変容

『正装』

 暑さ寒さも彼岸までというが、魔界でも春分と秋分の頃に衣替えをするのは変わらなかった。
 王城の式典でガッシュとゼオンが纏う正装を仕立てるのは、ふたりの母でもある王妃の役目だ。彼女はもともと城で仕えていたお針子で、先の王に見初められて六番目の妃となった後も、その職を辞することなく務めている。清麿が初めて直に会ったのはゼオンとコルルの婚約の儀だ。優しい笑顔の、けれど凛とした話し方をする方だった。
 その王妃に清麿は正装を仕立ててもらうことになった。



 冠婚葬祭を一つの典型として、相応しい服装というものが求められることがある。様々な儀式や典礼で必要とされる衣服は、その格式により正装や礼装、常装、平服といろいろな区別がある。

 魔物の衣服も人型であれば、人間と似たようなもので基本は上下に身に付けるシャツとズボンだ。平服であれば、それに加えて揃いで仕立てた詰襟の上着を着る。これはガッシュが人間界に清麿を迎えに来た時の服装で、外套を除けば、人間界でのスーツと同じ扱いだ。
 そこから、常装であれば上着の丈が膝まで届く長さになり、礼装ではさらに身頃の幅と袖口が広くなる。遠目には外套と似た形状だが、着た者の動きにつれて薄く軽い布が翻り、襟や裾などに縁飾りが付く華やかな装いだ。
 そして正装となると、礼装からさらに丈が伸びて、裾は床の上を擦るほどに長く、袖口は袂のない着物のように大きく広がり、その上に肩から背中を覆う肩掛けを付ける。飾り紐が付いたブローチは装飾も兼ねており、襟や裾の縁飾りも細やかに精緻を極める。

「ゼオンも黒を着るのか。初めて見るな」
「ああ、正装で白を纏うのは王のみだ。宰相府の俺も、纏うのはこの黒となる」
「とりあえず色が無難で助かったかな。皆が同じだってのも」
「王に仕える者の色だ。位も問わないからな」

 こちらに、と優しく声を掛けられ、振り向くと王妃がいた。王妃はまずゼオンに向かい合い、その肩に正装の服地を掛けると、顔を覗き込むようにして問いかける。
「合わせの色は、また同じかしら。宰相の銀と、紫の」
「ええ、変わりなく」
「……少し、銀を濃くしましょうか。顔立ちが大人びたのと合わせて、髪色が映えるように」
 確かめるように王妃の手はそっとゼオンの髪に触れる。その近さは家族のものだ。
「母上のよろしいように」
「では、そうさせてもらうわ」
 微かに笑って小さく頷いた王妃は、今度は清麿に向き直り、ふわりとその表情を変えた。
「さて、王佐様はこちらで正装を誂えるのは初めてね」
 人懐っこく感じる笑みは、やはりガッシュとよく似ていた。少し色の薄い金の髪と、深みのある紫の澄んだ瞳をした淑やかな女性だ。
「黒の装いは誰もが同じですけど、飾りの紐や袖口の縫い取りは、それぞれの合わせの色でいたしますの」

 天児の魔物は、生まれたときに親から合わせの色を贈られることがある。色は、髪や瞳の色から取って意味を持たせるのが通例で、例えばゼオンは白と銀色に紫の夜明けを、ガッシュは黒と金色そして赤の夕暮れを、それぞれに母の王妃から貰っている。

 清麿の肩に服地を着せ掛けながら、王妃は小首を傾げて見つめてくる。まるで何か見定める仕草に、清麿はそっと姿勢を正した。王妃は清麿からゆっくりと離れ、その姿を眺めてみて僅かに目を見開いた。
「けれど王佐様の色は、このままの黒がよろしいようね」
 緩んだ声音は柔らかく、王妃は微笑みを滲ませる。
 端から清麿は服への洒落っ気などなく、髪や目に合わせる色も思いつかない。ただの黒一色はさすがに地味に過ぎるかもしれないが、何より堅実で間違いはないだろう。
「はい。それでお願いします」



 気づいたのは、仮縫いのために揃って着付けたときだ。いつの間にか、ガッシュの背丈が清麿と変わらないほどに伸びていた。

 そう指摘されると、ガッシュは清麿の後ろに回って背中を付けた。そして鏡に映る姿を見ながらゆっくりと手を伸ばして、ふたりの頭に同じ高さで触れるのを確かめた。
「ほんとに同じなのだ」
 ほうっと、ついたため息は感慨深げで、清麿は首を傾げる。背が伸びたのがそこまで嬉しいのかと問えば、ガッシュは大きく頷いた。
「私はいつも清麿を見上げていたから」
 ガッシュの声はいつも率直で、素直な感情を表してくる。かつて抱いていただろう憧憬をあからさまにされて、清麿はどうにも照れくさい。
「そうか。でも、もう子供じゃないんだろ」
 上機嫌に見えるガッシュを清麿は茶化して、こんなに大きくなったもんな、と頭に手を置いて掻き回す。

 そうされて、子供扱いをするでない、と泣いて抗議していたのはガッシュが紛れもなく子供だったからで、あの頃の清麿はそれが面白くて随分と意地悪もした。大人げなかったなと思い起こして、それで気づいた。ガッシュはもう、清麿の手を払いのけようともしないくらいには成長を遂げたのだ。
 そう思ってガッシュの顔を見れば、嬉しさを抑えきれないように、こちらを見て笑っている。
 見慣れたはずの、知らない表情にどきりとする。夏の日差しに草が勢いよく生い茂るのを見過ごしていたような。いつものように近付いて、不意に違和感を覚えた時には手遅れなほどに迫っていて、身動きが取れなくなったような、そんな気がする。
「やっと追いついたのだ。ずっとずっと追いつきたかった」
 そして、清麿が気づくのを待っていたように、また笑った。



 純白の正装に身を包んだガッシュと、漆黒を纏ったゼオンの立ち姿は、一対の絵画のような見事さだった。いつもの見慣れた色合いとは逆の組み合わせなのに、妙にしっくりと似合っている。

「太陽の王と月の宰相、か」
 王城に勤める女官の間でも、ふたりはそのように呼ばれているが、呟いたのは清麿の正直な感想だ。
「知っていたか」
「まあ、ありきたりだけど、その正装にはぴったりだな」

 瞬く間もあらばこそ、ガッシュは明朗快活な好青年へと様変わりした。それが眩いほど清らかに白を重ねた正装を纏うのは、あまねく空を光で照らす太陽の趣きだ。生まれながらに冠を被ったような金の髪と、精悍に引き締まった顔立ちは、表情豊かな琥珀の瞳も相まって見る者を惹きつけてやまず、何より明るく親しみやすいガッシュの笑顔は、日差しのような温かさがある。

 対してゼオンは、物静かな雰囲気の美青年に成長した。黒地に銀の縫い取りを走らせた正装を纏って佇む姿は、夜空に輝く月の様相。眩い白銀の髪に縁どられた白皙の顔は隙なく整い、眼光は鋭くも、深い紫の瞳は煌めく彩りを添えている。裏に徹する宰相家の銀と合わせて夜の闇もまた、怜悧で才知に長けたゼオンらしい。

 清麿は、同じ黒でも着る者でこうも印象が変わるものかとゼオンを見る。黒は、無難で目立たないと思っていたが、とんでもない考え違いだ。
 それでも、こういう服は誰でもそれなりに見えるはずと思い直し、背筋を伸ばして胸を張る。この魔界で、人間の自分は影に隠れるくらいでいいと思うが、ガッシュの隣に並ぶ時だけは見劣りしない程度の体裁は保ちたい。

 清麿の正装は、墨染めのように飾り気のない黒だが、襟や袖口の縫い取りはガッシュやゼオンのものと同じくらいに細やかで、カフス釦やブローチなどの装飾には艷やかに磨かれた黒い石が嵌められている。ありがたいのは、袖を通してすぐに感じた着心地の良さで、しかも上着をいくつ重ねても動きやすさが変わらなかった。

「誂えは王佐様のお気に召されましたかしら」
「はい。とても丁寧に仕立てていただいて、ありがとうございます」
 幼い頃、母の高嶺華にも服を縫ってもらったことがある。それと通じる王妃の気遣いに、清麿は心から感謝する。
「ふふ、よかった。それに、王佐様は黒がとてもお似合いで。あの子の見立ての通りね」
「見立てと言っても、黒は皆と同じでは? 臣下の色の」
 疑問をそのまま口にすると、苦笑混じりの返答があった。

「それは違うのだ。清麿の黒は王佐の色。透輝石の黒なのだ」
「透輝石って、これか」
 清麿が手近な袖のカフスを指すと、ガッシュはにっこりと頷いた。
「うぬ。私が、母上にお願いしたのだ」
 透輝石とは、文字の感じこそ華々しいが、珪酸塩鉱物に分類される単斜晶系の輝石だ。火成岩や変成岩に含まれるありふれた鉱物で、多くは白から緑の石だが黒色も稀に産出されて宝石として利用される。

「やはり清麿は黒が一等よく似合うのだ」
 ガッシュの声には衒いがない。
「私は、清麿の黒髪が好きだ。とても落ち着く色なのだ。黒い瞳も大好きなのだ。賢さを秘めた色なのだ。
 だから私は清麿は、黒がいいと思うのだ。とても綺麗な色だと思う。大好きな人の、大切な色だ。
 清麿の正装に合わせるのは、その色が引き立つようなものがよい。清麿の黒はそれだけで、並ぶもののない格別なものだ。それはとても大事にしたいものなのだ」
 ありきたりな黒の正装のところどころに光る透輝石。王佐の色のその石だけが、清麿と他の者を区別する。

 ガッシュが口を開く度、清麿は恥ずかしさに顏を覆いたくなる。ここには、ガッシュと清麿だけでなく、もちろんゼオンと王妃がいて、さらには正装を仕立てた王城の女官達もたくさんいる。誰もがこちらに目を向けないのは、あえての配慮とわかりきっている。

「清麿はいつでも、私を」
「もう、わかったから。あと、誰もいない時にしてくれ」
 清麿は堪らず遮った。それでも横を向いた清麿の耳に、ひそめたガッシュの声が落ちる。
「私を導く、北の極みの星なのだ」

 清麿の正装は確かに黒の一色だが無地ではなく、うっすらと綾に織られている。織りは、はっきりと見えるものではなく微かに浮かぶのは星の紋様。十二の角に方位と刻限を重ねて表される星は、天の中心にあって揺るがない。

 ――朝に太陽は東から昇り、夕べには西に沈んでいく。夜には月が空にかかり、星は遠くに瞬いている。

 太陽の王と月の宰相、そして導く星の王佐。

 やがて王城に勤める女官達から、また王都の界隈の皆々から、彼らはそのように呼ばれることになる。
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