5話 寄せられぬ感謝
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朝早くに起きてから自室で登校の準備を終えた私はリビングに何食わぬ顔で入る。制服に身を包んだ私を見て、母さんが呆然と見つめてきた。
気持ちは痛いほどにわかります。(母さんからしてみれば)特に何があったわけでもないのに学校に行くだなんて、普通ありえなかったし。
しかしそういう風に見られると居心地の悪さを感じるから止めて頂きたい。頂きたくはあるが、まあ身から出た錆なので我慢する。
とりあえず普通の声で話しかけた。
「今日学校行くから、ご飯お願いしてもいい?」
「……っ!? そ、そう。分かった」
声にならない叫びを上げた母さんに苦笑いしつつ、ご飯までどう時間を潰すか考える。
もう時間割は揃えてあるし、忘れ物もないはず。歯磨きもシャワーも浴びたし、制服も着ている。
となるともうやることは特にないか。少し急ぎすぎたかな。掛け時計を見ると、6時半を過ぎたばかりだった。
大人しく朝食を待つしかないようだ。ため息を吐いて、リビングのソファに座る。背凭れによしかかると、まだ朝なのにドッと疲れが湧いてきた。
手持ち無沙汰を紛らわせるために、リモコンをとりテレビをつける。
朝となるとニュースくらいしかやっていない。つまらない訳ではないから良いけども、凄く面白いとも思わないしなあ。
チャンネルを変えて、興味の湧くようなニュースがやってないか探す。
最終的には良いものが見つからなかったから、適当なニュース番組を見ることにした。エンタメ寄りの内容をぼんやり眺めていると、リビングの外から足音が聞こえてきた。
兄さんかな? と思ったがどうも違うようだ。
兄さんなら、この時間帯にはまだ起きてこない。父さんもまだ暫く出勤時間まである筈だ。なら、これは……
なんとなく、本当になんとなくだけど、嫌な予感がする。
そうだ。これはつい最近聞いた足音で、スルーしとけばよかったと深く後悔した足音の気がする。
「ま、さか……?」
冷や汗を垂らし独り言を言うのとほぼ同時に、リビングの扉が開かれる。
現れたのはオレンジのぐるぐる仮面野郎。
どう見てもトビです本当にありがとうございました。
「あら、はやいの……え?」
母さんも兄さんだと思っていたのか、キッチンからこちらにやってきたようだ。トビを視界に入れた瞬間に笑顔のまま固まってしまった。うん、わかるってばよ。
流石の苗字さんもこれには苦笑い。朝っぱらからこんな忌々しい奴の顔……顔?
……ツラを見るなんて勘弁願いたいところ。
兄さん辺りには大袈裟だと馬鹿にされるかもしれないが、それなら自分が体験してみろって話だ。マジでこいつの脅し方だと死ぬかと思うんだから。
ため息はぐっと飲み込んで口元を引き締める。
わざわざここに来たということは、何か用があるからだろう。それを聞いてからでもお引き取り願えば良い。
……それに。昨日のことをきちんと謝らないといけないし。
氷みたく固まってしまった母さんを尻目に、私はできるだけ穏やかに話しかけた。
「えーっと、おはようございます。
昨日は本当にすみませんでした」
「……ああ」
うーん。これは許してくれたととっていいのか。
よく分からない生返事を返されると困るが、無視されなかっただけマシか。そうだよ、いつもなら絶対無視されてただろうし。これはまだ好感触だと思う……思いたいぞ。じゃないと泣きそう。
できるだけポジティブな思考を保てるよう意識しつつ、そのまま粘り強く喋りかける。
「あー、その、もしかしてご飯食べに来たんですか?」
「違う」
そこだけ答えられても困るんですけど。何を目的で来たのかくらい言ってくださいよ。
第一、今の答えは今までになく即答だったぞ。お前どんだけ馴れ合いしたくないの。
私としてもこの人と朝ご飯とか拒絶反応が出て絶対無理ではありますけども……それにしても、カカシ外伝からどうやったらここまで変わるのか。
マジで謎だ、うちはオビト。
まあ、そんなことどうでもいい。
今は何しに来たのか聞くべきだ。
それを問うべく比較的丁寧な文面を考えてから口を開いたが、奴が先に話し出したため不発に終わった。
「貴様に聞きたいことがあってな」
「私に聞きたいこと、ですか? なんでしょう」
思い当たる節……は昨日のせいで色々ありまくりだけど、何を聞かれるかまでは想像もつかなかった。
というか、そんな簡単なことなら一息に言ってほしい。別に「違う」と分けることなかったじゃないか。
内心悪態を吐きまくりながらも、表面には出さないでおく。
そんなことしたらトビは不快になるに決まっているし。わざわざ機嫌を悪くさせる必要もない。
トビはちらりと母さんを一瞥する。
流石の母さんも既に硬直は解けていて、少し困惑気味にトビを見つめていた。
トビはすぐに私に視線を戻して、平坦な声色のまま淡々と告げた。
「貴様に関することだ。無関係な者は巻き込みたくないのだろう。ついてこい」
「わ、分かりました」
どうしても昨日のことが後を引いていて、無様にもちょっと声が震える。私はまだトビに恐怖していた。
自然と焦慮して怪しく思われそうな言動をしてしまう自分をマズイとは思うが、どうしようもない。諦めて黙ってついていくことにした。
狼狽を目で訴えかけてくる母さんに小さく手を立てて謝り、私は出ていったトビを小走りで追いかけた。
無言で進むトビに不信感を抱きながらも文句は言わない。言ったところで意味もない。
リビングを出て暫く進んだ廊下で、トビは立ち止まり、振り返った。
ゆっくりとした動作だったから、慌てることなく対応できる。私もしゃんと立って、トビの首の辺りを見つめた。目を合わせる勇気は持ってないし、持つ気もない。
「それで、その。何をお知りになりたいんでしょうか……?」
遠慮がちに尋ねれば、いつもの無感動な声で彼は応じた。
「昨日の話だ。本当に、貴様はあれを無意識の内に行ったと言うのか」
何を、なんて聞かなくてもわかった。
私がトビの不信を買ったのは、トビの無言の外出に気がついてしまったから。
こいつが言うには、私みたいな平和ボケした人間が気づくなんてあり得ないらしい。
確かに、落ち着いてから考えるとおかしいと自分でも思った。
昔から耳は良かったけど、こいつみたいな化け物級の存在の動きすら聞き逃さないとか逆に怖い。
でも、本当に自分でも何故かはわからないのだ。
首を振り、すみませんと小さく告げる。
「はい。
ホントにただ足音が聞こえたから、追いかけただけなんです。昔から聴力は良かったので、それで……気づけたのかなと……」
尻すぼみになってしまうのは無言で見下ろされるプレッシャーのせいだ。昨日のようなビリビリ感(殺気だろうか)が無いだけマシだけど、じっとねめつけられるのは心臓が痛む。
写輪眼なのか、それとも通常の黒目なのかもわからない。確認できるほど目線を上にできない。
視線を床に落として黙り込むと、トビはぼそりとえげつないことを嘯いた。
「嘘は言っていないようだが……まあ、怪しい真似をすれば手を下せば良い話か」
「そ、そうですね……」
返事をすべきか迷ったが、実際私に逆らえるわけもないので肯定しておく。力の差でも頭の差でも劣っているのだし、怪しい真似をしようがないのだ。
胸中でヒェッなんて変な悲鳴をあげたのは黙っておこう。
沈黙は長く続くかと思えたが、トビは間を置かずに新たな問いを投げかけた。
「次の質問をする。
貴様はこれから何をするつもりだ。何故今朝は昨日までとは違う行動を取る」
……ううむ。最初は普通の質問をして、次に答えづらい質問するなんてイイ性格してますね。
何だかよく分からないけど、トビは結構私のことを怪しいと思っているようだ。
あ、でも冷静になって考えたら、私の行動ってトビからすると怪しいのか。
昨日までずっと部屋にいたのに、昨日あんなことがあっていきなり部屋を出るようになったんだし。
…………もしかして私、綱渡りな行動ばかり取ってる?
いや、もうホント……やってから気づくとは救いようがなくて笑えてくる。
冷や汗がダラダラと止まらないし、引き攣った笑いさえ浮かんでくる。トビの絶対零度の視線が強まった気がした。
でも答えるのは嫌だ。なんで私の行動を逐一報告せにゃならんのです。ストーカーじゃあるまいし、知る必要もないだろうに。
勿論そんなことは言わずに、私は正直に話した。
えっと、と最初にどもってしまうのはご愛嬌だ。
「中学校っていう、13から15までの子供が通う教育施設に行くんです。
今まではズル休みしてたんですが……テストもあるので、そろそろ行かないと成績を落としてしまうんです」
テストというのは嘘ではない。明後日から定期テストの日だし。テストだけでも受けるように先生方から言われているし、前から一応行くつもりではあった。
まともに勉強していないから惨死するでしょうけども。
一桁台にならないことを祈りつつ、トビの様子を伺っていれば、ようやくただ一言「そうか」と呟いた。
できるだけ怪しまれないようにハキハキと喋ったから切り抜けられるはずだ、と思いたい。これで駄目だったらどうしようもない。もう私は、疑われないことを必死に祈るしかなかった。
しばらく、というほどでもない短時間で彼は口を開いた(お面をつけているのにこういう表現もあれだけど)。
「時間を取らせて悪かったな。もう聞くことはない」
「は、はい……失礼します」
意外と手早くすんだこと、威圧されなかったことに安堵する。突っ立ったままでいるのもあれなので、慌てて会釈してからリビングへと走って戻る。
室内に戻って、心配した風に「大丈夫だったの?」と声をかけてくれる母さんに大丈夫とだけ返して、私はソファに体を沈めた。
顔を曇らせた母さんは、心配の中に若干の好奇心を覗かせて近寄ってきた。
「何を話してたの?」
「んー……ごめん。あの人もわざわざ別室にしてまで話しかけてきたわけだし、言えない」
「あのねあんた、あんな何をするか分からない人に気を遣わなくても……」
「母さんの言いたいことは分かるよ。でも危険なことじゃないし。それに気を遣うとかじゃなくて、私のためみたいなものだから」
母さんは諦めてくれたのか肩を竦める。
ならいいわよ、もう。とやや呆れ気味にぼやき、キッチンへと行ってしまった。少し申し訳なくはあるが、わざわざ人目を避けて話してくれたこともあり、できるだけ話すのは避けたい。
テレビの音量を下げて、背もたれに頭を乗せて目を閉じた。
トビがいないだけでここまで落ち着くとは、奴の存在感も凄まじいものだ。
……ホント、私ってやつは単純だ。
トビに当たり前の礼儀の一つ、謝罪をされただけで喜んでるんだから。
でもわかってほしい。殺そうとしてきたやつとまともに会話できるのはなんというかこう……嬉しいものだ。
ほら、非常識な奴に常識的な対応をされた安心感みたいな。いやこれストックホルム症候群ではとか思っちゃいけない。
でもあいつの「(時間を取らせて)悪かったな」なんてセリフめちゃレアだ。ちょっと舞い上がっても仕方がない。
勿論、あいつが私の首を切ったこととか、脅かしてきたことを許したわけではない。
ぶっちゃけた話トラウマになっている。昨日の一件のせいで恐怖が悪化した。自分ならなんとか触れるけど、多分他人に触られるのはもう暫く無理。
それでも、奴のお陰で学校に行こうと私は決意できた。その点で感謝はしている。
嫌いなのは変わらず、感謝している。
これほど変な感情を何と呼べば良いのか、私にもよく分からなかった。
奴からしたら、感謝される覚えはないだろうけど。
複雑な気持ちだけど、あいつがこの世界から帰るまでに一度くらい礼を言いたい。言わないと私がスッキリしないし。
何とかタイミングを見計らって会話できると良いんだけど。
登校への不安を稀なやり取りで少し誤魔化せていた私は、まだ知らなかった。
私が下校したときには、もうトビはこの世界から消えていたことを。
────────────────────────
もちろんまだまだ完結ではないです。
というか普通に仲良くなるくらいまで書きたい。
気持ちは痛いほどにわかります。(母さんからしてみれば)特に何があったわけでもないのに学校に行くだなんて、普通ありえなかったし。
しかしそういう風に見られると居心地の悪さを感じるから止めて頂きたい。頂きたくはあるが、まあ身から出た錆なので我慢する。
とりあえず普通の声で話しかけた。
「今日学校行くから、ご飯お願いしてもいい?」
「……っ!? そ、そう。分かった」
声にならない叫びを上げた母さんに苦笑いしつつ、ご飯までどう時間を潰すか考える。
もう時間割は揃えてあるし、忘れ物もないはず。歯磨きもシャワーも浴びたし、制服も着ている。
となるともうやることは特にないか。少し急ぎすぎたかな。掛け時計を見ると、6時半を過ぎたばかりだった。
大人しく朝食を待つしかないようだ。ため息を吐いて、リビングのソファに座る。背凭れによしかかると、まだ朝なのにドッと疲れが湧いてきた。
手持ち無沙汰を紛らわせるために、リモコンをとりテレビをつける。
朝となるとニュースくらいしかやっていない。つまらない訳ではないから良いけども、凄く面白いとも思わないしなあ。
チャンネルを変えて、興味の湧くようなニュースがやってないか探す。
最終的には良いものが見つからなかったから、適当なニュース番組を見ることにした。エンタメ寄りの内容をぼんやり眺めていると、リビングの外から足音が聞こえてきた。
兄さんかな? と思ったがどうも違うようだ。
兄さんなら、この時間帯にはまだ起きてこない。父さんもまだ暫く出勤時間まである筈だ。なら、これは……
なんとなく、本当になんとなくだけど、嫌な予感がする。
そうだ。これはつい最近聞いた足音で、スルーしとけばよかったと深く後悔した足音の気がする。
「ま、さか……?」
冷や汗を垂らし独り言を言うのとほぼ同時に、リビングの扉が開かれる。
現れたのはオレンジのぐるぐる仮面野郎。
どう見てもトビです本当にありがとうございました。
「あら、はやいの……え?」
母さんも兄さんだと思っていたのか、キッチンからこちらにやってきたようだ。トビを視界に入れた瞬間に笑顔のまま固まってしまった。うん、わかるってばよ。
流石の苗字さんもこれには苦笑い。朝っぱらからこんな忌々しい奴の顔……顔?
……ツラを見るなんて勘弁願いたいところ。
兄さん辺りには大袈裟だと馬鹿にされるかもしれないが、それなら自分が体験してみろって話だ。マジでこいつの脅し方だと死ぬかと思うんだから。
ため息はぐっと飲み込んで口元を引き締める。
わざわざここに来たということは、何か用があるからだろう。それを聞いてからでもお引き取り願えば良い。
……それに。昨日のことをきちんと謝らないといけないし。
氷みたく固まってしまった母さんを尻目に、私はできるだけ穏やかに話しかけた。
「えーっと、おはようございます。
昨日は本当にすみませんでした」
「……ああ」
うーん。これは許してくれたととっていいのか。
よく分からない生返事を返されると困るが、無視されなかっただけマシか。そうだよ、いつもなら絶対無視されてただろうし。これはまだ好感触だと思う……思いたいぞ。じゃないと泣きそう。
できるだけポジティブな思考を保てるよう意識しつつ、そのまま粘り強く喋りかける。
「あー、その、もしかしてご飯食べに来たんですか?」
「違う」
そこだけ答えられても困るんですけど。何を目的で来たのかくらい言ってくださいよ。
第一、今の答えは今までになく即答だったぞ。お前どんだけ馴れ合いしたくないの。
私としてもこの人と朝ご飯とか拒絶反応が出て絶対無理ではありますけども……それにしても、カカシ外伝からどうやったらここまで変わるのか。
マジで謎だ、うちはオビト。
まあ、そんなことどうでもいい。
今は何しに来たのか聞くべきだ。
それを問うべく比較的丁寧な文面を考えてから口を開いたが、奴が先に話し出したため不発に終わった。
「貴様に聞きたいことがあってな」
「私に聞きたいこと、ですか? なんでしょう」
思い当たる節……は昨日のせいで色々ありまくりだけど、何を聞かれるかまでは想像もつかなかった。
というか、そんな簡単なことなら一息に言ってほしい。別に「違う」と分けることなかったじゃないか。
内心悪態を吐きまくりながらも、表面には出さないでおく。
そんなことしたらトビは不快になるに決まっているし。わざわざ機嫌を悪くさせる必要もない。
トビはちらりと母さんを一瞥する。
流石の母さんも既に硬直は解けていて、少し困惑気味にトビを見つめていた。
トビはすぐに私に視線を戻して、平坦な声色のまま淡々と告げた。
「貴様に関することだ。無関係な者は巻き込みたくないのだろう。ついてこい」
「わ、分かりました」
どうしても昨日のことが後を引いていて、無様にもちょっと声が震える。私はまだトビに恐怖していた。
自然と焦慮して怪しく思われそうな言動をしてしまう自分をマズイとは思うが、どうしようもない。諦めて黙ってついていくことにした。
狼狽を目で訴えかけてくる母さんに小さく手を立てて謝り、私は出ていったトビを小走りで追いかけた。
無言で進むトビに不信感を抱きながらも文句は言わない。言ったところで意味もない。
リビングを出て暫く進んだ廊下で、トビは立ち止まり、振り返った。
ゆっくりとした動作だったから、慌てることなく対応できる。私もしゃんと立って、トビの首の辺りを見つめた。目を合わせる勇気は持ってないし、持つ気もない。
「それで、その。何をお知りになりたいんでしょうか……?」
遠慮がちに尋ねれば、いつもの無感動な声で彼は応じた。
「昨日の話だ。本当に、貴様はあれを無意識の内に行ったと言うのか」
何を、なんて聞かなくてもわかった。
私がトビの不信を買ったのは、トビの無言の外出に気がついてしまったから。
こいつが言うには、私みたいな平和ボケした人間が気づくなんてあり得ないらしい。
確かに、落ち着いてから考えるとおかしいと自分でも思った。
昔から耳は良かったけど、こいつみたいな化け物級の存在の動きすら聞き逃さないとか逆に怖い。
でも、本当に自分でも何故かはわからないのだ。
首を振り、すみませんと小さく告げる。
「はい。
ホントにただ足音が聞こえたから、追いかけただけなんです。昔から聴力は良かったので、それで……気づけたのかなと……」
尻すぼみになってしまうのは無言で見下ろされるプレッシャーのせいだ。昨日のようなビリビリ感(殺気だろうか)が無いだけマシだけど、じっとねめつけられるのは心臓が痛む。
写輪眼なのか、それとも通常の黒目なのかもわからない。確認できるほど目線を上にできない。
視線を床に落として黙り込むと、トビはぼそりとえげつないことを嘯いた。
「嘘は言っていないようだが……まあ、怪しい真似をすれば手を下せば良い話か」
「そ、そうですね……」
返事をすべきか迷ったが、実際私に逆らえるわけもないので肯定しておく。力の差でも頭の差でも劣っているのだし、怪しい真似をしようがないのだ。
胸中でヒェッなんて変な悲鳴をあげたのは黙っておこう。
沈黙は長く続くかと思えたが、トビは間を置かずに新たな問いを投げかけた。
「次の質問をする。
貴様はこれから何をするつもりだ。何故今朝は昨日までとは違う行動を取る」
……ううむ。最初は普通の質問をして、次に答えづらい質問するなんてイイ性格してますね。
何だかよく分からないけど、トビは結構私のことを怪しいと思っているようだ。
あ、でも冷静になって考えたら、私の行動ってトビからすると怪しいのか。
昨日までずっと部屋にいたのに、昨日あんなことがあっていきなり部屋を出るようになったんだし。
…………もしかして私、綱渡りな行動ばかり取ってる?
いや、もうホント……やってから気づくとは救いようがなくて笑えてくる。
冷や汗がダラダラと止まらないし、引き攣った笑いさえ浮かんでくる。トビの絶対零度の視線が強まった気がした。
でも答えるのは嫌だ。なんで私の行動を逐一報告せにゃならんのです。ストーカーじゃあるまいし、知る必要もないだろうに。
勿論そんなことは言わずに、私は正直に話した。
えっと、と最初にどもってしまうのはご愛嬌だ。
「中学校っていう、13から15までの子供が通う教育施設に行くんです。
今まではズル休みしてたんですが……テストもあるので、そろそろ行かないと成績を落としてしまうんです」
テストというのは嘘ではない。明後日から定期テストの日だし。テストだけでも受けるように先生方から言われているし、前から一応行くつもりではあった。
まともに勉強していないから惨死するでしょうけども。
一桁台にならないことを祈りつつ、トビの様子を伺っていれば、ようやくただ一言「そうか」と呟いた。
できるだけ怪しまれないようにハキハキと喋ったから切り抜けられるはずだ、と思いたい。これで駄目だったらどうしようもない。もう私は、疑われないことを必死に祈るしかなかった。
しばらく、というほどでもない短時間で彼は口を開いた(お面をつけているのにこういう表現もあれだけど)。
「時間を取らせて悪かったな。もう聞くことはない」
「は、はい……失礼します」
意外と手早くすんだこと、威圧されなかったことに安堵する。突っ立ったままでいるのもあれなので、慌てて会釈してからリビングへと走って戻る。
室内に戻って、心配した風に「大丈夫だったの?」と声をかけてくれる母さんに大丈夫とだけ返して、私はソファに体を沈めた。
顔を曇らせた母さんは、心配の中に若干の好奇心を覗かせて近寄ってきた。
「何を話してたの?」
「んー……ごめん。あの人もわざわざ別室にしてまで話しかけてきたわけだし、言えない」
「あのねあんた、あんな何をするか分からない人に気を遣わなくても……」
「母さんの言いたいことは分かるよ。でも危険なことじゃないし。それに気を遣うとかじゃなくて、私のためみたいなものだから」
母さんは諦めてくれたのか肩を竦める。
ならいいわよ、もう。とやや呆れ気味にぼやき、キッチンへと行ってしまった。少し申し訳なくはあるが、わざわざ人目を避けて話してくれたこともあり、できるだけ話すのは避けたい。
テレビの音量を下げて、背もたれに頭を乗せて目を閉じた。
トビがいないだけでここまで落ち着くとは、奴の存在感も凄まじいものだ。
……ホント、私ってやつは単純だ。
トビに当たり前の礼儀の一つ、謝罪をされただけで喜んでるんだから。
でもわかってほしい。殺そうとしてきたやつとまともに会話できるのはなんというかこう……嬉しいものだ。
ほら、非常識な奴に常識的な対応をされた安心感みたいな。いやこれストックホルム症候群ではとか思っちゃいけない。
でもあいつの「(時間を取らせて)悪かったな」なんてセリフめちゃレアだ。ちょっと舞い上がっても仕方がない。
勿論、あいつが私の首を切ったこととか、脅かしてきたことを許したわけではない。
ぶっちゃけた話トラウマになっている。昨日の一件のせいで恐怖が悪化した。自分ならなんとか触れるけど、多分他人に触られるのはもう暫く無理。
それでも、奴のお陰で学校に行こうと私は決意できた。その点で感謝はしている。
嫌いなのは変わらず、感謝している。
これほど変な感情を何と呼べば良いのか、私にもよく分からなかった。
奴からしたら、感謝される覚えはないだろうけど。
複雑な気持ちだけど、あいつがこの世界から帰るまでに一度くらい礼を言いたい。言わないと私がスッキリしないし。
何とかタイミングを見計らって会話できると良いんだけど。
登校への不安を稀なやり取りで少し誤魔化せていた私は、まだ知らなかった。
私が下校したときには、もうトビはこの世界から消えていたことを。
────────────────────────
もちろんまだまだ完結ではないです。
というか普通に仲良くなるくらいまで書きたい。