の名前を聞かなくなった。
 どうやら姉の被害にあったと思い至ると何とも言えない気持ちになり、兄に慰めの言葉も見つからなかった。
 さらに「自分で認めた友人は何があっても守りなさい。ハーティに関しては協力は惜しまないから」と頭を撫でられると、兄の不憫さに泣きそうになった。
 趣味に暴走する姉の最大の被害者は間違いなく兄だったのだろう。
 とりあえず姉対策として兄が味方になってくれたのは心強かった。
 姉の次に厄介なのが祖母だった。「破滅のヴィーラ」の二つ名を持ち、闇の帝王すらその強大なるヴィーラの魔力によって跪かせた逸話はあまりに有名だ。
 フィリスに身も心も捕らわれることを恐れて闇の帝王は彼女から逃げ回っていると言われている。
 彼の帝王のプライドすら本能を支配するヴィーラの前では脆くも崩れ去っていた。
 祖母ながら恐ろしいと心底思うが、彼女に似てしまった身としては他人事ではいられない。
 幸い、シドのヴィーラとしての魔力は祖母に比べれば微々たるもので、彼女のように外出もろくに出来ないほど私生活に支障はなかった。
 強すぎる魔力はどれほど本人が制御しようとしてもしきれない。おかげでローブや仮面、装飾品の類に特殊な制御魔法をかけた物を祖母は愛用しているが、それらを使っても魔力は漏れ続けていて、うっかりとセブルスのような清純な青少年を気絶させたり無意識に誘惑してしまったりしている。
 これは本人にも対処のしようのないことなので、なるべく被害者を出さないように気をつけるしかなかった。
 自ら温室を見せると言ったのだから、祖母はセブルスを気に入ったらしい。
 セブルスをもてなしてくれるのは嬉しいが、祖母は簡単に男の人生を破滅に導きかねない存在だから厳重な注意が必要だった。
 魔法薬学や薬草の知識をシドに与えてくれたのが祖母だとセブルスに告げたら、祖母の存在に戸惑っていたのが嘘のように「絶対に温室に連れて行ってくれ」と言われた。
 「セブルスは勉強家だな」
 そんな一生懸命なセブルスだからこそ一緒に研究や勉強するのが楽しい。
 懐中時計を見て時間を確認する。
 夕食までまだ時間があるが、これから邸を案内するには半端な時間だった。
 今から自分の研究室へ案内してもすぐに夕食の時間になって、研究好きなセブルスには不満が残るだろう。
 興味のある物を少しだけ見せられて、あとはお預け状態。一体何の嫌がらせかとシド本人でも思ってしまう。
 夕食後はきっと家族達がセブルスと話したがるから、就寝まで解放してもらえないと考えるべきだ。
 なら研究室を見せるのは明日が妥当だと結論付けた。
 「シド、この本読んでも良いか?」
 本棚の分厚い背表紙を指さして眩しいばかりに輝く瞳でセブルスが聞いてきた。
 「もちろん良いよ。夕食の時間までここにいようか」
 セブルスが楽しく過ごせるように全力を尽くそうとシドは心の中で意気込んだ。






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