チョコレート
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「琥珀さん、琥珀さーん!注射の時間ですよー!」
「注射とかいらないから……」
ぼそりと小さく呟いてから、息を殺す。ここからが正念場だ。バレないようにできる限り気配を消さなくては。
すたすたと近づいたり離れたりする足音。それに比例するように大きくなったり小さくなったりする声音。近づかれれば焦りは湧くけれど、離れられればほっとする。このスリルが楽しいんだよね。
ナースさんらしき女の人は、心配した声色で何やらぶつぶつ呟いている。
「病室にもいなかったし、何処に行ったのかしら……ひょっとして、また介護病棟?」
その言葉と共に小走りで遠ざかっていく足音。今度こそ行ったらしい。
安心感から安堵のため息を漏らす。これで注射をする時間を引き伸ばすことができた。
「よっし、見つからないうちに出かけよっと!」
窮屈感もこれでおしまい。さっさと逃げて、少しでも自由の時間を楽しもう。
毎日治療を頑張ってるんだから、たまには息抜きをしたって良いはずだ。アイアムフリー!
ワクワクしながら動き出すと、またまた外から足音が聞こえてきた。それだけならまだしも、どんどんこっちへ近づいてくる。
慌てず騒がず、落ち着いて隠れる。まだ出ていなかったから、簡単に潜ることができた。
誰かな?またナースさんかな?面倒くさいなあ……私だってこの体勢は結構疲れるんだよ。
まあ、テレビで見た戦争の映画みたいで楽しいけどね。「ほふくぜんしん」っていうんだっけ?その体勢と同じだから、私も 兵士になって戦ってる気分だ。
これでモデルガンでもあったら完璧なのになあ、と残念がっていたらついにドアが開けられた。
スライド式のドアから、黒いズボンが見える。後ろから、ストッキングをはいた細い足も。
これって、先生とナースさん?うへ、早く出てってくれないと逃げられないじゃん。
「探したんですけど、どこにもいなくて……」
「また注射が嫌で逃げたのかもな。ま、すぐ見つかるさ」
だから嫌なんだ。
しなくても死ぬわけじゃないのに、いや死ぬかもしれないけど、なんでしなくちゃいけないのさ。私の意見なんてまるっきり 無視なの?
別に治らなくても良い。もう面倒くさい。治ったって、どうせまたきっとなるんだし。
「じゃあ私、食堂を探してきますね」
「ああ、頼む」
ぱたぱたとナースさんが早歩きしてして行ってしまった。忙しない人だ。
しかし、先生はどこへも行かない。もしかして、私のことどうでもいいから探さない、とか?
……別に、良い。先生にどう思われようと、私の知ったことじゃないもの。
胸の中央が痛み始める。これは病気だからなるんであって、別に悲しいとか寂しいとかそういうわけじゃない。
胸を抑えていると、突然先生が独りでに話し出した。
「いるんだろ、琥珀?」
「っ!?」
声が出そうになるのを寸でのところで堪えた。きっと今の私はすごくビックリした顔になっているだろう。
固まる私をよそに、先生はいつもの平淡な口調のまま、しかしどこか得意気に喋る。
「お前が注射を嫌っているのは知ってるが、ここは大人しく受けた方が良いと思うぞ。引き延ばしても、どうせやることになるんだしな」
ここからだと顔は見えないが、きっとドヤ顔なんだろうな。殴ってやりたい。
でも自信満々の先生はかっこ……じゃない、やっぱウザい!ここから出られたらひっ叩いてやるのに!
悔しさから歯をぎりぎりと食いしばったけど、なんとか冷静さは失わない。私だって先生を殴りたいなんていう一時の欲求に身を任せるほどバカではな い。
少しの沈黙が続く。先生は嘆息を溢した後、こう宣した。
「……良いだろう、お前が出てこないつもりならこっちから捕まえてやる」
うわあ嫌な予感。見つかりませんように見つかりませんように!
信じてすらいない神様に願いながら、私は先生の動きを見張る。黒いズボンは真っ直ぐに私の方へ進んできて、焦燥が募って いく。
忌々しい心臓は破裂するんじゃないかってくらいに激しく鳴っている。見つかってほしくない……私の自由を奪うなあー!
叫びたくなるけど口は絶対に開かない。呼吸も止めて、細心の注意を払う。これなら見つかるわけない!
こちらに向かっている先生の足が止まった。すぐ側まで来ていて、緊張と焦りで汗が流れる。
さて、どうする……ていうか目がしょぼしょぼする。
無意識のうちに目をずっと開けていたからか、乾燥していてとても痛い。大きく目を瞑る。
そして再度開いたとき、横向きに腹這いになった先生がいた。目かパチリと合う。
……んなっ!?
「びゃああああああああせんせえええええええええっっ!!??」
「見つけたぞバカ!」
「えっ、ちょっやめっ。はーなーせー!」
ガッシリと腕を掴まれ、ずるずると引きずられる。必死の抵抗も無駄に終わり、私はベッドの下から引きずり出されてしまっ た。
私の主治医といっていいこの先生は、うちはオビト先生。31歳なのにエリートコースを突き進んでいる、スゴい先生だ。
しかしスゴいと認めるのは癪だ。昔までは「先生」と呼んでいたが、当て付けも兼ねてオビトと呼ぶようにしている。 ……たまに気を抜くと、先生って言っちゃうんだけどね。
先生は私の手首の辺りを掴んで宙に持ち上げた。宙ぶらりんになって、少し足下が心許ない気持ちになる。
つまり、万歳のポーズに無理矢理させられている状態。恥ずかしいのなんのって。
思いっきり睨んでやったら、先生は嘲ったような笑いを浮かべ、鼻を鳴らした。
「さてと、落ち着いたか?」
「はなせっこのバカ医者めっ」
「大人に向かってバカとか言うな!年とればとるほど口悪くなりやがって……」
「バカにバカって言って何が悪いのよ。アホっ、間抜け、バーカバーカ!」
「小学生かお前は……」
呆れた風にため息を吐く先生に怒りのボルテージが上がる。私のことをなんだと思ってるんだ、この人。
むう、と自然に頬が膨れる。昔からの癖で、つい怒ったときはなってしまう。いつもは恥ずかしくって堪えられるのに、先生の前だと気が緩んでしまう。
……はっ!?まさかこの人、私にそういう毒を盛ってるんじゃ!! いや、流石にないかなー。ないよなー?
先生はため息を吐いてから、私を床に下ろした。しかし手は掴まれたままなので逃げられない。
くそー、と軽く悪態を吐いてみせたら責めるような目で見つめてきた。
む、やりすぎたか……。
ここは素直に謝ろうと思い、口を開こうとした途端に先生が話し出した。
「お前、最近ろくに飯を食ってないだろう」
「な、何いっちゃってるのオビト?私、毎日元気百倍のアンパン○ンと良い勝負してるんだよ?」
「まだア○パンマン見てるのか……さっき持ち上げて分かったさ。あまりにも軽すぎるからな」
「もうアンパ○マンは見てないから!最近子供の病棟で演劇してきたから、つい言っちゃっただけ!」
無駄に生暖かい目で見てくるから、全力で否定する。
ちくしょう、暇だからって演劇の手伝いなんてするんじゃなかった……まあ、子供が楽しんでたからまだ良かったけどさ。
先生はじとりとした目で私を見下ろす。どうやら、ちゃんとご飯を食べていないことにご立腹らしい。
「……だ、だってさ、ここのごはん全然美味しくないんだよ」
「まあ不味いのは分かるが……食べなくちゃ治らないぞ」
「いーのいーの。どうせ治らないんだしさっ」
ねっ、と微笑みかければ、先生は不機嫌そうな顔をさらに顰める。申し訳なさが襲ってくるが、実際そう思ってしまうのだから仕方がない。
「……そういうことを言うもんじゃない」
「いや、でもさ。思っちゃうものは仕方ないでしょ?もし治ったって、私がまともな職に就いたりできるわけないし、希望をもつなんて無理だよ」
そう、無理だ。
余計な希望を持てばあとで辛くなるんだ。それならいっそ、このまま死んでしまった方が楽なんだから。
家族には世話になってばかりだし、これ以上長生きしたって迷惑しかかけないんだ。
それでも、自分から死ぬことは出来なかった。どうしてだか、先生といると生きていたいと思ってしまうから。
「注射とかいらないから……」
ぼそりと小さく呟いてから、息を殺す。ここからが正念場だ。バレないようにできる限り気配を消さなくては。
すたすたと近づいたり離れたりする足音。それに比例するように大きくなったり小さくなったりする声音。近づかれれば焦りは湧くけれど、離れられればほっとする。このスリルが楽しいんだよね。
ナースさんらしき女の人は、心配した声色で何やらぶつぶつ呟いている。
「病室にもいなかったし、何処に行ったのかしら……ひょっとして、また介護病棟?」
その言葉と共に小走りで遠ざかっていく足音。今度こそ行ったらしい。
安心感から安堵のため息を漏らす。これで注射をする時間を引き伸ばすことができた。
「よっし、見つからないうちに出かけよっと!」
窮屈感もこれでおしまい。さっさと逃げて、少しでも自由の時間を楽しもう。
毎日治療を頑張ってるんだから、たまには息抜きをしたって良いはずだ。アイアムフリー!
ワクワクしながら動き出すと、またまた外から足音が聞こえてきた。それだけならまだしも、どんどんこっちへ近づいてくる。
慌てず騒がず、落ち着いて隠れる。まだ出ていなかったから、簡単に潜ることができた。
誰かな?またナースさんかな?面倒くさいなあ……私だってこの体勢は結構疲れるんだよ。
まあ、テレビで見た戦争の映画みたいで楽しいけどね。「ほふくぜんしん」っていうんだっけ?その体勢と同じだから、私も 兵士になって戦ってる気分だ。
これでモデルガンでもあったら完璧なのになあ、と残念がっていたらついにドアが開けられた。
スライド式のドアから、黒いズボンが見える。後ろから、ストッキングをはいた細い足も。
これって、先生とナースさん?うへ、早く出てってくれないと逃げられないじゃん。
「探したんですけど、どこにもいなくて……」
「また注射が嫌で逃げたのかもな。ま、すぐ見つかるさ」
だから嫌なんだ。
しなくても死ぬわけじゃないのに、いや死ぬかもしれないけど、なんでしなくちゃいけないのさ。私の意見なんてまるっきり 無視なの?
別に治らなくても良い。もう面倒くさい。治ったって、どうせまたきっとなるんだし。
「じゃあ私、食堂を探してきますね」
「ああ、頼む」
ぱたぱたとナースさんが早歩きしてして行ってしまった。忙しない人だ。
しかし、先生はどこへも行かない。もしかして、私のことどうでもいいから探さない、とか?
……別に、良い。先生にどう思われようと、私の知ったことじゃないもの。
胸の中央が痛み始める。これは病気だからなるんであって、別に悲しいとか寂しいとかそういうわけじゃない。
胸を抑えていると、突然先生が独りでに話し出した。
「いるんだろ、琥珀?」
「っ!?」
声が出そうになるのを寸でのところで堪えた。きっと今の私はすごくビックリした顔になっているだろう。
固まる私をよそに、先生はいつもの平淡な口調のまま、しかしどこか得意気に喋る。
「お前が注射を嫌っているのは知ってるが、ここは大人しく受けた方が良いと思うぞ。引き延ばしても、どうせやることになるんだしな」
ここからだと顔は見えないが、きっとドヤ顔なんだろうな。殴ってやりたい。
でも自信満々の先生はかっこ……じゃない、やっぱウザい!ここから出られたらひっ叩いてやるのに!
悔しさから歯をぎりぎりと食いしばったけど、なんとか冷静さは失わない。私だって先生を殴りたいなんていう一時の欲求に身を任せるほどバカではな い。
少しの沈黙が続く。先生は嘆息を溢した後、こう宣した。
「……良いだろう、お前が出てこないつもりならこっちから捕まえてやる」
うわあ嫌な予感。見つかりませんように見つかりませんように!
信じてすらいない神様に願いながら、私は先生の動きを見張る。黒いズボンは真っ直ぐに私の方へ進んできて、焦燥が募って いく。
忌々しい心臓は破裂するんじゃないかってくらいに激しく鳴っている。見つかってほしくない……私の自由を奪うなあー!
叫びたくなるけど口は絶対に開かない。呼吸も止めて、細心の注意を払う。これなら見つかるわけない!
こちらに向かっている先生の足が止まった。すぐ側まで来ていて、緊張と焦りで汗が流れる。
さて、どうする……ていうか目がしょぼしょぼする。
無意識のうちに目をずっと開けていたからか、乾燥していてとても痛い。大きく目を瞑る。
そして再度開いたとき、横向きに腹這いになった先生がいた。目かパチリと合う。
……んなっ!?
「びゃああああああああせんせえええええええええっっ!!??」
「見つけたぞバカ!」
「えっ、ちょっやめっ。はーなーせー!」
ガッシリと腕を掴まれ、ずるずると引きずられる。必死の抵抗も無駄に終わり、私はベッドの下から引きずり出されてしまっ た。
私の主治医といっていいこの先生は、うちはオビト先生。31歳なのにエリートコースを突き進んでいる、スゴい先生だ。
しかしスゴいと認めるのは癪だ。昔までは「先生」と呼んでいたが、当て付けも兼ねてオビトと呼ぶようにしている。 ……たまに気を抜くと、先生って言っちゃうんだけどね。
先生は私の手首の辺りを掴んで宙に持ち上げた。宙ぶらりんになって、少し足下が心許ない気持ちになる。
つまり、万歳のポーズに無理矢理させられている状態。恥ずかしいのなんのって。
思いっきり睨んでやったら、先生は嘲ったような笑いを浮かべ、鼻を鳴らした。
「さてと、落ち着いたか?」
「はなせっこのバカ医者めっ」
「大人に向かってバカとか言うな!年とればとるほど口悪くなりやがって……」
「バカにバカって言って何が悪いのよ。アホっ、間抜け、バーカバーカ!」
「小学生かお前は……」
呆れた風にため息を吐く先生に怒りのボルテージが上がる。私のことをなんだと思ってるんだ、この人。
むう、と自然に頬が膨れる。昔からの癖で、つい怒ったときはなってしまう。いつもは恥ずかしくって堪えられるのに、先生の前だと気が緩んでしまう。
……はっ!?まさかこの人、私にそういう毒を盛ってるんじゃ!! いや、流石にないかなー。ないよなー?
先生はため息を吐いてから、私を床に下ろした。しかし手は掴まれたままなので逃げられない。
くそー、と軽く悪態を吐いてみせたら責めるような目で見つめてきた。
む、やりすぎたか……。
ここは素直に謝ろうと思い、口を開こうとした途端に先生が話し出した。
「お前、最近ろくに飯を食ってないだろう」
「な、何いっちゃってるのオビト?私、毎日元気百倍のアンパン○ンと良い勝負してるんだよ?」
「まだア○パンマン見てるのか……さっき持ち上げて分かったさ。あまりにも軽すぎるからな」
「もうアンパ○マンは見てないから!最近子供の病棟で演劇してきたから、つい言っちゃっただけ!」
無駄に生暖かい目で見てくるから、全力で否定する。
ちくしょう、暇だからって演劇の手伝いなんてするんじゃなかった……まあ、子供が楽しんでたからまだ良かったけどさ。
先生はじとりとした目で私を見下ろす。どうやら、ちゃんとご飯を食べていないことにご立腹らしい。
「……だ、だってさ、ここのごはん全然美味しくないんだよ」
「まあ不味いのは分かるが……食べなくちゃ治らないぞ」
「いーのいーの。どうせ治らないんだしさっ」
ねっ、と微笑みかければ、先生は不機嫌そうな顔をさらに顰める。申し訳なさが襲ってくるが、実際そう思ってしまうのだから仕方がない。
「……そういうことを言うもんじゃない」
「いや、でもさ。思っちゃうものは仕方ないでしょ?もし治ったって、私がまともな職に就いたりできるわけないし、希望をもつなんて無理だよ」
そう、無理だ。
余計な希望を持てばあとで辛くなるんだ。それならいっそ、このまま死んでしまった方が楽なんだから。
家族には世話になってばかりだし、これ以上長生きしたって迷惑しかかけないんだ。
それでも、自分から死ぬことは出来なかった。どうしてだか、先生といると生きていたいと思ってしまうから。
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