悪魔の手紙

 
 私と彼の本は燃え、魔界の王を決めるための戦いは終わった。心の限りを尽くして涙の後に訪れたのは虚脱感。
 けれど、本が燃えゆく刹那に私の手を取った彼の言葉とやがて届いた手紙が、心残りを取り去った。

 すべては新しく始まっていく。元より定められてはいたことだったが、それを一つのきっかけとして、シェリー・ベルモンドは家督を継ぎ、パリに移り住むことにした。



 夏の光が木々の緑や街角に咲き乱れる花々を明るく輝かせている。空も青く澄みわたり、そこに何の憂いもない。
 ずっとずっとこんな日が来ることを待ち望んでいた。心置きなく親友と過ごすことができる初めての夏。

 6月の初め、パリの大学で学生生活を送るココから学年末の試験の結果が報告された。謙虚な親友いわくまずまずの成績は、客観的に見てどれも素晴らしいものだった。

 夏期の休暇に帰郷するつもりだというココに、シェリーは同行し、ベルモンド家の屋敷に滞在することを提案した。

 パリから故郷まで、二人だけの移動には鉄道を使うことになった。車より時間がかかるから、かえって贅沢だけど、ちょっとした旅行みたいな気分になれるからと、ココが珍しく誘ってきて、シェリーはすぐさま賛成した。
 万事控えめで遠慮がちな親友に、少しずつでいいから人生の楽しみというものを知ってほしい。とびきりの笑顔で輝く青春を謳歌してほしい。

 待ち合わせの駅へと向かう車の中で、シェリーは先週末の会話を思い起こしていた。



 いつだってココとの電話は長くなる。ちょっとした用事が終わっても次々と、たあいのない遣り取りをするのはとても楽しい。
「ね、夏期の休暇はどこで過ごすの? ずっとバイト、とは言わないわよね」
「ええ、そうね」
 ココはくすぐったそうに軽く笑い、一拍おいて続ける。
「私、里帰りしようと思うの」
「里帰り?」
 それは思いがけない返答だった。
 ほとんど天涯孤独ともいえるココの境遇は複雑で、それを知っているシェリーには、里帰りという言葉がひどく唐突に聞こえる。

 幼くして両親を亡くしたココを引き取った親戚は、元より繋がりも薄ければ情も無いに等しかった。狭い物置に粗末な食事と着古した衣服を与えるだけの人達で、今はもう別の村に引っ越して、とうに縁も切れている。
 ココがかつて住んでいた村も、故郷ではあるけれど、そこで好意的な関わりを持った人はほとんどいない。貧しい生活を嘲笑い、蔑み虐げるような事ばかりがあって、何度それを目にして憤ったことか。
 何よりその村は焼け落ちてしまったのだから。

 訝しむシェリーに、ココは変わらぬ調子で話し続ける。
「変かしら? お婆ちゃんのお墓参りに行きたいの」
 その一言に滲み出たココの思いが、シェリーの胸を突いた。

 ココの言う「お婆ちゃん」は血縁の人ではない。
 ただの近所の変わり者の老婆で、幼いココをひたすら可愛がってくれただけの人だ。
 何かにつけては昔話と、古くさいおまじないを教えてくれて、そのうちの一つが『魔除けの指輪』だった。
 身寄りもなく財産もなく、思い出だけを残して、二人が大人になるずっと前に亡くなった。
 たしかココが大学を受験する前の日に、その墓前へ花を供えたけれど。その合格の報告は、していない。

 お婆ちゃんの墓参りが里帰りの理由なら納得がいく。それはココにとって数少ない、優しい思い出だとシェリーもよく知っている。
「……それなら私も一緒に行くわ、ココ。私にもお参りさせて」
「うん。ありがとう、シェリー」

 沈んだ雰囲気を変えるようにシェリーは一つの提案をする。
「それと、折角の里帰りですもの、私の家に泊まって頂戴ね! うんとおもてなしするわ」
「ええっ! そんな、私、そこまで甘えるつもりは」
「あら、少しはそのつもりが?」
 焦った声に構わず、からかうようにシェリーは話を進める。
「それは出来れば一緒に行きたいって誘うつもりだったけど」
「では決まりね! 誘ってくれて嬉しいわ、ココ」
「ちょっと待って、シェリー! でも私が貴女の家に泊まるって」
「駄目かしら? 貴女とゆっくり話がしたいんだけど」
 ねだるようなシェリーの声が、演技であるとココは知っている。
「……もう。お嬢様の我が儘には困っちゃうわ」 
 ふっと緩んだ声に笑いが含まれる。シェリーがココを甘やかしたがっているのを受け入れてくれたらしい。
「久しぶりだものね。……だったら、私も一つ我が儘を言ってみようかしら」
「まあ、なあに?」

 そうして、長い長い電話を終えたシェリーはこの夏の休暇のために万全の態勢を整えることを決めた。
 継いだ家督と家業に纏わる仕事も、煩わしい社交もどうにでもなる。屋敷の中のことは優秀な使用人達に任せてしまおう。
 ココと過ごすその時間は何物にも代え難い大切なものだから。
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