魔法薬学の時間
魔法薬学の時間は楽しいが同時に気の抜けない授業でもあった。
魔法薬作りは総じて集中して神経を使う作業だ。目の前の作業台と鍋しか見えていないのが当たり前で、他に目がいくわけもない。
それが一年生ならば尚更目の前の作業だけで精一杯になる。
シドは手の中の物体を見て眉間に皺を寄せた。
「馬鹿なお子様だと思っていたけど、これほどとはね」
苦々しい呟きは生徒達が魔法薬の調合に没頭して静かな教室内によく響いた。
「なにかあったかね。ミスター・セルウィン」
スラグホーンが話しかける機会を窺っていたようにいそいそと歩み寄ってきた。
自然と生徒達の視線がシドに集まった。一緒に作業をしていたセブルスも材料を刻む手を止めてこちらを不思議そうに見てきた。
「この作りかけの薬に乾燥シマヘビイチゴを入れたらどうなりますか?」
「そりゃあいけないね。この薬に入っている紅大クモの前足と乾燥シマヘビイチゴは非情に相性が悪くて、大鍋が爆発して大変なことになる。この二つは絶対に同じ鍋に入れてはいけない物だ。良い機会だ。みんな覚えておくように」
嬉々としてスラグホーンは答え、後半は生徒達に大声で告げた。
「ところで馬鹿なお子様とはどういうことかね?」
シドは左手をスラグホーンに差し出した。掌に青黒い小さな塊がある。
「シマヘビイチゴだね」
「はい。この危険なシマヘビイチゴを僕達の鍋に投げ入れようとした者がいます。幸い、鍋に入る前にキャッチしましたが。
繊細で危険な魔法薬学の調合中にこんな悪戯するだけでも神経を疑うのに、無知をさらけ出して怪我人を出しかねない迷惑な行動をとる。これを馬鹿なお子様と言わずになんと言いますか?」
心底あきれてシドはため息をつく。
シドの発言の悪戯の単語に教室中の誰もがグリフィンドール席の四人組に目をやっていた。
スラグホーンも険しい顔をしてみんなと同じ方向に視線を向けている。
注目を浴びた人物達は、一人は固いながらも笑顔を浮かべ、一人は不機嫌顔だ。青ざめた顔色をした残りの二人がすべてを物語っているようだった。
「本人は調合が失敗すれば良い程度の考えだったかも知れませんが、そもそも魔法薬に異物を混入させようという危機感のない考えが問題だ」
一年生の調合ならそれほど危険がないと思ったのでしょうと続けた。
実際、一年生が使う材料は取扱が簡単な物ばかりだ。調合手順さえ間違えなければ、鍋が爆発することもない。
爆発したところで鍋の中身が飛び散る程度に考えるだろう。
一年生では基礎中の基礎の材料しか扱わないのだから、一年生が魔法薬学の本当の危険を知る機会は少ない。
「ちょっと待って下さい!」
不意にジェームズが声を張り上げた。
「なんだね。ミスター・ポッター?」
スラグホーンが発言を促した。
「なぜかみんな僕らが犯人のような顔をしてるけど、そもそもそのシマヘビイチゴは彼が自分で持っていて、鍋に投げられたっていうのも彼の自作自演の可能性だってあるじゃないか」
「ポッターがシド達の鍋に向かってなにか投げるの見たわよ」
ジェームズにとっては味方であるはずのグリフィンドール席からの発言だった。
声の主を見てジェームズは凍り付いたように固まった。
リリーは「あなた達こそこそ悪巧みするならもっと声を小さくした方がいいわ。前の席には筒抜けなのよ」と嫌そうにジェームズを見て言い捨てると、リリーと一緒に調合していたメアリーや、その隣の席の男子生徒達も思わずと言ったように頷いていた。
その行動はもちろん教室中の人間が見ており、すでにジェームズに弁解の余地はなかった。
「リリー! 君はスリザリンの味方をするのかい?」
「わたしは事実を言っただけよ」
鬱陶しげにリリーはジェームズを見る。その眼差しが言葉よりも遙かに雄弁にジェームズに対する感情を表していた。
汚物を見るような目を身近な友人の女の子がしていると複雑な気分になるが、相手は同情の余地のない粘着質なストーカーだ。
むしろあの年齢にそこまで侮蔑した視線を向けなければならない相手がいるリリーが気の毒でならなかった。
「ミスター・ポッター。授業が終わったら残りなさい。あと君の愚かしい行為にグリフィンドール、20点減点」
スラグホーンが厳しく告げると、グリフィンドールから抗議の声があがる。いくらなんでも20点減点は多すぎると。
「嘆かわしい。君達は魔法薬学の危険性をわかっていないようだね」
「教授」
額に手を宛てて天を仰ぐスラグホーンに声をかけたのはシドだった。
「なにかね」
「魔法薬学の危険性を理解していないのなら教えればいい。セブルス、あとみんなも下がっていてくれ。馬鹿なお子様に自分がなにをしようとしたか見せてあげるよ」
シドの意図を真っ先に理解してくれたのは、一緒にいる時間が圧倒的に多いセブルスだった。
彼は「シドの言う通りに下がってくれ」とスリザリンの生徒達を下がらせた。そんなセブルスの行動を見て、リリーもグリフィンドール生達を下がるように声をかけた。
ジェームズ達に声をかけるのは嫌だったらしく、グリフィンドール席は件の四人だけが取り残された。
「紅大クモの前足とシマヘビイチゴの相性の悪さは魔法薬を扱う者の間では常識だ。毎年、この二つの材料を同じ鍋に入れてしまった為に死者や怪我人が出ている。
多様性のあるシマヘビイチゴのせいで、シマヘビイチゴが入っているのを忘れて、紅大クモの前足を入れてしまうという不注意が圧倒的に多い。
こんな大切な事項が載っているのが二年生の教科書からなのはとても残念だ。基礎をやっている時に頭に叩き込んで置くべき事柄なのに」
傾向する魔法薬学の話しのせいかシドは饒舌に語りながら、杖を振り呪文を唱える。
その呪文で察したらしいスラグホーンが慌ててシドに向かって踏み出したが、それより先にシドはシマヘビイチゴを自分の大鍋の中に放り込んだ。
小さな水音のあと、ボコボコと鍋の中が一気に沸騰し、次の瞬間には轟音と共に爆発した。
シドの張った結界の中で、鍋は原型も留めないほどバラバラに破壊され、魔法薬は結界の形をなぞるように四方八方に飛び散っていた。
シドが張った結界は大鍋の周りだけではなく、その周囲、スリザリンとグリフィンドール席を合わせて十席ほどの広さがあった。
机の上の大鍋は爆発によって砕け、魔法薬の材料や教科の類は爆発の威力で結界に張り付いている。
小さなシマヘビイチゴが引きおこした爆発の威力に誰もが言葉を失っている。
「爆発によって砕けた大鍋の欠片と高熱の魔法薬を全身に浴びての負傷。運が悪いと死人がでる。君がしようとしたのはこういうことだ」
ちらりとジェームズを見れば、彼は顔面蒼白で結界内部を凝視していた。
誰もが考えただろう。もしシドがジェームズの悪戯に気づかずにシマヘビイチゴが大鍋に混入してしまったなら、今頃どうなっていたのかと。
結界の内部の惨状が人のいる場で起こったなら自分達は無事でいたのかと。
不安と恐怖に他の生徒達が捕らわれているなか、シドは結界を解き飛び散った魔法薬と原型も留めず破壊されたを大鍋を魔法で消した。すでに修復は不可能と判断したのだ。
割ってしまった生徒達の鍋をなおし、魔法薬と爆発の衝撃で傷んでしまった教科書を綺麗にする。
「教授、これを持ち主の場所に戻すことはできますか?」
修復はできるが、持ち主を特定する魔法はまだ会得していない。不本意ながらスラグホーンに助けを求めれば、スラグホーンは鼻息も荒く興奮気味に「すばらしい!」と叫んだ。
「その年齢で修復魔法はもとより結界術まで使いこなすとは、君はなんて才能にあふれた生徒なんだ! 魔法薬学の危険性の理解についても文句のつけようがない!」
「はあ、ありがとうございます」
のちにセブルスに「いくらなんでもあの棒読みはない」と文句を言われるほどの棒読みでシドは答える。
褒められるより目の前の大鍋を持ち主達に戻して欲しかった。
興奮気味で何かを捲し立てるスラグホーンの言葉を右から左へと聞き流す。
スリザリンに40点という異例の高得点が加点されたが、寮杯に興味のないシドには関係のないことだった。
一通りしゃべって落ち着いたらしいスラグホーンは杖を振って鍋を持ち主達の机の上に並べた。
一応、彼が人の話を聞いていた事実に驚いた。シドのスラグホーンに対する評価はどこまでも低い。
「さて、ミスター・セルウィンが実例を見せてくれたように、紅大クモの前足とシマヘビイチゴを一緒の鍋に入れるとあのような怪我人や死者も出る大爆発が起きる。
魔法薬学の調合は決して安全ではないのだよ。悪戯で人の鍋に異物を入れようなどという愚かな考えは二度をしないように」
最後は厳しい口調でジェームズの方を見て告げた。
「この件はグリフィンドールの寮監にも伝えておくとしよう。今年のグリフィンドール生は学びの場と遊びの場を一緒にしている傾向がある。
真面目に勉学に励んでいる生徒の邪魔であることを一度グリフィンドールの寮監にしっかりと知ってもらわねば」
それはつまりマクゴナガルからの減点と罰則も意味していた。
スラグホーンの言葉に今度は誰も厳しすぎると文句は言わなかった。
あの爆発を見たあとではジェームズに対する同情心が湧くわけがない。それほどの危険に自分達はさらされたのだ。
恐怖心はその感情を与えた相手への怒りにかわりやすい。
ジェームズはスリザリン、グリフィンドール問わず生徒達の怒りの視線を浴びていた。
「ミスター・ポッター」
不意にシドがジェームズに声をかけた。
シドが特定の人間以外に自分から声をかけるのは珍しいことだ。
それも相手はスリザリンを毛嫌いしているジェームズであり、危うく被害者と加害者になりかけた立場にある。
シドがなにを言うのかと、生徒達は息を潜めてシドに注目した。
「君は魔法薬学の成績は決して悪くない。紅大クモとシマヘビイチゴの相性の悪さを君は本当に知らなかったのか?」
「君は一体なにが言いたいんだい! もちろん知らなかったよ!」
ジェームズとシリウスはどんな教科でも器用にこなしてしまう生活態度に問題はあるものの、成績優秀な生徒であることはシドの耳に入るぐらい有名だ。
シドとセブルスのペアに及ばないが、魔法薬学の調合成績も上位に食い込んでいる。
ジェームズが優秀な生徒であり、スリザリンを毛嫌いしている誰もが知る事実があるからこそ、投じられた一粒の疑惑の効果は絶大だった。
その日の夕方には「ジェームズが魔法薬学の時間に嫌いなスリザリン生の鍋を爆発させて殺そうとした」という噂があちこちで流れていた。
「あの質問、わざと言ったな?」
夕食を終えて部屋に戻るなり、セブルスが聞いてきた。
「セブルスのその理解力は好きだな」
「誤魔化すな!」
「本気で褒めてるのに。あれは馬鹿なお子様への躾けだよ」
大好きな魔法薬の調合中に馬鹿な悪戯を仕掛けられて不愉快な気分になった。
せっかくの魔法薬をダメにされてやる謂われもないので、投げつけられた物をキャッチすれば、それは紅大クモの前足にとって最大のタブー材料であるシマヘビイチゴ。
それを理解した途端に馬鹿なお子様に対する猛烈な怒りに駆られた。
「あのシマヘビイチゴの爆発の範囲内にセブルスとリリーがいた。知らなかったで済むわけがないよ。教授の減点と罰則だけで許してやる理由もない。あのお子様には徹底的に自分の浅はかな行動を悔いてもらおう」
夕食の席ではすでにジェームズは爆発による殺人未遂犯扱いに近い噂になっていた。
被害範囲がグリフィンドール席にも及んでいたから、噂を騒ぎ立てているのはスリザリンだけではなくグリフィンドールにもいるようだ。
「もしかしてシドは怒っていたのか?」
「セブルスとリリーが危険な目にあいかけたんだ、とりあえずあの変態眼鏡を社会的に抹殺してやろうと思うぐらいには怒り狂っていたよ」
そしてシドはそれを実行している。
「あの場にいたのは僕とリリーだけじゃないが」
「他の人間は興味ないから」
即答すると、「シドはそういう性格だったな」とセブルスも納得した。理解のある友人がとても好ましかった。
「たった一言でこんな状況を作るなんて、おまえは絶対に敵にまわしたくないな」
「僕は絶対にセブルスの敵にはならないよ」
きっぱりと笑顔で言い切れば、「ば、馬鹿者!」と言ってセブルスは顔を背けてしまった。
黒髪から覗く耳が真っ赤に染まっているので、彼が照れているのが一目瞭然でわかった。
「ところでセブルスはシマヘビイチゴと紅大クモの前足の相性の悪さは知ってた?」
「ああ、当然だ。僕に魔法薬の調合を教えてくれた母が基礎知識として教えてくれた。爆発して危険だと教わったが、まさかあんな大爆発がするとは思わなかった。
シドが言った通り、こんな基礎が一年の教科書に載っていないのは問題だな」
その夜、シマヘビイチゴ騒ぎのせいで完成できなかった魔法薬の調合を自室で遅くまでやっていた為に、翌朝は二人とも朝食を食べ損ねる寝坊をした。
朝食の時間にジェームズの元に両親から吼えメールが届いたと二人が知ったのは昼食の席でだったが、シドとセブルスは変態ストーカーよりも朝食を抜いた為に激しい空腹を訴えてくる育ち盛りの胃を宥めることを優先した。