3話 如何にして理解を得るか
あなたの名前は?
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階段を上り、自分の部屋の前に立って深呼吸する。
ここからが正念場だ。
大丈夫、まだやり直しはいくらでも利くんだから諦めるんじゃない。
というか失敗したって死ぬわけじゃない。トビだってそこまで雑な奴じゃない筈。
息を吐いた後、2度ノックして「名前です」と言ってから扉を開けた。
トビは既に起きていた。休み出した時と同じ姿勢のままではあったが、僅かに顔を上げたのだ。
ノックはしたものの起きているとは思っていなかったので、無意識に呼吸が止まる。
「あ……あの、すみません。
今家族が帰ってきて、ある程度説明しました。来てくれますか?」
「……ああ」
驚いて一瞬どもってしまうが、すぐに気を取り直して伝える。
奴も文句などは言わず、小さく返答すると立ち上がった。
体調は少しくらいマシになったか、帰る手立ては見つかったか。
聞きたいことは山ほど有ったけれど、やっぱり怖くって聞けなかった。
無言で私たちは階段を下りる。
……ああ、改めて言おう。本当に最悪だ。逆トリップなんぞ下らないものが実現するなんて。
しかもよりによってトビだとは。
せめて性格の良い、というか比較的穏和なタイプのうずまきナルトとかテンテンみたいな、木ノ葉の里の連中が良かった。
なんだって暁の裏ボスなわけ。しかも殺されかけるし踏んだり蹴ったりじゃないか。
心の中で愚痴を言っていれば、ついにリビングに到着した。
……万が一ってものがある。念には念を、だ。
「少しお待ちください。すぐ終わらせますから」
反論や文句を言われたら堪ったものではないので、奴が喋るより前に素早くリビングの中に入り込んだ。当然扉は閉めておく。
私に集まる2つの視線。それに負けるものかと真っ正面から見つめ返しながら、2人に近寄って小声で念を押した。
「いい? 今から入れるから。間違ってもコスプレだーとかなんて言わないでよ」
「分かった、だから早くしろって」
「待ちなさい、あんたその首の説明を……!」
今度は母さんの声をスルーして、再び扉を開ける。
これまた小声で「入ってください」と言えば、トビは無言で入ってきた。
目を見開き阿呆面になる兄さんと母さんに口出しさせぬよう、私はすぐさま語り出した。
「さっきも言った通り、家の前で倒れてたトビさん。信じ難いけど、別世界から来た忍者なんだって」
返事はない。だから今、ここで畳み込んで信じさせるべきだ。
後ろを振り返り、予め考えていた通りにトビに頼むことにした。母さん達には聞こえないよう、小声で。
「あの、トビさん、まだ二人とも信じきれないみたいで……忍術を見せて頂くとか、できないでしょうか?」
「……見世物では無いのだがな」
「す、すみません。ですけど……お願いします。このままじゃ信じてもらえないので」
「オレは別に、信じられずともやり用はあるが」
そらそうだ。あんたからしたら幻術をかけて操る方が楽だろう。
私の時のような一時的なものではなく半永続的に信じ込ませるものだって、幻術にはあるのだろうし。ほら、水影にかけたみたいなやつ。
だが、私は幻術なんぞ怪しげなものを家族にかけたくはない。
対象にどんな負担がかかるのかもわからないのに、はいそうですかなんて言えるかってんだ。
「すみません、幻術とかは勘弁してほしいなあって……体調が優れないところ本当に申し訳ないんですが、お願いします」
深々と頭を下げると、母さん達がぎょっと見つめてきたのがわかる。
会話の聞こえない母さん達には話が見えないのだし当たり前か。
トビも私が嫌がるとはわかっていたのだろう。
必死に頭を下げたままでいると「わかったから顔を上げろ」面倒臭げに了承してくれた。
私が鬱陶しかったんだろう。一応、本気で申し訳ないとは思う。
「……室内だと、大したものは見せられんぞ」
「あ、大丈夫です……こっちの世界では、多分何でも珍しいですから」
火遁なんてもう魔法だしね。まあ火遁に限った話じゃないけどさ。
ちらりと兄さんと母さんを見てみれば、何か言いたそうにしている。
しかしここで水の泡にされても困るから、人差し指を唇に当てるジェスチャーを返した。
トビは思案する素振りを見せた。何を見せてくれるのか多少のワクワクはあるが、そんな場合ではないので心中で留めておく。
しばらくすると、トビは母さん達にも聞こえる声量で、私に指示を出した。
「……それでは、オレに触れてみろ」
「へ? は、はい……」
意図の分からない指示に困惑してしまったが、何とか返事をして恐る恐る触れてみる。
しかし私の指はマントに触れることなく、トビの身体をすう、とすり抜けた。
「うぇぇっ!? な、何これ! うわあこれ凄いですね!?」
嘘だろ嘘だろ何だこれ! 何かを貫いた感覚すらなく体を通り抜けたぞ!
「分かったからそう騒ぐな」
興奮する私と冷静なトビ。
トビは疎ましげに落ち着け、と私を窘めた。
いやでも超常現象が起こったのに冷静になんてなっていられない。
それでも落ち着かないと話が進まないから、無理矢理頭を冷やそうと一度深呼吸をした。
……うん、なんとかいけそうだ。
母さんたちに向き直り、信じてくれるかどうか尋ねた。
「え、ええ……?」
「や、驚くのはわかるけど、とりあえず信じてくれたんだよね?」
「いや、うん……正直信じてはないけど信じないと話進まないし、続けて……」
呆然と、眼の前で起こったことを受け入れられない様子で母さんが返す。思った事をそのまま口にしている辺り、心底驚いているらしい。
まあ、当然だよね。トビがすり抜け技を持ってるって知っていた筈の私でも、忘れてビックリしたくらいだし。
冷静になると、今の術は神威だと気がついた。こいつの十八番であり、とんでもないチートと評判の。
兄さんはと言うと、困惑した顔のまま少し胡乱げにトビを見つめている。よく真正面からそんなことができるな、と呆れと尊敬が混ざった感情を抱く。
「手品、じゃないよな。
こんな至近距離で見ててタネが分からん訳無いだろうし、しかもナル……」
そこまで言って、兄さんは自分が口走りかけたことに気がついたらしい。慌てて口を噤んだ。
大方「NARUTOに出てくるトビそのもの」だか「NARUTOのコスプレにしか思えない」だか言うつもりだったのだろうが、そんなこと言わせられるか。
これ以上トビに疑われるような素振りはできない。
訝しげに見やってくるトビを気にした様子もなく(どうせ内心ビビっているのだろうが)、兄さんはしみじみと呟いた。
「……とにかく、マジっぽいな」
「さっきからこれがそう言っているだろう」
兄さんの独り言を聞き逃すことなく、トビは視線を遠くにしたまま言を返す。
これ呼ばわりされたのは心外だが(いや私もこいつとか内心言ってるけど)、食って掛かるのは向こう見ずすぎるし黙しておく。私はそこまで無謀ではない。というか臆病者なので。
トビの腕を組んで目を合わせないその様は余裕を見せつけるようで、格の差やら何やらを感じさせる。
うーん、年の功……いや人生経験の差? 私には戦争も死にかけたりも経験したことはないし。
少しの間を挟み、トビは先程までの気怠さを見せずに口を開いた。
「今のはオレの能力の1つだ。これ以上の説明は無用だろう」
流石は忍者。そう簡単に情報は明かしてくれないものだ。
いやこれは信用とか信頼とかの問題ではなく、私たち一般人に説明する無意味さ故だろうが。
どうせ私達に神威は理解できない。話すまでもなく彼の圧倒的な強さは示せる。
それに、いざとなれば幻術でも何でも使って従わせられるのだろうし、まだ温情があると言えるのだろうが。
母さんも兄さんも納得はしていなさそうだったが、トビの手前黙ってしまった。
しかしトビも沈黙してしまったので、次は私が話さなければならない番らしい。
表面上は冷静そうに見えるように穏やかな声色で、母さんに大本命の頼みを告げた。
「でさ、母さん。
トビさんは異世界に帰る手段がまだ不明なんだって。
今は体調も優れないらしいし、見つかるまで家を拠点にしてもらいたいと思うんだけど……」
あ、母さんが信じられないものを見る目で私を見てる。
激しく同意したいところではあるが、そうもいかないのが世の情けというやつだ。何か違う気がするがとにかくそうったらそうなのだ。
でもしょうがないじゃん? この人ほっといたら問題起こしそうじゃん?
こんな危険物、世の中にほっぽり出すほど私は気丈じゃありません。
手元にあるほうがまだ安心できるし、今にも倒れそうな奴を野宿させられるほど冷酷ぶれない。
お願い、と不本意ながらも頭を下げる。
「ちょっと、そんなこと言ったって……いや、異世界なんてあり得ないでしょ……」
「でも、なら今のすり抜けはどうなるの。この世界の人がそんなことできるわけないし」
「そんなの! ……手品か何かでしょう。私達にわからないタネがあるだけで」
……まあ、おおよそ予想通りだが。
母さんは頑として、トビのことを認めてくれなさそうだ。
何となくわかってはいた。
母さんは私とは違ってアニメとか漫画とかはそんなに見ないし、現実的なことを簡単に受け入れてくれるほど夢みがちではない。
まだ兄さんの方が若いし、NARUTOを読んでいた分──半信半疑といった様子だが──信じてくれているようだった。
「それにこの人、あんたのこと怪我させた張本人なんでしょう。そんな人を家に置いとけるわけないでしょうが……!」
いやマジでそれはそう。
じゃなくて。この調子では、母さんが警察に連絡してしまうだろうことは明らかだ。心配は嬉しいけどそれはマジで困る。
どうにかしないと、と思案する。しかし、視界の端でトビが動いたのが見えたため顔を上げた。
「……埒があかんな」
「えっ、あの、トビさん?」
ちょうど母さんとトビの間に立っていた私を押し退けて、トビは母さんの方向にすっと一歩踏み込んだ。
驚いて後ずさろうとする母さんだったが、一度体を跳ねさせたかと思うと硬直した。
そのまま、目を見開いてぼんやりと宙を見る。
まさか、と血が一気に引いていく。
兄さんも何かを察したようで、険しい顔でトビを見つめる。今にも食ってかかりそうだ。
ダメだ、兄さんがそれを知っているとトビに気づかれるのは。
だからこそ、兄さんに何かを言われる前に私が尋ねた。
「トビさん、幻術かけたんですか!?」
「そうでもしなければ話が進まんだろう。
言っておくが、オレは譲歩していたつもりだ。これ以上駄々を捏ねるならオレのやり方で全て進めるぞ」
…………確かに、こいつは一応私の頼みを許可してくれていた。
ここを拠点とするよう提案したのも私だし、幾らメリットがあるとはいえ、私の頼みを受け入れてくれたのはこいつだ。
上手く話を運べなかった私に責任がある。
こいつに怒るのは筋違いだ。だから、今にも勝手に殴りかかりそうな拳を緩めよう。
努めて冷静に、私は問いかけた。
「脳に負担とかはないですよね?」
「……そういったものはない。
貴様の母親にかけた幻術は幻術の中でも下位のものだ。
内容自体が『トビという人間がいることに違和感を感じない』という単純なものだからな」
私が平静を保てたことが少々意外だったのか、少し黙った後に一応説明してくれた。
こいつの話から考えるに、暗示の類のものか。
別天神レベルのものまでいけば洗脳だが、この程度なら、まあ………………いい、か。
私にかけたものとも効果が違うようだし、特に危害が無いのなら。腹は立つが。
兄さんも、やや納得はいかないようだが一応溜飲を下げたらしく、心配そうに母さんを見つめる。
ぼんやりとしていた母さんだったが、次第にパチパチと目を瞬かせて生気を取り戻した。
「そうね。帰るまでなら……ええ、私は良いわよ」
「あ、ありがとう、母さん」
流石は幻術、流石は忍者。
あの頑なな母さんですら黙らせるとは凄まじい威力である。やはり心底腹は立つが。
兄さんと顔を見合わせて、手荒ではないが平和的とは言い難い終結に、苦い顔をし合うことしかできなかった。
だが、一先ず蹴りがついたことは確かだ。安堵の吐息が漏れて、どっと押し寄せてきた疲労感に倒れそうになった。
もちろんまだやることは残っているし、早々気を抜くことはできない。
改めて気を引き締めようと静かに呼吸した。