手紙

 魔界では携帯電話は使えないだろうし、現金もパスポートも無意味だな、と考えると必要な物は案外少ない。

 魔界の王ガッシュに招かれて人間界から魔界に行くことを決めた清麿は、この二週間余り、修羅場といってよいほど忙しかった。
 だから旅立ちの日となった今朝からやっと、慌ただしくも準備を始めてる。鞄に放り込む荷物が、旅先で必要とされるものとあまり変わらないのは幸いだ。

 爪切りにひげ剃りと耳掻きに歯ブラシ、固形石鹸と手拭い、どこでも使える鉛筆とノート、折りたたみのナイフ、傷薬と消毒薬、胃腸薬と頭痛薬と風邪薬はあった方がいい。
 着替えは最低限でもいいが、念のため防寒具は持っていこう。気候は人間界と変わらないという話だが、魔物の体感温度は当てにならないから。
 清麿は、常識と経験と勘を駆使して考える。

 かつてデュフォーに引き出され、訓練によって安定させたはずの清麿のアンサー・トーカーは、戦いのない日常の中にすっかり馴染み、他人より少し優れた勘のようなものになっている。
 本来のアンサー・トーカーは、すべての答えを瞬時に出す能力だ。生死を賭けた戦いで、意識が極限にまで研ぎ澄まされたとき、生き抜くために覚醒した能力。
 そういう意味では、清麿のアンサー・トーカーの能力は閉じられている。ただし無くなった訳ではない。問いも答えもほぼ無意識で、解いた感覚だけが後から届くような状態だ。
 例えば、仮に魔界と人間界が行き来出来るならと考えて、現金とパスポートを荷物に入れる。そうすると、必要な物、という答えの欠片がカチリと嵌まったのを感じる。

 必要な物を鞄一つにまとめ終えた清麿は、背後を振り返る。
「ガッシュ、そっちの荷造りは……まだ、だな」
「もうちょっとなのだ!」
 床に座りこんで、同じように荷物をまとめていたはずのガッシュの周りの散らかりようは、なかなかに驚かせてくれる。
 同じ部屋で寝起きしながら互いに忙しくろくに話せずにいる間、少しずつ何やら物が増えているのは知っていたから、予想通りの有り様でもあるのだが。清麿は椅子に座り直してガッシュの片付けを待つことにする。そして改めて、その散らばっている物のまとまりのなさに首を傾げた。

 人間界の物が魔物にはどんな意味を持つのか。
 子供の頃のガッシュが玩具にしていた物は、清麿からすればガラクタだった。工事現場の三角コーンとか、丁髷のカツラとか、鼻眼鏡とか。
 変なものばかり拾ってくるな、部屋に持ち込むんじゃない、と言った記憶がある。そしたら庭の片隅にしばらく置かれて、秘密基地とかいうのにガッシュが持っていった、はずだ。
 
 この二週間あまりでガッシュが部屋に持ち込んだ物は、さすがにそこまで妙な物ではないが、実用性がないのは昔と変わらない。子供の玩具とも言い難い物ばかりだ。
 それをガッシュは、一つ取り上げて目の前にかざして見つめては脇に置き、また一つ別の物を取り上げていく。傍からはとても片付けているようには見えない。ただ、作業をする手は淀みなく、眼差しは真剣そのもの、かすかに緩む口元からは楽しそうな呟きが漏れている。
 どんなに小さくたわいない物でも思いがあるなら無下にしたくない、ガッシュの大事な物は大事にしてやりたいと、今はそう思う。
「それ魔界まで持って帰んのか?」
「うぬ、私のお土産なのだ」
 上機嫌で答えたガッシュは外套を延ばして切り離し、風呂敷のように広げた。

「これはの、私が皆を訪ねて行った先のあちこちで拾ったものと、」
 大鷲の尾羽根。見事な縞模様の巻き貝。波に洗われてくすんだガラス片。表皮が削られ白く滑らかな小枝。手のひらより大きい木の葉。錆びが浮いたコイン。何の変哲もない、ただし色とりどりの小石。

「訪ねた先で貰ったもの、」
 刃先がこぼれた小さなナイフ。ぶつけた窪みのあるライター。ガラス瓶いっぱいの飴玉。紙の袋に包まれた花の種。柔らかな羊の毛糸玉。木彫りの蛙。ドングリの首飾り。飲み終わって瓶から取り出されたラムネ玉。

「そして預かったもの、なのだ」
 そう言ってガッシュは、手にしたたくさんの手紙の束を清麿に見せた。

 最後の戦いが終わってからおよそ1カ月。魔界に帰った魔物達から、人間界のパートナー達へ手紙が届いた。
 手紙はたくさんの思いを運んできたけれど、返事を出すことはできなかった。
 あれはすべての出会いの締めくくりなのだと思われていた。

 けれど、赤い本は再び現れた。魔界と人間界がつながる可能性を示して。
 そのメッセージを伝えに本の読み手の100人を訪ねたガッシュには、出せなかった手紙の返事が託された。
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