君のプライド
イギリスの厳しい寒さも緩み初め、ようやく春の兆しが見え始めてきた3月。
今日は朝から天気が良く、窓から降り注ぐ太陽の光がぽかぽかと温かい。
それでさえ眠い魔法史の授業で何度も心地の良い眠りへと誘われそうなる。
欠伸をかみ殺しながら教科書を読んでいく。
この状況下で教授の物憂げな一本調子でする講義を聞くのは、勤勉なセブルスでも不可能だった。間違いなく眠ってしまう。
隣の席を見れば、暖かな太陽の光に包まれながらシドは睡魔に逆らうことなく眠っていた。
いつも以上にまったりとした雰囲気の中で魔法史の授業が終わった。
生徒達が席を立つ音に反応するようにシドは目を覚ました。
「おはよう。セブルス」
まだ眠そうに軽く伸びをする。
「ああ」
「次は大広間に移動だね」
心なしシドの声は弾んでいる。
ホグワーツに来てから本人曰く「第二次性徴期がはじまった」らしく、急激に身長が伸びつつあり、そのせいで食事をいくら食べても足りないようだ。
第二次性徴期の意味はシドに質問して理解した。
シドはその年齢の子供が使わない言葉を普通に使うので、ときどき意味がわからなくて困ることがある。
横を歩くシドは確かに身長が伸びていた。肩の位置が今までより少し高くなっているのがわかる。
すくすくと成長しているシドが羨ましかった。
セブルスにはまだシドのような第二次性徴期の兆しがない。
個人差があるとシドは言ったが、あまりシドと身長差が出ると同じ男として正直面白くないし、置いて行かれるようで淋しい気持ちにもなるのだ。
「ミスター・セルウィン。話しがあるの。少し付き合ってもらえない?」
グリフィンドールカラーの女生徒がシドに声を掛けてきた。
これは2月のバレンタインぐらいから見慣れた光景だった。
シドは学年寮問わず女の子に人気があり、バレンタインは彼の元に沢山のカードが届いた。
最近では彼に交際を申し込んでくる女生徒も珍しくなくなった。
シドは中身は魔法薬学や闇の魔術馬鹿だが、見かけは文句のつけようのない気品に溢れた名家生まれの美形だ。
そして基本的に弱い者や困っている者がいたら面倒だと言いながら手を貸す。
スリザリンだが優しい人物なのだと女生徒達に認識されている。
関心のない相手には一切関心を示さず無視したりもするが、その性格は女生徒にとってシドを嫌う要因にはならないらしい。
『自分の魅力でシドを振り向かせて、興味を持たせれば問題ないって考えるのが女の子なのよ』なのだとリリーが言っていた。
シドは面倒そうに「わかった」と返事をする。
以前、こうやって話しがあると声をかけてきた女生徒に「興味ない。他あたって」と冷たくあしらってボロボロと泣かれた経験から、シドはこの手の話しだけは無下にしないで聞くようになった。
シドはうるさく泣きわめく子供は嫌いだが、悲しそうに泣く相手は苦手らしい。
「セブルス、すぐ戻るから席とっておいて」
「………ああ、わかった」
年上好みな為に断るのはわかっているが、これから告白してくる女子の前ですぐ戻るはないだろうと、シドの無神経な言葉にため息をつきたくなった。
「今週何人目?」
大広間へ行こうとすると、背後からリリーに抱きつかれた。
「り、リリー!」
顔に熱が一気に溜まるのがわかる。
シドに「君はリリーに対してもう少し免疫を持つべきだ」とまったくもって余計なお世話を言われたことを思い出す。
出来るものならとっくにしていると怒鳴ってやりたかったが、羞恥心が勝ってできなかった。
「抱きつかないでくれ」
背中の温もりが心臓に悪いから。
「あら、失礼しちゃうわね。重いとでも言う気?」
「違う。誰もそんなこと言ってない。その、突然抱きつかれるとびっくりする」
ちょっと怒ったような顔をするリリーも可愛らしかった。おかげで胸がバクバクとうるさくてたまらない。
「シドに告白する子、今週で何人目?」
「僕が知ってる限りで二人目だ」
「もててるわね」
「本人は迷惑してるみたいだ」
何度もあきらめずに告白しているスリザリンの女生徒もいて、シドは心底面倒がっている。
そのあきらめの悪い女生徒の顔が脳裏をかすめ、隣のリリーを見る。
「変なことを聞くが、シドを好きな女生徒に絡まれたりしていないか?」
シドに何度も交際を申し込んでいるのはスリザリンのジェーン・シェルウォークだ。
彼女はシドと一緒にいるリリーを睨み付けたり、シドのいない時にスリザリンの談話室で他の女生徒とリリーの悪口を言っていたりするので、リリー本人に何かしないとも限らなかった。
「あ~」
セブルスが問いかけると、リリーは罰が悪そうな表情をした。
「あまり人に言いたいことじゃないけど一度あったわ」
予想通りリリーはスリザリンの一年生の女生徒数人に無理矢理空き教室に連行されたことがあったと言う。
女生徒達の中心となった人物の容姿を聞けば、間違いなくシェルウォークだった。
いつの間にか自分を取り込もうとするのをあきらめたと思ったら、今度はリリーが標的にされていた。
気づかなかった自分の迂闊さを呪いたくなった。
「大丈夫だったのか」
「平気よ。シドが助けてくれたから」
「シドが?」
「ええ。彼、いつの間にか愛好会の上層部と取引していたみたい」
記憶から抹消していたかった愛好会の話題を出されセブルスは渋面する。
早くリリーがその特殊な趣味に飽きて欲しいと心から願わずにはいられなかった。
「取引?」
「そうよ。わたしも助けてもらったあとにグリフィンドールの代表に聞いたの。
シドはハーティ様に手紙を届けたり、ハーティ様の新作購入の仲買するかわりに、わたしやセブを守るために協力して欲しいと言ったらしいの」
「僕達を守る? どういうことだ?」
新作購入の仲買など気になる話題もあったが、今は聞かなかったことにする。
「シドは名門の生まれですごい美形だもの、シド本人の意思に関係なく騒ぐ人達がいるの。
他のスリザリン生や女生徒の反応を見て、一緒にいるセブやわたしに彼らがなにかするんじゃないかと心配してたらしいわ。
それでわたし達に変なことがあったら………わたしが女生徒達に連れていかれたようにね、すぐにシドに連絡が行くようにわたし以外の愛好会のメンバーに指示が出てたの。
愛好会のメンバーは寮学年問わずだから、なにかあったら必ず誰かが目撃してるはずだって」
「そんな話しはシドから聞いてない」
「そうね。わたしも代表に聞いてびっくりしたもの」
シドの目論見は結果を出している。現にリリーは助けられていたし、リリーに言う気はないが、シドに近づきたがっているスリザリン生にリリーと同じようにセブルスも空き教室に連行されたことがあった。
その時もすぐにシドが来た。
図書室にいるはずのシドがどうやって知ったのかと不思議に思っていたが、やっとその謎がとけた。
セブルスにシドに近づくなと他のスリザリン生十名ほどと徒党を組んでに言ってきたのは、以前に談話室でセブルスが混血だと暴露した少年だった。
少年はシドに気に入られたいと必死になって「混血は君には相応しくない」「家柄にあった友人を持つべきだ」「なぜ君ほどの者がグリフィンドールの穢れた血と話したりするのか理解できない」見苦しく言っていたが、シドに「君に僕の友人関係に口を出される筋合いはない」と嫌悪感を露わに睨まれ怯んだ様子を見せた。
その上、「ところで君は一体誰?」とトドメとしか思えない一言を言い放ち、呆然とする少年に「二度と僕やセブルスに近づくな」と冷たく言い捨てたのだった。
シドは名門の子息で独特の雰囲気があり、奇人変人と称されながらも我が道を行く姿は名家名門の厳しい上下関係に生きる地位の低い家の少年達には一種の憧憬の対象になっていることを、セブルスは彼らのシドを称える言葉から推測できていた。
そんな少年達を侮蔑の眼差しで冷たく言い捨てたシドに、その時は自分の魅力をまったくわかっていないのだと思っていたが、彼は彼なりに自分の存在が周囲の人間にどのような影響を与えるか理解していたようだ。
しかし、必ず誰かが目撃しているはずだと断言するあたり、例の愛好会のメンバーの総人数が気になるところだった。
シドは知っているのだろうか。
これから女生徒を見るたびに特殊な趣味の相手かも知れないと考えてしまいそうで怖かった。
「シドがなにをしたのかわからないけど、それからスリザリンの子に絡まれことはなくなったわ」
「でもなにかあったら僕にも言ってくれ。リリーが傷つけられるのは許せない。僕も君を守りたい」
「ありがとう。セブ。愛好会の友達ができるだけ一緒にいて守ってくれてるから大丈夫なの」
「そ、そうか」
精一杯の勇気を出して告げた言葉は、彼女の趣味仲間という強敵の前に撃沈してしまった。
大広間でリリーと別れ、スリザリンのテーブルの開いてる席に腰を下ろすと、有言実行とばかりにシドがすぐに戻ってきた。
昼食を摂ったあとに午後の授業教室に移動しながら、さきほどリリーから聞いた話を問い質してみると、「馬鹿が多いから対策をとらせてもらったんだよ。僕のせいでセブルス達が怪我でもしたら、僕は相手を殺しかねないし」と背筋が寒くなる恐ろしい発言をした。
穏やかな笑顔で語っているが、笑っていない瞳が冗談だと思わせなかった。
「身内や懐に入れた友人にはとことん甘くなって守りたいのがセルウィン流なんだ。危険があるならどんな手段を用いてでも守り抜く。まして大切な人が危険になる原因が自分だった場合、責任をもって危険を排除しないとね」
彼の一族は身内を守るためなら、周囲にどんな被害が出ようとも気にしない者ばかりだと、以前にシドから説明を受けたことを思い出す。
闇祓いを引退に追いやる怪我をさせておきながら、困った行動をとる身内だと説明していた時点で、シドが間違いなくその一族の血筋の者だと話しを聞いた時に気づくべきだった。
シドにとって、自分やリリーは懐に入れた大切な友人だ。その友人が己のせいで狙われ傷つけられたかもしれない事実に、彼は静かに怒り狂っていたらしい。
例のあの少年はセブルスに一切近づかなくなったどころか、目が合うだけで真っ青になって逃げていくようになった。
怯えを宿した反応が冷たく侮蔑の言葉を投げつけられたからではないのは一目瞭然だった。
一体なにをしたのかとシドに聞きたいが、理性が知らない方が幸せだと全力でストップをかけてくる。
「僕のせいで嫌な目にあわせてしまってごめん。本音を言えば、面倒な奴の友達になったと思われて、セブルスやリリーに嫌われるのが怖くて言えなかった」
「………………」
セブルスは自分の目を疑った。どうもシドにプルプル震えている伏せた犬の耳が見える気がしてならない。
捨てられた子犬の縋るような目で見るなと心の中で密かにパニックを起こしていた。
大人びていて自信に溢れた普段のシドからは想像もつかない姿だが、彼がこんな臆病な発言をするほど自分達を必要としてくれていると思うと純粋に嬉しかった。
「僕はシドと友人になったのを後悔したことはないぞ」
「本当?」
「シドが変人で面倒な奴なのは今さらだ」
きっぱりと言い切ればシドは心の底から嬉しそうな笑顔を見せ、その笑顔に周囲の生徒達が悲鳴をあげた。
「なに?」
突然の悲鳴にシドが身構える。
杖を咄嗟に出すあたり、彼が己の身を守るために周囲に警戒を怠らない生活を送っていた事実が伺えた。
「杖をしまえ。今のはシドのせいだ」
「僕がなにかした?」
「………シドの笑顔は破壊力がある」
「僕ぐらいの顔でなぜそうなるのかわからない。見た瞬間に失神させるわけでも、跪いて愛を請わせるわけでも、あなたの為なら死ねると死の呪文を使わせるわけでもないのに」
「シドじゃなければ嫌味だな。それとなんだその例えは?」
「お祖母様の最近の実例だよ」
「おまえの祖母は一体いくつだ?」
混血と言えどもヴィーラの持つ魅力はとんでもないらしい。
「六十代半ばぐらい。でもお祖母様は外見年齢は母上と変わらない魔物だから」
ため息がちにシドは言うが、セブルスはセルウィン家を奇人変人と呼ぶのが正しい気がしてならなくなってきた。
ふと視界の先に見覚えのあるスリザリン生がいた。例の少年だ。彼は声にならない悲鳴をあげて、取り巻き達と一緒に青い顔をして逃げていった。
同じ学年同じ寮でありながら、彼らは極力シドと自分の視界に入らないように逃げ回っているようだ。
「あいつらになにをした?」
総動員でストップをかけてきた理性を押しのけて、セブルスは疑問を口にする。
「別に大したことしていないよ」
「おまえの基準は一般に当てはまらないぞ」
「ひどいな」
それ以上は言う気はないらしい。見惚れるほど綺麗な笑顔で誤魔化された。
そんなシドを見ていると、胸に苦みを帯びた重苦しい感情がじわじわと湧き上がってくるのがわかった。
次の授業の教室に向かっていた足は止まってしまった。
「セブルス?」と不思議そうにシドも立ち止まる。
シドとの実力の差はまるで大人と子供のように大きくて羨む気にもなれず、シドには憧れしか抱けない。
まして、闇祓いとの実戦訓練の傷跡を見れば、彼が才能にかまけず努力しているのも知っているので、余計に愚かな妬みの気持ちなど持てなかった。
「僕は守らなくていい」
彼が自分達を大切にしてくれて、手段を選ばずに守ろうとしているのはわかっていても、自分は男であって、シドが原因だからとただ守れているのはプライドが許さなかった。
「君は男の自分が守られっぱなしなんて情けないと思ってるのかい?」
「……………」
沈黙は肯定を意味する。
いつの間にか周囲に生徒の姿はなく、窓のない薄暗い通路は静まりシンとしている。
すでに午後の授業がはじまっていた。
ふとこちらに向かってくる靴音が響いてきて、授業に出ていないことを教授達に見つかったら減点だと焦ったセブルスの腕をシドが引いた。
そのまま空き教室へと逃げ込み、教室に入るなりシドが杖を振る。
何度が聞いた記憶のある呪文は外部との音を絶つ遮音の魔法だった。
「僕は大切な友人であるセブルスを守りたい。これはセルウィンの血肉に刻まれた本能みたいな物だから絶対に譲れないんだ。あきらめて守られて」
シドは見る者を安心させるような穏やかな笑みを浮かべた。
その笑みが自分やリリーにしか向けられないと知ったのは入学してしばらくしてからだった。
今ならこれがシドが大切な相手に向ける表情なのだとわかる。
「でも同じ男としてセブルスの気持ちもわかる。セブルス、僕が君に身を守る魔法を教えたいと言ったら、君はそれを受け入れてくれる?」
突然の申し出に驚いた。そしてシドの行き届き過ぎた心遣いに泣きたい気持ちになってきた。
一方的に守られるのが嫌なセブルスのプライドをシドはしっかりと察してくれたのだ。
「当たり前だ」
目頭が熱くなり鼻の奥がツンとなる。
声が情けなく震えて、シドに見られないように顔を背けた。
相手に対して失礼な態度だがシドが怒ることはなく、ニヤニヤとした笑みを浮かべているのに腹が立った。
シドは照れると素っ気ない態度を取ってしまう自分の癖を一目で見抜いた人物だった。
だから今自分が照れていることに気づいていてシドは面白がっているのだ。
「ニヤニヤ笑うな!」
文句を言えば、「セブルスのデレが強力だから無理」と謎の返事をした。
意味がわからなかったので質問したが、なぜかシドは教えてくれなかった。
どこまでも優しいシドの存在が自分の中に浸透していくのがわかる。
自分を理解してくれる人物と出会い、友人になれたのは奇跡に等しいと心からそう思えた。
きっとシドと出会わなければ、学生生活がこんなにも優しい幸せに満ちていることもなかったはずだと断言できた。