憔悴

 水平線が少しだけ赤く染まり、星々が消えゆく頃。フリンズは本日の夜警を終えて、夜明かしの墓へと帰ってきた。冷たい夜風が彼の青髪を撫でる。本日も特にこれといった異常は見受けられなかった。唯一変わった点を挙げるとするなら、普段共に帰ってくるはずの恋人が隣にいないという点だろうか。
 それもそのはず。ラドヴァンは先日キプマキの崖にて行われた大規模作戦が終了してからというものの、あまり精神状態が芳しくない。元より数年前から情緒不安定と躁鬱を患ってはいたが、ここ最近はそのような兆候もなくそれなりの毎日を送れていた。だが、それはあくまでもラドヴァンのに何も起こらなかった場合の話だ。此度は運悪く、その平穏は崩されてしまったのだ。
 作戦に参加したらしい旅人から聞いた話だが、キプマキの崖まで追い込んだ“怪僧”に対し、イルーガは一人討伐に向かおうとしていたらしい。直前に〈闇夜の鶯〉で死者が出たとはいえ、あまりにも無謀な策に、流石のフリンズでも心の底からため息が漏れた。自分やラドヴァンには他人を頼れと小言を言うのに。ある意味では彼の欠点の裏返しかもしれないが、何よりも旅人が間に合ってくれて良かったとしか考えようがない。
 しかし、この話をラドヴァンの耳に届く範囲でしてしまったことに後悔するまで、そう時間はかからなかった。その日からだ、彼が鬱で寝込むようになったのは。
 無気力になって、部屋に閉じこもったまま出てこなくなったラドヴァンの面倒を見るのは実に久しぶりだ。既にナシャタウン支部に休職届は出しているし――あまり食欲はないようだが――食事も与えている。自分の目が届く範囲にはいてくれるのは良い。だが、それでも、苦しむ彼を一人残して出かけることだけが心残りだ。
「……急ぐか。眠っていてくれれば、それで十分だが」
 地下室に続く階段を一歩ずつ下ると、外よりも寒さが増しているような気がする。人間は確か、寒さでも心に影響が出ると聞いた。せめて毛布を増やしてあげなければ。
「――は?」
 地下室に降りたフリンズから漏れたのは、あまりにも拍子抜けした声だ。思考が真っ白に塗り替えられて、思わずランプから手を離しそうになる。だって――

 ――ラドヴァンの部屋の扉が、吹き飛んでいる。

 冷気の正体は枠にまとわりついている氷だ。氷の出所なんてわかりきっている、ラドヴァンが操る元素は氷だから。ここまでは良い、錯乱しきったラドヴァンを落ち着かせればまだなんとかなるのだから。
 問題は、部屋の中を除いても、どこを探しても、ラドヴァンがいない点だ。
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