待ち合わせ場所




 マグルには認識されないパブは外見も薄汚れているが内部もお世辞でも綺麗とは言えない店だ。
 薄暗い店内ではいかにも魔女な姿の老婆達が談笑し、全身をすっぽりと黒い長衣で覆い、顔すらフードで隠している怪しい男が食事をしている。
 陽気におしゃべりをしながら食事をしている若い女性達に、酒を飲んでテーブルに伏せっている恰幅の良い男。
 数人で集まってカードをしている男達などが思い思いに酒や食事を楽しんでいた。
 店内には音楽が流れているが、賑やかな客達の喧騒にかき消され、昼食の慌ただしい時間が過ぎた店内は比較的落ち着いた時間が流れていた。
 店の暖炉が炎をあげ、客の視線が自然とそちらに集まった。
 カツンと靴音を立てて暖炉から飛び出してきたのは一人の少年だった。
 「おや、坊ちゃん。お一人ですかな?」
 バーテンのトムが声をかけると、艶のある黒髪の少年は頷いた。
 「待ち合わせをしてるんだ。相手が来るまで席をかしてもらいたい」
 高圧的ではないが命令することに慣れていることを窺わせる口調だ。身形も良く気品のある佇まいは、良家の子息であると一目でわかる。
 カモだと思ったのか、隅で酒を飲んでいた男達が立ち上がるが、トムの一言で彼らは大人しく元の席に戻ることになる。
 「かまいませんよ。セルウィンの坊ちゃん。お相手の方がいらっしゃるまで何か飲み物でもいかがですかな?」
 ちらりとトムが男達に視線をやり、そんな様子をみてシドは苦笑した。
 奇人変人、そして最近は死喰い人狩りで暴れ回ったセルウィンの名は役に立つ。
 セルウィン家は命が惜しい人間は決して敵にまわしてはいけない相手なのだ。
 「バナナとマンゴーはある?それをミルクで割ったジュースを作って欲しい」
 いくらかのコインを机の上に置く。
 「バナナにマンゴー………ありますな。バーテンの意地にかけて作らせて頂ます。お代は坊ちゃんがお気に召した場合に頂きましょう」
 挑発的にトムはにやりと笑う。
 自ら果物を指定し、果実とミルクの割合まで細かく注文する子供はひどく舌が肥えていた。
 彼の一族が店の暖炉を使用して、そのついでに注文した物を口にした時の表情は忘れられなかった。
 そろいも揃ってこの少年のように綺麗な顔をした人物達が顔をしかめて、一口だけ口をつけて後は全部残されたのだ。
 別にこの店の料理は特別感動するほど美味しいとは言えないが、落胆するほど不味くもないはずだ。
 酒の友のつまみや軽い食事を楽しんで貰える普通の味だ。
  他の客は満足しているしそれで問題ないとは思っているが、ああも落胆した顔をされると料理を作っている人間としてはプライドが刺激されるのだ。
 この少年はダイアゴン横丁に行くため親族の者と何度か暖炉を使用している。
  そして帰りに飲み物を注文する。先ほどのように果物を指定してのジュースであり、これを作ると連れの人物も美味いと言って瞬く間に飲み干してしまう。
 実際、彼らが帰ったあとに同じジュースを作ったところ素晴らしく美味しく、そのジュースは店のメニューに加わった。
 もちろん次に少年が訪れた時に事後了承をもらったが。
 灰茶かかったとろりとしたジュースがシドの前に置かれた。
 「ありがとう」
 礼を言うとトムはにっこりと笑ったがその目が笑っていなかった。
 ジッと食い入るようにジュースのグラスを見ている。グラスを持ち上げ口元に運ぶと、視線はそのままグラスを追っていた。
 一口飲んだ後に「美味しい」と言うと、安心したように息を吐く。
 子供相手にどこまで真剣になっているのかとシドは呆れるが、彼なりの信条の元で真剣なので呆れはするものの馬鹿にはしない。
 机に置いたままになっていたコインをトムの方に追いやり、シドの反応に満足したトムは素直に受け取った。
 「ふむ。子供が好きそうなお味ですな。ですが甘さがやや足りない気が」
 多めに作っていた残りの分を試飲してトムが唸る。
 「僕はこの程度の甘さで問題ない」
 子供のくせに甘すぎる物が嫌いな子供は残りのジュースを飲みながら答えた。
 フルーツの甘さとミルクが調和してすっきりと飲める。若い女性が好きそうな味だ。
 材料から子供向けの飲み物だと考えていたが、子供らしい子供に出すとなると甘さが足りない。
 「練乳を足してみたら?」
 「それは良いアイディアですな」
 早速トムが再びジュースの製作に取りかかり、他の店員が「仕事して下さいよ」と呆れた顔をしているのが見えた。
 シドは店内の自分に集まる視線にうんざりした。
 好奇心と恐怖心、敵意と様々な視線が自分に向けられているのがわかるが、気にするだけ疲れるのでいつものように無視する。
 仕事をしないトムのかわりに店員達が忙しく立ち回っているのを横目に、ふと暖炉を見ると大きな炎をあげていた。
 「うわっ」
 小柄な少年が転がり出て来て、すぐにシドは席を立った。
 「大丈夫、セブルス?」
 片腕を引っぱって起こす。
 セブルスは無言で腕を振り払ったが、転がり出て来たのが恥ずかしいらしいのは赤くなった顔で一目瞭然だった。
 「久しぶり、セブルス。元気だったかい? 煙突飛行は慣れないと着地が難しいんだよ」
 セブルスと一緒に転がり出てきた荷物のバックを拾う。
 再び暖炉の炎が燃え上がり、清楚なワンピース姿の女性が出て来た。
 黒髪に黒い瞳。白い肌の面差しはどこか目の前の友人に似ていた。
 「セブ、大丈夫だったかしら? 煙突飛行は慣れないと着地が難しいのよね」
 先ほどのシドを同じことを告げる。
 そして彼女の視線がシドへと向けられると、驚愕に目を大きくして固まってしまった。
 祖母譲りのシドの美貌に見とれる者は珍しくなく、そんな母の様子に気がついたセブルスがアイリーンの腕を引いて彼女を現実に戻した。
 「彼がシド・セルウィン。シド、僕の母だ。ダイアゴン横丁に薬草を買いに行くから、見送りに来てくれた」
 「はじめまして、私はアイリーン・スネイプ。お会い出来て嬉しいわ。あなたの話は息子からよく聞いているわ」
 「はじめまして、シド・セルウィンです。息子さんにはいつもお世話になってます」
 「こちらこそとてもお世話になってるわ。私が至らなかった食事指導をあなたがしてくれたのね。ありがとう。感謝してるわ。あなたのような子が息子の友達になってくれて本当に嬉しいわ」

 ジッとこちらを見つめてくる漆黒の瞳は疑う余地もないほど感謝の色で染まっていた。
 「………食事指導の件は僕のような子供が口を出さずにいられなかった事実を大人として恥じて下さい」
 セブルスは顔色が悪くて痩せこけた子供だった。あきらかに親の育児放棄の虐待が見てとれた。
 アイリーンの笑顔は強ばり、顔色はみるみるうちに青ざめていった。
 「シド!」
 「なに、セブルス?」
 「お母さんを悪く言うな!」
 「悪くなんて言っていないよ。ただ事実を言っただけ。
 いまのセブルスのお母さんはセブルスが大切でたまらないようだからこれ以上は何も言わないけど………休暇の間にセブルスが入学当初のように痩せて青ざめた顔色になっていたなら、僕は次の休暇からは引きずってでもセブルスを僕の家に連れて帰って、セブルスの実家には絶対に帰さないようにしようと思ってた」
 大切なセブルスをわざわざ不幸な目にあわせるだけの実家など必要ないと考えていた。
 けれどセブルスが自分の母親の変化を喜び、そして母親がセブルスを本当に大切にしているのがわかったから、シドの計画は実行されることはないだろう。
 「あなたは本当にセブを大切に思ってくれてるのね」
 問うアイリーンの声は震えていた。
 「かけがえのない友人です。だからセブルスを不幸にする者は例え母親でも許せそうにありません」
 「そう、わかったわ。でも私は今度こそセブの母親になると決めたの。なにがあっても息子を最優先に守ってみせる。あなたを怒らせることは二度とないと誓うわ」
 迷いのない母親の姿を見て、シドはにっこりとアイリーンに向かって微笑み、そしてセブルスの方を見た。
 「良いお母さんだね」
 先ほどまでの責め立てるような厳しい口調ではなく穏やかな声音でセブルスに言うと、彼は真っ赤な顔で泣き出しそうな表情をしながら何度も頷いた。
 「各家庭に事情があるのに、子供の癖に生意気を言って申し訳ありませんでした」
 アイリーンに非礼を詫びて頭を下げると、黒髪の親子は揃って焦った様子を見せた。
 「えっ? そんな、頭を上げて。あなたが謝ることじゃないわ」とアイリーンは慌て、セブルスはよほど驚いたのか「シド、やめろ」と実力行使でシドの顔をあげさせた。
 「………セブルス、君乱暴だ」
 肩と顎を無理矢理持ち上げられたせいで、首がミシリと鳴って鋭い痛みが走った。
 筋が攣りかけたようで、涙目でシドはセブルスに抗議する。
 「すまない」
 「別に良いけど」
 痛めた首の筋を軽く揉む。一瞬だけ痛かっただけで、今はもうなんともなかった。

 「シド君、大丈夫なの?」
 「平気です。生意気を言ったことを許していただけますか?」
 「許す許さないもないわ。あなたの言ったことは事実だもの。あなたが謝る必要なんてないわ。それから私を責めてくれてありがとう。罪を指摘されると自分に対する戒めになるわ」
 二度と過ちを繰り返さない。息子に尊敬される母親になるように頑張るわとアイリーンは宣言したが、「尊敬してるのに」とぼそりとセブルスが言った声は聞こえていなかったようだ。
 「セルウィンの坊ちゃん。お連れ様。よろしかったらこちらの試飲を頼めませんかな」
 嬉々とした声にそちらを見れば、グラスを乗せたトレイを持ったトムが得意げな笑顔で立っていた。
 「試飲?」
 「なんだ?」
 親子が似た仕草で不思議そうに首を傾げる。
 「そちらのセルウィン坊ちゃんと新しいジュースの開発をやっておりましてな」
 「なにをやってるんだ」
 トムの言葉にセブルスはあきれた顔でシドを見た。
 「こういうジュースを作ってくれと注文したジュースをここの主人が商品化していくだけだよ」
 「シド君、料理が上手だものね。あのかぼちゃのプリンとっても美味しかったわ。我が家のお気に入りになって週に一回は作ってるの」
 「気に入って貰えて良かった。せっかくなので試飲してみて下さい。バナナとマンゴーをミルクで割った物です」
 ジュースは練乳が入ったので先ほどシドが飲んだ物よりかなり甘めの仕上がりになっていたが、これはこれで子供が好きそうな味になっていた。
 シドには甘すぎたが、セブルスは気に入ったようで、母親と「美味しい」と微笑みあって飲んでいた。
 トムに感想を求められ、練乳抜きの最初のジュースが好みだとシドは答え、セブルスは素直に美味しかったと答える。
 アイリーンは美味しいが自分にはもう少し甘さ控えめが好みだと答えると、トムは空かさず練乳抜きのジュースを運んできて、セブルスとアイリーンに渡して感想を求めた。
 アイリーンはすっきりと飲める練乳抜きが気に入り、セブルスは練乳入りの方が良いと答えた。
 まわりを見れば、女性客などに店員達が同じジュースを配っており、本格的に商品化にするための客の感想を集めるらしく、いつの間にかトムが女性客に話しかけて歩いていた。
 「じゃあそろそろ行こうか」
 「そうだな」
 「セブ、あちらの方に失礼のないように気をつけてね。シド君、息子をどうそよろしくお願いします」
 「責任を持って一週間お預かりします」
 床に置いてあったセブルスの荷物を持ち上げる。
 「自分で持つ」
 慌てるセブルスに「セブルスは僕にしっかり捕まっていないといけないから荷物は僕が持つよ」と暖炉を指さして告げる。
 「家の暖炉には一族の者と一緒じゃないと飛べない仕組みになってるんだ」
 煙突飛行による侵入者防止の魔法は珍しくない。敵の多いセルウィン家は防犯関係の魔法が徹底していた。
 「セルウィン家の暖炉は一族の者と一緒じゃないと弾かれる。煙突内で迷子になると捜索が大変だから僕を絶対に放さないようにして」
 「………腕に掴まればいいのか?」
 「むしろ腕に抱きつく方がいいと思う」
 暖炉の上のケースからキラキラ光る粉をひとつまみ取り出し、暖炉の炎に粉を振りかける。
 炎はエメラルドグリーンに変わり、大きく燃え上がった。
 「行ってきます」
 「行ってらっしゃい。セブ」
 親子のやりとりを微笑ましく思いながら荷物を持ち、がっちりと片腕に捕まってくるセブルスを促して炎に入った。
 「セルウィン邸」
 ぐらりと世界が歪んで回りはじめた。


 暖炉の中で二人の少年が消えたのを見送ると、アイリーンはぐったりと脱力して壁に寄りかかった。
 セルウィン家の直系次男は予め息子から聞いていた通りにとても綺麗な少年だった。
 目を奪われて思わず見とれてしまうほどに綺麗な顔立ちは、アイリーンが敬愛するクローディア似ではなかったのが残念だった。
 だが、見たことに価値を覚える貴重な美貌であることは確かだった。
 年齢不相応に大人びているとも聞いていた。
 実際に彼に会ってみて、息子の話が誇張された物ではなくまぎれもない事実だと認めざる得なかった。
 澄んだ漆黒の瞳で責め立てられた。
 子供を虐待していたことを恥じろと。二度目はないと。必要ならおまえから息子を取り上げると。
 静かに責める声音に恐怖を感じた。
 少年が醸し出す静かな怒りを受けて背筋が寒くなり、嫌な汗が背中を伝っていた。
 二度目はない。子供を取り上げる。普通なら息子と同じ年齢の子供に一体なにが出来るのかと考えるが、そんな思いは心に浮かばなかった。
 彼が本気であることは本能的に理解できたし、例え奇人変人と呼ばれようとも魔法界においてのセルウィン家の影響力は計り知れない。
  最終的に少年は母として生きることにした自分の覚悟を認めてくれた。
 その時少年の本物の笑顔を見た。まばゆいばかりの優しく美しい笑顔に、周囲の人間達がざわめいたが、本人は至って周囲の反応には無関心だった。
 そして少年は大人に非礼を働いたことを詫びて頭を下げたのだ。
 「あの子、本当にセブと同い年なの?」
 大人びているどころじゃない。言動がすでに一端の大人だ。
 「まだ子供でもあの少年はしっかりセルウィン気質を受け継いでおりますな」
 ふと気づけばバーテンが近くに立っていた。
 「温かいお飲み物でもいかがですかな?」
 「………お願いするわ」
 他人に興味が薄く、身内を何よりも大切にする一族。身内の他にも親しい友人を身内の括りに入れ、身内同様に大切にすると言われている。
 その一族の直系次男に「かけがえのない友人」と言わしめた息子は完全に身内扱いになっているらしい。
 彼の息子に対する態度を見れば一目瞭然だ。
 友情と呼ぶには違和感を覚える、まるで兄が弟を心配するように、身内に向ける無償の愛を少年は息子に注いでいる。
 青白かった肌が健康な子供のものに変わり、寂しげな表情しか浮かべなかった笑顔を忘れた息子が「ただいま」と笑顔を向けてくれるほどになった。
 夫にかまけて息子を二の次にしていた母親を嫌っているのではないかと不安だったから、あの時は嬉しくてたまらなかったのを良く覚えている。
 すべて少年のお陰だと思うといくら感謝しても足りないぐらいだった。
 「セブはあの子を一番信用してるのね」
 母親の自分より息子はあの少年を信頼している。不甲斐ない親の代わりに最初に息子の理解者になったのは彼なのだ。
 親子の間にある長年の溝は深い。息子は自分を慕ってくれてはいるが、それでも無条件に甘えたりしないし、お互いにどこか遠慮がある。
 溝を埋める為にお互いに沢山話をするようにした。
 そういえば少年が送ってきたお菓子のレシピは一緒の時間を共有する上でとても役に立っていた。
 まさか息子と一緒にキッチンに立ってお菓子作りをする日が来るとは夢にも思わなかったが、あの一端の大人の考えをする子供はそこまで考えてレシピを送ってきたのだろうか。
 「どちらにしろ………もっとセブに信じて貰えるように頑張らないと」
 ライバルが息子の親友なのが少し情けなくて苦笑がこぼれた。




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