奇人変人の家へようこそ1




 巨大な穴に渦を巻いて吸い込まれていくような感覚がする。耳障りな轟音が不快だった。
 煙突飛行はまだ数回しか利用していないが、このぐるぐる回っている平衡感覚がなくなる状態は慣れることができない。
 思わず強くシドの腕を掴むと、前のめりに倒れそうになった。シドがセブルスの体を支えて転倒を防いでくれた。
 不意に周囲がパッと明るくなった。緑色の炎の渦が消えてなくなり、明るく広い部屋が視界に広がった。
 「ようこそ、セルウィン邸へ。歓迎するよ、セブルス」
 まず目に入ったのが天井から吊された豪華なシャンデリアだった。クリスタルがキラキラとまばゆい七色の光を放っている。
 足元には複雑な模様が描かれた絨毯。どんな品かはわからないが、とりあえずその場に立っていて居心地悪くなる値段であることだけは推測できた。
 他にも置いてある調度品は派手ではないが歴史を感じる立派な物ばかりで、改めてシドが名門良家の子息であることを思い知る。
 「あら、おかえりなさい。シド坊や」
 「ただいま。ミシェル」
 暖炉の正面に飾ってある絵画の婦人が声をかけてきた。
 赤いドレスを着たふっくらとした貴婦人は好奇心を隠さない目でジロジロとセブルスを見てきた。
 「彼女は暖炉の番人。万が一、侵入者が暖炉から来たら屋敷中に響き渡る悲鳴をあげるんだ。ダレルいるかい?」
 一体どんな大声だと唖然としたが、絵画の中の貴婦人は口元を扇で隠して意味深長に笑っていた。
 「お呼びでございますか、シド坊ちゃま」
 突然、セブルスの横にしもべ妖精が姿を現した。
 「セブルスの荷物を客間に運んでおいて。それと父上はどこに?」
 「お荷物預からせていただきます。ご主人様は執務室にいらっしゃいます」
 しもべ妖精は流暢な言葉で答えた。
 「わかった。ありがとう。行こう。セブルス。まず父上に会って欲しい」
 「ああ」
 屋敷の主人に挨拶するのは礼儀として当然だ。異論はないが、名門セルウィン家の当主に会うというのは緊張する。
 「大丈夫。父上は比較的普通だから」
 「シド達の普通の定義がわからない」
 「う~ん。否定できないね。病的な愛妻家を頭に入れておけば問題ないと思う」
 「よくわからないぞ」
 実際会ってのお楽しみ。でも父上は危険はないから警戒しなくて良いよと、シドは全く安心できない発言をした。
 セブルスとしても今から緊張尽くめだと疲れるし、シドの兄ブライアンは本当に普通の人に見えたので、あんな感じの人だと思えば良いのだろうと勝手に納得した。
 「さっきのしもべ妖精」
 「ダレルがどうかした?」
 「普通の服を着ていた。しもべ妖精に服を与えてはいけないんじゃなかったのか?」
 セブルスの知っているしもべ妖精は枕カバーやタオルなどの布きれを服として使っていた。人間の衣服を与えることは解雇を意味していたはずだ。
 「何代か前の当主が、自分の屋敷にいる仕える者がみすぼらしい姿をしているのを猛烈に嫌ったらしくて、服を与えてはいけないなら布を与えるからそれで自分達の服を作れってしもべ妖精達に命令したんだ」
 「自分達で作る分には問題がないのか」
 「命令されたと認識してるから問題ないみたいだ」
 長い廊下を歩いていく。絵画の女性達がシドに声をかけ、そして物珍しそうにセブルスを見て、好き勝手に話始めた。
 「あの子が?」
 「噂のお友達?」
 「坊やがはじめて関心を持った子なのね」
 「まあ、可愛らしい」
 「子供の癖に気むずかしい坊やによくお友達ができたわね」
 「本当に。子供のくせにちっとも子供らしくなくて」
 「そうそう小憎たらしいぐらいに生意気だったわね」
 すごい言われようだった。思わずシドを見れば渋面していた。
 「行こう、セブルス。彼女達のおしゃべりに付き合ってると日が暮れる」
 シドはセブルスの腕を掴んで歩き出した。よほどその場から離れたかったらしく歩調が速かった。
 絵画の人物達は次から次へと話かけてきた。
 内容は全部似たような内容で、シドがどれだけ一族以外の他人に興味がなく、さらに奇人変人揃いのセルウィン家から見ても異質なぐらい大人びた子供だったと窺わせるものばかりだった。
 次第にシドの表情が苛立ってきているのが見てとれた。
 苦々しく「この人達はこんな反応するのか」と呟いていたので、絵画にこんな発言をされるのは初めてのようだ。
 「僕が友人を連れてきたことを喜んでいるのだろうけど………鬱陶しい」
 根本に身内に対する好意があるから怒るに怒れず、苛立ちを募らせている。
 「坊主」
 野太い声がシドを引き留めた。厳つい頑固そうな老人の絵画を見てシドは隠さずにため息をつく。
 「なに、シース爺?」
 絵画の癖に鋭い眼光をセブルスに向けてきた。迫力のある老人の絵画に不躾なほどジロジロを見られて、ひどく居心地が悪かった。
 そんなセブルスに気づいたシドが、老人の目から隠すようにセブルスの前に立つ。
 「僕の友人に失礼のないようにお願いするよ」
 「ふむ、なるほど」
 なにか納得した様子を見せ、老人の厳しかった表情が穏やかになった。
 「その子はシド坊主の嫁だな?」
 「違う!」
 シドの怒鳴り声が通路に響いた。





 はじめてシドの怒鳴り声を聞いた。
 何事にも冷静で余裕に満ちたシドが感情のままに怒鳴った事実に驚いた。
 あの老人の絵画に怒鳴ったのを最後に、シドは絵画達の声に耳を傾けるのをやめ、徹底的に無視してセブルスの腕を掴んだまま歩き続けている。
 不機嫌オーラを醸し出しているシドに話かけるのは躊躇われたが、いい加減に引っぱられている腕が痛いので抗議の声を上げた。
 「腕が痛い」
 途端に弾かれたようにシドが腕を放し、慌ただしくセブルスの袖を捲りあげた。
 「ごめん。力加減を忘れてた。痣になってないと良いけど」
 大丈夫だと言おうとしたが、露わになった自分の腕にくっきりとシドの指の痕が付いているのに言葉を失ってしまった。
 「………意外と力があるな」
 「色々な訓練受けるからそれなりにね。青痣にはなってないか。ちょっと待って」
 上着の中から丸いケースを取り出した。
 「応急処置しておこう。あとでしっかりと治療するから」
 「大袈裟だ」
 「ダメだよ」
 とろみのあるイエローの液体はひんやりと冷たく、薄荷のような涼しげな匂いがした。
 「シドが怒鳴るところを初めて見たぞ」
 「あんな老人の絵画まで姉様の悪影響を受けてるのかと思うと平常心じゃいられなかった。それに初対面の相手に言って許される言葉でもない。あとでシース爺には躾けが必要だな」
 後半部分は独り言のようだったが、述べるシドの表情が怖くて「一体なにをどう躾けする」のかセブルスは追求できなかった。
 「うちの絵画が失礼なこと言って悪かったよ。あとで謝らせるから許して欲しい」
 「シドの珍しい姿が見れたから気にしてない」
 「そう言われると複雑な気分になるけど、セブルスが怒ってないなら良かった。でも絶対に謝らせるから、シース爺の為に少し時間を貰えると助かるよ。
 この腕もごめん。自分の感情を制御できなくて、セブルスを傷つけてしまうなんて僕は最低だ」
 「この程度の痣で大袈裟なことを言うな!」
 シドがみるみる落ち込んで行くのを見て、セブルスは焦った。
 その痣もシドの薬のお陰か、赤く色付いていた場所が半分以上消えている。
 本当に怪我とも呼べない代物なのだ。それでシドがここまで落ち込む理由がわからない。
 「僕を傷つけるのが嫌なら自分の感情をきちんと制御すれば良いだろ」
 つい口走ってしまったのは先ほどシドが自嘲した発言だった。
 セブルス自身も含め、まだ十代前半の子供には無茶な話だ。
 子供は感情的になって当たり前。常に理性的であれなど無理難題に過ぎないが、シドはセブルスの言葉に表情を明るくして頷いた。
 「ありがとう。こんなことが二度とないよう努力するよ」
 これ以上子供らしくなくなってどうする気だと言いたかったが、眩しいシドの笑顔に言葉は喉の奥へと飲み込まれてしまった。
 再び通路を歩いていると、ふと窓から外の景色が見えた。
 美しく手入れされた広い庭が見えた。その向こう側にはキラキラと太陽の光が反射する水面が広がっていた。
 「湖か?」
 「綺麗な水の湖だから泳げるよ。日中、陽が高い時に入ってみるかい?」
 「………泳ぎは得意じゃない」
 得意以前に泳いだことなどない。
 「なら魔法薬の材料の採集はどう? あの湖の岸辺近くには魔法薬の材料になる水草が多く生えてるから行く価値はあると思うよ」
 「それなら行く」
 水場で取れる水草の話をしていると、大きな扉の前でシドが立ち止まった。
 「父上の執務室。ここに父上がいるはず」
 重厚な威圧感のある扉を前にすると今さらながら緊張してきた。
 一般庶民育ちが名門名家の当主と対面するのは場違いな気がしてならない。
 正直言えば、少しだけこの場から逃げ出したいような衝動に駆られていた。
 「父上、シドです」
 ノックをしてシドが声をかけると、すぐに「入りなさい」と想像していたよりずっと若い男の声がした。
 「兄様の声………失礼します」
 扉の向こう側には立派な執務机の奥でこれまた立派な椅子に縄でぐるぐるに縛り付けられて書類と向き合っている男性と、その横で分厚い書類の束を持っている青年の姿があった。
 「おかえり、シド。セブルス君もいらっしゃい。ようこそ、セルウィン家へ」
 青年が穏やかな笑みを浮かべて挨拶してくる。
 穏和な印象の背の高い青年はシドの兄ブライアンだった。
 「お邪魔してます………その、お招き頂きありがとうございます。お世話になります」
 ブライアンに挨拶しつつも、視線はどうしても椅子に縛り付けられている男性に向いてしまう。
 癖のある黒髪の精悍な顔立ちの男性は半泣きの表情をしている。しかもなぜか助けを求められるような縋る視線を向けられている気がしてならない。
 「兄様、セブルスが困惑してるので父上を一度解放して下さい」
 「ああ、忘れてたよ。家じゃあこれが普通だから、お客様にみっともない姿を見せてしまって申し訳ないね。
 父上、術を解きますが、決して母上の元へ疾走しないで下さい。シドの初めての友人がみえてるのですから、当主らしい態度でお願いします」
 「なにもかも今さらな気がする」
 苦々しいシドの呟きに心の中でセブルスは頷いた。
 男性の胴や足をぐるぐる巻きにしていた縄はよく見れば細く長いヘビだった。
 ヘビ達はブライアンの体を足から巻き付いて登っていき、ブライアンの両腕に巻き付つくと鈍く銀に光る腕輪へと姿を変えた。
 「やあ、はじめまして。カルロ・セルウィン、シドの父親だ。よろしく」
 「せ、セブルス・スネイプです」
 さすがシドの親なだけあって迫力の美形だった。
 精悍で溌剌とした明るい雰囲気を持ちながら、相反するように壮絶な大人の男の色気を纏っている。
 それは男性の色気などまったくわからない年齢であるセブルスにさえ否応なく感じ取れるものだった。
 ヴィーラの血を引くからこの色気なのだろうか。
 どちらにしろひどく居たたまれない気分にさせられるので、長く向き合っていたい人物ではなかった。
 「ようこそ、セルウィン家へ。君を心から歓迎するよ。私の母の媚薬の件では君に迷惑をかけてすまなかったね。あれはセルウィン家の落ち度だ。申し訳なかった」
 まさか名門の当主に本当に謝罪されるとは思っていなかった。
 「大丈夫なので気にしないで下さい」
 去年の11月の出来事だ。後遺症もない。
 確かに多大な羞恥心に襲われたが、今さらそれを掘り返す気にもならない。
 何度も気にしないでくれと言うと漸く納得してくれた。シドが頑固なほど律儀なのは父親譲りなのかも知れない。
 「家のことはシドが案内してあげなさい。セブルス君、自分の家だと思って寛いでくれたまえ」
 「ありがとうございます」
 「そうだ。我が家の新たな家族にはもう会ったかい? 私と愛するクローディアの子供だけあってとても愛らしい子だ。まだなら私が案内しよう。さあ、シドも来なさい。一緒に行こう」
 笑顔で肩を抱かれて扉の方へ促されたが、「行かせるとお思いですか、父上」と冷ややかな声が背後から聞こえてきて、カルロの動きはピタリと止まった。
 背の高いカルロを見上げてみれば、その首には大人の腕ほどの太さの大蛇が巻き付いていた。
 そのヘビが大きく牙を剥いており、セブルスは喉の奥で短い悲鳴をあげた。
 「セブルス」
 不意に名前を呼ばれて腕を引かれる。
 「こっちに避難して。あの緑色の蛇はあまり温厚じゃない」
 つまり危険なのだ。
 「どさくさにまぎれて逃走しようとしないで下さい。この書類が終わるまで母上の元へ行くのは禁止だと何度も言ってるはずです」
 「息子のくせに君は父に死ねと言っているのかね」
 「愛妻禁断症状で死ねる物なら死んでみて下さい。一応、セルウィン家では名誉な死に値しますから、英雄として語り継いで差し上げます」
 床を無数の細く長い蛇が這い、一直線にカルロへと向かっていく。
 「まだまだ甘いぞ、ブライアン。その程度でこの父を捕まえられると思うな」
 「先ほどまでしっかり拘束されていたでしょう」
 カルロが杖を振り、いとも簡単に首に巻き付いた大蛇を取り外した。
 これが親子喧嘩なのか疑問に思うところだが、お互い杖を向けて睨み合っているのはただ事じゃない。
 「シド」
 どうにかしろと隣の友人を見れば、シドは杖を片手に腕を組んでいた。父親と兄を見る顔は苦笑いに染まっている。
 「大丈夫。いつものことだから」
睨み合っている大人のうち、カルロの姿がかき消えた。
 「………目くらまし術」
 「よく勉強してるね。セブルス。でも違うよ」
 シドがそう答えると、ドサリと物が落ちる音がし、見ればカルロが倒れていた。
 「いたた、術が失敗したか。ばらけては………いないな」
 己の手足を確認して、ため息がちにカルロは立ち上がる。そして、部屋の中をぐるりと見回した。
 「姿くらまし防止呪文だね。ブライアンがこの術に興味があるとは思えないから………シド、君だな?」
 「いい加減に兄様の手を煩わせないで下さい」
 「無言呪文でこの術を使うか。シドは本当に優秀だ」
 カルロはすごいぞと豪快にシドの肩を叩く。
 セブルスと言えば、カルロの発言に言葉を失っていた。
 姿くらまし防止呪文。しかも無言呪文で行うなど、自分達の年齢では絶対に不可能なはずだ。
 確かにシドは優秀ではあるが、そこまでなのかと思うと、自分とシドの差を思い知らされて気持ちが落ち込んできた。
 「これはみんなにも知らせなければ」
 力強くシドの頭を撫でて、カルロはいそいそと再び扉に向かって行こうとする。
 シドが呆れた顔で見送り、ブライアンが冷ややかな笑顔を浮かべていた。
 「逃がすとお思いですか!」
 なにか聞き慣れない異国の言葉を発したかと思うと、銀の蛇達が一斉にカルロに飛びかかり、手足に巻き付いて拘束した。
 蛇でぐるぐる巻きになったカルロを魔法で持ち上げると、当主の席に座らせた。
 蛇が指に巻き付き、器用に強制的にペンを握らせる。
 「今日の分の書類が終わるまで絶対にこの部屋から出しませんと何度言わせる気ですか。母上との夕食の席に着きたいのでしたら書類を終わらせて下さい。
 父上の母上への愛を持ってすれば難しいことではないはず………それとも父上の母上に対する想いはこの程度の書類に討ち負けてしまう程度のものなのですか?」
 静かな声にひどいプレッシャーを感じた。
 ブライアンはカルロの方を向いていて、セブルスには顔が見えないが、同じ部屋にいるだけで身震いが止まらなかった。
 綺麗な金髪の後ろ姿がとにかく本能的に恐怖を覚える。
 「兄様を怒らせるから」
 苦々しく呟いたシドの顔色が悪いのはセブルスの見間違いではなかった。
 シドでもこのブライアンは恐怖を覚えるようだ。
 「兄様、僕達はこれで失礼します。念の為に母上の部屋には兄様が一緒でないと父上が入室できない結界を張っておきますから」
 「助かるよ。やっぱり結界術はシドに頼むに限るね」
 「そんなっ! シドは父を見捨てる気か?」
 色気のある大人の男が、息子二人に相手に半泣きになる姿はある意味貴重だった。
 奇人変人なセルウィン家の親子関係は、父親との情が薄いセブルスには良く理解できなかった。
 一般的な父親像とはこのような物なのかと考えるが、どうも違う気がした。
 少なくともセブルスの近所の家々では父親は威張り散らしている存在であって、息子相手に半泣きにはならないはずだ。
 事前情報に愛妻家と聞いていたが、いくら奇人変人と言われようとも、当主ぐらいは名門に相応しい威厳のある立派な紳士が出てくると思っていた。
 そういえば、ハロウィンのキャンディーも例のお詫びの品のカードに仕掛けられていたキャンディーもすべてシドの親が用意したのだった。
 普通の親ではない片鱗はあちこちにあったのに、なぜシドの親にまともな人物を想像してしまったのか、つい先ほどまでの自分の思考が不思議でならなかった。
 「父上、何度も言うようですが、兄様の手を煩わせないで下さい。父上が仕事を放棄するせいで、兄様に余計な仕事が増えているのですから。
 兄様の迷惑も考えて下さい。愛妻禁断症状があるのがご自分だけだと思わないことですね」
 「なに?」
 カルロが弾かれたようにブライアンを見ると、ブライアンは嫌そうに眉間に皺を寄せた。
 「………その仲間を得たような期待に満ちた目で私を見るのをやめてくれませんか。私は父上ほどひどくありません」
 「やっぱりブライアンも私の息子だな! なに恥ずかしがることはない。妻を愛してなにが悪い!」
 「仕事に差し支えがなければ私も文句は言いません!」
 「愛妻の前に仕事など無粋なものだと思わないかね」
 「ご自分の責務を果たしてから仰って下さい!」
  完璧に客であるセブルスの存在を忘れて言い争っている親子を呆然と眺めていると、シドに「行こう」声をかけられた。
 部屋を出ると通路は静寂に覆われている。
 先ほどまでの室内での喧騒が嘘のようだ。
 「騒がしくてごめんね。とりあえず母上のところに行こうか」
 何事もなかったかのようにシドが案内をはじめる。
 「………すごい人達だな」
 父親の威厳の無さといい、ブライアンの見たこともない魔法といい、セブルスには全くの未知の世界ばかりだった。
 「父上は普段はああだけど、有事の際はとても尊敬できるよ」
 シドは苦笑いをしながら、カルロをフォローした。
 カルロは子供が生まれると愛妻度が今まで以上に暴走して、妻から離れなくなり、仕事を疎かにする。
 子供が生まれてから仕事に一切手をつけず、妻と生まれた子供に夢中で、直属の部下がブライアンに泣きついてブライアンがカルロを執務室に拘束している現在の状態にあるらしい。
 前例であるシド誕生の時はその状態が三ヶ月続き、まだブライアンが学生だったために、仕事をしない上司に側近達が心労と過労で体調を崩したり、頭髪が薄くなる現象が相次いだという話を「父上の部下の人達はこの時期は気の毒だよ」とどこか遠くを見たシドが教えてくれた。
 名家の当主がそれで良いのかと多いに疑問に思ったが、名門セルウィン家の名は奇人変人の別称と共に揺るぎなく轟いているので問題はないのだろう。
 「ブライアンさんが使っていた魔法はなんだ?」
 まず呪文の言語が聞いたことがなかった。
 「あれはエジプトの古代魔法。兄様はエジプト魔法が好きで、古い文献を参考に失われた古代の魔法の再現させてるんだよ」
 「すごく高度な魔法に見えた」
 「ややこしい魔法であるのは確かだね」
 シドはあっさりと告げるが、失われた古代の魔法を再現させるなど偉業としか言いようがない。
 すごいことのはずなのに、その甦った魔法は愛妻家な父親を拘束するために使用されている。
 ブライアンを尊敬する気持ちがセブルスの中に生まれたが、同時に何かとても微妙な気分になった。
 「シドは姿くらまし防止呪文が使えるのか? しかも無言呪文まで。それに休暇中は魔法は使ってはいけないはずだぞ」
 たたみ掛けるような質問は先ほどからセブルスが気になっていたことだ。
 「姿くらまし防止呪文は父上の逃亡を見かねたから、お祖母様に教えてもらった。まだ一部屋分ぐらいの範囲しかできないけどね。
  無言呪文は、うん。使えるよ。出来ると周囲がうるさくなるから他言無用でお願いするよ。休暇中の魔法使用については問題ないよ。
 セルウィンの敷地内は特殊な結界が張ってあるから、魔法省には認識されない。そうだ。手紙に書いておいたけど杖は持ってきた?」
 「ああ」
 「そう。よかった。闇の魔術の珍しい本が沢山あるから一緒に勉強して試してみようか」
 シドの魅力的すぎる申し出にもちろんセブルスは頷いた。




1/1ページ
スキ