過ぎた好意
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
彼はまるきり恋の顔をしていた。
「この人はどこまでも役に己を捧げられてしまう人なのだな」と思った。
都内某所のスタジオ。男女ラブロマンス漫画作品のテレビアニメ。クール折り返しとなる第6話のアフレコを終えたところだ。収録後、別室で作品についてのインタビューと宣伝用ショート動画の撮影に臨むメインキャスト男女二人。杉田さんと女性声優Uさん。
「Uさん、今回のみどころを教えていただけますか」
インタビュアーから投げかけられた質問。言葉を尽くして作品の魅力を語るU。ひたすらに傾聴する姿勢、身振り手振りをまじえてエピソードを話す彼女に向けるまなざし。杉田のすべてが、ヒロインに恋をする本作の主人公Kそのものだった。
一挙手一投足すべてでヒロインを愛する男を体現している杉田さんに、どこまでが彼自身で、どこからが役なのだろうと頭の隅でひんやりと考えながら、Uさんとの掛け合いを少し離れたところから眺めていた。
私はこの原作マンガの担当編集を務める小英出版の社員である。今はアニメ幹事会社側のスタッフたちが宣伝動画を撮影するのに立ち会っているところだ。
アフレコ収録やこういったプロモーション関連の現場に立ち会うのも、編集業務の一環だ。
主演二人の睦まじい掛け合いも終わり、今撮影した動画のチェックに入る。スタッフ陣、声優マネージャー、原作サイドいずれからも特にNGはなく、本日のすべての予定が遂行された。
インタビューのために居残りをしてくれた杉田さんとUさんをスタジオ出入り口までお見送り。深々と下げた頭を上げて踵を返し、控え室でノートパソコンを開きメールチェック。
至急の用件はなさそうだが、何通かのメッセージやネームが届いている。返せるものは返してパソコンを閉じ、一息。さて、と立ち上がり会社へ戻る支度をする。他社作品の収録時間も迫っているので、スタジオに長居はできない。
併設されている地下駐車場に立ち寄る。ここの自販機には、他ではなかなか見かけない、私の好きな台湾マンゴーティーがあるのだ。スマホを近づけ、交通系ICで決済する。ピピッという認証音。ごとん、とボトルが取り出し口に落ちたのと同時に後ろから声がかかる。
「あの」
「っはい!」
中腰でボトルを掴んでいるところだった私は慌てて振り返る。
見上げた先には、少し申し訳なさそうに眉尻を下げた杉田さんが一人でいた。
「お疲れ様です。びっくりさせてすみません」
「お世話になっております。いえ、失礼しました。今週もありがとうございました! 先生も杉田さんに演じていただけていること非常に喜んでおります。先ほどのインタビューでも主人公Kへの理解が深くて感動しました。来週もどうぞよろしくお願いいたします」
仕事モードで早口に一息で言いきると、地下駐車場へおりてきた階段に視線をやる。深々と礼をして、あそこまで足早に向かうのだ…と一秒ほどでシミュレーションする。
お辞儀のモーションに入ろうとした時、杉田さんが口を開く。
「あの、ありがとうございます。すみません、この後はすぐに別のお仕事ですか」
「はい、この後ですか? ええと、社に戻って仕事をしようかなと」
「今朝からずっと収録でしたが、お昼は食べましたか。昼といってももう14時ですが」
「いえ、お昼はまだです。アフレコ中に調整室でお菓子は少しいただきましたが…すみません」
台湾マンゴーティーのボトルの結露なのか、汗なのか、両のてのひらがびちゃびちゃだ。声も上ずってしまう。
この6話まで、杉田さんとは挨拶を交わすだけで一度も話したことはなかった。原作の担当編集である私は、スタジオの隅でできるだけ気配を消しておとなしくしておくべきなのだ。原作で解釈に悩む点などがあって制作陣に求められてはじめて発言が許されるのだ。…と思っているので、キャスト陣と雑談などもってのほかという心得でいる。
だから、わからない。杉田さんがどうして私に話しかけているのか、何をお尋ねになりたいのか。お昼を食べたかどうかという問いは、作品
に関する疑問につながるのだろうか。そうだとして、私がお答えできるものなのだろうか。というか全力で収録に臨んでいただいているなか、のんきに菓子を頬張ってすみません。ああ、早くここを離れないといろんな方面に迷惑がかかる気がする。短い時間で思考がぐるぐるする。
「なんで謝るんですか」
「いえ、キャスト様方が頑張っていらっしゃるなかいつも座って食べているだけで…」
「そうやって見守ってくださるのが***さんの仕事ですから」
「恐縮です」
「それで、腹減りませんか。よかったら今から昼、どうですか」
「昼、ですか」
昼、どうですかとは。二人で、もしくは複数人でご飯に行くということだろうか。二人でなわけがないな。どこかにスタッフさん方が集まっていて、気を利かせて声をかけてくださったのだろうか。杉田さんってめちゃくちゃ周りを見ていて、よく気づく方だものな…私なんかにまでこうして手を差し伸べてくださって、なんてあたたかい人なのだろう。ところで名前呼んだ? スタッフ陣の名前まで覚えていらっしゃるタイプ? やはり長年一線で活躍されている方はこうなのだな。お昼、だった。しっかり交流できていないスタッフさんもいるので、改めてご挨拶させていただく機会としても、お邪魔しよう。そもそもお誘いをむげに断る理由もない。
「ありがとうございます。お邪魔でないのでしたら、ご一緒させていただきます」
「ほんとですか。ありがとうございます。嬉しい。車出しますんで、こっち」
地下駐車場の奥を指差し、進んでいく杉田さん。彼の視線から解き放たれたことに安堵する。がちがちに肩に力が入っていたことに気づく。緊張がなくなったわけではない。背筋を伸ばして、彼の背中を追いかける。引き続きキビキビと、仕事モードを崩さないように。
「どうぞ」
白い外車、開かれた助手席のドア。これは、杉田さんのお車? 他の方は? いや、よくわからないけれど、助手席に座ってはいけない気がする。
「あ、すももんどかしますから。どうぞ」
そう言って助手席に鎮座する青い可愛らしいクッションを掴もうとする杉田さんに慌てて声をかける。
「いえ、私が後部座席に! すももんさんはそのまま助手席で」
「すももんさん、ふふ」
杉田さんは低い声で小さく笑うと、後部座席のドアを開いて乗るよう促す。会釈しながら乗り込むと、ドアを閉め、運転席に着く。シートベルトに手をかけながら、私もシートベルトをしたことをちらりと確認すると、すももんにもシートベルトをまわす。乗客は揃ったようで、発進。
「食べられないものとかありますか」
「いえ、特には…お気遣いなく!」
どこへ向かうのだろうか。スタッフさんがすでに集まっているところへ参加するのではなかろうか。食べられないものを聞いたということは、今からお店を決める? 二人きりということは…まさか、そんなわけあるまい。だとしたら、乗るべきではなかったのでは。いや、杉田さんが私一人を誘う意味がない。いずれにしても接待交際費としてうちの経費で落とすべきか? そもそもお店を選んでいる段階なら、演者に任せている場合ではない? 一スタッフである私が働かねばならないのでは?
「***さんの会社は神保町でしたよね」
「はっ、はい」
「車で送るので、少し離れた場所でもいいですか」
「はい。こちらで手配すべきところをむしろ申し訳ございません」
「なんで。僕が誘ったんですから」
「あの、質問がありまして」
「なんでしょう」
「私たち以外はどなたがいらっしゃるのでしょうか」
赤信号。ぴたりと車が止まり、静まり返る車内。バックミラー越しには彼の表情が窺えなくて、すっかりぬるくなった膝に置いた台湾マンゴーティーをぎゅっと握る。結露がシートに垂れてしまわぬよう、乗り込む前にハンカチで包んで対処済みだ。
「誰もいません。***さんと話したくて、誘いました。言葉足らずですみません」
「いえ、あの、すみません。状況が掴めていなくて聞いただけですので、すみません。なにか作品まわりで私がお答えできることがあればご説明しますし、著者に確認することもできますので」
「そうじゃなくて、***さんと***さんの話がしたくて。***さんのこと、知りたいんです」
少し困ったような顔でこちらを振り向く杉田さん。私が混乱で顔を背けてしまいそうになる前に、ぱっと正面に向き直って車を発進させる。
わかったけれど、わからない。そんなはずはないという言葉がなだれてくる。
なのに、知っている目だった。K役に全身を捧げてくれた、溺愛するヒロインに、それを演じるUさんに投げかけていた「恋するまなざし」が、私を映していた。
続
1/1ページ
