6話 消化不良のもどかしさ
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トビが2回目の逆トリップを迎えてから、約1週間が経った。
高熱は数日のうちに治ったようで、来て3日後くらいにはあの太々しい覇気のある彼に戻っていた。いや、熱があっても覇気は十分だったけど。
それにしても──今回もまた熱があったということは、この世界に来ることそのものが負担をかけている、のだろうか。
一度ならともかく、二度も逆トリップをする直前に高熱を出すなんて偶然はないだろうし。そこら辺の詳細は聞けていないから、真偽はわからなかったが。
そして、未だに帰る方法──いざ帰ろうとした時印を組んでしていたし、術か何かを使うのだろうか──は見つからず、前回のように度々外で調査しているようだった。
ようだ、というのは平日は私が登校しているため、夕方以降しか動向がわからないからだった。
もちろん、私が家にいる時は、前と同じように外での調査は同席させてもらっている。
とはいえ──非常に不本意ではあるが、流石に私がいない時に外に出るなとは言えなかった。拘束時間が長すぎるし、そんな約束をしたところで守ってくれるわけがない。
だから私は、外に出ることは前提にして、彼に条件をつけることを頼んだ。
「もし誰かに見られそうになったら身を隠す、見られてしまったら幻術で記憶を奪う。暴力は振るわない」
そういうお願いを必死にして、(形式的なものでしかないが)彼の了承は得た。
でもまあ、彼からしても無闇に火種を増やすことは悪手でしかないだろうし。余程のことがなければ守ってくれる筈だ。
しかし、どうして一回帰ることができたのに、今は帰れなくなったのだろう。
気にはなるものの、聞いたところで高熱についてと同じように教えてくれるわけがないため、何も聞かずにいた。
そんな感じの少しだけ悶々とした日々を、私は送っていた。
しかし今日の私はわりかし、いやかなりテンションが高かった。
「ふんふふんふふーん」
ああ、今日はなんて素晴らしい日だろう。
窓から差し込む陽光は眩しいが、なんだか身体から毒素が抜けていくような心地がして気分がいい。
それに今日はかなり暖かい。室温計も22℃を示している。暖房器具も使ってないのにこんな過ごしやすいなんてマジで最高。
気分上々ハイテンション。さっき兄さんに「その歳で天気と気温でそこまでお気楽になれるのは凄いよ」と皮肉を言われたくらい。
誰でもわかるほど露骨に上機嫌な状態で、私は料理を作っていた。
今日は兄さん(あとついでにトビ)しか家にいないため、折角だから久しぶりに手の込んだ料理を作ろうと思い立ったのだ。ここのところストレスの素が山のようにあったし(主にトビとかテスト関係とか)リフレッシュにちょうど良かった。
「もぉーいーくつ寝ーるとー、受ー験生ぇー」
深めの中華鍋で炒めている玉ねぎは食欲をそそる飴色になっていく。
そろそろかと予め炒っておいたカレー粉を鍋に入れ、キツネ色の焼き色がついた鶏肉、湯剥きして荒く刻んだトマト、スープを順に鍋にぶち込んだ。
「受験生にーなったならー。テスト三昧で苦しいぞー。こーないでくーだーさーい、受験期はー」
「止めてくれ、その歌はオレに効く」
「嫌でーす。……って兄さんか。どしたの?」
「いや、腹減ったから何か食おうと。……それ、オレの分もあるよね?」
期待に溢れた声に鼻で笑い返す。
働かざるもの食うべからずという言葉を知らないのか。
「冷蔵庫の中のガラスの器に入ってるヨーグルトとって。あとお皿」
へいへい、と生返事を返して動き出す兄さん。私はルーが焦げないよう念入りにかき混ぜていく。
適当にヨーグルトやらチャツネやら加えて、そこそこ本格的なインドカレーの出来上がり、というわけだ。
ナンとかカレーに合うお米までは家にないから普通の白ご飯になるけど。
兄さんはいただきますを言ってから、即座にせっせとかき込み、ルーの熱さにもがき、またかき込むというループに突入した。
普通に食べなよと笑ってしまうも、ふと自分のカレーと鍋に残っているカレールーを見比べてみる。
2人で食べるには多すぎる。明日の分を取っておくとしても、まだ余りあるくらいだ。それなら……
もう一皿を棚から取り出し、器にご飯を盛ってからルーをかける。成人男性なら簡単に食べきれるくらいの量のはずだ。
二皿を落とさないように用心しながらテーブルに運ぶ。一つは私の席に置いておいて、もう一つはトレーに乗せる。
「えっ、そんな食うの? また太るぞ」
ドン引きするかのような声音の兄さんを思いっきり睨みつける。
よりにもよって思春期女子にそういうこというか普通。本当、デリカシーのない奴だ。
「違うに決まってんでしょ。1人でこんなに食うわけないし、食うにしてもお皿2つも使わないよ、洗うの面倒だし」
「じゃあなんでだよ?」
「……トビに、くれてやろうかなと」
その一言を耳にした途端、兄さんはカレーを食べる手を止めてゲンナリした顔になり、かちゃりとスプーンを置いた。
「お前、まだあいつにそんなことしてんの? なんで?」
そんなこと。
兄さんのそのセリフが何を示しているのかは、私自身がよくわかっていた。
この1週間、礼を言うきっかけを掴めずただ二の足を踏んでいたわけではない。
なんとか話すきっかけを得ようと、私はトビに積極的に話しかけていた。
まあ「この飲み物どうぞ」とか「このお菓子どうぞ」とかクソしょーもないやり方ばっかりだし、全部拒否られてきたが。
勿論、彼が飲食を一切していないことへの心配も多少あるが。
とにかく、私がそうやってあーだこーだやっている様を、兄さんは不審がっているようだった。
言葉に詰まりかけてしまい、視線を逸らす。
「別に……ちょっとした自慢だよ。
料理上手い私凄いだろ!? みたいな」
はぐらかすように答えるが、兄さんの胡乱げな表情は変わらない。
面倒なことだ。私が何しようと、兄さんには関係ないだろうに。鬱陶しいことこの上ない。
「意味わからん。お前あいつのこと意外と好きだったわけ?」
「やめろ、冗談でも鳥肌が立つ」
うわあ、全身の毛穴が目立つ、というかぶつぶつしてる〜。気持ち悪ーい。
露骨に嫌悪を滲ませた低い声が出てしまうくらい、私は兄さんの言った言葉に気色の悪さを覚えていた。
「あいつ、私に初手で怪我させて幻術までかけてきたんだぞ? そんなわけなくない? 無理すぎ」
「で、実際に幻術を受けたご感想は?」
「いや、ハンパなかったですね……かけられた実感もないまま喋らされたし、あれがプロの実力かと……
……はい。これで満足した?」
「お前無駄にノリ良いよな」
「無駄とかいうならノらせないでくれる??」
何したいのこいつ。真面目に聞いてるのかふざけているだけなのか、わからなくなるんだが。
「とにかく、本当に好きとかないから。
ちょっと、会話のきっかけがほしいだけだよ」
「は?
……あいつと話したいっつーこと?」
「いや、というか……礼を言いたいことがあるんだよね」
兄さんはいっそう怪訝そうに首を捻り、「礼?」と復唱した。
……流石にこの話をするのは恥ずかしい。
居心地の悪さにもぞもぞしてしまうものの、どう切り出せば良いか、誰かに相談したかったのも事実だった。
折角だし──かなりバカにされそうだから話しづらいけど──こいつには話してしまおうか。
「私が不登校やめられたの、あの人のおかげなんだよね」
ぼそりと、かなり小さい声で告げる。
それでも兄さんは聞き逃さなかったらしく、そして存外真面目に受け止めてくれたらしく、顔を上げてこちらを見た。
続きを促すかのようにじっと見つめられるので、私もトレーをテーブルに置いて語り続けた。
「言ってなかったんだけどさ。トビが消えた日の前日に怪しまれたんだ、私」
「怪しまれたって……何をだよ」
「あいつ、何も言わずに勝手に外に出てさ。その足音が聞こえたから、慌てて追いかけたの。
そしたら普通の人間にオレの歩法?を見破れるわけがない、お前は何者なんだって言われて、なんかメンチきられた」
「いや怖」
「だよねー」
兄さんには、トビが元の世界に帰るために外で調査をしていて、ご近所の人に見られないか警戒するために私が付き添っていたことを、当時から知らせていた。
だからかなりはしょった説明になったのだが、まあ概要は伝わっただろう。多分。
「え、お前の耳良いのは知ってるけど……そんなエグい良さだったの?」
「らしい……? いやわからん、だって歩法とかいわれても何が凄いのか知らんし……」
「まあそりゃそうだわ」
と、話がずれてしまった。
「ええっと、それで。情けないんだけど……ギャン泣きしてキレた」
「は?」
「まず怖いじゃん? あと意味わかんなさすぎてムカつくじゃん? ついでにその時これからどうしようって悩んでたからタイミング悪すぎたじゃん?
この3つのコンボが決まって泣きギレした。私はただのカスの不登校なのだが!? 何者とか知らないが!? って喚いたんだよね」
「えぇ……」
かなりドン引きした声に、わかっていたけど尚更恥ずかしさが強まった。
「いやあいつがまずヤバい奴だけどさあ……そんな奴相手に泣いてキレるてお前……しかも内容あいつが求めてた答えじゃないだろ絶対……流石に意味わかんなくて困惑しただろ……」
「ホントそれ」
同意はするけど、そんなにトビを同情するかのような顔になられると流石に抗議したくなる。
私だってあの時は色々と切羽詰まっていたし、その上意味のわからないことを聞かれたら八つ当たりもしたくなる。
「まあ、それで。あいつも流石にマジでただのガキだってわかってくれたのか、ただの人間だと認めるしそれなら用ないわって言われて、終わった」
「……え? 今の流れのどこにお前の不登校解決してくれた要素あった?」
いやそうだよね! そうなるよね!
わかってはいたけど、それを聞かれるともっと恥ずかしくなる。心底理解できないと言いたげに眉根を寄せる兄さんに弁解した。
「いやまあ……その。私、泣きギレした時に自分語りしちゃって……あいつがそれに興味ねーよって言ってくれたんだよね。
それがなんか、凄くスカッとした、というか」
「お前マゾなの?」
「違うわ! ああもう、だから言いたくなかったのに……!
あのね、私結構いろんな人に気にかけてもらってたの! あんまりそればっかりだから過干渉じゃない奴が新鮮だっただけ!」
母さんや学校の先生、習い事の関係者の比較もとい世話焼きは、なんだかんだ私に心配や応援の意志といった関心を持ってくれているが故のものだ。と、今の私は思っている。
それらの全てとは言わずとも、ほとんどは兄さんがいるからこそ向けてくれた感情だろう。だとしても、私に向けられた関心であることには違いなかった。
それが少し、私には重たかった。
今までもこれから先も応えられないのではと、圧力に感じてしまった。
だから、ずっと兄さんと比べない誰かに見てほしかったし、同じくらい「興味がない」と言ってほしかったのかもしれない。
自分で言うのもなんだけど、私はかなり他者評価に依存している人間だ。
あの時も、そして今も。
でも、あの人のあの態度のおかげで、他者評価だけじゃない自分の認める方法を少しだけわかりそうな気がした。
「……とにかく。私、あいつにその礼を言いたいんだ。あいつは絶対知らんこっちゃないだろうけどさ。
ねえ、なんか良い話の切り出し方ない?」
「答えは出てるじゃん、知らんこっちゃないだろあいつ。やめとけ、絶対鬱陶しがられるだけだぞ」
「お前に聞いた私がバカでした!」
そんな現実的な意見は聞いてないんだっつーの!
まあ、兄さんならこういう答えを出す気は途中からしていた。やっぱり適当に話のきっかけを見つけて、そこから礼を言うしかないか。
もういい、ぶっつけ本番だ。
カレーは……少し冷めただけで、むしろ適温になったくらいか。良かった。
私はトレーを取り上げて、呆れ気味な眼差しを送ってくる兄さんに背を向けダイニングを後にした。
高熱は数日のうちに治ったようで、来て3日後くらいにはあの太々しい覇気のある彼に戻っていた。いや、熱があっても覇気は十分だったけど。
それにしても──今回もまた熱があったということは、この世界に来ることそのものが負担をかけている、のだろうか。
一度ならともかく、二度も逆トリップをする直前に高熱を出すなんて偶然はないだろうし。そこら辺の詳細は聞けていないから、真偽はわからなかったが。
そして、未だに帰る方法──いざ帰ろうとした時印を組んでしていたし、術か何かを使うのだろうか──は見つからず、前回のように度々外で調査しているようだった。
ようだ、というのは平日は私が登校しているため、夕方以降しか動向がわからないからだった。
もちろん、私が家にいる時は、前と同じように外での調査は同席させてもらっている。
とはいえ──非常に不本意ではあるが、流石に私がいない時に外に出るなとは言えなかった。拘束時間が長すぎるし、そんな約束をしたところで守ってくれるわけがない。
だから私は、外に出ることは前提にして、彼に条件をつけることを頼んだ。
「もし誰かに見られそうになったら身を隠す、見られてしまったら幻術で記憶を奪う。暴力は振るわない」
そういうお願いを必死にして、(形式的なものでしかないが)彼の了承は得た。
でもまあ、彼からしても無闇に火種を増やすことは悪手でしかないだろうし。余程のことがなければ守ってくれる筈だ。
しかし、どうして一回帰ることができたのに、今は帰れなくなったのだろう。
気にはなるものの、聞いたところで高熱についてと同じように教えてくれるわけがないため、何も聞かずにいた。
そんな感じの少しだけ悶々とした日々を、私は送っていた。
しかし今日の私はわりかし、いやかなりテンションが高かった。
「ふんふふんふふーん」
ああ、今日はなんて素晴らしい日だろう。
窓から差し込む陽光は眩しいが、なんだか身体から毒素が抜けていくような心地がして気分がいい。
それに今日はかなり暖かい。室温計も22℃を示している。暖房器具も使ってないのにこんな過ごしやすいなんてマジで最高。
気分上々ハイテンション。さっき兄さんに「その歳で天気と気温でそこまでお気楽になれるのは凄いよ」と皮肉を言われたくらい。
誰でもわかるほど露骨に上機嫌な状態で、私は料理を作っていた。
今日は兄さん(あとついでにトビ)しか家にいないため、折角だから久しぶりに手の込んだ料理を作ろうと思い立ったのだ。ここのところストレスの素が山のようにあったし(主にトビとかテスト関係とか)リフレッシュにちょうど良かった。
「もぉーいーくつ寝ーるとー、受ー験生ぇー」
深めの中華鍋で炒めている玉ねぎは食欲をそそる飴色になっていく。
そろそろかと予め炒っておいたカレー粉を鍋に入れ、キツネ色の焼き色がついた鶏肉、湯剥きして荒く刻んだトマト、スープを順に鍋にぶち込んだ。
「受験生にーなったならー。テスト三昧で苦しいぞー。こーないでくーだーさーい、受験期はー」
「止めてくれ、その歌はオレに効く」
「嫌でーす。……って兄さんか。どしたの?」
「いや、腹減ったから何か食おうと。……それ、オレの分もあるよね?」
期待に溢れた声に鼻で笑い返す。
働かざるもの食うべからずという言葉を知らないのか。
「冷蔵庫の中のガラスの器に入ってるヨーグルトとって。あとお皿」
へいへい、と生返事を返して動き出す兄さん。私はルーが焦げないよう念入りにかき混ぜていく。
適当にヨーグルトやらチャツネやら加えて、そこそこ本格的なインドカレーの出来上がり、というわけだ。
ナンとかカレーに合うお米までは家にないから普通の白ご飯になるけど。
兄さんはいただきますを言ってから、即座にせっせとかき込み、ルーの熱さにもがき、またかき込むというループに突入した。
普通に食べなよと笑ってしまうも、ふと自分のカレーと鍋に残っているカレールーを見比べてみる。
2人で食べるには多すぎる。明日の分を取っておくとしても、まだ余りあるくらいだ。それなら……
もう一皿を棚から取り出し、器にご飯を盛ってからルーをかける。成人男性なら簡単に食べきれるくらいの量のはずだ。
二皿を落とさないように用心しながらテーブルに運ぶ。一つは私の席に置いておいて、もう一つはトレーに乗せる。
「えっ、そんな食うの? また太るぞ」
ドン引きするかのような声音の兄さんを思いっきり睨みつける。
よりにもよって思春期女子にそういうこというか普通。本当、デリカシーのない奴だ。
「違うに決まってんでしょ。1人でこんなに食うわけないし、食うにしてもお皿2つも使わないよ、洗うの面倒だし」
「じゃあなんでだよ?」
「……トビに、くれてやろうかなと」
その一言を耳にした途端、兄さんはカレーを食べる手を止めてゲンナリした顔になり、かちゃりとスプーンを置いた。
「お前、まだあいつにそんなことしてんの? なんで?」
そんなこと。
兄さんのそのセリフが何を示しているのかは、私自身がよくわかっていた。
この1週間、礼を言うきっかけを掴めずただ二の足を踏んでいたわけではない。
なんとか話すきっかけを得ようと、私はトビに積極的に話しかけていた。
まあ「この飲み物どうぞ」とか「このお菓子どうぞ」とかクソしょーもないやり方ばっかりだし、全部拒否られてきたが。
勿論、彼が飲食を一切していないことへの心配も多少あるが。
とにかく、私がそうやってあーだこーだやっている様を、兄さんは不審がっているようだった。
言葉に詰まりかけてしまい、視線を逸らす。
「別に……ちょっとした自慢だよ。
料理上手い私凄いだろ!? みたいな」
はぐらかすように答えるが、兄さんの胡乱げな表情は変わらない。
面倒なことだ。私が何しようと、兄さんには関係ないだろうに。鬱陶しいことこの上ない。
「意味わからん。お前あいつのこと意外と好きだったわけ?」
「やめろ、冗談でも鳥肌が立つ」
うわあ、全身の毛穴が目立つ、というかぶつぶつしてる〜。気持ち悪ーい。
露骨に嫌悪を滲ませた低い声が出てしまうくらい、私は兄さんの言った言葉に気色の悪さを覚えていた。
「あいつ、私に初手で怪我させて幻術までかけてきたんだぞ? そんなわけなくない? 無理すぎ」
「で、実際に幻術を受けたご感想は?」
「いや、ハンパなかったですね……かけられた実感もないまま喋らされたし、あれがプロの実力かと……
……はい。これで満足した?」
「お前無駄にノリ良いよな」
「無駄とかいうならノらせないでくれる??」
何したいのこいつ。真面目に聞いてるのかふざけているだけなのか、わからなくなるんだが。
「とにかく、本当に好きとかないから。
ちょっと、会話のきっかけがほしいだけだよ」
「は?
……あいつと話したいっつーこと?」
「いや、というか……礼を言いたいことがあるんだよね」
兄さんはいっそう怪訝そうに首を捻り、「礼?」と復唱した。
……流石にこの話をするのは恥ずかしい。
居心地の悪さにもぞもぞしてしまうものの、どう切り出せば良いか、誰かに相談したかったのも事実だった。
折角だし──かなりバカにされそうだから話しづらいけど──こいつには話してしまおうか。
「私が不登校やめられたの、あの人のおかげなんだよね」
ぼそりと、かなり小さい声で告げる。
それでも兄さんは聞き逃さなかったらしく、そして存外真面目に受け止めてくれたらしく、顔を上げてこちらを見た。
続きを促すかのようにじっと見つめられるので、私もトレーをテーブルに置いて語り続けた。
「言ってなかったんだけどさ。トビが消えた日の前日に怪しまれたんだ、私」
「怪しまれたって……何をだよ」
「あいつ、何も言わずに勝手に外に出てさ。その足音が聞こえたから、慌てて追いかけたの。
そしたら普通の人間にオレの歩法?を見破れるわけがない、お前は何者なんだって言われて、なんかメンチきられた」
「いや怖」
「だよねー」
兄さんには、トビが元の世界に帰るために外で調査をしていて、ご近所の人に見られないか警戒するために私が付き添っていたことを、当時から知らせていた。
だからかなりはしょった説明になったのだが、まあ概要は伝わっただろう。多分。
「え、お前の耳良いのは知ってるけど……そんなエグい良さだったの?」
「らしい……? いやわからん、だって歩法とかいわれても何が凄いのか知らんし……」
「まあそりゃそうだわ」
と、話がずれてしまった。
「ええっと、それで。情けないんだけど……ギャン泣きしてキレた」
「は?」
「まず怖いじゃん? あと意味わかんなさすぎてムカつくじゃん? ついでにその時これからどうしようって悩んでたからタイミング悪すぎたじゃん?
この3つのコンボが決まって泣きギレした。私はただのカスの不登校なのだが!? 何者とか知らないが!? って喚いたんだよね」
「えぇ……」
かなりドン引きした声に、わかっていたけど尚更恥ずかしさが強まった。
「いやあいつがまずヤバい奴だけどさあ……そんな奴相手に泣いてキレるてお前……しかも内容あいつが求めてた答えじゃないだろ絶対……流石に意味わかんなくて困惑しただろ……」
「ホントそれ」
同意はするけど、そんなにトビを同情するかのような顔になられると流石に抗議したくなる。
私だってあの時は色々と切羽詰まっていたし、その上意味のわからないことを聞かれたら八つ当たりもしたくなる。
「まあ、それで。あいつも流石にマジでただのガキだってわかってくれたのか、ただの人間だと認めるしそれなら用ないわって言われて、終わった」
「……え? 今の流れのどこにお前の不登校解決してくれた要素あった?」
いやそうだよね! そうなるよね!
わかってはいたけど、それを聞かれるともっと恥ずかしくなる。心底理解できないと言いたげに眉根を寄せる兄さんに弁解した。
「いやまあ……その。私、泣きギレした時に自分語りしちゃって……あいつがそれに興味ねーよって言ってくれたんだよね。
それがなんか、凄くスカッとした、というか」
「お前マゾなの?」
「違うわ! ああもう、だから言いたくなかったのに……!
あのね、私結構いろんな人に気にかけてもらってたの! あんまりそればっかりだから過干渉じゃない奴が新鮮だっただけ!」
母さんや学校の先生、習い事の関係者の比較もとい世話焼きは、なんだかんだ私に心配や応援の意志といった関心を持ってくれているが故のものだ。と、今の私は思っている。
それらの全てとは言わずとも、ほとんどは兄さんがいるからこそ向けてくれた感情だろう。だとしても、私に向けられた関心であることには違いなかった。
それが少し、私には重たかった。
今までもこれから先も応えられないのではと、圧力に感じてしまった。
だから、ずっと兄さんと比べない誰かに見てほしかったし、同じくらい「興味がない」と言ってほしかったのかもしれない。
自分で言うのもなんだけど、私はかなり他者評価に依存している人間だ。
あの時も、そして今も。
でも、あの人のあの態度のおかげで、他者評価だけじゃない自分の認める方法を少しだけわかりそうな気がした。
「……とにかく。私、あいつにその礼を言いたいんだ。あいつは絶対知らんこっちゃないだろうけどさ。
ねえ、なんか良い話の切り出し方ない?」
「答えは出てるじゃん、知らんこっちゃないだろあいつ。やめとけ、絶対鬱陶しがられるだけだぞ」
「お前に聞いた私がバカでした!」
そんな現実的な意見は聞いてないんだっつーの!
まあ、兄さんならこういう答えを出す気は途中からしていた。やっぱり適当に話のきっかけを見つけて、そこから礼を言うしかないか。
もういい、ぶっつけ本番だ。
カレーは……少し冷めただけで、むしろ適温になったくらいか。良かった。
私はトレーを取り上げて、呆れ気味な眼差しを送ってくる兄さんに背を向けダイニングを後にした。