憔悴

 ラドヴァンの行動範囲からして、パハ島かレンポ島を探せば何か手がかりがあるかもしれない。そうフリンズから教わった後、イルーガはパハ島を一度くまなく捜索した。アドンに頼んで上空からも探してもらったものの、帰って来た彼女は残念そうなさえずりを残すだけであった。
 まだ、諦めるわけにはいかない。レンポ島に向かいながら、イルーガはラドヴァンの行動を思い出していた。
 数年前、まだ彼が新人でピラミダの本部にいた時のこと。あの時、彼は他の隊員と喧嘩をしては危険地帯のワイルドハントをたった一人で掃討するという毎日を送っていた。単なる傍迷惑なストレス発散かと当時は考えていたのだが、今思えば、当時から情緒不安定の気はあったし、ある意味躁状態の一つに該当するのではないだろうか。実際、ラドヴァンは自分が回収するまで体力が尽きても剣を放さなかったし、ナシャタウンに左遷されてから過労で倒れた。
 それを考えるに、もしかしたらワイルドハントの発生予測地域にいるかもしれない。もうすぐ、日が暮れる。夜が、来る。一番近い潮印石の設置場所は、スターダストビーチだ。
 ――賭けるしかない。
 イルーガは地を蹴った。月が昇ってくれれば、希望はまだある。
「……!! ——ッ!!」
 微かに、遠くから何かが聞こえてくる。それは叫び声のようにも聞こえたが、血に溺れるような恐怖心だけでなく、なぜか怒りを孕んでいるように思える。
 ライトキーパーの仕事が始まる時間に、一般人の声が聞こえるはずがない。イルーガは声が聞こえた方角へと急いだ。耳元で風が唸る音が、酷く高く聞こえる。
「……ぇ!! ……死ね!! 消えろ!! うあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」
 ようやくはっきりと聞こえてきたのは、間違いなく親友の声だ。良かった、生きている。並の精神状態ではないのは承知だが、何よりも命を投げ出していないという事実に深い安堵を覚えていた。
 だがその安堵も、彼の姿が見える頃には酷い恐怖へと変わってしまった。
 ラドヴァンが、何もいないはずの虚空に向かって元素を放っている。何もいないはずの空間を、彼は半狂乱になりながら攻撃しているのだ。剣で切り裂いて、氷元素で辺りの気温を下げるくらいには。寒い。ナド・クライはスネージナヤの一部とはいえ温暖な気候をしている、それにもかかわらず、この一帯だけなぜか血をも凍ってしまうかと錯覚するほどの鋭い寒さで覆われている。異常気象などではなく、彼の氷元素によるものだ。
 イルーガの呼吸が次第に浅く、間隔が短くなる。本部勤務だった時ですら、ここまで暴れてはいなかった。彼はフリンズと同じく、なぜか人には見えない物が見えるらしいから自分には見えない何かがそこにいるのかもしれない。でも、それでも。このまま続けさせたら、きっと凍傷を負ってしまう。ある意味、海に身を投げるよりも苦しい死に方をするのは間違いない。
 止めなきゃ。
 その言葉が脳裏によぎるよりも前に、イルーガは槍を手に飛び出していた。ラドヴァンが剣を振り上げた瞬間、その僅かな時間を切り裂くように、手元を狙う。
 あと少しで懐に届く、その刹那、ラドヴァンが急に剣を振り下ろした。咄嗟の判断でイルーガも槍を立てて受け止めたが、0コンマの単位で反応が遅れていたら首元を掻っ切られていた。そう考えると、体の奥底から妙な震えが湧き上がってくる。まさか、半狂乱になっても相手の弱点を的確に狙うだなんて誰が考えるだろう。
 次の一手を繰り出したくても、ラドヴァンは何度も何度も何度も剣を振り下ろしてきた。普段の氷上で舞うような繊細さと華麗さ、苛烈さを感じさせる剣術とは程遠い、ただ凶器を振り回して暴れる狂人に成り下がっていた。
 一点に集中しているのなら、別の場所を攻めれば崩れるかもしれない。
 イルーガはラドヴァンの腹を思い切り蹴り飛ばした。一瞬だけよろけて体勢を崩したのを逃さず、ランプを構えて合図する。
「頼んだよ! アドン!!」
 言い切るよりも前に、乾いた発砲音。同時に光り輝く伝書鳩がラドヴァンに突進した。ワイルドハントの魔物をも屠る勢いの突進を喰らったからか、流石のラドヴァンでも砂埃を撒き散らしながら吹き飛んだ。
 起き上がろうとするラドヴァンを、イルーガは飛びかかるように取り押さえた。腕を押さえつけられ、馬乗りになられて体全体の自由を奪われてもなお、ラドヴァンはもがいて暴れている。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」
「ラドヴァンくん!! 僕を見て!!」
 腹の奥から、心の奥底から飛び出す指示。
 今まで聞こえなかった音が届いたのか、ラドヴァンの赤い瞳がこちらに向けられた。まるで、狩りをする獰猛な獣のような瞳孔。ずっと暴れていたのか、顔色が真っ青だ。
「あ……ァ……?」
「僕です、イルーガです!! ……わかりますか」
 徐々に苦しげだった呼吸が深く、ゆっくりとしたものに変わっていく。驚いたような顔で、ラドヴァンは一言だけ漏らした。
「いるーが……くん?」
「……はい」
 たった一言、名前を呼ばれただけ。
 それだけなのに、なぜか異様に安心して、イルーガは腕を離した。
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