憔悴
「……落ち着きましたか?」
「うん……」
ラドヴァンを近くの岩場に移動させて、呼吸が正常になった頃合いを見て、イルーガは大きく息を吸った。うずくまるように座り込む彼を見ていると、なんだかこちらまで絶望に浸された気分になってくる。それでも、原因を解明しない限りフリンズも打つ手が無くなってしまう。
ラドヴァンの頭を撫でながら、イルーガは問うた。
「辛いのは重々承知ですが……話してくれませんか。フリンズさんも、僕も心配なんです」
少しだけ、視線が向けられる。徐々に登り始めた月がラドヴァンの顔を照らした。数日前に見た時よりもやつれたように見えるのは、きっと気のせいではないのだろう。
しばらくイルーガを見つめて黙り込んでいたラドヴァンだったが、ふと目を逸らしてまた俯いてしまった。
「……とうさんと、かあさんが……へやにいた。わかってんだよ、もうしんでるってのは。でもちがうんだ、へやにいたんだよ。なにもいってこないんだ。ずっと、ずうっと……ただ、わたしをみてたんだよ」
言葉が出なかった。
今まで、何度かラドヴァンが精神を病ませて床に伏せているという話はフリンズから何度も聞かされてきた。だが、その中に幻覚を見たらしい、なんて聞いたことがない。――いや、亡霊の類かもしれないがそれならフリンズが気づかないはずがない。つまるところ、過剰なストレスによって見てしまった幻覚なのだろう。
「こんなこといままでなかった……いくらわたしがおかしくてもここまでひどくなかった……だから……こわくて……」
ラドヴァンは顔を埋めて声を震わせた。
先ほどまで冬のような寒さで包まれていた辺りに、生暖かい風が吹く。肌を隅々まで舐めるような、そんな湿った風が。
「……いや……いや、いや。わたし、わた、し、ちがう、ちがうんだよ……ごめ、ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。いやだおねがいみないで……」
まるで幼い子供が許しを乞うような、そんな懇願。徐々に目に見えて震え始める彼を見ていて、なぜか嫌な予感がする。
ラドヴァンの肩を抱き寄せて、イルーガはランプで辺りを照らした。目視では特に異変は確認できなかったが……なんだろう、この違和感は。
「……ラドヴァンくん」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいゆるさないでゆるさないで……っひぐ……」
「君は……何も悪くありませんよ」
「だって!! いるーがくんだっていなくなるんだ!! わたしをおいていなくなるんだ!! うそつき!! うそつきうそつきうそつき!!」
イルーガの腕を振り払って飛び出したラドヴァンの先に、先ほどからまとわりつく違和感の正体がこちらを嘲笑っていた。
潮印石、ライトキーパーが置いた安全装置。数日に一度、抑えきれなくなったアビスが堰を切ったように溢れてくる。どうやら今日がその日であったようだが、今はそんな自然現象はどうでも良い。問題は、溢れ出たワイルドハントがへたり込んでしまったラドヴァンに狙いを定めているように見えることだ。
大口を開けて、今か、今かと狙うそれ。イルーガの背に冷たい汗が伝った。確かに、ピラミダ方面のワイルドハントとラドヴァンの相性は最悪だが、それはワイルドハントの性質があまりにも狡猾が故のもののはず。いや、でも、だけど、もしかしたら――。
「やだやだやだやだやだやだやだやだ!! もういやああ゛あ゛あ゛ーーーーーーーーッ!!」
ラドヴァンが号哭し、ワイルドハントの魔物が顕現して彼に腕を伸ばす。襲うべく武器を振るったんじゃない、明らかに引き摺り込もうとする悪意すら読み取れる動きだ。
――気のせいなんかじゃない!!
イルーガは地を蹴って、槍をワイルドハントの魔物の手のひらに思いっきり突き刺した。耳障りな魔物の呻き声と、“親友”の悲痛な泣き声だけが、鼓膜を震わせる。目の前を真っ赤に染めるほどの熱と怒りだけが、今のイルーガの原動力になっていた。
ラドヴァンを庇うように魔物を押し返して、未だに彼を掴もうとするそれをランプの光で牽制した。――光が嫌なんだろう、もがき苦しむような、何かに縋りつこうとする動きを見せている。だが、なぜお前に慈悲を与えなければならない? 僕の後ろには、お前に家族を奪われて、心が壊れてしまうほどに苦しんでいる親友がいるのに。
「彼だけは、ラドヴァンくんだけは、絶対に渡さない。お前達にとってどんな利益があろうと知ったことか。――許さない。僕の親友を手にかけたこと、地獄で後悔しろ!!」
素早く引き抜いた槍の穂先に岩元素を十分に纏わせてからワイルドハントの首元に突き立てた。獣にも似た雑音を発するそれはもうどうでも良くて、今はこの潮印石に封印を施さなければ。
魔物が消滅したのを確認してから、イルーガは潮印石に急いで駆け寄った。
「うん……」
ラドヴァンを近くの岩場に移動させて、呼吸が正常になった頃合いを見て、イルーガは大きく息を吸った。うずくまるように座り込む彼を見ていると、なんだかこちらまで絶望に浸された気分になってくる。それでも、原因を解明しない限りフリンズも打つ手が無くなってしまう。
ラドヴァンの頭を撫でながら、イルーガは問うた。
「辛いのは重々承知ですが……話してくれませんか。フリンズさんも、僕も心配なんです」
少しだけ、視線が向けられる。徐々に登り始めた月がラドヴァンの顔を照らした。数日前に見た時よりもやつれたように見えるのは、きっと気のせいではないのだろう。
しばらくイルーガを見つめて黙り込んでいたラドヴァンだったが、ふと目を逸らしてまた俯いてしまった。
「……とうさんと、かあさんが……へやにいた。わかってんだよ、もうしんでるってのは。でもちがうんだ、へやにいたんだよ。なにもいってこないんだ。ずっと、ずうっと……ただ、わたしをみてたんだよ」
言葉が出なかった。
今まで、何度かラドヴァンが精神を病ませて床に伏せているという話はフリンズから何度も聞かされてきた。だが、その中に幻覚を見たらしい、なんて聞いたことがない。――いや、亡霊の類かもしれないがそれならフリンズが気づかないはずがない。つまるところ、過剰なストレスによって見てしまった幻覚なのだろう。
「こんなこといままでなかった……いくらわたしがおかしくてもここまでひどくなかった……だから……こわくて……」
ラドヴァンは顔を埋めて声を震わせた。
先ほどまで冬のような寒さで包まれていた辺りに、生暖かい風が吹く。肌を隅々まで舐めるような、そんな湿った風が。
「……いや……いや、いや。わたし、わた、し、ちがう、ちがうんだよ……ごめ、ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。いやだおねがいみないで……」
まるで幼い子供が許しを乞うような、そんな懇願。徐々に目に見えて震え始める彼を見ていて、なぜか嫌な予感がする。
ラドヴァンの肩を抱き寄せて、イルーガはランプで辺りを照らした。目視では特に異変は確認できなかったが……なんだろう、この違和感は。
「……ラドヴァンくん」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいゆるさないでゆるさないで……っひぐ……」
「君は……何も悪くありませんよ」
「だって!! いるーがくんだっていなくなるんだ!! わたしをおいていなくなるんだ!! うそつき!! うそつきうそつきうそつき!!」
イルーガの腕を振り払って飛び出したラドヴァンの先に、先ほどからまとわりつく違和感の正体がこちらを嘲笑っていた。
潮印石、ライトキーパーが置いた安全装置。数日に一度、抑えきれなくなったアビスが堰を切ったように溢れてくる。どうやら今日がその日であったようだが、今はそんな自然現象はどうでも良い。問題は、溢れ出たワイルドハントがへたり込んでしまったラドヴァンに狙いを定めているように見えることだ。
大口を開けて、今か、今かと狙うそれ。イルーガの背に冷たい汗が伝った。確かに、ピラミダ方面のワイルドハントとラドヴァンの相性は最悪だが、それはワイルドハントの性質があまりにも狡猾が故のもののはず。いや、でも、だけど、もしかしたら――。
「やだやだやだやだやだやだやだやだ!! もういやああ゛あ゛あ゛ーーーーーーーーッ!!」
ラドヴァンが号哭し、ワイルドハントの魔物が顕現して彼に腕を伸ばす。襲うべく武器を振るったんじゃない、明らかに引き摺り込もうとする悪意すら読み取れる動きだ。
――気のせいなんかじゃない!!
イルーガは地を蹴って、槍をワイルドハントの魔物の手のひらに思いっきり突き刺した。耳障りな魔物の呻き声と、“親友”の悲痛な泣き声だけが、鼓膜を震わせる。目の前を真っ赤に染めるほどの熱と怒りだけが、今のイルーガの原動力になっていた。
ラドヴァンを庇うように魔物を押し返して、未だに彼を掴もうとするそれをランプの光で牽制した。――光が嫌なんだろう、もがき苦しむような、何かに縋りつこうとする動きを見せている。だが、なぜお前に慈悲を与えなければならない? 僕の後ろには、お前に家族を奪われて、心が壊れてしまうほどに苦しんでいる親友がいるのに。
「彼だけは、ラドヴァンくんだけは、絶対に渡さない。お前達にとってどんな利益があろうと知ったことか。――許さない。僕の親友を手にかけたこと、地獄で後悔しろ!!」
素早く引き抜いた槍の穂先に岩元素を十分に纏わせてからワイルドハントの首元に突き立てた。獣にも似た雑音を発するそれはもうどうでも良くて、今はこの潮印石に封印を施さなければ。
魔物が消滅したのを確認してから、イルーガは潮印石に急いで駆け寄った。
