小さな双子の親指姫

婚礼

 夏になり、畑の中の野鼠の家は高く伸びた麦で覆い隠された。ブラゴのところへお遣いに行ったガッシュは、たくさんの亜麻と羊毛を持ってきた。そして、これは何かと尋ねたシェリーに、花嫁の衣裳をつくるためのブラゴからの贈り物なのだと、笑顔で答えた。
「それでは、あの方が求婚を?」
「うぬ。それで婚礼の支度をと頼まれたのだ」
 シェリーは戸惑い、何度か瞬いてぎこちなく訊く。
「随分と、……急なお話なのね」
「そうなのかの。ブラゴ殿はだいぶ前から考えていたと言っておったが」
「以前から? そう」
 ガッシュの答えに、気づかなかったとシェリーは呟いた。
 男ぶりがよく裕福な土竜には、これまでも縁談はいくつもあったがブラゴは全て、必要ない、と断り続けて頑なまでに独り身でいた。それが今更どういう心境の変化だろう。
 決断にふさわしい相手とブラゴが巡り合ったなら喜ばしいことのはずなのに、とシェリーの心は晴れなかった。
 夜更けにブラゴはシェリーを訪ねてきた。黒い毛皮は常にも増して丁寧に梳られて艶めいていた。その姿が眩く俯いていたシェリーの手を取ると、ブラゴは一言、承知してくれるかと真摯に問う。シェリーは小さく頷くと、にじむ目頭をそっと押さえた。
「ごめんなさい。貴方がそう考えていたと、知らなくて」
「いや。言わずにいて悪かった」
 ブラゴは不本意そうに眉を寄せ、笑顔を繕うシェリーの目元を指で拭った。想う相手の幸せを願うことも出来ない心の狭さを呪って、シェリーは何も訊かないことにした。
「大丈夫よ、もう。……花嫁の衣裳をつくるんだもの」
「ああ。頼む」
 次の日には糸紡ぎをする蜘蛛達が何匹も雇われた。山と積まれた亜麻と羊毛はすぐに紡がれて糸となり、様々な生地が織り上げられた。
 真夏の光を見ることもなく、シェリーは花嫁のドレスを縫い上げた。長く続いたお隣さんとの良いお付き合いはこれで終わりだからと、誠意を込めて仕立て上げられた婚礼の衣裳は、真白く艶やかに光をはねかえす。
 仕上げの刺繍を終えたシェリーが居間へ向かうと、聞きなれたふたりの声がした。
「なんと婚礼の指輪とはこんなに輝くものなのか」
「ああ、特別な品だからな」
 シェリーは扉の前で立ち止まる。婚礼の指輪と聞いて、心穏やかではいられなかった。土竜同士の婚礼ならば、わざわざ指輪を用意はしない。指輪の誓いは、種族も性別も関わりなく、すべての枷を取り払い、あらゆる魂を等しく結ぶためのもの。
「ではいよいよ日取りを決めねばな」
「勝手にしろ。元々お前が言い出したことだ」
「しかしお主も満更では」
「煩い」
 いつの間にこんなに仲を深めていたのか。笑い合うふたりの姿が、これまでと違った意味で見えてくる。悪い考えにとりつかれ、シェリーは扉の前で立ち尽くす。
「シェリー殿、どうされたのだ?」
 気づくと傍らにガッシュがいて、心配そうにシェリーの顔を覗き込んでいた。
「なんでもないわ。……衣裳が仕上がったから知らせに」
「おおそれは良い! こちらも素敵なお知らせがあっての」
 ガッシュは屈託のない笑顔でシェリーの手を引いて、ブラゴのところへ連れていく。
 シェリーの顔は浮かなかった。花嫁の気鬱か、とブラゴは微かに眉を顰める。気にかからないわけではないが、気持ちに添ってやりたくとも仕方が分からず、ブラゴは何も言わずにいた。
「シェリー、お前に渡したいものがある」
 声をかけてもシェリーの反応ははかばかしくないが、ブラゴは全く構わなかった。たおやかな手を取り、左の薬指へと金色に光る指輪を滑らせる。シェリーの頬に赤みがさした。
「……どうして」
「承知しただろう」
「それは、……でも指輪なんて、まさか」
 信じられない、とシェリーは声を震わせた。
「いままでは必要がなかったからな」
 ブラゴは事実だけを言う。
「俺はお前が傍にいさえすればそれでいい」
 ブラゴは想いを口には出さない。言わずとも形にせずとも分かっているのを、わざわざ伝える必要はないからだ。
「永遠の愛も魂も、指輪の誓いも俺は信じない。だが、」
 それを破ったのはガッシュの存在だ。ひと冬の仮住まいのはずが、もう暫くとシェリーと共に暮らすのを見るうちに、ブラゴは自身の変わらない間柄に焦りを覚えた。
「お前を誰よりも、想っている。お前を俺に繋がせてくれ。かわりに俺もお前のものだ」
 呆然とされるままのシェリーからの答えはない。だが腕におさまり、涙を溜めて揺れる瞳を見れば十分だった。
 ああ間に合ったと、ガッシュは胸を撫でおろす。大切な者が傍にいるのはいつもずっととは限らない。離れ離れにならないうちに想いを伝え合うことができて良かったと、ガッシュは小さく笑みを浮かべた。
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