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アルビレオの熱情

君が来たのは、あたしよりも後だった。
あの日は外も大雨で、びしょ濡れになったおばあちゃんと、その腕の中で毛布に包まれてさらに濡れそぼった、もう雨で溶けてしまいそうな君が家に駆け込んできた。
慌ててエレ姉とヤン兄と一緒にお風呂を沸かして、おばあちゃんと君を浴室に押し込んだのだ。

お風呂から上がったおばあちゃんが何も言わずにベッドへ寝かせた傷だらけの君を改めて見た時、心配よりも不信感が優ったのを覚えている。きっと知らない子供がおばあちゃんに大切にされているという嫉妬も混じっていたんだろう。
綺麗な銀髪が枕に広がって、きらきら光っていた。

「おばあちゃん、この子さ……」
「……事情は聞かないであげて。辛い目に遭ってきたの」

そうなんだ、と幼いあたしはしぶしぶ納得した。幼い頃の自分はおばあちゃんに諭されればすぐに納得する、ひどく単純な子供だった。
おばあちゃんのしわくちゃな手がそっと君の髪を撫でる。くすぐったそうに身を捩り、小さく呻いた後、君のモモ色の瞳が薄く開けられた。
想像していたよりもずっと綺麗な瞳だ。あたしと似た色、だけど君の方がずっと透き通っていて、だけど何処か昏い色だった。

「あーっ!やっと起きた!」
「おはよう、気分はどうかしら?」

おばあちゃんの質問にも答えず、君はガバリと上半身を起こす。
少しムッとしたあたしに気づいたのか、おばあちゃんはあたしの肩を押さえる。手を出すな、と言うことだ。たしかに今考えれば当時の君はあたしに詰められていたらどうすればいいかわからずパニックになっていただろう。
数回、息を吸って、吐いてを繰り返して、君は何度か言葉を紡ごうとする。しかしやっと音になったのは、君が呼吸を5回ほど繰り返した時だ。

「……もとのところに、かえして」

俯いて、ぎゅうと毛布を握りしめて。銀色が君の顔を隠している。まるで裏路地で蹲る捨て子だ。
おまけに、君にとって少しブカブカなあたしのパジャマがずり落ちて見えた肩は、打撲でずいぶんとグロテスクな色をしていて、可愛い顔をした君に全く似合っていなかった。
こんな目に合わせた場所へ帰ると言うのか。
あたしの口から出ようとしていた言葉は行き先を失って、はくはくとただ唇を開け閉めしかできない。だって、こんなひどい状態の子供なんて初めて見たのだから。
おばあちゃんが優しい声で君に語りかける。

「大丈夫、帰らなくていいのよ」
「でも、パパとママがぼくを待ってる」
「……私は、あなたのご両親からあなたのことを託されたの」
「どうして? わたしがみんなとはちがうから?」
「二人とも、ものすごく遠くへ行ってしまったからよ」

顔を上げてこちらを不思議そうに見上げた君は、おばあちゃんが語りかけるにつれてどんどんと不安が増したのか、ついにはもう一度俯いてしまった。
一人称も安定しない、どこか浮世離れした君に見惚れて、あたしはつい何も言えなくなった。

ふと、おばあちゃんがずっと黙りっぱなしだったあたしの背を押す。びっくりして振り返れば、おばあちゃんは柔らかい笑みを浮かべていた。
話しかけろ、ということだろうか。何を話せばいいのか、何もわからない。
数秒悩んで、悩んで、悩み抜いて。
足りない頭をフル回転させて出たのが、この言葉だった。

「ねぇ、君の名前、おしえてよ」
「……きみ、だれ」
「あたしはリエッタ。おばあちゃんの孫! ほら、君は?」

君はあたしの言葉を聞いてぽかんとした後、差し出したあたしの手にそっと触れて、モモ色の瞳に光を宿した。

「……ぼく、は……」

























「本当に観光していかなくていいの?」

工学都市バーゼル、駅構内。
幼い少女から大の大人まで揃った謎の5人組が、列車の待つホーム内で立ち話をしていた。
焦茶の髪をサイドテールにした少女の問いに、5人の中で最も年上である男性が「あぁ」と頷く。

「そもそもの目的は君をここへ送り届けることだからね」
「やだやだ、りーちゃんともっと一緒にいたいよ〜」
「我儘言うな。こいつには家族がいるんだぞ」
「ねぇリエッタ、本当についてこないの……?」

可愛らしい人形のような顔立ちをした幼子は少女の────リエッタのそばを離れようとしない。
腰にしがみつき、うるうると瞳を潤わせてリエッタを見上げている。
きっと可愛い物好きが見れば卒倒したであろうその顔に少しだけ申し訳なさそうに、「ごめんね、ラピス」と謝る。

「新しい目標もできたし……さっきスウィンも言った通り、弟を待たせてるからさ」
「あぁっそうだ!りーちゃんの弟! まだ見てないっ!」

青年が「ナーディア」とリエッタに詰め寄ったツインテールの少女の首根っこを引っ掴む。
リエッタはクスクス笑って、駅の改札を指差した。

改札のすぐ先。ムスッとぶすぐれた銀髪の少年が腕を組んでこちらを睨んでいた。組んだ腕にトントンと指を叩きつけ、仁王立ちした足先も苛々しているようで、頻繁にじりじり動いている。
その様子に、姉の顔がでれっと溶けた。

「んふふ、嫉妬してる。か〜わい〜♡」
「アレ、嫉妬なのか……」

呆れたような青年の言葉も耳に入らない様子のリエッタは小さくひらひらと少年に手を振る。少年はつんとそっぽを向いて、小さなドローンをぎゅうと抱きしめた。

「懐かしいな。ユーシスも私が友人と話しているとクマのぬいぐるみを抱きしめて……」
「でた、ルーファスの弟自慢」

思い出すように目を瞑って顔を上げる男性をきゃらきゃらとリエッタの腕の中から笑う幼子。しかし、区切りと言わんばかりに発車を知らせるアナウンスが流れた。
お別れだね、とリエッタは幼子を思いきり抱きしめてから足元へ降ろす。
そして仲間達へ順番に手を伸ばし、抱きしめる。

「元気でね、四人とも。いつでも来てくれていいからね」
「あぁ、お前もな」
「体には気をつけたまえ」
「じゃあね、りーちゃ〜ん!」
「また通信入れるから!絶対よ!!」

扉が閉まる寸前まで手を振っていた4人を見届け、列車の去ったホーム内にはリエッタ一人が取り残される。
感慨深く情緒に浸っていると、少女の背後からドンと衝撃が走った。
腰に回る袖は灰色をしていて、ゆったりとした布の下にある細い腕がきつくリエッタの腹を締め付けている。

「もう、痛いよ」
「……だって、ずっと喋ってたから」
「んふふ、ごめんごめん」

正面にふよりと回ってきたドローンをそっと撫でてかた、手の繋ぎ目をめりっと剥がしてバランスを崩した弟をくるっと回って受け止めた。
視界に銀色の髪といつもつけているヘッドフォンが映る。
いつのまにか自分よりも高くなった背をぽんぽんと叩き、先ほど仲間達にしたように肩へと頬を擦り付けた。

「まさか、わざわざ切符買ったの?」
「ううん。おじさんが入れてくれた」
「地元だからこそ効く優遇じゃん」

ひとしきり互いを抱きしめ合った後、揃いの桃色の瞳をじっと合わせた。

「ただいま、カトル」
「……おかえり、リエッタ」

いつもの挨拶をして、手を握る。
そして一枚のチケットで改札を通り抜け、駅員さんに頭を下げてから駅を出た。
どこから見てもカトルはご機嫌で、思わずリエッタの口端が上がる。あの頃と比べたら随分表情豊かになったものだ。

「荷物置いたら付き合って欲しいところあるんだけど」
「うん、いーよ。しばらく家開けた分お姉ちゃんの丸一日カトルにあげちゃう」
「お姉ちゃんって……僕のが生まれたの早いんだけど」
「ハミルトン家暦ではあたしの方が上で〜す」
「それ持ち出すのはズルくない?リエッタは実孫なんだからさ」

事実だもん、と口を尖らせる少女に、少年はため息をついた。1年ぶりだというのに、まったくいつも通りすぎて気が抜ける。
道ゆく知り合いに声をかけられるカトルと、帰ってきたのかと驚かれるリエッタ。中には焦茶の髪をわしゃわしゃと撫で回す人も居るものだから、家に着く頃にはリエッタの綺麗にまとめられていた頭はぐちゃぐちゃになっていた。
二人の自室のドアを開ければ、半分半分で雰囲気の違う部屋に陽の光が差していた。
よっこいしょ、とおじさんのような掛け声と共に荷物を下ろしたリエッタはそのまま髪を結んでいたリボンを解き、椅子に座ってカトルへとリボンとブラシを差し出す。

「ね、久しぶりに結んでよ」
「自分でできるでしょ……しょうがないなぁ」

やったあ、と喜ぶリエッタの長い髪をそっと持ち上げる。括りグセがついているから、まぁ簡単といえば簡単だ。
いつものように、左側へまとめて、軽くゴムで結んで、上からリボンを巻く。形を整えれば完成だ。

「……これでよし。じゃあ、もう一回出かけようか」
「えー、もう?」
「仕事なの。迎えに来る隙間時間を作る方が大変だったのわかるだろ」
『ピピ……かとる、今日中ニ片付ケテりえったト遊ブ』

わかってるよ、とFIOに返したカトルは椅子から立ち上がり、妹へと手を差し出す。上に重ねられた手を、再びぎゅっと握るのであった。








リエッタという少女は、次世代戦術オーブメント Xiphaの初期テスターであり、シャード適性がこのバーゼル内で最も高い人間だ。故に、扱う武器もシャードを応用したものであり、相棒であるカトルが開発している。

「で、新しいのはどう?馴染む?」

導力銃に内蔵したコンピュータを弄るカトルがそう尋ねると、リエッタは手元のシャード体をくるくると回し、満足そうに笑った。

「いーかんじ。前よりちょっと軽くなった?」
「うん。内部回路軽くできたんだ」
「最高! おかげで回しやすくなった」

旅先で教えてもらったという双刃形態を解除すれば、少女の手元に残るのは小さな銀の筒一つ。FIOや導力銃と似た意匠のそれを腰のホルダーに戻して、寄ってきたFIOの頭をとんとんと撫でた。

「アルゼイドとかヴァンダールとかも教えてもらったんだけどね、わたしに武道は合わないみたい」
「まぁ、型にハマった動きはリエッタには無理だろうね」
「えーっ酷い! まぁ無理だったんだけど……」

けど、他にも色々覚えてきたよ。
それだけ楽しそうに告げて、少女は襲ってきた魔獣をハルバードのように模ったシャードで切り裂いた。カトルとFIOの出る幕など無いようだ。
リエッタのホロウコア────バルバトスが戦闘終了を報告する。黎明期の、テスト用のためだけに作られたホロウコア故の抑揚のない合成音声が採掘道に響いた。

「……やっぱりおかしい。こんなに魔獣が出るだなんて」
「どっかに穴が空いてるとか?鉱山掘ってたら魔獣の巣をぶち抜いた〜、なんて話もあるし」
「ううん、親方からはそんな話は聞いてない。やっぱり導力灯の動作不良……?」

そうカトルが唸ると同時に、カトルの懐に入ったXiphaが着信音を立てる。
カトルは少し嫌そうな顔をしながらXiphaを取り出し、着信画面を見る。すると、眉間に刻まれていた皺がパッと消えた。それどころか、どことなく嬉しそうな顔をしている。

「ふぅん、へぇ? カトルくぅん、春かな?」
「はっ春!?ちがっ、そんなんじゃないって!」
「んふふ……いいよいいよ、お姉ちゃん弟にイイ人ができて嬉しいよ〜」
「だから僕のほうが……あぁもう、いいっ」

FIOを抱えてニヨニヨとするリエッタにぷい、と顔を背けて、カトルは通信に応答した。
地上からここじゃ電波が届きにくそうだな、とFIOをフラフラ揺らして遊んでいると────ごご、と地鳴りが響いた。
手元でおとなしく揺られていたFIOが浮かび上がり、ピピピと警報音を鳴らす。

『りえった、かとる、警戒!警戒!地中ニ敵性反応アリ!』

即座にリエッタのXiphaが周囲にシャードを撒き散らす。
腰のホルダーから銀筒を抜き取り、シャードを固めてバリアを作り出した。

「カトル〜!青春お通話してる場合じゃないかも!」
「だから違うって!────ごめんアニエスさん、一旦切るね!」

そうぶちりと通信を切り、リエッタの背後へと隠れる。
それとほぼ同時に、地面の中から巨大なミミズのような魔獣が数体、咆哮を上げながら飛び出してきた。

「アビスワーム!?」
「そりゃ地中だから出るよねッ!てかでっか!きっしょ!」

一際大きな個体が声とは到底呼べないような唸りをあげると、左右の子分らしき比較的小さめな個体がバリア目がけて突進し、ガンと顔を叩きつけるように体を揺らしている。
このままでは持たない、と冷や汗を垂らしたリエッタは、アビスワームたちが体を振りかぶると同時にバリアを霧散させ、代わりに編み出した大きな斧で落ちてくる頭を薙ぎ払った。
口から伸びる触手がいくつか切れて、顔自体にもぱっくり傷が入っている。それでもなお蠢くソレに、思わず少女は顔を顰めた。

「うげ、気持ち悪っ」
「FIO、右の個体から応戦!リエッタ、真ん中の3個体頼める!?」
「オーケー、まっかせて!」

カトルが左方面の個体に向き合ったのを確認して、ボスらしい大きな個体────安直にグレート・アビスとでも呼ぼうか────に向かって、大きな斧を振りかぶった。
当然のように群れのボスを守ろうと左右の小さなアビスワームが飛び出してくる。

「あぁもうっ面倒だな〜っ!」

勢いをつけて横に大きく振りかぶり、触手をわしゃつかせている頭部をすっぱりと切り落とす。

「殺されたくないなら出てこないでよね!」

そのままぐるりと一回転しようと地面を踏み締めた。
が。

『小規模地殻変動ノ予兆ヲ察知!りえった、気ヲツケル!』
「え!?なんて!?……きゃあっ!!」

FIOの難しい言葉に気を取られ、振り向く。
すると、足元がふらりと揺れて、リエッタの足を絡め取った。すってんころりんと転げた拍子に斧に固めていたシャードが砕け散る。

(忘れてた……深淵の激震……!!)

隙ありとその巨体を振りかぶってきたグレート・アビスを視界に収め、慌ててシャードを展開し防壁を形成した。
ガン、ぱき、ぱき。咄嗟に固めて強度が十分でない防壁は攻撃されるたびにヒビが広がっていく。

「リエッタ!!」

ひっ迫した悲鳴がカトルの喉から飛び出す。
相手をしているアビスワームを放って今にも割られそうな防壁へ手を伸ばす。

『小規模地殻変動ノ予兆ヲ察知!かとる!』
「ぐっ……!また……!うわあっ!?」

すてん、と見事に転んだカトルを取り囲むように、周囲の取り巻きたちが一斉に地震を起こす。

「カトルッ!!」

ばき、と音を立てて壊れた障壁の奥から、リエッタが飛び出し、ぎゅうとカトルを抱きすくめる。
地震の影響でパラパラと落ち始めた落石を見て、ここまでか、と覚悟した、その時。


「────っらあ!」


青いコートの裾が、流星のように二人の上を飛び越して行ったのだ。















「いや〜、助かった助かった」
「ノリ軽すぎだろ」

青いコートの青年のツッコミに、リエッタはケラケラと笑う。
だって、もう空は見れないと覚悟していたのに、こんな晴れやかなバーゼルの青空が見れているのだ。ご機嫌になるほかないだろう。
まぁ、そのお日様を先ほどまで浴びていた脳天には拳骨いっぱつ喰らっているのだが。

「ったく、二人とも異常が起きたらすぐ連絡しろっつっただろうが!」
「えへ、ごめん親方。でもカトルもいたし」
「リエッタもFIOもいるから大丈夫かなって」
「お前らはお互いを過信しすぎだ、ったく……特にリエッタ!お前は帰ってきたばかりだろうが!」
「あだっ⭐︎」

もう一発げんこつを食らってもえへへと笑うリエッタ。
姉ちゃんにも兄ちゃんにも顔見せずに死ぬ気だったのか、なんて言われたら何も言えない。元々死ぬ気はなかった、とだけしか弁明できないのだ。
心配したのか寄ってきた犬型のロボット……XEROSの頭を、大丈夫だよとそっと撫でた。親方のげんこつはもらい慣れている。

「はぁ……それもこれも坑道の導力灯が変な挙動したせいだよ」
「あ、そうだった。データ取れたの?」
「……?データ?」

きょとん、とした青髪の少女に、カトルが説明するよとXiphaを取り出す。

「最近さっきの導力灯みたいな不可解な異常がたまに起きるんだ。本来の機能と違うことをしたり、故障していないのに動かない、とか……」
「治ってることもあるらしいね。……とにかく、あたしたちはそれの調査に行ってたワケ」

はい、これ。と差し出されたXiphaには、道中の導力灯の組み込みプログラムのスクリーンショットと、FIOが大気中から検出した魔獣避けの成分の測定値が表示されていた。
プログラムの方はよくわからないようだが、魔獣よけの成分量が0に近いと言うことは分かったらしい。

「そんでガキ二人でノコノコ入ってったのか」
「何よ、これでもあたし強いんだからね」

赤髪の青年にがうと噛み付くと、おとなしく猫をかぶっているカトルと主人に従順なXEROSに両袖を引かれる。ぶう、と頬を膨らましながら、リエッタはカトルの隣へと大人しく帰った。

「……支部で聞いた話とも繋がるな」
「わたくし達の調査とも連なるかと」
「そういう話はさっき聞きたかったぜ」

じと、と青コートの青年に半目で睨まれたカトルはリエッタに少し隠れるように引き下がる。弟が甘えてきた、と嬉しくなるのを抑えて……リエッタは、思い切って目の前の集団を睨みつけた。

「ふふっ、口角上がってますよ」
「なんだか嬉しそうです!」
「ガキ同士でイチャコラしやがってよ」

結果、フルボッコ。
だって仕方ないじゃないか。普段カトルはあまり甘えてきてくれないのだから。
そう自分を正当化しつつ、親方と遊撃士の男女が話し終えて去るのを見届ける。

「そういや……お前さん、名前は?」
「え? まだ言ってなかったっけ」

ぽりぽりと首筋を掻いて、改めて自己紹介するとなると恥ずかしいなと照れる自分を抑えて、口を開く。

「リエッタ・ハミルトン。普段は理科大学の研究の手伝いと、カトルのお姉ちゃんやってます」
「……は、ハミルトン!?」

驚いた金髪の彼女に「やっぱ見えないよねぇ」とリエッタは笑いかけた。
そりゃあ、リエッタは母親似なのだ。祖母の直系の父親と比べて、似ているところは癖っ毛な髪質くらいしかない。
目だけは確か祖父と似ているのだったか。色合いや肌質は全て母から受け継いだもの、らしい。リエッタにとって両親とは祖母からの又聞きの情報しかないから、何も知らないのだ。

「リエッタは博士の実孫だよ。頭はそんなに良くないけど」
「んふ、その分カトルが補ってくれるでしょ?」

はいはい、とあしらわれた。くぅ、これこれと噛み締める。弟のツンはいくら摂取しても足りないくらいだ。

「……で。ヴァンさん達は何の用ですか?」
「お、そういやそうだった」
「実は、相談したいことがあって……」

聞けば、依頼の調査で理科大学に行きたいものの、セキュリティカードが最下層のものらしく、導力トラムに乗れないのだとか。
それなら親方が権限を持っているはずだ。リエッタとカトルが揃って見上げると、親方は頷いてXiphaを取り出す。
カードに表示された文字がDからCに切り替わる。主要な施設には入れないものの、導力トラムに乗る制限はこれでなくなったはずだ。

「社長も意地悪だねぇ。Xiphaの試験データ送るの止めてやろっと」
「それは僕もエレ姉達も困るからやめて」
「家族にはナイショで渡すに決まってんじゃん♡」

手慣れたようにXiphaを弄り、操作を終える。『検体データ送信停止』とバルバトスがアナウンスし、Xiphaから伸びていたアンテナが縮み、機体内に収まる。
本当にやりやがった、とでも言いたげな周囲の人間達の視線をものともせず、フンと鼻を鳴らす。ついでに着拒しとこ。

「そいつも工房長も、CEOに黙ってこんなことして良いのかよ」
「あァ、元々このバーゼルはヴェルヌの他にも職人街と理科大学も管理に噛んでんだ」

親方はその中の職人街のまとめ役であるがために、元々その程度の権限は持っているのだ。
隣で青いコートの青年────ヴァンが親方にもう少しあげられないかと強請り、若干気に入られるのを眺めて、話が終わり親方が去っていった後で、カトルが口を開いた。

「そのカードなら大学には入れるけれど、僕らも用事があるし、折角だから道中案内しますよ」











「ところで、先ほど使っていた武装は?」

ヴァンと遊撃士の男性が子供達に巻き込まれてラジコンカーレースに白熱している最中、リエッタの隣に青髪の少女────フェリがスススと近づいてきた。
そして内緒話をするように、小さな声で問いかけてきたのである。
「これのこと?」と銀筒を取り出し、手のひらに載せる。フェリは興奮で頬を真っ赤にして、うんうんと頷いた。

「これはシャードウェポンっていうの。開発中だからまだ仮名なんだけどね」
「シャードウェポン!じゃあ、あの形の変わる刃はシャードを固めて?」

リエッタは頷き、Xiphaを操作して周囲に微量のシャードを撒く。
そしてシャードウェポンを起動し、手っ取り早く、あまり危険ではないような形……よくあるワイヤレス式のマイクや綿棒、料理に使うお玉などに次々と変形させた。

「Xiphaのクイックアーツの要領で脳波を読み取ってからこっちの本体にデータを送って、思った通りの形を作れるって仕組み。カトルの研究だよ」
「すごいっ!持ち運び、威力、自由度……どれをとっても一級、完成すれば戦場を一気に変えてしまいそうです!」
「どっちかっていうと警備の人に使って欲しいらしいよ。ほら、それこそ軽いし、一般の人への威圧も少ないでしょ。あたしは魔獣退治にも使うから威力増やしてるけど、将来的に抑えていくつもりだってさ」

まるでバトンを回すかのようにクルクルと銀筒を回してから、綺麗な青い軌跡を描くそれのスイッチを切る。

「威力が高いまま欲しいなら、今おねだりするしかないね。テスターとしてだから、レポートも要求されるだろうけど」
「うっ、レポート……ヴァンさんが書いているのを見てるだけでも難しそうなのに……」

フェリが苦い顔をする隣で、リエッタはケラケラと笑う。
彼も何かのテスターをやっているようだし、レポートも散々書いていそうだ。自分だって何度口頭説明でやらせてくれと訴えたことか。
その度にヤン兄とおばあちゃんにくどくどレポートの重要性を説教され、エレ姉とカトルに助けを求めても微笑むばかりで助け舟なんて出やしない。なんなら作文のノリでレポートを増やされる。
身内の研究のテスターなんてよっぽど好きじゃないとやってられないのだ。

「フェリのそれは……アサルトソードだっけ」
「はいっ。私はまだあまり筋肉がないので、できるだけ軽いものを」
「やっぱ重いと振り回しにくいよね〜。あたしも もうちょっと腕周り筋トレしよっかな」
「それならオススメの動画がありますよ!Xiphaにリンク送りましょうか?」

筋トレ、武器、戦術……年頃の娘らしくない話題でキャッキャと盛り上がる二人を、カトルは遠くから少し複雑そうに眺めていた。

「リエッタちゃん、案外肉体派なんですね」

隣にいたアニエスがそう声をかけた。
カトルは頷き、地面に視線を落とす。

「リエッタは研究とか頭を回すのが性に合わないらしくて。それでも僕らの、博士の役に立ちたいからって、手伝いをやってるんだ」

ひとえに研究の手伝いと言っても、様々なものがある。
例えば二人の姉代わりであるエスメレー準教授の専攻は生物学であるため、採血から魔獣のサンプル採取まで多岐に渡る。シャードウェポンだって、まだまだエラーもバグも多いまま使ってもらっている。
当然、怪我は絶えなかった。実戦テストの時は魔獣と相対するから、余計に。
今でこそ慣れてると笑っているが、きっとクロンカイト教授ならばもっと上手くやって、リエッタに怪我などさせなかった。

「もうやめようって言っても聞かないんだ、あいつ。データが取れるまで、絶対に」

危ない目に遭うたび「次はこうはならないから!」と特訓を始めたり、遊撃士に弟子入りしたり。
出会ったあの日差し出された柔らかい手は、武器を扱う者の手になり、今はカトルよりも固くなっている。
自分は、リエッタに無理をさせているのではないか。本人に否定されても、カトルの中にはそんな考えがずっと、ぐるぐると蠢いていた。

「私はリエッタちゃんのことは、まだよく知りませんが……きっと、カトルくんの役に立って、守りたかったんじゃないでしょうか」

私もそうですから。
そう言って、アニエスは腰のホルダーに留めた魔導杖へ触れた。
最初こそただついて行くためだったが────今は、あの優しい人を自分なりに守るために。
だからこそ、護る技を覚えた。癒す技を覚えた。彼女は癒しこそしないが、大きな盾を作ることができる。
それに。

「そうじゃなければ、あんなに必死に抱きしめたりしませんよ」

採掘道の光景が、全てを物語っていた。

「……そう、だね。そうだと……いいな」

ヴァンの雄叫びが聞こえる。どうやらこちらが勝ったようだ。
思わず顔を見合わせ、クスリと笑う。振り返った先にいるじとりとしたリエッタの視線に少し気分を良くしながら、カトルは「行こう」と柔らかい手を差し出した。











「リエッタちゃ〜〜ん!久しぶりね〜〜!」
「わぶっ」

バーゼル理科大学、特別研究棟。
エスメレーの研究室にて、部屋の主人の豊満な胸にリエッタの顔がぎゅうと埋まっていた。

「少し背が伸びたかしら〜? 体調は?大丈夫?」
「だいじょぶ……だから……離して……息が……」
「エレ姉、エレ姉、窒息しちゃう」
「まぁ!ごめんなさいね、ついはしゃいじゃったわ〜」

大丈夫、とようやく息を据えたリエッタをカトルが支え、そのままソファへと座らせる。
その様子を見て対面に着席したエスメレーは頬に手を当てて、あらあらうふふと笑う。

「やっぱり二人は揃ってるとしっくりくるわね〜」
「そりゃあそうだよ。僕らはベストコンビらしいからね」
「!! カトルからベストコンビって言ってくれた!?」
「言ったけどあんまりくっつくなって!」

喜びを体現するようにカトルに抱きつき、頬擦りをする。嬉しいような複雑なような顔を見せるカトルはひとつため息をついて、本題に入るためにエスメレーへと向き直った。

「……で、仕事って?」
「えぇっ!?これもお仕事!?」
「そうよ〜。私というか、ヤン兄さんの方なんだけど〜……ほら、ちょうど来たみたい〜」

エスメレーに釣られてくっついたまま研究室の入り口に顔を向ける二人。
そこには優秀な頭を抱えてメガネをずり上げる、二人の兄貴分がいつも刻まれたシワをより深くして不機嫌そうに立っていた。

「……リエッタ。年頃の娘がみっともないことをするな」
「カトルにだけだし問題ないでしょ?」
「もう少し慎みを持て、ということだ。まったく、成長しないなお前は……カトルも少しは抵抗しろ」
「した上でこれなんだよね」

1年ぶりの対面だというのに、なんて冷たい兄だろう。
二人をべり、と引き剥がしてからエスメレーの隣に座ったクロンカイトは、手に持ってきていたコーヒーをずず、と啜る。だから眠れないのだ、カフェイン中毒め。

「そもそも旅行は1ヵ月の予定だっただろう。何があって1年も……」
「あー、えっとー……そう!向こうで友達ができて、みんなに共和国案内してたの」
「案内って、バーゼルから出たことがないのに?」
「ホントだもん! 家にいろんなお土産置いてるから後で一緒に開けよっ」
「へぇ、楽しみ……じゃなくて!仕事の話!」

再びもたれてくるリエッタを好きにさせながら、カトルはもう一度軌道修正を図った。ふぅ、と満足げにコーヒーを飲み干したクロンカイトは「そうだな」と話を切り出す。

「……アラミスの生徒が私の研究室を見学したいそうだ。案内を頼めないか」
「アラミス……ってことは、アニエスさん?」
「彼女は今解決屋と動いているだろう。レン・ブライトとその他有象無象の方だ」

その言葉を聞いて、リエッタがガタリと音を立てて立ち上がる。

「レンが来てるの!?今どこ!?もしかしてティータもいっしょ!?」
「ティータは誰か知らないけど……レン・ブライトさんならさっき案内したよ。多分校内にいるはず……」
「うそぉ!やった、ちょっと席外すねっ!ついでに案内してくるーッ!!」

持ち前の身体能力で飛び出して行ったリエッタの通った後に、数枚リエッタ自身が提出したレポートが散乱する。キャラハン教授の怒鳴り声とリエッタの笑い声が続けて聞こえてきたあたり、そのまま走って曲がり角でぶつかったのだろう。

「うふふ、相変わらず元気ね〜」
「落ち着きがないの間違いだろう」

呑気に会話する兄姉に苦笑いをして、カトルもソファから立ち上がった。
寄ってきたFIOはクロンカイトに追従するように指令して、荷物を持って立ち上がる。

「流石に心配だし、僕も行ってくるよ。二人とも今日はうちに帰ってくるんだよね?」
「えぇ、お土産開けようって言われちゃったし〜」
「……まぁ、今夜くらいは付き合ってやらんでもない」
「了解。ごはん、4人分で作っておくね」

ふわりと笑って、カトルは早歩きで部屋を出た。
静かになった研究室で、残された年長二人は顔を見合わせ、小さく笑う。

「やっぱり、カトルくんはリエッタちゃんがいるとよく笑いますね〜」
「あぁ、そうだな」

カトルの表情は、ここ1年なかなか見られなかった、自然な笑顔だった。












「そう、でね? ラピスがガレットを5枚もペロリと行っちゃってさ」
「本当に一年たっても相変わらずね……そういえば、リィンお兄さんも1月くらいに龍來に行ったそうよ」
「え、そーなの!?1月は……たしかラングポート観光してたっけ……そうそう、ちょうどそれくらいにルーファスがCIDに目付けられてさ 」
「ふふ、危険人物扱い? 彼ならやろうと思えば国家転覆くらいもう一度やれるでしょうけれど」
「でもさぁ、ラピスがもう一回バベル作るくらいしないと厳しくない?」

菫色と焦茶色が同じテンポでゆらゆら揺れる。
止まらない二人のおしゃべりに、ちょうどレンと共にいたオデットとアルベールは顔を見合わせた。
バベル、ラピス、CID、国家転覆……たまに物騒な単語の混じる少女二人の会話はまだまだ続いている。

(なになになに!? 会長って本当に何者!?あの子も何者!?)
(バベルって、去年クロスベルに出た兵器じゃなかったか……?)

「そういえばレン、ジェニスのもよかったけどアラミスの制服も似合うね。大人っぽくなった感じ!」
「当然よ、私だもの」
「ヒュ〜っ!!かっこい〜〜!!」
「存分に惚れなさい」

サラリと髪を掻き上げるレンに、煽てるように拍手をするリエッタ。
仲の良い友人そのものである二人の姿を……オデットとアルベールのさらに後ろから、カトルがモモ色の瞳をじとりと半目にして見つめていた。いや、睨んでいると言った方が正しいだろうか。

「さ、サリシオンくん……?」
「………………なんですか」

オデットの声かけには返答したものの、見るからに不機嫌なカトルは腕を組んで、袖をキツく握りしめている。
声を出したオデットに気がついたのか、レンとリエッタも振り返る。クスリと笑ったレンは、行ってやれと友人の背中をポンと押した。立ち止まったままのリエッタは、どうやら久々にあった友人と今日一日を捧げると約束した弟を天秤にかけているようだ。
数秒迷った後、少女は大きくバッと手を広げる。

「カトル!おいで!!」
「子供じゃないんだから行かないよ!!」

即座に顔を真っ赤にして言い返した弟に、リエッタはえぇ!?と大袈裟に驚いてみせる。隣でレンがもう耐えられないと言うように噴き出し笑った。
廊下を行き交う教授たちはいつものことだと微笑ましそうに通り過ぎていく。

「だ、だって〜……レンとも話したいし〜……」
「だからってハグはないでしょ!!」
「じゃあ手!手繋ご!はい!」

リエッタの豆だらけの手がカトルの柔らかい手をパッと握る。するとカトルはさらに耳まで真っ赤にして、すんと黙り込んでしまった。顔に血が昇りすぎているんじゃないかと覗き込むリエッタからぷいと顔を逸らすが、握った手はギュ、というよりギリギリ締め付けて離しそうにない。
が、気にすることなくリエッタは笑いを必死に耐えるレンを笑顔で見上げた。

「これでヨシ!それでね、スウィンが……」
「ん゛っ……フフ、ヨシじゃないわよ、ヨシじゃ」
「え?なんで? あ、ウチの弟可愛いでしょ〜? すぐ嫉妬するんだよ」
「嫉妬じゃない!!!!」
「ウワ声でか」
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