小さな双子の親指姫

野鼠と土竜

 夏の間、ガッシュはずっと野原の中をさまよった。どんな草木も身体の小さなガッシュにとっては、とてつもなく大きくて深い森と同じだった。歩き疲れたら草を集めて寝床をつくり、雨が降ったら大きな葉っぱの影に座り込み、お腹がすいたら花の蜜を食べて、喉が乾いたら草に残った朝露を飲んだ。そうしているうちに夏から秋になり、ついに長く寒い冬がやってきた。
 囀っていた鳥達は皆どこかへ飛び去って、木の枝につくのは枯葉ばかり。草も花も萎れてしまった。雨除けにした大きな葉も紙くずみたいに転がって、寝床の草も黄色い茎だけになった。ガッシュが生まれた時から着ていた服は、花びらよりも薄くて軽いが不思議と綻ぶこともなく小さな身体を包んでくれていた。それでも冷たい風が吹きつけると、凍りつきそうに寒くて震えてしまい、ついに降り始めたひとひらの雪もずっしり重たく感じられた。
 枯れた野原のすぐそばに大きな麦畑が広がっていた。麦はとっくに刈り取られて切り株だけが残っている。雪で凍った吹きさらしの畑の中をガッシュはとぼとぼと歩いていった。そして切り株の下に小さな扉があるのを見つけた。それは野鼠の家の入り口で、立派な台所と温かな居間があり、麦も部屋いっぱいに貯えられていた。
 扉の前に立ったガッシュは、麦を一粒もらえないかと弱々しい声で頼んだ。もう二日も何も食べていなかった。
「まあ、可哀そうに」
 野鼠のシェリーは親切だった。凍えているガッシュを部屋へ入れると温かなスープをお皿によそい、親身になって身の上話を聞いてくれた。
「そういうことなら、冬が終わるまでこの家で過ごすといいわ。その代わり、いつでも部屋を片づけて、私にいろいろな話を聞かせてちょうだい」
 ガッシュは頷き、シェリーの言いつけをよく聞いた。食事の支度や掃除を手伝い、頼まれれば歌をうたった。冬がこんなに楽しいのは初めてだわと、シェリーはガッシュとの暮らしを喜んだ。

「今日はお隣さんが訪ねてきてくださるの」
 ある日、シェリーが嬉しそうに言った。
「お隣といっても少し離れていて、この家よりずっと深くにお住まいなのよ。大きな部屋をいくつもお持ちで、きれいな天鵞絨の毛皮を着ているの。暮らしぶりの良い立派な方よ」
 野鼠の家のお隣さんは、黒い毛皮を着こんだ土竜だった。土竜はぶっきらぼうにブラゴと名乗ると、ガッシュをじっと見据えてきた。威圧的で鋭い目つきがゼオンみたいだと、ガッシュは笑って挨拶した。
「ふん、迷い子が随分と怖いもの知らずだ。それを気に入ったわけではないだろうが」
 ブラゴが気にかけているのはシェリーの方だと、ガッシュは気づいた。冬の仮住まいでシェリーと暮らすことになったガッシュを見定めようと、ブラゴはわざわざ訪ねてきたのだ。
「ええ。とてもいい子よ。貴方をちっとも怖がらないなんて私の方が驚いたわ。それと、この子は歌がとても上手なの。こんなに素敵な声の持ち主なんていないと思うわ」
「ああ、冬は退屈だからな。少しでも気がまぎれるなら、それも良い」
 ぱちぱちと燃える暖炉の前で、ガッシュは野鼠と土竜のために歌をうたった。ふたりとも、ただのお隣さん同士には見えなかった。どうして互いに言わないのか分からない。たとえ野鼠と土竜に結ばれない事情があるとしても、あの蝶々のふたりのように想い合う気持ちを証にしたらいいのに、と願いを込めた歌声は静かな部屋にやさしく響いた。
 土竜の家と野鼠の家は、曲がりくねった長い通路で繋がっていた。ブラゴはガッシュを気に入ったのか、通路はいつでも好きなときに通っていいと言ってくれた。
「だが掘り直して分かれ道になったところがある。案内はするが間違えないよう気をつけろ」
 土竜の家へと続く通路は真っ暗だ。シェリーとガッシュは小さな灯りを持つと、先に歩き出したブラゴの後をついていく。分かれ道に来たときガッシュは訊いた。
「何故ここを掘り直したのだ? 大きな石や木の根もないのに」
「鳥の死骸があったからな。見てもいいが怖がるなよ」
 ブラゴはつまらなさそうに答えて、分かれ道の先を指す。灯りを向けると、通路に一羽の燕が横たわっていた。くちばしや羽根もついていて、死んでから間がないようだ。
「ここらは崩れやすい。落ちてきたか知らんが始末も面倒で放ってある。そのうち埋まるだろう」
 冬の初めに凍えてしまったのだろう。燕の足と頭はすぼめられ、身体の両脇についた美しい翼に隠れている。寒さに震えて身を縮めたそのままの姿だ。
「俺も歌は嫌いじゃないが、鳥の声は騒々しいとしか思わない。ただ歌うだけで何も持たなければ、冬になれば死ぬしかない。これを嘲るつもりはないが憐みもないな」
「そうね、可哀そうだけど。死んでしまっては何もならないもの」
「だが野垂れ死にでも、飢えも寒さも感じずにすむのなら、これ以上の幸いもない」
 寂しいなとガッシュは思った。夏の野原にひとりでいたとき、ふと聞こえてきた鳥の歌声は一時でも寂しさを忘れさせてくれたのだ。ことに高らかに響く燕の歌は、力強さにあふれていて好きだった。そのときの燕がこんなところで倒れているなんて、この上なく悲しい気持ちがした。
 燕から目を離せずにいるガッシュの肩に、シェリーがそっと手を添える。ブラゴは無言で分かれ道から引き返し、ふたりを家まで送っていった。
5/8ページ
スキ