Short Story
Episode after Faudo
あの時の絶望は、容易く胸に蘇る。
清麿の、心の臓の音が途絶えた時の、底知れない絶望を。血が抜け落ちた身体のぞっとする冷たさを。
掛け替えのない大切なものが失われる恐怖。
裏切られた怒り、その結果を招いた己への怒り。憎しみ。
胸を引裂き、命を贖えるものならば、したかった。時を返せるものならば、返したかった。こんな終わりは、いらなかった。誰より自分が憎かった。
王になるという願いすら、あの一瞬は捨てていた。すべてを投げうち、清麿の命を蘇らせたかった。
自分を殺して、清麿が蘇るなら、そうしたかった。
ただ自分の無力が憎くてならず、覆す力だけが欲しかった。
「清麿、今、話がしたい」
疲れていると分かっているが、どうしても言わなければならない。
「ああ」
足を引きずって家にたどり着き、最後はほぼ背負われて、やっと倒れ込んだベッドの上で、清麿はそれでも肘をつき、身体を持ち上げ、ガッシュに向き直る。
「清麿、あの時、どうして私に守らせなかった」
「どうしてあの時、死にかけるような真似をした!」
「身を守るようなこともせず、自分は、どうなってもいいと、振り返るなと!」
「私がどんな気持ちでいたと思う!振り返ったとき、起き上がらない清麿を見て、どう、思ったと思う!」
仕方がなかった。そうでなければリオウを倒せない。抗い続けた結果。そんなことはガッシュにだって分かる。あの時に取れる手段は、もう殆どなかった。ただ全力でぶち当たって、とにかく最大の攻撃をぶちかます。それでしか、ふたりが生き残る可能性は欠片もなかった。
ガッシュは魔物だ。だから痛くても、心が潰されそうでも、身体が動く限り、言われたとおりに、やりきった。
だが、清麿は人間だ。攻撃が当たれば、魔物より多くの傷を負う。パートナーだからふたりで戦うと言ってもそれは、心の力だけのこと。魔物と同じに戦うことは出来ないし、そうする必要もない。
「あんな、命を投げ出すような、あんなのは」
話せば蘇ってくる悔しさに、腹から頭にのぼってくる苛立ちに、どうしようもない悲しさに、ガッシュはそれでも泣くまいと拳を握って、強く歯を食いしばる。
勝ったのだから、生き残ったのだから、という小賢しい言い訳は認めない。己の力が及ばなかった。だから清麿を守りきれなかった。その自分の落ち度も後回しにする。
思い知らせてやらねば気が済まないと、何度も同じことを言い募るガッシュに、清麿は口を挟もうとして睨みつけられる。
もう身体の疲労は限界だろう。おそらく、こうして向き合うだけでも体力と気力を振り絞っている。
そして身じろぎした途端に、清麿の胸元でチリンと鈴が鳴る。
ぼんやりと清麿は、赤い紐の先の鈴を見る。
「……悔しかった」
ようやく清麿が口を開いた。
「痛くて、身体も頭も限界だった。とにかく戦わなきゃいけなくて、必死で、だから、もうよく覚えていないんだけど、あの時は、悔しかった」
「もう、身体が動かなかったんだ。リオウの攻撃をまともに食らって、そうなってから、初めて死ぬかもって考えて、ぞっとした」
「血が身体から抜けてって、どんどん考えることができなくなって。縋るようにお前の本を握ってた。これさえ守れば、きっとお前は王になれる。この戦いは、魔物が負ければお終いだけど、人間がいなくても続くだろう。俺が死んでも、お前と本が残るなら、王になるために新しいパートナーが選ばれるんじゃないか、って」
「そんなことは!」
何の根拠もない
「ああ、そうだ。可能性としては有り得なくはないが、そう考えることも出来る、ってだけだ。何の裏付けも、証拠もない」
「私が、それで王になったとして、喜べると思うのか」
「…思わない。けど、俺にはその時、そう願うしかなかった」
だから、悔しかった。自分以外がガッシュの傍にいて、やさしい王様になるのを見届けるなんて。誰かに託すしかないなんて。誰より、自分が、こいつを王にしてやりたいのに。
「清麿は間違っておる!」
「そんな答えが正しいはずがない!」
「ああ。そうだ、俺は間違えた」
間違いに気づいたのは、ファウードの体液の中でようやくやっと目を覚ました時だ。
夢か現実か、はっきりとしない意識の中でそれでもずっと考えていたことが、覚醒とともに答えを出した。
戦いに選ばれる魔物と、本を読める人間は互いに唯一の存在だ。
パートナーは一人。例外はない。
そうでなければならないのだ。
「あの時、他に方法はなかった。それも間違っていないと思う」
「だが」
「ごめんな。お前につらい思いをさせた」
「ふたりで、戦うと言ったではないか。私を、王にすると」
「そうだ。約束を破るところだったんだよな。だから、ごめん。俺が間違っていた」
「もう、二度と」
「わかってる」
「絶対、なのだぞ」
「ああ」
「違えたら、私は、清麿を、今度こそ嫌いになる」
「ああ」
「私は、もっともっと強くなる」
「うん」
「だから、清麿は私が王になれるよう、力を貸してくれ」
「もちろんだ」
「約束だぞ」
「ああ、約束だ」
見合わせた顔は、よく似た動きの表情を見せ、ついに清麿は横になって目蓋を閉じる。
ガッシュが布団をかぶせたときには、もう寝息を立てて、深い眠りに落ちていた。
ガッシュは清麿の顔を見つめていた。魔物の耳に、規則的で穏やかな寝息の音が聞こえてくる。
その音を聞き洩らさぬように、ガッシュも寝台の端で腕を重ねて枕にしてから、うつ伏せた。
朝の光が、柔らかく辺りを包んでいた。
ファウードの騒ぎは終わったが人々が戻って来るにはまだ時がかかる。
ガッシュもまた清麿ほどではないが、疲れていた。だがこのまま眠るにしても、清麿の顔を見ていたかった。
大切な人が失われる恐ろしさを、身をもって思い知ったばかりで、その傍を離れるなんて到底できるものではなかった。
規則的に拍動を打つ心臓の音。穏やかに繰り返される寝息の音。絶え間ない命の音をずっと聞いていたかった。
ふたりだけのこの時が、ずっと永遠に続くもよい。
まだ悲しみを知っただけの子供は、微睡みながら願っていた。
あの時の絶望は、容易く胸に蘇る。
清麿の、心の臓の音が途絶えた時の、底知れない絶望を。血が抜け落ちた身体のぞっとする冷たさを。
掛け替えのない大切なものが失われる恐怖。
裏切られた怒り、その結果を招いた己への怒り。憎しみ。
胸を引裂き、命を贖えるものならば、したかった。時を返せるものならば、返したかった。こんな終わりは、いらなかった。誰より自分が憎かった。
王になるという願いすら、あの一瞬は捨てていた。すべてを投げうち、清麿の命を蘇らせたかった。
自分を殺して、清麿が蘇るなら、そうしたかった。
ただ自分の無力が憎くてならず、覆す力だけが欲しかった。
「清麿、今、話がしたい」
疲れていると分かっているが、どうしても言わなければならない。
「ああ」
足を引きずって家にたどり着き、最後はほぼ背負われて、やっと倒れ込んだベッドの上で、清麿はそれでも肘をつき、身体を持ち上げ、ガッシュに向き直る。
「清麿、あの時、どうして私に守らせなかった」
「どうしてあの時、死にかけるような真似をした!」
「身を守るようなこともせず、自分は、どうなってもいいと、振り返るなと!」
「私がどんな気持ちでいたと思う!振り返ったとき、起き上がらない清麿を見て、どう、思ったと思う!」
仕方がなかった。そうでなければリオウを倒せない。抗い続けた結果。そんなことはガッシュにだって分かる。あの時に取れる手段は、もう殆どなかった。ただ全力でぶち当たって、とにかく最大の攻撃をぶちかます。それでしか、ふたりが生き残る可能性は欠片もなかった。
ガッシュは魔物だ。だから痛くても、心が潰されそうでも、身体が動く限り、言われたとおりに、やりきった。
だが、清麿は人間だ。攻撃が当たれば、魔物より多くの傷を負う。パートナーだからふたりで戦うと言ってもそれは、心の力だけのこと。魔物と同じに戦うことは出来ないし、そうする必要もない。
「あんな、命を投げ出すような、あんなのは」
話せば蘇ってくる悔しさに、腹から頭にのぼってくる苛立ちに、どうしようもない悲しさに、ガッシュはそれでも泣くまいと拳を握って、強く歯を食いしばる。
勝ったのだから、生き残ったのだから、という小賢しい言い訳は認めない。己の力が及ばなかった。だから清麿を守りきれなかった。その自分の落ち度も後回しにする。
思い知らせてやらねば気が済まないと、何度も同じことを言い募るガッシュに、清麿は口を挟もうとして睨みつけられる。
もう身体の疲労は限界だろう。おそらく、こうして向き合うだけでも体力と気力を振り絞っている。
そして身じろぎした途端に、清麿の胸元でチリンと鈴が鳴る。
ぼんやりと清麿は、赤い紐の先の鈴を見る。
「……悔しかった」
ようやく清麿が口を開いた。
「痛くて、身体も頭も限界だった。とにかく戦わなきゃいけなくて、必死で、だから、もうよく覚えていないんだけど、あの時は、悔しかった」
「もう、身体が動かなかったんだ。リオウの攻撃をまともに食らって、そうなってから、初めて死ぬかもって考えて、ぞっとした」
「血が身体から抜けてって、どんどん考えることができなくなって。縋るようにお前の本を握ってた。これさえ守れば、きっとお前は王になれる。この戦いは、魔物が負ければお終いだけど、人間がいなくても続くだろう。俺が死んでも、お前と本が残るなら、王になるために新しいパートナーが選ばれるんじゃないか、って」
「そんなことは!」
何の根拠もない
「ああ、そうだ。可能性としては有り得なくはないが、そう考えることも出来る、ってだけだ。何の裏付けも、証拠もない」
「私が、それで王になったとして、喜べると思うのか」
「…思わない。けど、俺にはその時、そう願うしかなかった」
だから、悔しかった。自分以外がガッシュの傍にいて、やさしい王様になるのを見届けるなんて。誰かに託すしかないなんて。誰より、自分が、こいつを王にしてやりたいのに。
「清麿は間違っておる!」
「そんな答えが正しいはずがない!」
「ああ。そうだ、俺は間違えた」
間違いに気づいたのは、ファウードの体液の中でようやくやっと目を覚ました時だ。
夢か現実か、はっきりとしない意識の中でそれでもずっと考えていたことが、覚醒とともに答えを出した。
戦いに選ばれる魔物と、本を読める人間は互いに唯一の存在だ。
パートナーは一人。例外はない。
そうでなければならないのだ。
「あの時、他に方法はなかった。それも間違っていないと思う」
「だが」
「ごめんな。お前につらい思いをさせた」
「ふたりで、戦うと言ったではないか。私を、王にすると」
「そうだ。約束を破るところだったんだよな。だから、ごめん。俺が間違っていた」
「もう、二度と」
「わかってる」
「絶対、なのだぞ」
「ああ」
「違えたら、私は、清麿を、今度こそ嫌いになる」
「ああ」
「私は、もっともっと強くなる」
「うん」
「だから、清麿は私が王になれるよう、力を貸してくれ」
「もちろんだ」
「約束だぞ」
「ああ、約束だ」
見合わせた顔は、よく似た動きの表情を見せ、ついに清麿は横になって目蓋を閉じる。
ガッシュが布団をかぶせたときには、もう寝息を立てて、深い眠りに落ちていた。
ガッシュは清麿の顔を見つめていた。魔物の耳に、規則的で穏やかな寝息の音が聞こえてくる。
その音を聞き洩らさぬように、ガッシュも寝台の端で腕を重ねて枕にしてから、うつ伏せた。
朝の光が、柔らかく辺りを包んでいた。
ファウードの騒ぎは終わったが人々が戻って来るにはまだ時がかかる。
ガッシュもまた清麿ほどではないが、疲れていた。だがこのまま眠るにしても、清麿の顔を見ていたかった。
大切な人が失われる恐ろしさを、身をもって思い知ったばかりで、その傍を離れるなんて到底できるものではなかった。
規則的に拍動を打つ心臓の音。穏やかに繰り返される寝息の音。絶え間ない命の音をずっと聞いていたかった。
ふたりだけのこの時が、ずっと永遠に続くもよい。
まだ悲しみを知っただけの子供は、微睡みながら願っていた。
end.
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