4話 比べるべきは
あなたの名前は?
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ピピピピ、とけたたましい電子音が脳を揺らす。不快感に自然と眉を顰めてしまい、ゆっくりと目を開けた。
冷気が容赦なく肌を刺す秋の朝。
まだぼんやりする頭をがしがしと掻くと、寝汗をかいていることに気がついた。
少し鼓動が激しかった。口の中がぱさぱさに乾いている。
原因なんてすぐにわかる。さっきまで見ていた悪夢のせいだ。重苦しいため息が漏れた。
それなのに内容はイマイチ覚えていないから、歯痒いったらありゃしない。
嫌な夢を見たことは覚えているのにそれ以外はつるっと綺麗に忘れてるなんて、ご都合悪い主義にもほどがある。
自然と口から、んん、と唸り声が溢れた。
苛立ちから再びため息が一つ。
身体を起こして静かな朝をぼんやり噛み締めていると、徐々に頭が明瞭になってきた。
「…………あ」
ぼんやりと、何となくだけど。
淡くぼやけながら胸糞悪い夢が脳裏に蘇ってきた。
多分、昔の私の夢。
友達と普通に話せることができて、それなりに社交的で、無駄にポジティブシンキングで、成績はクラスでは上のほうだった、平凡な私。
それが今ではこのザマだ。
友達と話す事にさえ動悸が止まらず、臆病に他人の目を気にして、自分でもウザいほどにネガティブシンキングで、成績はおそらく下。
救いようの無い平凡な人間になってしまった。
何をしているんだ、私は。
どうしてこんな風になってしまった、どうして間違ってしまった。
そんな答えはとっくにわかっているのに、理解できているのに、解決しようとすることができない。
全部自業自得なのにやめることができない。
熱をもった目頭を押さえて頭を抱える。
お先真っ暗な自分の人生に、どうしようもないほどの絶望が胸の中を満たしていくのを感じた。
「……起き、なくちゃ」
そうだ。喪失感に気が狂いそうになるのは今更だろう。
後悔していたって元に戻れるわけではない。もう、諦めてしまうのが一番楽だ。
自虐を止めて顔を上げる。今にも決壊しそうだった涙腺は硬く縮こまっていた。熱を放っていた目頭だって、もうほとんどいつもらしく戻っていた。
身体を捻って枕元を見る。逆さまになっている目覚まし時計を確認すれば、短針は7を示していて、長針は10を指していた。
「7時10分かぁ……」
面倒臭いし、二度寝でもしてしまおうか。母さんだって昨日ので諦めて、しばらくは起こしに来ないだろう。
一度でも甘えた考えが浮かべば、それに従わないと気が済まなくなる。二度寝は決定事項となったので、私は惰眠を貪ることにした。
うとうとと心地よく泥沼のような暗闇へと潜っていく。次第に覚醒していた意識は溶かされていった。
………………………………
…………どれくらい、眠っていただろうか。
ゆっくりと瞼を開けてみれば、叩き落としてしまったのだろう時計が目に入る。11時43分。
じゃあ、今はもうお昼なのか。
未だにぼやけている視界を正すため、強く目を擦る。寝過ぎたせいか鈍く痛む頭を振ってから、私は布団を蹴った。
おもむろに起き上がるも、がんがんと確かに主張する頭痛が鬱陶しい。
こんなことなら目覚ましをかければ良かったと後悔しながら、のろのろベッドを降りた。
パーカーとスウェットを履いて、軽く髪を整える。
欠伸を噛み殺して部屋を出た。お昼は何にしようとか呑気に考えながら階段を降りる。
転ばないように気を付けながら、一段一段ゆっくり降りる。クラクラする頭を一度大きく叩いてから、止めていた足を動かした。
「……む」
立ち眩みにもう一度足を止める。なんだか、引きこもってから立ち眩みが起こる頻度が高くなった気がする。
あれだな、ひとえに運動不足が原因だな。血行悪そうだし、私。動けないデブとか救いようがないな。
数分も待たずに視界は明るくなった。平衡感覚も戻っていて、ほっと安堵の息を漏らしてからリビングへと向かった。
「おはよー……ってもう仕事に行っちゃったか」
案の定居間には誰もいなかった。いても気まずいだけだし、内心ほっとする。
卵かけご飯と、冷蔵庫に余っていたおかずを食べて昼食を終える。やはり運動も勉強もしないと、そんなにお腹は空かないなあ。
洗面所で、歯ブラシに歯磨き粉をつけてから居間に戻る。どかっとソファに腰掛けてテレビを点ける。
チャンネルを変えてみてもドラマや通販番組ばっかりで、面白そうなものはない。
「なんえほんなおもひろふなはほーなのばっはひ……」
なんでこんな面白くなさそうなのばっかり、と愚痴る。しゃこしゃこ歯を磨きつつ、チャンネルをさらに変える。
「びーえふ、びーえふひゃふぁんもびひょー」
「おい」
「おごぇっ!?」
突然ガチャリとドアを開けて入ってきた無遠慮不躾クソ野郎──トビのせいで喉奥に歯ブラシを突き刺してしまった。こいつ人を殺す気か?
「……」
悶絶して震えていると呆れ切った冷たい目で沈黙される。
お前のせいなんだけど。いやまあ誰もこないと思って独り言言ってた私も悪いけど。
慌てて口を濯ぎに行ってから、できるだけ顔を引きつらせない様に微笑みつつ応対する。
何でも、また外に出て帰る手掛かりを探すそうな。
あ、無断で行くことは本当にしないんだ、と安心する。そこは助かるし素直に有難い。ジャージを羽織りついていく事にした。
今日は久しぶりの快晴で、心地よさに大きく伸びをしたくなる。トビの手前大人しくしておいたが。
いつもより空気が美味しく感じられる。うん、良い日だね。このコスプレ野郎さえいなければ。
コスプレ野郎もといトビはといえば、父さんの服の上から暁コートを着ている。
やはり脱いでほしいとは思ったが、お面も派手なので脱いだところで目立つのは変わらないことに気がつき諦めた。
トビは昨日と同じように、地に手をついて黙してしまった。とりあえず手持ち無沙汰な私は周りに人がいないか、車や誰かが近づいてくる気配がないか警戒していた。
今のところ特に問題なしだ。田舎なのをこれほど感謝したこともない。
「…………これは」
唐突に、トビが驚愕したような声を漏らした。
振り向いてどうしたのか尋ねてみる。しかし、奴の反応は非常に簡潔かつすげないものだった。
「忍術を知らない貴様に説明しても理解できん」
「あ、はい……そうですよね」
だって私一般人ですしおすし。NARUTO読んでたとはいえ、トビに言ってないし言えるわけもないし。
多少の悔しさは我慢して忘れることにする。こいつに食ってかかったり教えてくれと喚いたりしても、意味も成果もないのは目に見えている。
これ以上険悪な関係になっても面倒なだけだ。
無意識のうちに出そうになるため息を必死に飲み込み、私はまた周囲の警戒を始めた。
時折車の通り過ぎる音が遠くから聞こえるが、近くには来ないのでほっとする。
いつになったら私に安寧の時間は訪れるのか……
一切気分は晴れない。一回憂鬱になったらなかなか立ち直れないものだ。
暇だなあ。今日もパソコンなかったし。
鬱だなあ、NARUTO関連気になるし。
うちはオビトのことを調べたくても、情報源になるパソコンがないことにはどうにもならない。
苛立ちだけが私の心にしんしんと降り積もる。一気にドン! と来るならストレス発散のしようがあるが、こう徐々にこられては溜まっていく。
…………あ、割りとマジでムカムカしてきたぞ。自分に対しても、トビに対しても。苗字さん情緒不安定過ぎでは?
まあ、こいつに対してムカついたところで何もできないし、このまま終わるだけなのだが。
嘆息を吐いてから、私はトビを瞳だけを動かしてちらりと見た。
なんというか、長い。
昨日は5分もしないで家へと戻ったのに、もうとっくのとうに5分なんか過ぎている。私の感覚なので間違っているかもだが、昨日より長いことは確かな筈。
微動だにしない、というわけではない。
時々手を地面から外して何やら熟考しているようだったし。それらにかける時間が昨日の倍はある気がする。それが少し、不安を煽った。
胸の奥から、焦燥のような感情が湧き上がる。
ちりちりと音を発てて燃え盛っているような錯覚を受けた。
これ以上は不安で耐えられなくなる。仕方がなく、トビに催促の声をかけた。
「あの……そろそろ戻りませんか? 人が来るかもしれませんし……」
「見られたとしても、術で記憶を奪えば問題ない。まだ調べたいことがある」
「っ……」
こうなれば梃子でも動いてくれないだろう。渋々、それからは黙ってトビを見ていた。
落ち着いていれば大丈夫。そんな風に思い込もうとして、逆に焦りが加速していく。
いや、まだ大丈夫でしょ。こんな半端な田舎、それも平日の真昼間とか誰も来ないし。
それに私は何にせよ目撃者が出ないことを祈るしかないわけだし、無駄にドキドキしたって寿命が減るだけだ。落ち着け。
胸に手を当てて、繰り返し静かに深呼吸をする。トビは集中しているようなので、おかげでバレず、変に思われていないようだ。
悪態をつきそうになるも何とか堪えて、強く手を握りしめて待ち続けた。
こんなに長く外にいれば、本当に誰かに見られてしまいそうで怖かった。
再三言うが、無関係な人を巻き込むのはあまりしたくない。それに加えて、仮に記憶を消せたとしても、こんな手ばかり使っていたら部分的な健忘を訴える人がここら辺で急増する羽目になる。その結果、警察のパトロールとか調査が入るかもしれないし。
こいつの口ぶりからして、消した記憶の部分を補完するような都合の良い術とは思えない。だから不安だったのだ。
だってこいつ、多分警察が捜査しに来たとしても幻術かければ良いだろうくらいにしか思ってなさそうだし。
そうやって徐々にハードルが低くなっていったら、結果として──こいつは、この世界の人間に手を出すことに一切の躊躇いが無くなるのではないだろうか。
だから早く帰りたい。頼むから誰もこいつのことを見ないでくれ。
それからしばらくして、ようやくトビは立ち上がった。
「今日はもういい。……どうした?」
「あ、いえ、何でも。何でも、ないです」
胸の前で強く手を握りしめていたのを見られ、私は恥ずかしく思いながらも作り笑いを返した。
トビは訝しげに私を一瞥したが、何事もなかったように家へと戻る。
その後ろ姿に無性にあっかんべーをしたくなる。私ばっかり不安になってるみたいで悔しかった。しょうもないししないけど。