南の肖像
*
初めて「彼」に会ったのは、大事な友人が亡くなってすぐのことだった。蝉が外でせわしなく鳴いていたあの日、行く当てもなく、ただただ校舎を歩いていた俺を、彼は真正面から見つめていた。
その場から動けなくなるぐらいに衝撃を受けたことを今でも覚えている。なぜなら、彼はどことなく似ていたのだ、亡くなったその人に。夕暮れの薄暗い廊下では、本人と見間違うほど。
そのうち、彼はとても綺麗な顔をしていることに気付いた。男性相手に、綺麗なんて表現を使うと失礼だと思ったが、長いまつげに、透き通るような髪色、すっとした鼻。ほめようと思えば、いくらでもほめられると思った。いつだったか、一回だけ、そのことを彼に伝えたことがある。そのときなんて返されたかは覚えてないが、彼の表情がむすっとした顔に見えたことは、はっきり覚えている。
あと、ちょっと変わった奴だった。どこに行くにも俺が運んでやらないとダメなくらいわがままだし、クール、といえばよく聞こえるが、度を過ぎた無関心っぷりには、さすがの俺でもちょっと呆れることがあった。
でも、そんな彼だからこそ助けられたこともたくさんあった。
ある日、小さいころ両親が離婚して家にもほとんど父がいないこと、大事な友人を亡くしたこと、誰にも話したことのなかった萎える話も、黙って隣で聞いてくれた。なんとなく話したことであったが、下手な慰めよりも、俺にとって、それがとても嬉しくて、幸せで、毎日心のどっかで感じていた寂しさがやっとなくなった気がした。
俺は、親友だと思っていたんだ。いつも一緒にいて、それで、それで?
いつからか、彼に触れてみたいと思うようになった。無意識に、ふと手を伸ばしたら、真っ直ぐな目と目が合って、一瞬怪訝な顔をされたようだった。自分の顔が赤くなるのを感じて、手がさまよった。
本格的な秋になったある日、友人が死んだ日の夢を見た。
友人に付き添っていった学校で、珍しく父から連絡があった。家のことで話があるから、帰ってきなさい。大方、一人暮らしをしろとでもいう内容なのは予想がついた。もう今のままでも一人暮らしのようなものではないか。
友人に一言その旨を伝えると、先に帰れと許可が出た。気をつけろよ、その言葉に、真ちゃんもな、と突き返す。
場面は変わって、俺の家。父が家を出て行く。やっぱり学校の近くで一人暮らしをしたらどうかという提案だった。うっすらと女物の香水がした。どうせ、俺が邪魔になったのだろう。暑い、リビングでアイスを食べていると、携帯が鳴った。知らない番号だった。
「もしもし…」
「高尾和成君ですか?真太郎の父です」
その後のことは覚えていない。カギも掛けずに家を飛び出すと、足は言われた病院に向かっていた。通された一室で、俺は、とうとう足に力が入らなかった。
嘘だろ、だって、何時間前に別れたばっかじゃん。
顔にかけられた布から見える、あいつの髪色。泣き崩れるおばさんとおじさん。
何故あの時、俺は先に帰ってしまったのだろう。あの時、俺が無理にでも真ちゃんを連れ出していたら。
こんなことには。
朝起きたら、涙と汗で体中が気持ち悪かった。学校には行きたくなかったが、なんとなく彼の隣でぼーっとしたいと思った。部屋にひとりでいるよりもずっと居心地がいいだろう。そう思った。
遅刻したまま、教室には向かわずにいつもの場所に行った。彼はやっぱりそこにいた。俺が迎えにいかないから、彼も遅刻だ。ほんとに仕方ないな、とは思いながらも感謝した。でも、顔を見たら泣きそうになった。半分投げやりな気持ちで彼の背中に寄りかかってみた。なにも感じないくらいに、安心した。彼は、拒絶することなく、あの日話をした時のように、丸一日中隣にいてくれた。
真ちゃんは、俺の支えであり、俺の親友であり、俺の全てだった。
「ねぇ、真ちゃん。俺やっと気づいたんだ。俺ね、真ちゃんのことが好きだよ。今更気づくなんて馬鹿だよね。ずっとそばにいてくれたのに。でも、真ちゃんがほかの人にとられちゃう前に気付いてよかった。
もうおいていかないでよ、ねぇ、俺を一人にしないで。ずっと真ちゃんの隣にいたいよ、今までみたいに。
真ちゃん、あのときびっくりしたよ。てっきり生き返ったのか、生まれ変わりなのか、そのくらい真ちゃん本人かと思ったんだ。当たり前だよね。だって真ちゃんのモデルは「真ちゃんのお父さん」なんだから。
でも、このまま獲られちゃうのは嫌なんだ。もう一回失うなんて考えられないんだよ。あぁ、真ちゃん、ごめんね、真ちゃんいなくなっちゃうぐらいなら、俺、」
そっと、その絵を額縁から外すと、ずっと触れたかった真ちゃんの頬に触れることが出来た。鼓動が早くなるのが分かった。あぁ、苦しい。
灯油をばらまいた部屋の真ん中で、真ちゃんを抱きかかえる。我ながらベタだなぁ。
愛してる、愛してるよ。真ちゃん。あぁ。誰にも渡したくないなぁ。
「愛してる、真ちゃん」
ライターを、投げる。
了
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