6話 消化不良のもどかしさ
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「……何それ、どういうこと」
下ろしかけていたリュックサックが、私の手元からずり落ちた。
ごっ、と鈍い悲鳴を床があげる。床が傷ついたかも。ついていないといいな、父さんに叱られてしまう。
登校中からずっと鳴りやまない頭痛すら忘れるほどに、私は動揺していた。
焦点がぶれそうになる視界も定まっていて、頭はおかしいほどに冴え渡っていた。
半開きになった口を閉める元気すらない。どんなに阿呆面だろうとも、ここまで驚いたのは初めてだったから直しようがない。
そんな私を、母さんは意外そうに目を丸くして見下ろした。
私が驚いたのが珍しかったのだろうか。そんなに物珍しいものでもないだろうに。
……いや、そうでもないのか。考えてみたら、私が家族の前で表情を出すのは確かに久々だったし、ここまで露骨なのは中々ないかもしれない。
いや、そんなことより。
さっき母さんの口から飛び出た信じられない言葉が、私の聞き間違えかそうではないのか、それが重要だ。
「ねえ母さん、トビが消えたってどういうこと?」
「そのまんま。私が帰ってきたときにはもういなかったのよ」
やはり聞き返しても、母さんの答えは何も変わりはしなかった。
母さんの言では、こうだ。
自分の部屋に行こうとしてトビの部屋を通りがかったら、何故か扉が開いていたとのことだ。
試しに覗いてみれば、部屋はもぬけの殻だったそうで。
にわかには信じられないが、母さんは冗談や利益の無い嘘を吐く人間ではない。だからそれが本当だと私はわかっていた。
だが、あまりにも突然のことで脳が追いつかないのだ。
なんて返したものかわからなくなって、頭に浮かんだ疑問をそのまま口にする。
「じゃああいつは、NARUTOの世界に帰れたのかな」
私の問いに母さんは腕を組んで眉を寄せた。
「うーん……一応ネットとかニュースでここら辺での不審者情報とか調べたけど、そういうのは無かったわ」
「でもあいつ忍者だよ? もう体調悪いわけでもないし、隠れて行動できるでしょ」
「私はNARUTOはちゃんと見てないし、あの人がどれくらい強いのか知らないし……」
「作中トップクラス。アイツのすり抜け見たでしょ? 攻撃が当たらないんだよ」
私の解説に、母さんの眉間に寄った皺はより深くなっていく。
半信半疑といった様子で私を見下ろすが、次の瞬間には疲れ切ったようにため息を吐いて腕を組み直した。
「警察だって無能じゃないのに、そんな隠れて動けるもんなの?」
「んん……そう、だけど……」
私の迷うような声に、母さんは尚のこと疑わしいと言いたげに目を細めた。
確かにトビの強さを知らない人からしたらそう思えるだろう。
でも、S級犯罪者のやべーやつを舐めるのはマズくないか。しかもあいつ、すり抜けとか幻術とか、忍者としてはトップクラスに隠密に向いてる能力ばっかり持ってるし。
母さんは私の答えを聞く前に、大袈裟に肩を竦めてため息を溢した。
「というより、本当にあの人が居たのかも信じられないわ。夢だったんじゃないかって思えるくらい」
「気持ちは分かるけど……でも夢じゃないし、まだ気は抜けないよ」
こうは言ったものの、多分トビはもうこの世界にはいないだろう。
奴がこの家を出ていくメリットが何もない。寧ろデメリットしか無いだろう。
なのにいないということは、帰る手段を見つけて帰れたということ……だと思いたい。
不安がないわけではないが、とりあえずは一息ついても良いだろう。
ずっと姿勢が同じだったから、腰を軽く回すとボキボキと音が鳴る。それに自分でも少し驚いてしまった。
軽く腰を叩きつつ、いつもの調子で別にいいか、と呟く。
「私部屋にいるから、ご飯できたら呼んでくれる?」
母さんの了承の返事を確認してから、鉛みたいに重く感じるリュックを拾ってリビングを出た。
暖気は途端に失せ、肌を冷気が刺す。鳥肌が立つので身震いし、早歩きで部屋へと向かった。
自室についた私は、今度こそ休むためにリュックを机の横に置いてベッドに倒れ込んだ。
ベッドのスプリングで軽く跳ねた私の体もすぐに動かなくなる。
寒いからストーブをつけたかったけど、もうそんな気力もなかった。
やはりと言うべきか、学校にいるのは非常に疲れた。
授業も集中できないし、理解もほとんどできない。幸い友達が気を遣って普通の調子で会話してくれたからそこの居心地は悪くなかったけど、シンプルに体調もメンタルも最悪だった。
わかっている。身から出た錆だ。
暫く行き続けていれば慣れてくるはずだし、こんなことにすら躓くのではお先真っ暗。当然の事なのだしやらなくては。
こんなこと親や友達、先生には絶対に言えない。知られたらもっと失望されるのは目に見えている。
情けなさに笑いがこみ上げたが、すぐに虚しくなって真顔になってしまった。
「っ……はあ、あ」
唸り声みたいな呻きが口から漏れる。自然と体を丸めて、キツく目を瞑った。
また、頭が痛くなる。学校に行きたくなくて、悪い点数を取りたくなくて、ため息をつかれたくなくて、嫌になる。
ズキズキと鋭利なナイフが刺さってるみたいな痛みが絶え間なく押し寄せるものだから、自分への苛立ちも増す。
自分でも知らないうちに、かなり我慢していたらしい。
激しい頭痛を歯を食い縛ることで耐えながら、私は深く呼吸した。
……起き、なくちゃ。
本当にこれが現実か、まだ信じられない。
自分の目で見なくちゃ、信じられるわけがない。
ふらつく足に活を入れ、ベッドの手すりを支えに立ち上がった。
本棚とか机とか、手すりに出来そうなものは全部使って進む。
扉を蹴破るようにして開き、トビの使っていた部屋へと向かった。
壁に上半身を預けながら歩くのは楽だったけどかなり時間がかかる。もどかしさすら覚えるのに、足は重かった。
普通なら10秒もかからずに辿り着くのを30秒くらいかけて前にしたトビの部屋は、いつもと何ら変わらないように見えた。
──本当はいるんじゃないのか?
そんな懐疑にも似た念が沸くと、溢れるように不安も湧き出した。
居たら嫌だなあ。厄介者でしかなかったし、いないのなら小躍りして喜ぼう。
まあそんな元気はないけどもそこは言葉の綾というか、比喩というか、そんなものだ。
……誰に対して弁解しているのだか。変な虚しさが湧いてきた。さっさと確認してしまおう。
ノブを捻って、戦々恐々しながらもゆっくり開けた。
ノックなしなんてあいつなら怒りそうだな。いや、私でも怒るかな。常識人なら誰だって嫌だろう、プライバシーの侵害だし。トビは非常識人だけど。
出来た隙間から顔だけで覗き込んだ。
やっぱり、ここには誰もいなかった。
「……は、はは」
乾いた、どうしようもなく無意味な笑いが零れる。
ああ、本当にいないんだ。
予想していた嬉しさはなく、だからといって悲しさもない。
ただただ「そうか」と受け入れるだけだった。
呆気ない幕切れだったなと、一人静かに物思いに耽る。
1週間か2週間程度で消えるなんて、二次創作でも早々ない話だろう。
いや、まず漫画の世界の住人がトリップするというのがおかしい話なんだけど。
でもまあ、これで良かったのだと思う。
私はようやく普通に戻れそうだし、トビも月の眼計画を実行できる。
私もトビも満足いく結果となった。
トビは少年漫画のキャラクターだし、何より敵役だからまず間違いなく計画成功とはならないだろうが、そこは私の知ったことではない。
私には、何も関係がない。
なんだかんだ過干渉にはならず、必要なときだけに関わる。極めて合理的な関係性のまま終われたと思う。
まあ殺されかけたのはホント絶許ですけどね。そのうちバチが当たることを祈っておく。
でも怯えるのもこれで終わり。今日からは枕を高くして眠れる。
多少はマシになった頭痛を感じながら部屋へと戻る。
宿題をしなくちゃいけないけど、もう少し調子が楽になってからでも良いだろう。
家に着いてしばらく経ち、体調も落ち着いてきたからか、行きとは違って真っ直ぐ立ちながら歩ける。
冷たいフローリングの感触をタイツ越しに感じながら、私は鼻唄を歌いながら歩く。
久々に我が家で落ち着けるし、物音も気を遣わずにたてられる。何たる幸せか。
……ただ。
1つだけ思うことがあるとすれば。
引きこもりをやめるきっかけをくれたお礼を言えなかったのは、残念だったことだろうか。
下ろしかけていたリュックサックが、私の手元からずり落ちた。
ごっ、と鈍い悲鳴を床があげる。床が傷ついたかも。ついていないといいな、父さんに叱られてしまう。
登校中からずっと鳴りやまない頭痛すら忘れるほどに、私は動揺していた。
焦点がぶれそうになる視界も定まっていて、頭はおかしいほどに冴え渡っていた。
半開きになった口を閉める元気すらない。どんなに阿呆面だろうとも、ここまで驚いたのは初めてだったから直しようがない。
そんな私を、母さんは意外そうに目を丸くして見下ろした。
私が驚いたのが珍しかったのだろうか。そんなに物珍しいものでもないだろうに。
……いや、そうでもないのか。考えてみたら、私が家族の前で表情を出すのは確かに久々だったし、ここまで露骨なのは中々ないかもしれない。
いや、そんなことより。
さっき母さんの口から飛び出た信じられない言葉が、私の聞き間違えかそうではないのか、それが重要だ。
「ねえ母さん、トビが消えたってどういうこと?」
「そのまんま。私が帰ってきたときにはもういなかったのよ」
やはり聞き返しても、母さんの答えは何も変わりはしなかった。
母さんの言では、こうだ。
自分の部屋に行こうとしてトビの部屋を通りがかったら、何故か扉が開いていたとのことだ。
試しに覗いてみれば、部屋はもぬけの殻だったそうで。
にわかには信じられないが、母さんは冗談や利益の無い嘘を吐く人間ではない。だからそれが本当だと私はわかっていた。
だが、あまりにも突然のことで脳が追いつかないのだ。
なんて返したものかわからなくなって、頭に浮かんだ疑問をそのまま口にする。
「じゃああいつは、NARUTOの世界に帰れたのかな」
私の問いに母さんは腕を組んで眉を寄せた。
「うーん……一応ネットとかニュースでここら辺での不審者情報とか調べたけど、そういうのは無かったわ」
「でもあいつ忍者だよ? もう体調悪いわけでもないし、隠れて行動できるでしょ」
「私はNARUTOはちゃんと見てないし、あの人がどれくらい強いのか知らないし……」
「作中トップクラス。アイツのすり抜け見たでしょ? 攻撃が当たらないんだよ」
私の解説に、母さんの眉間に寄った皺はより深くなっていく。
半信半疑といった様子で私を見下ろすが、次の瞬間には疲れ切ったようにため息を吐いて腕を組み直した。
「警察だって無能じゃないのに、そんな隠れて動けるもんなの?」
「んん……そう、だけど……」
私の迷うような声に、母さんは尚のこと疑わしいと言いたげに目を細めた。
確かにトビの強さを知らない人からしたらそう思えるだろう。
でも、S級犯罪者のやべーやつを舐めるのはマズくないか。しかもあいつ、すり抜けとか幻術とか、忍者としてはトップクラスに隠密に向いてる能力ばっかり持ってるし。
母さんは私の答えを聞く前に、大袈裟に肩を竦めてため息を溢した。
「というより、本当にあの人が居たのかも信じられないわ。夢だったんじゃないかって思えるくらい」
「気持ちは分かるけど……でも夢じゃないし、まだ気は抜けないよ」
こうは言ったものの、多分トビはもうこの世界にはいないだろう。
奴がこの家を出ていくメリットが何もない。寧ろデメリットしか無いだろう。
なのにいないということは、帰る手段を見つけて帰れたということ……だと思いたい。
不安がないわけではないが、とりあえずは一息ついても良いだろう。
ずっと姿勢が同じだったから、腰を軽く回すとボキボキと音が鳴る。それに自分でも少し驚いてしまった。
軽く腰を叩きつつ、いつもの調子で別にいいか、と呟く。
「私部屋にいるから、ご飯できたら呼んでくれる?」
母さんの了承の返事を確認してから、鉛みたいに重く感じるリュックを拾ってリビングを出た。
暖気は途端に失せ、肌を冷気が刺す。鳥肌が立つので身震いし、早歩きで部屋へと向かった。
自室についた私は、今度こそ休むためにリュックを机の横に置いてベッドに倒れ込んだ。
ベッドのスプリングで軽く跳ねた私の体もすぐに動かなくなる。
寒いからストーブをつけたかったけど、もうそんな気力もなかった。
やはりと言うべきか、学校にいるのは非常に疲れた。
授業も集中できないし、理解もほとんどできない。幸い友達が気を遣って普通の調子で会話してくれたからそこの居心地は悪くなかったけど、シンプルに体調もメンタルも最悪だった。
わかっている。身から出た錆だ。
暫く行き続けていれば慣れてくるはずだし、こんなことにすら躓くのではお先真っ暗。当然の事なのだしやらなくては。
こんなこと親や友達、先生には絶対に言えない。知られたらもっと失望されるのは目に見えている。
情けなさに笑いがこみ上げたが、すぐに虚しくなって真顔になってしまった。
「っ……はあ、あ」
唸り声みたいな呻きが口から漏れる。自然と体を丸めて、キツく目を瞑った。
また、頭が痛くなる。学校に行きたくなくて、悪い点数を取りたくなくて、ため息をつかれたくなくて、嫌になる。
ズキズキと鋭利なナイフが刺さってるみたいな痛みが絶え間なく押し寄せるものだから、自分への苛立ちも増す。
自分でも知らないうちに、かなり我慢していたらしい。
激しい頭痛を歯を食い縛ることで耐えながら、私は深く呼吸した。
……起き、なくちゃ。
本当にこれが現実か、まだ信じられない。
自分の目で見なくちゃ、信じられるわけがない。
ふらつく足に活を入れ、ベッドの手すりを支えに立ち上がった。
本棚とか机とか、手すりに出来そうなものは全部使って進む。
扉を蹴破るようにして開き、トビの使っていた部屋へと向かった。
壁に上半身を預けながら歩くのは楽だったけどかなり時間がかかる。もどかしさすら覚えるのに、足は重かった。
普通なら10秒もかからずに辿り着くのを30秒くらいかけて前にしたトビの部屋は、いつもと何ら変わらないように見えた。
──本当はいるんじゃないのか?
そんな懐疑にも似た念が沸くと、溢れるように不安も湧き出した。
居たら嫌だなあ。厄介者でしかなかったし、いないのなら小躍りして喜ぼう。
まあそんな元気はないけどもそこは言葉の綾というか、比喩というか、そんなものだ。
……誰に対して弁解しているのだか。変な虚しさが湧いてきた。さっさと確認してしまおう。
ノブを捻って、戦々恐々しながらもゆっくり開けた。
ノックなしなんてあいつなら怒りそうだな。いや、私でも怒るかな。常識人なら誰だって嫌だろう、プライバシーの侵害だし。トビは非常識人だけど。
出来た隙間から顔だけで覗き込んだ。
やっぱり、ここには誰もいなかった。
「……は、はは」
乾いた、どうしようもなく無意味な笑いが零れる。
ああ、本当にいないんだ。
予想していた嬉しさはなく、だからといって悲しさもない。
ただただ「そうか」と受け入れるだけだった。
呆気ない幕切れだったなと、一人静かに物思いに耽る。
1週間か2週間程度で消えるなんて、二次創作でも早々ない話だろう。
いや、まず漫画の世界の住人がトリップするというのがおかしい話なんだけど。
でもまあ、これで良かったのだと思う。
私はようやく普通に戻れそうだし、トビも月の眼計画を実行できる。
私もトビも満足いく結果となった。
トビは少年漫画のキャラクターだし、何より敵役だからまず間違いなく計画成功とはならないだろうが、そこは私の知ったことではない。
私には、何も関係がない。
なんだかんだ過干渉にはならず、必要なときだけに関わる。極めて合理的な関係性のまま終われたと思う。
まあ殺されかけたのはホント絶許ですけどね。そのうちバチが当たることを祈っておく。
でも怯えるのもこれで終わり。今日からは枕を高くして眠れる。
多少はマシになった頭痛を感じながら部屋へと戻る。
宿題をしなくちゃいけないけど、もう少し調子が楽になってからでも良いだろう。
家に着いてしばらく経ち、体調も落ち着いてきたからか、行きとは違って真っ直ぐ立ちながら歩ける。
冷たいフローリングの感触をタイツ越しに感じながら、私は鼻唄を歌いながら歩く。
久々に我が家で落ち着けるし、物音も気を遣わずにたてられる。何たる幸せか。
……ただ。
1つだけ思うことがあるとすれば。
引きこもりをやめるきっかけをくれたお礼を言えなかったのは、残念だったことだろうか。