変容

『扉が開く日』

 それから清麿は公然と王佐として扱われるようになった。年越しから新年の祝いに始まり、王城の式典で王の臨席があるときは王佐もまた伴われる。際して「王佐の存在」と「人間界への扉」について正式に布告がされた。

 王城には新たな建物が一つ造られた。ここから魔物が人間界へ赴き、また人間を魔界へ招き入れるという重要な施設だ。その完成したばかりの真っ白い床に、ガッシュが扉の術式を描いて二つの世界をつなぐのは、春の季節の始まりの日だ。
 今の新年は冬の最中の冬至の後だが、昔はこの春の始まりの春分の日だったこともある。その日の夜明けは新たな出会いにふさわしい。



 空に残る星が冴える冷ややかな夜明け前、王城はいつになく立ち働く者の影も多くざわめいていた。この数か月で、王佐の正装と魔物達からの視線にも慣れた清麿だが、今は浮き立つ内心の期待を抑えて見かけの平静さを装うのも難しい。
 集まっているのは神の試練に選ばれた100名の魔物と、立ち会うことを王城へ申請した教授を始めとする魔界の民。その多くは街外れの親なしの子で、初めて見た魔界の王ガッシュの立派な振る舞いと、いつもと違う王佐清麿の姿に戸惑っていた。また各々の仕事がてら城勤めの魔物達も、声をひそめつつ物見に来ている。

 清らかな白の正装を纏ったガッシュはひとり静かに時を待つ。ここ一番の大仕事だからのと表情を変えずにいるが、横に控えた清麿が声の重さを気に掛けてそっと背中に手を添えると、口元を少し緩ませた。

 扉の術式に欠かせないものは二つ。一つは縁。人間界でガッシュが集めた思い出の欠片。もう一つは手紙。魔物と人間の特別なつながりの象徴だ。
 扉は世界の繋ぎ目だ。そこは魔界であり、また人間界でもある。かつて本が魔物を人間界に存在させていたように、手紙も魔物を人間界へと通わせる。そして手紙は、本来は魔界の物であり、それを持った人間を魔界へと引き寄せる。既に準備は整っている。あとは思いをかけるだけ。

 空を見張り、時を計る者が鐘を鳴らした。

「ここに! 魔界と人間界とをつなぎ、互いの行き来を叶える為の『扉』を描く!」
 大きな丸い屋根を持つ円形の建物は、ガッシュの声をよく響かせる。

「これは私の積年の思いであり、皆々のこれからを願うものだ。心を同じくする魔物と人が、共に手を取り言葉を交わし、互いの良きところを学び合い、喜びと幸いを紡ぐのだ」
 縁の赤い結晶はさらさらと細やかな音をたて、心に思う形を写して広間の床に結びの円環を描いていく。ガッシュは術式の対となる祈りを詠唱し、さらに魔力を注ぎ込む。

『百の思いと百の願い 掛けてよろずの祈りと為して
 此方こなた彼方かなたに架け渡す 絆の糸の結びを以て
 彼処かしこ来られよ参られよ 別たれし世の境を越えて
 交わる道を通われよ 何処いずこによりて其は此処に』

 声とともに、魔力を受けた縁は炎のように揺らめく光を放って金色に変わり、扉の術式の紋様が滑らかな床の表面に浮かび上がって刻まれた。
「これは私の魔界にかける想いの形。これは私の千年の導き、千年の礎、千年の祈りだ!」

 呼応するように扉の術式は光を纏う。魔力によるものか、室内であるのに風が吹き、光が強くなるのとあわせて円環の中心に影が浮かんだ。影は見る間に人の姿へ変じていき、見覚えのある青年が現れる。
 その姿を認めた途端、床を蹴りゼオンは一足飛びに円環の内へ向かう。
 軽く目を伏せ、そよぐ風のなかに佇んでいた青年は、辺りの変化を知るとゆっくりと目を開いて声を発した。
「高嶺清麿はいるか」
 問いかけというより確認だった。
「ああ、いるよ。デュフォー」
「ゼオンも」
「久しぶりだ」
 成長し面変わりした魔物の姿に動揺もせず、デュフォーは懐かしそうに目を細める。その表情の変化にゼオンが軽く目を瞠って微笑んだ。

「他に100名の魔物は」
「皆おるぞ。ひとりの欠けもない」
 そうかと頷いたデュフォーは、起こっている事実を端的に告げた。
「この術は暴走している。結果として、これから人間界の本の読み手の全てが強制的に魔界へ来ることになる。そして来るべきものが来れば、この世界のつながりは断ち切られる」
 まさかの事態にガッシュと清麿は顔を見合わせる。
「なんでそんな」
「本と手紙。二つの力の掛け合わせが原因だ」
 確かに今、清麿が携えている赤い本は、術式に反応してか光を放ち続けている。全ての魔物と本の読み手の再会を願って書いた扉の術式。手紙を通して絆となった思いの力が魔物と人を結ぶようにと。
 だが叶えたいのは、二つの世界をつなげることだ。再会の後でそれぞれの意志で生きる世界を選べるように。
「とめられるか」
「可能だ」
「何をすればいい」
「手紙の持つ意味を変えればいい。新たな契約あるいは約束を。それによって術式を上書き、条件を加えて強制力を無効化する。俺としては、この手紙を魔物から本の読み手へと宛てた招待状に変えるのが最も適当だと判断している」
「招待状?」
「そうだ。書いたゼオンから宛先の俺へ。単純な招待でもいいが、できれば俺が魔界と人間界を行き来することの許可がほしい」
「わかった」
 ゼオンが頷くとデュフォーは胸のポケットから手紙を取りだした。あれからずっと常に離さず、携帯していたのだろう。デュフォーらしく几帳面に折り畳まれた手紙に、ゼオンの手が重ねられる。
「……この手紙を書きし者ゼオン・ベルは、かつての本の読み手のデュフォーを魔界へと招くものとする。お前が望む時、どこからでも此処へ来るといい。俺はいつでも歓迎する」
「ありがとう」
 応じるように術式が光る。それが収まるとデュフォーは再びゼオンから受け取った手紙をしまって、ガッシュと清麿のいるところへやって来る。
「それでよいのか」
「これで俺は、魔界と人間界の行き来が可能となった。術式が本の読み手を強制的に招くのは変えられないが、少なくとも人間界への帰還はできる。あと98人。手順はこれと同様だ」
「皆が同じでなければ、駄目なのか」
「いや、それぞれの事情で言葉は変わる。要は、選ばれた魔物と人間が、手紙を介して扉の術式の上で約束を結ぶことで、二つの世界の行き来ができる。強制力が働いたのは百を揃えて一絡げにしたためだ」
「ぬう。では誰欠けることない再会を、と願ったが裏目に出たかの」
 心なしかガッシュは肩を落とした。
「それがないとは言わないが、」
 言いかけて止めたデュフォーが、ふと円環を振り返る。つられて皆がそちらを向くと、また術式が光りはじめた。

 光のなかに現れた彼女は、手紙を手に持ったまま眩しそうに立ち竦む。
「ここは、どこあるか?」
 茫然と彼女が呟くより、叫ぶ声の方が早かった。
「リィエン!」
 強く抱き締められて身動きも出来ず、ふわりと白い髪が視界の半ばを隠したが、この腕が誰のものであるのかは間違えようもない。
「ウォンレイ……、貴方、私の、」
「ああ! 私だ、リィエン! やっと会えた!」
 抱き合ったふたりは崩れるように座り込み、湧き上がってくる喜びを涙とともに溢れさせた。互いに思い合いながら、別れることを余儀なくされた恋人達の抱擁が終わるまでのしばしの間、誰もがそれを見守っていた。

「ふたりは、これからどうするのだ?」
 泣き笑いの顔のふたりに魔界の王としてガッシュが尋ねる。
「まずは人間界へ帰るあるよ。老爷と姥姥に挨拶をしないと、また魔界へは来られないある」
「だが私達は、もう二度と離れない。魔界であっても人間界であっても。これからは、ずっと一緒に」
「うぬ。どうか幸せにの」
「では手紙を持って、扉の術式の上でそのことを宣言してくれるか。それで人間界へ帰れるはずだ。魔界へ来るときは、また手紙を手にしてふたりで願えば、どこからでも扉の術式は通じてここに現れる」
 そしてふたりは固く手を握り合うと、満面の笑みで術式の光に包まれて人間界へと姿を消した。

 それからはひっきりなしだった。ふたりを見送った後、本の読み手達は次から次へと現れた。誰も、何も知らされず、いきなり魔界へ招かれていた。人間界で、手紙がまるで何かの意志を宿したように光り始めて、本の読み手が何が起きたか確かめようと手に取ると途端に此処へ連れられる。都合も何もお構いなしだ。
 慌てて対応しているといつの間にかデュフォーと教授が、扉の術式に起きた事態とその対処をまとめた書面をつくっていた。それは直ちに複写され、それぞれのパートナーの魔物から、驚いている本の読み手に何が起きたのかを説明するのに役立てられた。落ちついて休める場所や飲食物、場合によっては医師の診察など、必要なものはゼオンが王宮の者に命じて用意させた。それでも起こる揉め事は、ガッシュと清麿が事情を聞いたり、話をしたりして収拾を図っていく。

 突然の再会となったが、本の読み手のほとんどは、扉の術式によって魔界と人間界がつながったことを喜んだ。そしてパートナーの魔物とまた会えるよう、これからは互いに行き来ができるよう、たくさんの新しい約束が結ばれた。この再会は束の間でも、これからはいつでも会えるのだ。

 そして交わされる約束は、これまでと逆に本の読み手が魔界を訪れるものが多かった。
 例えばアポロは、重要な会議があってすぐに戻らなくてはいけないのが物凄く悔しそうで、今度はきっちり長い休みを取って来るからロップスの案内で一緒に魔界を旅してまわろうと言って帰っていった。
 人気アイドルの大海恵や世界的スターのフォルゴレも、それぞれの仕事や予定のために慌ただしく人間界へ戻ることになりつつも、次の休みが楽しみになったと嬉しそうに笑っていた。

 勿論これまでのように魔物が人間界へ訪ねて行くものもいる。かつてと同じに付き合いを復活させたもの、あるいはより深い関係へと歩み寄るもの、まるきり立場を逆転されてしまったもの、まったく新しい間柄に変わったもの。その行き来や関わり方もそれぞれだった。

 騒ぎが少し落ち着いた頃、清麿はデュフォーに尋ねた。
「なあ、選ばれた魔物でなくとも、人間界へ行くことはできないか」
「それは彼らか」
 デュフォーの視線の先には、黙々と筆を走らせてこの出来事の記録に取りかかる教授と、それを手伝いながらたくさんの人間達に憧れの眼差しを向ける親なしの子がいた。
「ああそうだ。あの子達は、」
「答えはわかる。魔力を術として使えない魔物。だから、人間の技術を教えることで地位の向上をはかっている。ガッシュとお前が目指しているのは魔物と人間の共存。その為には人間の力を示す必要がある。魔力がなくとも侮れない存在。だが、魔物を脅かすものではない、と」
「ああ。かなり直截に過ぎる言い方だけど、そういうことだな。で、どうなんだ?」
「既に例はある。その繰り返しも有効だ」
「例っていうと」
「名前も知らない誰かに送る、宛先のない手紙があったはずだ」

 それはワイトとヴィノーの手紙のことだ。ふたりの記憶は失われても、お手紙セットは現れた。そして手紙は交わされて、扉の術式に組み込まれ、二つの世界をつないでいる。手紙を書いたのは特別なつながりがあったからか、それとも手紙が届いたから特別なつながりとなったのか。
 ともかく『人間界にいる友達へ』、この宛先の手紙が扉の術式に組み込まれたことで、まだ会ったことのない人間へ向けて手紙を書いた魔物は、それを届けるために人間界へ行くことが出来る。そして人間界を訪れた魔物と出会い、特別なつながりを持つ関係となって手紙を渡された人間ならば、術式によって魔界を訪れることも出来るだろうと、デュフォーは言った。

「必要とするのなら、彼ら自身が選べばいい。ともに暮らしたいと思うような人間を。そして見極めた人間を魔界へと招待する」
「それって、ゼオンとデュフォーみたいだな」
「そうか」

 素っ気ない言動は相変わらずだ。会話をしながら、デュフォーの無機質なガラスの瞳は、常に清麿を観察している感じがある。
 それでも再会したゼオンに対する表情の変化は顕著なもので、そんな風に認め合って、家族のようになれたらいい、と清麿は言葉に思いを込めた。返事はとても短いが、そっと睫毛が伏せられたのが、照れくさそうに見えなくもなかった。

 魔界から人間界へ。そして人間界から魔界へ。扉は、魔物と人の新しい出会いのためにある。
 かつての関係も変わっていく。この世に変わらず在り続けるものは何一つもない。あらゆるものは変容する。
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