小さな双子の親指姫

南へ

 その時、遠くから鳥の声が聞こえてきた。畑の麦をついばみにくる、いつもの雀の囀りとは比べものにならない強くまっすぐに響く鳴き声は、まるで呼び鈴のように繰り返される。
「キィヴィット!」
 ガッシュは野鼠の家の扉を開けて、外に向かって飛び出した。辺りの麦は刈り取られ、明るい日差しが地面を照らしている。空の高みを一羽の燕が飛んでいた。
「バオウ殿!」
 大きな声でガッシュが呼ぶと、燕は滑るように降りてきた。シェリーとブラゴは降りてきた燕に、ガッシュとよく似た姿が乗っているのを見て驚いた。そっくり同じ顔立ちのまったく同じ背格好でありながら髪や目の色、身に付けた服まで、金の夕陽と銀の明け月ほどに纏う色彩は違っている。
「兄上!」
 走るガッシュをふわりと受け止め、ゼオンはいかにも晴れやかに嬉しそうな表情になる。ガッシュは待ち望んだ姿を目の当たりにして、笑顔を見せるつもりでいたのがきつく抱かれて抑えていたものを溢れさす。そしてゼオンが「さあ帰るぞ」と囁くと、ガッシュは泣き顔を振り払いまた喜びいっぱいに笑って「うぬ」と大きく頷いた。
 再会をかなえた双子の兄弟はシェリーとブラゴのところへやって来た。ガッシュは兄のゼオンを紹介し、ゼオンは弟が世話になったと、ふたりに感謝した。
「シェリー殿、どうかお幸せにの。ブラゴ殿もまたお元気で」
 ふたりの婚礼を見届けられず残念だがと、ガッシュは短い別れの挨拶をするとゼオンとともに燕の背に乗った。そしてシェリーとブラゴに見送られ、青い空へと飛び立った。

 畑や森や家々を空の上から初めて眺め、その景色の移り変わりにガッシュは瞳を輝かせる。バオウは誇らしげに羽ばたいて、どこかへ迷わず飛んでいく。
「バオウは私達の家がわかるのか」
「ああ。俺とバオウはあの家で会ったのだからな」
 驚くガッシュにこれまでのことをゼオンは話した。
「あれから、何者がお前を拐かしたのは造作もなく知れたんだ」
 だが気まぐれな天道虫のロップスとともに次々とアポロが居所を変えるのに振り回された。それを捕らえてガッシュを既に放していたことを知り、さらに雛菊の野原にゼオンが辿り着いたのは雪がちらつく頃だった。
「何の手がかりもなく、俺は元の家へ戻らざるを得なかった。が、そこで魔法使いに会ったんだ」
「それは私達の花を咲かせたあの者か?」
「いや、あれとは違う」
 ガッシュが思い浮かべた面影を、ゼオンは言下に否定した。
「元から親しかったかは知らないが、そいつは今、あの清麿という者と共に暮らしている」
 魔法使いは不思議な力を持ち、ただの人間では声も聞けない小さな生き物の話もわかるのだとゼオンは言う。
「デュフォーはお前が野鼠の家にいることも燕の命を救ってやったことも、そしてバオウと名付けられた燕がお前に頼まれ、俺を探しに来ることも知っていた。お陰で俺は、こうしてお前を迎えに来れたというわけだ」
 話すゼオンの口調は柔らかだった。生まれてすぐに自分が懐いた清麿を、ゼオンはまるで好かなかったがデュフォーとは気が合ったらしいと、ガッシュは嬉しくなった。
「では帰ったらお礼を言おうぞ」
「ああ。だが、俺達が帰るのは別のところだ」
「別とは……いったいどこへ?」
 訝しむガッシュにゼオンは答えた。
「俺達が本当の姿でいられるところ。この燕、お前が名付けたバオウの翼でしか行けないところだ」
 気付くとバオウは、ただの燕では飛べないような雲の高さを飛んでいた。ガッシュの眼前に広がるのは、真白い雪をかぶった峰々と怖いくらいに青く澄みきった空だけだ。バオウの羽ばたきはさらに速度を上げて、ゼオンが外套で包んでなければ風は頬を裂くと思われるほどに冷たかった。
「さあ参りましょう。遥かに遠い南の国へ」
 連なる山脈を越えた途端に世界の様相ははっきりと変わり、ガッシュは思わず歓声をあげてゼオンもひそかに息をのむ。

 こうして双子の兄弟は、遥かに遠い南の国へと行き着いた。ここの太陽はいつも明るく輝いていて、空は青くきらめいている。山に隔てられた穏やかな土地は、道端や垣根に緑と紫の葡萄の房が垂れ、レモンやオレンジの果樹の香りも芳しい。緑の森には鳥が囀り、野原に咲いた花々の上を蝶々と虫達が飛び回っている。
「とても素敵なところだの」
 けれどバオウが飛んでいく先は、さらに美しい景色が広がっていた。
「ここが私の故郷ですよ」
 清らかな水をたたえて青く空を映す湖の岸辺には、鬱蒼とした木々に囲まれて輝くような白い石造りの城跡があった。遠い昔に建てられた古い大理石の柱には幾重にも蔦が絡まっていて、崩れた壁や残った屋根の片隅に燕の巣が掛けられていた。
「ですが私の家は貴方達にふさわしくはありませんから、どうぞお好きなところへ」
 割れた大理石が草地に散らばる城跡は、日当たりもよくたくさんの花が咲いていた。バオウに頼み、双子は花の近くへと降ろしてもらった。微風に揺れる色とりどりの花々は、快く思いをくすぐるような匂いを放っていた。そして辺りの花の一つずつには、ゼオンやガッシュと同じ背丈の者がいた。彼らはまるで双子を出迎えるように、花から顔を覗かせて、次々に姿を現した。

「王様、お帰りなさい」
 皆から口々にそう言われてガッシュの記憶が蘇る。
「思い出したな」
 嬉しそうに微笑み、手を差し出すゼオンの背中には透明な羽が生えていた。
「うぬ。思い出したのだ」
 そういうガッシュの背中にも、きらきらと光って透き通る綺麗な羽が生えていた。
 小さな金の冠がガッシュの頭に載せられて、ゼオンが額にキスを贈った。本当の姿を取り戻し、ゼオンとガッシュは手を取り合って、花から花へと飛びまわる。

ガッシュはここの王様だった。人間達と同じ姿の、けれどもずっと小さな彼らは魔物と呼ばれる不思議な生き物だ。そして人の世界から遥かに遠い南の国は、彼ら魔物達が住む魔界という不思議な世界だったのだ。
  
   * * *

 ――また春が来る。
「キィヴィット!」
 やがて燕は南の国から飛び立って、元の軒先に戻ってくるだろう。訪れる窓に燕の巣があるその家には、かつて独り身で寂しく暮らしていた高嶺清麿という人と魔法使いのデュフォーがいるはずだ。そして小さな双子を背中に乗せた一羽の燕の囀りが、このお伽話を語るのだ。
8/8ページ
スキ