倦怠と本能
相変わらず、夜明かしの墓は夜の色に染まっている。ここに眠る先人達に寄り添うように咲くフロストランプも、物珍しそうにこちらを凝視してくる亡霊も、一週間ぶりと考えるとなぜか懐かしさすら覚えるものだ。
しかし、酒の一つも買わずに直帰してしまったのだが本当にこれで良かったのだろうか。いや、ピラミダからナシャタウンまでは相当距離があり、仮に立ち寄ったとしてもあと一日は夜明かしの墓に帰れないことを考慮するとむしろ判断は間違っていないのだろう。それでもなんだか妙な胸騒ぎがするのは、一週間も想い人の顔を見ていないからなのかそれともまた別の要員なのか、なんとも判別し難い。
ラドヴァンは幽炎の墓標裏にひっそりと隠された地下室への階段を下り、固く閉ざされた扉を叩いた。
「フリンズー、ただいまー」
軽く声をかけたが、返ってきたのは静寂。おかしい、普段ならこういう場合フリンズは必ず返事をするはずだ。それとも居眠りでもしているのだろうか。
もう一度扉を叩いてみると、何か質量のあるものが倒れたような音とくぐもった声のような音が聞こえた。……すごく、嫌な音に聞こえたのは気のせいだろうか。それに、先ほどから感じる妙な胸騒ぎはいつの間にか『嫌な予感』にすり替わっている。十中八九当たるこの『嫌な予感』、今回ばかりは外れていてほしいものだが……。
「フリンズ、入るぞ」
蹴破る気でいたが、意外にも扉はすんなり開いてしまった。薄明るい部屋の中、この時間ならソファに腰掛けてランプの手入れをしているはずの主人は見当たらない。代わりに、ソファにはランプだけが無造作に鎮座している。なぜだろう、血の気が引いていく気がするのは。
少し視線を下げてみれば、案の定、人間の姿で地に伏しているフリンズがそこにいたのだが。
「フリンズ!!」
ラドヴァンは急いで駆け寄り、フリンズを抱き起こした。半月をたたえているはずの瞳は固く閉じられ、いつも青白い顔色がさらに悪くて土気色にも見える。こんな状態になるまで弱っている彼など見たことがなくて、どうしても心臓の鼓動が速まって冷や汗が全身から溢れるようだ。
「フリンズ! フリンズ!! おいどうした!? しっかりしろ!!」
「……ラド、ヴァン……?」
薄く目を開いたフリンズにしっかりと認識させるように、ラドヴァンは強く頷いた。
「そうだ私だ!! 何があった!?」
「……実は……」
以下、フリンズのここ一週間での動向をまとめたものである。
先日、ナシャタウンでどうしても欲しかった古銭を購入したはいいがその日の晩にレンポ島で珍しく大規模なワイルドハントが発生した。発生地域がちょうどフリンズの巡回経路であったため、対処に向かったとのことだが思いの外手こずる規模であったこと、他のライトキーパーの応援を待っていては被害が拡大しかねないと判断して炎で焼き尽くしたとのことだ。
しかし、フェイとしての本来の力を発揮するということは体力をかなり消耗することとなる。一応物資からエネルギーを得てみたものの、回復する見込みはなくそのままエネルギー不足に陥ってしまったらしい。仕方なくランプの中に引きこもって回復を試みたが、そんな折にラドヴァンが帰還したのだ。
一週間も、懸想する者に会えなかったのだ。せめて人間の姿で迎え入れたい、そんな純情でランプから出て立ち上がってみたものの、視界が大きく揺らいで体に力が入らなくなった。それが目眩だと気がついた時には、勢いよく床に叩きつけられていたのだ。
ここまで聞かされて、ラドヴァンは頭を抱えた。入る前に聞いた異音の正体がわかったまではいい、こんな状態に陥るまでの経緯は自分がいれば対処できたはずの問題なのだから。
「……何で私がいない時に限ってンなめんどくせぇことばっかするかなお前な!? 酒は? 一本も残ってねぇのか?」
「この前飲み切ったもので最後です……今度買い出しに行こうと話してたじゃありませんか……」
「そうだったわせめて古銭は我慢してくれやマジで……どうすんだよ私手持ち何もねぇぞ」
「ご心配なく……ランプの中で安静にしていればなんとかなりますから……」
「でもお前が辛いだろうが。なんかねぇかな……」
ラドヴァンは回らなくなりかけた頭で必死に情報を漁る。先も述べたが、今からナシャタウンに向かって度数の高い酒を調達するにしてもその間にフリンズが苦しむのは避けたい。今の今まで、自分が帰ってくるまでの辛抱だったのだから。
ならばどうするか、考えた先にラドヴァンはあることを思い出した。
そういえば、フリンズはここで長らく封印されていたはずだ。その解除方法は――生贄の血と魂を一定量捧げること。それに、フリンズは本来エネルギーを主な食事とするフェイだ。ならば、考えられる方法は一つしかない。
「……フリンズ、お前のエネルギー源って要は生命力なんだよな」
「……ええ、それがどうかしましたか」
フリンズをそっと床に下ろすと、ラドヴァンは片手剣を取り出した。驚いたのか少し目を見開いているフリンズが、まるで黒猫のそれで可愛らしいなどと、呑気な感想を抱いたことは頭の片隅に追いやっておこう。
「悪い、これしか持ち合わせがねぇんだ」
そう言って、ラドヴァンは左手首を思いっきり切り裂き、間髪入れず傷口を刃で押さえつけた。こうでもしなければ、特異体質ですぐにでも傷が塞がってしまう。せめて、一滴だけでも摂取させなければ。……痛くないと言ったら嘘になる。じわじわと肉を焼かれるような熱さが、左手を痺れさせているのだから。
「ほら、早く飲め」
ラドヴァンは刃が当たらないように、フリンズに左手を差し出した。
一方、フリンズはラドヴァンの一連の行動と判断の早さに処理が追いつかず固まっていた。自身が傷つくとわかっていながら、知ったことではないようにその身を捧げてしまう軽率かつ重い覚悟。鼻腔の奥をくすぐる、あまいかおり。白くてちょうど良い細さの腕から流れるそれは、ラドヴァンが生きていることを証明していて――ああ、一体どんな味がするのだろう。
いつの間にか、フリンズはその手を弱く掴んでいた。ラドヴァンがもう一度手首に深く切り傷を入れるのと同時に、吸い寄せられるようにそれを口に含んでしまった。
さすがのラドヴァンでも、かなり深く入れた切り傷は一瞬では治らないらしい。それにあやかって舐めると、腹の奥に、全身に、胸の奥にあたたかいものが行き渡っていくような気がする。ラドヴァンの体温を内包しているそれはどれだけ舐め上げても溢れてきて、甘い味が舌先から口内に広がっていく感覚に、頭の奥で警鐘が鳴り響いている。
――だめだ、これ以上はいけない。
頭では理解している。それでも、煮詰めてとろけた砂糖のようなそれを手放すには惜しくて。もっと欲しい、まだ足りない。はしたない、このままでは本能のまま貪ってしまう、でも、まだ――。
しばらくラドヴァンの血を摂取していると、甘い味が途絶えた。少し視線を下ろしてみれば、もう傷が塞がっていて傷跡すら綺麗さっぱり消えている。
フリンズが力無く腕を離したのを確認してから、ラドヴァンは左手を見て軽く頷いた。
「……どうだ?」
ラドヴァンが尋ねても、フリンズは沈黙を貫いていた。いや、この表現では誤解を生む。正しくは熱に浮かされたようにぼーっとしていて、反応していないと言った方が適切だ。
「おい、フリンズ……?」
心配そうに覗いてみると、蒼炎に浮かぶ二つの月と視線が絡み合った。それが危険を呼ぶものだと、誰も教えてくれはしない。
刹那、腕を掴まれたかと思うと、ラドヴァンの視界は反転していた。背中には硬い床の感覚、夜色のカーテンにも似た髪で覆われた視界、どこか朧げなのに情欲とはまた別の熱を孕んだ瞳。押し倒された、そう気付いた時、首筋に顔を寄せたフリンズが一つこぼした。
〈̸̨̜̓̄̋͡も̴̢͈͋͋͡っ̶̢̬̎̍̕と̷̭̃́̊͜͞寄̸̨̭̞͇̿͠越҉̧̜̯̐̍͡せ҉̢̛̲͇̊̄̽〉̴̡̫̦͔͆̂̔͠
しかし、酒の一つも買わずに直帰してしまったのだが本当にこれで良かったのだろうか。いや、ピラミダからナシャタウンまでは相当距離があり、仮に立ち寄ったとしてもあと一日は夜明かしの墓に帰れないことを考慮するとむしろ判断は間違っていないのだろう。それでもなんだか妙な胸騒ぎがするのは、一週間も想い人の顔を見ていないからなのかそれともまた別の要員なのか、なんとも判別し難い。
ラドヴァンは幽炎の墓標裏にひっそりと隠された地下室への階段を下り、固く閉ざされた扉を叩いた。
「フリンズー、ただいまー」
軽く声をかけたが、返ってきたのは静寂。おかしい、普段ならこういう場合フリンズは必ず返事をするはずだ。それとも居眠りでもしているのだろうか。
もう一度扉を叩いてみると、何か質量のあるものが倒れたような音とくぐもった声のような音が聞こえた。……すごく、嫌な音に聞こえたのは気のせいだろうか。それに、先ほどから感じる妙な胸騒ぎはいつの間にか『嫌な予感』にすり替わっている。十中八九当たるこの『嫌な予感』、今回ばかりは外れていてほしいものだが……。
「フリンズ、入るぞ」
蹴破る気でいたが、意外にも扉はすんなり開いてしまった。薄明るい部屋の中、この時間ならソファに腰掛けてランプの手入れをしているはずの主人は見当たらない。代わりに、ソファにはランプだけが無造作に鎮座している。なぜだろう、血の気が引いていく気がするのは。
少し視線を下げてみれば、案の定、人間の姿で地に伏しているフリンズがそこにいたのだが。
「フリンズ!!」
ラドヴァンは急いで駆け寄り、フリンズを抱き起こした。半月をたたえているはずの瞳は固く閉じられ、いつも青白い顔色がさらに悪くて土気色にも見える。こんな状態になるまで弱っている彼など見たことがなくて、どうしても心臓の鼓動が速まって冷や汗が全身から溢れるようだ。
「フリンズ! フリンズ!! おいどうした!? しっかりしろ!!」
「……ラド、ヴァン……?」
薄く目を開いたフリンズにしっかりと認識させるように、ラドヴァンは強く頷いた。
「そうだ私だ!! 何があった!?」
「……実は……」
以下、フリンズのここ一週間での動向をまとめたものである。
先日、ナシャタウンでどうしても欲しかった古銭を購入したはいいがその日の晩にレンポ島で珍しく大規模なワイルドハントが発生した。発生地域がちょうどフリンズの巡回経路であったため、対処に向かったとのことだが思いの外手こずる規模であったこと、他のライトキーパーの応援を待っていては被害が拡大しかねないと判断して炎で焼き尽くしたとのことだ。
しかし、フェイとしての本来の力を発揮するということは体力をかなり消耗することとなる。一応物資からエネルギーを得てみたものの、回復する見込みはなくそのままエネルギー不足に陥ってしまったらしい。仕方なくランプの中に引きこもって回復を試みたが、そんな折にラドヴァンが帰還したのだ。
一週間も、懸想する者に会えなかったのだ。せめて人間の姿で迎え入れたい、そんな純情でランプから出て立ち上がってみたものの、視界が大きく揺らいで体に力が入らなくなった。それが目眩だと気がついた時には、勢いよく床に叩きつけられていたのだ。
ここまで聞かされて、ラドヴァンは頭を抱えた。入る前に聞いた異音の正体がわかったまではいい、こんな状態に陥るまでの経緯は自分がいれば対処できたはずの問題なのだから。
「……何で私がいない時に限ってンなめんどくせぇことばっかするかなお前な!? 酒は? 一本も残ってねぇのか?」
「この前飲み切ったもので最後です……今度買い出しに行こうと話してたじゃありませんか……」
「そうだったわせめて古銭は我慢してくれやマジで……どうすんだよ私手持ち何もねぇぞ」
「ご心配なく……ランプの中で安静にしていればなんとかなりますから……」
「でもお前が辛いだろうが。なんかねぇかな……」
ラドヴァンは回らなくなりかけた頭で必死に情報を漁る。先も述べたが、今からナシャタウンに向かって度数の高い酒を調達するにしてもその間にフリンズが苦しむのは避けたい。今の今まで、自分が帰ってくるまでの辛抱だったのだから。
ならばどうするか、考えた先にラドヴァンはあることを思い出した。
そういえば、フリンズはここで長らく封印されていたはずだ。その解除方法は――生贄の血と魂を一定量捧げること。それに、フリンズは本来エネルギーを主な食事とするフェイだ。ならば、考えられる方法は一つしかない。
「……フリンズ、お前のエネルギー源って要は生命力なんだよな」
「……ええ、それがどうかしましたか」
フリンズをそっと床に下ろすと、ラドヴァンは片手剣を取り出した。驚いたのか少し目を見開いているフリンズが、まるで黒猫のそれで可愛らしいなどと、呑気な感想を抱いたことは頭の片隅に追いやっておこう。
「悪い、これしか持ち合わせがねぇんだ」
そう言って、ラドヴァンは左手首を思いっきり切り裂き、間髪入れず傷口を刃で押さえつけた。こうでもしなければ、特異体質ですぐにでも傷が塞がってしまう。せめて、一滴だけでも摂取させなければ。……痛くないと言ったら嘘になる。じわじわと肉を焼かれるような熱さが、左手を痺れさせているのだから。
「ほら、早く飲め」
ラドヴァンは刃が当たらないように、フリンズに左手を差し出した。
一方、フリンズはラドヴァンの一連の行動と判断の早さに処理が追いつかず固まっていた。自身が傷つくとわかっていながら、知ったことではないようにその身を捧げてしまう軽率かつ重い覚悟。鼻腔の奥をくすぐる、あまいかおり。白くてちょうど良い細さの腕から流れるそれは、ラドヴァンが生きていることを証明していて――ああ、一体どんな味がするのだろう。
いつの間にか、フリンズはその手を弱く掴んでいた。ラドヴァンがもう一度手首に深く切り傷を入れるのと同時に、吸い寄せられるようにそれを口に含んでしまった。
さすがのラドヴァンでも、かなり深く入れた切り傷は一瞬では治らないらしい。それにあやかって舐めると、腹の奥に、全身に、胸の奥にあたたかいものが行き渡っていくような気がする。ラドヴァンの体温を内包しているそれはどれだけ舐め上げても溢れてきて、甘い味が舌先から口内に広がっていく感覚に、頭の奥で警鐘が鳴り響いている。
――だめだ、これ以上はいけない。
頭では理解している。それでも、煮詰めてとろけた砂糖のようなそれを手放すには惜しくて。もっと欲しい、まだ足りない。はしたない、このままでは本能のまま貪ってしまう、でも、まだ――。
しばらくラドヴァンの血を摂取していると、甘い味が途絶えた。少し視線を下ろしてみれば、もう傷が塞がっていて傷跡すら綺麗さっぱり消えている。
フリンズが力無く腕を離したのを確認してから、ラドヴァンは左手を見て軽く頷いた。
「……どうだ?」
ラドヴァンが尋ねても、フリンズは沈黙を貫いていた。いや、この表現では誤解を生む。正しくは熱に浮かされたようにぼーっとしていて、反応していないと言った方が適切だ。
「おい、フリンズ……?」
心配そうに覗いてみると、蒼炎に浮かぶ二つの月と視線が絡み合った。それが危険を呼ぶものだと、誰も教えてくれはしない。
刹那、腕を掴まれたかと思うと、ラドヴァンの視界は反転していた。背中には硬い床の感覚、夜色のカーテンにも似た髪で覆われた視界、どこか朧げなのに情欲とはまた別の熱を孕んだ瞳。押し倒された、そう気付いた時、首筋に顔を寄せたフリンズが一つこぼした。
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