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置いていくのはどちらでしょう



 その日、高尾和成は殺された。
 警察の捜査はその方向で動き始めた。しかしまだ、それを断定するのは早いようだ。殺された、というのはあくまで推測であって、確定できる証拠はまだなかった。
 ただ決定的なことがある。俺は死んでしまったのだ。家族や親しい友人、部活の仲間、お世話になった人たちにさよならを言うこともできずに。伝えたいことはたくさんあった。ありがとう、元気でな。死なんてものは、あまりにもあっさりやってくる。誰がその日を予想できただろう。
 そうその日、猛暑の続く8月のはじめ、俺は、死んだ。


*


「お前、ほんとになんも覚えてないの」
「そうなんすよねー、気づいたら学校の裏にいて…」
 8月7日、明日で高尾がいなくなって一週間が経つ。いつもより短くなった部活終わり、風の吹きぬける学校の中庭で、俺は一人ベンチに座っている、ように見えるだろう。隣に高尾がいるなんて誰が思うだろう。正直、自分自身でも幻と会話してるんじゃないかと思う。ここ3日ほど、俺たちは人気のないところで喋るのが習慣だった。夜は家にいるのかと聞けば、高尾からは家は暗い雰囲気だから居づらい、その辺をうろうろしている、となんとも幽霊らしい答えが返ってきた。
 公園で高尾と再会した日、いままでどこに行っていたんだと問い詰めた俺に、あっけらかんとした顔で高尾はこう言った。
「俺、死んじゃったみたいです」
 飲みかけのコーヒー牛乳のストローを咥えたまま、ちらりと横に目を向けると、高尾はベンチの背もたれの部分に器用に立っていた。
 この存在を俺以外の誰か信じてくれるだろうか。警察に言おうにも、まともに取り合ってくれるはずがない。俺の元に残ったのは、高尾がもう死んでいるという事実だけだった。
「……お前、そこにいたってことは、そこで死んだんじゃねーの」
「そうなんすかねぇ…。やっぱ殺されちゃったのかな、俺」
「それを調べるために一緒にいるんだろ、馬鹿やろう」
 そういうと、高尾は一瞬驚いたような顔をして、笑い出した。
「なんだよ、」
「いやー、宮地サンって、ほんと、いい人っつーか…」
 笑い続ける高尾を余所に、俺はスポーツバックを持ってベンチから立ち上がる。飲みきったパックをゴミ箱に投げ入れ、靴を履きかえる。学校裏の小道で立ち止ると、スーッと校舎の壁のあたりから高尾が出てきた。幽霊を上手く使っているというか、楽しんでいるというか、全くこんなところが高尾らしい。
「ここだよな、お前がいたとこ」
「そうっすよ、でもなんかなーこんなに狭かったかな…」
 ぼんやりと足元を見つめる高尾は、どこからどう見たってそこに存在するかのように鮮やかなのに、触れられない。俺以外には見えない。
 あれから警察は来ていないからよく分からないが、捜査の進展は無いようだった。哀しそうな顔の高尾を見るたび、高尾の無事を願い続けている家族や部員の顔が思い浮かぶ。
 顧問の話では、通り魔の犯行かもしれないと聞いてはいたが、正直疑問は残る。通り魔は、いくら人通りが少ないとはいえ、夏休みの真昼間から高校の裏で犯行に及ぶのだろうか。しかも、今まで致命傷までは負わせていない。それなのに、いきなり高尾を殺してしまうだろうか。もし高尾を殺してしまったとしても、少ない血痕で済むだろうか。スニーカーは道の真ん中に落ちていたそうだから、その遺体を運ぶ時にも気づくだろう。わざわざそんなものを残すだろうか。
 浮ついた高尾の両足の黒いソックスが、靴が脱げていることを証明している。
 推測の域を出ないが、高尾はもっと別の事件に巻き込まれたのではないか?そこまで考えても、確証はない。高尾が思い出してくれるのが一番早く解決出来るのだ。それをまた証明するのは骨が折れそうだが。
「そういや俺、今日は妹ちゃん見かけてないんすよねー」
「そんなこと知るかよ、勝手に会ってこいよ」
「だって俺、見えないじゃないですか」
「…しょうがねーだろ」
 俺も素直に慰めてやれればいいのに、そんな言葉が口から出た。少し後悔しながら高尾を見上げると、高尾がふわっと浮き上がった。
「で、宮地サン、昨日職員室であの音楽の先生と担任がいい感じでしたよ」
「あぁ、そうかよ」
 高尾は、視線の先に鳥を追いかけ始めた。幽霊になってからの高尾の話は、なんだか脈絡がない。ころころ話題が変わるし、死んだときのことを聞いても大体上の空で、思ったことが独り言のように口から出ている、そんな印象だった。他の幽霊と話したことなどないが、幽霊になって話すとこんな感じなのだろうか。
 それに、気になることも一つ。高尾は決して緑間の話をしない。忘れているのか、思い出さないようにしているのか。まぁ生前あんなに一緒にいれば思い入れもあるだろう。
「俺、今日は帰るぞ」
「あ、はい。気を付けてくださいねー」
 なんとも洒落にならない言葉と共に、見送られる。
 あと、気になることがもう一つ。
 過去は変えられないと分かっているが、もしもあの時の電話に俺が出られていたならば。聞こえた着信音に気付いて、もしもしと一言投げかけられていたならば、何かが変わっていただろうか。

 俺は、高尾が死んでしまったことを知っているのに、まだ、泣けていない。


 夜の公園は、なんとも言えない涼しさで俺の頭を空っぽにしてくれる。道すがらに買ったサイダーがひんやりとして気持ちいい。ぼんやりと空を見上げていると、後ろの方から宮地さん、とためらいがちに声がかかった。
「緑間…?」
 公園の入り口に立っているのは、ジャージ姿の緑間だった。どうやらジョギング中の緑間は、一礼すると俺の横に少し開けて座った。
「こんなところでどうしたんですか?」
「お前こそ。家こっち側じゃないだろう。…高尾、探してるのか?」
 ちょっとした沈黙の後に、緑間は力なく頷いた。俯いたその表情は読み取れそうもないが、大体予想がついてしまった。
「信じられないんです。高尾は、明日になったら、ひょっこり帰ってくるんじゃないって思っていました」
 過去形で言われたその言葉に、俺は絶望した。あぁ、緑間が諦めてしまった。お前だけは、あいつの無事を確信していなければならなかったのに。
 俺の幻覚は、とうとう最後の希望もなくなってしまったのだ。
もしかしたら、緑間は俺の幻覚を笑ってくれるかもしれないと思っていた。何を言っているんですか、馬鹿げていますよ、そう言って。
「宮地さん、聞いてくれますか」
「……あぁ、なんだ」
 外灯の下、男子高校生二人が三人掛けのベンチに間を開けて座っている。
 視界が、滲む。
「高尾は、残酷な奴でした。
 第一印象も決してよくはありませんでした。こう言えば、嫌な奴だと思われそうですが、もちろんいい奴だったのです。今思えば、俺のこんな態度にも、言動にも、嫌な顔せずに付き合ってくれました。
 入学して間もないころ、俺と同じく居残っていた高尾にこう言われました。『ずっと負かそうと思っていた奴が同じ高校にいた』。中学の時、俺は高尾と試合をしたことがありました。……でも正直、俺は中学での対戦相手のことなど覚えていませんでした。けれど、高尾はずっとそんな目標のために努力していたのでしょう。
 それから、同じチームメイトとして、誰よりも同じ時間を過ごしてきました。俺はこんな性格もあってか、高尾以外に懇意にしていた友人がいませんでした。その上、高尾が俺の元に来るのが、毎日の習慣になっていました。恥ずかしながら、俺もまんざらでもないと思っていました。
 高尾は、俺のチームメイトであり、一番の親友であり、唯一の相棒だったのです。
 しばらく経ったころ、高尾がいつもの調子で俺に言ってきました。クラスの奴と遊んでくる、確か真ちゃんのクラスの奴も来る、一緒に来ないか、と。
 めんどくさがった俺を引きづるようにして、俺は高尾とクラス会に行きました。思った通り、高尾はコミュニケーション能力が高く、友人もたくさんいるようでした。何故だか、高尾が遠くなるような気がしていました。結局、クラスの親睦を深めるための会の間、俺は高尾の隣で、静かに話を聞いていました。今なら分かるのですが、多分俺は高尾にヤキモチを焼いていたのです。それでも、変わらず俺の元に来る高尾に満足していて……。こんなに友人の多い高尾が、俺といることに優越感を感じていました。
 言葉にすると難しいのですが、俺は高尾に依存していた、というのが近いような気がします。
 高尾がいなければ周囲に馴染むこともできないくせに、それでも高尾がそばにいるのに甘んじていました。
 ある雨のひどい夜のことでした。今でもはっきり思い出せます。雨宿りのために入った店で、二人でハンバーガーをかじっていると高尾がわざと携帯を見せるようにしてトイレに立ちました。ふと目に入った内容は、俺の知らない名前からのメールでした。内容は、高尾を遊びに誘うもので、俺はわざとらしく見せられたメールに苛立ちや焦りを感じました。高尾が帰ってきたとき、俺はむっとしていたのでしょう。冗談っぽく、どうしたんだよ真ちゃんと言われました。何も返さずにいたその時です。俺たちが座った場所の裏には、鏡が俺にしか見えない位置に張られていました。ぷ、と笑った高尾が顔を背けたとき、鏡に映った高尾の顔は、笑っていました。笑うと言っても、無邪気ないつもの笑顔ではなく、口角が吊り上ったような笑みでした。
 恐ろしい、と思いました。それと同時に、俺は高尾に『執着させられていた』んだと思いました。高尾にヤキモチを焼く自分が恥ずかしくなり、俺はその日から少しずつ周囲に目を向けるようになりました。高尾が、俺に他の友人アピールをしてきても、気にしないように努めました。
 そのころから、俺たちの関係は複雑なものになっていました。
 ……高尾は、残酷な奴でした。傍から見れば、何も悪いことなどしていませんでした。当たり前です。高尾は俺だけが友達ではないのですから。……俺は違いました。俺には、本当の意味での友達がいませんでした。
 それを分かっていて、高尾は俺にアピールを続けました。俺は嫉妬しました。それが故意的なものだと知りながら。
 それから、ふとしたきっかけで俺はあるクラスメイトとよく話すようになりました。そいつは、高尾のように明るくいい奴で、クラスに溶け込めていない俺にも話しかけてくれました。生徒会にも所属していて、頭もよく、責任感のある奴です。単純に俺はそいつ、佐藤のことを尊敬していました。佐藤のおかげで、俺はクラスメイトとも馴染めるようになり、いつしか俺も高尾以外の友人が増えていきました。
 高尾は面白くなかったと思います。それでも、俺は高尾のことを一番の親友だと思っていましたから、毎日を一緒に過ごしていました。一学期が終わり、夏休みに入ってからそれは顕著になり、部活でもプライベートでも俺は高尾とばかり過ごしていました。
 七月最後の部活終わり、俺は高尾に夏祭りに行こうと誘われました。俺はそれを断りました。実は、夏休みが始まる前に、佐藤をはじめとするクラスメイトと一緒に行く約束をしていたからです。その時、高尾は笑いました。真ちゃんも、友達出来たんだね。皮肉にも取れる台詞を言った後、じゃあなと背を向けた高尾に、お前も一緒に行こうとは言えませんでした。初めて高尾を見返してやった、そう思いました。
 次の日、いつも通りに部活をした後のことです。二人で昼食を食べ、課題をしようと提案し、図書館へ向かう小道を歩いていると、急に高尾が立ち止りました。どうしたと聞くと、高尾はこう言いました。
 俺は、思ったより独占欲が高かった。俺は、真ちゃんに執着している。
 何をいきなり言うのかと驚きました。執着させられていたのは俺の方じゃないか、と言い返すと、高尾はまたあの時の恐ろしい笑顔で笑いました。背筋が凍りました。真夏だというのに汗が止まりませんでした。
 何も言えずにいると、高尾は笑顔で続けました。
 俺は、お前に執着していたよ。中学の時から、お前だけを負かそうと思ってバスケも続けてきた。それから、同じチームメイトになって、毎日一緒に過ごして、お前のその変なトコも全部嫌いじゃなかった。隣に並びたいと思った。気づいたら、好きになってた。友達のいない真ちゃんに唯一付き合える俺、っていうのに酔ってたのかもしれない。でも、今はちょっと違う。俺、お前が好きだ。正直、嫉妬させてたのは悪かったよ。でも、お前が俺だけを頼っていてくれることが心底嬉しかったんだ。
 そこで俺は、両手を掴みました。向こうはあからさまに怯えていました。
 男が男を好きになるのって、やっぱり気持ち悪いだろ。しょうがないよな。でもさ、やっぱり俺は、真ちゃんが好きだ。真ちゃんがほかの奴と遊んでるのは、すっげー嫌だ。俺だけを見て。俺を置いていかないでよ、ねぇ、真ちゃんが俺を置いて行くくらいなら、俺が真ちゃんを置いて行く。俺だけに執着しなよ。俺だけのことしか考えられないようになれよ、真ちゃん。
 さよなら、真ちゃん、愛してる。
 ……長くなりましたね、宮地サン」
 静かにそう言うと、緑間は顔を上げた。正確には、緑間の顔をした何かが顔をあげた。どうやら俺は、高尾と居すぎて幽霊か人間かの判断もつかなくなっていたらしい。
「それで、お前はどこで死んだの、高尾」
 いつの間にか、隣の緑間の姿だったものは、本来の形に戻っていた。
「……それだけは、本当に思い出せないんです」
「そうか……」
 なんとなく、緑間の話をしない理由が分かった気がした。幽霊になった今、高尾は緑間に接触できないのだから。自分の存在そのものを高尾は呪いにしたのだ。そしてその呪いを、緑間にかけた。
「でも、俺には緑間が見えません。罰なんでしょうか、俺には緑間の姿が見えないんです。……おかしいでしょう?」
 そういう高尾は泣いていた。高尾もまた、緑間に囚われたのだ、と感じた。緑間の復讐だと瞬間的に気づいた。高尾は、緑間自体が見えないから、他人とのかかわりの中でしか緑間を見つけられない。きっとそれを見て高尾は嫉妬するだろう。これ以上ない仕返しだと思った。
「俺も、もう行かなきゃならないと思ってます。……俺、最期になんとなく宮地サンに電話した理由が分かりますよ。多分、宮地サンに笑ってほしかった。考えすぎだろ馬鹿だなぁって。ごめんなさい、面倒をおかけしました」
「高尾……、お前、馬鹿だなぁ」
「ふふ、知ってます」
 ありがとうございました、その声を最後に、俺は高尾が見えなくなった。
「……ほんと、馬鹿だよ」
 その日、俺は公園で泣いた。目から溢れてくる液体を止められなかった。高尾は死んでしまったのだと思った。いっそのこと誰かに言ってしまおうか、そしたら俺は堂々と泣き喚くことができるのに。
 電話を取っても、高尾は死んでいただろう。でも、それでも俺は後悔した。高尾の緑間への思いとは違うものの、俺だって高尾を大事に思っていた。短い間だったが、同じチームメイトだったのだ。
 高尾、ほんと馬鹿だなぁ。
 夜通し泣いていたのだろう、遠くの空が白み始めている。
 8月の優しい朝がきた。




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