奇人変人と偉大な魔法使い
春の早朝はまだ身を切る寒さに包まれていた。
青空にはほど遠い白い空が広がっている。
朝の太陽の日差しは弱々しく、暖かな温もりを求めるのは昼頃が相応しいだろう。
自然豊かなホグワーツの雪解けは遅い。森や湖付近にはいまだ深い雪が残り、湖面は夜間ならば氷が張る。
けれどその一方で木々は新芽をたたえ、厳しい冬の眠りについていた動物達が活動をはじめる。
世界は緩やかに季節の変化を彩っていた。
冷たく薄暗い世界を上昇する。視界の先が明るくなってきて、一気に水面から顔を出した。
身を切るはずの朝の空気は湖の水温より高く、それほどの寒さを感じなかった。
額に張り付く濡れた髪をかきあげ、シドは陸地に向かって泳ぐ。
暖かみのない白い光の太陽。まだ雪深い白い大地。間近にある湖面に浮かんだ冬の間に作られた分厚い氷。
春先の朝の寒中水泳は普通の人間が見たら正気を疑う行為だ。
シドが雪が降る前に見つけた湖は湖底から水が湧き出しており、秋でも冷たく透明度の高い湖だった。
岸にあがると、水を吸った服のずっしりとした重みを感じる。シャツとズボンだけでも充分に水中の動きが制限された。
これでローブも身につけていたら、間違いなく危険な状況になっただろうと冷え切った頭で判断を下す。
「水遊びにはちと気がはやいの」
背後から面白がる声が聞こえた。雪の上にローブと一緒に置いた杖を手に取り、魔法で体と服を乾かしながらそちらを見た。
長い髭と水色の瞳の人物がいた。
好奇心丸出しのキラキラした瞳は少年ならば微笑ましいが、年寄りがやると本音を包み隠す老獪さにしか見えなかった。
ダンブルドアを入学当初見た時の感想は「この人確かゲイだよな」だった。
前世の姉のせいで知りたくもない事実を知っていて哀しくなった。
同性愛に差別する気はさらさらない。そんな発言をしようものなら、前世含めた姉達にボコボコにされる運命が待っている。
本人達が納得してるなら問題なし、自分は関係ないというのがシドの持論だ。
だからこの目の前の髭もじゃの老人がゲイであろうとも気にしない。
「おはようございます」
「おはよう。ミスター・セルウィンは早起きじゃのう」
ローブの中から魔法薬の小瓶を取り出し、どろりとした灰色の液体を飲み込んだ。
喉から胃、胃から全身へと爆発的に熱が広がっていく。指先や足を動かし、冷え切った体が末端まで一気に温まったのを確認してからローブを纏った。
「君は魔法薬学が得意なのかね。それは一年生が作るには高度な薬じゃよ」
「己の関心ある分野に傾倒するのがセルウィンの特徴です」
人目も気にせず脇目も振らずのめり込みすぎて奇人変人と呼ばれる。
そこまで一つの物事に夢中になれれば僥倖だ。ゆえにセルウィン家で奇人変人は褒め言葉なのだ。
「僕になにか用件ですか?」
「なに、春の朝に水遊びをしている者がおるので、わしも誘われてみようかと思ってな」
「ご老体の心臓には負担が大きすぎると思います」
年寄りは心臓ショックで死ぬからやめておけと言葉を柔らかくして告げる。
偉大なる魔法使いが冷たい湖の水のせいで心臓麻痺で死ぬ。笑い話にもならないし、彼をライバル視している闇の帝王がショックを受けて落ち込みそうだ。
「なにをしていたのじゃ?」
「校長が仰ったように水遊びですよ。セルウィン家の子供が非常識な訓練をしているのはご存じのはず。勉強ばかりしていると体が鈍ってしまう」
「君は杖を置いて魔法を使わずに泳いでいたようじゃが?」
「すべてを魔法に頼ろうとするのは魔法使いの悪癖だと思いませんか」
杖を奪われてしまえば魔法が使えないのは魔法使いの共通した最大の弱点。
武装解除の魔法を食らったならただの人になる。
大抵の魔法使いは杖を失い丸腰になると、そこで戦う術がなくなったと絶望しあきらめてしまう。
戦う術を魔法しか知らず、他の方法など思いつきもしないのだ。魔法界の人間はひどく視野が狭い。
二本の腕は杖を持つためにだけにあるのか。
杖がないなら、武器を取ればいい。武器がないなら素手で殴ればいい。
魔法が使えないなら、自分の体で戦えばいいだけのことだ。
それがセルウィン家の考えだ。単純明快でわかりやすいのでシドも気に入っている。
「確かにの。そういえば君の姉君は三年生の時に、上級生のスリザリンの男子生徒10人ほどをレイピアで医務室に一ヶ月閉じ込める大怪我をさせておったな」
姉に剣を教えたのは母だ。もともと母の実家は魔剣士を生業をする一族なのだ。
魔剣士は剣を杖代わりに扱い、魔法を使うことができる。
姉には母親の血の才能があり、杖同様に剣でも魔法を使いこなしていた。
剣術はシドも習ったが、剣で魔法を使用する魔剣士の才能はなく、姉に馬鹿にされて非情に悔しい思いをした過去がある。
レイピアで大怪我をさせたとダンブルドアは言った。ならば純粋に剣で怪我をさせたのだろう。
自分の才能を自負しているスリザリン生を落ち込ませるなら、魔法を一切使わない方が効果的だとあの姉なら考えるはずだ。
「校長、いい加減にしてくれませんか」
「はて、なんのことかの」
ぬけぬけと言うダンブルドアに、内心このクソ爺と罵る。
「開心術です。僕は貴方に怪しまれる理由がない上に、失礼極まりない行為だと思いますが」
声をかけてきたと同時に開心術をしかけてきた。
閉心術が使えるので問題はないが、不愉快なことにかわりはない。
閉心術はセルウィン家直系の嗜みだ。
闇の陣営に捕らわれた時に心をのぞかれては一族が危うい。ホグワーツ入学の頃には出来て当然が直系の義務になっている。
「………そういえば、姉がダンブルドア校長はロリコンの変態だ。 罪のない女生徒達が毒牙に掛かる前にアズカバンに叩き込むべきだと言っていた時期があったと闇祓いをしている親戚から聞いたことがありますが、もしかして姉にも開心術を?
レディの心を無理矢理のぞこうとしたのなら、ロリコン犯罪者呼ばわりされても仕方ないですね」
軽蔑の眼差しを送ってやれば、「ご、誤解じゃ。わしはロリコンではないぞ」と目に見えてダンブルドアは狼狽えた。
「動揺しないで下さい。余計に疑わしく見えます」
「ひどいのう」
闇祓いの親戚に話している時点で姉は本気でダンブルドアをアズカバンに叩き込もうとしていた可能性が高い。
乙女の心を覗こうとしたダンブルドアに姉は激怒していたのだろう。
「なぜ僕の心を探ろうと思ったのか。それを教えてもらえますか」
幼いながらに強い魔力を持っているセルウィンの人間を警戒しての行動。
姉も同じ被害に合っているのだから、普通ならそう納得すべきところだ。
「君はかなり派手に暗躍しておるの」
「ずいぶんと矛盾した言葉だ」
ダンブルドアがなにを言ってるのか理解した。そして、ダンブルドアが開心術を仕掛けてきた理由も予想がついた。
「友人を守るために少し脅しをかけただけですよ。彼らには傷一つ負わせてはいないはず」
セブルス達に害を成そうと企んでいた馬鹿な子供達は棟に呼び出し、浮遊呪文でジェットコースター並の急上昇急落下体験を数回の強制空中散歩のお仕置きをした。
その上で二度と彼らに近づかないよう脅しをかけておいた。これは男女関係なく平等にやっておいた。
わかりやすく体に証拠を残すような傷をつける馬鹿なまねはしていない。
攻撃するのは心だ。11歳の子供には酷な簡単には消えない恐怖心を植え付けたのだ。
シドにとって優先すべきなのはセブルスとリリーだ。他の者が、特にセブルス達に敵意のある子供がどんなトラウマを抱えようとも一切関係なかった。
「それに友人に魔法を教えておるようだ。過激な攻撃魔法を。
同じ年の友人にそのような危険な魔法を教えてどうするつもりなんじゃ?」
探るようなダンブルドアの言葉にシドは堪えきれずに笑い出す。
ダンブルドアが開心術を仕掛けてきた決定的な理由だ。
彼はシドが闇の帝王のような組織を作ることを警戒しているのだ。
ダンブルドアが実に馬鹿馬鹿しい理由で自分を危険視している。それがおかしくてたまらなかった。
「僕がセブルスに教えているのは基礎中の基礎、浮遊魔法ですよ」
「浮遊魔法とな」
「非常識な一族の僕はともかく、常識的に考えて一年生のセブルスに攻撃魔法なんて使えるわけがない。
まだ魔力のコントロールの基礎もできあがっていない、そんな子供に攻撃魔法なんて危なくて教えられるわけがないでしょう」
「………確かに」と校長は頷く。
校長が生徒に諭されるなと皮肉の一つも言いたくなったが、皮肉を口にするだけの価値も偉大なはずの魔法使いに見出せなかった。
「僕のせいで僕が脅しをかけたような連中に狙われるので、身を守るための魔法を教えているんです」
「浮遊呪文が身を守る魔法になるかの?」
「一年生にプロテゴはまだ無理です」
一年が習う魔法じゃないのはダンブルドアが一番良く知っているはずだ。
「攻撃が最大の防御。浮遊呪文でも充分に相手を攻撃して自分を守ることが可能です。僕が暗躍した時のように。派手にと仰ったからには内容もご存じなのはず」
浮遊呪文は使い幅が広い。
シドがセブルスに教えているのはセルウィン家が基礎として子供達に教える浮遊魔法の使用方法だ。
高い所に人を浮かせて上昇落下を繰り返す、攻撃にも拷問にも使える方法。
この方法は精神的にも相手にダメージを与えて、相手が自分を恐がるようになるから広い意味では身を守るための呪文になるとセブルスに説明したところ、「それをやったのか」と青ざめた顔で少し震えていた。
純粋な子供には拷問に近い使用方法は刺激が強かったらしい。
浮かせた物、身近にある物ならば石でも問題ない、それを浮かせスピードをつけて対象物に雨あられのように叩きつける方法。
これはぶつける物の選び方と威力のコントロールが重要だ。
大きな物をスピードをつけて標的にあてると破壊力が大きくなりすぎる。
手本として、教室内にある椅子を一気に黒板に叩きつけたところ、黒板が破壊され椅子も折れ曲がった。
人体にやったら間違いなく殺しかねない威力にセブルスが真っ青になった。
あまりに重い物はスピードが出ない。逆に軽い物はスピードが出すぎて威力が強くなる。
小石はスピードをつけすぎると銃の弾のような役割になると、小石で木の幹を貫通させてしまったことで発見し、セブルスは言葉を失っていた。
それ以来、うっかり人を殺してしまいかねない恐怖に、セブルスは真剣に魔力のコントロールを学んでいるようだ。
他にも有効な浮遊呪文の使用方法があるが、今のところその点に絞っていた。
浮遊呪文とは別に、一年生ができなくて当然を前提にプロテゴや他の魔法も教えているが、メインは浮遊呪文なので嘘は言っていないと、涼しい顔でいまだ訝しげな顔をしているダンブルドアを見る。
「あなたは僕がセブルスを鍛えた上で、恥ずかしい闇の帝王のような組織を作るとでもお考えですか?」
心底馬鹿馬鹿しいと考えながらダンブルドアに問う。
「君は闇の帝王は恥ずかしいと考えるのか」
「いい年して世界征服、マグル皆殺しなんて非生産的なことを考える頭のいかれた人物は残念なぐらい恥ずかしくて可哀想な人としか見れませんね」
「容赦ないのお」
「無駄な心配ですね。僕が組織を作るとすれば、姉のように自分の好きな分野で愛好会でも作りますよ」
恐らく『魔法薬学愛好会』としてメンバーはセブルスとリリーしかいないだろうけど。
色々な国のお茶を試す『お茶会友の会』も悪くない。やっぱりメンバーは自分を含め三人だけだが。
第一、セルウィン家そのものが対闇の陣営の組織のような物だと魔法界でも認識されているのだから、今さら組織など作る必用がない。
この校長は一体なにを警戒しているのかと疑問を持たずにはいられなかった。
どちらにしろ、有無を言わせず開心術を仕掛けてきたダンブルドアに好感が持てないのは確かだった。
泳いだせいで喉が渇いている。体力も使ったので空腹も激しい。
セブルスが起きる前に一度部屋にも戻りたかった。
これ以上無駄な警戒をする年寄りを相手にするのも面倒になり、「そろそろ朝食の時間なので失礼します」とシドは踵を返した。