ホグワーツのクリスマス



 クリスマス休暇に入るとスリザリン寮の生徒はほぼ帰省する。
 名門名家の人間は無駄に沢山のクリスマスパーティーをするため忙しくなるのだと、名門の一族の友人は興味なさそうに教えてくれた。
 彼の家では一族の人間が集まってクリスマスを祝うが、他家のパーティーに出席は一切しないようだ。
 曰く「面倒だから」。奇人変人と名高い一族なだけに、セブルスはシドの言葉が嘘か本当か理解できずに困惑していると、「名門名家の集まるパーティーは結婚相手を見つけるお見合いなんだよ」と説明してくれた。
 家柄血筋や容姿などを見て、子供の結婚相手に相応しい相手を親が吟味するのだ。
 自由恋愛主義を強く推奨実践しているセルウィン家が、そんな裏事情のあるパーティーなど馬鹿らしくて出席するわけがないとシドは告げ、ホグワーツのロマンスを知ったセブルスも納得して頷いた。
 シドは親戚の小さな子供達の遊び相手をしなければならないことに、休暇前から肩を落としていた。
 うるさい子供が嫌いなシドにとっては拷問のような日々だろうと同情した。
 それに加えてシドの姉も外国から帰省する予定で、例の愛好会を作り出したシドの姉に少しだけ興味を覚えたが、「年の離れた弟なんて姉様にしたらおもちゃだよ」と恐ろしく憔悴した表情でシドが言ったので、彼の姉のことは一切聞けなかった。
 考えるだけでこれだけ憔悴するなら、実際に会ったらどうなるのかと考え、気がついたら必死になって母から教わった疲労回復の魔法薬を作っていた。
 出来上がった魔法薬はクリスマスプレゼントとして贈った。
 セブルスは家に帰らなかった。母が学校に残るように手紙を送ってきたのだ。
 酒を飲んでは暴力を振るう父親が、最近再び職を失って機嫌が悪いようだ。
 父親は魔法が嫌いで、母が魔法を使うことを嫌がるし、彼女がセブルスに魔法薬の調合を教えただけで怒鳴って殴るほどだった。
 セブルスが魔法学校に通うことも当初は反対したが、母親の説得と不気味な力を使う子供が遠くに行くと考えを変え、ホグワーツの入学を認めた。
 セブルスは父親が嫌いだったし、母は優しく確かに自分を愛してくれているが、暴力を振るう父親と別れようとせず彼の愛を得ようとするセブルスには理解できない人物でもあった。
 殴られに帰るのも馬鹿らしいのでセブルスはホグワーツに残った。
 スリザリンの生徒はセブルスの他には上級生が数人しか残っていなかった。他の寮の生徒も何人か残っている。
 シドやリリーがいない事実に少し淋しい気持ちになった。
 部屋に一人きりのクリスマスの朝は驚きではじまった。セブルス宛のプレゼントが沢山届いていたのだ。
 リリーからはクッキーとチョコレートの詰め合わせで、それはリリーが好きなお店の商品だとすぐにわかった。
 リリーが好きなものを自分に贈ってくれたことが嬉しかった。
 例のシャンプーと同じ香りのサシェが気に入ってもらえたかとても気になるところだ。
 ちなみにサシェの作り方はシドが教えてくれたが、セブルスの中であの友人の物作りの方向性が更に理解できなくなったりもした。
 シドから魔法薬の調合用のナイフが贈られてきた。それは彼が使っているナイフと同じ工房の物だった。
 自分がシドの調合用ナイフの使い心地の良さに驚き、そして気に入っていたことをシドは気づいていたようだ。
 母親からは手作りのクッキーが届いた。
 シド同様に友人関係が狭いセブルスには、あとのプレゼントが誰からの物かわからなかった。
 プレゼント自体は嬉しいのだが、見知らぬ人間からの贈り物は不気味だ。
 「メアリー・オーレン………エディト・ボーモント」
 ふと見覚えのある名前が書かれたカードを見つけた。
 この二人はリリーの同室の生徒だ。リリーと特殊な趣味でとても気が合い、不思議とスリザリンの生徒である自分に対して好意的に接してくる女生徒達だ。
 何度か言葉を交わして程度だが、ポッター達のような敵意は一切なく、初対面で握手を求めてくるほどに友好的だ。
 そんな彼女達からプレゼントが届いていて驚き、同時に彼女達にプレゼントを贈っていなくて焦った。
 他にももしかすると知り合いがいるかも知れないとプレゼントを見ていくと、ジェーン・シェルウォークからのプレゼントがあった。
 彼女はシドに好意を持っている。そのため純血主義でありながら、混血のセブルスに話しかけてきて、セブルスを自分の味方につけようとしている。
 その目論見は既にシドも理解していて、「セブルスに嫌な思いをさせてごめん」と謝罪してきた。
 例え笑顔で話しかけられても、その瞳に明らかな侮蔑が含まれていれば不愉快になって当然だった。
 『馬鹿なお子様が悪質な悪戯グッズを送りつけて来ないように念のために部屋に魔法をかけておくから』とシドはクリスマス休暇に出る前に部屋に魔法をかけていった。
 悪意のある郵便物を受取拒否する魔法だ。それはシドの実家でも使っている魔法らしいので、その効果は信頼していた。
 だとするとシェルウォークからのプレゼントは悪意はないのだろう。ただ下心はたっぷりありそうだ。
 他のプレゼントは他寮の女生徒からが多く、いくつかはイニシャルだけで送り主がわからないプレゼントもある。
 シドと宛先を間違えているんじゃないかと疑ったが、宛名は間違いなくセブルスだった。
 クリスマスカードには「可愛い黒猫ちゃんへ」「猫耳がキュートなセブルス・スネイプ君へ。次はシッポもつけてね」
 「いつも萌えをありがとう」「あなたとミスター・セルウィンを見てます」とハロウィンの羞恥を思い出すような言葉と、よくわかない言葉が綴られている物ばかりだった。
 プレゼントは羽根ペンやインク、カエルチョコにお菓子の詰め合わせ、暖かそうな手袋、なぜか可愛らしい赤のリボンに緑の石の装飾がついた髪を縛るゴムなどもあった。
 女性には肩に触れるぐらいに伸びた髪が鬱陶しく見えるのかと、不思議なプレゼントに小首を傾げる。
 とりあえずリリーと同室の二人にはクリスマスカードを贈った。
 学校に残っている者が慌てて準備できる物はそれぐらいしかなかったのだ。
 クリスマスのディナーな豪華だった。料理は美味しくて甘い物もお腹いっぱいに食べ、家に戻らなくて良かったと心の底からセブルスは思った。
 ホグワーツの食事事情に慣れてしまった今、とてもまともに食べることもできない家に帰りたいと思えなかった。
 むしろ絶対に帰宅しなければならない夏休みが今から憂鬱でたまらない。
 残りの休暇は勉強や読書をしたりして過ごした。
 休暇の終わりが近づくにつれて、徐々に生徒の姿が増えてきて、静かだったホグワーツが再びうるさくなりはじめる。
 休暇最終日に戻ってきたルームメイトを見てセブルスは息を飲んだ。
 手や首、顔に至るまで包帯にまみれて制服には血がついているのだ、驚くなという方が無理だった。
 「どうした」
 「魔法薬の調合の失敗」
 詰め寄るセブルスに何でもないことのようにシドは答える。
 「本当か?」
 シドがする魔法薬の調合は失敗すれば爆発することも珍しくない。
 寮の室内でする調合でも何度も爆発を経験している。彼がつくる強力な結界のおかげで結界の外部に被害はないが。
 「うん。心配してくれてありがとう。一週間ぐらいで治るから大丈夫だよ」
 「血がついてるぞ」
 「ああ、顔のガーゼを馬鹿なお子様に剥ぎ取られてね。少しだけ傷口が開いたんだよ」
 シドが言う馬鹿な子供は限られた人物達なのですぐに理解した。
 「あいつらは何をしたんだ?」
 ポッターの顔を思い出すだけで苛立ちを感じながらシドに問えば、シドは変質者であるポッターに追われているリリーを保護し、
その時にシド曰く「馬鹿なお子様の一つ覚え」のスリザリンだから危険発言をしてリリーを怒らせ、そしてポッターといたブラックがシドの顔のガーゼを剥ぎ取るに至ったと説明してくれた。
 「なぜ血を消さないんだ? シドなら簡単だろう」
 わざわざ血のついた服を着ている理由がわからない。
 「そうだけど………ちょっとね」
 困ったように笑ってシドはポケットからハンカチを出した。
 白地にウサギの刺繍が施された見覚えのあるハンカチは半分ほど赤黒い血に汚れていた。
 「リリーが顔についた血を拭いてくれたあとに、魔法で全部綺麗に消すわけにはいかないよ」
 それはせっかくのリリーの優しさを台無しにしてしまう行為だ。シドの判断は正しい。
 「魔法で血を消して洗って返すだけじゃあダメか。血まみれになったハンカチなんて持っていたくないだろうし………セブルス」
 血で汚れたハンカチを見ながら何か真剣に考え込んでいたシドが不意に自分の名を呼んで驚いた。
 「なんだ?」
  「今度リリーにハンカチをプレゼントしたいから選ぶの手伝ってくれない? リリーの好みはセブルスの方が良く知ってるはずだから」
 「かまわないがどうやって買う気だ? 外出はできないぞ」
 「ああ、通信販売にするよ。実家に頼めば店のカタログを送ってくれるはずだから」
 納得してセブルスは頷いた。
 「そうだ。セブルス。クリスマスプレゼントありがとう。あの魔法薬すっごく効いて助かったよ。何度も命拾いした」
 命拾いと表現するほど消耗する子守と実の姉との対峙がセブルスには想像できなかったが、告げるシドがどこまでも真剣だったので、冗談ではないことだけは理解できた。
 「そうか。役に立ったなら作った甲斐があるな。シドもすばらしい調合用ナイフをありがとう。大切に使わせてもらう」
 「気に入ってもらえた?」
 「ああ、試しに使ってみたが切れ味がとてもよかった」
 「よかった」
 シドはホッとしたように柔らかい笑みを浮かべた。
 「もしかして僕が気に入らないと心配していたのか?」
 「友達にクリスマスプレゼントを贈るなんて初体験だったからね」
 セブルスの好きな物は魔法薬学と闇の魔術、あと紅茶とチョコチップクッキーとリリーしかわからないしと、シドは指折り数えながら述べる。
 それだけ知っていれば十分だったし、好きだと言った覚えもないのに、なぜ菓子の中でチョコチップクッキーが一番好きだとシドが知っているのか謎だった。
 もしかして無意識のうちにチョコチップクッキーばかり食べていたのだろうか。
 そんな考えに没頭している間にシドは荷物を片付け、椅子に座って一息ついていた。
 鬱陶しげに前髪を掻き上げる指先も白い包帯が巻かれており、その姿がひどく痛々しく見える。
 シドが不意に勢いよくこちらをみた。好奇心いっぱいのまるで難解な魔法薬学書を前にしたようなキラキラとした漆黒の瞳に少しだけ逃げ腰になった。
 「な、なんだ?」
 「クリスマスプレゼントにくれた魔法薬の調合方法を教えてほしい」
 「ダメだ。あれは母の家に伝わる魔法薬で調合方法は一族の人間以外に教えることは禁じられているんだ」
 「やっぱりか」
 シドはがっくりと肩を落とした。
 「上質な魔法薬だし、それらしい本も読んだ記憶がなかったから、一族門外不出の秘薬だと思ったけど大当たりか。わかったよ。自力であれに近い物を作ってみる」
 「僕は一切口を出さないぞ」
 「もちろん。自分の力で作るのが楽しいからね」
 シドはどこまでも魔法薬学馬鹿だったが、「そんな貴重を魔法薬を僕に贈って良かったの?」と心配もされた。
 「シドが家に帰る前から疲れてたから、実際に家に戻ったら倒れてるんじゃないかと思った」と心配していたことを言えば、
「ありがとう」とリリーのような輝く笑顔で返された。
 夕食でシドは目立った。それでさえ人目を引く容姿の人物が包帯まみれになっているのだ、注目度はいつもの比でないが、外見が多少なりとも変わっても中身は一緒な為に、他人に興味のないシドは無視している。
 顔のガーゼのせいで不機嫌そうな顔にも見えるせいか、勇気を持って話しかけてくる強者もいなかった。
 「きゃんきゃんとうるさい子犬が吠えて来そうだ。寮に戻ろうか」
 シドがちらりと視線を向けた先はグリフィンドールの席だ。
 こちらを睨み付けているポッター達が目に入る。シドが席を立つと彼らも席を立ったが、赤髪の背の高いグリフィンドール生がその行く手を遮った。そして口論がはじまった。
 「コンパートメントで見たグリフィンドールの監督生だ。眼鏡達は彼に目をつけられたようだ」
 「すでにあいつらは問題児だ。監督生が監視をはじめるには遅すぎると思うぞ」
 「監督生も暇じゃないから、馬鹿なお子様の監視なんて好き好んでやろうとは思わないよ。今回は流血沙汰になったからあの監督生も楽観視できないんだ」
 野次馬が噂を広めたようで、なぜかシドの包帯の怪我はすべてブラックのせいになっていると、女生徒のうわさ話を拾い聞いて知り、それを聞いたシドは「こういう時に日頃の行いが物を言うね」と面白そうに言った。
 「シャワーを使うのか?」
 「そうだけど、セブルスが先に使うならどうぞ」
 夜になりバスルームに向かうシドにセブルスは声をかける。
 「シドが先でかまわないが………その体でシャワーを浴びて大丈夫なのか?」
 手にも首にも包帯が巻いてある。魔法薬の実験の失敗ならまず皮膚に何かしらの問題が起きているはずだ。
 「それほどひどくないから平気だよ」
 心配しないでと微笑んでシドはバスルームへ消えていく。
 着替えと一緒に持っていた大量の薬の瓶とケース、包帯の存在がとても平気だとは思えなかった。
 そしてふと気づく。シドは利き腕にも包帯をしていた。あれでは薬も塗れないし、包帯をうまく巻くこともできないだろう。
 ホグワーツに戻る前は治療はきっと家の者にやってもらっていたはずだ。
 そう考えるとそわそわして居ても立ってもいられなくなり、足は急くようにバスルームに向かっていた。
 「シド! 利き腕の包帯ぐらいなら僕がや」
 ドアを開いて述べた言葉は途切れた。
 手や首の露出部分だけだと思っていた傷は上半身にも達していた。
 白い肌にいくつもの大きな青痣があった。
 肩や腕を舐めるように走る切り傷。他にもまだ湿布で隠れた箇所があり、恐らくそこにも痣が隠れている。
 明らかに魔法薬の実験の失敗ではなかった。
 どんな実験の失敗をすれば、こんな全身が痣だらけになるのか。
 驚いた顔でこちらを見ていたシドは苦く笑って見せた。
 「ノックを忘れないで欲しいな」
 「そんなものはどうでもいい!」
 「プライバシーと羞恥心は大切だと思うけど」
  「ごまかすな、馬鹿者! なんだその傷は! 魔法薬の実験じゃないだろう!」
 火傷の炎症はどこにもない。痣と切り傷ばかりだ。
 「同室のセブルスにはばれると思ったけど初日にばれるとは思わなかった」
 怒鳴りつけるセブルスに対してシドは困ったような顔をした。
 「誰にやられた? 暴力を振るう奴が家にいるのか?」
 シドの傷だらけの姿に怒りが湧き上がってきた。これは虐待だ。父親が自分を殴るような理不尽な暴力だ。許せるわけがない。
 「あ~、セブルス、心配してくれてありがとう。僕の為にセブルスが怒ってくれるのは嬉しいよ。でも少し落ち着いて欲しい。僕は誰にも暴力は振るわれていない」
 「この傷を見て暴力じゃないだなんて信じられるか!」
 「うん。まあ、一般から見たらそう見えるけど違うんだ」
 落ち着いて、深呼吸してとシドは切り傷のたくさんついた手でセブルスの肩を掴んだ。
 すでにかさぶたになった傷だが、手を振り払うとシドの苦痛になりそうなので、言われるままに深呼吸をする。
 「なにが違うんだ?」
 幾度目かの深呼吸を終えて、しっかりと落ち着いたのち、再び目の前のシドに問いかける。
 「これは暴力じゃなくて訓練のせいだよ」
  「訓練?」
 シドはひとつ頷いて説明した。
  セルウィン家は強い魔力を持つ闇払いを多く輩出するせいで、対闇の陣営の一族と呼ばれてる。
 それは名家図鑑に載るほど一般的には有名だ。その為闇の陣営はセルウィンに強い敵意と関心を持っているのだとシドは述べ、その内容にセブルスは驚く。
 敵意はともかく関心はなぜなのか。その疑問は続けられたシドの説明で納得できた。
 闇の陣営の者達はセルウィンの一族の人間を亡き者にしようと狙い、または攫って服従の呪文により仲間に引き込もうと企む。
 強い魔力を持つセルウィン家は敵であれば厄介だが、味方にしてしまえば心強いと考えたのだ。
 「実際、セルウィン家の子供が闇の陣営に誘拐されるのは珍しくない」
 「休暇中に誘拐されたのか?」
 そのせいで全身に傷を負うことになったのか。
 「違うよ。落ち着いて最後まで聞いて」
 苦笑いをしながらシドは言う。
 「セルウィン家は名門では異常なほど閉鎖的な一族でね、他人に興味ないぶん身内はとても大切にする」
 シドを見ていると非常に納得できた。身内と友人の違いはあるが、自分やリリーへの態度とその他の者への態度を比べると、彼の行動はまさしくセルウィンなのだろう。
 「どんなに強い魔法使いでも家族や子供を人質に取られたら見捨てることができない。 身内に甘いセルウィン家は特にね。なにを犠牲にしてでも身内を助けだそうとする。
 基本、一族以外はどうでも良い人達ばかりだから、他人がどうなろうと気にしない困った行動を取る」
 「………は?」
 「怒り狂って大暴走して暴れるんだ。怒りに我を忘れても人質に怪我させないあたり、さすが身内に甘いセルウィン家の者だと尊敬に値するけど、魔法省がでしゃばって派遣してくる闇払いまで見境無く倒すのが問題なんだ。
 今のところ死人だけは出してないらしいけど、うっかり引退に追い込んだ闇払いは両手の指じゃあ足りないらしい」
 どこか遠くを見てシドは告げるが、セブルスはとんでもない内容に混乱して話しについていけなくなっていた。
 「すべてがそう行けば問題ないけど、やっぱりセルウィンの魔法使いでも対処しきれないことがある。大切な子供を守るために闇の陣営に服従の呪文の餌食になった者も過去には存在する。
 身内に甘いだけに一族の者が敵になられると本当に面倒なことになる」

 ひたりとこちらを見据える深い漆黒の双眸に視線を絡め取られ、ぞくりと肌が粟立つような感覚が体を駆け抜けた。

 一瞬の不思議な感覚に戸惑っている間にも、シドは話を続けていくので、慌てて意識をシドの話に向けた。

 「だからセルウィン家の子供は自分の身を自分で守れるよう幼い頃から鍛えられるんだ。
 子供を弱点にしないために。例え誘拐されたとしても、抗う術を持つために。
 大切な一族を傷つける服従の呪文に屈することのないようにね」
 言いながらシドは己の腕の裂傷を見て深く息を吐く。
 「まあ、実戦訓練が乗ってくると本気になって手加減を忘れる困った大人がいるのが問題だけど」
 「………その傷が」
 「そう。現役闇払いの親戚が訓練をつけてくれた。ホグワーツは安全だと言われてるけど、それは外部からの侵入に対してだ。内部にすでに敵がいた場合意味がない」
 シドの言葉の意味はすぐに理解できた。
 純血主義者が集うスリザリン寮は純血主義を謳う闇の帝王に肯定的な者が多くいる。
  ましてスリザリン生は親がスリザリン生であった者も少なくないはずだ。
 親が闇の陣営の死喰い人である可能性は否定できず、さらに子供が死喰い人である可能性も否定できない。
 「シドを狙う者がいるのか?」
 「いないとは言い切れないけど大丈夫だよ。心配しないで。少なくとも現役闇払いと実戦訓練をしたことのない相手に負ける気はしないから」
 「そんな訓練をしてるのはシドしかいないと思うぞ」
 「僕もそうお」
 不自然に言葉を途切れさせたシドはくしゃみをした。
 「このままだと風邪をひくね」
 真冬の決して温かいとは言えないバスルームで上半身裸でシドが話をしていたことに今さらながら気づいた。
 「すまない」
 「いいよ。あとで利き腕と背中に薬塗ってくれればね」
 背中を追いかけてきたシドの言葉が不思議なほど嬉しく思えた。

 シドが調合したエメラルドグリーン色の軟膏を背中の痣に塗っていく。
 シドはわずかに体を捩ったので、傷に強く触れてしまったのかとセブルスは焦った。
 「痛かったか?」
 「違うよ。ごめん。シャワーの後だと薬が冷たくて」
 「そうか」
 シドの背中には打撲で変色している部分は沢山あり、なかには血が滲んでいる痣もある。
 背中を自分に任せたので、シドは手や腕の裂傷に薬を塗っていた。
 「この怪我はどれぐらいで治るんだ?」
 「一週間ぐらいだよ。背中の薬を塗るの明日も頼める?」
 「当たり前のことを聞くな」
 素っ気なく言い捨てて、利き腕の傷を消毒して薬を塗り包帯を巻いた。
 一連の作業を終えて顔をあげると、にこにこした笑顔を浮かべたシドと目が合った。
 「なんだ?」
 「セブルスはやっぱり優しいなと思って」
 「僕を優しいと言うのはリリーとシドぐらいだぞ」
 自分は口数は少なく、リリーのように明るくも元気でもない。
 少し前まではリリー以外の他人と関わるのが嫌だったし、ホグワーツに入学前は近所の子供達に根暗や陰気だと散々悪口を言われていた。
 決して人に褒められる性格ではないはずだ。
 「僕とリリーはセブルスを正しく理解してるからだよ」
 こればかりは譲れないと自信満々に言うシドを見ると否定する気も消え失せた。
 リリーやシドが本気で自分を優しい人間だと思っている事実が気恥ずかしくて、シドから顔を反らす。
 「……………勝手に言っていろ」
 それだけ言い捨てて薬のケースを片付けていく。今は熱が溜まっている顔をシドに見られるのが恥ずかしかった。
 そんな自分を見て『久しぶりのツンデレセブルスも可愛いな』と心の中で悶えているシドにセブルスは気づいていなかった。
 魔法薬や包帯を片付けると、シドがお礼にと紅茶を淹れた。
 美味しい紅茶を飲みながら、ふと疑問に思ったことを口にする。
 「セルウィン家の内部事情を僕に話して良かったのか?」
 強い魔力を持つ名家ゆえの異常な子供の教育方針。シドが年齢不相応なまでに多種多様な魔法を使える理由だ。
 さきほどは色々な驚きのあまり聞き流してしまったが、良く考えれば子供が服従の呪文を跳ね返す修行など明らかに尋常ではない。
 優雅に紅茶を飲んでいるシドを見る。
 シドを疑う気はないが、話が事実なら目の前の友人は服従の呪文を跳ね返せることになるのだ。
 「一部では有名だから問題ないよ」
 「一部?」
 「闇の魔法使いや死喰い人。セルウィンの子供がただの力ない子供じゃないことを、身をもって体験している連中は、セルウィンの子供が特別な訓練を受けていると否応なく気づいてると思う」
 「…………………そうか」
 言葉の裏にとても深い意味がある気がした。
 なにを身をもって体験して否応なく気づかされるのか、怖くて聞くことができない。
 嫌な汗がじっとりと背中に滲むのがわかった。
 「セブルスに教えたのはきちんと説明しないと納得してくれなさそうだったし、僕の為に本気で怒ってくれた君に嘘をつきたくなかった。
 それにセブルスが他人に言いふらしたりもしないと信じてるからだ」
 軽い言葉などでない絶対的な信頼を向けられてセブルスは再び顔の熱が溜まるのがわかった。
 シドが自分に向ける信頼が嬉しい。
 だがそれと同じぐらいに強い照れに襲われる。
 今までこんな言葉を誰かに向けられた経験がないからだ。
 「あ、当たり前だ。シドが困ることを僕が人に言うもんか」
 「うん。わかってる。だからセブルスに話した」
 母親でもここまで明確な信頼の言葉は言ってくれなかった。
 誠実に接してもらえることが、信頼してもらえることが涙が出そうなほど嬉しかった。
 「シャワーを浴びてくる!」
 情けない泣き顔を見られたくなくてバスルームに逃げ込んだ。
 色々な気持ちがごちゃごちゃに心の中で暴れ回っていた。
 乱暴に服を脱ぎ捨て、頭から熱いシャワーを浴びる。
 「なにをしてるんだ、僕は」
 突然泣き出して、バスルームに逃げ込んで。きっとシドが変に思ったはずなのに。
 湯気で曇った鏡を濡れた手で拭う。
 そこに写った自分は泣きながら笑っていて、嬉し泣きがこの世に本当に存在するのだと身をもって知った。





1/1ページ
スキ