5話 寄せられぬ感謝
あなたの名前は?
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早朝。
まだ日も昇りきらないうちにトビは目を覚ました。
浅い眠りから目覚めた彼は、この頃続いていた倦怠感が無いことに気がついた。
この異世界に飛ばされた当初の体調不良は治っていたが、なかなか気怠さは拭えぬままだった。
万全の体調になるまでに約1週間もかかってしまったが、何の栄養も取らずにこれならば上々といったところだろう。改めて柱間細胞の驚異的な能力を実感した。
だが同時に、その柱間細胞をもってしても長引いた高熱と倦怠感への懐疑もあった。
この異世界に来たことと何か関係があるのかもしれない。しかしさしものトビも、この情報不足の状況下では考察すら立てられなかった。
ともあれ、コンディションが良好になったのは喜ばしい事だ。
果ての見えない疑問は打ち切り、彼は今手を打つべき問題について考えることにした。
しかし、普段なら大抵昼頃まで閉まりきっている名前の部屋の扉が開く音を耳にしたため、その思考は遮られる。
ぴたりと身動きを止め、トビは眉を寄せた。
当然のことだが、トビにしてみれば名前など歯牙にもかけない存在だ。
あの子供が何をしていようと彼には関係のないことだし、考える時間すら惜しい。
恐らく一昨日までの彼ならば気にも止めず、元の世界に帰るための術式の模索や体力の衰えを取り戻すための鍛錬でもしていただろう。
だがしかし。それは危険性がない人間に限ることである。
トビは昨日から、名前に対する警戒の念を強めていた。
名前は自称ただの一般人だ。武器の保持が認められないなどという、あの木ノ葉隠れの里がマシに思えるほど平和ボケした国に住んでいる、そんな子供。
己との圧倒的な実力差や幻術に怯え、どもらずに会話をすることすら危ういような臆病者。
だが、ならば何故。何故あれは、自分の歩法を見破れたのか。
戦闘訓練も感知能力も磨かず、武器の1つも保持していないこの世界の人間に忍である自分の動きを気づけるわけがない。
勘が鋭いだとか、耳が良いだとか、そのような雑な理由では納得できる筈もない。彼は自分の実力に一定の信頼を置いている。簡単にはいそうですかとはいかないのだ。
昨日のトビは名前がただの人間だと納得したような口ぶりだったが、それはあくまで表向きだった。
とはいえ、名前が自分をこの世界に飛ばした張本人、とは考えづらい。それにしては隙がありすぎる。
何より奴にとってのメリットが見えない。もう少しで死ぬ羽目になっていただろうに、こんな大それたことの実行などやれるとは思えない。
だが、何らかの関与はしているのではないか。
彼には名前が人畜無害な存在だと安易には思えなかった。
だが、あの子供が敵となりうる人間とも考えられなかった。
出会った当初や昨日の怯えぶりが嘘とは思えない。また、昨日締めたその後の激昂も子供らしい鬱憤の爆発と考えた方が自然だった。
もしあれが全て演技だというのなら、トビは素直に感心しただろう。
騙し陥れることこそが忍の本質だが、一流の忍だとしてもあれほど感情を込めた演技は出来ないものだ。
視線の動き、手の動作、瞬きの回数、喋り方の速さの変化など、全てを鑑みても嘘のない言葉だという結果になる。
写輪眼の洞察眼を用いての分析なのだから、正しくなければ写輪眼にガタが来たとしか考えられない。
故にこそ、名前をただの民間人と考えるのが自然である。
しかしならば、あの女の並々ならぬ感知能力はどういうことなのだろうかという問いに結局終着する。
名前の話では、この世界にチャクラのような特別な物質はないらしい。
たしかに、帰還用の時空間忍術の術式を考案する片手間に、この世界の歴史を記した書物(貸し与えられた客室にあったもの)を読んでみても、そういったものの存在は登場しなかった。
加えて、名前たちが在住するこの国は戦争に敗北し、軍治機能を失っている。
一応治安維持組織は存在しているらしいが──強いと名前は述べていたが──本などを読む限り到底脅威的な存在とは思えなかった。
そのような組織しかないこの国に住む子供が、自分に呆気なく組み伏せられた子供が、心の底からの恐怖を覗かせた子供が──何かを企めるだろうか?
あの子供が邪魔な存在になるのなら、殺すことは厭わない。
だが、殺害が周囲の人間に知られた場合、少々厄介なことになる。まだ帰還の目処が立っていないトビは派手に動く訳にはいかない。
同時に無防備に放っておく訳にもいかない。最低限の監視でもしておかなければ、安心も何もできたものではない。
だからこそ、今朝の名前の行動は無視できるものではなかった。
前述した通り、この一週間の名前の動きを見ると、彼女が部屋を出ることは限りなく少ない。午前中は特に頻度が低くなる。
それなのに、今日は明朝──5時頃には動き出す音が聞こえ、6時には部屋を出たのだ。
昨日の脅しでどんな行動に出るかはわからないと思っていたが、まさかここまであからさまにあやしい行動に出るとは、さしものトビも訝しんだ。
冷静に思考を組み立てていく。
名前の行動を無視するのは些か賭けじみた行為だ。
あの子供が何を目的に動いたのかが分からなくなってしまう。今最も警戒している人間の突飛な行動を黙視するなどあり得ない。
トビは暫く思案した後、重い腰を上げて部屋を後にした。